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掲示板管理者:空殻
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● バーミヤン遺跡 仏典断片を発見(日経新聞) /空殻 (03/09/05(Fri) 08:28) [42]
....● 『バーミヤン写本』の諸相(『古典学の再構築』より/二〇〇〇年四月) /空殻 (03/09/08(Mon) 10:36) [43]
....● 三蔵法師時代の仏典断片発見 日本隊、バーミヤン石窟で(asahi.com) /空殻 (03/09/09(Tue) 17:01) [44]
....● バーミヤン西方に寺院跡(日経新聞) /空殻 (03/12/02(Tue) 16:41) [69]
....● バーミヤン遺跡 コーランの断片発見(日経新聞) /空殻 (04/01/30(Fri) 02:41) [175]


親記事 / ▼[ 43 ] ▼[ 44 ] ▼[ 69 ] ▼[ 175 ]
NO.42  バーミヤン遺跡 仏典断片を発見(日経新聞)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/09/05(Fri) 08:28:06
□IP/ 65.168.28.131
日経新聞(2003年9月4日)から引用です。



バーミヤン遺跡 仏典断片を発見
東京文化財研の調査隊 三蔵法師の時代知る史料に

東京文化財研究所の調査隊は四日、アフガニスタン・バーミヤンの石窟からサンスクリット語で書かれた七世紀ごろの仏典の断片数十点を発見したと発表した。
東文研によると、同遺跡内での仏典の発見は、一九三〇年にフランスの考古学者が見つけて以来、七十三年ぶりという。仏教に関する哲学書のような文書とみられ、古代インドの思想を知る史料として内容の分析を進めている。石窟はこれまで本格的な発掘調査が行われておらず、今後の調査でも貴重な史料が得られる可能性が高いという。
盗掘や旧タリバン政権の破壊活動で傷んだ遺跡保存事業の一環で、東文研が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委嘱を受けて調査していた。
大きなものは長さ約五センチ、幅約二センチで「樺皮文書」と呼ばれる樺の木の皮を張り合わせたものに、サンスクリット語の黒い文字が書かれていた。「ギルギット・バーミヤン第一型書体」と言われる書体で七世紀ごろのものとされ「大唐西域記」の中で玄奘(三蔵法師)がバーミヤンを訪れた時代に当たるという。



▲[ 42 ] / 返信無し
NO.43  『バーミヤン写本』の諸相(『古典学の再構築』より/二〇〇〇年四月)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/09/08(Mon) 10:36:09
□URL/ http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/007/matsuda.html
□IP/ 4.60.158.44
『古典学の再構築』より引用です。


バーミヤン渓谷から現れた仏教写本 の諸相

松田 和信 佛教大学教授

1 はじめに
 今世紀初頭,英国のスタイン,フランスのペリオ,ドイツのグリュンヴェーデル,我が国の大谷探検隊を始めとする各国の探検隊は競って中央アジアへ足を踏み入れ,シルクロードに点在する遺跡を発掘し,様々な言語で書かれた膨大な量の出土文献を持ち帰った。またこれらの探検隊とは別に,英国のバウアー大尉,英国のインド学者ヘルンレ,ロシアのカシュガル駐在総領事ペトロフスキーといった人々も,インドあるいは中央アジア赴任中に土地の人たちが持ち込んだ出土文献を直接あるいは間接に買い集めた。そしてそれらの文献は,その後の仏教研究に大きな影響を与えることになった。発見された資料のほとんどは断簡にすぎなかったが,既に失われたと思われていた数々の重要文献の原典がその姿を現したからである。
 ところで,このような中央アジアにおける発見がその後も続いたわけではない。1931年に現在のインド・パキスタン間の国境紛争地帯に位置するギルギットの仏塔跡から発見された約3000葉の樺皮写本(紙写本を一部含む),いわゆる「ギルギット写本(Gilgit Manuscripts)」を最後に,探検ブームが去り,あるいは世界情勢の変化等により,その後例外的に少数の写本発見の報はあったが,大規模な発見は今後もはや望むべくもないものと思われていた。
 しかし,この数年の間に状況は劇的に変化した。旧ソビエトのアフガニスタン介入と,それに続いて現在に至るアフガン内戦は,現地の荒廃と引き換えに,世界の古写本マーケットに膨大なアフガニスタンおよびパキスタン出土文献の流入という皮肉な結果をもたらしたのである。マーケットに現れた写本類の大部分は最終的に欧米の研究機関あるいはコレクターに引き取られて行った,あるいは現在行きつつある。

2 ノルウェーのスコイエン・コレクション
 さてそのような状況の中,今から数年前,正確な場所は伝えられていないが,アフガニスタンのバーミヤン渓谷北部の洞窟の中で,原理主義勢力に追われたアフガン難民によって大量の仏教写本が発見された。それは入り口がひとつ,内部が数本に分かれた自然の洞窟で,一本の奥まったところに仏像が安置され,周囲に写本が散乱していたらしい。写本は分割されてパキスタンからドバイに持ち出され,さらにロンドンの複数の仲介業者を経て,最終的にそのほとんどはノルウェーの蒐集家マーティン・スコイエン(Martin Schyen)氏に引き取られた。貝葉(ターラ椰子の葉),樺皮(白樺の樹皮),動物の皮が用紙として用いられた写本類は,使用された文字から判断して,紀元2世紀から8世紀に遡り,大部分は破損した断簡であったが,サンスクリット(梵語)あるいはガンダーラ語の仏典が書写され,その総量は微小破片も含めて1万点以上にのぼった。
 コレクターのマーティン・スコイエン氏は,父親から受け継いだノルウェーの大きな企業グループの会長を務める傍ら,オスロ南方の田舎町スピッケスタッド郊外の山荘でノルウェーの伝統に浸った質素な生活を送りつつ,古今東西の文字資料の蒐集を続けている。なお仏教文献は氏のコレクションのほんの一部にすぎず,その中心はメソポタミアの粘土板,エジプトのヒエログリフ,ギリシャ語パピルス,コプト語パピルス,死海文書といった類である。
 スコイエン氏の情報を入手した筆者は,1997年11月,オスロ大学のイエンス・ブロールヴィック(Jens Braarvig)教授,ミュンヘン大学のイエンス=ウヴェ・ハルトマン(Jens‐Uwe Hartmann)教授,ベルリン・インド美術館の学芸員ローレ・ザンダー(Lore Sander)博士と4人でスコイエン氏の山荘を訪ね,氏から許可を得て共同研究を開始した。
 これまでに我々は,すでに三度スコイエン氏の山荘を訪れて調査を行っているが,予備的研究の結果,さまざまな重要文献の存在が明らかとなった。その中には,カローシュティー文字で貝葉に書写されたガンダーラ語の『大般涅槃経(Mahaparinirvanasutra)』(2世紀)あるいは同じく貝葉にクシャーナ文字で書写された『八千頌般若経(Astasahasrika Prajnaparamita)』(2世紀―3世紀)の断簡といった,思いもよらぬ文献が見い出された。前者はいわゆるブッダ最後の旅路を記した小乗涅槃経のことであるが,いずれの漢訳にも一致しない未知のヴァージョンであった。後者は般若経典類を代表する文献であるが,7世紀以降の般若経写本に見られるような梵語ではなく,俗語で書かれている。2世紀から3世紀といえばインドにおける般若経の成立とそう遠く離れていないであろう。般若経が最初から梵語で書かれていたのではなく,それに先立って俗語の般若経がインドに存在していた直接の証拠が初めて現れたのである。しかもこれは現存最古の大乗仏典の写本である。クシャーナ文字による大乗仏典の写本など,これまでだれも聞いたことがなかった。
 さらに我が国でも著名な,如来蔵・仏性思想を説く『勝鬘経(Srimaladevisimhanadanirdesa)』,さらに『阿闍世王経(Ajatasatrukaukrtyavinodana)』,また漢訳では鳩摩羅什訳で知られる『諸法無行経(Sarvadharmapravrttinirdesa)』といった,他文献における引用を除いて原典の知られていなかった大乗経典類の断簡も次々とその姿を現した。これらには北西型グプタ文字が用いられ,4世紀から5世紀に遡る写本であると推定されるが,こちらも驚くべき年代の写本である。
 コレクション中,最も新しい写本は,7世紀から8世紀にかけてのギルギット・バーミヤン第1型,および同第2型文字による写本である。その中には第1型文字による『摩訶僧祇律(Mahasamghika Vinaya)』の樺皮写本断簡,さらに同じ書体による散文で因縁物語のついた『法句経(Dharmapada)』の断簡も見い出された。さらに『法華経(Saddharmapundarika)』『金剛般若経(Vajracchedika Prajnaparamita)』『薬師経(Bhaisajyaguruvaiduryaprabharaja)』『月上女経(Chandrottaradarikavyakarana)』『宝星陀羅尼経(Ratnaketuparivarta)』などが認められた。
 しかしこれらもコレクション全体から見れば,ほんの数パーセントにすぎない。クシャーナ文字写本など,あまりにも時代的に古い写本が多く含まれるため,漢訳あるいはチベット語訳に対応文献の存しないこと,また文面から阿含,律,阿毘達磨の三蔵文献の断簡も数多く認められるが,その中にはすでに失われた教団文献が数多く含まれていると推定され,その正体を突き止めるのは容易ではない。なおコレクションには1点だけバクトリア語の皮革文書断簡が含まれているが,これも仏教文献である。興味深いことに,種々のブッダ名が列挙されているが,それらは『無量寿経(Larger Sukhavativyuha)』の冒頭部に現れる種々のブッダの名称とほぼ一致しているのである。
 スコイエン氏のコレクションの重要性は,スタインやペリオ等の蒐集した中央アジア出土写本と異なり,直接的なインド文化圏,すなわちガンダーラより現れた初めての大規模仏教写本だという点である。同じようなものに上述のギルギット写本もあるが,こちらにはそれよりはるかに古い時代の写本が数多く含まれている。驚くべきことにカローシュティー貝葉写本断簡も『大般涅槃経』を含めて約200点が見い出された。これまでのカローシュティー資料は樺皮か木簡であって,貝葉写本の発見は世界初である。
 現在我々のグループは,現地調査に加えてメンバーの属する研究機関で定期的に研究会を開きつつ出版に向けての準備を進めている。その第1巻は Manuscripts in the Schyen Collection I (Buddhist Manuscripts, Vol. I)と題され,我々の依頼した各国の研究者の寄稿を得て,今年中にオスロより出版される予定である。その中には10点の写本断簡のローマ字転写テキスト,英訳,カラー写真等が含まれるが,その内容と寄稿者を紹介すれば以下の通りである。 1. Kusana Fragments of the Astasahasrika Prajnaparamita (L. Sander) 2. Camgisutra of the Mahasamghika‐Lokottaravadin (T. Brekke) 3. Srimaladevisimhanadanirdesa (K. Matsuda) 4. Mahayana Version of the Pravaranasutra (K. Matsuda) 5. Sarvadharmapravrttinirdesa (J. Braarvig) 6. Ajatasatrukaukrtyavinodana (J.‐U. Hartmann & P. Harrison) 7. Fragments from the Asoka Legend (K. Wille) 8. Pratimoksa‐Vibhanga of the Mahasamghika‐Lokottaravadin (S. Karashima) 9. Gandhari Version of the Mahaparinirvanasutra in Kharosthi Script (M. Allon & R. Salomon) 10. Bactrian Buddhist Document (N. Sims‐Williams)  上記中,トルケ・ブレッケ氏によるCamgisutraとは,パーリ中部経典の第95経(Cankisutta, MN 95)に対応するものであるが,漢訳阿含には見い出されない経典である。3世紀ないし4世紀頃と推定される北東型グプタ文字で貝葉に書写され,ほぼ完全な数葉を含む複数の断簡が回収されている。この経典は,`dharmanidhyanaksanti'という,唯識学派の文献を読む者にはよく知られた用語の現れる経典であるが,この語は断簡中にも数度確認できる。またクラウス・ヴィレー氏によるアショーカ王伝説関連の断簡とは『ディヴヤ・アヴァダーナ』に含まれるアショーカ王の登場するアヴァダーナ類の断簡をコレクション中より収集したものである。

3 説一切有部『長阿含』のギルギット写本
 1997年11月,スコイエン・コレクションを最初に訪ねた帰途,ロンドンのディーラー,サム・フォッグにおいて筆者は,2週間前にパキスタンから届いたばかりという樺皮写本の束を目にした。一葉の大きさは縦10センチ,横50センチメートルほど。癒着した10数葉ずつの3束に分かれ,全部で50葉ほどはあった。各葉の両面に梵語で仏典が書写されていた。文字はギルギット・バーミヤン第2型。これは我が国に伝えられた悉曇文字の原型でもある。数枚の写真を撮った後,しばらく束の上下の数葉を読んでみると,北インドに栄えた説一切有部教団(Sarvastivadin)の伝える『長阿含(Dirgha‐agama)』の一部であることが分かった。漢訳大蔵経に残る『長阿含』は法蔵部教団(Dharmaguptaka)が伝えたものであり,説一切有部のそれは漢訳されていない。
 帰国後,東京の日仏交易社(現歐亜美術)の栗田功氏のもとに,同じ束の上部の一葉を写したサンプル写真がパキスタンより届いていることを知った。氏によると,これはアフガニスタンではなく,パキスタンの実効支配するギルギットの洞窟で蜂蜜ハンターが発見したらしい。東海大学の定方晟教授がその写真を見て一文を発表している(『大法輪』平成11年1月号)。その後,写本自体はスコイエン氏ではなく,ワシントンの匿名のコレクターに引き取られ,筆者の手の及ばない所に行ってしまったかに見えた。しかし幸運にも写本は米国ボルティモアのウォルターズ・アート・ギャラリーに依託保存され,その研究と出版は我々スコイエン・コレクションの研究グループに依頼されることになった。本年4月中旬,筆者の許にも保存処理の終わった写本の写真がギャラリーより届けられた。写真には48葉の樺皮写本と,付属する断片約100点が原寸大で撮影されていた。まだ詳しくは見ていないが,これら48葉は『長阿含』の後半部分のいずれかの箇所をカヴァーすると思われる。
 さらにこれに先立つ3月初旬,再びオスロからの帰途,ロンドンの別のディーラー,マーク・アーロン氏のギャラリーにおいて筆者は,同じ写本の別の部分に遭遇した。そこには癒着した10数葉の束5つ(80葉ないし100葉ほど)と,30センチ角の箱一杯に詰め込まれた多数の断簡が認められた。価格はアーロン氏の手数料を入れて日本円にすると4000万円!とのことであった。その場で半時間ほど読み,さらに帰国後筆者が写してきた各束上下の写真で確認したが,その中には『四衆経(Catusparisatsutra)』の中程(Waldschmidt ed.,§27a)から最後まで,さらにそれに連続して『大本経(Mahavadanasutra)』のほぼ全文が含まれていることが判明した。つまりこれは両経を含む有部(あるいは根本有部)『長阿含』の第1章「六経品(Satsutrikanipata)」の,まさにその箇所であった。『四衆経』と『大本経』のヴァルドシュミット校訂本中の欠落したり復元不全な箇所も,今後これを見ればすべて判明するはずである。
 もしギルギットで『長阿含』の完全な写本が発見されたのだとすれば,全体で500葉以上はあったはずである。いくつかに分割されて売り飛ばされたのであろうか。では残りは一体どこに。それらが近日中にマーケットに現れる可能性は高いように思われる。なお,数日前のアーロン氏からの連絡では写本は売れたとのことであったが,購入者は知らされていない。いずれにしても,これは現存する唯一の貴重文献である。仏教研究にとってその価値は計り知れない。購入者が誰であれ,現在の,さらに未来の購入者によってそれらが研究者に公開されることを願わずにはおれない。

付記
 本稿は,3月25日のシンポジウムにおける発表のうち,スライドに先立つ口頭発表部分にその後の情報を一部追加してまとめたものである。なお筆者は,同内容の報告数編をすでに公にしているので参照していただきたい(『月刊しにか』1998年7月号,『東洋学術研究』38巻1号,『佛教大学総合研究所報』13,15,17号,『中外日報』2000年4月27日付)。
 スコイエン・コレクションに対する本格的な研究は今始まったばかりであり,その全体を解読して写真とともに出版し,学界共有の財産とするには今後相当の時間と費用がかかるものと思われる。ノルウェー側では,本研究はノルウェー科学アカデミー高等研究所のプロジェクトとして採用されている。我が国から参加する筆者に「古典学の再構築」の公募研究の一つとして研究費をお認めいただいたことに御礼申し上げます。(2000年4月30日)



▲[ 42 ] / 返信無し
NO.44  三蔵法師時代の仏典断片発見 日本隊、バーミヤン石窟で(asahi.com)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/09/09(Tue) 17:01:24
□URL/ http://www.asahi.com/culture/update/0904/011.html
□IP/ 4.60.149.178
asahi.comより引用です。


内戦以来の混乱で破壊され尽くしたと思われたアフガニスタンの世界遺産バーミヤン仏教遺跡の石窟(せっくつ)から、「大唐西域記」で知られる中国僧・玄奘(げんじょう)(三蔵法師)の訪問と重なる7世紀ごろに使われたとみられる仏典の断片数十点を、日本の研究者らが見つけた。他の石窟にもなお多く埋もれている期待が出てきた。

文化財の保護修復などを手がける独立行政法人、東京文化財研究所を中心に7月中旬から8月上旬にかけて行われた「第1次バーミヤン遺跡保存事業」で確認された。同研究所の山内和也主任研究官らが清掃作業中に、床面の溝にたまったゴミの中から見つけた。最大の断片は5センチ×2センチほど。いずれも樹皮に墨で文字が書かれていた。

このうち5点の断簡の映像を調べた佛教大の松田和信教授(仏教学)によれば、文字は7世紀ごろアフガニスタンなどで使われた「ギルギット・バーミヤン第1型文字」で、言語はサンスクリット語(梵(ぼん)語)。「善」や「実体」「ヨガの結果」などが判読できるという。

1930年にフランスの調査隊が、今回の出土地の近くで同じ文字の断片類を発見したが、現在その所在は不明。90年代に難民が同石窟から持ち出したとされる1万点以上の仏教写本が英国の古美術市場で売買され、ノルウェーの実業家が購入したが、発見場所などははっきりしていない。

調査に参加した東文研客員研究員の前田耕作和光大名誉教授(アジア文化史)は「特定の石窟との関係が明確な仏典が発見されたのは画期的だ。壁画様式や石窟構造が中心だった研究に文字資料が加わることで、巨大な大仏を造り、周辺地域よりも仏教信仰が長く続く独自の仏教文化を花開かせたバーミヤンの信仰の様子を解明する手がかりを得たといえる」と話している。
(09/04 21:17)


新しく仏典が発見されたことは喜ばしいのですが、私としては、フランスの調査隊や難民、ノルウェーの実業家その他の資本家たちの軽薄な趣味によって、貴重な資料が多数散逸してしまったことがすごく残念です。



▲[ 42 ] / 返信無し
NO.69  バーミヤン西方に寺院跡(日経新聞)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/12/02(Tue) 16:41:32
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/
□IP/ 4.60.148.166
日経新聞(2003年11月20日)から引用です。


世界遺産の仏教遺跡で知られるアフガニスタン・バーミヤン遺跡の西約百二十キロの地点(バーミヤン州ケリガン)に、この地域がイスラム教の影響を受ける八世紀以前に建てられた仏教寺院跡があるのを龍谷大の山田明爾名誉教授(仏教学)と写真家の中淳志さんが十九日までに行なった現地調査で確認した。
バーミヤンの真西で仏教寺院跡が確認されたのは初めて。バーミヤンは中国の僧玄翁の「大唐西域記」にも出てくるが、バーミヤンから百キロ以上西の寺院などに関する文献や記述はまったくなく、仏教の広がりを研究する上で、貴重な手掛かりとなりそうだ。山田名誉教授によると、現地調査は先月から今月初旬にかけて行なった。



▲[ 42 ] / 返信無し
NO.175  バーミヤン遺跡 コーランの断片発見(日経新聞)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/30(Fri) 02:41:19
□IP/ 65.168.28.131
日経新聞(2004年1月23日)から引用です。


バーミヤン遺跡 コーランの断片発見
文化財研、9-12世紀ごろか
仏教衰退後モスクに転用?

独立行政法人文化財研究所は二十二日、アフガニスタンのバーミヤン遺跡で昨年十月に行われた遺跡保存作業中、石窟から九〜十二世紀ごろのものとみられるコーランの断片数点を発見したと発表した。正規の調査でコーランの断片が見つかったのは初めて。同研究所は「仏教衰退後、石窟がそのままイスラム教のモスクとして用いられていた可能性を示している」としている。
コーランの断片は、西大仏の少し東側にあるI窟と呼ばれる座仏窟で壁画の断片の収集作業中、土に埋まっているのが発見された。大きいもので縦二十数センチ、横二十センチ弱程度の断片で、紙に墨でコーランの内容が書かれていた。I窟の仏像があった部分の後ろには仏教壁画が描かれた回廊があり、そこではイスラム聖職者が発行した病気回復祈願のお札のようなものも発見された。
昨年七、八月の作業で同研究所は中国・唐時代の僧、玄奘(三蔵法師)が同地域を訪れた七世紀ごろとみられる仏典の断片を発見した。
同研究所は八〜九世紀にこの地域で仏教が衰退した後、石窟をモスクとして使っていたのではないかとみており、書体の鑑定を依頼するなどして年代特定などを進める。

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