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Josef
- 07/6/13(水) 18:59 -
バジル二世さん
>私はむしろ賛同する気持ちが強いのですが、責任を持っては何も言えません。
バジル二世さんは心情的に賛成なんですね。私はどっちかというと自然派なので、それなしには死に至るとか大きな苦痛があるとかいう場合を除いて、身体を改変することには強い抵抗があります。もちろん当人が自分の意志でやるのは勝手ですが(でもそれも私は好きではないので身近な人なら反対します)。
日本人は私のような感覚が多数派かと思ってましたが(したがってアシュリーちゃんのような問題が日本で起こることは日本人の質が変わってしまわない限り無いだろうと思っていましたが)、そうでもないのかもしれませんね。
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バジル二世
- 07/6/6(水) 11:16 -
「生理痛・サイクルをなくす」→「生理痛をなくす」
>The Hysterectomy involved removing Ashley’s uterus but keeping her ovaries to maintain her hormonal cycle and the generation of her natural hormones. (子宮摘出手術は、アシュリーの子宮を除去し、ホルモンサイクルと自然なホルモンの生成を維持するために卵巣は残した)
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「親の負担軽減の目的」=「利己心」というmacskaさんの言い換えを受け入れてしまったことで自己嫌悪モード。レス不要です。
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>ラクシュンさん:
>両親が、子宮摘出について「生理痛・サイクルをなくす」などの具体的な目的を書いているとすればそれは知りませんでした。
何か英語ばかりなんですが、訳すのも面倒だし省略する脳もないんで、そのままで失礼します。ttp://ashleytreatment.spaces.live.com/の詳しく書いた部分です。
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Avoiding Menstrual Discomfort through a Hysterectomy
The Hysterectomy involved removing Ashley’s uterus but keeping her ovaries to maintain her hormonal cycle and the generation of her natural hormones. Ashley has no need for her uterus since she will not be bearing children. Hysterectomy prevents the discomfort, pain, cramps and bleeding that are so commonly associated with the menstrual cycle. Many emails we received testify to how painful these symptoms are due to the cramping of the uterus and how hard they are on Pillow Angels.
Additional and incidental benefits to hysterectomy include avoiding any possibility of pregnancy, which to our astonishment does occur to disabled women who are abused. The hysterectomy also eliminates the possibility of uterine cancer and other common and often painful complications that cause women later in life to undergo the procedure.
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>私はmacskaさんとDregerの論理にはかなりの飛躍がありそうでそこにヒッかかりました。
私が子宮摘出の目的が何なのか、読む上で注意したのは、ラクシュンさんのレスがきっかけです。
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>Josefさん:
>アシュリー療法に関して、その「意図」ないしは「目的」が「親の利便のため」なのか「子の幸福のため」なのか。一般にはきれいに分けられないことではあるけれど、前者だという批判があるので、あえて二つに分けて、「前者ではなく後者だ」と言ってるのがあの英文ですね。そのことを踏まえて賛同するなり批判するなりすればいいでしょう。
私はむしろ賛同する気持ちが強いのですが、責任を持っては何も言えません。法制度のことも知らなければ、障害者を取り巻く状況も知っているわけではありません。
とりあえず分かりそうなところだけ(それも本当にかどうかは分かりません)クチバシを容れているだけなのですが、自分を省みるに、「利己心」なんて分かってない言葉を、鵜呑みにして使ってしまっていますね。そういうところが、駄目だと痛感しています。
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ラクシュン
- 07/6/5(火) 20:57 -
>バジル二世さん
>で、ここでさらに非良心的なのは、子宮摘出について、生理痛・サイクルをなくす(苦痛・不快感をなくす)という両親が書く本当の目的を書かないと、両親は成長停止と同じく体重を軽くする目的だったと読めてしまう。
両親が、子宮摘出について「生理痛・サイクルをなくす」などの具体的な目的を書いているとすればそれは知りませんでした。私はmacskaさんとDregerの論理にはかなりの飛躍がありそうでそこにヒッかかりました。
>体重を軽くするには成長停止で十分足り、足を切る必要はありません。こういうのを称して詐術というのですね。それをラクシュンさんは指摘しているのですね。
そうですよ。
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バジル二世
- 07/6/5(火) 12:15 -
意図が分かりにくいと思いますので。
>ただ私が疑いを提示した部分、macskaさんは両親が「親の負担を軽減する目的は全く無かったとまで言い切る」と言うけれど、前にURLを示したサイトで両親は「体重が軽い方が介護が簡単」という趣旨のことを書いていますよ。で、↓とも矛盾がある(上と同じmacskaさんページ)。
つまり純粋なまでの「極端な利己心のなさ」の強調があるんだという証拠を見せたくて、片言隻句をとらえただけです。そんなことを言い切ったとまで言える「事実」はありません。
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>ラクシュンさん:
>ttp://macska.org/article/188#comments より
>::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
>(…)こうした極端な「利己心のなさ」は、自分の子どもに対する「アシュリー療法」を求めている親の発言に繰り返し見られるパターンであり、それは社会が親たちーー特に母親ーーに要求する、完全に利己心のない、献身的な(母)親という非現実的な理想像あるいは神話の反映であると Dreger は指摘する。
>::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
>
>「こうした極端な「利己心のなさ」」の強調は、「アシュリー療法」的なものに対する倫理的な批判に対応するものと考えるのが普通でしょう。
なるほどなぁ。「利己心」を見せようとはしないでしょうね。相手が「利己心」を見つけて糾弾しようとしてたら。理解の参考になります。
ただ私が疑いを提示した部分、macskaさんは両親が「親の負担を軽減する目的は全く無かったとまで言い切る」と言うけれど、前にURLを示したサイトで両親は「体重が軽い方が介護が簡単」という趣旨のことを書いていますよ。で、↓とも矛盾がある(上と同じmacskaさんページ)。
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Dreger はさらに、アシュリーの症例において成長停止が「体重が軽い方が介護が簡単であり、結果的により良い介護を受けられるようになる」として、そして子宮摘出が「どちらにしても彼女が自分の意志で性的関係を持つことはありえないから」として正当化されたことに対して、次のように問う。アシュリーが自分の意志で子どもを持とうとすることがないように、彼女が自分の足で歩くことだってありえないのだから、両足を切断してしまえば良いのではないか? そうすれば身体はより軽くなり、介護も楽になるのではないか、と。
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で、ここでさらに非良心的なのは、子宮摘出について、生理痛・サイクルをなくす(苦痛・不快感をなくす)という両親が書く本当の目的を書かないと、両親は成長停止と同じく体重を軽くする目的だったと読めてしまう。この後に「両親や医者の論理を徹底させれば、両足の切断こそが「当人にとって最善の選択」となってしまうかもしれない」はひどいよなあ。体重を軽くするには成長停止で十分足り、足を切る必要はありません。こういうのを称して詐術というのですね。それをラクシュンさんは指摘しているのですね。
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Josef
- 07/6/4(月) 20:10 -
バジル二世さん
>それは、あらゆる「親のため」が最終的には「子のため」になるんだ、というならおかしいでしょうけど、「親のため」になるもののうち「子のため」にもなるのだと言えることはあるのではないですか。
アシュリー療法に関して、その「意図」ないしは「目的」が「親の利便のため」なのか「子の幸福のため」なのか。一般にはきれいに分けられないことではあるけれど、前者だという批判があるので、あえて二つに分けて、「前者ではなく後者だ」と言ってるのがあの英文ですね。そのことを踏まえて賛同するなり批判するなりすればいいでしょう。
私は、親がそうだと言っている以上、その言葉を信じた上で反対したいと思います(心から信じるということではなく、信じるという形式をとる、ということです)。
ちなみにmacskaさんは親の言葉に疑念を抱く立場で、それはそれでいいのですが、Dregerという人を間接引用しながら「女性や母親への社会的抑圧」というお定まりのフェミ的指弾になってる部分があって、かこつけられるものは何でもかこつけてフェミ・イデオロギーに持っていくのかと嫌な気分になります。法的手続きや倫理委員会の問題についてはなるほどと思いますが。
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ラクシュン
- 07/6/3(日) 16:58 -
ttp://macska.org/article/188#comments より
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(…)こうした極端な「利己心のなさ」は、自分の子どもに対する「アシュリー療法」を求めている親の発言に繰り返し見られるパターンであり、それは社会が親たちーー特に母親ーーに要求する、完全に利己心のない、献身的な(母)親という非現実的な理想像あるいは神話の反映であると Dreger は指摘する。
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「こうした極端な「利己心のなさ」」の強調は、「アシュリー療法」的なものに対する倫理的な批判に対応するものと考えるのが普通でしょう。
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特に重度障害児を生んだ母親は、「お前は妊娠中にアルコールや煙草や麻薬を使用したのではないか、胎児の健康を損なったのではないか、全てはお前の責任だ」という世間の厳しい視線に晒されることで、なおさら「利己心のなさ」をアピールしなければいけないという強迫状態に囚われているのではないか。
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なので、これはコジツケも甚だしいと思います。
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Dreger が言わんとするのは、親の利己的な都合によって「アシュリー療法」を正当化して良いという意味では★もちろんない。
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ほらね。
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ただ単に介護の辛さや将来への不安というだけでなく、Dreger が言ったように、かれらは世間の「そんな子どもを生むとは、あなたは一体妊娠中何をやったのだ?」という視線に日々晒されてきたのだろう。
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したがって、こんな意見は事実の捏造としか思えませんね。
というかそもそも、親に身に覚えがない場合は「アシュリー療法」が自動的に正当化されるわけではないのだから、母親(若しくは親)に対する世間の厳しい視線は、母親(若しくは親)が「利己心のなさ」を強調する動機にはならないでしょう。
その自己責任論に動機があるとすれば、「アシュリー療法」=非倫理、の価値観が前提になっている場合に限られると思います。
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>それはそうですね。ただ、"the central purpose"が上の通りだというのであれば、「親のため」もまた「子のため」という中心目的に収斂していく(あるいは中心目的に発する)、という論理になりそうです。
それは、あらゆる「親のため」が最終的には「子のため」になるんだ、というならおかしいでしょうけど、「親のため」になるもののうち「子のため」にもなるのだと言えることはあるのではないですか。
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Josef
- 07/5/31(木) 20:43 -
………………………………………………………………………………
A fundamental and universal misconception about the treatment is that it is intended to convenience the caregiver; rather, the central purpose is to improve Ashley’s quality of life.
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>この「rather」は「そうではなく」と訳していますが、この場合、「それよりはむしろ」と訳したほうがよいように思うのですが。
全然詳しくありませんが、ここは「それどころか反対に」でしょう。「親のため」と「子のため」という逆方向のベクトルが"rather"で示されています。
>本当にこの両親が、「介護者である親の負担を軽減する目的は全くなかったとまで言い切」っていると断言してよいのかと思うのです。
それはそうですね。ただ、"the central purpose"が上の通りだというのであれば、「親のため」もまた「子のため」という中心目的に収斂していく(あるいは中心目的に発する)、という論理になりそうです。
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バジル二世
- 07/5/31(木) 19:51 -
>芥屋@keya1984さん:
>…これが論点だと思います。
えーと、おっしゃるとおりだと思います。利己心第一に人体改造されたんじゃたまりませんからね。論点整理ありがとうございます。
…というわけで「利己心」について素朴な疑問点。
↓両親の言葉を引用した個所(ラクシュンさんが批判する発言者のブログより)。
ttp://macska.org/article/188
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アシュリーの両親は、他にもこう書いている:「アシュリー療法についてよくある根本的な誤解は、これが親の利便のために実施されたというものだ。そうではなく、 本当の目的はアシュリーのQOLを向上させることである。」 もちろんかれらはアシュリーのQOLを向上させることに重大な関心を抱いているのは確かだろうが、介護者である親の負担を軽減する目的は全く無かったとまで言い切る のはあまりに非現実的だ。こうした極端な「利己心のなさ」は、自分の子どもに対する「アシュリー療法」を求めている親の発言に繰り返し見られるパターンであり、それは社会が親たちーー特に母親ーーに要求する、完全に利己心のない、献身的な(母)親という非現実的な理想像あるいは神話の反映であると Dreger は指摘する。特に重度障害児を生んだ母親は、「お前は妊娠中にアルコールや煙草や麻薬を使用したのではないか、胎児の健康を損なったのではないか、全てはお前の責任だ」という世間の厳しい視線に晒されることで、なおさら「利己心のなさ」をアピールしなければいけないという強迫状態に囚われているのではないか。 Dreger は、介護者/親にも妥当なニーズがあることをきちんと直視して、「子どものため」という口実の裏にあるかれら自身の利己的な利害をきちんと表に出した方が良いのではないかと提案する。
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ここで両親の書いた原文は
ttp://ashleytreatment.spaces.live.com/
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A fundamental and universal misconception about the treatment is that it is intended to convenience the caregiver; rather, the central purpose is to improve Ashley’s quality of life.
………………………………………………………………………………………………………………………………
この「rather」は「そうではなく」と訳していますが、この場合、「それよりはむしろ」と訳したほうがよいように思うのですが。なぜなら、あることの「purpose(目的)」というものは複数であることがあり、だからこそ「central purpose」というそれ以外の目的があるのを前提とした表現を用いているのではないかと思うのです。本当にこの両親が、「介護者である親の負担を軽減する目的は全くなかったとまで言い切」っていると断言してよいのかと思うのです。なぜそのように訳すのでしょうかね。
Josefさんが詳しそう…。
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芥屋@keya1984
- 07/5/30(水) 23:24 -
んーと、論点は…
「このような本人の同意無しの医療行為を施してよいかどうかは、裁判所での認否を通してからである」
↑という原則があるようなのですが、今回はその法手続きを踏まなかったことの是非が争われているわけですよね。そこで、
1.両親側(およびその弁護士)の「これこれの理由で裁判所での許可は不要」との主張は認められるかどうか。
そして、「そのような主張が認められるなら、知的障害者(ことに乳幼児)への、本人の同意無しの身体改造的手術や不妊処置が拡大しないか」という懸念が論じられている。ですので
2.両親側(およびその弁護士)の「これこれの理由でその懸念は無用」との主張は当を得ているかどうか。
…これが論点だと思います。
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バジル二世
- 07/5/30(水) 22:18 -
ここで私は議論していろんなものを踏み荒す危険を冒したくはないのですが、1点だけ。
>>手足の切断はモノに対する発想で、生き物に対する態度ではないと思います。
>
>だからそれが「人間ぽさ」ということだと思いますが。何が許容でき、何が許容できないかという線引きに、その人、その社会の「人間」に対する考え方が現れると思います。
「利己心」という論点がありましたが、「ない」などとはこの両親の自己判断ですらすることできないように思います。いわんや外見から判断する他人ならなおさら。それは仕方がありません。両親がしなければならない介護の問題がつきまとうからです。
しかし「利害の異なる人々による操作間の対立」(Josefさん)に過ぎないのですよね。だから論点は、「利己心」があったにしても、子供の楽しみを増やし苦しみを減じる(両親のブログを参照)というQOLの目的に処置が沿ったものであるかということが中心になるかと思います。
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>親の選択ではなく、私の、社会に対する倫理的要請です。
親が子の成長抑制医療を求めても社会はそれを認めるべきではないということです。
考えが浅いのかも知れませんが、私はそこまでは思いません。
>アシュリーには自分の意志というものが無いのだから「私がアシュリーなら」という想定は無意味でしょう。
だから、そのことは解った上での話です。
後はすべて親に任せます。
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Josef
- 07/5/29(火) 21:55 -
>手足の切断はモノに対する発想で、生き物に対する態度ではないと思います。
だからそれが「人間ぽさ」ということだと思いますが。何が許容でき、何が許容できないかという線引きに、その人、その社会の「人間」に対する考え方が現れると思います。
>>その上で、私なら、子供の身体は大きくなろうとしている事実それ自体を当人の「意志」と見なしたいと思います。意図的に何かを「する」という意志ではなく、そう「なる」という、身体そのものが無言のうちに表現している「意志」です。
>これは親の選択ですよね。そういう選択は当然あるでしょう。
親の選択ではなく、私の、社会に対する倫理的要請です。
親が子の成長抑制医療を求めても社会はそれを認めるべきではないということです。
>私がアシュリーなら、成長停止療法・安楽死は受け入れ<可能>です。
アシュリーには自分の意志というものが無いのだから「私がアシュリーなら」という想定は無意味でしょう。
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>いかに人間ぽさを保持するかということでしょうね。犬っぽさにあまり影響しない不妊手術ならするが、犬っぽさを無くす脚の切断はしないのと同じでしょう(ちょこまか歩く姿が可愛いので脚を短くする「改造」はするが)。
そうかなー。
「成長停止療法」には当てはまりそうですが、手足の切断はモノに対する発想で、生き物に対する態度ではないと思います。したがってこの選択肢は、私がアシュリーでも受け入れることはできません。
私がアシュリーなら、成長停止療法・安楽死は受け入れ<可能>です。しかし、「両足の切断」などは論外です。そこまでするなら安楽死です。
>その上で、私なら、子供の身体は大きくなろうとしている事実それ自体を当人の「意志」と見なしたいと思います。意図的に何かを「する」という意志ではなく、そう「なる」という、身体そのものが無言のうちに表現している「意志」です。
これは親の選択ですよね。そういう選択は当然あるでしょう。
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Josef
- 07/5/28(月) 18:30 -
ペットだったら大きくならないように「改造」し子供も産めなくする、というのは普通に行われていることで、その障害者版といったところでしょうか。吠える犬は吠えないように「改造」しちゃうので、「改造」度合いの低い、吠え、かつよく噛みつく日本犬は、飼う日本人もろとも非難の対象です。
昔、『「する」と「なる」の言語学』とかいう本がありました。「する」に傾いた社会では人間たちも操作対象と見る傾向が強い(=「する」の対象)のでしょう。どのように「する」かという、利害の異なる人々による操作間の対立だと思います。
>[・・・]「子宮・乳腺摘出」と肢体の切除・切断との間には一定のひらきがあると思います。見える部分と見えない部分との違いです。
いかに人間ぽさを保持するかということでしょうね。犬っぽさにあまり影響しない不妊手術ならするが、犬っぽさを無くす脚の切断はしないのと同じでしょう(ちょこまか歩く姿が可愛いので脚を短くする「改造」はするが)。
>所詮は架空の代弁者ですよ。
本人の意志が永遠に無い(ことになっている)以上は、それぞれが自分の立場からする「代弁」であることは免れませんね。その上で、私なら、子供の身体は大きくなろうとしている事実それ自体を当人の「意志」と見なしたいと思います。意図的に何かを「する」という意志ではなく、そう「なる」という、身体そのものが無言のうちに表現している「意志」です。
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ラクシュン
- 07/5/26(土) 18:57 -
<訂正>
[2007/05/24 - 03:16:33 - ]の、「「自身のニーズとは全く無関係」なのですか?」の「ニーズ」は、「利己心」に読み替えておいてください。
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