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Re(3):ところで
 ラクシュン  - 08/12/8(月) 16:11 -

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   えっ、好きだったのですかぁ・・・
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Re(2):ところで
 芥屋  - 08/11/30(日) 23:56 -

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   >ラクシュンさん:

おー、地下猫さんのとこですね。
わたし、地下猫さん好きですよ。

>あ、HNは「ハクチ」にしました。

冷やかしじゃないけど、「白雉」にしてはどうだろう?
日本の古代の年号ですけどね。
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Re(1):ところで
 ラクシュン  - 08/11/30(日) 20:56 -

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   あ、HNは「ハクチ」にしました。
何だったか、ブログ主がある書籍をハクチ本だと一方的にこき下ろしていたこと自体に反発して付けた名前です。

実際、自分は白痴だと思っているので別に問題もないですしね…
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ところで
 ラクシュン  - 08/11/30(日) 19:23 -

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   みなさんおげんこですかあ?

私は、MAC(not尊称w)のブログで殺された(=言論封殺)時期と相前後して、ttp://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/
にもお邪魔しているのですが、こういう(微妙な?)カン違い的な人種も困ったもんだなーみたいな、気分でいます。

ところで、「たかじんのそこまで言って委員会」というTV番組はどこでも週一で放映されているんでしょうかね?
今日見ていて(田母神出演)、前に灯里さん? ○△さん? 誰だったかMACブログで言ってた、右翼?問題?に興味が移っているって言っていたことに共感を覚えました。

憲法九条に根を下ろした論題にはほとんど馴染みがないというネックはあるんですけどねえ・・・w
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Re(3):愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/14(火) 21:47 -

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   ラカンの理屈はだいたい解りました。
「主体」を代理しているのが欲望を組織する「ファルス」(欠如のシニフィアン)、そのファルスを代理しているのが「シニフィアン連鎖」ということ。
たったこれだけのこと。
そして、このファルスの超越(論)性にアルチュセール、デリダそしてドゥルーズあたりが反発するんですね。

しかし単なる言葉や図式的なものから受ける抑圧・支配的印象から批判の動機が生まれているのか、あるいはそれ以外のものなのか、そのあたりはまだはっきり解りません。
なんか体力を消耗する本ですが、皆さんも一冊どうですか。
暇つぶしにはなりますよ。
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Re(8):[無題]
 ラクシュン  - 08/10/10(金) 21:02 -

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   >書き間違えだと分かっていても、ぶっとんでて面白い書き間違えじゃないですか?

べつに面白くなかったな。
全体から見ればなお面白くない。
その種の書き間違いはわりとあると思っているし。

>「ネタ」というブックマークがついているように、

悪いけど私はそんなことは知らないんですよ。
どこかにあるんだ。

>アイロニカルな表現であるというのが分かってもよさそうなものです。

これは書いている人の立場を考えればわからないのは当然だというのが私の立場かな。
紛らわしい。
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Re(2):愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/10(金) 20:52 -

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   >形而上学や弁証法はきっちりした定義のある学術用語ではなくかなり曖昧さを含んだ概念だから、

哲学って、案外いい加減なところがあるんですね。

>「自分はそういう区別をする」という人がいるならそれはそれでいいのではないかと。

なるほど、これからはなるべくそういうスタンスをとるようにしてみます。

>どうなんでしょう?

もちろんネガティブです。
著者は哲学史を弁証法と形而上学の闘争として描いているようです。
この視点に『権力と抵抗』の視点が(自分なりに)重なってきて、この点はなるほどなとは思いました。
しかし、『権力と抵抗』は全般にわたってラカン理論が中心におかれているので私にはいまいち?かな。
この本には「形而上学」という用語は使われてなかったと思います。

#日経平均が暴落だけど大損している人はいないよなあ。w
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Re(4):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/10(金) 6:29 -

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   > そこが楽さんのオモロイところですたい。わたしゃ、楽さんのこげな
> ところがオモロイけん、何があっても消さんとですよ(嘘)。

なるほど、そういうキャラとして楽しむという対処もあるわけですね。でも当人は大真面目で、それが他人を巻き込んで紛糾してしまったりするので、ちょっと勘弁して欲しいというのが正直なところです。ここのような小さな掲示板なら、常連さんがみんなキャラを受け入れてなごやかにするということも可能かもしれませんが。

> ♯ところで、上で「軽妙な」とか書いたけど、かな〜り毒のあるシニ
> カルな笑いと感じたのだけど、それはわたしの深読み過ぎ?

ふふふ、だって JANJAN であの記事(「パリテで政治の脱ジェンダー化を 全国フェミニスト議員連盟夏合宿」)を書いた「市民記者」って、かの「ファイトバックの会新ブログ」(fightback2)を作った「さとうしゅういち」さんでしょ。あと、記事になってる全国フェミニスト議員連盟を創設したのって、三井マリ子さんだよね。

そういう背景を考えて、軽妙なネタにそういう裏があるのではと深読みをする人は、たしかにいるかもしれませんねー。
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Re(3):[無題]
 芥屋  - 08/10/9(木) 23:45 -

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   >macskaさん:
>ごめん、ネタエントリにマジレスでつっかかってるのがあまりに痛かったので、削除しちゃいました。

その気持ち、わかります。天然のボケに軽いツッコミしただけのネタだから、あとは笑ってくれれば良し、笑えねぇと無視するも良し。…のつもりなのに、桟敷席に上がって来て喧々囂々されては、ねぇ。

ネタはネタですからね、軽妙に済ませたい。そこで完結する(はずの)エントリのコメント欄に、野暮な重たい勘違いが来るなら、そりゃぁ消したくなりますよ。つうか消すべきですよ、ネタ提供者の文責上(他の読者の軽いフフフの邪魔ですからねw)

>そんなに激怒するとは思わなかったです。

そこが楽さんのオモロイところですたい。わたしゃ、楽さんのこげなところがオモロイけん、何があっても消さんとですよ(嘘)。

♯ところで、上で「軽妙な」とか書いたけど、かな〜り毒のあるシニカルな笑いと感じたのだけど、それはわたしの深読み過ぎ?
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Re(7):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/9(木) 1:40 -

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   > というか、私はそのように読解していましたし、まさかMacskaがこんな
> 重箱の隅を突付きまくる人間とは思えまえんでした。

重箱の隅を突きまくるとかじゃなくて、単純に「面白い書き間違え」だと思ってネタとして紹介したんですが。

> しかし、「男女は人類のほぼ半分を占める。」(←下線ナシ)もオカシ
> いですよね。

そこにも下線してますって。

「ヒトは、一部の例外を除き、男か女以外の存在しかない。」
「男女は人類のほぼ半分を占める。」

書き間違えだと分かっていても、ぶっとんでて面白い書き間違えじゃないですか?

あ、そう、面白くないと。それは感覚の違いであって押しつけるつもりはないですが、「ネタ」というブックマークがついているように、わたしの意図をちゃんと理解したうえで、ネタとして面白いと感じた人もいるようです。

> #そう思えばそう書けばいいし、それをラディカルとは言わないと思う。

それはアイロニーというもので、そもそもエントリのタイトルが「市民記者ニュースすげー」である時点で、アイロニカルな表現であるというのが分かってもよさそうなものです。

ところがそれが分からずに、わたしが本気で「この記事はすばらしい」「この主張はラディカルだ」と思っている、と解釈して、記事がどのようにおかしいかとマジレスしたのがラクシュンさんですが、あまりに痛々しくてくだらないので削除しました。

ラクシュンさんの投稿を基本的に歓迎しないのは、この件からも分かるように、ラクシュンさんが文脈に無頓着で、文章の中から一部だけ切り出して自分の読みたいように誤解して突っ走る傾向が強くあるからです。それでわたしに喧嘩をふっかけるだけならまだ良いのですが、他の参加者に対して迷惑なので、コメントは遠慮してください、とお願いしています。(という説明は以前もしたので、何の理由も説明されずに秘密裏に書き込み禁止された、という主張は成り立ちません。)

が、トラックバックなら受け付けているので(トラックバックなら承認します)、意見があればご自身のブログで書いてください。そういう形であれば、少なくとも他の読者の迷惑にはなりませんから。
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Re(2):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/9(木) 1:21 -

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   ごめん、ネタエントリにマジレスでつっかかってるのがあまりに痛かったので、削除しちゃいました。
そんなに激怒するとは思わなかったです。
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Re(1):愚痴の追加
 Josef  - 08/10/8(水) 21:03 -

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   ラクシュンさん

形而上学や弁証法はきっちりした定義のある学術用語ではなくかなり曖昧さを含んだ概念だから、自分なりのスタンスを持ってればいいんじゃないかと思います。
子供の成長を例にとった「弁証法的」と「形而上学的」との区別は、私からみればヘンな感じがしますが、「自分はそういう区別をする」という人がいるならそれはそれでいいのではないかと。

形而上学という言葉が出てきた時に私が気になるのは、それがネガティブな意味で使われているのか、そうではないのか、という点です。数的にはネガティブな意味で使う人が多い気がするんですが、私自身はそうでもないので。

ラクシュンさんの書き込みからは形而上学をネガティブに捉える視線が伝わってきますが、どうなんでしょう?
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愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/7(火) 20:05 -

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   そのすぐ裏のページには、子供の成長過程における弁証法の 適用事例 が紹介されています。
子供が生まれてからの成長過程自体は「弁証法的否定」なんですと。
そして、子供が(殺人は言うまでもなく)事故や病気で成長が中断されることが「形而上学的否定」なんですって。
そして、人々の生活上の社会的困難をみんなで協力し合って克服していく過程は「弁証法的否定」であり、核兵器などで生物の絶滅をはかる行為は「形而上学的否定」なんですって。
で、「以上のこと」 から、「現実におけるあらゆる発展は、否定をつうじておこなわれるということがわかる。」んですって。
なんとなく、ゲリマンダーの極地じゃないのかという気がするのですが、こういう考え方をする人がいることは否定しませんよ。

ちなみに、麦を例にとって言えば、「否定の否定」(第一否定:麦粒→麦 第二否定:麦→再び麦粒)として収穫された麦は種麦からの一定の前進があって、この前進(進化)を「螺旋状の発展」というそうです。
この発展は、社会や歴史にも、そのまま当てはまるそうで、どうやらこの手の発展的前進、「否定の否定」を弁証法的に整理したものを「否定の否定の法則」というそうです。

ほんとかぁ〜… (~・ω・~)
#マルクス主義への直行便のような気がするけど。
#なんとなくだけど、ダーウィニズムのトートロジー性とは質が違いそうだ。
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弁証法的否定と形而上学的否定?
 ラクシュン  - 08/10/5(日) 20:17 -

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   うーん、もう少し読み進めていくと[弁証法的否定と形而上学的否定]という項目があります。
麦粒を畑に蒔けば、一定期間おけば再び麦になりますが、これを「麦粒が否定されて麦になった」と言うそうです。
他方、麦を挽いて粉にしたり味噌や焼酎にすることもできますが、この場合も「麦粒が否定されて粉・味噌・焼酎になった」と言います。
そして、両者は「麦自身」にとっては大きな違いがあり、前者の否定を「弁証法的否定」、後者の否定を「形而上学的否定」と言うそうです。

しかし、だから何なのと言いたくなります。
弁証法家は麦を消費しないのだと言いたいわけでもないだろう。w
なんとなくw偽の二分法(弁証法家による弁証法的区別)の匂いがしますが、まこういう考え方もあるんでしょうね。
#形而上学的否定はやめておこう。
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Re(4):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/4(土) 20:47 -

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   なんといっても一番オカシさが際立つのはこの辺でしょうか。
『はじめての哲学史』(竹田青嗣・西研)では、
::::::::::::::::::::::
 つまり、彼は存在それ自体を深く考察したのだが、結果的にそれまで使用されたさまざまな抽象概念の使い方を整理し、言葉の論理的な使い方を刷新したのである。ここにパルメニデスの大きな功績があった。(パルメニデスの存在に関するこの発見はプラトンやアリストテレスに引き継がれ、西洋哲学の演繹的推論の伝統となった)。
::::::::::::::::::::::

思考実験として、アリストテレスが「Pか非Pのどりらかだ」「Pかつ非Pということはない」と言ってもぜんぜん不思議はない(実際言っているはず)のですが、論理本の著者は、アリストテレスに対して「形而上学的」というレッテルを貼れるのかどうなのか、ということに尽きるかも。
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Re(3):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 23:27 -

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   あーというか、私としてはこれではまだダメなんだ。
現段階での結論は、本来のアリストテレス哲学の「第一哲学(≒メタフィシカorフィジックス)」(フィシカの後)ではなく、中世ヨーロッパのキリスト教神学での「超自然学(=形而上学)」とパルメニデスの思想に類似性があった(?)から、それを「形而上学的」と表現しているのが(むかし読んだ論理学系)本の著者の立場、というのが正解なのかな?
と思う。


>Josefさん
>この、完全なる「存在」という表象が、プラトンの「イデア」なんかに繋がっていくのでしょう(たぶん)。

おそらく著者はそこまで考えてないような気がします。
最近読んだ『権力と抵抗−フーコー・ドゥルーズ・デリダ・ラカン』と今回の話題に、ある共通性みたいなものを感じるんですよ。
この二冊の本の著者の感覚、ものの考え方の共通性みたいなものをね。
本当はなにも目新しいことではないのかも知れませんけど。

>「無い」ものは知ることも思考することもできないと。

ここは私もパルメニデスがそう主張していると思っているし、またそのとおりだと思っています。
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Re(2):形而上学?
 Josef  - 08/10/3(金) 22:20 -

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   >パルメニデスは何も思弁を語っているわけではないと思うのですが、この立場が「形而上学的」ということになっているんですよね。不思議でしょ。

ややこしいですね。
体験に基づく知という点からは形而上学の反対のようですが、体験できるのは「有るもの」であって、「無いもの」は体験できないというところから、「無い」ということを拒絶し、全一的というか永遠的というか、一切がそこから生じそこへと回帰していくような「存在」を主張するあたりが形而上学的なのでしょう(たぶん)。
このような存在論からすれば、「存在するものでもあり、存在しないものでもある」のような思弁は言葉遊びに過ぎないのですね(たぶん)。

>「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」

すごく当たり前のことを言っているように見えますが、この後半部は「有らぬ」ということの拒絶でしょうね。言い換えると、「存在しない」などということはありえない(=体験や知の対象になりえない)、と。

主語がないところがミソで、具体的な主語を立てれば、たとえばラクシュンさんという人物は、今は「有る」が100年後には「無い」。しかしパルメニデスの存在論はそういう形而下の存在の有無ではなく、「有る」そのもの、「無い」そのものに向かっていて、後者を否定するという形をとっているのだと思います。「無い」ものは知ることも思考することもできないと。

この、完全なる「存在」という表象が、プラトンの「イデア」なんかに繋がっていくのでしょう(たぶん)。
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Re(2):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 21:24 -

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   あ、古代ギリシャ哲学の「形而上学」とは意味がぜんぜん違っているから、
ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/kcollection/quidestmetaphysica.html
で、「プラトン以来」という表現について違和感を表明していたということだな。
それについては納得。
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Re(1):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 20:30 -

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   >芥屋さん
>「マック」て・・・(元帥かと思ひましたw)

「Mac」には「元帥」という意味があるということなんでしょうね。
しかし元帥という言葉も死語なんでしょうかね…。

>ごめんなさい。今夜は、よりによって、ウォッカでイイ気分です。

ずいぶん洒落たものを飲んでるんですねぇ。w

しかし気になるので心当たりを調べてみましたが、ある本には
::::::::::::::::
 ところで、このメタには、超越という意味もまたあることから、アリストテレスの哲学が権威とされてキリスト教神学の基礎付けに利用された中世ヨーロッパでは、メタフィシカということばが「超自然学」、つまり感覚ではとらえることができないものについての学問、という意味で使われるようになった。「形而上学」という言葉は、この意味をもつものとして、中国の古典『易経』に典拠を求めて造られた。「形而上学」という言葉は本来、形より上、つまり形をもたない超感覚的なものという意味である。
::::::::::::::::

で著者は、ヘーゲルを頂点とする「ドイツ古典哲学」(古典?)以前に(?)、ドイツで流行っていたのは、この意味での「形而上学」だ(←たぶん引用文の意味)、と言います。
が一方で、古代の弁証法家のヘラクレイトスは、万物のアルケー(原理)を火だとする弁用法的見解(←「火」「空気」「水」「土」間の弁証法的サイクル)を(プラトンにも見られるような)比喩的に表現したのが、
「河は同じだが、その中に入るものには、後から後から違った水が流れよってくる」。「同じ河に二度はいることはできない……またまた近寄ってきては、去っていく」。「ヘラクレイトスはどこかで、万物は動いていて、何ものも止まってはいない、と言い、また有るものどもを河の流れになぞらえて、君は2度と同じ河へは入れないだろう、と言っている」。「同じ河にわれわれは入っていくものであり、入っていかないものでもある。存在するものでもあり、存在しないものでもある」…と。

そして、このヘラクレイトスによって完成された「古代弁証法」の論理的脆弱性をつく立場が「形而上学的」と位置付けられています。
その代表格がエレア派のパルメニデスです。
彼の有名な主張は、「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」(←何処か親しみのある主張w)、というものです。
パルメニデスは言います
 「いざや、私は汝に語ろう、汝はその話を聞きて受け入れよ−−探求の道は如何なるものだけが考え得るかを。その一つは“それは有る、そしてそれにとりて有らぬことは不可能だ”と説くもの、これは説得の道だ(真理にしたがうものゆえ)、他の一つは“それは有らぬ、そして有らぬことが必然だ”と説くもの。これは汝に告げるが、全く探求し得られない道だ、何故なら汝は有らぬものを知ることもできなければ(それは偽し能わぬことゆえ)、また言い現すこともできないだろうから」。

パルメニデスは何も思弁を語っているわけではないと思うのですが、この立場が「形而上学的」ということになっているんですよね。不思議でしょ。
私の引っ掛かりの根源はこの辺にあるんだと思いますけど。
こういう記述が私のどこかに刷り込まれているんでしょうかね。

あとフロイトやラカンおよびマルクス、ドゥルーズの理説が「形而上学」だという話を聞かないということが私の疑問の補強材料としてあるかもしれません。
#フロイトは自説を思弁だと認めている模様。
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形而上学?
 芥屋  - 08/10/2(木) 23:18 -

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   >ラクシュンさん:
>Macはどうでもいいとして…

「マック」て・・・(元帥かと思ひましたw)

>ところで、「形而上学」という言葉って不思議だと思いませんか?
>この言葉を使用する人はどういう意味で使っているのでしょうかね?
>使う人にしてもホントに解って使っているんでしょうかね?
>解ってない私が言うのもヘンなんですけどね。w

んー、私も昔、この言葉の意味はわからず使ってた記憶があります。
それはともかく、つまり何だ、えぇっと・・・
「実世界の観察上の論ではなくて純粋な脳内の観念論だぞぴょ」
・・・みたいなことでOKですかねぇ。

>ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/kcollection/quidestmetaphysica.html

ごめんなさい。今夜は、よりによって、ウォッカでイイ気分です。
ウォッカって、冷凍庫に入れても凍りませんね。
凍らないウォッカについて語れば形而下学なのかな。
ウォッカで酔ってる私の、その脳内の現実離れした変な想念こそが、
「形而上学」的なのかな。

まぁ、そんな秋の宵です。
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