□投稿者/ 開宗意識のない開祖
□投稿日/ 2005/03/10(Thu) 04:55:12
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南無阿弥陀仏 「お浄土をもってござる仏さまの、必ずたすけるといわれるおおせにしたがうよりほかに手はないではないか」(讃岐の庄松)
私が小さい頃、なぜ南無阿弥陀仏とお念仏するのか疑問に思い、とりあえず側にいた母親に「南無阿弥陀仏ってどういう意味なん?」と聞きました。ところが、「今、忙しい。後にしぃ」といわれました。そこで、今度はおばあさんに同じように聞いてみると、今度は「難しくて、よぉわからんわ。お父さんに聞き」といわれました。 そこで、父の帰りを待って、また同じように聞いてみると、父は紙になにやら文字を書いて私に見せて、「読んでみぃ」と言いました。 そこには、「まかせよ、すくう、いまここで、われを、たのみとせよ」と書かれてありました。 読めても意味がわからないので、「どういうこと?」とたずねると、父は「南無阿弥陀仏というのは、こんな風にお前を今ここで救うぞ、という呼び声なんだよ」。 そこで、「じゃあ、なんで僕らが南無阿弥陀仏っていうのん?」と私は聞きました。 「それはなぁ、その阿弥陀さんの呼び声に対して、私らがありがとうって言ってるんだよ」と教えてくれました。
私たちが救われるのは、自分がお念仏するからではなく、阿弥陀さまにすべてをおまかせするからなのです。庄松さんが言うように「おまかせするよりほかに手はない」のです。 ですから、これからも、共に報恩感謝のお念仏を喜ばせていただきましょう。
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