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Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/25(月) 14:53 -

引用なし
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   この箇所、前スレの↓続きとして。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=785;id=keya1984

>macskaさん:
>わたしは何も、「挨拶がわりに女子社員のお尻を触っても構わない」と言っているわけではない。「悪気なくセクハラをしていませんか?ふりかえってみましょう」という文の下にさまざまな行為が列記してあった場合、記載された項目の行為すべてが常にセクハラを構成するわけではない、という事実をわたしは指摘しているのです。

あのな、おまえのその考え方はわかってるってば。で、そういったパンフは、すべておまえが書いたのか?。違うだろうが。ロクに理解もできてない人間が訳知りで書くことくらいあるだろうが。そういう未熟な内容があれば誤まった理解を広めるに決まってるだろう。

おまえとしては、そのようなテキストがあってもそのように解釈したいというだけの話じゃないか。それはセクハラの成立要件について基準を認識しているからだ。そういう人間が杜撰な表記にも好意的に解釈しただけだろうが。「いや、執筆者も同じ認識で書いていないわけがない」と立証できるのか?

正しく認識してほしいという人間が書けば、当然に注意書きくらいするだろうよ。「ここで勘違いをしないでください。お尻を触れば即セクハラということではないのです。セクハラというのは、たとえ悪意がなくても相手の望まれない行為をすることだから、ここでお尻を触る行為そのものがセクハラだというわけではありません」くらいは書かないと素人が誤解するのは当然なんだよ。そこまで書いて初めて正しく認識できるのであって、その肝心のことが書かれてないなら、

1.読者が、ただ単に「お尻を触れば即セクハラなのか」と思っても仕方ない。
2.読者が、「執筆者は、お尻を触れば即セクハラだしているのか」と思っても仕方ない。

この仕方なさは当然だろう。その当然さは啓発のあり方として重要な疑問であるのに、そのような疑問は妄想だ曲解だなどと、なにを阿呆なことを言っているんだ。というか、おまえは「正しく理解してもらうためには」ということなんか考えていないんだろ?

>> ○○していませんか?
>>  例
>>  1
>>  2
>>  3
>>  ……
>>
>> と書いてあれば、1.2.3.は○○の例であると思うのが普通です。
>
>「例」と書いてあればそう解釈するのが普通ですが、「基本のき」にも、今回の例え話にも、「例」と書いてあるわけではありません。

「例」と書いてなくても例示に決まっとるだろうが。「例」と書いてあってもなくても、おまえが言ってるのは、例示された行為をすることが無条件で表示された○○を構成すると思われても違うんだということだろ? あん?「例」と書いてあるとないとで持論がどう変わってくると言うんだ?言ってみろやヴォケw

>結局、あなたの主張はパンフの内容を改竄しなければ成り立たないものなんですね。

「例」とは書いてないのに例示だと改竄した!それで初めて成り立つ批判だ!ってか。この糞論理、永久保存しとくね。

>> たとえ、万が一、女子社員が望んでいても、職場でそんなことをしてはダメです。部下に示しがつきません。
>
>はい、しかしそれはセクハラの問題ではありませんね。セクハラでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前。

はい、出ましたね、文革擁護論者の本音。本領発揮を期待します。

「職場でそんなことをしてはダメです。部下に示しがつきません。」
「セクハラでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前」

ここはそうでしょう。でも、雛祭りは?

「学校や幼稚園でやってはダメなのですか?保護者にどう言えば?」
「押し付けでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前」
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=665;id=keya1984
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Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/25(月) 13:59 -

引用なし
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   >macskaさん:
>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

>>なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。

>うわー、ものすごい詭弁だ。

反論不能に陥った者ほど悔し紛れに詭弁だ詭弁だとわめきますよね。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私はこの発言↑を、発言者自身の主張に適用したまで。ある論理関係を示す文中において、具体的な語句の入れ替えについてですよ。

>「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。

macskaさん、日本語は正確に。ここは「喩え(比喩)」ではなく「例え(例示)」です。で、「形式的には等価である、という喩えを受け入れただけ」って、何が言いたいんですか?姑息な言い逃れで誤魔化さないように。あなたはこうも言ってるんだ。

【mango】
>>macskaさんの言っている内容の「弱者男性」をあるいは「女性」と言い換えて、「男性」を「女性」に言い換えると、そのままバックラッシュ派の言説として通用しちゃうんですよね。
【macska】
>これほど無意味な発言も珍しいです。「男性」と「女性」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのがフェミニズムの大前提なんだから、フェミニストが主張することの「男性」と「女性」を入れ替えたら意味がおかしくなるのは当たり前です。逆に言うと、「男性」と「女性」を入れ替えても意味が通じなければおかしい、という指摘は、「男性と女性は今の社会においてまったく対等な地位である」という前提を必要とします。
http://macska.org/article/152#comment-15054

自省を呼びかけられる「雛祭りのお祝いをする」と「職場でお尻を触る」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのが私たちの大前提なんだから、私たちが主張することの両者を入れ替えたら意味がおかしくなるのは当たり前です。逆に言うと、両者を入れ替えても意味が通じなければおかしい、という指摘は、「両者は今の社会においてまったく対等な地位である」という前提を必要とします。

>てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。

Josefさんの質問は比喩の話ではなく反語的な例示です。その例示に同意したのはあなた自身です。その同意の返答も論理形式の等価論であって、比喩の適不適など説いていません。

>呼びかけとその下に記載された一項目という関係が等価であるのであって、それぞれの項目同士が等価であるわけではない。

要するに「自省を促す呼びかけと、それつづく自省に有用である具体的な例示項目の論理関係」についてでしょう。その論理関係において入れ替え可能であることに「まったく同意」であるなら、あなたはその語句が等価であると認識しているはずです。

>「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」とは、おそるべき詭弁としか言いようがありません。

両者が同じ性質の行為だと受け止められたなら心外だと言いたいんでしょうか?だったらそういう反発をする人には、「わたしが等価だと言っているのはそういうことじゃなくて」と説明すれば良いのです。というか、もう説明済みなのですけどね。

働く場での自省に有用である行為であり、子育ての場での自省に有用な行為であるとしているわけです。それが相手に「望まれているかどうか」を自省すべき行為なんだ(必ずしも「望まれていない」とは言い切れないので全面的に「やめましょう」と呼びかけているのではないが)という論理関係として等価なんだ、と説いているじゃありませんか。

しかし、あくまで論理の外形上が似ているからと言って、語句そのものが等価でないなら入れ替えは詭弁である、とmacskaさんはしているのですよ。だから「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」という反発があるなら、あなたは「確かに。言われてみればそうでした。Josefさんの反語に同意したのは認識不足でした。詭弁に陥っていました」と認めてこれまでの論拠を撤回するか、あくまで「情感は著しく異なるのは認めるが、行為をする人とされる人との関係性として自省すべき行為だ、その意味で等価なのだと」と持論を展開させてゆくか、どっちかしかないのですよ。

ちなみにtpknさんへの無回答の箇所、あなたが両者を等価だとみなしているからこそ成り立つ(そしてそれゆえに反論不能になる)のだと気付きましたよ。それ、あとで掲示してみましょうか。

>当然、等価でないものを入れ替えた論理がそのまま通用するわけがない。わたしが主張しておらず、わたしの論理から導かれたわけでもないものをもとに「ここが対立点だ」と示すのもやはり詭弁です。

いいえ、あなたが主張した論理によって導かれているのですよ。それが成り立たないと言うなら、どうして導かれないのか(下記の語句の入れ替え箇所が成り立たない理由)を、ひとつひとつ具体的に反論しなくては反論たりえません。再掲しますよ。

*************
自省をうながす立論「OOをしていませんか?ふり返って見ましょう」と、その後に列挙される項目との関係について、具体例を二つ。

1.「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「女の子だから雛祭りで祝う」

2.「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」

>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。なぜならあなたは、こう主張しているのです。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私たちは、「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だとする考え方には大反対ですので、あなたの論理を借用するなら「この二つは等価でないので、あなたの見解は詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません」と考えます。しかしあなたは等価だと考えているから、詭弁もしくは言葉遊びではないとの論拠になります。

そこで、あなたの主張をあなた自身の論理にしたがって、以下の文中の「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」を「女の子だから雛祭りで祝う」に入れ替えてみましょう。

>ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はセクハラにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係においてお尻を軽く触るという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対にセクハラだとは言い切れない。

→ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「女の子だから雛祭りで祝う」という行為は押し付けにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係において雛祭りを祝うという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対に押し付けだとは言い切れない。

>しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という項目が含まれていても自然です。

→しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「女の子だから雛祭りで祝う」という項目が含まれていても自然です。
*************
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Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 13:33 -

引用なし
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   > それを、行政の側から変えようとすると「断髪令」や「廃刀令」のように、
> 強権の形で、伝統的な生活慣習を変えるよう強制しなくてはならないわけ
> ですね。

行政の側がそこまで熱心に変えようとしているのでしょうか。「行政の側から変えようとしている」ならば「強権的に強制しなくてはならない」と言うのですから、その強権発動の実例がたくさん出て来なくちゃいけないわけですが、あるのはたった1つのパンフの内容に曲解に曲解を重ねた解釈だけ。それは逆に、行政は強権を使ってまで変えようとは「していない」ことの証拠ではないかと。

> つまり「ひなまつり」で言うと、

ひな祭りの話に当てはめて話をしていません。ひな祭りの話とは直接関係ないけれど、原理的な話としてこの部分には同意できませんと言っているだけ。論理が分からない人はこれだから困る。

> 性同一性障害者や、半陰陽者の例を挙げてもダメですよ。

わたしはそういう例を挙げていないし、挙げるつもりもないのに、執拗に「性同一性障害者や半陰陽者の例を挙げてもダメ」という発言を繰り返すのはなぜでしょうか。あなたが「挙げられたら困るな」と思っているからですか?

> その場合は、「ジェンダーフリー」じゃなくて性同一性障害者の事例や半
> 陰陽の事例を、そのまま啓蒙したほうが抵抗も少ないし、救済が早いから
> です。

なにそれ。わたしはそんな事例を挙げるつもりはないけれど、あなたの論理では「そういう事例は別の方法で処理した方が救済が早い」というだけのことであって、「挙げるべきではない」理由にはなっていません。

> その結果、国民に反発されたため、コンセンサスが硬直化してしまった。
> ジェンダーに冠する個別の問題の解決が、かえって難しくなりました。
> 大迷惑です(^^)。

そう、一般のフェミニズムにとっても行政がくだらない啓蒙をすることは大迷惑なんです。行政フェミでいい思いをしているフェミなんて、全体のうちごく一部しかいません。だからといって、事実を捩じ曲げてそうした行政の啓蒙事業を貶める必要がどこにありますか。正当な批判を粛々と重ねれば良いはずであり、迷惑だからとあることないことでっち上げて全否定するのは間違いです。あなたは自分にとって邪魔なものは問答無用で叩き潰せばそれでいいという行動原理で動いているようですが、わたしには学問的良心というのがあってそんなマネはできません。
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Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 純子  - 06/9/25(月) 8:23 -

引用なし
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   >macskaさん:

>問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

だから、その「らしさの規範」というのは、政府や行政が作っている制度なわけではなくて、国民が、伝統的な慣習や、慣例や、生活習慣といった、無意識の不文律の形で行っているわけでしょう。
 それを、行政の側から変えようとすると「断髪令」や「廃刀令」のように、強権の形で、伝統的な生活慣習を変えるよう強制しなくてはならないわけですね。
すると封建主義の昔ではない、民主主義の現代では、それが不当な押しつけにならないよう国民の承認をとらなくてはならない。正当性がある強制なんだという形のコンセンサスを形成するしかないわけですね。(例:人ごみでタバコを吸うな)
それで「ひな祭り」を例に揚げて、「ジェンダーフリー」を啓蒙しようとしたら、国民から「それはやりすぎ!」という抗議がいっぱい寄せられて、あわてて取り下げたわけですよ。

>これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。

 つまり「ひなまつり」で言うと、「女の子だけどひなまつりをしたくないと思っている女の子」に合わせて、親に対して「押しつけていませんか?」と啓蒙するのが正しいということですね。でも、そんな女の子が何処に居るんですか?

 性同一性障害者や、半陰陽者の例を挙げてもダメですよ。その場合は、「ジェンダーフリー」じゃなくて性同一性障害者の事例や半陰陽の事例を、そのまま啓蒙したほうが抵抗も少ないし、救済が早いからです。現に、当事者のサポートグループはそうしています。逆にジェンダーフリーに対しては距離を置いている。アピールの論点がボケるからです。大峰山の時に至っては、伊田グループに対して抗議までしている。

->わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。

 最近、神戸では、ついぞこの間、教育委員会がMTFの子供を、女子として小学校に入学を認めたばかりです。世界、初だそうです。日本って、自由でいいなあ(^^)。その子、ラブベリもひなまつりもやりほうだいですね。私の子供のころに比べたら、うらやましい限りだ(^^)。
容認は、それほど、難しくないです。ポイントはコンセンサス、国民の承認がいるんですよ。

>直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。

だから、「ひな祭り」をネタに、わけのわからない「啓蒙」をしてくれてることも「働きかけ」の一種です。その結果、国民に反発されたため、コンセンサスが硬直化してしまった。ジェンダーに冠する個別の問題の解決が、かえって難しくなりました。大迷惑です(^^)。
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Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 純子  - 06/9/25(月) 7:28 -

引用なし
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   >macskaさん:

>「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。

だから、芥屋さんは、「条項の関係」という「形式」だけを問題にして、きっちりと「形式的に等価」に入れ替えているが……?

>てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。

譬えを出したJosefさん本人も、macskaさんも、芥屋さんも、私も、この譬えは成立すると言っている。その結論が

そしてjosefさんも、芥屋さんも、私も、共通して
「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はやっぱり「セクハラ」だから、「女の子だからひな祭り」は「らしさを押しつけるような教育」だと読みとるのが常識だと言っている。

macskaさんだけだよ
「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為は「セクハラ」にならない場合があるから、「女の子だからひな祭り」は「らしさを押しつけるような教育」だとはいえない場合があると読みとるのが常識だと言っている。

その理由が「お尻を触る」行為はセクハラにならない場合があるからて……(^^)、
挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」と「お尻を触る」は等価ではないだろう?

ついでだから、追加

○○をしていませんか?

1.
2.
3.
……

と書いたら1. 2. 3.……が、ダイレクトに○○の内容と解釈されるよ。
わざわざ、macskaさんに塩を送ってあげようと思って「例」を入れておいてあげたのに……(^^)。「例」があると1.2.3.……以外にも○○の内容があるということだから○○の意味と1.2.3.……の意味内容に多少のズレはできるでしょうが(^^)。
あーあ。次から、塩、送るの止めよう。

詭弁を使って論理をすり替えているのはどっちだ……。
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Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 2:20 -

引用なし
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   > あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子
> 社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。

うわー、ものすごい詭弁だ。

「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。呼びかけとその下に記載された一項目という関係が等価であるのであって、それぞれの項目同士が等価であるわけではない。「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」とは、おそるべき詭弁としか言いようがありません。

当然、等価でないものを入れ替えた論理がそのまま通用するわけがない。わたしが主張しておらず、わたしの論理から導かれたわけでもないものをもとに「ここが対立点だ」と示すのもやはり詭弁です。

てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。
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Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 2:01 -

引用なし
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   > しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているの
> ではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制
> 度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男
> らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、
> 個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それ
> を考えたらわかるはずです。

問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

「男女別の固定的な人生設計」といった言葉にした場合、人生設計上の大きな選択(主婦や主夫になるかどうか、子どもを作るかどうか、育児をどうするか、など)しか対象とならない点が問題だと思います。それより小さな日常生活上のことでも「男らしさ・女らしさ」の規範に従わないといろいろと不利な扱いを受けることがあり得るわけで、「人生設計」だけに限って差別的な制度の是正を訴える理由がないと思います。

> しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の
> 男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚さ
> れたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男ら
> しさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのは
> おかしい

それには完全に同意します。
ていうか、わたしがそんな啓発を支持するとでも思いましたか? そんなバカな。

ただし、

> まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。

これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。

わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。

> 「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だ
> と規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々
> 人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度に
> なっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題
> に直結するんだ。それが根拠ですよ。

直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。
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Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 芥屋  - 06/9/24(日) 21:03 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=736;id=keya1984
↑ここから。

【ma】
>違うのよ、ひな祭りが悪いんじゃなくて、「女の子だからひな祭り」と決めつけていませんか、という問いかけなの。決めつけ・押し付けでなければ、女の子がひな祭りを祝ったって悪いわけがないじゃないの。
【tp】
>>おまえはアホですか? 《「女の子だからひな祭り」と決めつけていませんか、という問いかけなの》って、そんなこと全員わかってるってw 問題は「女の子だからひな祭り」がなんで「決めつけ」なんだということでしょうが。「女の子が(の)ひな祭りを祝」うという現象そのものをさして「決めつけ」と疑えと言ってるのに、「決めつけ・押し付けでなければ、女の子がひな祭りを祝ったって」って、意味がわからない。どういう場合に「決めつけ・押しつけでな」く、どういう場合に「決めつけ」となるのです? それは内心の問題以外にないではないか。
【ma】
>まず言っておくと、日本女性学会のサイトに書いてある Q&A と違い、「基本のき」はひな祭りのあり方そのものを変えるべきだとは一切言っていません。つまり、「女の子がひな祭りを祝う」という現象そのものをさして「決めつけ」としている、という批判は事実に反します。
【tp】
>>あなたの書いた《「女の子だからひな祭り」と決めつけ》るというテクストは、それ以外に解釈しようがありませんけど。ではいったい何を「決めつけ」としているんでしょう?
【ma】
>そこにきちんと明記されている通り、子育てを通して「女らしさ」「男らしさ」を押しつけていないかどうか、振り返ってみるためにこのリストは提示されているわけで、「ここに書かれていることはしないようにしましょう」というメッセージを読み取るのは明らかな曲解です。
【tp】
>>これが「明らかな曲解」なのなら、いったいジェンフリのテクストを読むのに、どれほど特殊な思想的背景が必要なのでしょう(笑)。
【ma】
>書いてあるのは、子育ての中で「女らしさ」「男らしさ」を押し付けていないか振り返ってみましょう、ということだけです。この中で1つでも実践していたら「決めつけ・押しつけである」などとは書かれていない。あくまで、親として自分がトータルな子育ての中で、「男らしさ」「女らしさ」の押し付けを行なっていないか、振り返って自省するための補助としてあのリストは提示されているわけ。
【tp】
>>意味わかんないです。では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか? あなた、肝心の部分に何も答えてないじゃない。

「個人の意識や内心を問題にしていない」という平素の主張が、まるで通用しないことをtpknさんに指摘されておりますが、全く何もその部分に何も答えてませんね。なぜ答えられないかと言えば、macskaさんが執筆したわけではないのであって、本来この種の代弁は不可能だからなんですよね。

山口さんが「意識改革主義だ」と批判したように、そして逆に山口さんが反論されているように、意識を問うてこそ何ぼだと確信的に思っているわけですよ、ジェンフリ派は。一方macskaさんは、全面擁護はしていないと言いつつ、持論をトレースしているんです。だけど、さすがに「意識改革主義ではないんだ」と断言はできない。だって執筆者じゃないからね。そこでテキストと持論の齟齬を指摘されると反論できないから無視する。

macskaさんが平素の主張と裏腹に意識改革主義丸出しのテキストを擁護するのは、実は「個人の意識や内心を問題にしていない」という平素の主張が嘘であるか、テキトーに使い分けるレトリックなのか、あるいは下のほうで扱っている論理を展開する上で必須だからか、そのいづれかでしょう。
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『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/24(日) 20:14 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=715;id=keya1984
↑私のこの意見に対するmacskaさんのレスについて論点ごとに分けてレスします。2つめは、

論点2:『等価』について。

>この論法は芥屋さんが最近多用されていますが、文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

そうなんですか。ではここで、一例としてJosefさんが確認を求めた質問への、あなたの同意意見から挙げましょう。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=785;id=keya1984

自省をうながす立論「OOをしていませんか?ふり返って見ましょう」と、その後に列挙される項目との関係について、具体例を二つ。

1.「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「女の子だから雛祭りで祝う」

2.「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」

>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。なぜならあなたは、こう主張しているのです。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私たちは、「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だとする考え方には大反対ですので、あなたの論理を借用するなら「この二つは等価でないので、あなたの見解は詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません」と考えます。しかしあなたは等価だと考えているから、詭弁もしくは言葉遊びではないとの論拠になります。

そこで、あなたの主張をあなた自身の論理にしたがって、以下の文中の「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」を「女の子だから雛祭りで祝う」に入れ替えてみましょう。

>ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はセクハラにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係においてお尻を軽く触るという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対にセクハラだとは言い切れない。

→ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「女の子だから雛祭りで祝う」という行為は押し付けにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係において雛祭りを祝うという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対に押し付けだとは言い切れない。

>しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という項目が含まれていても自然です。

→しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「女の子だから雛祭りで祝う」という項目が含まれていても自然です。

ここで対立点は、

A.「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とは等価ではない。そう考える官民の教育・啓発は文化や伝統への破壊である。
B.「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とは等価である。それを教える官民の教育・啓発は文化や伝統への破壊にはならない。

なお、Bの立場からはその理由として、こう説かれる。
・「女の子だから雛祭りで祝う」も「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」も、私的に当事者間で合意があるなら問題ない。そのような私的な権利は自由に保障されているので何ら問題はないはずなのに、問題にするのは妄想である。
・妄想であったことを認め主張を全面撤回せよ。そうすれば行政の話として取り組んでも良い。しかし行政の話としては、これまでのパンフ等の内容のくだらなさとか、くだらないものを大量生産した税金の無駄遣いとか、役人の押し付けがましさがウザイ程度の話である。それ以外に特に問題はない。

>すばらしい例をあげてくださってありがとうございました。この例により、わたしの解釈のただしさが証明されたと思います。

こちらこそ、すばらしい例をあげてくださってありがとうございました。この例により、私たちの解釈の正しさが証明されたと思います。
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『個人の意識は問わない』の真偽
 芥屋  - 06/9/24(日) 20:11 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=715;id=keya1984
↑私のこの意見に対するmacskaさんのレスについて論点ごとに分けてレスします。1つめは、

論点1:『個人の意識ではなく社会の制度を問題にしている、という主張の真偽』について。

>> 上記の文中、『「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない』とあるところを『旧来の男女別の固定的な人生設計に基づいた人生を選択しない(できない)』と置き替えるならば、同意です。

>その方がよりふさわしい、という主張ならわからないでもないですが、そう置き換えなければ同意できないとでも言うのでしょうか?

私が置き換えた語句でなければいけない(同意できない)とは思いません。しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているのではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それを考えたらわかるはずです。

「男らしさ女らしさ」というのは美意識の範疇なのだから、あなたの先の文章だと、その美意識からくる問題を扱う文面であり、それでは平素の主張が空文化するのではないか、と指摘したわけです。すると、あのように書いても空文化には「なりません」として理由を書かれたが、

>「人生設計」に関わる部分だけでなく、「男らしくない男」「女らしくない女」はそれだけで職場などで不利な目にあっているとは思いませんか?

さぁ、恋愛では不利でしょうが職場では聞いたこともないです。しかし、仮に不利があったらどうなのです? 個々人の美意識の範疇からくる不利さが個別事例にあったとして、それが制度化されているんだと言えますか?そんな制度はありませんよ。したがって「社会の制度を問題にしているのであって個々人の意識など問題にはしていない」のであれば、ここでそういったことをジェンダーの制度問題として挙げることがおかしいではないですか。

>ここでわたしが言わんとしていることは「だからそれを全部なくせ」ということではなくて、

それはわかりますよ。仮に「男らしくない男」「女らしくない女」はそれだけで職場などで不利な目にあっているとしても、「だからそれを全部なくせ」ということではない、と。あんまりひどいこと(職場内イヂメや嫌がらせなどの際に「男らしくない/女らしくない」が重ねられるような場合)でもあれば、純子さんの言うように個別に理由を挙げて対処すべきなのに、ジェンダーの制度問題としてあげる必要を説く。これで、平素の主張が空文化するというより、確信犯として平素の主張は偽であったということですね。

>そうした不利さとは無縁な「ひな祭りの祝い方」と同列に並べることはできない、ということだけなんですけれど、それすら同意できないとでも?

だからそれを言ってきたのは私たちでしょう。あなたこそ、自分で場当たり的に言い放ったその論理に自分で同意できるの?主張していたことと矛盾しているじゃないかとのtpknさんの指摘が既に入ってますよ。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=738;id=keya1984
↑これを無視して話を進めているようですが、ほんと大嘘つきですね。しかも実は、私たちにとっては矛盾だけど、あなたにとっては矛盾じゃないんでしょ?それに気付いたので下の『尻に敷かれた雛祭り』に書きます。

>個々が自分の生き方としてどのような「らしさ」を追求しようと、あるいは同じような生き方を選ぶよう他者に呼びかけようと、それは自由です。しかし、社会のうちで特定の「らしさ」を生きる人たちが優遇されたり、あるいは差別されたりするのはおかしい。何ら矛盾しません。
>
>こんなことも分からないのですか?

表向きあなたはそのように主張してきましたよね。でも実態はというと・・・?

個々が自分の生き方としてどのような「らしさ」を追求しようとしまいと、あるいは同じような生き方を選ぶよう他者に呼びかけようと呼びかけまいと、それは自由です。しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚されたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男らしさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのはおかしい。まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。

こんなことも分からないのですか?

>> で、まさにこのような「個々人の意識」の問題化によってなされているのが男女共同参画社会政策の教育・啓発事業です。
>
>話をそらさないでください。

そらしているのはあなたです。「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だと規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度になっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題に直結するんだ。それが根拠ですよ。個々人の意識の持ちようの話なんかとっくに卒業しているんです。あなたこそ、この観点から話をそらすべきではありません。

>ひな祭りの話は無根拠でしたごめんなさいと全撤回するというのであれば、次の話題として行政の話をはじめても結構ですが、またきっちりと結論を出さないまま逃げられるのはごめんです。

次の話題じゃないだろ、はじめっから行政の話じゃないかペテン師が。で、あなたの言うその結論とは、「私の出した結論に従って主張を撤回せよ」ということじゃん。「この行政に関わる官民の文書は自分のように読まないといけない、そのように読めば無根拠な妄想だったとわかるはずなので全面撤回すべきだ、そうすれば行政の話として・・・」と。フェミナチも極まったりですな。
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中立ではない制度の中の自由意志
 芥屋  - 06/9/24(日) 19:35 -

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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=715;id=keya1984
前スレの↑から新スレにしました。「制度と自由意志」の問題です。


【ma】
>さて、ジェンダーの制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>
>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
>
>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択をした人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。


【芥】
>>さて、男女共同参画社会政策で行われてきた教育や啓発に従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>>
>>まず第一に、逮捕されなくても実際に教育や啓発などにおける価値観の指導が存在することが指摘できます。「従来通りの雛祭りを家庭において祝ったために政策に合わないと役所や学校に言われた」例はおそらくないでしょうが、幼稚園などでは、政策に不適切だとの主張が登場し始めて以降、これを取りやめた園は現実に存在するわけですから、同列には並べられない。幼稚園の自主性という次元ではなく、「お上が決めたこと」「法律でこうなっている」に弱い日本の政治風土と合わせて考えてみるべきでしょう。
>>
>>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、基本法や条例にもとづくとされる教育や啓発などの公的な社会制度が存在する中で、「男らしさ女らしさを押し付けている(刷り込んでいる)」とされたものが非常に不利に扱われるということがあります。具体的には、雛祭りや鯉のぼりなどのお祝い事や昔話の絵本の内容へのクレーム、ランドセルや着衣の色、子供の名づけ方や子育てにおける「男らしく女らしく育ってほしい」への否定的な言説などがありますね。それら制度的な理由により「頭が固い」「化石的に古い」「差別的だ」などと揶揄する教育や啓発に従わない生き方を選択をした人は、そうしない人に比べてとても心を痛めることになります。この点も、あなたがそうしたことに配慮するべきだと考えるかどうかは別として、実生活上大きな困難を抱えるかどうかだけで判断していいようなことではないわけですから、少なくとも「自由意志なのだから問題ない」と言える制度にはなっていない(ジェンダーに中立な制度にはなっていない)ことは分かるでしょう。
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