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Re(2):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:53 -

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   macskaどん:

>第三者が「tpknさんがヒステリックに『全体主義』を叫ぶのは、フェミニストが『ジェンダーフリー』をヒステリックに叫んだことに対する反動なんだから、理解してあげようよ」と言うなら「そうだね」と思わないでもないですが、本人自ら「自分がヒステリックに騒いでいるのは、他者のヒステリーに対する反動である」と言われてもなぁ(笑) 結局、自分の言論はヒステリックなサヨク・ジェンフリ派と同じレベルだと言っているようなものじゃないですか。

ええ。「基本のき」が「ヒステリックなサヨク・ジェンフリ派」だと認めるなら、同じレベルだと認めるにやぶさかではありませんよ。これだけしつこく論駁してたら、「ヒステリック」と形容されることもあるかもしれないとは思いますから。

ただしそれは文字通り「反動」なのですから、おおもとの動きがあるわけです。それがなければ、こんなことにいろんな人が労力を使う必要など最初から生じてない。そういう観点を抜きに、批判勢力だけを「ヒステリック」と言おうとしても、そううまく行くわけないじゃないですかw

>> 「日本のフェミニズムはヒステリックにジェンダーフリーを叫
>> んだ」という歴史的事実をまず認めてから言わないと、お話に
>> ならないです。
>
>フェミニズム全体じゃないですが、フェミニストの中にヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ人がいたのは事実でしょう。そんなの認めるも何も、当たり前の認識でしょうが。

これまでのmacskaさんの論調だと、もちろんそれは「当たり前の認識」なのだと思っていたのですが、「基本のき」が有用とか言い出すにいたって、その考えは改めねばならぬのではないかと思い始めている、ということですね。「ヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ」というのは、行政を通じてこういう下らないパンフをつくって雛祭りさえ否定しようとした、ことを指します。

ところが、あなたはそれを妄想だと言う。そして、約100回目の議論が行われている。

この現状をもって、何が「当たり前の認識」ですか。あなたと私の間ではメチャメチャ食い違っているではないか。そういう小手先のごまかしみたいなのはやめてくださいな。

>いかに「フェミニズムのヒステリックに対する、ヒステリックな反動」であったとしても、妄想は妄想ですよ。妄想だからとバカにするのではなく、どうしてそういう妄想及びヒステリアが生じるのかを考えるべきだというなら、それには同意します。

「反動」なんだから、おおもとの動きがよほどひどかったと考えるのが妥当でしょう。むしろ雛祭りや鯉のぼりなんてのは事実に即しているほうで、それすら「妄想」ということにしたい、拭いがたい党派性が、あなたの中にもあるわけですね。
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Re(3):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 4:51 -

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   Josef さん:
> それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと
> 決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点につ
> いてはおそらく皆が一致しているということです。

そうでしたか、だったらそれで了解です。「ひな祭り=×」という記述は、それ以外の解釈を読者に強いるものではないかと思ったのですが、それは誤解であり図のそのままの意味を伝えようとして図にはなかったイコールのシンボルを書き入れてしまったということなんですね。それなら、わたしの批判は取り下げます。
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Re(6):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:36 -

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   macskaどん

>芥屋さん:
>> いいえ、捻じ曲げてません。
>
>じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意味なんですか?
>
>「もしかしたら思い当たることがあるのではないか」と言ったのはわたしです。しかしわたしは「やってる人は自省してみたら?」とは言っていません。それはパンフの著者が書いていることです。わたしの意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということは、どのように解釈すればいいのか。わたしの意見がパンフ著者のそれと同一であるというように捩じ曲げているのでなければ、どのような説明ができるのか見てみたいものです。

では教えてあげます。

自省せずに「思い当たることがある」状態とはどのような状態でしょうか。そういう状況は論理的に想定できないです。思い当たるためには、自省が必ず必要です。というか、思い当たるって、自省の結果ですよ。

そして、あなたは「思い当たること」もあるかもしれないから、パンフの言う「自省してみたら?」は有用だと言っています。したがって、あなたの《意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということ》が、この場合もっとも自然な論理展開です。
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Re(8):パラノイア
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:17 -

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   macskaさん:

>まぁ、それにしてもパンフが1つあったというだけの話です。ついでに日本女性学会の例を含めても、パンフが1つと民間団体のウェブサイトが1つだけ。

だからこういう場合に「なんだか極端にそれ(雛祭り)ばかりにこだわっておられるようなので」と言いたくなるわけですよ。合計二つあったのなら、あなたは「ただの一つも実例はない」なんて言葉を撤回しなければいけないわけです。

それに、雛祭り問題で使った批判は、そのまま他の項目にも当てはまるわけです。あなたが、「雛祭りの例はあるのか!」と問うから雛祭りの話をしているだけであって、こちらにとっては実はそんな話など枝葉でしかない。ランドセルにしろ命名にしろ服の色にしろ、全部雛祭りや鯉のぼりを問題とするのと同じ意味で問題なわけですよ。

>ちなみに日本女性学会のあのくだらないウェブサイトに年間維持費が10万円以上かかっているらしくて、それ自体なんとかしろと言いたいです。著名な女性学者の某教授は「リンクをクリック」という概念が理解できないそうですし、その程度のネットリテラシーだからあんな迷惑なページを恥ずかしげもなく掲載していられるのでしょう。

というようなのも、もはやアリバイづくりの言い訳にしか聞こえない。フェミ同士の悪口など興味はないし、いくら迷惑がっても、もはやあなたの議論は、それがポーズでしかないことを物語っているというしかない。しょせんは同じ穴のムジナじゃないですかw

いや、でもたぶん本当は、違うんじゃないかとまだ思っていますよ。だけど、「意固地になってんなー」で放置することは、私の中の男性ジェンダーが許さないわけですw
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Re(3):「×」について
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:03 -

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   macskaさん

>しかし、対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかないわけです。わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。他に方法が全くないならともかく、「絵の背景に×が描かれている」のように文章で説明するという方法があったわけですから。その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができるでしょう?

これもすでに二回ほど指摘してありますけど、同じ投稿で元の図を示してあるのですから、「その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができる」なんて反論は意味をなさないの。想像して文章から読み取る前に、リンク先の絵を見ればいいわけですから。

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=667;id=keya1984

あなたはこの投稿を読んで「ウソつき。イコールサインが描かれてません」と言ったのです。私が図を提示したからこそ、その実際の図と私の説明を読み比べたからこそ「ウソつき」なんてことを言うことができたわけ。なのに、いつから「元の絵がどういうものであったか想像」できないなんて話になってるのですか? これこそ事実と文脈の改竄でしょう。

つまり、これは完全な揚げ足取りです。こんな無駄なやりとりは一刻も早くやめにしてもらえませんか。

というか、×の重ね描きのほうが意味が強いということを主張するにあたって、私は世界のどこにでもありふれた交通標識の例を挙げてあるわけだから、「対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかない」なんてことを、なんでいとも簡単に言えるわけ? 

たとえば《「赤は禁止・警告を表す」というのも、また個人の感覚でしかない》みたいなことをあなたが言えば、この人はどこか別の世界から来た人だという解釈は成り立ちます。その場合、赤を見てもそう思わないのは、こちらの世界では「あなた個人の感覚でしかない」。しかし、赤を見て警告や禁止をイメージするのは、我々個人の感覚ではありません。社会的コードのひとつです。

そもそもそれが「個人の感覚でしかない」のなら、雛祭り、名付けの傾向、ランドセルや服の色、全部「個人の感覚でしかない」ことになり、既存ジェンダーの再生産というあなたの説(しかもそれ自体にはこちらも反対などしていない)が、根底から崩れ去るではないか。

とにかくあなたはこの問題に関して、もうスミからスミまで徹底的にダブスタですよ。
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Re(4):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/3(火) 3:28 -

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   macskaどん

> わたし個人がどう自省するかですか?

違います。《「自省」する場合があるとしたらどういう場合か?》とお尋ねしております。

> わたしはジェンダーフリーとは関係なくそもそもひな祭りを祝う慣習がないので、その項目によって何かを自省することはないでしょう。現実にひな祭りを祝う家庭では、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが。

その想像の内容をお尋ねしているのですけど。

「あるとしたらどういう場合か」と、仮定形になっているのは、そういう意味です。現実のあなたが実際に何を自省するかなんてことには、ここでは話題になっていません。雛祭りを祝う習慣があるかないかなんて、全然関係のない話。

結局のところ、「自省」の内容については、あなたには想像もつかないって話じゃないの。


> tpkn さんに質問ですが、「基本のき」からひな祭り・鯉のぼりの項目を取り除いたら、あとはOK(あるいは、批判があるにしても別の批判になる)ですか? わたしはひな祭り・鯉のぼりの項目にそれほど大きな意味を見いだしてはいないのですが、なんだか極端にそればかりにこだわっておられるようなので

あのですね。それについては、私は前回も今回も議論の中でちゃんと明言してます。あのリストはほとんど全部おかしい。あなたは2回ほど無視したけど、いろんな自治体がやってたジェンダーチェックと、それが404になって証拠が消えてる例を示しているでしょ。それらに対する批判の骨子は、雛祭りの例示に対するものと同じです。

ところがそのおかしさについて全体的に論じようとすると、あなたは「今は雛祭りの否定があったかどうかという話だ」といい、ならばと雛祭りを焦点に論じようとすると「雛祭りだけをとりあげてどうこう言うな」と言う(カギカッコ内は発言の引用じゃないですよ、大意ね)。したがって、「極端にそればかりにこだわっておられる」というのはmacska風に言えば《単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤回してください》。

> わたしから見ると、「基本のき」の記述は「ウザイ」レベルの話なので、それを文化大革命だとか全体主義のようにさも大層なことであるかのようにでっち上げている側の方が、自分たちの思想を押しつけているように見えます。

私たちが押しつけている「自分達の思想」とは何思想ですか?「文化大革命なんかイヤだ」思想? あるいはアンチ全体主義? 「行政や政治思想は個人の内心に立ち入るな」という個人主義にもとづいた主張をすれば、それは何かに対する「押しつけ」になるのですか? どちらもそれ自体は押しつけとは言えないし、他者の自由や権利を侵害しないという意味では、さほど問題があるとは思えませんけど。

> そもそも、そんなに気軽に「でっち上げ」という言葉をあなたが使うのであれば、わたしがバックラッシュ勢力の主張が「デマや誇張である」と言ったことをどうしてそんなに問題視するのか分かりません。ジェンフリのパンフなんて読まなければそれで済む話だし、せいぜいウザイ行政パンフができて税金と資源の無駄遣い程度の問題でしかないでしょ。

だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たとえばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明することができないわけです。曰く「本人が勝手に反省すればよい」「私は雛祭りしないのでわからん」。もちろん、私もそんなことは各自が勝手にやればよいと思うし、雛祭りの何を問題にしているのか全然「わからん」。ということは、雛祭りや鯉のぼりには、ジェンダーと子育てというトピックでやりだまに挙げて自省しなければならない要素など実は何もないということです。何もないのに、さも何か問題があるように「問い直しましょう」「自省しましょう」と呼びかけるのが、デッチアゲまたはマッチポンプでなくてなんでしょうか。火のないところに無理やり煙を立てる、そういうことでしょうに。

あなたが「デマや誇張である」とした部分には、デマではなく誇張ではないものがたくさん混じっています。そりゃ林道義あたりが「ジェンダーフリーは悪魔の共産主義思想だ」なんて言えば、大げさなと言いますよ、私も。ブルマーがなくなったのはフェミの陰謀だ、とかもデマでしょう(笑)。しかし、ジェンダーフリーは雛祭りや鯉のぼりを実際に問題にしたし、それと同じ論法でランドセルの色だの名簿の男女順だのといった表層ばかりを「チェック」し、それを既存のジェンダーにとらわれているものだとして否定しようとしてきたわけです。だから雛祭りを否定しようとしたというのはデマでも誇張でも何でもない。これがその証拠だとあなたにつきつけても、「そのパンフは何も言ってない」「自省するには有用」という、支離滅裂な答えが返ってくるだけではないですか。

「読まなければそれですむ話」なんかではないのは、こういうパンフによってヘンテコなジェンダーフリー思想を植え付けられた、たとえばxanthippeみたいなタイプのオバハンがいろんなところに発生していて、他人の権利を侵害する活動にやっきになっていることでも明らかです。読まないで、知らないでいたら、それこそいつの間にか「あなたが子供に黒いランドセルを買うのは差別の再生産です」なんてことにすらなりかねない。

> それで弊害がないという立場に立てば、そうでしょうね。しかしパンフの著者は、育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、「振り返ってみましょう」と呼びかけるくらいは不自然ではありません。

またここで雛祭りを離れて一般論に逃げる…。雛祭りや鯉のぼりや女の子らしい名前は、はたしてその「無意識の強要」となりうるのですか? その程度の「強要」は許容されてると言ってませんでしたっけ? 違うのだとしたら、どういう「押しつけ」なら許容で、どういうものならダメなのです? ジェンダーにまつわるものだけは、どんな小さな「強要」も許さないということでしょうか。

そんなこと言ってるから、異常な思想と言われるんですよ。


> ですから、「弊害がない」という立場の人が、パンフは前提が間違っているから問題であるとか、合理的根拠を欠いていると批判するならご自由にどうぞ。しかし、ある人から見て「合理的でない」からといって全体主義的であるという評価まではかなり距離があります。

全体主義的であるという評価は「合理的でない」ことに対してなされているのではありません。その合理的でない考えによって、個人の内心に立ち入ろうとすることをもって、全体主義的(思想統制的)と言ってるわけです。だいたい、「合理的でないから全体主義だ」なんて支離滅裂な主張、私は一回もしてないでしょ。いや、むしろ「合理的すぎて全体主義だ」というのが「文化大革命」という批判の底に流れる意識じゃないですかね。

> どこが揚げ足取りかというと、わたしは「パンフの呼びかけは、伝統主義者ではなく無意識にジェンダーの規範を再生産している親に向かって、一度意識的に考えてみましょうと呼びかけるものだ」と主張しています。そのうえで、意識的に伝統主義を選択した人たちに向かって「考えを改める」ような呼びかけも、「どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はある」から無効ではない、と書きました。
>
> この書き方から明らかなように、わたしが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」と、後半に出てくる「呼びかけ」は、内容が全然違うのです。後者の呼びかけは「ジェンダー観の変化」を目的としていますが、前者はそうではありません。そして、後者についてはよほどの事情がない限り行政がすることではないと書いている。このように目的が違う2つの「呼びかけ」を、あなたは混同しています。

むちゃくちゃですね。これこそ絵に描いたような詭弁でしょう。「パンフの真意」として説明している呼びかけと、後半の「呼びかけ」の内容が違うのだとしたら、それは単にあなたが意図的に論点をズラそうとしたというだけの話です。だって、後半で「そういう呼びかけ」として言及されているのは、あなたが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」のことですよ。でなければ、「そういう」という限定が意味をなさないでしょうが。

だいいち、あなたはこのパンフは「考えを改めろ」とは言ってないとずっと主張してきたのだから、後半の「呼びかけ」が、《「考えを改める」ような呼びかけ》なのであれば、それはすでにパンフとは何の関係もない話でしょうが。少なくとも、私は「パンフの呼びかけ」は伝統保持主義者には何の効力もないではないか、とあなたに問いかけたのです。その答えとして言及されるべき「呼びかけ」が、なぜ突然《「ジェンダー観の変化」を目的と》したものに変わっちゃうのですか? 

それは、あなたが「呼びかけ」を、何の断りもなく勝手に「主張」と言いかえていることによって生じた誤謬でしょうが。それまでさんざん「このパンフは何も主張していない」と言っていたけども、こういうところでポロッと本音が出たというわけです。

> この部分は単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤回してください。

馬鹿なことを言ってはいけません。上のようなすり替えと詭弁が、意識的になされたものなのだとしたら、本当にあなたはどうしようもない不誠実な論者だと言うしかありません。

この詭弁に至った流れを芥屋スタイルでまとめておきますよ。

--------------------------------------------------------
ma:あらかじめ考えを尽くして決定した人にはそんな呼びかけは必要ない

tp:であれば、親が伝統保持主義者(あらかじめ考えを尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要ない」ということになる

ma:どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無効ではない

tp:要するに伝統的保持主義者がその呼びかけに従って「考えを改め」たら、その呼びかけは「有効」だったということでしょう?

ma:わたしが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」と、後半に出てくる「呼びかけ」は、内容が全然違う
--------------------------------------------------------

「全然違う」わけないでしょうが。

それはあなたの都合によって「違う」ことにしないと困るというだけの話であって、上の流れで言及されている「(この)(そういう)(その)呼びかけ」は、全部同じものです。それが「違う」ことになったのは、あなたが「何も指図していない」と言ってきたこのパンフの「呼びかけ」を、「主張」と言いかえたところからです。

まとめると、あなたはこのパンフの呼びかけを、「とくに何も考えてない人には必要、あらかじめ考えをつくしている人には必要ない、でもそういう人が考えを変えたら無効ではない」と言ってるわけ。足揚げまくりですけど。


> 思想を持つ人、というのはもちろん自分も含めて言っているので、天唾ではないでしょう。

「自分も含めて」なんてのは口だけだと判断するしかないでしょう、こういう状況では。


> パンフは「既存のジェンダー観」そのものが駄目だとは書いていないですし、あんなパンフが圧力だというのもバカらしいです。「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。一昔前のサヨクじゃあるまいし、どうしてそう極端な表現をしなくちゃ気が済まないのかなぁ。

だから「実害」なんてどこにも書いてないでしょ? いや、もちろん実害はいろんなところで生まれてますけど、いったい何をもって実害とするのかという話をするのがめんどくさいからその論点は避けてるだけです。「実害がなければいい」なんて、それこそ批判という行為の意味をすべて無化する暴論でしょう。
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Re(10):美意識の問題化(ホンネとタテマエ)
 芥屋  - 06/10/2(月) 18:03 -

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   >なるほど、しかしそれはわたしの戦略とはかなり違います。わたしの定義に代わる新たな定義も必要になると思いますが、何か原案はあるでしょうか?

私は(狭義の)運動戦略といったことはわかりかねるし距離を置いているので、もしも既述のとおりのリスクを覚悟で、なおかつ現在の問題提起を維持するのであれば、こう考えます。まず、あの定義は維持すべきです。これは制度改革論としての差別論として。もう一つは、制度未満の差別意識に関する表現方法を模索されることではなかろうか、と。

そこで、職場の話が出ました。ここで、日本人の「仕事」に関する強烈な意識の持ちように目を向けてはいかがでしょうか。そして、ホンネとタテマエの社会であるということ。それを具体的に言いましょう。

日本人は「仕事の場」について、「仕事の出来不出来をこそ見るべきだ」「仕事の出来ないやつが色をつけられて引き立てられるのは納得いかん」という意識が強烈に強い。しかしこの意識はタテマエとしての意識化された強烈さです。ホンネでは、必ずしもそうはならないが、これは意識レベルでは抑圧されています。

そういう場であるからこそ、片方では「男らしさ女らしさ」を評価の基準にしないという気風を生む。「男らしさ」と「仕事が出来る」とは、たまたま一致することもあるけど本来は別の評価です。仕事が出来れば男らしくなくてもいいんですよ、職場ではね。すると、ここで「いや、ちょっと待って。男の人はそうだったかもしれないけど、女の扱われ方はそうだった?」と思われるでしょう。そのとおりです。ここがホンネの出ていたところですね。「若くて可愛い女の子だったらいんだよ。職場の花だからネ」というヒヒオヤヂ的な感覚ですね。

ところが、まがいなりにも女性運動の実ったケースの最大の理由が、「職場って、そういうところじゃないでしょう?」という訴え方だったわけです。「仕事の出来不出来じゃなかったの?仕事は花を競い色気で判断するものなの?」「女は仕事ができないの?仕事が出来ないから花なの?」「で、花を競い出世するコースがあったの?飾り物でしかないでしょ?」というようなもの。これはね、タテマエを重視する社会で、強烈かつ抗弁できない訴えだったわけです。

すると、「職場はお洒落を競い、お洒落で自己主張するところじゃないだろ」という規範意識は強化されているわけですよ。そこにセクマイの訴えの利害とは、必ずしも既存の女性運動の利害とが一致しない大きな溝が出てくるんじゃないでしょうか。macskaさん一人にどうこうできる話ではないんですが、少なくとも日本では「らしさの規範」という問題提起は、完全に誤爆です。

男らしさであれ女らしさであれ、日本人の心情に最も共通して訴えかける美意識があるとすれば、それは「筋が通らないことを、醜いと思う」ことです。でも世の中、筋の通らぬことは多いわけで、男らしく女らしくあろうとする人は、しばしば筋を通して世に逆らうことになる。アウトロー化しやすい美意識なんだ。それを爆撃したフェミさんたちは…
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Re(9):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/2(月) 16:26 -

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   >macskaさん:
>いや、だからさ、「男らしさ・女らしさ」の基準が雇用や出世に影響する可能性と、「好きな野球のチーム」がそれに影響する可能性とでは、話にならないくらい違うでしょうが。

んなこたぁないですよ。男らしくも何ともなくたって業績が良かったり人脈作るがうまかったりすれば、普通は出世します。男らしさの片鱗もない上役なんていくらでもいるでしょう。ある上司が、ある「気に食わない部下」に対して「あいつは野球の話題もできない」とか「何だあいつは。地元の球団をみんなで応援して盛り上がってるときに別のチームの応援しやがって」という眼差しで見ることがあるとします。そういう見られ方によって出世に響いちゃったりするケースが「全くない、とは言えないんじゃないの?」という程度には、「何だ、男らしくないな」という評価が影響する可能性を排除できないでしょうけど、社会の指導的立場にある人々がそんなに男らしく女らしいかどうか、見てみりゃわかるでしょう。

それと、男とスカートについて。男向けの仕様のスカートというものが、現在の(いわゆる欧米化したライフスタイルの)社会には現存していないでしょう? 古代ギリシャ人の男の身に着けてるものなんて、ありゃミニスカでしょう、形状から言えば。服飾の歴史を広く見れば、「下半身に身に着ける、末広がりのヒラヒラした服」が男の服装であった時代も地域も多いです。そこから考えるべきでしょうね。現在の「スカート」と呼ばれているアレは、とにかく女向けにデザインされているものです。それを普通のルックスの男がいきなり身に付けたら異様な感じになっても仕方ないんですよ。だから、場をわきまえろ、と言われるのは当然です。話を逸らしてなんかいません。

逆にズボンを女が身に着けたら?これは服飾史の話題によく出る例ですけど、最初は社会的に反発と好感と両方あったようですね。でも異様な感じ…ではないんです。女がいくらでも着こなせるものなんですよ。男が着こなすのが極めて困難な服を、職場で着たら「やめんか」と言われても仕方ないのであって、その反応を「差別だ!」というのは誤り。これは服飾革命でもやるしかなく(笑)、人々が「あ!カッコいい!」「素敵♪」という男向け(あるいはユニセクシュアル)な服飾の登場を待つべきですね。

さもなくて、いきなり自分のセクシュアリティの自己表現だ!職場のみんな!わかって!というのは、そりゃ言って悪いとは思いませんが、その職場のみんな…まして取引先とか窓口に来るお客さんとか、いろ〜んな人に性急に求めすぎだ。それは、かな〜り身勝手だ。身勝手だけども、周りの人の好意によって受け止めてもらえてなんぼの話だということくらい、十二分に自覚しておくべきです。言って当然だ、認められて当然だ、認められなかったら差別だ、などというのでは叱られて当然です。職場は、何をするところですか。

しかし、場によらず女装そのものが白眼視されることは差別的じゃないの?と言われたら、私自身はそれに半ば肯定的です。職場以外のプライベートな場において、女装したって何が悪いか、と思うのですが、これまた現実の服飾のあり方と深い関連があるので、異様に感じて「変態!けしからん!」と感じる人を一概には責める気もないです。江戸の頃の衣服の取替えなんか、ありゃぁ艶やかなもんですよ、でもあれは、あの服だから。男物と女物が分かれていないわけじゃないんです、だから男が女装し女が男装しているというのがわかる。でも異様ではないんですね。そうすっと、現代の「スカート、とは何ぞや?」となる。

こういった方面になると、おそらく日本では伝統主義者(?)のほうが、理解も共感も早いと思う。何たって、男装して勇み立ち雄叫びをあげる天照大神に、女装して舞い敵将と寝所をともにするヤマトタケルの国ですもん。トランスの艶やかさに断固拒絶的な文化ではないですから。もちろん、だからといってセクマイに対して差別がないのではない。この辺は、落ち着いてじっくりやるべきだと思います。

で、大峰山の女人結界については、私は神道者として「女人不浄」という俗信を否定しておりますので、批判的です。しかしそれは信教の問題になるので、大峰山当局には何とかして考えてほしいけれども、純子さんの言うように、「月山の女人結界を、女性信者とお寺さんとお宮さんが話し合って解決した先例」に見習うべきだと思います。これ、江戸時代から本居宣長が言ってきたことで、根の深い問題なんですが、イダたちはヴァカすぎて、かえって頑なにさせちゃったじゃないの。macskaさんも同感だと思いますが。
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Re(2):おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/2(月) 15:58 -

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   >macskaさん:
>バジル二世さん、わたしが何を批判しているのか誤読しています。

>以上がわたしの主張です。したがって、「おっそろしい」とバジル二世さんが感じたことは、すべてわたしの主張の誤読に基づくものなので、おそろしがる必要はありませんよ。

細かい点では違うところはあるかもしれませんが、おおすじ合っているでしょうw

とくに、自分の都合の悪いものにはいちゃもんを付け続けるパラノイア的な性向とか。私を含めいろんな人の投稿を削除するまるで思想警察のような姿勢とか。

というか、macskaさんに詐術を使うなと言うのは、台風に向かって「雨降るな」と叫ぶようなもんですね。ぬぇ?
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Re(2):おっそろしい
 Josef  - 06/10/2(月) 14:12 -

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   macskaさん

>しかし、そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。

そんなバカな。「×」が重ね書きしてあったらmacskaさんの主張が成立し、「ひな祭り=ダメ」と記述したら成立しなくなるなんてことがあるわけないじゃないですか。ほとんど同じ意味なんだから(視覚効果の強弱があるだけ)。ログを見ると、macskaさんは次のように書いています。

>> 私が確認したものでは、「雛祭り ×」「黒いランドセル ×」と大きく図示してありましたよ。 「×」です。これは普通「ダメ」という意味でしょう。(tpknさん)
>
>普通はそうかも知れませんが、一体何が「ダメ」とされているのか、文脈でみましょうよ。その図に添えられた文章は、「男らしさ、女らしさを押し付けるような子育てを行っていませんか?」というものです。つまり、女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨です。とゆーかですね、そのパンフレットの著者が「絶対に男の子に黒いランドセルを与えるべきではない」と考えているとは到底考えられないのです。だって、もしそう解釈するなら、男と女の性役割を反対にするだけで、全然ジェンダーフリーにならないじゃないの。(macskaさん)
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=669;id=keya1984

macskaさんもまた「ダメ」という意味でとっているんですね。その上で、「何がダメなのかを文脈で見よう」と言っているわけ。つまりmacskaさんの言う「文脈」によれば、「×」の重ね書きであろうが「雛祭り=×」であろうが、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という解釈が成立するはずです。どうして「雛祭り=×」と記述したとたんにmacska流解釈を排除する「改竄」ということになってしまうのか。

そしてもっと重要なこと。
それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点についてはおそらく皆が一致しているということです。何が「ダメ」とされているのか。文脈をみると「女の子だから雛祭り」「男の子だから黒いランドセル」というふうな「決めつけ」です。

>すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、

macskaさんの言う「2通りの解釈」とは具体的にはどういうものですか?一つは上の引用にあるmacskaさん自身の解釈として、もう一つは?
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Re(8):美意識の問題化(社会常識)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 13:33 -

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   芥屋さん:
> 「好きな野球のチーム」程度に偏りがある、と思いますよ。

いや、だからさ、「男らしさ・女らしさ」の基準が雇用や出世に影響する可能性と、「好きな野球のチーム」がそれに影響する可能性とでは、話にならないくらい違うでしょうが。わたしが問題としているのは、個人の内心にある「男らしさとはこういうものだ」という考え方や態度ではなく、規範としての「男らしさ・女らしさ」なんだから。

そもそも、野球のチームと言えば巨人ファンとアンチ巨人ファンというように世の中には両極端がありますが、ジェンダーの規範に関して「スカートを履かない男よりもスカートを履いた男の方が歓迎される」ような職場が(職務上スカート着用が必要な例をのぞいて)どれだけありますか? どう考えても、圧倒的に「スカートを履かない男性」を歓迎する職場の方がはるかに多いでしょう。個々の好みだから理不尽でも(システム循環を伴う)「差別問題」ではないと言うなら、「ある職場ではスカートをはいた男性が歓迎されるけれど、別の職場ではズボンをはいた男性が歓迎される」程度の状態であるということになるはずですよ。

> その場合、そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のことです。

話を逸らしましたね。

わたしが主張し、芥屋さんにも今のところ採用していただいている「差別」定義モデルによれば、それはジェンダーの規範による差別と呼ぶほかないわけです。

そのうえで、例えば大峰山問題でもそうですが、わたしは「差別であれば文化も社会常識も無視して問答無用で禁止あるいは打倒すべきだ」という考え方を取りません(と同時に、伝統や社会常識であればまったく疑ってはいけない、とも思いません)。わたしが定義する意味におおいて差別かどうかという論理上の議論から、必ずしも「差別だったらどう対処するか」という結論は導き出せないとわたしは考えているわけです。

したがって、あなたが「そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のこと」と言われても、それは「どう対処するか」の部分についてあなたの意見を述べていることにしかならなず、「差別である」という事実認識と何ら矛盾しません。

> 所かまわず好きなように自由に表現したいのにさせてもらえない…そういう壁
> が「差別」なんだ、場もわきまえず自由に表現するのも「権利」なんだ、邪魔
> するな!なんてのは、ガキのツッパリですよ。

まず、上記の通りわたしは「場をわきまえず自由に表現することを邪魔するな!」という立場に必ずしも立ちません。例えば、大峰山の問題についてわたしは女性の入山を認めないのは差別であると思っていますが、かといって大峰山側の意志を無視したりその非合理性を嘲ったりして良いとは思いません(と同時に、かれらの主張を無条件で受け入れる必要もありません)。しかし、もし大峰山に女性が入ってはいけないというルールが全く差別的ではないとあなたが言うのであれば、反論するでしょう。

> いえ、こんなものを「差別だ!」なんて言い出すから「差別」という言葉のイ
> ンフレが起るんです。

そうしたリスクは取らざるをえないと思います。

それに、例えば同性愛者の権利というのが今は重要な人権問題として取り上げられていますが、50年前は National Organization for Women という巨大女性団体のトップが「レズビアンの権利なんてそんなくだらないものを真面目に取り上げたら、フェミニズム自体がバカにされて見向きもされなくなる」と言っていました。その他にも、黒人を奴隷として扱うのは間違いだとか、女性に参政権や土地所有権を持たせるなんてあり得ないとか、差別に反対する運動が起きるときには常に「そんな問題はくだらない、もっと重要な問題に取り組むべきだ」という反論がありました。

もちろん逆に、誰かが「これは重大な人権問題だ」と訴えたけれども、ずっと笑われるだけで終わったという例もたくさんあるでしょう。しかし、いまあなたの目から見て「くだらない、取り上げるまでもない」問題に見えることが、次の世代においては大きな社会的不公正の問題として注目を浴びる可能性は常にあるわけです。

「ジェンダーの規範に関する権利」という問題意識は、現時点では女性や性的少数者のための取り組みだと思われていますが、わたしはこれは男性も含めた大きな流れとなる可能性があるんじゃないかと思っています。そうした意識が広く共有されるまでは、あなたの言う通り「反差別運動」の足を引っ張る事にもなるかもしれませんが、今時点の考えだけで排除せずに、寛容に「ジェンダーの規範による差別」の取り組みを見守って欲しいと思っています。

> 何でもかんでも差別差別と言い立てることが逆に反差別をスポイルしていると
> いう現状、この問題を考えるときに、何をもって差別かという基準に今一度、
> 弛緩した被差別意識を厳しく立て直すのは必要なことだと思います。

なるほど、しかしそれはわたしの戦略とはかなり違います。
わたしの定義に代わる新たな定義も必要になると思いますが、何か原案はあるでしょうか?
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Re(1):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 12:56 -

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   バジル二世さん:
> 擁護するつもりは全くないのですが、それだったら、「基本の、き」も
> 解釈が「割れている」ので、おかしいということになります。

バジル二世さん、わたしが何を批判しているのか誤読しています。わたしも表現も分かりにくかったですから、丁寧に説明してみます。

わたしが批判しているのは、「解釈が割れる記述は駄目だ」というわけではないですよ。
むしろ、わたしの主張はその逆です。

問題となっているイラスト(怪文書)は、ひな祭りの絵に×印が付けられたものです。

そのイラストは、文脈によって複数の解釈が可能なわけですよ。というか、単体で見ればそれこそ「ひな祭りはダメだと主張している絵」だとしか見えませんが、もし「基本のき」の一部であったとすれば別の解釈も可能です。というより、最初あれが「基本のき」の一部であると(間違って)教えられて、わたしは別の解釈をしたわけです。「ええー、そんな解釈おかしいよ」と思うかもしれませんが、それはあなたの感性とわたしの感性が違うということなので、取りあえずそういうものなのだと思っていてください(今の誤読状態が解消したうえで議論するのは構いませんが、取りあえず誤解を解消することを優先してください)。

しかし、そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、文字で描写した瞬間にその一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった。これを、わたしは改竄であると批判しているのです。改竄というのが言い過ぎなら、イラストから文字に変えた時点で、議論している対象がすり替えられてしまっています。

ところがそれを批判すると、「あのイラストの解釈としてmacskaは自分の感性による解釈が絶対だと押しつけている」と反論されました。しかしわたしはそう決めつけているわけではないのです。むしろ逆に、イラストに描かれていないイコールのシンボルを文字として書き込むことが、ある特定の解釈が絶対であるかのように押しつけているのではないかと批判しているのですね。イラストにイコールの関係が描かれていると決めつけずに、「ひな祭りの絵に×の印が重ねてある」と文字で描写することができたはずであり、その方がフェアな描写のやり方でした。

以上がわたしの主張です。したがって、「おっそろしい」とバジル二世さんが感じたことは、すべてわたしの主張の誤読に基づくものなので、おそろしがる必要はありませんよ。

てゆーか、わたしが「読み手によって意味が変わる出版物は存在してはいけない」だなんて言うわけがないでしょーが。わたしに限らず、そんなことを平然と主張する論者がいるとは思えません。あまりに無茶苦茶な主張だと思えたときは、もしかしたら自分の誤読かもしれないと少しくらいは疑ってくださいな。
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Re(7):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/2(月) 12:27 -

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   >macskaさん:
>「男らしさ・女らしさ」という基準が社会的にまったく共有されておらず、「好きな野球のチーム」程度にバラバラであるとあなたは主張しているわけですか? そんなことはないでしょう? なにを「男らしい」と感じるかについては多少は個人差があるでしょうが、かなりの部分社会的に共有されているのではないですか?

「好きな野球のチーム」程度に偏りがある、と思いますよ。全国的には巨人ファンが、フランチャイズ球団を持つ地方都市には地元球団のファンが…それぞれ大きな偏りがあります。また野球観そのものが年齢層によって異なるという要素も無視できないですね。「男らしさ女らしさ」も、それと似た偏差の構造があると見てます。

>はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。

どちらかと言えば、お堅い業種の職場でそういうことが多いかな、と想像します。まぁ、そのような場もあるでしょう。その場合、そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のことです。それがそんなに嫌なら辞めたまえ、服装や化粧についてそんなに周囲に対して非妥協的に自己主張したければ、よそでやれ、というのが正しいですね。

厳しいようだけど、自己表現というのは、そういう壁にブチ当たりながら形成していくべきものです。所かまわず好きなように自由に表現したいのにさせてもらえない…そういう壁が「差別」なんだ、場もわきまえず自由に表現するのも「権利」なんだ、邪魔するな!なんてのは、ガキのツッパリですよ。そんなものは少しもお洒落ではない。野暮です。服装や化粧を何だと思っているのか(苦笑)

>これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。

いえ、こんなものを「差別だ!」なんて言い出すから「差別」という言葉のインフレが起るんです。肌の色や出自などを口実に蔑視され疎外され迫害されることと、同列に語るべきではありません。

>そのうえで、この問題については社会的にそれほど問題とはされていないので、社会常識とある程度の折り合いを付けるべきだとか、そういう現実的なオプションはアリだと思います。しかし、そういう結論を導き出すために分析基準を緩めたり捩じ曲げたりするべきではないでしょう。

何でもかんでも差別差別と言い立てることが逆に反差別をスポイルしているという現状、この問題を考えるときに、何をもって差別かという基準に今一度、弛緩した被差別意識を厳しく立て直すのは必要なことだと思います。
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おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/2(月) 8:50 -

引用なし
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   >わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。

擁護するつもりは全くないのですが、それだったら、「基本の、き」も解釈が「割れている」ので、おかしいということになります。

読み手は異なるバックグラウンドを持っていて、読み手によって意味が変わるのは出版物の常なので、たいていの出版物はダメ。そうやって残った、許される記述はmacskaさんや考えがごく近いフェミがOKしたものぐらいになってしまうでしょう。macskaさんが権力を持ったら恐ろしいが、そうでなくても周囲はmacskaさんのご都合主義に辟易とするでしょう。自分に都合の悪いものには、パラノイアのようにいちゃもんを付け続けるのだから。

>何度説明したら伝わるのだろう。
      ↑
これは相手が言うことです。
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Re(6):美意識の問題化(社会常識)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:58 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 自分好みの「男らしさ女らしさ」で不採用にしたり昇進させ
> ないことは、理不尽な話ですが差別ではありません。そのよ
> うな制度上の差別はありませんし、それが制度にフィード
> バックしているという事実もありませんから。

「男らしさ・女らしさ」という基準が社会的にまったく共有されておらず、「好きな野球のチーム」程度にバラバラであるとあなたは主張しているわけですか? そんなことはないでしょう? なにを「男らしい」と感じるかについては多少は個人差があるでしょうが、かなりの部分社会的に共有されているのではないですか?

> 場に合った服装や化粧を求められるのは当たり前であって、
> そういうことを「差別だ!」などと言うから呆れられる。

はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。

これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。もちろん、それは現行法の定義とは違いますし、必ずしもわたしの定義を元に法律が作られるべきだとは思いませんが、わたしの定義をもってこれが差別でないと強弁することはできません。

そのうえで、この問題については社会的にそれほど問題とはされていないので、社会常識とある程度の折り合いを付けるべきだとか、そういう現実的なオプションはアリだと思います。しかし、そういう結論を導き出すために分析基準を緩めたり捩じ曲げたりするべきではないでしょう。
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Re(2):「×」について
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:44 -

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   Josefさん:
> 単に「重ねてある」より=や→の方が強い意味を持つという感覚
> はmacskaさん独自のものですね。対象に×を重ね描きする方が遥
> かに強い否定の視覚効果を持ちます。

しかし、対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかないわけです。わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。他に方法が全くないならともかく、「絵の背景に×が描かれている」のように文章で説明するという方法があったわけですから。その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができるでしょう?

「例」の点も、「例と書かれていないから例ではない」と言っているのではなく、元の文面は「例なのかどうか、複数の解釈が可能である」のに、わざわざ「例」という文字を追加することによって「例である」以外の解釈を排除している点が改竄にあたると言っているのです。

何度説明したら伝わるのだろう。
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Re(1):「再生産」について(社会学習説と社会構築...
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:37 -

引用なし
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   芥屋さん:
> でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同した
> ジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。

いや日本に限らず、米国でも混同されていますね。最近、ある著名な学者さんがインターセックスについて書いた論文の下書きを査読してくれとお願いしてきたので読んだのですが、ジョン・マネーの理論が社会構築主義だと書かれていた。マネー理論は社会学習論を中心とした学習理論であって、一般的な意味での構築主義ではありませんよ。まぁあれも広義の構築主義の一種だと言われれば絶対違うとも言い切れないのですが、マネーの失敗により構築主義が否定されたと思われてはたまらないわけで(笑) その学者はさすがに頭がいい人なので指摘をきちんと理解してくれましたが、理解できない人も多いんですよね…

さらにフェミニズム教育論となると、フェミニズム理論の中心からかなり外れたところに位置していて、ほとんど相互交流はありません。日本では女性学をやっている人がジェンフリ教育を推進していたりして、ジェンフリの説明にバトラーやらスコットを持ち出して無駄に混乱を巻き起こしているわけですが、米国のフェミニズム教育論にはバトラーなんてほとんど登場しません。逆に、教育学者であるバーバラ・ヒューストンなんて女性学の中ではほとんど知られていません。

> だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって
> 「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

それは、ありそうな話です。

> でも、それなら2の立場から1の人々に指摘してあげたり批判し
> てやったりしつつ、1と2を混同したまま批判する人々には、
> これまた違いを説明したり批判したりすればいいのに…って思う
> んですが、

それをやっていると思いますが。引用してくださった部分はまさにそれですし。
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Re(1):首位決戦_まず先勝!!
 バジル二世  - 06/10/1(日) 23:17 -

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   >エビカニさん:
>お久しぶりでございます。

どうもお久しぶりです。

>「絶対に勝て!!!」の強い気持ちで応援したいと思っています。

一昨日2ゲーム差になっていたのには驚きました。以前とても世話になった先輩が阪神ファンなので、野球を見ない私も選手の名前をしらぬうちに覚えてたり、好感を持ってたりしております。
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Re(5):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/1(日) 20:38 -

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   >macskaさん:
>> そんな貧相な男女観を優先させて、そんな基準で不採用にしたり昇進させないような会社には就職したって仕方がないでしょう。

>それを言うなら、女性差別をするような会社には就職したって仕方がないから雇用における性差別撤廃なんて求めても意味がないということになってしまいます。

なってしまいません。自分好みの「男らしさ女らしさ」で不採用にしたり昇進させないことは、理不尽な話ですが差別ではありません。そのような制度上の差別はありませんし、それが制度にフィードバックしているという事実もありませんから。

>いいですか、貧相な男女観だけを基準に採用や昇進を決めることは少ないでしょう。しかしそれが基準の一部になるということは十分にあり得る。

あり得るでしょうが、それは差別の話じゃないでしょ。もちろん差別でないなら問題提起しちゃいかん、ということではありません。ちゃんと分別はつけましょう、ということです。

>ところで、前回は例に「コミュニケーションスタイル」を挙げたから「そんなことで差別しない」と思ったのかもしれませんが、じゃあ服装や髪型や化粧を例に挙げてもいいですよ。制服や服装規定がない会社であっても、男性がスカートをはいて出社すれば間違いなくなんらかの不利な扱いを受けるでしょう。それは男性がスカートをはくことがほとんどない社会だから仕方がないとした場合、では女性がスカートを拒否して不利な扱いを受けることは一切ないのか。化粧をしなくても大丈夫なのか。男性の長髪やピアスはどうか。それらも、やはりジェンダーの規範による差別なわけですよ。

そういうのは、差別じゃないでしょう。場に合った服装や化粧を求められるのは当たり前であって、そういうことを「差別だ!」などと言うから呆れられる。職場と言うのはファッションの自己主張をするところじゃないんです。もちろん職場でも、お洒落に気を使って自分をアピールすること自体、あるいは逆に洒落っ気がないこと自体、それは悪くも何ともないですけど、その職場に合わないからやめろと言われたらやめなくっちゃ。

>その程度は社会常識だから仕方がない、と思うかもしれませんが、

社会人なんだから当たり前ですよ。
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横レス
 楽俊  - 06/10/1(日) 20:10 -

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   >論理的に言って、考えられるのはただ一つ、わたしの主張と「基本のきは全体主義だ」という批判の妥当性のあいだになんらかの関係があるという前提自体が間違っているわけです。

ここは、macskaさんの言動が、ある仮説の確証(補強)材料になったという「関係」性が抜け落ちていますね。
「仮説は予測を含意する」と言いますからね、うん。
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