開宗意識のない開祖
浄土真宗を開かれたのは親鸞聖人であります。 しかし開祖といっても、自分でひとつの宗旨を開こうなどという意志をもって教えをひろめられたものではなくて、あくまでも、 みずから如来の本願を信じ、そのお慈悲を生きるひとりの行者として、また恩師源空上人を慈父のように慕い、 そのよき弟子として終始されたことは、「本師源空あらはれて浄土真宗をひらきつつ」とうたわれた 『和讃』のうえにもあきらかにうかがわれます。また「浄土真宗」ということばにしても、 ただ単にひとつの宗派をあらわす宗名としてではなくて、よき師である源空上人からうけたまわった、 真実の教えをあらわされたものにほかなりません。人間というものは、すこしでも人からほめられると、とかく思いあがるものであり、 まして人の師と仰がれるようにでもなれば、弟子の数を一人でも多くかぞえたい名利欲や、 〃わが弟子である〃という執われ心がおこりがちなものであります。ところが聖人は、立派な弟子がたくさんあったにもかかわらず、 「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」(歎異抄)といい、「なにごとををしへて弟子というべきぞや。 みな如来の御弟子なればみなともに同行なり」(口伝鈔)ともいっておられます。そして自分自身では、真宗の正しいみ教えは、 七人の高僧がたが受け伝えてくださったたまものであると高く仰いで、 「七高僧はねんごろにも釈迦のみこころあらわして、弥陀の誓いの正機をば、われらにありとあかします」とたたえ、 「このみさとしを信ずべし」(しんじんのうた)という姿勢を生涯つらぬいていかれました。そのように執われのない謙虚な人柄は、 かえって多くの人びとの信望と尊敬とをあつめ、「同一に念仏して別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、 それ四海の内みなきょうだいとするなり」(往生論註)というように、ひとつの教団が自然にかたちづくられ、 それが今では「浄土真宗」という一大教団にまで発展してきたのであります。
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