| |
>自発的にジェンダーの規範に合致した行動を取る人は勝手ですよ。
>>でもさ、「ジェンダー」という文法用語の借用概念で社会的な男女観というのは、いわば母語の文法に当たるものでしょう。個人の男女観は「個人的な発話」に当たる部分で。するとさ、日本で育った人が日本語の文法に、自発的に合致して発話するのが「その人の勝手」と言えますか? たとえば日本語の文法の規範をバラバラに細粒化すべきであるような主張をしておいて、「従来どおりの文法で発話したい人は自由だと言ってるじゃないの」みたいなもんでしょ、それは。
>例えになってないよ。
どう違うのかね。文法用語からの借用概念であるからには、そういう主張をしたときと一緒じゃないか。母語の文法の規範の場合と、その文化の男女観の規範の場合と、どこがどう違ってくるのか説明してみなよ。
>しかし、自発的にジェンダーの規範に従いたくない人も、従わなければ雇用や昇進などにおいて低い評価を受けてしまう。それが問題なんだとわたしが言っている、ということが分からないわけがないでしょ?
>>造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃん、それは。その時々の評価が正当か不当かは、個別に見なければわからんじゃないの。「自発的にジェンダーの規範に従いたくない人」の言動が、低評価であって当然な場合だってあるじゃん。
>意味不明。全然関係ないように思えますが。個別に見るときに、どういう基準で見るかという話をしているわけですね。
「個別に見るときに、どういう基準で見るか」というときに、「自発的にジェンダーの規範に従いたくないかどうか」が当否の基準になるわけないだろう、と私は言ってるの。「自発的にジェンダーの規範に従いたくない人」の言動が、低評価であって当然な場合はないとでも言うんなら、造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃないかということ。どこが無関係なの?これもちゃんと説明するように。
>だから、男性も女性もみな化粧をしろというなら、それは差別にはならないですよ。
( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ?
>しかし、男性はこれまで通り化粧をしなくても何の不利な扱いも受けないのに、女性だけそういう扱いを受ける。
いいじゃん。男に化粧させなくたって。
>それは単なる偶発的な雇用者の好みではなく、「男性は化粧をしてはいけない、女性は公的な場所では化粧をするべきである」というジェンダーの規範が元となっているわけですよ。
そんな規範はないんじゃないの?だってそのカジノはそれまで、「男性は化粧をしてはいけない、女性は公的な場所では化粧をするべきであるというジェンダーの規範」とやらに反逆していたのかね?
化粧っ気のない落ち着いたカジノだったんじゃねぇの?店の営業不振か何か知らないし、オーナーが変わったのかもしれないけど、イメチェンをはかりました、ってことだろうに。そりゃ店主の裁量じゃんか。しかし、そのイメチェンが古株の従業員の気に入らないことだった…というのならわかるんだけどさ。あなたのいうような「制度に従う」かどうかの話じゃないだろ。
>> で、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになるの?ならないの?あなたから見て。
>「日本や欧米は差別文化圏ではなく、イスラム諸国は差別文化圏である」というようには全然思いません。差別文化圏と言うなら、どの文化圏にも差別はあり、それぞれ違った形式であると思います。個別の問題においてある国がより差別的であったりなかったりすることはあるでしょうが、ある文化が総体として差別的であり他の文化は違うという話は何の意味もないと思います。って、そんな当たり前のこと聞いてどうするのか。
そんな当たり前のことは聞いとらん。クソ一般論で逃げんなやヴォケ。イスラムを文化圏と表現したからそんな姑息な逃げを打つんだろうけど、イスラムとは政治から生活の隅々までを規定してる宗教だろ?
じゃぁ、もっと直接に聞こう。服飾ひとつとっても男女別で規範が違えば差別…というあなたから見て、厳格な男女別の規範の多いイスラム教の教えは、ただそれだけで「差別宗教」ということになるの?ならないの?
あなたがたは、イスラムも仏教も「差別だ!」として将来目標として否定していくつもりかね。ただ単に男女別の規範がありさえすれば、それだけの理由で。経典などを通じた「再生産」とやらは、服飾の比じゃないと思うが?
|
|