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Re(7):相変わらずで嫌になるというかぁ
 純子  - 07/1/11(木) 13:06 -

引用なし
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   >macskaさん:

>「いきなり観念でもって〜」というのは、どこかのブロガーが個人の思いつきで書いているのを読み過ぎじゃないですか。

お〜い、墓穴を掘ってるよ(^^)

macska仏は、ご自分で、地面に穴を掘られ、その中で入滅して即身仏になられました。ありがたや、ありがたや、南無南無(-人-)。
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Re(7):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/11(木) 13:00 -

引用なし
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   > 日本の政治文化において「反対」の意味に使われるのは「判断せよ」では
> なくて「判断しない」「判断できない」です。「時期尚早である」とか
> 「善処します」とか「現在、検討中です」とか……(^^)

そうかなー。何か気に入らない案件が急速にまとまりそうな空気があるときに、もともとただ反対意見を持っているだけの人が「もっと議論を尽くすべきだ」とか「慎重に判断せよ」と訴えるというのはよく見る光景なんだけど。で、例えば推進派が「じゃあこれから3ヶ月かけて徹底的に議論して、そのあとで採決しましょう」と言えば3ヶ月後納得して素直に採決に応じるかとなるとかなり疑問なのですね。「まだ議論が足りない」とか言いそうな。保守派の「慎重に判断せよ」論でも、それ以外の勢力の論でも。

米国の議会でたまにあるフィリバスターというのはそれですね。名目上は「さらなる議論が必要なので採決に反対」という立場を取りつつ、実際はただ本の朗読など長時間演説して時間を潰しているだけ。そのあいだに裏で別の議員が妥協案を通そうと工作していることもあれば、反対派が一致団結して議案を潰そうとしていることもあります。

それと同じように、日本でも「慎重に判断せよ」というのは、他の手段で案件の差し迫った通過の阻止が難しくなった時に反対派がよく口にするように思うのですが。違いますか?

> 以前、「フェミナチを監視する掲示板」で神名龍子さんが説明していな
> かったけ?

その掲示板は、誰かにリンクを教えてもらったときに見る程度なので誰が何を言っているかなんて知りません。しかし、神名さんじゃなくて、林道義さんが「慎重に判断せよ」と言う時にきちんと説明して欲しいのですが。

# しかし、神名さんの基準は、ポジティブアクションだけに適用されるのでしょうか。
# 他の問題も含め、全ての政策についてそうした基準が適用されれば、現実に存在する
# 法律のかなりの部分が破棄されるような気がするんですが。
# 良くも悪くも、法律はそんなに隅々まで完璧にできていないので、もしポジティブア
# クションだけに限って厳しい基準を主張しているなら、それはそれで変だなあ。

> 本来、同性婚が、異性愛者の結婚の拡大発展系として考えられているから、
> 異性愛者の結婚がまったくなくて、同性婚だけが中空に浮き上がっている
> ような社会って、想像しかねるんです(^^)

だから、本来同性婚が本筋で、異性愛者の結婚がその拡大発展系として考えられているような社会があったとして、その社会の仕組みは平等なのかどうか想像してみろ、という話。想像力足りなさすぎ。

> だから、芥屋さんのおっしゃているのは、「珍説」じゃないんですよ。

奴隷と主人という言葉をやめて、何か別の言葉にすれば奴隷制が不平等な制度ではなくなるということがあり得ますか? ありえないでしょ? それが平等かどうかは、言葉の定義によって決まるものではなく、実際にどういう権力や財や資本や機会や自由などの分布があるかという話であるはずです。

「結婚」という言葉本来の意味が異性婚のことだから不平等ではないというのは、まるで差別用語をなくせば差別がなくなると考えるのと同じくらい「言葉」を過剰に評価しています。後者についてはよく分かっているはずの人が、前者の主張をしてしまうのは珍奇としか言いようがありません。

> じゃあ現行の婚姻制度をどう改革すれば、「実質的平等」になるのかで、
> 議論になると個々の意見が分かれてきちゃうんですよ。

それは難しいところですし、意見をどう集約させるか、どう改革に結びつけるかという議論は別に必要です。しかしわたしはその議論をここではやっていません。概念の問題として、実質的平等とか形式的平等とはどういう意味なのかということを話しています。

> これは私の「主張」じゃなくて、歴史マニアの私が、歴史というものを
> 勉強した結果、こうなっていましたよという「指摘」です。疑義がある
> なら、自分でも同性結婚の歴史を調べてみたらいい。

疑義があるというわけではなく、「過去にこのように議論されてきたから、今後もこのように議論されるべきだ」というのは論理的な飛躍だと言っているの。過去にそのように議論されてきたとしても、だからといって今後も同じ議論を続けなければいけないことにはならない。続けたい人は続ければ良いし、別の議論をやりたい人はそうすればいい。どれか一つだけが「正しい」議論の方法だというのは、全体主義に繋がるのではないですか?
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Re(6):相変わらずで嫌になるというかぁ
 純子  - 07/1/11(木) 10:59 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> 何か変化をめざすほうが良いということにもならない(^^)
>
>あのー、これはわたしの勘違いなのかもしれませんが、日本の政治文化において「慎重に判断せよ」というのは「反対」というのとほぼ同義なのではないですか? だとしたら、「これはポジティブ・アクションの否定だ」という指摘は、事実として間違いとは言えないような。

はい、勘違いです。日本の政治文化において「反対」の意味に使われるのは「判断せよ」ではなくて「判断しない」「判断できない」です。「時期尚早である」とか「善処します」とか「現在、検討中です」とか……(^^)

># サヨクの言説でも、「〜は慎重に議論せよ」と主張するときは
># はっきり「反対」の意味で言っているように思うんですが。

「憲法九条の改正に関しては慎重に判断せよ」だったら、サヨクじゃなくて論憲派になってしまいますよ(^^)。サヨク言説は「憲法九条改悪絶対反対!」から「九条改正は時期尚早である」まで。

>もしかしたら、これはかれらの勘違いなのかもしれません。もしそうであれば、「われわれはポジティブ・アクションはどんなものでも全くダメだとは思っていない」「こういう条件の中であればポジティブ・アクションは認められるが、こういう例は認められない」みたいに分かりやすく説明してもらえると嬉しいのですが、これまでわたしが見た文書を読む限り、そういう説明はなされていないようです。

以前、「フェミナチを監視する掲示板」で神名龍子さんが説明していなかったけ?
私の記憶なので正確でないかもしれないが、だいたいこんな内容だったような。

1.アクションの目的が明確で、その目的が妥当であると公論されていること
(公論形成のプロセスがしっかりしていること)

2.アクションの手法が不合理なものではなく、実現可能性があること

3.結果について、定期的に検証し、必要がなくなれば廃止したり、効果がなければ改正したりできること

神名さんだから、彼女の師匠すじの、竹田青嗣さんや、古浜逸郎さん、橋爪大三郎さんなどは、ほぼ同様な考え方をしているはず。まあ、私もその方たちの著作に学んでいるわけだし(^^)。

>あなたは、その文章の意図を勘違いしています。

勘違いするような書き方をしても、しゃーないでしょう。例示になっていない(^^)。

本来、同性婚が、異性愛者の結婚の拡大発展系として考えられているから、異性愛者の結婚がまったくなくて、同性婚だけが中空に浮き上がっているような社会って、想像しかねるんです(^^)

ほらはら、gajiさんまで、「さっぱり分からない」っていう反応をなさっているでしょう。

>わたしは、言葉の定義によってはそれは不平等とは呼べない、という芥屋さんの珍説に反論するため

だから、芥屋さんのおっしゃているのは、「珍説」じゃないんですよ。
「結婚」が男女によると定義されている間は、当事者の合意だけで誰しもが「結婚」する権利を平等に持っているわけだから、みんな、それで平等だと思っているんです。そこに、「それだと同性愛者のカップルが困るんじゃないか?」という声があって、初めて「そうかもしれない?」と考え始める人が出てくるわけです。
そうすると、現在の「婚姻制度」というのは「形式的平等」ではあるけど「実質的平等」ではないのではないか?という疑いが出てくるわけですね。
 しかし、社会観、結婚観、同性愛者に関する知識や経験やというのは個人によって若干の違いがあるから、じゃあ現行の婚姻制度をどう改革すれば、「実質的平等」になるのかで、議論になると個々の意見が分かれてきちゃうんですよ。


最初に楽俊さんが指摘している疑義もそういうことなんじゃないですか?
macskaさん、またお得意の「観念論」だけど、そういうこと、本当に分かっているのかなあ? みたいな。

>> 歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度と
>> いうのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛
>> カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されて
>> いくんですよ。
>
>そう主張するべきだとあなたが考えるのは勝手ですが、そのような形の主張以外をしてはいけない理由がなにもありません。

これは私の「主張」じゃなくて、歴史マニアの私が、歴史というものを勉強した結果、こうなっていましたよという「指摘」です。疑義があるなら、自分でも同性結婚の歴史を調べてみたらいい。反証があれば大歓迎。自分の歴史観をより良いものに修正でき、同性結婚の権利獲得運動をしている人の役にもたつ。

これは運動を全体主義化しているとは言わない(^^)
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Re(6):相変わらずで嫌になるというかぁ
 純子  - 07/1/11(木) 9:05 -

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   >芥屋さん:

>どういう法利益の受益が男女のカップル同様に望まれると言ってるのか、そういうゲンナマな話が求められるなぁ、と。

同性カップル維持、15年目の私の経験。

たとえば、昔、海外旅行に行った時なんですけど、

空港に災害保険の自動販売機があるじゃないですか。「800円くらいで、飛行機事故が起きたら、法定相続人に一千万」ていう掛け捨て保険。航空機の事故発生率から考えると保険会社はいい商売なんです(^^)が、まあ800円なら、まあ、みやげ話のネタになるからいいなと思って、自動販売機に千円札を入れて、おつりが200円、で自動販売機の支持どうりに、住所、氏名を書いていって……。

さて、法定相続人? 父の名は書ける、母の名はかける。でも15年間、連れ添ったうちの旦那は? さて困った……。

こういう時ですね、法的に認められていないと困るのは。


まあ、カップルの両方とも元気で頑張っているうちは大丈夫なんです。別に日本にはアメリカみたいな、ソドミー法はないし、ヘイトクライムがあるわけじゃない。

実は、保険だって、保険会社とえんえん交渉すれば、同性カップルを受取人にして、生命保険をかけられないわけではない。ただ飛行機に乗る前の数時間でそういう交渉をするのは難しい……(^^)。
両親を受取人にしておいて、そのうちいくらかをパートナーに渡してくれと一筆書いておく手もないわけではないけでど、ケチなうちの母がガメったらどうする(^^)

まあ、そういう、一見すると、どーでもいいようなことなんですが、でもそういう不利益が連続してじわじわと襲ってきたり、どっちかか事故や病気で弱っているときなんか、けっこうメゲます(^^)。


さらに法律的にもつっこんだ話は、早稲田大学の棚村政行先生がお詳しいですね。
参考までに

http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2006-6/ss0606-3.htm

ああ、また、誤字やってるなあ(^^)オンラインマガジンセクシャルサイエンス。
棚村(たなむら)さんだ。棚村さん。
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Re(3):相変わらずで嫌になるというかぁ(II)
 macska  - 07/1/11(木) 5:34 -

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   > 「馬鹿」はお互い様ってことで千日手に持ち込もうという寸法ですかね。

あのさぁ。
あなたは、わたしが「騒ぎ立てている」と言ったわけですよ。
具体的にどこがおかしいとか、そういう話は一切なしで、ただ「騒ぎ立てている」と。

でも、実際のところ全然「騒ぎ立てて」なんかいないわけです。「千日手に持ち込もう」とする動機が、わたしにあるわけがないでしょうが。できることなら、「騒ぎ立てている」というのは間違いなのだから、撤回してもらいたいところですよ。

しかし、感想というのは自由ですから、「自分には騒ぎ立てているように見えた、どこがどうとは指摘できないけれど(できるわけがない)、そう見えたんだから仕方がないだろう」と開き直られればそれまでです。だからまぁ、馬鹿げた感想だけど仕方がないかと思って、泣き寝入りしたつもりだったんですけど。
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Re(2):相変わらずで嫌になるというかぁ(II)
 楽俊  - 07/1/10(水) 21:25 -

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   >どうしてこんな感想がでてくるのか、それこそ理解に苦しむんですが。
まぁ、どんな馬鹿な感想を抱くのも自由といわれればそれまでです。

「馬鹿」はお互い様ってことで千日手に持ち込もうという寸法ですかね。
知りませんけどね。
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Re(5):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/10(水) 18:01 -

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   >そしておっしゃるように「変える」ことを自己目的にするのは
>本末転倒になるということじゃないでしょうか。

「おっしゃるように」がどこにかかるのかよく分かりません。
「『変える』ことを自己目的化するのは本末転倒」はその通りだけど、今の議論にどのように関係するのか不明ですし。
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Re(6):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/10(水) 18:00 -

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   > んー、言いたいことは(理屈としては)わかるんですけど、私の
> 言ってるのはそゆことでなくて…。

いやだからですねー。同性婚の話は、あの文脈では単なる一つの例でしょ?

どうして婚姻制度が「不平等」の例になるのか芥屋さんは十分理解しているわけですから、違った文脈で議論するならいったん区切ってからにして欲しいです。

> だから、現行の関連諸法制による法利益にはどのようなものがあって、
> どのようなものが男女の配偶者関係だけではなく同性の配偶者関係に
> も適用されるべきだというのか(現行のもろもろの権利義務の中には、
> 同性カップルにとっては「あぁ、その権利義務は同性愛者には関係な
> いので不要です」という項目もあるだろうし)、具体的な話を聞きた
> いな、と。

どの国でも同性婚推進派はみんなそれをやっています。そして反対派は、それを「同性婚推進派は、結婚というものを単なる権利義務の契約だとしか考えていない。同性婚を認めることは、結婚の価値を貶めることになる。」と批判しています。

ちなみに、米国連邦法上「結婚」したカップルにのみ認められた特権を全てリストアップした政府文書があります。これには各州の法律は含まれませんし、また各州で認められたシビルユニオン等の制度の影響を受けません。
http://www.gao.gov/new.items/d04353r.pdf
具体的な話は、これを読めばいろいろ見えてきます。

「いきなり観念でもって〜」というのは、どこかのブロガーが個人の思いつきで書いているのを読み過ぎじゃないですか。実際にそういう運動をやっている団体で、「いきなり観念でもって〜」みたいな運動をやっているところはほとんどないですよ。みんな実利的な部分でもって、実際に困っている人を登場させたりして運動してます。

ブログを書く時のわたしは基本的に観念のヒトだから、観念的な書き方をするし、そういうのを読みたい人が読んでいるからいいんだけれど、わたしのブログなんて読みそうも無いような世間一般の人にアピールする時はそれなりに工夫しますよ。当たり前でしょ。
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Re(5):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/10(水) 17:38 -

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   > 何か変化をめざすほうが良いということにもならない(^^)

そう、だからこそ、どういう変化が望ましいか、あるいはどういう変化であれば「ないほうがマシ」であるのか、個別に判断するべきですよね。

> 例の荒川区の男女共同参画社会懇談会の件ですが、保守派の林道義さんも
> 高橋史朗さんも、「慎重に判断せよ」で、「ポジティブ・アクションする
> な」とまでは言っていないわけですよ(^^)。

あのー、これはわたしの勘違いなのかもしれませんが、日本の政治文化において「慎重に判断せよ」というのは「反対」というのとほぼ同義なのではないですか? だとしたら、「これはポジティブ・アクションの否定だ」という指摘は、事実として間違いとは言えないような。

# サヨクの言説でも、「〜は慎重に議論せよ」と主張するときは
# はっきり「反対」の意味で言っているように思うんですが。

> 何だか、日本のフェミニストさんたちによれば、ポジティブ・アクション
> はどんなものでも無条件に全て正しいということみたいですよ(^^)。

そんなこと言っていないでしょう。むしろ、林さんらが「ポジティブ・アクションはどんなものでも無条件に全て間違い」だと思っている、とかれらが思っているからこそ、批判しているのでは。

もしかしたら、これはかれらの勘違いなのかもしれません。もしそうであれば、「われわれはポジティブ・アクションはどんなものでも全くダメだとは思っていない」「こういう条件の中であればポジティブ・アクションは認められるが、こういう例は認められない」みたいに分かりやすく説明してもらえると嬉しいのですが、これまでわたしが見た文書を読む限り、そういう説明はなされていないようです。

> 言葉の遊びとしては面白くても、現実感がないから大多数の良心の共感
> を呼ぶことはできないと思いますよ。

あなたは、その文章の意図を勘違いしています。

もしわたしが、同性婚の実現のために、多数の人々の共感を得ることを目的として文章を書くのであれば、当然それに適した書き方をします。当たり前です。しかし、芥屋さんへの質問はそういう文章ではありません。

あの文章の意図はというと、異性婚しか認められないのは「結婚」という言葉の定義によるから、異性婚しか認められないのは当たり前であって不平等とは呼べない、という論理に対する反論です。

つまり、法律上の「結婚」「婚姻」が異性カップルにしか当てはまらない言葉であるのと同様、「同性婚」は同性カップルにしか当てはまらない言葉ですから、法律の言葉を入れ替えて、その結果同性カップルだけに特権が認められるようになったとしても、全く同じ論理から「不平等とは呼べない」という結論が導き出されるはずです。しかし、実際それに「そうだ、不平等ではない」と納得できる異性愛者がどれだけいるのか、とわたしは思うわけです。

これは論理の問題なので、わたしが同性婚に賛成であろうと反対であろうと無関係に成り立ちます。というより、同性婚は例として出ているだけで、問題は「現実に不平等が存在するのに、言葉の定義によって存在しなかったことにできるかどうか」です。

わたしは、言葉の定義によってはそれは不平等とは呼べない、という芥屋さんの珍説に反論するためにこういう例をあげたのであって、この例をあげることで同性婚への賛成を増やそうという意図はありませんし、また現実的にありえそうなシナリオかどうかも関係ありません。

> 歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度と
> いうのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛
> カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されて
> いくんですよ。

そう主張するべきだとあなたが考えるのは勝手ですが、そのような形の主張以外をしてはいけない理由がなにもありません。「それでは社会に受け入れられない」と言うかもしれませんが、(1)それ以外にも有効なメッセージがありえますし(もちろん、ダメなメッセージもたくさんあります)、(2)わたしにとっては運動が全体主義化するよりは、成果を得られるのが多少伸びた方がマシだと思っています。
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Re(6):相変わらずで嫌になるというかぁ
 gaji  - 07/1/10(水) 12:35 -

引用なし
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   >芥屋さん&みなさま、あけましておめでとうございます。


>>> なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。

>>はい、だからそのように、定義の段階で不平等な扱いを「当たり前」とするような制度が法的にある場合、それは実質的に不平等であると言うわけです。
>>
>>もし「結婚」の定義が「男女が正式に夫婦になること」であってそれ以外に変化しようがないのであれば、そんなものは法的な制度として認めるべきではありません(私的あるいは文化的な儀式として祝うのは、もちろん自由です)。

――婚姻に「法的な制度」が加わったのは、相続がらみ(財産とか誰が誰の子かetc)の混乱?を未然に防ぐためでもあったのでは?(いわば「家」がらみ)

>んー、言いたいことは(理屈としては)わかるんですけど、私の言ってるのはそゆことでなくて…。もう少し具体的に説明します。漢語で「夫婦」といい和語で「めをと」というように、その言葉が男女のことを指してるわけですよ。だからこの言葉を動かしようがないのは、仕方がないんですって。

そうなんですよね。

>だから法制度での婚姻制度をいう場合に、いきなり観念でもって「婚姻とは何か」に切り込んで、理屈だけで「ほら、非対称だから不平等でしょう?差別でしょう?」みたいに言っても、神学論争になったり、無用の反発を買ったりするだけじゃないか思うんですよね。

言えてますね。

私のバヤイ、大きな声では言えませんが、個人的には非婚主義者^^なのでした。

しかぴ、、(かれこれ数年前)
ga「もしかして、、**ちゃんと結婚を考えてるの?」
娘「考えてる♪」
ガーーーン!(ショックのあまり家出(--;した覚えが。。(笑

娘は結婚。今では子供が2人(上の子に「gajiちゃんって結婚してないの?(プ」と言われたり。。5歳児ってほとんどババァに近い。。)

>それよりもっと実利的に考えたいんですよ。現行の婚姻制度というとき、実は「婚姻とは何ぞや」みたいな観念論が先にあるわけじゃないでしょう。そうじゃなくって親権とか相続権とか扶養とか保険とか年金とか、いろいろの権利義務関係の集積が、法制度としての実態ですよね。そこで保障されていることがらによる受益というものが婚姻当事者だれにとっても平等であるべきだ…というのが「法の平等」であると思う。

そういうことですね。
私のバヤイそういう諸々の制度からフリーでありたかったのでした。
現在、法制度外の個人を貫徹進行中です(受益も保障もウザイ^^)。

>そこでふと考えるに、「所帯を持って生計を営んでいる当事者が男女でなければダメ? 男どうしとか女どうしとかで所帯もって暮らしを営んでいる人たちは、男女の連れ合い用として保障されている法の受益者にはなれないの?」みたいなほうが、説得力を感じるんですけどね。

そうですね。けれど、私が不思議なのは、
(男女の結婚に関して)「そんなものは法的な制度として認めるべきではありません」とMさんはおっしゃっておられる(マジョリティだから?)。

しかるに、男女の結婚以外の結婚に関しては「法的な制度として認め」るべきだということなのでしょうか。。(マイノリティの権利として?)

要するに、法制度に保証され、その恩恵のもとに「愛」^^をはぐくみたいのカナ。。
仮にそうだとしたら、なんだかなぁ。。です。
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Re(5):相変わらずで嫌になるというかぁ
 芥屋  - 07/1/7(日) 18:54 -

引用なし
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   みなさま、あけましておめでとうございます。

>macskaさん:
>> なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。
>
>はい、だからそのように、定義の段階で不平等な扱いを「当たり前」とするような制度が法的にある場合、それは実質的に不平等であると言うわけです。
>
>もし「結婚」の定義が「男女が正式に夫婦になること」であってそれ以外に変化しようがないのであれば、そんなものは法的な制度として認めるべきではありません(私的あるいは文化的な儀式として祝うのは、もちろん自由です)。

んー、言いたいことは(理屈としては)わかるんですけど、私の言ってるのはそゆことでなくて…。もう少し具体的に説明します。漢語で「夫婦」といい和語で「めをと」というように、その言葉が男女のことを指してるわけですよ。だからこの言葉を動かしようがないのは、仕方がないんですって。

だから法制度での婚姻制度をいう場合に、いきなり観念でもって「婚姻とは何か」に切り込んで、理屈だけで「ほら、非対称だから不平等でしょう?差別でしょう?」みたいに言っても、神学論争になったり、無用の反発を買ったりするだけじゃないか思うんですよね。

それよりもっと実利的に考えたいんですよ。現行の婚姻制度というとき、実は「婚姻とは何ぞや」みたいな観念論が先にあるわけじゃないでしょう。そうじゃなくって親権とか相続権とか扶養とか保険とか年金とか、いろいろの権利義務関係の集積が、法制度としての実態ですよね。そこで保障されていることがらによる受益というものが婚姻当事者だれにとっても平等であるべきだ…というのが「法の平等」であると思う。

そこでふと考えるに、「所帯を持って生計を営んでいる当事者が男女でなければダメ? 男どうしとか女どうしとかで所帯もって暮らしを営んでいる人たちは、男女の連れ合い用として保障されている法の受益者にはなれないの?」みたいなほうが、説得力を感じるんですけどね。

だから、現行の関連諸法制による法利益にはどのようなものがあって、どのようなものが男女の配偶者関係だけではなく同性の配偶者関係にも適用されるべきだというのか(現行のもろもろの権利義務の中には、同性カップルにとっては「あぁ、その権利義務は同性愛者には関係ないので不要です」という項目もあるだろうし)、具体的な話を聞きたいな、と。事実上の所帯を持ってる同性カップルとしては、どういう法利益の受益が男女のカップル同様に望まれると言ってるのか、そういうゲンナマな話が求められるなぁ、と。


>純子さん:
>歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度というのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されていくんですよ。一種の婚姻擬制です。

発展拡大系というか、男女の夫婦にとって「夫婦に関する法律はこうあってほしい(こうあるべき)」といういろんなことがあって、その「現時点での最大公約数的な集積」が現行の関連諸法制ですよね。その中には同性の配偶関係者にとっても「これこれの権利義務の保証は私たちにも当てはまることなので、同じように適用してほしいことがらなんですけど…」というものが出てくると思うんですよ。あるいは同性の配偶関係者にとってのみ固有に発生する案件というものも出てくるかもしれない。「だから、そういう権利義務を明文化した法体系がほしいです」というのは、私も当然のことだと思います。
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Re(5):相変わらずで嫌になるというかぁ
 Josef  - 07/1/7(日) 18:25 -

引用なし
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   >>仮に、日本の法律において「結婚」「婚姻」が廃止され、その代わりに「同性婚」だけが法的に認められた制度となったとします。これは実質的に「結婚」と同じものだけれど、同性どうしのカップルにしか認められないとします。そうなった場合、異性愛者のうちのどれだけが「これもまた不平等とは言えない」と受け入れることができるでしょうか?

>そういう事態が、現実に発生するかどうか、ちょっと考えてみたらいいのに……(--)。こういう意見は、単なるへ理屈です。言葉の遊びとしては面白くても、現実感がないから大多数の良心の共感を呼ぶことはできないと思いますよ。

もしかするとそういう国家、いや部族や集団は単発的に存在したかもしれません。酋長が同性愛者で、同性愛者に特権を与え異性愛者を迫害する…。ただそういう部族は必然的に滅びざるをえず、歴史からは抹殺された…

まそういう想像はともかく、「結婚」とは男女がするものという了解があるから、この定義を国家権力が強引に変えるようなことはすべきではないでしょう。ただ、異性間であれば当然のごとく認められることが同性間では認められないことがいろいろあります。結婚という名称は別として、現在の結婚に準じた諸権利を同性愛者間にも認めるということはもっと真剣に検討されて良いのではないかと思います。
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Re(4):相変わらずで嫌になるというかぁ
 純子  - 07/1/7(日) 17:25 -

引用なし
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   >そうなったらまたその問題に取り組んでいけば良いわけで、何も変化をめざさない方が良いということにはなりません。

何か変化をめざすほうが良いということにもならない(^^)

ちなみに林道義さんのHPから、引用

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/arakawa1.html

>エ 数値目標を立てて男女の比率を同じにする方式は、その方法が適切な場合か否かについて、また性急な目標を立てることによる弊害や混乱が起こらないように、慎重に判断しなければならない。

ほらほら、例の荒川区の男女共同参画社会懇談会の件ですが、保守派の林道義さんも高橋史朗さんも、「慎重に判断せよ」で、「ポジティブ・アクションするな」とまでは言っていないわけですよ(^^)。

これに対して、「これはポジティブ・アクションの否定だ」とデマを流して批判運動を展開したのはフェミの「女性政策情報ネットワーク」の方たちの側でしてね。何だか、日本のフェミニストさんたちによれば、ポジティブ・アクションはどんなものでも無条件に全て正しいということみたいですよ(^^)。

「形式的平等」概念と「実質的平等」概念の相違がわかってないのはいったいどっちだ?

>そのコンセンサスというときに、わたしは「そのルールによって不利になる側が受け入れられるものかどうか」という点を重視します。

私は、むしろ共感(シンパシー)の問題かなとも思う。そのルールによって、多少、不利になったとしても、「そういう事情なら、まあ仕方がないか」と大多数の良心に思ってもらえるかどうか? 


あと、議論とはあまり関係ないけど、おまけ。

>例えば「なんで1対1のパートナーシップだけが特別な扱いを受けるのだ」とか

つまり、側室制度、妾制度、一夫多妻制を認めろと……(--)

>「なんで恋愛・性愛関係だけが特別な扱いを受けるのだ」

つまり、日本の伝統文化に鑑みれば、君臣関係、親子関係のほうが大切だと……(--)

こういう意見に対しては、ちっとは、「歴史というものを勉強しなよ」というよりないな。

macskaさんが芥屋さんに反論しているこれもそうで

>仮に、日本の法律において「結婚」「婚姻」が廃止され、その代わりに「同性婚」だけが法的に認められた制度となったとします。これは実質的に「結婚」と同じものだけれど、同性どうしのカップルにしか認められないとします。そうなった場合、異性愛者のうちのどれだけが「これもまた不平等とは言えない」と受け入れることができるでしょうか?

そういう事態が、現実に発生するかどうか、ちょっと考えてみたらいいのに……(--)。こういう意見は、単なるへ理屈です。言葉の遊びとしては面白くても、現実感がないから大多数の良心の共感を呼ぶことはできないと思いますよ。

 歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度というのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されていくんですよ。一種の婚姻擬制です。

そこらへんはウィキの「同性結婚」の「同性結婚の前史」の項目を読んでください。歴史マニアの私が、かなり力を入れて書きこんでいるから(^^)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A#.E3.83.81.E3.82.A7.E3.82.B3.E5.85.B1.E5.92.8C.E5.9B.BD

ちなみに、今、私が、知りたいのは、世界で最初に、「婚姻擬制として同性愛カップルにも婚姻を認めるべきだと言い出した人は誰か?」なんですが、誰かご存じでしたらご教授くださいませ。たぶん19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、誰かが言い出しっぺがいると思うんだけど、ひょっとしたらもっと前からいるのかな?
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Re(4):相変わらずで嫌になるというかぁ
 バジル二世  - 07/1/7(日) 16:36 -

引用なし
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   皆様、明けましておめでとうございます。

>そう。そして終わる必要はないのでしょう。

そしておっしゃるように「変える」ことを自己目的にするのは本末転倒になるということじゃないでしょうか。現状を「とにかく改革しなきゃ」という先生がいたりして、それで学校がよくなるかというとやはり違うような。子供とのかかわり合いを楽しんで工夫してというのがもっと大事かもしれません(どこぞの新聞の識者コラムの受け売りなんで読み捨ててください)。
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Re(3):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/6(土) 23:33 -

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   > つまり、こういうことですね。形式的平等を批判して、実質的な
> 平等をめざしある制度を改革したとします。すると、改革してで
> きあがった制度とは一つの「形式」だから、その制度によって実
> 現した「平等」は、新たな「形式的平等」になってしまう。する
> と、その制度によって解決できない新たな「実質的な差別」が生
> まれ、それを解決するために、新たな「実質的平等」がめざされる。

それは、そうなるかもしれませんし、新たな「実質的な差別」が妥当な区別だと社会全体によって(それによって不利な扱いを受ける人にも)受け入れられて問題とされないかもしれません。同性婚の問題であれば、例えば「なんで1対1のパートナーシップだけが特別な扱いを受けるのだ」とか「なんで恋愛・性愛関係だけが特別な扱いを受けるのだ」という批判が既にあります。

社会の何かを変えるということは、それがどんなに良い変化であっても、また別の問題を生み出す可能性はあるわけです。もちろんその危険性にはセンシティヴになるべきですし、それを予防するだけの努力も必要ですが、予想できない形で新たな問題が発生することだってあり得る。そうなったらまたその問題に取り組んでいけば良いわけで、何も変化をめざさない方が良いということにはなりません。

てゆーか、わたしは社会的公正というのは、何らかの終着点を設定してそこにめざして何かするというのではなく、いま自分がひしひしと感じている不公正や自分の目の前で起きている(あるいは目の前では起きていないけれど知ってしまった)不公正をなんとかしようと動き出すモノだと思っているのですが。

> この場合、「差別」と「形式的平等」と「実質的平等」の境界線を
> 決めているのは、その社会に公認されているコンセンサスでしょう。

そのコンセンサスというときに、わたしは「そのルールによって不利になる側が受け入れられるものかどうか」という点を重視します。つまり、もし同性愛者の誰も「結婚が異性愛カップルに限られていること」に不満を抱かないのであれば、ことさら問題とする必要はないと思っています。しかし現実は到底そうではないわけで。
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Re(4):相変わらずで嫌になるというかぁ
 macska  - 07/1/6(土) 23:21 -

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   > なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。

はい、だからそのように、定義の段階で不平等な扱いを「当たり前」とするような制度が法的にある場合、それは実質的に不平等であると言うわけです。

もし「結婚」の定義が「男女が正式に夫婦になること」であってそれ以外に変化しようがないのであれば、そんなものは法的な制度として認めるべきではありません(私的あるいは文化的な儀式として祝うのは、もちろん自由です)。

仮に、これが「実質的に不平等」な例ではないとした場合、次の例を考えてください。仮に、日本の法律において「結婚」「婚姻」が廃止され、その代わりに「同性婚」だけが法的に認められた制度となったとします。これは実質的に「結婚」と同じものだけれど、同性どうしのカップルにしか認められないとします。そうなった場合、異性愛者のうちのどれだけが「これもまた不平等とは言えない」と受け入れることができるでしょうか? そうなった時「しかし同性婚というのは定義上同性どうしのカップルだけに成り立つものだから、異性愛がそのルールの範疇外であるのは当たり前」と言う人が、はたしてどれだけいるでしょうか。
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Re(1):相変わらずで嫌になるというかぁ(II)
 macska  - 07/1/6(土) 23:12 -

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   > なぜmacskaさんが騒ぎ立てるのか理解に苦しみます。

全然騒ぎ立ててないし。

どうしてこんな感想がでてくるのか、それこそ理解に苦しむんですが。
まぁ、どんな馬鹿な感想を抱くのも自由といわれればそれまでです。
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Re(3):相変わらずで嫌になるというかぁ
 Josef  - 07/1/4(木) 14:00 -

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   皆様、あけましておめでとうございます。

>執着点なし、どうどうめぐりで、どこまでいっても終わらない(^^)

そう。そして終わる必要はないのでしょう。
制度に完成はない。完成形態から出発して思考と改革を始めるのが急進左翼そして全体主義ではないでしょうか。「ジェンダーフリー」でも「美しい国」でも、終着点が措定され、そこから逆算して現状を否定し改革を始めればいとも簡単に全体主義になります。人間理性への信頼は常に人間理性への懐疑を伴っていなければならないと思います。人間の思考は生身の人間を追い越すことはできないのですね。
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Re(2):相変わらずで嫌になるというかぁ
 純子  - 07/1/4(木) 2:42 -

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   芥屋さん、macskaさん、josefさん、バジル二世さん

みなさま、あけましておめでとうございます(^^)。

>macskaさん:

>「形式的か実質的かなんて主観の問題」はないよなぁ…

「形式的平等」と「実質的平等」の定義は、macskaさんの定義でも、いいのですが、その境界線をどこに置くのかは、主観によってズレますよ。

「たがいに非婚の男女は、お互いが近親者でなければ、当事者双方の同意で、任意に結婚してもよい」も「非婚の人間は、お互いが近親者でなければ、当事者双方の同意で、任意に結婚してもよい」も同じルールがすべての人に適用されているから、macskaさんの定義でいけば、どちらも「形式的な平等」です

つまり、こういうことですね。形式的平等を批判して、実質的な平等をめざしある制度を改革したとします。すると、改革してできあがった制度とは一つの「形式」だから、その制度によって実現した「平等」は、新たな「形式的平等」になってしまう。すると、その制度によって解決できない新たな「実質的な差別」が生まれ、それを解決するために、新たな「実質的平等」がめざされる。

執着点なし、どうどうめぐりで、どこまでいっても終わらない(^^)

この場合、「差別」と「形式的平等」と「実質的平等」の境界線を決めているのは、その社会に公認されているコンセンサスでしょう。

ただコンセンサスはその社会に属する人々のコンセンス(良心)の総和だから、個人の良心の自由を認める限り、個々の人間で、その境界線はズレるし、だからこそ保守派と革新派の間で、さかんに議論になったりもするわけです。
議論にならないのは、一部の権力者の良心が社会の全メンバーに強制されている専政的な社会だけでしょう。(^^)
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Re(3):相変わらずで嫌になるというかぁ
 芥屋  - 06/12/30(土) 0:09 -

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   >macskaさん:

返事が遅れました(忘年会続きで…)

>「形式的か実質的かなんて主観の問題」はないよなぁ…

そう言われたように感じたんですか。でもそれはニュアンスが違うなぁ。macskaさんとtpknさんによるセクハラのレクチャーと同じような意味で私は言ったのですが。

「それがセクハラであるかどうか、まずは訴える側の主観が大事」「それが客観的に見て本当にセクハラかどうかの確認も必要」というのは、「だって本人が嫌がってもいないのに、誰かが勝手に(客観的に)セクハラだと言えるわけないでしょ?」「本人の主観が大事だというのは訴えやすくするためのものでもあって、かといって訴えたら何でも主観どおりに認められるというわけでもないのも当然」ですよね。それを「セクハラとして成立するかどうかなんて主観の問題」とは言わないし、そのように言うのは誤りでしょう。

形式ばかりの平等だ…というのも、実際にはこのように不平等なんだと訴える側の主観抜きに、勝手に第三者が「客観的に」言えるようなことではありませんよね。逆に「いいや、既に平等じゃないか」という反論だって同じことだ…と私は書いたわけです。その一例としてmacskaさんが挙げた同性婚を取り上げましょう。macskaさんが挙げた二例のうち、「これくらい単純な例だとさすがにそれは差別的だとすぐ分かります」とした婚姻についてです。macskaさんは

>「誰でも任意の異性と同意の上で結婚できる」というルールは、異性愛者には都合が良いですがその他の人にとっては不利です。

としますが、そもそも「誰でも任意の異性と同意の上で結婚できる」という言い方はしないのではありませんか?この表現はあらかじめ「異性愛者には云々」という結論を内包した言い方であって、そのようなルール認識ではないはずです。

普通は「男女は誰でも任意の相手と正式に結婚できるべきだ」ということを言うはずです。なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。

したがって、「正式でなくて良いではないか(正式な夫婦という発想をやめてはどうか)」という婚姻制度廃止論がある一方で、「男どうし、女どうしでも正式に夫婦になれて良いではないか」が出てくるわけです。つまり、そうなると婚姻という概念そのものに変更を要求する主張なのですから(ここでは婚姻制度廃止論や同性婚論の是非は問いませんが)、これは「そのルールで謳われている平等が、実際には形式的なものにすぎない」という例としては不適切です。現在の「婚姻の平等(というか自由恋愛婚の公認)」が謳っているルールについて、同性愛がそのルールの範疇外であるのは当たり前であって、形式的か実質的かという問題ではありません。

「ある男女が、ただ恋仲なのではなく、同棲しているだけなのでもなく、正式な夫婦の仲である」が婚姻なのですから、「男女のカップル以外の全てのカップルに、正式な夫婦になれるように改めるべき」という主張は、結局のところ「男どうし、女どうしでも夫婦と言えるか」ということになるのであって、Josefさんが言うように、

>>「実質とは何ぞや」という議論を含めて、意見はしばしば分かれる。この水準で「主観」という言葉が使われているのです。

ということなんですよ。
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