今年は天候不順のため、今日はかなり遅れ目の海水浴に行って帰ってきたらずいぶん難し いご質問が待っていました。あの題名は、連載を始めた時、題名をなんとしようかと新聞 社から聞かれ、とっさに浮かんだものです。私が中学くらいの時は音楽の時間に「雅楽は 1200年も歴史のある現存世界最古の音楽です」と習ったものです。そのときから見れば、 もう4、50年たっているから約1300年だろうというわけで、「1300年のクラシック」なら 語呂がいいだろうということだったのです。本にする時に新聞社から「雅楽」を付け加え てくれと言われ、「雅楽1300年のクラシック」としました。私としては実は不本意だった のです。新聞社の方というのはとにかく誤解を避ける表現というのが至上命令のようで す。そんなわけで1300年というのは極めて大雑把な年数ですけれど、根拠が無くもありま せん。本の年表にありますが、朝廷に「雅楽寮」(うたまいのつかさ)という官庁が設け られたのが、西暦701年、ちょうど1300年くらい前なのです。もっとも、官庁が設けられ るからにはそれ以前から雅楽は盛んに演奏されていたのでしょうが、それを国の公式音 楽、すなわちクラシックと公認されたのがこの時だと考えればクラシック音楽としての雅 楽の命は1300年ということになります。それでは、東儀秀樹さんの1400年は違うのかとい うと、そんなことはありません。音楽自体としては西暦701年以前から日本で演奏されて いたことは明らかで、もっと前に渡来人たちが音楽を演奏したという記録もあります。東 儀さんのご先祖といわれる秦氏が日本へ来たのは、応神天皇の時ですから、1400年より、 もっと前のことです。また、東儀さんの著書を見ると、百済の味摩之の伝えた「伎楽」を 重視されているようです。これが日本へ伝えられたのは、確かに1400年程前のことです。 もっとも、現存の雅楽の中の神楽には、古事記に出てくる歌まであって、これだともっと さかのぼるわけです。篳篥がいつごろからかは実は詳しいことを知りません。一昔前の人 で、山田孝雄という文化勲章を受けた大国語学者がいます。この人は著書で、篳篥が一般 的になったのは、実は平安時代中期以降ではないかと書かれています。平安前期が舞台で ある源氏物語などに篳篥の加わる合奏があまり書かれていないのがその根拠らしいです。 (実際に源治物語が書かれたのは平安中期ですが、「いずれの御時にか」という文句で始 まりそれ以前の昔物語として書かれております。源氏物語は現代小説としてかかれたもの ではないのです)私の考えでは平安前期の篳篥は、あまり身分の高い人が吹かなかったの で、物語に登場させなかっただけじゃないかとも思います。とりあえずまとまりませんが こんなところがご回答です。
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