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『修行道地経』に見る数息観
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/12/19(Sun) 21:39:35
□IP/ 4.27.3.43
同氏によると『修行道地経』で注目すべきなのは呼吸法の体系化ということである。
『修行道地経』
七巻三十品。西晋の竺法護(三世紀後半)訳。
さまざまな修行法の説明や修行の段階を説いたもので、ほぼ順をおって禅観修道の階程を示す。
以下は同経典に説かれる修行階程の一般論的な順序であり、坐禅観法の予備的基礎となる訓練。
修道の手始めとして、自己の苦悩や恐怖から逃れるために己を空しくして仏法僧の三宝を念じる
眼・耳・鼻・舌・身の五根の欲望を制して色・声・香・味・触の五境に駆使されないよう努める
食を貪ることが道行に益なきことを自覚する
他人に対しては寛容慈悲の徳を以て、瞋恚の心を起して自ら苦悩を招くことのないようにする
わが身心を反省して四念処観を学ぶ(つまり、身は不浄なり、感覚器官は苦なり、心は無我なり、法は無常なり、ということ)
専ら心を摂して信・精進・智慧の諸徳を以て三毒のために乱されないように工夫する
専念道に進むべきを勤める
空無我の理を慕い、究極の境地の涅槃に達することを志して正法を念じ、常に歓喜してますます修道に進入する
そして禅観修行に入るために必要な五種の観法(五門)が、次のように説かれている。
情欲熾(さかん)なる者に不浄観
瞋恚熾なる者に慈心観
愚痴多き者に因縁観
想念多き者に数息観
驕慢多き者に白骨観
鎌田氏は、修行者はかならずしも上記の五項目のすべてを修する必要はなく、その一門に入ってそれを最後まで修行すれば、究極の解脱位に到達できると説かれていると述べる。
また巻五「数息品」には呼吸法の詳細が書かれているといい、その方法として次の四つを数える。
数息
「若し修行者、閑居無人の処に坐して志を秉って乱れず、出入息を数え、而して十に至らしめて一より二に至る。設し心乱るれば当に復た更に数えて一、二より九に至るべし。設し心乱るれば、当に復た更に数うべし。是を数息と謂う」
「自在にして不同なること譬えば山の如く、出入息を数えて十に至らしめ、昼夜月歳懈止せず、修行して是くの如く数息を守る」
相随
「数息し意定まって自由なり。息の出入を数うるを修行と為し、其の心相随って乱れず、数息して心を伏するを相随と謂う」
止観
「牧牛者の遥かに住して察し、群の沢上に在るを護視するが如く、数息を持御するも亦是くの如く、守意(意識の集中)すること彼の若き是を観と謂う」
還浄(げんじょう)
「(還浄の状態になるには)心を鼻頭に係けて、当に数息を観じ、其の出入を知るべし」
「譬えば守門者の、坐して出入の人を観るに、一処を在って動かず、皆人数を察知するが如く、当に一心に数息して、其の出入の息を観ずべし。修行も亦是の如く数息して還浄を立す」
ここで鎌田氏は、止観を説明する場合に用いられるこの「守意」という言葉に注目し、この語を経名とする『大安般守意経』を仏教における呼吸法の集大成であると言及している。
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『修行道地経』 >
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> 以下は同経典に説かれる修行階程の一般論的な順序であり、坐禅観法の予備的基礎となる訓練。 > >
修道の手始めとして、自己の苦悩や恐怖から逃れるために己を空しくして仏法僧の三宝を念じる >
眼・耳・鼻・舌・身の五根の欲望を制して色・声・香・味・触の五境に駆使されないよう努める >
食を貪ることが道行に益なきことを自覚する >
他人に対しては寛容慈悲の徳を以て、瞋恚の心を起して自ら苦悩を招くことのないようにする >
わが身心を反省して四念処観を学ぶ(つまり、身は不浄なり、感覚器官は苦なり、心は無我なり、法は無常なり、ということ) >
専ら心を摂して信・精進・智慧の諸徳を以て三毒のために乱されないように工夫する >
専念道に進むべきを勤める >
空無我の理を慕い、究極の境地の涅槃に達することを志して正法を念じ、常に歓喜してますます修道に進入する
> そして禅観修行に入るために必要な五種の観法(五門)が、次のように説かれている。 > >
情欲熾(さかん)なる者に不浄観 >
瞋恚熾なる者に慈心観 >
愚痴多き者に因縁観 >
想念多き者に数息観 >
驕慢多き者に白骨観
> 鎌田氏は、修行者はかならずしも上記の五項目のすべてを修する必要はなく、その一門に入ってそれを最後まで修行すれば、究極の解脱位に到達できると説かれていると述べる。 > また巻五「数息品」には呼吸法の詳細が書かれているといい、その方法として次の四つを数える。 > >
数息 > 「若し修行者、閑居無人の処に坐して志を秉って乱れず、出入息を数え、而して十に至らしめて一より二に至る。設し心乱るれば当に復た更に数えて一、二より九に至るべし。設し心乱るれば、当に復た更に数うべし。是を数息と謂う」 > 「自在にして不同なること譬えば山の如く、出入息を数えて十に至らしめ、昼夜月歳懈止せず、修行して是くの如く数息を守る」 >
相随 > 「数息し意定まって自由なり。息の出入を数うるを修行と為し、其の心相随って乱れず、数息して心を伏するを相随と謂う」 >
止観 > 「牧牛者の遥かに住して察し、群の沢上に在るを護視するが如く、数息を持御するも亦是くの如く、守意(意識の集中)すること彼の若き是を観と謂う」 >
還浄(げんじょう) > 「(還浄の状態になるには)心を鼻頭に係けて、当に数息を観じ、其の出入を知るべし」 > 「譬えば守門者の、坐して出入の人を観るに、一処を在って動かず、皆人数を察知するが如く、当に一心に数息して、其の出入の息を観ずべし。修行も亦是の如く数息して還浄を立す」
> ここで鎌田氏は、止観を説明する場合に用いられるこの「守意」という言葉に注目し、この語を経名とする『大安般守意経』を仏教における呼吸法の集大成であると言及している。
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