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Re(2):ジェンダーチェック
 gaji  - 07/9/27(木) 1:29 -

引用なし
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   >ラクシュンさん:

横レスすみません。

>「検閲的」というか、私が感じる常識的な許容範囲を越えたときにそうなる、ということですよ。
>芥屋さんたちと違って、私の男ジェンダーには限界があるということですよ。

そうなのだと思います。
ご自身のコト(感じ方)なんですよね。

>保険金殺人や強盗殺人など、女の犯罪が実録ドラマとして放映されることがありますが、どちらかといえば肯ん定的な方向で描かれてしまうんですよね。

と思えてしまうのは、ラクシュンさん固有の見方ゆえなのカモ…、。

>「復讐するは我にあり」とはぜんぜん違って。

?????
わたし、その昔観たことありますが(バイショウミツコとかが出てた映画で)、
殺人者(♂)は、肯定的にも否定的にも描かれていなかった、と記憶します、。

>ま↑こちらは殺害人数が多そうだけど。(笑)

「殺害人数が多」い、ということで言えば、永田則夫の映画がずうっと昔にあって、偶然みたことがあります(「裸の19歳」といったタイトルだったせいか、まちがって?私を誘ったBFとのデートで^^;)。
イカガワシゲ?な企みがあったラスイBFは、映画を観ながら、いつのまにか涙ぐんでしまい、、、
(以下略)
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Re(1):ジェンダーチェック
 gaji  - 07/9/25(火) 21:52 -

引用なし
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   >芥屋@keya1984さん:
>どうにも忙しい毎日です…

おつかれさまでございまつ。
(定時でスパっと帰宅していた私も明日からは残業に。。

>つうかですね、はっきり言って歳のせいですよ。
>酒が弱くなって、晩酌で酔い酔いになっちまうんです。

そのほうが健康的というか、自然でつyo〜♪どうぞ、ごゆっくり。


>>gajiさん:
>>「ナウシカ」は、はじめから王女。(違和感なく享受可能)
>
>「宮崎駿作品にときどき出てくるヒロイックなヒロインは、あれは男の子。あんな女の子いないって」とは女房の弁。ナウシカとか千尋あたりを指して言ってました。

「あれは男の子。あんな女の子いないって」だとして、観客(≒読者)にとって不快感や奇異なイメージ、キョピ反応っぽいものはあまりなかったのでは?と思いますが。
多くの子供たちにとって、ヒーローっぽいヒロインは、それが”女の子だったから”受けたのかも。

そういえば、芥屋さんちに女の子っていませんでしたよね。
うちっかたには女の子と男の子がいたのですけど、男の子(=アフォボン)は、「大きくなったらオネーたんになる!」と、かつて言っていて(笑
ttp://bluechicagob.nrt.buttobi.net/cl/3/27/0/0/0/(当時の写真が2個目に。―スカートだと、ご機嫌なアフォボン。。こんな時期もアッタ。。)

>そう言われてナウシカの漫画版のほうなんか読んでみると特に、私にもそう思えました。「この子は男の子だ」という目で見ていくと、さらに違和感なくすんなり「王子様の物語」なんですよ。

かもでつね〜。
もちろん「王子様の物語」でもいいのですけど、ほとんどの物語にペアっぽく出てくる男の子は、異性(少女に対する少年)として描かれているような気がしませんか?
”男の子の物語”だとしたら、「物語」としては、ツマンナイかもですよ。。

>>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)
>
>犯罪全件に占める数量的な割合の比較は知りませんが、暴力事件でなら加害者も被害者も男が圧倒的に多いそうですね。

のようです↓
ttp://search.yahoo.co.jp/search?p=%C8%C8%BA%E1%A1%A1%C3%CB%BD%F7%C8%E6%A1%A1%A1%A1%A1%A1%A1%A1&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1

>その割には、ドラマとしては殺人犯が女というモチーフも相当数に多いわけですし。

ドラマの犯人が男バカーシだったら、やっぱ視聴者にとって面白くないでせうし。だいいち不公平れしょ。(←と、私がドラマの制作サイドであれば、思います。

>社会統計的な男女比を刑事ドラマ制作上にも反映させようという動機が、製作サイドに働くかなぁ。働かないんじゃありません?

別に「反映させよう」とかいった動機はないでせうけれど、
「主に男の犯罪が描かれ」と言ってらしたことに対して、仮にTVドラマに描かれる犯罪者が男が多いとしたら、現実としての背景によるものかな、と(数えたことってナイですけど…)。

>それより、数多ある刑事ドラマの製作意図として登場人物の「性別」というものを強く意識するとすれば、社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)に乗っかったり、あるいはそれによる主人公の奮闘や悲哀の面を強調したり…といったことで、そのドラマの性格を第一義に考えるはずで。

それは当然でせう。
世の中は、「男」「女」(&「男&女」)で成り立っているのですから、
TVドラマの場合、「社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)に乗っか」るのは、当たり前。&「それによる主人公の奮闘や悲哀の面を強調したり…といったこと」は、ドラマ作りの”いろは”でせう。(←つくったことないですが^^
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Re(8):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/23(日) 23:02 -

引用なし
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   >Josefさん:
>・・・というのは岸田秀的相対論ですが、件のドラマとラクシュンさんの関係もそういうものではないかと思います。

件の放送に限って言えば、筋の通らないトンチンカンな論理が女署長(or女の警察署)だからというだけで平然と通ってしまうことの違和感です。権力者である警察署長がそれを平然とやっていることの恐さも当然あります。だから女はダメなんだ。
これが男だと欠陥ドラマですが。(笑)

ここまでくると私に言わせれば、ドラマ制作の最低限の「義務」(=倫理)さえ守られていないということです。
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Re(1):ジェンダーチェック
 ラクシュン  - 07/9/23(日) 20:42 -

引用なし
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   >それより、数多ある刑事ドラマの製作意図として登場人物の「性別」というものを強く意識するとすれば、社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)に乗っかったり、あるいはそれによる主人公の奮闘や悲哀の面を強調したり…といったことで、そのドラマの性格を第一義に考えるはずで。

意見が合わないのははじめから解っていますが、これを読めばすごく単純に見えます。
単純な例でいえば、夫に小言ばかり言われ続けてきた妻がある日キレて夫を殺害する的なストーリーは、芥屋さんの観点からは自然にイメージできると思いますが、その逆はどうでしょう?
そんな刑事ドラマ、見たことがありますか?(描かれ方が問題だけど)

もしかすると、芥屋さんのいう「社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)」からは、こういう男ジェンダーの「悲哀」は排除されているのかも知れませんね。

>でも私に言わせりゃ、そういうもろにジェンダーに訴えかける作品に決まってるでしょ。フェミニズムに立脚した作品だと思って観るから、見当はずれなことになる。「これがフェミニズムだ。フェミニズムの宣伝作品だ。しかしジェンダーに異を唱えるはずの作品がジェンダーまみれであるという矛盾…」みたいなことになってしまう。

「フェミに立脚した」というより、フェミと同じに見えるということかな?

>フェミもメンリブも、その「ジェンダーを客体視する視点」というのは刺激的で興味深く考えさせられることも少なからずあるのですが、検閲的な見方しかできなくなることが多いがゆえに、私はやはりその視点を自分のものにはしません。つまんないでしょw

「検閲的」というか、私が感じる常識的な許容範囲を越えたときにそうなる、ということですよ。
芥屋さんたちと違って、私の男ジェンダーには限界があるということですよ。

保険金殺人や強盗殺人など、女の犯罪が実録ドラマとして放映されることがありますが、どちらかといえば肯定的な方向で描かれてしまうんですよね。

「復讐するは我にあり」とはぜんぜん違って。
ま↑こちらは殺害人数が多そうだけど。(笑)
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Re(2):定番の芝居
 芥屋@keya1984  - 07/9/23(日) 0:47 -

引用なし
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   >Josefさん:
>やっぱり店の主人が登場すると、なんていうか、「眺め」が全然違いますね。主人不在でも客同士勝手にやってりゃいいようなもんだけど、何か肝腎なものが足らないという感じが抜けないし、それで何となく足が遠のいてしまう。

すすすすいません。もとからの遅筆に、さらに拍車がかかっておりまして…

>さて、「お決まり、定番」を楽しむという点では日本も西洋もさほど違いはないんじゃないかなと思います。オペラなんて、同じストーリーを役者(歌手)を変え細部をちょっと変えて繰り返し繰り返し上演されてきたのだし、観衆はその「異曲」の部分を楽しんできた。楽しんでいる時はいっとき日常から解放されているわけで、解放されるためにそういう物語がある。とすれば「リアル」は楽しみの邪魔なのでしょう。

そう言えばそうですね。とすると、上で展開されている話題…シュールレアリスムあたりのこととも関連するのでしょうが、従来の貴族的な伝統芸能である「芸術」に対するアンチから発生しているのが現代西洋の大衆文化、ということになるのかな。それに対して、従来の伝統芸能がそもそも大衆文化であるので、その延長線上にある現代日本の大衆文化、と思えてきます。

>といっても日常とまったく無関係でも味気ない。日頃の不満や鬱積、あるいは叶えられない欲望を単に忘れさせてくれるのではなく晴らしてくれたり満たしてくれたりする虚構がいちばん求められるのだと思います。その「晴らす、満たす」の中に、単純に快哉を叫べる物語や(ハッピーエンド)、悲劇の形をとって共苦と涙でカタルシスを得られる物語、といったヴァリエーションがいろいろ用意されているのでしょう。

件の『さくら署』も、公式サイトを見る限り、まるっきり「それ向け」って感じがしました。まぁ四十になった男が好んで見るような作品でないことだけは確かそうなので、要は製作者が期待した客層に受けたか受けなかったかだけじゃないかな、と。製作者は当然にターゲット層の日頃の不満や鬱積を「晴らす、満たす」つもりで作ったでしょうから、その意図通りに視聴者が「気分が晴れ、気持ちを満たす」ことができたかどうかだけが、成功作か失敗作かという分かれ目だと思います。
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ジェンダーチェック
 芥屋@keya1984  - 07/9/23(日) 0:22 -

引用なし
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   どうにも忙しい毎日です…
つうかですね、はっきり言って歳のせいですよ。
酒が弱くなって、晩酌で酔い酔いになっちまうんです。

>gajiさん:
>「ナウシカ」は、はじめから王女。(違和感なく享受可能)

「宮崎駿作品にときどき出てくるヒロイックなヒロインは、あれは男の子。あんな女の子いないって」とは女房の弁。ナウシカとか千尋あたりを指して言ってました。そう言われてナウシカの漫画版のほうなんか読んでみると特に、私にもそう思えました。「この子は男の子だ」という目で見ていくと、さらに違和感なくすんなり「王子様の物語」なんですよ。

>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)

犯罪全件に占める数量的な割合の比較は知りませんが、暴力事件でなら加害者も被害者も男が圧倒的に多いそうですね。その割には、ドラマとしては殺人犯が女というモチーフも相当数に多いわけですし。社会統計的な男女比を刑事ドラマ制作上にも反映させようという動機が、製作サイドに働くかなぁ。働かないんじゃありません?

それより、数多ある刑事ドラマの製作意図として登場人物の「性別」というものを強く意識するとすれば、社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)に乗っかったり、あるいはそれによる主人公の奮闘や悲哀の面を強調したり…といったことで、そのドラマの性格を第一義に考えるはずで。

>で、視聴者のニーズが
>
>「同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)」?といった違和感が多数であれば、
>
>そのようなドラマは採用されなくなるだけの話でしょう。

そうですね。私が思うに、フェミニズムの話でもなんでもないと思うんです。「哀れな女(the women)にひどいことをする男ども(the men)を、正義の女(the woman)がやっつける」「頼りにならないくせに口だけは出す男(the men)どもも、正義の女(the woman)が黙らせる」…そんなお芝居が、ジェンダーまみれでないはずがありません。だからこそ、楽さんの言われる、

>>で、「さくら署」に戻りますが、わたしが(チラッと見て)感じる違和感というのはつまり、私にいわせれば、ドラマという枠組み全体が、女のワルは描かれないし女がクズの烙印を押されることがない等の、ある種のジェンダーのコードに支配されているわけですが、「さくら署」ではそのコードに従いながら中身が反ジェンダー(=フェミ)的なんですよ。私の気持ち悪さの根源はそこにあるんだと思います。それが本当の矛盾といえるかどうかなどという問題は、私にとってはどーでもいいことで。

というあたりになるんでしょうね。でも私に言わせりゃ、そういうもろにジェンダーに訴えかける作品に決まってるでしょ。フェミニズムに立脚した作品だと思って観るから、見当はずれなことになる。「これがフェミニズムだ。フェミニズムの宣伝作品だ。しかしジェンダーに異を唱えるはずの作品がジェンダーまみれであるという矛盾…」みたいなことになってしまう。

まぁ、確かに楽さんの言われるのも、当たらずとも遠からずの面はあります。田嶋センセ流の、あるいはそれをアカデミックにソフィストケイトしたかのような上野流のフェミニズムというのが、日本では「フェミ」の定番ですからね。んでも、昨日今日フェミに接したわけでもあるまいし、「あんなもん、フェミニズムでもなんでもねぇよ」くらい言えないのかな、と。

社会通念的な男女観による「お決まり」「定番」というのがジェンダー・コードだと言うなら、その種のコードにやたら敏感になるのがフェミやメンリブであって、だからしてフェミもメンリブも娯楽作品までコード検索で検閲するような見方しかできなくなるのだ…とまぁ、私なんぞは思いますね。

フェミもメンリブも、その「ジェンダーを客体視する視点」というのは刺激的で興味深く考えさせられることも少なからずあるのですが、検閲的な見方しかできなくなることが多いがゆえに、私はやはりその視点を自分のものにはしません。つまんないでしょw
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Re(10):「さくら署の女たち」
 gaji  - 07/9/22(土) 22:35 -

引用なし
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   >Josefさん:

>>シュールレアリスムって、
>>過去の「リアリズムに対して『おまえはリアルではない』」
>>というよりは、
>>リアリズムを超えた表現手法として、様々に試みられたアンチ様態?だったと思います。
>
>「おまえはリアルではない」はsurrealismの一側面を強調した表現だとお取りください。

ラジャでつ。

>もちろんsurrealismは一枚岩の運動ではないからいろんな方法・思想・様態があるのはgajiさんの言う通りです。
>
>私が強調した側面というのは、ウィキの「シュルレアリスム」の項が次のように説明する部分と大体重なります。

>********
>超現実主義ともいう。超現実とは「現実を超越した非現実」という意味に誤解されがちであるが、実際は「ものすごく過剰なまでに現実」というような意味である。超現実とは現実(約束事などに捕らわれた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。(強調引用者)
>********

了解です。いうなれば「感覚」のことですね。


以下は、私語。

「実際は「ものすごく過剰なまでに現実」というような意味である」というのは、恥ずかしながら初耳でした。

?!「上位の現実」ということは、「下位の現実」もあるということなのでせうか、、。(なんだかマルクチ主義のナンタラっぽかったりして、、)

Σ (゚∀゚;)


おそらく私は、Josefさんより年齢がいっていると思うのですが、、
20代の頃、シュールにはまっていたりもして……(←遠い目(70年あたり

当時の連れ合いというか夫が滝口修造ファン?でもあり、
シュールのことなら妻のわたしに任せて!(←ほんとか?(←ウソ
でもそれなりに、なんとか、、語れたものです(←騙ってたんヂャナイの?

石に紅して千年
(うろ覚えに覚えている修造の句。けっこうシユールでしょ)
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Re(8):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/22(土) 21:09 -

引用なし
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   >Josefさん:

>あれ、「主婦にはなれない」と言ったわけじゃないんですか。殺人という行為に対して「そんなんじゃ 主 婦 にはなれない」というぶっ飛び発言に私は「感心」したのですが・・・

光=賃金労働者、影=主婦のメタファーがあったのはまず間違いないでしょう。

>プロとして独り立ちしたいと思うなら、そういう下積みを耐えられなくてどうする、という程度の意味なんじゃないですか?

それだったら「プロにはなれない!」でしょう。
解釈に無理があります。

>どの辺がフェミの宣伝なのですか?

なーに、無理に解る必要はありませんよ。
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TVとスポーツRe(8):「さくら署の女たち」
 猫まんこ  - 07/9/22(土) 17:25 -

引用なし
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   >Josefさん:

>と書いていて、ここでは「リアル」の意味がまた違っています。「史学的な事実」はリアリズム小説の「リアル」に近く、理解可能な因果関係を壊して人を不安に陥れる「リアル」とは違います。が、先に言ったように、それもまたいいだろう、と思って私もレスしています。
>

つまり、何が「リアル」になりえるのかは、その置かれた状況しだいだと。
Josefさんがそのように理解している、と受け取っていいのでしょうか。


>是非聞かせてください!

・まず、オリンピックは全競技全裸でやる、オリンピック以外の「プロ」スポーツも全て全裸でやる。そしてTV中継もそれに対して、モザイクなど下手な細工をしてはならない。あるがままに放映する。それが出来ないというのなら放映権を剥奪する。

・オリンピックの正式競技に「SEX」を採用する。これは絶対である。

・オリンピックはいうまでもなく、「プロ」完全解禁。ドーピングも勿論解禁。さらに身体改造もある。つまり、「SEX」であればバイアグラもOKであるし、ちんこに何か手術して入れるのもOKである。さらに日本代表であればAV軍団、米国であればポルノ軍団の参戦もある。

・しかし、道具は制限される。つまり、これが野球であれば、バットもボールも使用禁止である。代わりに自分のちんこと金玉を使用する。

・アマレスはプロレスのルールに則る。つまり、反則も凶器攻撃もマイクアピールも「あり」である。

・野球の勝敗は体操やフィギアと同じく、審査員の採点によって決まる。つまり、読売がどんなに広島相手に10対0で試合に勝とうが、審査員が「美しくない」と判断して読売が負けるということもある。

・相撲の、いわゆる、朝青龍問題は本場所中に朝青龍がいきなり乱入して、10人の力士をばったばったとなぎ倒してしまえば、朝青龍の全面勝利である。不意打ちでも何でもいい。それがなされたら、北の湖理事長は、朝青龍に土下座をして切腹しなければならない。ただし、朝青龍が一敗でもしたならば、角界追放は勿論、日本追放である。

・というか、そもそも横綱という地位を廃止。優勝力士=チャンピオンで、それ以外はただの「クズ」というきわめて真っ当な制度にする。

・オリンピックやプロスポーツの大会においては、勝者は限りなく全世界的に讃えられるが、それ以外の敗者は「クズ」である。場合によってはライオンの餌にもなりえる。
これによって、オリンピックなど、世界大会の報道の敗者のクセに自国だからと、大きく報道されるという偏向は淘汰される。
さらに重要なのは敗北は死にも繋がりかねる、と言う点である。

_________________________________

大体こんな感じでしょうか。
重要な点は「敗北は死」「エロス」という部分でしょうか。
そういう事で私的に「スポーツらしいスポーツ」とは何か?例えばF1などは死の距離という事では問題ありませんが、身体性との乖離があります。
ロック・クライミングもよいですが勝敗の行方がイコール死に繋がるともいえず、現状ではよく分かりません。


>ていうか、ドラマと視聴者との関係でしょうね。私が猫まんこさんのことを「ケチ」だと言うとする。しかしそれは私が猫まんこさんに過大な奉仕を要求する強欲な奴だからであって、猫まんこさんに「ケチ」という性格が内在しているわけではない(同様に私に「強欲」という性格が内在しているわけではない)・・・というのは岸田秀的相対論ですが、件のドラマとラクシュンさんの関係もそういうものではないかと思います。

私も実体論・反応論のいずれかどちらかが正しいと言うつもりではありませんでした。
しかしどうでしょう。ラクシュンさんも、これがTVというメディアではなければそんなに不快感を感じる事はないのではないでしょうか。

私自身の興味もありますが、TVという物の特性に焦点を絞った方が「広がり」があると思ったのです。

マリリン・マンソンの歌や鶴見済の発言などにも、「テレビは暴力だ」というようなTVに対する違和感の表明があったように思います。
こういった人たちの活動がまた、TVに相容れないものだというのもまた、面白いところで。
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Re(7):定番の芝居
 Josef  - 07/9/22(土) 17:08 -

引用なし
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   ラクシュンさん

>ちなみに、「主婦」という言葉は使われてなく、別の「人を陰で支える仕事(≒裏方)」のような言葉でした。同じことだけど。

あれ、「主婦にはなれない」と言ったわけじゃないんですか。殺人という行為に対して「そんなんじゃ 主 婦 にはなれない」というぶっ飛び発言に私は「感心」したのですが・・・

「裏方」みたいな言葉だったら、まあ、それほど違和感はありませんね。弟子とか付き人とかいう立場の時は理不尽な扱いを受けることもある。きれい事ではすまない。プロとして独り立ちしたいと思うなら、そういう下積みを耐えられなくてどうする、という程度の意味なんじゃないですか?

>このドラマは、犯罪者(今回は男)がフェミ思想の宣伝材料に使われているということです。

どの辺がフェミの宣伝なのですか?
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Re(9):「さくら署の女たち」
 Josef  - 07/9/22(土) 10:21 -

引用なし
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   gajiさん、こんにちは。

>シュールレアリスムって、
>過去の「リアリズムに対して『おまえはリアルではない』」
>というよりは、
>リアリズムを超えた表現手法として、様々に試みられたアンチ様態?だったと思います。

「おまえはリアルではない」はsurrealismの一側面を強調した表現だとお取りください。
もちろんsurrealismは一枚岩の運動ではないからいろんな方法・思想・様態があるのはgajiさんの言う通りです。

私が強調した側面というのは、ウィキの「シュルレアリスム」の項が次のように説明する部分と大体重なります。

********
超現実主義ともいう。超現実とは「現実を超越した非現実」という意味に誤解されがちであるが、実際は「ものすごく過剰なまでに現実」というような意味である。超現実とは現実(約束事などに捕らわれた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。(強調引用者)
********
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Re(8):定番の芝居
 gaji  - 07/9/21(金) 23:01 -

引用なし
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   ????

>ハメられたのかな?
>私は「過大」なものは要求していませんよ。

ラクシュンさん。

要求???ですか。。

脱力。。。。。

あなたは、いったい何を要求してたのですか。
「いいこ・いいこ」

なんだか、あふぉらし。

どーぞ、お幸せに。
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Re(8):「さくら署の女たち」
 gaji  - 07/9/21(金) 21:22 -

引用なし
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   >Josefさん:
>ここで私が言ったことを縮約すれば「リアリズム小説はリアルでない」です。

ここは、分かります。

<<たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです>>
と、お感じになった、ということにおいて。

ですが、

>世紀転換期以降のシューレアリズムだの表現主義だの自動筆記だの抽象絵画だのは19世紀的なリアリズムに対して「おまえはリアルではない」と宣告したものですから、ある意味私は100年も前の宣言を繰り返しているだけなんですね。

ここは、少し違うのでは?

シュールレアリスムって、
過去の「リアリズムに対して『おまえはリアルではない』」
というよりは、
リアリズムを超えた表現手法として、様々に試みられたアンチ様態?だったと思います。
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Re(7):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/21(金) 20:02 -

引用なし
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   >・・・というのは岸田秀的相対論ですが、件のドラマとラクシュンさんの関係もそういうものではないかと思います。

ハメられたのかな?
私は「過大」なものは要求していませんよ。
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Re(6):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/21(金) 19:43 -

引用なし
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   >Josefさん
>この「主婦にはなれない」という発言は、「弟子の男」が「有名写真家」の陰の存在、つまり光の当たらない縁の下の存在であり続けることができなかったことを非難していると取っていいんですよね?

それ以外に無いと思います。
犯行を自白した本人に言っているんだし。


>ラクシュンさん、分析してくださいよ。

私の分析では、私が見てない部分でどんな前振りがあろうと女署長のキメ科白が真になる余地はないと考えているので、(少なくとも今回のケースから言える)原因は一つに絞られるでしょう。このドラマは、犯罪者(今回は男)がフェミ思想の宣伝材料に使われているということです。

ちなみに、「主婦」という言葉は使われてなく、別の「人を陰で支える仕事(≒裏方)」のような言葉でした。同じことだけど。
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Re(5):定番の芝居
 Josef  - 07/9/21(金) 19:00 -

引用なし
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   ラクシュンさん

>それがどうも、既存のどんな典型例にも当てはまらないタイプのようで。
>
>問題のやつは、有名写真家(←最悪タイプ)の弟子の男が、いいように使い捨てにされそうになったのでそいつを殺したという単純なストーリーのようでした。
>署長か何かの女の問題の科白は「物事にはなんでも光と影がある。光があるのはそれを支えている影があるからだ。…?…アナタ(犯人)は主婦(?)にはなれない」(適当に)みたいな感じで、そこだけを解釈すれば、理不尽な扱いであってもその程度のことで人を殺していたのでは主婦にはなれない、みたいな。(笑)
>その言葉が真になるためには…(笑)
>また、犯人はどうみても主夫とかになりたいわけではなさそう(目標は写真家)で、「それはどういう意味ですか?」とかフシギそうな顔をしていましたね。おそらくそこには何の脈絡も描かれてないんですよ。

ははあ、これはなかなかシュールな・・・

この「主婦にはなれない」という発言は、「弟子の男」が「有名写真家」の陰の存在、つまり光の当たらない縁の下の存在であり続けることができなかったことを非難していると取っていいんですよね?

「主人」がどんなにとんでもない奴だったとしても、「殺しちゃいけない」と言うのは、まあ、分かる。ところが「殺してしまうようでは『主婦』にはなれないぞ」とは、ぶっ飛んでますね。一体どういう思考回路を辿ったらそういう喩えが出てくるのだろう?

ラクシュンさん、分析してくださいよ。
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Re(7):「さくら署の女たち」
 Josef  - 07/9/21(金) 18:56 -

引用なし
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   猫まんこさん

>うーん、話が噛み合ってないというか、

わたし的には噛み合わなくていいんですよ。スレッドの中心はあるTVドラマに対するラクシュンさんの不快感だからラクシュンさんに対してはできるだけ噛み合わせようと思ってますが、猫まんこさんや芥屋さんとの会話ではそこから外れてもいいやと思って連想ゲームのように思いついたことを書いています。

私の書いた「リアル」についてですが、

>そもそもJosefさんの発言は
>『たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです』
>なのですから、前者のリアルと後者のリアルが混同された話になってきてるのでは?

ここで私が言ったことを縮約すれば「リアリズム小説はリアルでない」です。世紀転換期以降のシューレアリズムだの表現主義だの自動筆記だの抽象絵画だのは19世紀的なリアリズムに対して「おまえはリアルではない」と宣告したものですから、ある意味私は100年も前の宣言を繰り返しているだけなんですね。

私の上のような書き込みに対して芥屋さんは

>『忠臣蔵』の世界とでも言いましょうか、勧善懲悪の明快な復讐劇。そこには、「実際に彼らはどうだったのか。事実はどのようなものだったのか」という探究心は余計なものであって(それはあくまで史学的な快感)、大衆演劇としての醍醐味はそのような「リアルの追求」は求めない。

と書いていて、ここでは「リアル」の意味がまた違っています。「史学的な事実」はリアリズム小説の「リアル」に近く、理解可能な因果関係を壊して人を不安に陥れる「リアル」とは違います。が、先に言ったように、それもまたいいだろう、と思って私もレスしています。

では、テレビについてです。

>Josefさんは異論があるかもしれませんが、TVの番組である以上スポーツも同じであると考えます。

異論はありません。私もまた水戸黄門を楽しむ人と同じようにスポーツという予定調和の番組を楽しんでいます。番組作成者の意図とはズレたところを楽しんでいるかもしれませんが。

>しかし、TVの番組でありながら、スポーツを「スリル」あるものに回帰させる案はあります。
>聞きたいですか?

是非聞かせてください!

>TVの「プログラム」も根源的にはそういう性質あって、だからこそ、一見何でもないと思われる「TVドラマ」でも、例えばラクシュンさんには暴力的に響く。
>それは、ラクシュンの個人的な資質の問題に還元してしまうのではなく、やはりその「プログラム」に投影されてる部分の問題だと思います。

ていうか、ドラマと視聴者との関係でしょうね。私が猫まんこさんのことを「ケチ」だと言うとする。しかしそれは私が猫まんこさんに過大な奉仕を要求する強欲な奴だからであって、猫まんこさんに「ケチ」という性格が内在しているわけではない(同様に私に「強欲」という性格が内在しているわけではない)・・・というのは岸田秀的相対論ですが、件のドラマとラクシュンさんの関係もそういうものではないかと思います。
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Re(2):定番の芝居
 猫まんこ  - 07/9/18(火) 20:41 -

引用なし
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   >Josefさん:

>さて、「お決まり、定番」を楽しむという点では日本も西洋もさほど違いはないんじゃないかなと思います。オペラなんて、同じストーリーを役者(歌手)を変え細部をちょっと変えて繰り返し繰り返し上演されてきたのだし、観衆はその「異曲」の部分を楽しんできた。楽しんでいる時はいっとき日常から解放されているわけで、解放されるためにそういう物語がある。とすれば「リアル」は楽しみの邪魔なのでしょう。
>
>といっても日常とまったく無関係でも味気ない。日頃の不満や鬱積、あるいは叶えられない欲望を単に忘れさせてくれるのではなく晴らしてくれたり満たしてくれたりする虚構がいちばん求められるのだと思います。その「晴らす、満たす」の中に、単純に快哉を叫べる物語や(ハッピーエンド)、悲劇の形をとって共苦と涙でカタルシスを得られる物語、といったヴァリエーションがいろいろ用意されているのでしょう。

うーん、話が噛み合ってないというか、そもそもJosefさんの発言は
『たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです』
なのですから、前者のリアルと後者のリアルが混同された話になってきてるのでは?

Josefさんのおっしゃる通り、シェークスピア劇などもあって「定番」に国境は無い、と思うのですが、ここで問題にすべきなのは、やはり、「TVの表現」ではないでしょうか。
なんたってマスに開かれた装置ですから。
ある種、好事家だけのものになった伝統芸能とは(影響は多大でしょうが)質が異なるように思うのですが。
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Re(6):「さくら署の女たち」
 猫まんこ  - 07/9/18(火) 20:12 -

引用なし
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   >Josefさん:
>猫まんまさん
>
>>私は番組上のバランスなどどうでもよく、一分先の展開すらまったく読めないもののほうが余程「リアル」だと思うんだけどなあ。
>
>私も同じように考えています。
>たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです。(ちなみに"Josef"というHNはたまたま思い浮かんだ『審判』の主人公の名前を何のひねりもなく安直に借用したものです)
>
>例外もあるかもしれませんが、一体に、テレビ媒体は「リアル」を求めてはいないのでしょうね。なんたって「リアル」は疲れる。大体、「リアル」には終わりってものがない、カフカがいつも未完であるように。その点、予定調和の虚構の方が楽でいい。人々の集合的欲望(または相互主観的欲望)におもねるのがテレビの最大の役割でしょう。私はドラマはほとんど見ませんが、スポーツ番組でその欲望を満足させていただいてます。
>

機能主義なんですね。
日常に亀裂を生じさせて、その間に「リアル」を現出させるのが通常の「表現」とすれば、TVの「プログラム」は日常を維持するための装置。
家電などと同じでしょう。

Josefさんは異論があるかもしれませんが、TVの番組である以上スポーツも同じであると考えます。
実況がウザイとか、タレントを意味なくよんで番宣させるとかをなくしても、TVのフレーム上に存在する以上、破綻のないドラマにしか過ぎません。

しかし、TVの番組でありながら、スポーツを「スリル」あるものに回帰させる案はあります。

聞きたいですか?
Josefさんがそれを受け入れられるかどうかまでは自信がありませんが。

>ところで岸田秀はアメリカと日本の関係を男と女の関係になぞらえて語っていましたね。ラクシュンさんが忌み嫌うパターンとは、善玉日本(女)が悪玉アメリカ(男)の上に立つというパターンなのではないかという私の見方も大外れではないでしょ?
>そしてそういう男女関係の表現パターンにラクシュンさんがことのほか強く反応するのは、実は別の面ではラクシュンさんが力道山的パターンが大好きであるからかもしれません。
>

確かに「『リアル』は疲れる」し、「『リアル』には終わりってものがない」でしょう。それは表現の「リアル」が我々の日常を侵すからでしょう。だからこそ表現に意義があるのでしょう。
それは、表現の本質が、それがどんなに表面的には美しくても、野蛮で暴力的だからでしょう。
TVの「プログラム」も根源的にはそういう性質あって、だからこそ、一見何でもないと思われる「TVドラマ」でも、例えばラクシュンさんには暴力的に響く。
それは、ラクシュンの個人的な資質の問題に還元してしまうのではなく、やはりその「プログラム」に投影されてる部分の問題だと思います。
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Re(4):定番の芝居
 gaji  - 07/9/17(月) 23:18 -

引用なし
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   >ラクシュンさん

>>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)

>例えば、生活費が1円もなくなった家庭があって、妻がスーパーから食料品を盗んで逮捕されたとしましょう。このとき多くの人は何と思うのでしょうね。

うわ、たいへんそう。。と、まず私は思いました。
……で、”盗み”の前にいろんな選択肢があるだろうに、、と。でも孤立無援でやむを得なかったのかな。。にしても、、盗みはアカンゼヨ、、と。

>おそらく「夫は何をしているんだ!」でしょう。

うーーん、それは、どうでせうか(だって夫は関係ないでしょう?)
どこか、こだわりがキツイのではありませんか…。というか、パタン(≒ジェンダーコード)に合わせたいのかな。。

>考えてみれば、この意味には2つあって、1つは夫は何故働かないのか? もう1つは同じ盗みをするにしてもそれは夫(男)の役割だろう! です。

ラクシュンさんが「(男)の役割」に敏感な方らしいこと、遅蒔きながら分かりましたけど。

例えば”髪結いの亭主”は働かなくても別段アダコダ言われないし、
「色男 金と力は なかりけり」……にもあるように、♂の生活力のなさって、ある意味、許容されてきたのでは。

>これは復讐にも同じことが言えます。

ウワ、コワ(^^;

>こんな社会通念のなかで「男性犯罪が数として多」いなどということは、何の説明にもならないと思います。

「こんな社会通念」があるということに呪縛されている(こだわっておられる)のでは、、と、私などは思っちゃいますが。。

「主に男の犯罪が描かれ」(ラクシュンさん)とあったので、それは、
「男性犯罪が数として多」かったからでは?ということですよ。

数として少ないだけに、トピックとしての女性犯罪の扱われ方はけっこう凄まじいものがあったのでは?(例えば安倍定とか。。)

>そしてgajiさんの意見は、ジェンダーコードを否定(ジェンダーバイアスの補正)した場合、直感的にはただ端的に成立しないような気がします。
>少なくとも、たまにはあるのが自然なんですよ。

すみません。
何をおっしゃっておられるのか、、、
よくワカリマテン。。(--;

ラクシュンさんにとって、ジェンダーがネックなのであれば、

男だけの世界に行ってみてはいかがでせう。
ジェンダーコードがなければ、違和感や不快感もないかも、、

さしあたって
角界や軍隊がおすすめ♪
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