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閑話休題 奴隷制度の歴史 純子 06/10/11(水) 20:36
  Re(1):閑話休題 奴隷制度の歴史 Josef 06/10/12(木) 20:48
  Re(2):閑話休題 奴隷制度の歴史 芥屋 06/10/12(木) 22:45
  奴隷身分あれこれ 芥屋 06/10/12(木) 23:14
   Re(1):奴隷身分あれこれ 純子 06/10/13(金) 21:01

閑話休題 奴隷制度の歴史
 純子  - 06/10/11(水) 20:36 -

引用なし
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   macskaさんのこの発言が妙に気にかかってしまった。

>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

そこで、奴隷制度の歴史について調べてみた。

奴隷貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93

>開始と同時に人道的立場からの批判が起こっていたが、

ほら、最初から、「やっぱり、これは良くないんじゃないの……」と思っていた人はいたわけだよね。アメリカ南部の「常識」は、世界の「非常識」(^^)


>大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形でポルトガルとの通商に対応した。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却した。

アフリカの奴隷海岸にあったダホメ王国などが有名。ポルトガルから鉄砲を買い。それで周辺の部族に戦争を仕掛け、その戦争捕虜を奴隷として売り飛ばし、また銃器を買う……(--)。


>アフリカが植民地化され世界経済に包摂されていくにつれ、供給元となる地域の人的資源を急激に枯渇させる奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小に向かった

黒人緒王国が、イギリスやフランスによって侵略され植民地化されると、部族同士の戦争はなくなるので、奴隷の価格が上昇。むしろ、奴隷制度を維持するより、現地に製糖工場を建てて、黒人には労働者として働いてもらって、砂糖を輸出したほうが儲かる(^^)。

>特に18世紀後半以降、宗教的・人道的立場と、奴隷価格の高騰という植民地側の事情がうまくかみ合ったので、19世紀初頭には、まず奴隷貿易(奴隷制度では無く)禁止の機運が高まり、

やっぱり、人道だけじゃなく、経済的にもメリットがないということにならないと改善されないのか。

>イギリスは1808年、世界に先駆けて奴隷禁止を打ち出し、ナポレオン戦争中で海軍力が慢性的に不足しているにもかかわらず、アフリカ沿岸に多数の艦艇を配置して奴隷貿易を取り締まり、ラゴスなどポルトガル人の奴隷貿易港湾を制圧した。

で……最後はやっぱり武力制圧か……。人類って悲しいのう(--)


>こうした動きの中、アメリカ合衆国では南北戦争での連邦軍の勝利によって奴隷制は全廃された

止めの一撃。世界の中で奴隷制度が最後まで残っていたのはアメリカだけ……(^^)。さすが「自由」の国、奴隷制度を維持する「自由」を侵害するなと最後まで抵抗してくれました。(^^)


ちなみに、日本はどうだったかというと……

http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html

>日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。

>「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。」

天正少年使節団一行がすでに16世紀に激怒しております(1582年)

>「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」

太閤殿下も激怒しております。この一件でスペインと戦争になりかっかたようでございます。

>「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」

ということで、天正15年(1587年)6月18日、太閤秀吉によって、218年ほどイギリスに先駆け、奴隷貿易と人身売買は禁止されておりますな。

奴隷制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

>日本の律令制度では、五色の賤のうち、公奴婢と私奴婢が奴隷にあたる。この奴婢は、律令制度の弛緩にともない消滅した。

900年代には既に奴婢制度の廃止令が朝廷から出ているらしい。しかし……

>平安時代以降には、様々な事情で自由を失った人が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。これは江戸時代に消滅した。江戸時代に人身売買は禁止された。

なかなか思いどおりにはいかず、江戸時代になってようやく奴隷制度は廃止された。

>第二次世界大戦後に、連合国軍総司令部は、日本における奴隷階級の解放を宣言していたが、日本政府が日本には奴隷階級はないと反論した。

南北戦争(明治維新の少し前)のころまで、奴隷制度を引きずっていた国が何を言ってるか、偉そうに……って、ことかも(^^)

アメリカの「常識」は世界の「非常識」(^^)

Re(1):閑話休題 奴隷制度の歴史
 Josef  - 06/10/12(木) 20:48 -

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   >閑話休題 奴隷制の歴史

↑これは「閑話休題」の誤用では?「奴隷制の歴史」の方が本題だったかに見えちゃいますよ。

それはさておき(=閑話休題)、

>macskaさんのこの発言が妙に気にかかってしまった。
>
>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

奴隷制が差別ではない時代もあった、というより他はないでしょう。「現代から見てどう評価するか」と「当時はどう評価されたか」とは二者択一ではなく、両立する別の視点です。上のmacskaさんの文は両者がごっちゃになってますね。

ある行為・事態を「職場の常識」によって「差別ではない」と判断するからといって、奴隷制を認めていた過去の「常識」をも肯定することになってしまうというのは謬論です。ある行為・事態を「差別ではない」とする現代の「常識」は、その同じ「常識」によって、過去の奴隷制を「差別だった」と判断するでしょう。

Re(2):閑話休題 奴隷制度の歴史
 芥屋  - 06/10/12(木) 22:45 -

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   >Josefさん:
>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

>奴隷制が差別ではない時代もあった、というより他はないでしょう。

ぶっちゃけ、そういうことだと思います。現代人が思うところの「差別」という概念で考えてたわけじゃないから。

>ある行為・事態を「職場の常識」によって「差別ではない」と判断するからといって、奴隷制を認めていた過去の「常識」をも肯定することになってしまうというのは謬論です。ある行為・事態を「差別ではない」とする現代の「常識」は、その同じ「常識」によって、過去の奴隷制を「差別だった」と判断するでしょう。

そうですね。ただし純子さんの挙げたように、では同時代の人たちはみな、それが当たり前だと思っていたかと言うと、「ひどすぎる」「許しがたい」「やめさせるべき」と思う人たちも多くいたということだと思います。スペイン・ポルトガル人の奴隷貿易は、同時代の世界常識からしても「非常識極まりない」ものだったように思いますよ。ましていわんやアメリカ南部の奴隷制度をや。

奴隷身分あれこれ
 芥屋  - 06/10/12(木) 23:14 -

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   >純子さん:

黒人奴隷の発生には、現地の黒人国家の抗争による捕虜を売りさばくことが大きかったこと、これは日本の戦国時代にも同じ構図があったこと、イエズス会の布教と結びついた信者による寺社への焼き討ちや領土献上や人身売買の横行が切支丹禁圧につながっていったことなど、意外に盲点にされていますね。スペイン・ポルトガル両国の征服活動の常道が行われていたというのに…

何故か切支丹の悲史としてしか教えられていない。そりゃぁ、島原の乱とか悲惨極まりない話ですし、貧しくとも敬虔で慎ましやかな切支丹の人たちまで煽りを食って弾圧の憂き目にあったことを軽んじる気はないのですが、当初はキリスト教に好意的だった為政者サイドをして禁圧を決断させた背景がズッポリ落とされて語られるのはいかがなものか?と思うんですよ。

ところで「奴隷」というと、あまりにも悪名名高い黒人奴隷のイメージなのですが、世界史ではもう少し広い概念ですね。もう一つ有名な奴隷階級がイスラム社会の「マムルーク」です。トルコ系の男子が奴隷として売買されるんですが、このマムルークとは「武将の家財としての戦士」であるから奴隷身分なのです。ところが、戦功を立てれば出世できるし、軍閥の中で重きをなすこともできる。だから貧しいトルコ系の家庭では息子をマムルークとして売ったり。そして遂には、奴隷身分である彼らが、衰弱して混乱した王家を倒して自分たちの国家を建設したエジプトのような例もあります。いわゆるマムルーク朝。

マムルーク朝、とは言うものの、王朝国家ではないんですね。マムルーク軍団から代々スルタンが推挙される。ちなみに、初代のスルタンはマムルークから一人、宮廷の女奴隷から一人、二人で君臨したようでして。このマムルーク軍閥のエジプトは、何と、あの、モンゴル軍をシリアで撃破してイスラム世界を守ったことが特筆されます。バクダッドが陥落して、怒涛の勢いでカイロを目指していたモンゴルの騎馬戦隊がそのままエジプトまでも占領したら、イスラムはどうなっていたかわかりません…。なお、海戦では弱かったモンゴル軍ですが、陸戦で撃破されたのは、このエジプトだけなのでした。

ところで、古代日本の「奴婢」って、どういう感じの身分だったんでしょうねぇ。もちろん、使用人の家財として売買される身分の人たちだったと思うんですが。古代ギリシャのイソップみたいな人も身分は奴隷だったわけで、ひとくちに奴隷身分と言っても実際にはいろんな暮らし方・扱われ方があったと思うし。

Re(1):奴隷身分あれこれ
 純子  - 06/10/13(金) 21:01 -

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   >芥屋さん:

>ところで、古代日本の「奴婢」って、どういう感じの身分だったんでしょうねぇ。もちろん、使用人の家財として売買される身分の人たちだったと思うんですが。古代ギリシャのイソップみたいな人も身分は奴隷だったわけで、ひとくちに奴隷身分と言っても実際にはいろんな暮らし方・扱われ方があったと思うし。

貨幣経済が、まだ未発達だったから、古事記や日本書紀を読むかぎりでは、売り買いというよりも、プレゼントって感じですね。「帝が即位なされる。おおそれはめでたい。では蘇我氏より、奴碑を100人ばかり……」みたいな(^^)

確かに奴隷と言えば、主人の所有物とされ、売り買いの対象となる人間ということなのですが、制度としてとらえると、様々なバリエーションがありますね。

近代奴隷制は、開始された当初から、非人道的だとされましたけど
古代のギリシャやローマで、奴隷制に疑問を持つ人はほとんどいなかったでしょう。というより、奴隷がいないと経済がなりたたなかった……(^^)。

産業革命以前だと、生産は、すべて人力によらなくてはならなかったので、奴隷といっても大事にされていたのかもしれないし……。

それでも、ギリシャとローマでは、奴隷のあつかいがぜんせん違っていて、ギリシャはスパルタが典型例なのですが、征服民族が、被征服民族を奴隷化して、身分階層として固定化させる。そのため、たびたび奴隷の反乱が起こって、それを制圧するために支配階層は「スパルタ教育」で超軍事国家を作らなくてはならなくなった。

ちなみにプラトンが「国家」で称えている、理想のジェンダーフリー教育とは、この「スパルタ教育」のことで、なんのことはない。男女のジェンダー差よりも、自由民と奴隷の文化の差のほうが大きかったんですね。奴隷に舐められないように、女の子にも厳しい軍事訓練、軍事訓練、軍事訓練……。

これがローマになると、解放奴隷という人たちが出てくるんです。要は真面目に働いたら自由民にしてあげるよ。実力次第では、子孫は元老員議員になれるかも……という制度を作る。このほうが、軍事制圧などしなくても、奴隷が真面目に働くんですね(^^)。

一方で、ローマ皇帝から生活保護を受けている「プロレターリア」と呼ばれる自由民もいたりして……。プロレターリアの意味は「子供以外に財産を持たない人」。子供も財産だったんだな。だからといって子供が酷い扱いを受けていたかというとそんなわけがない。原子力も石油もない時代においては、貴重な資源だったんだから……。

で、そのローマが地中海世界を制圧して、かつてプラトンが理想のジェンダーフリー教育と称えた「スパルタ教育」は衰退していき、「ローマ時代には、最後は見せ物と堕した」と平凡社の国民大百科事典に書いてあった……。

「見せ物」って、いったいなんだ……(^^)?

あ、これかあ。
スパルタ教育
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF%E6%95%99%E8%82%B2

>また、祭りではみな裸で踊らされ、嫌がれば当然体罰があるので、スパルタでは男も女も平然とした様子で踊っていたらしい。

スケベの考えることは、古代ローマも現代もいっしょだ(^^)

案外、産業革命以前の奴隷制を考える上での、鍵は、奴隷→解放奴隷→自由民→出世というインセンティヴがあるかどうかかも……。

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