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Re(4):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/17(月) 22:03 -

引用なし
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   >何か典型的な例があれば分かりやすいと思うんですが。当該番組からの引用が無理なら、たとえばこんな感じ、という具体例を作ってもらってもいいです。

それがどうも、既存のどんな典型例にも当てはまらないタイプのようで。

問題のやつは、有名写真家(←最悪タイプ)の弟子の男が、いいように使い捨てにされそうになったのでそいつを殺したという単純なストーリーのようでした。
署長か何かの女の問題の科白は「物事にはなんでも光と影がある。光があるのはそれを支えている影があるからだ。…?…アナタ(犯人)は主婦(?)にはなれない」(適当に)みたいな感じで、そこだけを解釈すれば、理不尽な扱いであってもその程度のことで人を殺していたのでは主婦にはなれない、みたいな。(笑)
その言葉が真になるためには…(笑)
また、犯人はどうみても主夫とかになりたいわけではなさそう(目標は写真家)で、「それはどういう意味ですか?」とかフシギそうな顔をしていましたね。おそらくそこには何の脈絡も描かれてないんですよ。

その一方に、その男に濡れ衣を着せられそうになった女の家庭があって、女署長としてはそちらの家庭事情との身勝手な混同の可能性もありだと思いますが、またその夫婦関係の描かれ方というのが、このパターンのムチャクチャの可能性が大という感じで。
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補足
 ラクシュン  - 07/9/17(月) 20:57 -

引用なし
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   >>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)

私は男の犯罪者が描かれる頻度のについては何も言ってないつもりです。
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Re(3):定番の芝居
 Josef  - 07/9/17(月) 20:36 -

引用なし
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   ラクシュンさん

>しかし、理解してもらえそうもないのでもうやめましょう。

まあそう言わずに。
何か典型的な例があれば分かりやすいと思うんですが。当該番組からの引用が無理なら、たとえばこんな感じ、という具体例を作ってもらってもいいです。
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Re(1):定番の芝居
 Josef  - 07/9/17(月) 20:19 -

引用なし
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   アニキ

やっぱり店の主人が登場すると、なんていうか、「眺め」が全然違いますね。主人不在でも客同士勝手にやってりゃいいようなもんだけど、何か肝腎なものが足らないという感じが抜けないし、それで何となく足が遠のいてしまう。

さて、「お決まり、定番」を楽しむという点では日本も西洋もさほど違いはないんじゃないかなと思います。オペラなんて、同じストーリーを役者(歌手)を変え細部をちょっと変えて繰り返し繰り返し上演されてきたのだし、観衆はその「異曲」の部分を楽しんできた。楽しんでいる時はいっとき日常から解放されているわけで、解放されるためにそういう物語がある。とすれば「リアル」は楽しみの邪魔なのでしょう。

といっても日常とまったく無関係でも味気ない。日頃の不満や鬱積、あるいは叶えられない欲望を単に忘れさせてくれるのではなく晴らしてくれたり満たしてくれたりする虚構がいちばん求められるのだと思います。その「晴らす、満たす」の中に、単純に快哉を叫べる物語や(ハッピーエンド)、悲劇の形をとって共苦と涙でカタルシスを得られる物語、といったヴァリエーションがいろいろ用意されているのでしょう。
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Re(3):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/17(月) 20:11 -

引用なし
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   >gajiさん

>「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)

例えば、生活費が1円もなくなった家庭があって、妻がスーパーから食料品を盗んで逮捕されたとしましょう。このとき多くの人は何と思うのでしょうね。おそらく「夫は何をしているんだ!」でしょう。考えてみれば、この意味には2つあって、1つは夫は何故働かないのか? もう1つは同じ盗みをするにしてもそれは夫(男)の役割だろう! です。これは復讐にも同じことが言えます。
こんな社会通念のなかで「男性犯罪が数として多」いなどということは、何の説明にもならないと思います。
そしてgajiさんの意見は、ジェンダーコードを否定(ジェンダーバイアスの補正)した場合、直感的にはただ端的に成立しないような気がします。
少なくとも、たまにはあるのが自然なんですよ。


>「同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)」?といった違和感が多数であれば、
>
>そのようなドラマは採用されなくなるだけの話でしょう。

私が言うジェンダーコードのなかでは、そのような「多数」の違和感が表明されることはありません。
私はむかし、奇跡的なストーリーのドラマを見る機会があったけど、それっきりだなぁ。
その女の小説家は、あるポリシーを持っている人だったんですけどね…。
日本では受け入れなれないのよ。


なんだかんだで、いかなるフェミニストの言説も“ジェンダーコード”を無くしては成り立たないと思う。

あの(仮名)M氏にしたって、必ず義務(=責任の所在)は男ですから。(笑)
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Re(2):定番の芝居
 gaji  - 07/9/17(月) 12:38 -

引用なし
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   >芥屋@keya1984さん:

>で、楽さんの今件の主題で言えば、「気の毒な女にひどいことをする悪い男をやっつける」というお決まりの、定番の、芝居の演目じゃないかという気がしますね。ただしちょいと新味があると言えば、かつては「女にひどいことをする悪い男をやっつける正義の男」であったものが、「女にひどいことをする悪い男をやっつける正義の女」という、ある意味では当世流行の型になってきたという…でもまぁ、やっぱり同工異曲なんですけども。

そうですね。

マンガでいえば、かつて”正義の女”がいなくはなかったけれど、
「リボンの騎士」は(男装の)王女。(ということで享受されたのカナ^^)
「ナウシカ」は、はじめから王女。(違和感なく享受可能)

>楽さんの感じる気持ち悪さというものも半分はわかるんですけど(それは後述しますが)、私が思うには、この芝居の世界の中では、「悪い男」でなくちゃいけないわけです。その辺で楽さんが上で書かれている、

>>ここでいう、女という性=「善玉」「善良」、男という性=「悪玉」「性悪」という役割付けとは、私がドラマ一般を背後で支える“ジェンダーのコード”と言っているもので、それについても一言あるというのはその通りです。 そして、刑事or推理ドラマのなかで男=性悪・悪玉、女=善良、善玉という印象がどうやって形成されるかというと、同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)、主に男の犯罪が描かれる(性悪女の排除)等の理由によってでしょう。しかし、これはこれで既に長い歴史があるわけでしょう。

「主に男の犯罪が描かれ」てきたのは、ごく単純な事実として、男性犯罪が数として多かったからではないのカナ?(陰に女性がいたとしても、ポジはどうしても♂にされてしまいがち…)

(略)

>そして、悪役をやっつける側が加害者と同じ男であるのが古い定番で、やっつける側が被害者と同じ女であるのが今時の定番だというだけの違いです。この違いがどこから生じるかと言えば、もちろん、視聴者のニーズが変わってきたからじゃないのですかね。

で、視聴者のニーズが

「同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)」?といった違和感が多数であれば、

そのようなドラマは採用されなくなるだけの話でしょう。

でも、私が「?」なのは、そのドラマのなかで、「同じ犯罪」等が描かれてあって、「男に厳し」かったのでしょうか?ということ(←だとしたら、メチャひどい!話です。

まったく観ていないので、ナントモ。。なのですが、、。
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Re(2):定番の芝居
 ラクシュン  - 07/9/16(日) 13:11 -

引用なし
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   >芥屋さん
>ここが、私は見方が異なるわけです。あくまで、芝居の演目の型のひとつに過ぎない。

国語辞典はひいてみましたが、「演目」の意味がイマイチ理解できません。

>その演目の世界として、「悪い男ども」の登場が必須なのであって、「男どもが悪い」という演目なのではない。

それは恋愛ドラマではなく、刑事orサスペンスドラマとしての「型」。刑事orサスペンスドラマにとってその「型」は必要十分条件(≡)であるにすぎないという意味でOKでしょうか?
だとすれば、それは私が言うジェンダーコードのことです。

>そんなメッセージを、その日の暮らしの中で疲れた頭で見て、何が楽しいものですか。

ワンパターンも度を越えると飽きがくるんですよ。

>そして、悪役をやっつける側が加害者と同じ男であるのが古い定番で、やっつける側が被害者と同じ女であるのが今時の定番だというだけの違いです。この違いがどこから生じるかと言えば、もちろん、視聴者のニーズが変わってきたからじゃないのですかね。

これだけだと、「さくら署」を特別視することはなくなります。
もっと言えば、これまでに無かった、女が多数派(上層部)を占める警察署の女刑事が男の犯罪者をとっちめるパターンまで含めても、それ自体がどうだと言っているのではありません。

例えば、このスレッドのやつで言えば、署長か何かのメチャクチャなコジツケ・詭弁・屁理屈としか思えないような科白で犯人逮捕のシーンが括られているんですよ。最初は見ていませんが。


しかし、理解してもらえそうもないのでもうやめましょう。
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Re(1):定番の芝居
 芥屋@keya1984  - 07/9/16(日) 0:21 -

引用なし
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   >ラクシュンさん:
で、楽さんの今件の主題で言えば、「気の毒な女にひどいことをする悪い男をやっつける」というお決まりの、定番の、芝居の演目じゃないかという気がしますね。ただしちょいと新味があると言えば、かつては「女にひどいことをする悪い男をやっつける正義の男」であったものが、「女にひどいことをする悪い男をやっつける正義の女」という、ある意味では当世流行の型になってきたという…でもまぁ、やっぱり同工異曲なんですけども。

楽さんの感じる気持ち悪さというものも半分はわかるんですけど(それは後述しますが)、私が思うには、この芝居の世界の中では、「悪い男」でなくちゃいけないわけです。その辺で楽さんが上で書かれている、

>ここでいう、女という性=「善玉」「善良」、男という性=「悪玉」「性悪」という役割付けとは、私がドラマ一般を背後で支える“ジェンダーのコード”と言っているもので、それについても一言あるというのはその通りです。 そして、刑事or推理ドラマのなかで男=性悪・悪玉、女=善良、善玉という印象がどうやって形成されるかというと、同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)、主に男の犯罪が描かれる(性悪女の排除)等の理由によってでしょう。しかし、これはこれで既に長い歴史があるわけでしょう。

ここが、私は見方が異なるわけです。あくまで、芝居の演目の型のひとつに過ぎない。その演目の世界として、「悪い男ども」の登場が必須なのであって、「男どもが悪い」という演目なのではない。そんなメッセージを、その日の暮らしの中で疲れた頭で見て、何が楽しいものですか。

そして、悪役をやっつける側が加害者と同じ男であるのが古い定番で、やっつける側が被害者と同じ女であるのが今時の定番だというだけの違いです。この違いがどこから生じるかと言えば、もちろん、視聴者のニーズが変わってきたからじゃないのですかね。

要するに、この手の芝居の視聴者…その中核を占めるであろう、仕事や家事といった世事に疲れた女たちにとって、かつては「救い上げてくれる男の登場」が、そして今は「一緒に闘ってくれる女の登場」が、見ていて快感や共感を得やすかったり、溜飲を下げやすかったりするという…変化はそこんとこにしかないと私は思ってます。

そういうお芝居を観て気持ちよくなる女がいてですね、「あたしは悪くないのに(あたしも悪いとこはあるけど)、それにしてもひどい、ひどい男だ。あいつのせいであたしはこんなに…」という配役に自分を当てはめて感情移入するとしてですね…じゃぁそういう女は「男どもが悪いのだ!男の存在が悪なのだ!」なんて世界観に溺れるもんですか。溺れやしませんよ。

でなきゃ、一方であんなにベタなお決まりの恋愛モノが大量に消費されるはずもないでしょうに。「ひどい男ばかり出てきて、そいつらがやっつけられる芝居」も「素敵な男が出てきて、夢中にさせてくれる芝居」も、同じ女がその時々の気分で愉しんで観てるわけですよ。まぁお好みは人によりけりとは言え、もしここで、総体としての「女」を言うのであれば、どちらの芝居も、最大の消費者は総体としての女、ということじゃないですかね。

だからそういうのは男にだって作れるし、事実、その種の芝居の書き手も演じ手も多くは男じゃないですかw
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定番の芝居
 芥屋@keya1984  - 07/9/15(土) 23:46 -

引用なし
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   >Josefさん:
>例外もあるかもしれませんが、一体に、テレビ媒体は「リアル」を求めてはいないのでしょうね。なんたって「リアル」は疲れる。大体、「リアル」には終わりってものがない、カフカがいつも未完であるように。その点、予定調和の虚構の方が楽でいい。人々の集合的欲望(または相互主観的欲望)におもねるのがテレビの最大の役割でしょう。

まさしくそれだ、と膝を打ちました。「お決まりの」「定番の」という構図のもたらす安心感や爽快感というものが、視聴者の求める最大の要素であり、そういう商品を繰り返し異曲同工で作ってゆく。

『忠臣蔵』の世界とでも言いましょうか、勧善懲悪の明快な復讐劇。そこには、「実際に彼らはどうだったのか。事実はどのようなものだったのか」という探究心は余計なものであって(それはあくまで史学的な快感)、大衆演劇としての醍醐味はそのような「リアルの追求」は求めない。

では聴衆・観衆は、いったい「お決まり、定番」の何を愉しんでいるのか。それは、同工異曲の「異曲」の部分にもあるわけでしょう。要するに、役者の演じ振り。お話は決まっているのだけど(そこでの安心感や爽快感を愉しみつつ)、決まった役割…吉良や大内を誰がどう演じて見せるかを愉しむ。

だから余談になりますが(話はそれますが^^)、欧米の芸術的なリアリズム手法の映画に見られるような「役柄に徹しきって演じ方を変える役者(自分個人のキャラを押し殺す役者)」よりは、「どの芝居でも同じような演じ方をする役者(自分個人のキャラを押し出す役者)」のほうが日本では育つ。それを悪く言う人も多いけど、私は単に芝居のあり方の違いから来るものだと思います。
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Re(7):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/15(土) 22:17 -

引用なし
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   >Josefさん
>日本人は善良で賢く、アメリカ人は性悪で馬鹿(せいぜいずる賢い)なことが前提。
>その上で日本代表・力道山がアメリカ代表の悪者レスラーたちを空手チョップでやっつける。

>ラクシュンさんが忌み嫌うパターンとは、善玉日本(女)が悪玉アメリカ(男)の上に立つというパターンなのではないかという私の見方も大外れではないでしょ?

ここでいう、女という性=「善玉」「善良」、男という性=「悪玉」「性悪」という役割付けとは、私がドラマ一般を背後で支える“ジェンダーのコード”と言っているもので、それについても一言あるというのはその通りです。 そして、刑事or推理ドラマのなかで男=性悪・悪玉、女=善良、善玉という印象がどうやって形成されるかというと、同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)、主に男の犯罪が描かれる(性悪女の排除)等の理由によってでしょう。しかし、これはこれで既に長い歴史があるわけでしょう。

「さくら署」から受けた今回の私の印象はそれとはちょっと別のところにあるということは言っておきます。
念のために、男女の地位の逆転自体が問題なのではありませんから。
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Re(6):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/14(金) 21:21 -

引用なし
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   >そしてそういう男女関係の表現パターンにラクシュンさんがことのほか強く反応するのは、実は別の面ではラクシュンさんが力道山的パターンが大好きであるからかもしれません。

どーかなぁ、たぶん違うと思うけど。
うまく言えないので、Josefさんの言いたいことを私なりの喩えで言えば、全称肯定命題が偽であることを主張する人に対しては自動的に全称否定命題の主唱者の立場を付与する、みたいな感じになるんですけどね。
そんな単純なことだとぜんぜん違っているような…。
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Re(5):「さくら署の女たち」
 Josef  - 07/9/14(金) 20:08 -

引用なし
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   猫まんまさん

>私は番組上のバランスなどどうでもよく、一分先の展開すらまったく読めないもののほうが余程「リアル」だと思うんだけどなあ。

私も同じように考えています。
たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです。(ちなみに"Josef"というHNはたまたま思い浮かんだ『審判』の主人公の名前を何のひねりもなく安直に借用したものです)

例外もあるかもしれませんが、一体に、テレビ媒体は「リアル」を求めてはいないのでしょうね。なんたって「リアル」は疲れる。大体、「リアル」には終わりってものがない、カフカがいつも未完であるように。その点、予定調和の虚構の方が楽でいい。人々の集合的欲望(または相互主観的欲望)におもねるのがテレビの最大の役割でしょう。私はドラマはほとんど見ませんが、スポーツ番組でその欲望を満足させていただいてます。

ところで岸田秀はアメリカと日本の関係を男と女の関係になぞらえて語っていましたね。ラクシュンさんが忌み嫌うパターンとは、善玉日本(女)が悪玉アメリカ(男)の上に立つというパターンなのではないかという私の見方も大外れではないでしょ?
そしてそういう男女関係の表現パターンにラクシュンさんがことのほか強く反応するのは、実は別の面ではラクシュンさんが力道山的パターンが大好きであるからかもしれません。

>ラクシュンさん、勝手な推測をしてごめんなさい。
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Re(5):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/14(金) 19:57 -

引用なし
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   >猫まんこさん
>私が抗議するならそうするでしょう。私の周囲でもこういう抗議になんら疑問をもつ人がいない事にも驚きました)

んまぁ私レベルになれば(笑)オッパイ柄にばかり注目が集まっていることについて驚いてみましょうかね。私が知る限りにおいては、DJOZUMAの股間にあったと思われる、チンコ柄には誰も触れていませんよね。
乳首なら男にだってあるんですよ。
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Re(5):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/14(金) 19:54 -

引用なし
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   >Josegさん
>日本人は善良で賢く、アメリカ人は性悪で馬鹿(せいぜいずる賢い)なことが前提。
>その上で日本代表・力道山がアメリカ代表の悪者レスラーたちを空手チョップでやっつける。

この喩えでは、ナショナリズムの問題が絡んできそうな気がするので、フェミニズムと同列に扱っていいものかどうか私にはよく解りません。

>こういう物語はコンプレックスに苛まれる人たちの間に一定の需要があるんですね。
フェミでいえば『アリーテ姫』でしょうか。

「アリーテ姫」 は今度検索します。
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Re(4):「さくら署の女たち」
 猫まんこ  - 07/9/14(金) 18:37 -

引用なし
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   >ラクシュンさん:

>で、「さくら署」に戻りますが、わたしが(チラッと見て)感じる違和感というのはつまり、私にいわせれば、ドラマという枠組み全体が、女のワルは描かれないし女がクズの烙印を押されることがない等の、ある種のジェンダーのコードに支配されているわけですが、「さくら署」ではそのコードに従いながら中身が反ジェンダー(=フェミ)的なんですよ。私の気持ち悪さの根源はそこにあるんだと思います。それが本当の矛盾といえるかどうかなどという問題は、私にとってはどーでもいいことで。
>

「表現」は、本来は、人を解放し、自由にするものです。
しかし、TVは、それとは真逆に、根拠のない日常を追認し、縛るものです。
前にJosefさんとの会話でも表された事ですね。
TVの「表現」が何故、そういう性質をもつのかは置いておいてですね。

(例えば、去年の紅白において、DJOZUMAでしたか、ニセおっぱいに抗議されて局側が謝罪したというのには本当に驚きました。
それは、その事が『不謹慎だ』という抗議だったという事に対してです。私は『偽のおっぱいなんか出すな。出すならちゃんと本物を出せ』という意味の抗議だったからですし。
私が抗議するならそうするでしょう。私の周囲でもこういう抗議になんら疑問をもつ人がいない事にも驚きました)

私は番組上のバランスなどどうでもよく、一分先の展開すらまったく読めないもののほうが余程「リアル」だと思うんだけどなあ。
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Re(4):「さくら署の女たち」
 Josef  - 07/9/14(金) 16:13 -

引用なし
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   ラクシュンさん

>わたしが(チラッと見て)感じる違和感というのはつまり、私にいわせれば、ドラマという枠組み全体が、女のワルは描かれないし女がクズの烙印を押されることがない等の、ある種のジェンダーのコードに支配されているわけですが、「さくら署」ではそのコードに従いながら中身が反ジェンダー(=フェミ)的なんですよ。私の気持ち悪さの根源はそこにあるんだと思います。

喩えていえば、昔のプロレスみたいなものですか。
日本人は善良で賢く、アメリカ人は性悪で馬鹿(せいぜいずる賢い)なことが前提。
その上で日本代表・力道山がアメリカ代表の悪者レスラーたちを空手チョップでやっつける。

こういう物語はコンプレックスに苛まれる人たちの間に一定の需要があるんですね。
フェミでいえば『アリーテ姫』でしょうか。
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Re(3):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/13(木) 22:24 -

引用なし
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   さっき「女刑事みずき」(最終回)を見ました。このドラマも2、3回しか見てないし、始めから最後まで通して見たことは一度もありません(今回は最初の数分を見逃しただけ)が、これはこれでバランスがとれていると思いました。
#逆の立場から微妙にヒッカかるところがあるかも知れないけどここではそこまで拘らない。
それぞれの配役とその位置付けは、署長(野村ひろのぶ)がどちらかといえばダメ署長、主人公みずき(浅野ゆうこ)と何とかという刑事(小林ねんじ)が先輩後輩関係、みずきの母親(儀理?)が婦人警官、そして新人刑事(男)といったところです。主人公だからと言ってしまえばそれまでですが、男の署長が女のみずきの上に描かれることはまずなさそうな雰囲気で、先輩刑事(小林)はみずきをあたたかくサポートする立場といったところでしょう。

で、「さくら署」に戻りますが、わたしが(チラッと見て)感じる違和感というのはつまり、私にいわせれば、ドラマという枠組み全体が、女のワルは描かれないし女がクズの烙印を押されることがない等の、ある種のジェンダーのコードに支配されているわけですが、「さくら署」ではそのコードに従いながら中身が反ジェンダー(=フェミ)的なんですよ。私の気持ち悪さの根源はそこにあるんだと思います。それが本当の矛盾といえるかどうかなどという問題は、私にとってはどーでもいいことで。

ま断片的なデータが元になっているので私の単なる勘違いという可能性はもちろん十分にありますよ。
しかし私の「感じ」ということではそういうことですよ。

言い換えれば、「男」対「女」の構図だけで描かれている、といった印象です。
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Re(7):嫌よ嫌なの嫌なのよ
 猫まんこ  - 07/9/12(水) 18:15 -

引用なし
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   >ラクシュンさん:

>私が置かれている状況によって、たまたま見てしまうことがあるんですよ。
>だから、別に見たくて見ているわけではありません。
>ということでヨロシク。
>

私の場合は、付き合いとか、見たくて観てる訳ではない(?)という時はとにかく一分も黙って見てはいません。
「ここで宇宙人がなんで出てこないんだ?」
「なんでリドリースコット風に演出しないんだ?」
「普通、ここでワイヤーアクションだろ」
「ここで主役は唐突にブッシュ批判でもどうか」
「ここまで、ヌルくラブコメなんだから、ここからホラーで走るだろ!」
などなど。夫婦で遊んでるけど。
勿論、劇場では静かだけれど。

そんなんで、せっかく、今日放送なのだから、脳内で「さくら署のオカマ」に変換しながら口に出して見ると面白くなりますよ。
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Re(3):これが答えだ!Re(4):「さくら署の女たち」
 ラクシュン  - 07/9/11(火) 21:46 -

引用なし
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   >「描かれ方」は今、リアルに放送されている「さくら署の〜」と全く、同じように描かれている。

>そう考えてください。

なんとなくフムフムという気がしてきました。
しかしどーなのかな、同じとは言っても「さくら署」の最終回が、「この警察は腐敗してる、おかしい」とはならないわけだし、内容をもっと誇張してそういう「スキャンダル」にもっていったとしても、描かれ方は重要だと思います。
このケースでは、「さくら署」の女たちが男の場合と同等に描かれることは考えにくいし、、だとすれば「チンコ姉さん」は男的に描かれるのかな?

というか私の気持ち悪さは、その違いにあるわけで…。
たぶん。
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追加Re(1):これが答えだ!Re(4):「さくら署の女た...
 猫まんこ  - 07/9/11(火) 19:24 -

引用なし
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   >しかし、それを市ヶ谷自衛隊駐屯地の奥でほくそえんで見てる真の悪がいた。
>松平伊豆の守である。彼こそ、ユダヤと組んで、エンロン社の背後で暗躍していたのだ・・・・・・。
>


松平伊豆の守=ジェリー藤尾
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