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Re(3):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:13 -

引用なし
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   純子さん:
> いや、それは「性同一性障害者」の場合で、普通の男性が、スカートを
> はいて会社にいけないのは差別だと……。だから、性同一性障害と異性
> 装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこに
> いるんだって話ですね、これは……(^^)。

いますよ、知り合いに。

> 私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でし
> かありません。

ですから、わたしの考えた「差別の定義」は、ある意味では机上の空論なんです。

たしかに、スカートをはきたいという男性はごく少数でしょう。かれらが「堂々とスカートをはく権利を!」という主張を掲げて行動をしているという話も聞きません。だから、今の段階でことさらに「男性がスカートをはく権利」なんてものを考えなくても良いのではないか、程度にはわたしも思います。架空の「被害者」を代弁するという行為に何の興味もありません。それが、わたしは別に「男性がスカートをはく権利」を求めているわけではない、と既に言った理由です。もし少なくない男性たちが「堂々とスカートをはく権利が欲しい」と訴えるようになればわたしは多分それを支持するでしょうが、いまの時点でわたしが率先してそれを主張するつもりはない。

しかし今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。スカートをはいた男性というのはその極端な例でしかないわけで。

> むしろ、民の声としてあるのは、「女性がスカートを掃かされるのは差
> 別だ。動きにくい、うっとうしい」のほうじゃないですが?

そうですね。あるいは、化粧をしなければいけないとか。男性でも、スカートをはきたいという人はあまりいないでしょうが、どうして女性だけ髪型自由で男性の長髪は駄目なのか、程度の不満ならあるでしょう。そして、それらの規範に違反した人は、ただ単に白い目で見られるだけでは済まずに、さまざまな不利益を被るわけです。それらを指して「ジェンダーの規範による差別」と呼んでいるわけですが、どこかおかしいですか?

> 女性のスラックスはどんどん増えても、男性のスカートというのは、絶
> 対に、はやらない。男性がスカートを選べないのは抑圧だというのは、
> ジェンフリ派の妄想にすぎません。

別に流行らせたいわけじゃないですし、さらに言えば「男性がスカートをはけるような世の中にしよう」とよびかけてすらいません(もしスカートをはきたい男性がそう訴えるようになれば、応援しようと思いますが)。セクシズムに還元できない「ジェンダーの規範による差別」が世の中にはあると指摘しているだけです。
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Re(5):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 tpkn  - 06/10/5(木) 15:02 -

引用なし
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   macskaどん:


>次の「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」なんてわたしは言っていないし、

ひな祭り否定というテーマに関して、あなたは一貫して「証拠なし」「事実を捩じ曲げるような表記(記述)」という論調で対抗しています。その前提として、少なくともあなたはこの件に関して自分の認識が「事実」に近く、その判断に狂いはないと認識しているわけです。

対して、あなたに反論している側は、主に提示されたテクストの解釈について述べていて、それが「事実を捻じ曲げ」たものかどうかという論点はさして問題になっていません。もちろん、あなたがそう主張した場合は「そっちこそ事実をねじ曲げている」と反論することになりますが、それは二義的なものです。相手は、自分達の事実認識を前提とするのではなく、その事実認識の妥当性そのものを論じています。

ここに、メタレベルでのすれ違いがありますね。

また「自分と違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる」に関して言えば、下記のような記述がそれに当たるでしょう。

> そのような表記にすることの利点は何かあるでしょうか? それは、問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人にとって、ジェンダーフリー派がひな祭りそのものを否定しているかのように宣伝することでジェンダーフリーの評判を落とすための政治的な道具として役に立ついう事くらいでしょう。

相手の事実認識が自分とは違うことを、現実には存在しない動機を想定することで正当化しているわけですね。あなたの「徹底的にやりましょう」という呼びかけに応じてこれだけきちんと議論につきあっている人々が、なぜ「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」と同一視されなければならないのでしょう?

そこが良心のバイアスなんじゃないですか?

あなたは

> もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。

とも書いてますけども、それってあなたの認識する「事実」が正しいという前提の上でのみ成り立つ話であって、今はその前提の是非を議論しているわけですから、「わけが分かりません」じゃあただの思考停止でしょう。その矛盾を解消する解は、以下のいずれかです。

(1)tpknその他対論者は、実は「醜い政治」に賛同している。
(2)「醜い政治」の中にも、事実にもとづいた正当な批判がある。
(3)macskaの論こそが、実は「醜い政治」である。

我々が主張しているのは(2)ですが、あなたは(1)以外の可能性を考えることができないようです。
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Re(4):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 14:17 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 事実であるかどうかを、自分の良心に照らしちゃダメじゃないか。そん
> なことをするから、事実を事実として見る事ができなくなるんですよ。

> 「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではな
> いという判断に狂いはない」というのが独善でしかないことに気付かな
> くなるわけです。

あのー、おかしな絡み方はやめてください。

いいですか、わたしは「政治的な都合で事実を捩じ曲げたりはしていませんよ」と言っているだけなんです。しかも、無意識の範囲で政治的なものがわたしの判断に影響を与えている可能性はあると認めている。それだけのことなんですよ。

それだけのことなのに、「事実であるかどうかを、自分の良心に照らちゃダメじゃないか」と言われても、可能な限り「事実を事実として見る」ように努力するという意味でわたしは「自分の良心に照らした判断」だと呼んでいるんだから、イチャモンでしかないわけですよ。

次の「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」なんてわたしは言っていないし、そうした考え方が独善であることなんてあなたに言われるまでもなく当たり前の話。そんな当たり前の話をわたしが「気付いていない」と決めつけられて、しかもその根拠がわたしが一言も言っていないこと(「判断に狂いはない」)なんだから、もはや何と言い返せば良いのやら。「自分としては良心的にありのまま判断しているつもりだけど、判断に狂いはあるかもしれないよ」と堂々と言ってるというのに。

> それだけではない。自分はそのように良心に照らして公平に見て事実を
> 判断した。すると、その事実に反する意見を述べているものは、自分と
> 違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる…あなたの論調
> は、こうなってしまっているだろ?

なってないよ!

もっともここまでおかしな言いがかりをかけられると、もしかすると悪意があるんじゃないかとふと思わないでもないですが(笑)

> ファシストの検閲官も同様の良心に従って「事実かどうか」を決定した
> だろうからね。

こうして、相手の主張が何であれファシストにこじつけて中傷するわけですね。
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全体主義云々について
 Josef  - 06/10/5(木) 13:59 -

引用なし
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   雛祭りとか、命名や言葉遣いの男女差とか、副委員長云々等もすべて、パンフの挙げるリストは要するに「ジェンダー」ですね(もちろんパンフが言うところの「ジェンダー」です)。パンフがジェンダー総体に否定的であることは明らかで、それは芥屋さんも指摘しているし、macskaさんも同意しています。内容への賛否は別として、パンフの伝えるメッセージはとても明解で、誤解の余地はほとんどないと言っていいでしょう。

パンフによればジェンダーとは「社会的・文化的に形成された性別のこと」であり、ジェンダーにとらわれた見方がジェンダー・バイアスです。ジェンダーは「人々の多様性・可能性を制約する」ものです。そこで「ふり返ってみましょう」と「点検」が求められる。たとえば雛祭りを性別と無関係に行っていたら点検結果は「問題なし」、「女の子だから」という理由で行っていたら、それは「ジェンダー」だから「問題あり」。リストはそういう点検・チェックの役割を果たしています。

参考までに同じ日本女性学習財団作成の「クリアホルダー」なるものを見てみると、「今、なぜジェンダーフリーなの?」という問いにこう答えています。

>ジェンダーフリーとは、固定的な性役割分担意識にとらわれないこと、さらには社会的・文化的に形成された性別そのものの解消を意味します。これまでジェンダーは、男女の間にさまざまな不均衡や問題を生じさせてきました。人々が個人として尊重され、多様な個性を発揮した生き方を進めていくためには、ジェンダー・フリーな社会の形成や、意識の変革が重要です。ジェンダー・フリーとは、ジェンダーを気にしない、ということではありません。むしろ、生活の中に溶け込んでいて気づかずにいるジェンダーを発見し、これを解消していくことを目指すものです。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jawe2/publish/img/folder/gender2.jpg

これまた非常に明解で、件のパンフと方向性は同じです(同じ財団の発行物だから当たり前か)。ちなみにmacskaさんが引用していた宮台氏の「再帰性」をキーワードとするジェンダーフリー理解とは大きく異なっていることも分かります。ジェンダーを国家に喩えると、財団の言うジェンダーフリーは「国家は悪いものだから無くすべき」という大昔の左翼のレベルに止まっている。

国家を自然的所与のごとく無反省にそれに同一化するのではなく、かといって国家を悪として嫌悪したり否定したりするのでもなく、国家というものが現実世界の中で持っている、あるいは持ちうる機能・功罪を見極めながら意志的にそこに参与しより望ましい方向へと操縦しようとすることが「再帰」であるならば、そのような「再帰性」を軸にしたジェンダーフリーにはそれなりに考えてみる価値があるでしょう(エリート色ぷんぷんの憾みはありますが)。
しかし財団のパンフや上記クリアホルダーが言うような、言葉だけは新しいが発想においては何十年も前の古色蒼然たる体制解体論にすぎない「ジェンダーフリー」がかつての宗教否定・弾圧や紅衛兵を想起させてしまうのは仕方がありません。むろんジェンダーフリーはそんな「力」を持ってはいない。ゆえに、「全体主義」云々の言葉は対象を恐怖するのではなく対象の浅ましさを嗤う言葉として投げつけられるのです。
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Re(2):文字通りのヒステリー
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:58 -

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   macskaどん:

>> 私はあなたの書いた言葉がパンフの著者の主張を内包していることを説明
>> した上で、こうつなげるのが自然な論理展開であるとしました。
>
>内包していません。どうして「もしかすると思いつくことがあるかもしれない」という認識が、「ふりかえってみましょう」という呼びかけを内包すると言えるのでしょうか。

後者の呼びかけの妥当性を、あなたの認識の妥当性で説明しているからです。

>それはその通りですが、勝手に他者の主張と繋げて加工したものを「わたしの主張」であるかのように提示してはいけません。「ほれ見てご覧なさい」という記述は、見られる対象であるわたしがその主張をしている、と提示されたものでしょう?

あなたは「そういう主張は妥当だ」と主張しているのですから、あなたを相手とした議論の論理展開としてはさして不自然ではないでしょう。
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Re(6):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:39 -

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   macskaどん:

>「パンフがひな祭りを否定している」という文を読めば、普通の読者には「ひな祭りはけしからんとか、廃止すべきだと書かれている」と解釈するでしょう。しかし現実にそういうことは書かれていませんし、tpknさんの言う「ひな祭りの否定」というのもそういう意味ではないわけです。

いえ、おおまかにいって「ひな祭りはけしからん」で間違ってないと思いますよ。「廃止」に関しては、従来通りの祝い方をやめて「ジェンダーフリーに祝いましょう」ということであれば、もはやそれはひな祭りとは言えないのですから、ほとんど「廃止」ですね。

>もしこれを「黒ランドセル否定」「女の子の副委員長否定」と描写したとしたら、明らかに文意を歪曲していますね。だって、黒ランドセルが否定されたわけでも、女の子が副委員長になることを否定しているわけでもないんですから。

もちろんです。ですからバックラッシュの人々も「ひな祭り否定」とは言いますが「黒ランドセル否定」とは言いません。

なぜか。

黒ランドセルと副委員長の例示とひな祭りの違いは、事象そのものがジェンダーを内包しているかどうかにあります。ランドセル自体は色も含めて中立です。委員長もそうです。しかし、ひな祭りは、存在そのものがジェンダー的に中立ではありません。中立にしたらひな祭りではなくなってしまうからです。多くの人がひな祭りや鯉のぼりに反応したのは、そういう違いを直観的に読み取ったからでしょう。それは極めてまっとうな感覚だと思います。

したがって、これは「完全に間違い」でも「特殊な言葉遣い」でもありません。

ちなみに、ここはなぜか今まで見落としていた論点です。なぜひな祭りが反対派からとくにやり玉に挙げられたのか、合理的な説明をする機会を与えていただいたことに感謝します。


> もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。

うーむ。macskaさんは良心によって事実が見えなくなっているのではないかと推察いたします。

だいたい、こういう話をサヨクやフェミニストとこういう話をすると、おまえは政治のセンスがないなんて言われることが多いのですけども、それはまったくその通りであって、だからこそ事実が見えるという場合もあるわけですね。
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Re(1):【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁に...
 gaji  - 06/10/4(水) 20:05 -

引用なし
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   >tpknさん:
>ちょっと本筋から脱線してみます。
>
>macskaさん曰く:
>
>>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。
>
>そんな「価値観」、いったいどこにあるのでしょうか。私は、経験上、そういうものは存在しないと思います。個人的な経験で言えば、自分が中学高校の時の委員長は女の子である場合のほうが多かったし、個人的な経験を離れれば、たとえば1976年に連載が開始され約20年にわたって続いた石井いさみの『750ライダー』でも、ヒロインは女性である「委員長」です。そのことをおかしいと思ってる人など、ほとんど見たことありありません。


ていうか、パンフの例って古過ぎでしょう。。

--------------------------
1 立候補をつのる。・・・が誰も立候補しない。人気のある子はどうせ推薦されるから立候補しない。
2 そこで、「推薦」となる。待ってましたとばかりにお決まりの子が推薦される。やる気が合っても、推薦されない子にチャンスが来ない。
3 何人かが推薦され。(お互いに推薦のし合いをする児童もでる。また、いじめのターゲットになっている子をわざと推薦するようなクラスもでてくる)選挙や挙手で決める。結果、お決まりの子が当選する。
------------http://www.toss-qa.gr.jp/miniland/yuji/CLASSFAQ.HTM#a8より

アフォボン経由の話題では、学級委員にされることは、ある意味イジメの一環であったりした時期もあったそうです。


以下オチャラケ◆おまけ◆(このパンフの製作者はおそらく50代以降の方かもしれませんね。なぜって、時代がズレているというか例がどうにも古いというか、どこか自己投影気味。。)


>> 出産祝い:ピンク色の産着

孫が女の子だったのかも…。

>> 優しい、愛らしい名前:美咲、葵、優花、さくら

少し昔、”名づけの本”等に挙げられていた名前デツ(w
(いまどきのネーミング本はカナーリ凄まじいでしyo。。

>> ほめ言葉:おとなしい良い子、色白でやさしそう、愛嬌のある子

いまいち不自然。いまどきこううこと誰が言うのかな。。
これって、とってつけたようなお世辞言葉(このようなことを言う世代って、、

>> 節句祝い:ひな祭りのお雛様

孫が女の子だったからって、どうぢて節句祝いに「ひな祭りのお雛様」を購入せんとイケンの?

>> ぐずっていると「女の子は育てやすいはずなのに」

これって、
「女の子は育てやすいはずなのに」とお姑さんに言われたことだったりして、、。

>> プレゼントのおもちゃ:ままごとセット、お人形、お化粧セット

孫も幼児になり、誕生日には、、「ままごとセット」を要求され(w
「ままごとセット」って、万円台ナンデチ(泣

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Re(8):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:02 -

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   macskaどん:

>> したがって、「考えを変えることがあれば無効ではない」とも言えない。
>
>あの、有効無効というのは、パンフレットの目的について語った部分ではありませんよね。
>それをパンフレットの意義についての発言であるかのように引用するのはやめてください。

いえ、パンフレットにおける呼びかけの目的や意義について語った部分ですよ。

tp;このパンフは伝統的保守主義者には無効ではないか。
ma:でも伝統保持主義者でも何かの主張を読んで考えを変えるきっかけになる場合もあるので、呼びかけは無効とはいえない。
tp:つまり考えを変えたら「有効」ってことじゃん、やっぱり。
ma:パンフの「呼びかけ」と私が言った「呼びかけ」は別。
tp:(゚Д゚)ハァ? こういう流れなんだから別のわけないでしょうが。[06/10/3(火) 3:28]
ma;(沈黙)[06/10/3(火) 5:28]    

以上、やりとりの骨子を再現してみますた。

>> つまり、むしろあなたが「雛祭りの否定なんかどこにもなかった」と声
>> 高に言っても、それは実はなんの反論にもなってないんですよ。「全体
>> のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検
>> 証」しなければいけないんだから。
>
>そうした結果、ひな祭りを否定しているという解釈に何の根拠もないことが分かりましたが何か。

また…。「何の根拠もない」は明らかに言い過ぎ。少なくとも、あるテクストをめぐって解釈が対立しているのだから、「何の根拠もない」というような、テクスト自体が存在しないかのような言い方は不当でしょう。それこそ「×が重ねてある」を「=×」と書いたことの500倍ぐらい不当。あなた自身の論理によって、あなたは単なる「ウソつき」ということになります。

>> あなたがパンフの著者である必要などないでしょう。テクストをあなたが
>> どう解釈するのが妥当かという話なのですから。
>
>だから、自省を呼びかけるだけで具体的な指針は示していない文書である、というのがわたしの解釈なわけですよ。あえていうなら「子育てはジェンダーフリーで」を推奨しているわけですが、具体的にひな祭りをどうすれば良いのかといった話は一切書かれていません。

でもパンフ全体はgajiきんの指摘したように、「大人が変わらなければいけない」という趣旨です。そしてあなたは、このパンフがそういう啓蒙であるということを「否定したことはない」と言っている。

また、「具体的にひな祭りをどうすれば良いのか」については、それが書かれてないことが問題なのです。なぜなら、意味不明だから。私は、これは反語であるという論を提示していますが、あなたは例によってそこは無視しています。

>それじゃ呼びかけの意味がないではないかみたいに反論されていますが、呼びかけの意味があるかないかなんて、わたしにとっては全然関係ない問題ですから、そんなにそれが気になるならパンフの著者を問い詰めてくれと言いたいです。

であれば、あなたも勝手に「それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えている」などと著者を代弁するのをやめるべきでしょう。「○○とこのパンフは訴えている」の「○○」の部分が妥当か不当かを論じているわけですから、それがあなたにとって「全然関係ない問題」なのなら、バックラッシュの解釈を批判する資格なんてないと思いますけど。
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【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁について...
 tpkn  - 06/10/4(水) 19:13 -

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   ちょっと本筋から脱線してみます。

macskaさん曰く:

>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

そんな「価値観」、いったいどこにあるのでしょうか。私は、経験上、そういうものは存在しないと思います。個人的な経験で言えば、自分が中学高校の時の委員長は女の子である場合のほうが多かったし、個人的な経験を離れれば、たとえば1976年に連載が開始され約20年にわたって続いた石井いさみの『750ライダー』でも、ヒロインは女性である「委員長」です。そのことをおかしいと思ってる人など、ほとんど見たことありありません。


男女比がほぼ半々となる学校に於いては、委員長には女子でも男子でも普通になっています。むしろ、女子のほうが若干多いという印象すらあります。これが、世の中一般の「〜長」になると、確かに男性のほうが増えるのでしょうが、それは今の大人の社会自体がさまざまな事情から男性中心に構成されているということであって、それは男女差別にもかかわるでしょうから、それを問題にするのはわかります。でもそれは、「子供のときから植え付けられてきた価値観」などによるものではないでしょう。

つまり、

>このパンフは、明らかにそうした固定的なジェンダーステレオタイプの押し付けや決めつけに反対(押し付けや決めつけは望ましくない)の立場に立っています。

のではなくて、このパンフ自体が、大人の社会の固定的なジェンダーステレオタイプに縛られており、その呪縛に基づいた架空の「価値観」を捏造し、それを問題にするというヘンテコなことをやってるわけ。


「委員長問題」については、わけのわからないこと言うな、で終わりですね。
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Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/4(水) 18:10 -

引用なし
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   >macskaさん:
>芥屋さん

完璧、横レスですが、

杏野先生のブログより
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20061002

とうとう、日本もここまで来ちゃっいましたか……。

かくいう私も、戸籍は男のままで、スカートを掃いて仕事にいっているが…
とはいえ私はブルーカラーなんで、会社では制服の作業ズボンに着替えますが
まあ工場で、女子の制服をスカートにするバカな企業があるわけない……
機械に挟まったらどうする、てなもんです。
いや、それは「性同一性障害者」の場合で、普通の男性が、スカートをはいて会社にいけないのは差別だと……。だから、性同一性障害と異性装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこにいるんだって話ですね、これは……(^^)。

こういうのを架空の代弁といいます。抑圧者を架空に設定して、その代弁を行えば、どんな事象でも「差別」と称して詭弁をまくしたて反抗することが可能になる。私が、もっとも憎む思想といっていい。

性科学者と呼ばれる人が、「同性しか愛せない、同性愛者ってかわいそう」とか「男か女かわからない半陰陽者ってかわいいそう」と、架空の代弁をして、「電気ショックで女が好きにしてあげよう」「子供のうちに手術してあげよう」といって、いままでご先祖様たちをどんな目に遭わせてくれたか、もう忘れたか?


私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でしかありません。macsukaさんの言いたいことは、規範というものは、すべての人に同一ルールであるべきで、それ以外は個人の勝手と、理由がある例外規定があり、個人の勝手でなく、理由もないのが差別だ……。

という整理の仕方ですね。
だったら、税金は、人によって同一税額の人頭税がもっとも差別がない税金であるという理屈になる。いやそんなことはない同一ルールであるべきなので、人頭税か、同一税率であるか、累進課税であるかは、場合による。どれが公平なルールであるかは状況によって違ってくると反論するでしょう。

というのであれば、おなじことは、macskaさんのいう「ジェンダーによる差別」にも当てはまる。
「「ジェンダーに規範による差別」なのか「理由のある例外規定」なのかは、状況や見解によって変わってしまうんじゃないですか?

スカートを例に取りましょう

男性がスカートをはけないのが差別だとmacskaさんはいう。でも、これは男性は掃きたくとも、はけないんじゃなくて、掃かないんじゃないですか。
理由はただ一つ「動きにくいから……」

むしろ、民の声としてあるのは、「女性がスカートを掃かされるのは差別だ。動きにくい、うっとうしい」のほうじゃないですが?

これは服飾史の基本が頭に入っていると簡単にわかります。
基本的には服飾というのは古代の懸衣から→寛衣→窄衣と発達してきます。
懸衣というのは、古代エジプトとかギリシャキトンみたいに、一枚布を体に懸けてぐるっと巻き付けたけの衣服。日本だと弥生時代の貫頭衣がそうです。やがてローマ時代のローブや、日本の本袴・行灯袴のように、布を筒状に縫った寛衣が登場する。スカートというのは、この寛衣の名残です。

やがて騎馬民族から窄衣がつたわる。ズボンというのはこの窄衣です。両足が別々になっているのは、馬に跨るときには、そのほうが乗りやすいからです。

窄衣のように体にピタとフイットする服は、立体裁断が必要なため。作るのが難しいのですが、動きやすいので、戦闘服や作業衣として使われて洋服として定着していきます。日本の馬乗袴(剣道で使うやつ)、野袴(モンペ)や股引などがそうです。こっちのほうが動き易いわけです。

男性と女性で寛衣から窄衣への切り替わりにタイムラグがあるのは、封建時代には、馬に乗って戦闘するのが、男性だったからとか、女性のほうが、格式があっておしゃれな伝統的な衣類を好んだからとか、いろいろ説がありますが、まあ、自由とか平等という観念があまり普及してなく。人間がまだ身分制度に縛られていた中世での話です。

和服は基本的に寛衣なんですが、武士は、馬に乗るから、馬乗袴ですし、百姓町民は、仕事をするときは裾をからげて股引をはいてました、そのほうが動きやすいからです。それでも、女性の作業着として日本では野袴は使われてきましたし、大奥の警備をしていた別式女は、戦闘要員ですから袴を掃いていました。

現在、電車の中で観察すると、スカートをはいている女性は、少なくなりました。若い子はみんなジーンズです。そのほうが動きやすいからです。男性のスカートは皆無です。まあ、自由な時代になれば、カジュアルな空間では動きやすいものを選択するのが普通ですから、女性のスラックスはどんどん増えても、男性のスカートというのは、絶対に、はやらない。男性がスカートを選べないのは抑圧だというのは、ジェンフリ派の妄想にすぎません。

ただ、フォーマルな衣服、たとえば、よそ行きとか、接待など改まった衣服を着なくてはならない場では、古い伝統的な形式が踏襲されるので、女性がズボンを掃いていると、だらしないと言われることがある。しかしそういう場では男性もやはりフォーマルなスーツを着てないと「失礼」だと、評されますから、ある意味、平等です。それから、むちゃくちゃフォーマルな儀式の場では、男性も、古い古い古式である寛衣を着用する場合もあります。
神主さんの本袴、巫女さんの行灯袴と同じくスカートですし、ローマ法王がミサの時には、ローマ時代さながらの寛衣、スカートです。仏教のお坊さんにいたっては、袈裟ですから、寛衣を通りこして、懸衣だ、これは。儀礼の場では、2000年も前の古代の衣服がまだ残っているわけです。
スコットランドの軍楽隊がキルトにバグパイプなのも、軍礼装だからです。

ある、ジェンフリのパンフレットに、世界には男子がスカートをはく民族がいることを教えましょうと、キルトをはいてサッカーボールを蹴っているスコットランドの少年のイラストが書いてあったけど、「本袴を掃いて、蹴鞠をするバカがどこにいるか!」てなもんですね。

将来、ワールドカップで、スコットランドチームと対戦するときに「おまえんところじゃスカート掃いてサッカーやってるんだろう」なんて言おうものなら「わが民族をバカにするな!」と頭突きを喰らうに違いない。

まとめるとこうなります。

   カジュアル  よそ行き  礼服 厳礼服
男性 窄衣   窄衣    窄衣 寛衣
女性 窄衣   窄衣/寛衣 寛衣 寛衣

歴史的な事情で、女性ほうが、よそ行きレベルで、寛衣の形式が残っているわけです。しかし最近では、女性向けのパンツスーツも登場してきてます。服飾の歴史はプライベートな衣服がよそ行き化していく法則がありますから、女性が活動的になるにつれ、どんどん窄衣が右方向によっていくことになる。逆に、神主さんやローマ法王が儀式の時に着ている服が、男性のカジュアルファッションになるとは考えにくい。

女性が彼氏とのデートにスカートを選択するのは、そのほうが女らしいから(貫衣がよそ行きレベルで残っているのは女性だけだから、女らしさの象徴になる)という理由だけでなく、ある意味、彼氏を接待しているからという要素もある。ホステスさんがスカートを着用するのは、太股が見えるからというスケベな意味だけでなく、やはりお客さんを接待しているからという理由もある。受付嬢が……以下同文。
もし受付イケメンが選ばれるなら、やはりそれに相当するフォーマルな格好が要求されるわけで、こういうふうに視点を変えてみれば、これで男女は対等という見方もできるわけですね。

つまりmacskaさんの、ジェンダー規範による差別論は、もっともらしく見えるけど要は机上の空論なわけですね。
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Re(6):おっそろしい
 Josef  - 06/10/4(水) 16:56 -

引用なし
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   macskaさん

>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

はい、そこは最初から皆が一致しているということを踏まえて前稿を書いたつもりですが伝わってませんかね。要するにリストが示しているのは、こんなふうな決めつけや押しつけはやめようね、ってことです。だからリスト全体はネガティブな事例として掲載されているわけ。

上の副委員長のケースと同じで、雛祭りについても、女の子だからお雛様が当たり前で男の子なら鯉のぼりが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているのです。この訴えに従うなら、「女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で…」というような押しつけが良くないのと同様に、「女の子だから雛祭りが当たり前で…」というような押しつけは良くないのです。

>いったいどこで認識が違うのかよく分からないのだけれど、「パンフが伝統破壊の全体主義かどうか」という部分だけ何故か違うんですよねー。

もちろん違うのはリストの価値付けです。上のmacskaさんの文でも明らかなように、パンフが何を訴えているかという大筋においては最初から解釈の違いは存在していない。ところがmacskaさんはなぜかリストをパンフの訴えと関係づけるのを拒み、価値中立的なものとして読もうとしている。

そこで、「女の子だから雛祭り、という決めつけがネガティブに記載されている」「女の子だから副委員長という決めつけがネガティブに記載されている」といくら言っても、「雛祭り自体がダメだとは書いてない」「女の子が副委員長になること自体がダメだとは書いてない」の一点張りで(そこはみんな分かっているのに)、そこから一歩たりとも出ようとしないのがmacskaさん、という構図になってます。
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Re(4):おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/4(水) 14:34 -

引用なし
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   >macskaさん:
>そんな大ざっぱな中傷はしないでください。
>反論のしようがないし。

>そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、文字で描写した瞬間にその一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった。

あのさぁ、これまでの前々レスで私は確かに「2通りの解釈ができるのに一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった」という部分を読み取っていないよ。2通りの解釈って何なんですか?

そこのところがすごく分かりにくいわけですよ。まあそれでレスしてしまった私も軽率だったかもしれないが、私は私で、「=×」とすることが元の図版より強い意味をもつか、そうでないかの2通りの解釈間で議論が事実あったため、あなたが「読み手の感覚によって意味が変わってしまう記述はおかしい」と言っているのだと理解したんですが、そういう議論があった以上、そのように理解してしまうのを「誤読だ」と何回も責められねばならないほどのことなのですかね。

>あなたの投稿を削除した理由は既に述べたのですが納得いきませんでしたか?
>合理的理由であるようにわたしには覚えたけれどなぁ。
>
>それともあなたは、どんな理由があっても、自分のブログに付けられたコメントを削除してはいけないという意見の持ち主でしょうか?

こちらにお答えしてます。

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1024;id=keya1984
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Re(3):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 芥屋  - 06/10/4(水) 7:45 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> 自分の良心に照らして納得すれば同意だ?それまで批判をやめない?このファシストが。
>>
>> 照らし合わせるべきは、事実、だろうに。
>
>だから、自分の良心に照らして事実かどうか判断しているというわけで。

事実であるかどうかを、自分の良心に照らしちゃダメじゃないか。そんなことをするから、事実を事実として見る事ができなくなるんですよ。

>自分の良心を持ち出すことで何が言いたいかというと、要するに政治的に都合が悪いからといって事実から目を逸らしたりしていませんよ、と言っているわけですよ。

「自分にとって政治的に都合が良いか悪いかで判断しないのが、わたしの良心」というのは、自己の政論についての自負でしかない。「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」というのが独善でしかないことに気付かなくなるわけです。

それだけではない。自分はそのように良心に照らして公平に見て事実を判断した。すると、その事実に反する意見を述べているものは、自分と違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる…あなたの論調は、こうなってしまっているだろ?

>それなのに、どうしてこんな酷い解釈で罵倒されなければいけないのか。

ファシストの検閲官も同様の良心に従って「事実かどうか」を決定しただろうからね。

*他のレスはまた後で。
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Re(1):文字通りのヒステリー
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 6:00 -

引用なし
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   > 私はあなたの書いた言葉がパンフの著者の主張を内包していることを説明
> した上で、こうつなげるのが自然な論理展開であるとしました。

内包していません。どうして「もしかすると思いつくことがあるかもしれない」という認識が、「ふりかえってみましょう」という呼びかけを内包すると言えるのでしょうか。前者は単なる認識であり、それ自体後者のような政治的呼びかけを必然としませんよ。現に、わたしはそうした呼びかけを行なわない、とはっきり書いているわけですし。

> 「勝手に」かどうかと言えば、あなたの書いた文章の論理はあなたの手を
> すでに離れた独立した事象として存在するものですから、誰でも勝手に
> 扱っていいはずです。

それはその通りですが、勝手に他者の主張と繋げて加工したものを「わたしの主張」であるかのように提示してはいけません。「ほれ見てご覧なさい」という記述は、見られる対象であるわたしがその主張をしている、と提示されたものでしょう?
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Re(5):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:55 -

引用なし
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   tpknさん:
> もう何回もヒステリックに言うけどw、これはひな祭りの否定ですよ。
> おおまかに言って。

それがおおまかすぎるからこうして議論になってるんですよ。

パンフの表現に、誤解を受けるような要素があったかといえば、もちろんありました。
現に誤解している人がこれだけいるんですから。
しかし、それ以上に、あのパンフの内容を「ひな祭りの否定」と描写することは、誤解を招く表現です。

「パンフがひな祭りを否定している」という文を読めば、普通の読者には「ひな祭りはけしからんとか、廃止すべきだと書かれている」と解釈するでしょう。しかし現実にそういうことは書かれていませんし、tpknさんの言う「ひな祭りの否定」というのもそういう意味ではないわけです。

あのリストには、例えば男の子の「黒いランドセル」や女の子の「副委員長」という項目があります。しかし、「男の子に黒いランドセルを買い与える事」「女の子が副委員長になること」を否定しているのかというと、そんなわけではない。ページ全体を読めば、男の子だから黒いランドセルだと決めつけていませんか、女の子だから副委員長だと押しつけてはいませんか、という呼びかけが行なわれていると解釈できます。もしこれを「黒ランドセル否定」「女の子の副委員長否定」と描写したとしたら、明らかに文意を歪曲していますね。だって、黒ランドセルが否定されたわけでも、女の子が副委員長になることを否定しているわけでもないんですから。

ところが、「ひな祭り」に限ってのみ、それらとは違った特殊な解釈によって「ひな祭り否定」と描写しても良いとあなたは主張しているわけです。しかし、どうしてひな祭りに限ってそんな特殊な言葉遣いをするのか全く分からない。ランドセルや副委員長の例と並列に並べてあるのだから、黒ランドセルの項目が決して「黒ランドセル否定」ではなく、副委員長の項目が「女の子が副委員長になることの否定」ではあり得ないように、ひな祭りの項目を「ひな祭りの否定」と描写することは完全に間違いなのです。

このように、本来ならば「ひな祭りの否定」とは決して表記すべきではない内容なのに、そのような表記にすることの利点は何かあるでしょうか? それは、問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人にとって、ジェンダーフリー派がひな祭りそのものを否定しているかのように宣伝することでジェンダーフリーの評判を落とすための政治的な道具として役に立つという事くらいでしょう。もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。
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Re(7):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:39 -

引用なし
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   > したがって、「考えを変えることがあれば無効ではない」とも言えない。

あの、有効無効というのは、パンフレットの目的について語った部分ではありませんよね。
それをパンフレットの意義についての発言であるかのように引用するのはやめてください。

> つまり、むしろあなたが「雛祭りの否定なんかどこにもなかった」と声
> 高に言っても、それは実はなんの反論にもなってないんですよ。「全体
> のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検
> 証」しなければいけないんだから。

そうした結果、ひな祭りを否定しているという解釈に何の根拠もないことが分かりましたが何か。

>>> だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たと
>>> えばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明
>>> することができないわけです。
>>
>> だって、わたしはパンフの著者でもないし、そういう呼びかけに賛成しているわけでもないもの。
>
> あなたがパンフの著者である必要などないでしょう。テクストをあなたが
> どう解釈するのが妥当かという話なのですから。

だから、自省を呼びかけるだけで具体的な指針は示していない文書である、というのがわたしの解釈なわけですよ。あえていうなら「子育てはジェンダーフリーで」を推奨しているわけですが、具体的にひな祭りをどうすれば良いのかといった話は一切書かれていません。

それじゃ呼びかけの意味がないではないかみたいに反論されていますが、呼びかけの意味があるかないかなんて、わたしにとっては全然関係ない問題ですから、そんなにそれが気になるならパンフの著者を問い詰めてくれと言いたいです。

> あなたに「聞かれて困る」ことは、他の人が聞かれても困るんじゃないで
> すかね?常識的に考えて。なんでそんなものが、有用になったり有効に
> なったりすると思えるわけ?

いいですか、人は誰でも日々あまり考えることなく様々な決断を下しているわけですね。そうした無意識の決断や行為について、振り返ってその意義を確認したり、他の可能性を考えることは、全く無駄ではありません。わたしは、このパンフにはその程度の効用はあると思っています。現実に「子育てはジェンダーフリーで」という呼びかけが功を奏するかどうかについては、あんまりそういう効果はないんじゃないかと思いますが。
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Re(2):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:25 -

引用なし
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   > 自分の良心に照らして納得すれば同意だ?それまで批判をやめない?このファシストが。
>
> 照らし合わせるべきは、事実、だろうに。

だから、自分の良心に照らして事実かどうか判断しているというわけで。
自分の良心を持ち出すことで何が言いたいかというと、要するに政治的に都合が悪いからといって事実から目を逸らしたりしていませんよ、と言っているわけですよ。それなのに、どうしてこんな酷い解釈で罵倒されなければいけないのか。
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Re(1):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:23 -

引用なし
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   >Josefさん:
>以下の投稿、名宛人が違っていますよ。

ごめんなさい。別のところで下書きしてカット&ペーストしているのですが、その前に書いた記事の宛て先が残っていたようです。
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Re(5):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:21 -

引用なし
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   > macskaさんはリストアップされた個々の項目にはポジティブもネガ
> ティブもないと言う。仮にそうなら、「女の子だから副委員長(委
> 員長は男の子)」というふうな「決めつけ」もネガティプに記載さ
> れているわけではなく、結局、リストアップされた事例及びこれに
> 類する様々な事例の一つ一つについて、決めつけようが押しつけよ
> うが、決めつけまいが押しつけまいが、皆さんどうぞご勝手に、と
> パンフは言っていることになる。

ちょっと待った。
「ひな祭り」が出てくるリストにおいて、「女の子だから副委員長」とは書かれていません。書かれているのは、「係り・役割」という欄に、「副委員長、会計、図書、保健、美化、給食当番は配膳」と書かれているのみです。男の子の側には「委員長、運営、体育、給食当番は運搬」と書かれています。

さて、この記述は女の子が副委員長になること自体を否定しているのでしょうか? 男の子が委員長になってはいけないという意味でしょうか? もちろんそうじゃありませんね。

女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

このパンフは、明らかにそうした固定的なジェンダーステレオタイプの押し付けや決めつけに反対(押し付けや決めつけは望ましくない)の立場に立っています。しかし、女の子がひな祭りを祝うことや、副委員長になること自体が悪いという解釈は明らかにおかしい。ですから、わたしはこれらの項目の1つ1つがポジティヴとかネガティヴなのではなく、それらの押し付けや決めつけが問題とされているのだ、と指摘しているのです。

いったいどこで認識が違うのかよく分からないのだけれど、「パンフが伝統破壊の全体主義かどうか」という部分だけ何故か違うんですよねー。
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Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:06 -

引用なし
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   > 日本でも、もし私が知人の結婚式で「え?教会で?賛美歌なんか
> 歌えませんよ」とか「禅宗のお葬式?うちは浄土宗だから宗派が
> 違って唱えるものも違うんだけど、困ったな」とか言ったら顰蹙
> ものです。

そうですが、会社で毎朝キリスト教のお祈りをするように強要されたら、その会社がキリスト教関連会社でもない限り問題でしょう。ところが現実に、化粧品のモデルとして採用されたわけでもないのに、毎日化粧をするよう強要されている労働者がいるわけです。

> アメリカの大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓しても、アメリ
> カ国民が全てキリスト教を信仰するよう強制されているのではな
> い。そういったことと同じでしょう。

はい、だから社長が「俺は男だからスカートは絶対履かないぞ」という信念の持ち主でも、まったく構わないわけですよ。社員に同じ信念を持つよう強要しなければね。

> で、一体、何で私は議論中にこんなことを申告せにゃいかんのだ?
> 相手の内心を問題にしているわけじゃない…と言いつつ勝手に私の
> 内心の男女観を決め付けられて、すごく心外だから「違う」と言わ
> なくちゃいけないはめになったが、何の尋問なんだこれは。

例えばの話なんだから、別にあなたの考えを決めつけたわけじゃないですよ。
「例えばあなたが」じゃなくて「例えばAさんという人が」でも全く意味は同じです。

> 私の見解が、いつ、どこで、誰の何の権利を侵害しているんですか。

だから、「例えばあなたがこうしたとしたら、問題ですよ」と例え話をしているんだってば。

「そんな例えを言われるのは不快だ」というなら謝りますが、わたしはあなたがそういう男女観の持ち主であるとか、そういう権利侵害をする人だと思っているわけではなく、本当にただの例えで「仮にあなたがこういう男女観の持ち主であったとして、こういう行為ならばあなたの自由だけれど、こういう行為は権利侵害に当たる」と説明しているだけなのです。
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