吉蔵は、干法開の識含義の思想について次のように解説している。「三界の迷いの世界は、長い夜の夢であって、その夢の主体が心であるという。夢から目覚め、三界が空であることを自覚すれば、あらゆる迷いは消滅する」というのである。このような思想は荘子も説いている。「夢の中においては夢であることを知らない。夢の中でその夢を占い、覚めて後にそれが夢であったことがわかる。人生は長い夢のようなものであり、真の悟りに到達した者だけが、それが夢であると悟ることができる」という。もとより荘子の思想には、三界がすべて空である、というような仏教的な思想はない。ただし、両者共に迷いの世界を夢であるとするところと、目覚めないしは夢であることの自覚によって悟りを得るというところは一致しているように思われる。インド的な論理よりも、このような思想に魅力を感じるのは私だけだろうか。
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