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洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/7(土) 23:45
  Re(1):洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/8(日) 1:27
  Re(2):洒落になっていない差別の話 純子 06/10/8(日) 17:39
  Re(2):洒落になっていない差別の話 macska 06/10/8(日) 20:25
   Re(3):洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/9(月) 1:10
  Re(1):洒落になっていない差別の話 純子 06/10/8(日) 16:17
  Re(2):洒落になっていない差別の話 macska 06/10/8(日) 21:00
  Re(3):洒落になっていない差別の話 gaji 06/10/8(日) 22:52
  Re(3):洒落になっていない差別の話 gaji 06/10/8(日) 23:24
  Re(4):洒落になっていない差別の話 tpkn 06/10/9(月) 0:49
  Re(3):洒落になっていない差別の話 純子 06/10/9(月) 11:16
   Re(4):洒落になっていない差別の話 macska 06/10/12(木) 13:26
   Re(5):洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/12(木) 23:58
   Re(5):洒落になっていない差別の話 純子 06/10/13(金) 12:34
   Re(6):洒落になっていない差別の話 純子 06/10/13(金) 19:06
   Re(6):洒落になっていない差別の話 Josef 06/10/16(月) 23:53
  ところで 芥屋 06/10/19(木) 0:36
   少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】 純子 06/10/19(木) 19:09
   Re(1):すみません。横レスです バジル二世@パソ故障中 06/10/21(土) 13:09
   漫画バナシ 芥屋 06/10/22(日) 23:27
    Re(1):漫画バナシ gaji 06/10/23(月) 3:49
    Re(2):漫画よもやまバナシ バジル二世@漫画喫茶 06/10/23(月) 10:26
   Re(1):少女革命ウテナと、なぜか競馬ネタ 芥屋 06/10/23(月) 0:36
  Re(1):洒落になっていない差別の話 macska 06/10/8(日) 19:51
   Re(2):洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/9(月) 1:46
   Re(3):洒落になっていない差別の話 macska 06/10/12(木) 13:00
   Re(4):洒落になっていない差別の話 芥屋 06/10/13(金) 0:43

洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/7(土) 23:45 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=790;no=979;id=keya1984
↑の続きです。まず、この中でmacskaさんの特に目に付いたレスのうち少しだけ感想を書いときます。ご参考までに。

>会社で毎朝キリスト教のお祈りをするように強要されたら、その会社がキリスト教関連会社でもない限り問題でしょう。ところが現実に、化粧品のモデルとして採用されたわけでもないのに、毎日化粧をするよう強要されている労働者がいるわけです。

キリスト教関連会社でもないのにそんな会社あるわけないじゃん…って、あぁそうか、キリスト教系のカルト教団が表向きは一般の会社のように見せかけて、入社した人をいつしか洗脳したら…ということか。それは別の問題だよな…。ところが、普通はモデルでなくても女は化粧したがるものだろうけど、それもカルトの洗脳と一緒じゃないか(自発的だと思われているが強要されて刷り込まれたもの)ということかな、この文脈だと。

>ジェンダーの規範による差別というレベルでは訴えている人はたくさんいますよ。例えば、化粧するよう上司に言われたが拒否したため解雇されて裁判で争っている人がいますが、彼女は「どうして男性は化粧をしなくても解雇されないのに、女性だけ化粧することが義務とされるのか」と主張しています。

これ見て、まず「これはどこの話?」と思いました。だって日本人の普通の職場感覚で言えば、窓口などの接客部門はともかく純粋な内勤業務の場合、「化粧くらいしろよ」と言われるようなことって、ほとんどないと思うし。そもそもそういった感覚はあまり強くないんじゃないかな。仮にそう思う人がいても、それを実際に本人に向かって口にするような人は、「セクハラよ!」以前に「無神経なやっちゃな」と言われると思う。

それよりどっちかって言うと、「職場なんだから、そのケバい厚化粧はどうにかならんか」と思われるケースのほうが多いと思う。でも、これはこれで言いにくい。逆にいつもスッピンだとして、不快に思われたり文句言わたりすることって、ほとんど思いつかない。だからその話、何だかすんごいアメリカっぽいなぁと感じて検索してみたら…

http://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0915_017.asp?id=50508
↑これか…。何だぁ、典型的なジェンダー教徒のヴァカ女じゃんw やっぱりアメリカか、と思うと同時に、敗訴になって当たり前だって。カジノで、この店の方針だろ? もちろん、「バーテンダーだということで就職したのに、実際には性風俗のホステスみたいなことをさせられるとわかった。抗議したら解雇された」とかなら、そりゃぁ不当な話だけど。

こんなもんを「差別」の「実例」に挙げてたのか…。つうかこれ、活動家がワザとやってたりして。そういう服務規定の店だとわかってて、抗議して解雇されることを見込んで裁判闘争をして。そこで自分たちの主張に世間の注目を集めようとする「戦略」だったりして。

しっかし、こうなるともはや誰のための運動なのか。少なくとも普通の働く女のためのものではないな。ジェンダー教徒が宗旨を職場で実践しても良いではないか?という訴えだな。でもその宗旨の実践というのは、そこの職場で規定を変えさせることだから、そんな信者は雇ってもらえなくて当然かと。ムスリムの職員が「定時に、空き部屋でいいからメッカにお祈りさせてもらえんだろうか。業務に支障をきたすようなことはないので」と相談するような話とは、まったく違うし。だから、

>イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。

これはちょっと。それこそムスリムへの偏見じゃないかと。私がその手の報道番組で見たのは、異教の地で暮らすムスリムの謙虚で敬虔な態度。「私はムスリムだ!私を雇った以上、社内のどこででも定時にお祈りさせていただく!」なんて横着な態度を取るムスリムなんて見聞きしない。日本で働いているムスリムも少なからずいるわけだけど、「職場の雰囲気を壊すことに無頓着なムスリム」とか「雇ったムスリムにお祈りの時間も場所も与えない職場」とかいったようなものはどちらも不寛容だと思う。だけど実際には双方が、場に合わせ、相手に合わせしていることが多いのでは。万国共通のことだと思うけど。

それに、基本的なこととして「棲み分け」をしていると思う。ムスリムのほうから見て、働きたい業種で同業2社があるとする。イスラムに偏見が多いA社と、イスラムに偏見が少ないB社。そしてB社には、先輩のムスリムもいるわけね。そしたら新参のムスリムはB社を希望するでしょう。わざわざA社に乗り込んでいって「勤務中に職場で礼拝させないのは差別だ!」なんて言うムスリムの話は聞かないな。コミュニティって、そうやって形成されていくものだと思う。

ジェンダー教徒から見れば、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになりそうなんですけどね。

>今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。

私が「成り立たないと思うけどどうか」と尋ねたことに対して、「いいえ、自分の中では、このように成り立っている」ということで、一例としてスカートなど服飾の話になったのでした。

服装や化粧その他の装飾品についても男女で異なる基準があると差別…という世界観には、もはや反論するとかしないとかいう次元じゃないような気がする。信者さんのその世界観には、「反論」は無意味というか。

「なぜこの信者さんは、こんな主張をするのだろう」「その主張は、肝心の教義とも異なっているんじゃないかな」と思って尋ねてみると、信者さんは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉々として教義の意味と主張の兼ね合いを語る。そこで、観念的な部分よりは具体的な事柄について語られる部分に注目するんだけど、そのあたりになると、およそ現実社会のこととも思われず、「あぁ、聞いちゃ悪かったかな」と感じ始める…今、そんな感じです。

Re(1):洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/8(日) 1:27 -

引用なし
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   >純子さん:

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1031;id=keya1984
↑この辺から、よもやま話です。服飾史の「まとめ」、面白いですね。すると、将来的には「スカート」は女が男と会うときの「勝負服」になっていくのか?

【未来世紀スカート(その1)】
ある夫が外勤中、ばったりと妻に出会った。妻は、なんとスカートを履いていた。
夫「おい!おまえ何でスカートなんか履いてるんだ?!」
妻「…!」
夫「スカートなんか履いてどこへ行く気だ?男と会うんだな!?」
妻「ち、違うってば!!」
夫「じゃあ何でスカートなんか履いてるんだ?おかしいじゃないか!」

【未来世紀スカート(その2)】*上記よりさらに後の時代。
ここはホテルの一室。男が女に尋ねる。
男「ねぇねぇ、約束どおり持ってきてくれた?スカート…」
女「持ってきたよ(*^^*)」
男「見たい見たい!早く着けて見せて!!」
女「あせらないでよ♪着替えるから待っててね?」

>杏野先生のブログより
>http://d.hatena.ne.jp/annojo/20061002

これ、立ち読みしますた。いい感じの本ですね。特にイラストが(・∀・)イイ!

>性同一性障害と異性装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこにいるんだって話ですね、これは……(^^)。

macskaさんは「知人にいます」と言ってたけど、実〜は私も「男物のスカートって、あれば良かったのに(あったら履いてみたい)」と思ったことありますよ(笑)。末広がりの衣服で男向け、っていうのもカッコいいはずだよなぁ、と。裾をバフバフさせながらズカズカ歩く…。すると女房からは「ソフトバレエの人たちがそういうカッコしてたのを見たことあるよ」「確かゴルチェが、そういうの出してなかったっけ。でもアンタには似合わんと思う」と一蹴されますた。しっかし、こういうのが何で「差別」になるんだか…「差別」された覚えはないぞ^^

だから、「女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどない」のは「需要がないから」に尽きますよねぇ。どうも「洋服のスカートとは何ぞや」がわかってないとしか思えない。もともと「オンナ」を演出する衣服なのであって。だからこそ、「男」がそれを身にまとうことで「女を装う」というものが成り立つはずなのに。男女で服飾の規範が違うのが「差別だ」ということになって、じゃぁそういう規範を撤廃させますよとか言い出すと…。

そして趣味の女装フェチの人と、GIDのMtFの人では「女物を身にまとう」意味が全く違うと思うのですが、どちらにせよ「スカートがオンナの記号なのはおかしい」という政治的主張は歓迎されないように思うのですね。あるいはまったく別の話で「男のお洒落として女物を使う」という場合はあるんですけど、シャツとかはともかくスカートは違うよなぁ…どう考えても「架空の代弁」かと。

>男性がスカートをはけないのが差別だとmacskaさんはいう。でも、これは男性は掃きたくとも、はけないんじゃなくて、掃かないんじゃないですか。
>理由はただ一つ「動きにくいから……」

ここで、私の「スカート体験」を。ドカチンのバイトをやってて、ペンキを作業服のズボンにブチまけてしまったときのこと。代わりの作業着もなく、仕方なしに白布を腰に巻いたのですが、ほとんど「巻きスカート状態」。パンツも脱いでいたので、下手にしゃがむと股間丸見えになるんですが、女子従業員もいるし、股間が見えないような動きになるわけです。するとそこで大発見。

「あっ!この動きは女の動きだ!」

実際、社員さん(♀)たちから「あはは、女みたいな仕草になってんじゃん」と冷やかされますた。私はそこで、「そっかぁ、女はこういう風に気にしながら動くから、あぁいう仕草になるんだな…」と思いました。着衣と身体感覚と動作は密接だな、と。

*余談ですが、こういう体験が快感?になって癖になる趣味の人(♂)もいるのでは、とかも思った覚えがあります。

【ma】
>>休日の自由時間にスカートをはく趣味のある人だってそれをひたすら隠している、隠さざるをえない現実がある。
【純】
>趣味ではく場合は、(中略)、女性用のものだというのがポイント。これだとエッチな意味合いに取られる場合があるから、恥ずかしいので隠すわけです。電車の中でエロ本をどうどうと広げている人があまりいないのと同じです。

思うに、「女装」と聞くと反射的に「女の服に包まれてる(*´Д`)ハァハァ」を連想する人が多いのかもしれない…という気がしました。そういう固定観念で連想をする人からしたら、人目につくとこで女装している=露出狂みたいに思えるのかな、と。しかし逆に言えば「女の服に包まれてる(*´Д`)ハァハァ」の人は、それこそ隠したいんじゃないかな、とか。「禁断の…」「秘められた…」「ひとに知られるわけにいかない…」だからこそというエロもありますわなぁ、犯罪的なものでなくたって。以下はオマケ(笑いのツボにはまった^^)

【ma】
>>偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。
【純】
>最近では、趣味のレベルでやってる人で、カムする人も増えてきてますが。女装でコスプレなんて、似合ってれば、人気者だよ。
【ma】
>>女装とかコスプレの話をしているつもりはないんですが

…何の話をしているつもりなのだろう(苦笑)

Re(1):洒落になっていない差別の話
 純子  - 06/10/8(日) 16:17 -

引用なし
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   >芥屋さん:

この意見は興味深かったです。

http://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0915_017.asp?id=50508

> 規定の大半は理にかなっている限り裁判で支持される確率が高いのは雇用者にとって好ましい。しかし、悪魔は細部に潜んでいる。服装および容姿の規定を導入する際に最も重要な事は、政策に柔軟性を持たせ、代替策のための余分なスペースを設けておく事だ。言い換えれば、管理者または従業員をぎゅうぎゅうに詰め込み過ぎ、身動きがとれなくなる事態を避けた方が賢明だということだ。

なるほど、こういう問題に関しては、アメリカ人も「場の空気」を尊重しているんですね。きっと、日本の場合は、2000年以上もの間、一億もの人間が、狭い国土に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれて暮らしていますから、アメリカ以上に「場の空気」を尊重して、規範に余分なスペースを設けておかなくては、身動きがとれなくなってしまって、困ってしまうのかもしれません。


>>今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。
>
>私が「成り立たないと思うけどどうか」と尋ねたことに対して、「いいえ、自分の中では、このように成り立っている」ということで、一例としてスカートなど服飾の話になったのでした。

>服装や化粧その他の装飾品についても男女で異なる基準があると差別…という世界観には、もはや反論するとかしないとかいう次元じゃないような気がする。信者さんのその世界観には、「反論」は無意味というか。


これはmacskaさんの「差別」の定義がヘンなんでしょう。

>>macskaさん曰く
>>わたしは、感情も不当な扱いも原則OKの立場です。
>>そこまで含めて自由主義者を自称しています。
>>阪神ファンは採用しない」も、「東大出身者は採用しない」もOKです。
>>なぜなら、阪神ファンや東大出身者を差別するような社会システムは存在せず、
>>不当な扱いをしてもそれは個別の行為以上のものではないから。

>>これが、同性愛者差別だとか、部落差別とかになると、個別の行為が差別的な社会制度を強化し、社会制度が差別的な個別の行為を産み出すという具合に、制度と行為の循環が起きています。 それが、「制度化された差別」ということです。
>>わたしが反対するのは、カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為全般ではなくて、「制度化された差別に基づく行為」そして「差別の制度化」です。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2351&range=1より

これでは、オウム真理教の信者が、信者以外の人間は救いがたい存在であるという「感情」に基づいて、信者以外の人間をサリンで殺戮するという「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」をしても、原則Okで、それにはmacskaさんは反対しないことになる(^^)。なぜなら、オウム真理教信者以外の人間を差別するような社会システムは存在せず、不当な扱いをしても、それは一宗教法人が行った「個別の行為」以上のものではないから……(^^)。

冗談はやめてほしいと言いたくなりませんか?。


>>macskaさん曰く
>>わたしは行為は「差別的」であっても「差別」そのものではないと考えています。差別そのもの」とは、行為が制度を補強し、制度が行為を招き寄せるという循環全体のことです。

行為が「差別的」だったら、循環してなくてもそれは「差別」です。しかし行為が差別的でなければ、行為が制度を補強し、制度が行為を招きよせるという循環全体があっても、それは差別ではない。

たとえば、あるサルが芋を洗って食べるという行為を行ない、そのサルの属するサル社会のボスが「これはいいや、芋がおいしくなるし」と、制度化し、その結果「芋洗い行為」がその群全体に広がって、それを見た隣の群のサルが……という構造も循環しているけど、これを「芋を洗わないサルへの差別」だとは考えませんね。

>>>macskaさん曰く
>わたしは「ジェンダーの規範」がどのようにインプットされていくかについては、別のメカニズムを主張しています。それは、「制度が個別の行為を助長し、個別の行為が制度を強化する」というシステムの循環がそれ自身を自動的に再生産している、というものです。

この説明に至っては、かなりひどいです。システムの循環で、ある行為が自動的に再生産されて制度として成立していれば、その規範が正当なものか不当なものかという検証は一切なされず。循環しているだけで差別であることになっている。

これでは、サル社会の「芋洗い行為」というサル文化まで、差別ということにされてしまう。人間はけっしてそのような過ちを犯してはならない……って、それじゃ人間はサル以下の文明しか持てないことになってしまいまつ……(--)

macskaさんが、どこで、ごまかしてるかというと、

ある差別があって、その差別が悪循環的に、次の差別を呼ぶような構造になっていると、個人の地道な努力では、その解決は難しい、だからその差別の解消に関しては、政府や社会が強権発動で介入して差別を是正しても、個人の自由に対する侵害にはならない。

という意見なら正しいんです。しかし、それは差別にかかわらず、貧困の問題でも、「ひきこもり」の問題でも、不良債権問題でも、デフレスパイラルにも言えます。スパイラル構造がある問題は、個人の努力ではどうしようもない場合があるからです。ただし、これは他者の自由権に対する侵害になる可能性もあるので、介入の正当性に関しては、十分な検討を必要とされます。

全体主義国家というのは、その正当性の検証を行わないまま、権力による介入を乱発して、強権的な独裁国家へと変貌していくわけですね。

ある行為が制度と循環構造になっていれば「差別」であるというのなら、その大本の行為、たとえば「ひなまつりを祝う」とか、「男性はスカートをはかない」とか、「女性は化粧をする」とか、それがどんな行為であっても、その正当性/不当性を問うことなく、「差別」と定義して糾弾が可能ということになってしまいます。

それは、まったくダメな思想だと私は思います。


>「なぜこの信者さんは、こんな主張をするのだろう」「その主張は、肝心の教義とも異なっているんじゃないかな」と思って尋ねてみると、信者さんは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉々として教義の意味と主張の兼ね合いを語る。そこで、観念的な部分よりは具体的な事柄について語られる部分に注目するんだけど、そのあたりになると、およそ現実社会のこととも思われず、「あぁ、聞いちゃ悪かったかな」と感じ始める…今、そんな感じです。


>>macskaさん曰く
>>すなわち、ある服装を男性が着れば「ふさわしい」のに、女性が着れば「ふさわしくない」とされてしまう。というか、服装は例に過ぎないんであって、わたしは全ての「ジェンダーの規範」を問題としているのに、何故かこう「服装」に固有の話題(プライベートの嗜好、性的趣味、衣服文化など)になってしまうんだよなー。

プライベートの嗜好、性的趣味、衣服文化に、まったく無関係で、宙空に浮き上がって、自尊自立している『全ての「ジェンダーの規範」』というものが、まさか本当に、この世にあると思っているんですかねえ?

そこらへんでMacskaさんの意見は破綻しているんですよ(--)

八木さんや西尾さんなら、こういう思想は「マルクス主義」に見えるんでしょうが、私はグノーシス主義を思いだしちゃいますね。この世は悪の神アブラクサスによって創造され、支配されている。だから、この世のすべてに悪の要素が混ざりこんでいる。誰もそれから逃れることはできない……。「少女革命ウテナ」の劇場板だ(^^)。

Re(2):洒落になっていない差別の話
 純子  - 06/10/8(日) 17:39 -

引用なし
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   >芥屋さん:

>↑この辺から、よもやま話です。服飾史の「まとめ」、面白いですね。

ありがとうございます。頑張って書いたかいがありました(^^)

>【未来世紀スカート(その1)】

未来じゃなくて、現代で、いつもジャージだった奥さんがいきなりスカートをはきはじめて、「不倫してるのか」?と不安になっている旦那さんはいるような気がします。

>【未来世紀スカート(その2)】*上記よりさらに後の時代。

スカートはさすがにまだ早いですが、既に巫女さんの行灯袴はそうなっているような気も……

>macskaさんは「知人にいます」と言ってたけど、実〜は私も「男物のスカートって、あれば良かったのに(あったら履いてみたい)」と思ったことありますよ(笑)。末広がりの衣服で男向け、っていうのもカッコいいはずだよなぁ、と。裾をバフバフさせながらズカズカ歩く…。

昔、友人だった神主の息子さんが、やってました。お払いの時に、さっと体を翻して、神殿に向き直る時に、本袴の裾がふわっと広がって、かなり格好いいんです。ある意味、宗教って、ショービジネスで、格好キメないとありがたみがなくなってしまいますから(^^) いやあ、さすがプロは上手でさまになってるなあというか……(^^)

>あるいはまったく別の話で「男のお洒落として女物を使う」という場合はあるんですけど、

たとえば、ネクタイがそうですね。ルイ14世が、女物のスカーフを首に巻いたのが、他の貴族の間でも流行して、定着した。

また必殺仕置人の中村主水が着ている八丁堀同心の制服の身幅が女仕立てなのもそうですね。当時、町民の間では、細い身幅の女仕立の着物を着るのがイキだと流行っていた。同心は武士なんだけど、役目が警邏なので、町民を威圧しないよう、わざとそれを採用していた。


>【ma】
>>>偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。
>【純】
>>最近では、趣味のレベルでやってる人で、カムする人も増えてきてますが。女装でコスプレなんて、似合ってれば、人気者だよ。
>【ma】
>>>女装とかコスプレの話をしているつもりはないんですが
>
>…何の話をしているつもりなのだろう(苦笑)

議論してる本人も気が付いていなかった(^^)。確かにおかしい(苦笑)

「ある理論」があって、それに沿って例を持ち出し、その例がなりたたないと指摘されたら、それは元になる理論のほうに欠陥があるのではと疑わなくてはならない。なりたたない例を、例外にして、「ある理論」を守ったら、それはトンデモ科学と言われてもしかたがない。

Re(1):洒落になっていない差別の話
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 19:51 -

引用なし
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   > キリスト教関連会社でもないのにそんな会社あるわけないじゃん…って、

だから、宗教の自由との関連では普通ありえないのに(いや、キリスト教ではなければそれに近い例は結構ありそうですが)、ジェンダーの自由との関連では日常的にあるから問題だ、という論理です。

> あぁそうか、キリスト教系のカルト教団が表向きは一般の会社のように
> 見せかけて、入社した人をいつしか洗脳したら…ということか。

そんな話してないですね。

> ところが、普通はモデルでなくても女は化粧したがるものだろうけど、
> それもカルトの洗脳と一緒じゃないか(自発的だと思われているが強要
> されて刷り込まれたもの)ということかな、この文脈だと。

勝手に文脈作らないでください!(笑)

自発的にジェンダーの規範に合致した行動を取る人は勝手ですよ。しかし、自発的にジェンダーの規範に従いたくない人も、従わなければ雇用や昇進などにおいて低い評価を受けてしまう。それが問題なんだとわたしが言っている、ということが分からないわけがないでしょ? カルト教団の話なんて全然してないですよ。

> これ見て、まず「これはどこの話?」と思いました。だって日本人の普
> 通の職場感覚で言えば、窓口などの接客部門はともかく純粋な内勤業務
> の場合、「化粧くらいしろよ」と言われるようなことって、ほとんどな
> いと思うし。

ほとんどないということは、あるんですね。

> つうかこれ、活動家がワザとやってたりして。そういう服務規定の店だ
> とわかってて、抗議して解雇されることを見込んで裁判闘争をして。

そういう服装規定がない店で、長年化粧をせずに働いてきたのに、あとからそういう規定ができて化粧を拒否したら解雇されたそうですが。

> 「私はムスリムだ!私を雇った以上、社内のどこででも定時にお祈りさ
> せていただく!」なんて横着な態度を取るムスリムなんて見聞きしない。

ちょっとまった。もしかして、ムスリムは定時以外にはお祈りをしないとでも思ってますか? 昼休みなどの休憩時間にお祈りするくらい、信仰心の高い人なら普通にありますよ。それを会社が「職場の雰囲気と違うから」といってやめさせることができるのかどうか、という話をわたしはしているのですが。わたしは最初から、定時にお祈りできるように会社が特別の休憩時間を認めるかどうかなんて話は一切していませんよ。

> それに、基本的なこととして「棲み分け」をしていると思う。

それは少数者の智慧として否定しないけれど、だからといって偏見の多い会社はそのままでいいということにはなりませんね。

何度も言うように、わたしは「乗り込んで行って抗議するかどうか」みたいな具体的な対処の話は一切していない。ある問題を差別であるかどうかという認識を議論しているだけです。

> ジェンダー教徒から見れば、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の
> 規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになり
> そうなんですけどね。

確かに、もしジェンダー教という宗教があればその信者はそう考えるかもしれませんが、わたしはジェンダー教という宗教を信奉しているわけではないですからねぇ。

> 服装や化粧その他の装飾品についても男女で異なる基準があると差別…と
> いう世界観には、もはや反論するとかしないとかいう次元じゃないような
> 気がする。

だったら、わたしの「差別」定義が間違いであると言わなくちゃ。

それは要するに、あなたが「そのくらいは社会的に容認されるべきだ」と思っているだけの話でしょ? しかし、わたしは社会的に容認されるべきかどうかという話は一切していない。差別かどうかという議論と、差別であればどうするかという議論は全く別なのだと何度言えば分かるんだろうか。

Re(2):洒落になっていない差別の話
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 20:25 -

引用なし
パスワード
   > しっかし、こういうのが何で「差別」になるんだか…「差別」された
> 覚えはないぞ^^

あなたの挙げた例は全然差別ではないですが。奥さんから「アンタには似合わんと思う」と言われただけでしょ。そんなことまで差別と呼ぶ人がいたとしたら、確実にその人はおかしい。

この例は、わたしが議論しているポイントとは3つも違う点があります。まず第一に、わたしは雇用や昇進に関連して不利な扱いを受けることを例として挙げているのであって、ただ「似合わない」と思われることは含めていない。第二に、そこでスカートをはいたら似合わないと言われているのは男性全体ではなくあなた個人なのだから問題なし。第三に、奥さん個人の価値観は自由。

> だから、「女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカー
> トはほとんどない」のは「需要がないから」に尽きますよねぇ。

だから、それを言うことに何の意味があるのか。
わたしが何かそれに異論を唱えるとでも思ってますか?

> どうも「洋服のスカートとは何ぞや」がわかってないとしか思えない。
> もともと「オンナ」を演出する衣服なのであって。

それを制度と呼ぶのですね。

> 男女で服飾の規範が違うのが「差別だ」ということになって、じゃぁそ
> ういう規範を撤廃させますよとか言い出すと…。

ここにも2つ間違いがあります。第一に、性別の存在そのものがセクシズムではないように、ジェンダーステレオタイプの存在そのものは必ずしもジェンダリズムではありません。わたしは、ジェンダーステレオタイプに基づく差別が存在すると言っているのであって、ジェンダーステレオタイプが常にそれだけで差別だとは言っていない。第二に、わたしは差別が存在するとは言っているけれど、差別のもととなっている規範を撤廃すべきだと「言い出している」人はどこにもいない。

> そして趣味の女装フェチの人と、GIDのMtFの人では「女物を身にまとう」
> 意味が全く違うと思うのですが、どちらにせよ「スカートがオンナの記号
> なのはおかしい」という政治的主張は歓迎されないように思うのですね。

歓迎されないでしょうが、そもそもそんな政治的主張をわたしはしていません。

> どう考えても「架空の代弁」かと。

代弁していない。単に差別という言葉をどう定義するかという問題です。

Re(2):洒落になっていない差別の話
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 21:00 -

引用なし
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   純子さん:
> これでは、オウム真理教の信者が、信者以外の人間は救いがたい
> 存在であるという「感情」に基づいて、信者以外の人間をサリン
> で殺戮するという「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」
> をしても、原則Okで、それにはmacskaさんは反対しないことになる(^^)。

なりませんね。差別でさえなければどんな行為でもわたしは一切反対しないという前提があればそうなるでしょうが、そんな法外な前提を置いた覚えはないわけで。

阪神ファンだという理由で雇わないのは理不尽な行為ですが、差別ではない。同様に、阪神ファンだという理由で誰かを殺害しても、それは差別とは呼ばないわけです。しかし、だからといって殺害を容認するわけではないのは当たり前の話。小学生でも分かります。

> 行為が「差別的」だったら、循環してなくてもそれは「差別」です。
> しかし行為が差別的でなければ、行為が制度を補強し、制度が行為
> を招きよせるという循環全体があっても、それは差別ではない。

循環するすべてのものが差別ではないというのはその通りです。それが差別と呼ばれるためには、権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの不均衡な分配というもう一つの要素が必要です。

> この説明に至っては、かなりひどいです。

理解されていないだけのような気もするんですが。

> プライベートの嗜好、性的趣味、衣服文化に、まったく無関係で、
> 宙空に浮き上がって、自尊自立している『全ての「ジェンダーの規
> 範」』というものが、まさか本当に、この世にあると思っているん
> ですかねえ?

だから、そんな風に相手の発言を極端に歪曲してバカにしてみせるというのはやめてください。時間のムダです。だいいち、わたしは中観派仏教徒なのに、何にも依存せず自立しているものの存在なんて想定しているはずがないじゃないですか。

***以下は管理人により前スレより転写***

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1074;id=keya1984
> はて、新宿二丁目「地方」や、新宿三丁目「地方」あたりで、スカートをはいている方をみかけたような気がするが……(^^)? あとコミケとかワンフェスでも目撃されるというウワサも……(^^)

日本のジェンダー制度においてそれは特殊な例でしょ?
それとも、日本では男がスカートをはく文化と女がスカートをはく文化が対等だと?
話にならない。

> 案外、林先生のいうように、男女で生得的な差異があって、それに対応した「ジェンダー規範が形成されているのかもよ。

なんだかいい加減な論理ですが、だったら少なくともジェンダーが規範として形成されているという点には合意していただけるわけですね? …じゃあ、どこが不満でこんなにゴチャゴチャ言ってくるんだろう。

Re(3):洒落になっていない差別の話
 gaji  - 06/10/8(日) 22:52 -

引用なし
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   >macskaさん:

>だいいち、わたしは中観派仏教徒なのに、何にも依存せず自立しているものの存在なんて想定しているはずがないじゃないですか。

さすがスゴイ!
macskaさんって「中観派仏教徒」だったんですか。。初耳です。
カンドーしました、。

***以下、管理人により前スレより転写***

>> はて、新宿二丁目「地方」や、新宿三丁目「地方」あたりで、スカートをはいている方をみかけたような気がするが……(^^)? あとコミケとかワンフェスでも目撃されるというウワサも……(^^)

>日本のジェンダー制度においてそれは特殊な例でしょ?
>それとも、日本では男がスカートをはく文化と女がスカートをはく文化が対等だと?
>話にならない。

つまるところ、洋装がイクナイ!ということになりますか?
いまでも花火見物や盆踊りでの浴衣は男も女も対等といえますネ。
旅館でのくつろぎ着(浴衣に羽織等)は、男女兼用ですし。

というか、男と女がいるかぎり(よかれ悪しかれ)どんな文化にもジェンダーは未来永劫存在するわけですから、男と女がいなくなれば、問題は解消するということになりますね…。
男の子や女の子を妊娠したら生まなければOK〜♪なだけでわないですか。
これからは選択的にアンドロギュノスを出産すればいい、と。
もしくは生まなければイイ。人類が死滅・絶滅すれば、ジェンダーなんて、なくなります。

Re(3):洒落になっていない差別の話
 gaji  - 06/10/8(日) 23:24 -

引用なし
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   >macskaさん:

>> 案外、林先生のいうように、男女で生得的な差異があって、それに対応した「ジェンダー規範が形成されているのかもよ。
>なんだかいい加減な論理ですが、だったら少なくともジェンダーが規範として形成されているという点には合意していただけるわけですね? …じゃあ、どこが不満でこんなにゴチャゴチャ言ってくるんだろう。

アーナンダーコーナンダーアンガーリュージュナー……、ゴチャゴチャ言ってるのは、macskaさんでわアリマテンカ、、

ジェンダーが規範として形成されているという点が問題だとすれば、これってどこまでいっても同じですよ。なぜって、規範が形成されない、なんてことはありえないから。

いったい、どこが不満でこんなにゴチャゴチャ言ってくるんだろう。(--

Re(4):洒落になっていない差別の話
 tpkn  - 06/10/9(月) 0:49 -

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   つーか、がじきん邪魔。

まともな話できないんなら少し黙ってて。読みにくくなるだけなんで。

Re(3):洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/9(月) 1:10 -

引用なし
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   >macskaさん:
>あなたの挙げた例は全然差別ではないですが。

もちろんそうですよ。だから確実におかしいのはあなたなんですよ。だってここは、「男のスカート」の話で、しかも趣味の女装フェチでもなければGIDでもない人についての話だったじゃん。

>まず第一に、わたしは雇用や昇進に関連して不利な扱いを受けることを例として挙げているのであって、

趣味の女装フェチでもなければGIDのMtFでもない人が自由時間にスカートを履くことによって雇用や昇進に関連して不利な扱いを受ける例などあるのかね。

以下のアホダラ経は文意の主旨もわかってない糞レスので割愛。

Re(2):洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/9(月) 1:46 -

引用なし
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   >macskaさん:

>自発的にジェンダーの規範に合致した行動を取る人は勝手ですよ。

でもさ、「ジェンダー」という文法用語の借用概念で社会的な男女観というのは、いわば母語の文法に当たるものでしょう。個人の男女観は「個人的な発話」に当たる部分で。するとさ、日本で育った人が日本語の文法に、自発的に合致して発話するのが「その人の勝手」と言えますか? たとえば日本語の文法の規範をバラバラに細粒化すべきであるような主張をしておいて、「従来どおりの文法で発話したい人は自由だと言ってるじゃないの」みたいなもんでしょ、それは。

>しかし、自発的にジェンダーの規範に従いたくない人も、従わなければ雇用や昇進などにおいて低い評価を受けてしまう。それが問題なんだとわたしが言っている、ということが分からないわけがないでしょ?

造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃん、それは。その時々の評価が正当か不当かは、個別に見なければわからんじゃないの。「自発的にジェンダーの規範に従いたくない人」の言動が、低評価であって当然な場合だってあるじゃん。

>> これ見て、まず「これはどこの話?」と思いました。だって日本人の普通の職場感覚で言えば、窓口などの接客部門はともかく純粋な内勤業務の場合、「化粧くらいしろよ」と言われるようなことって、ほとんどないと思うし。
>
>ほとんどないということは、あるんですね。

ほとんどないから、制度でも何でもないよ。

>そういう服装規定がない店で、長年化粧をせずに働いてきたのに、あとからそういう規定ができて化粧を拒否したら解雇されたそうですが。

そうですか。でも、そのカジノのオーナーが衣装や化粧の新機軸打ち出したんだから、従えばいいじゃん。歓楽街の賭博場で接客業でしょ?店主の裁量の範囲内、という判決が正しいですよ。お客のお触りや店外デートのお誘いに応じましょう!とかじゃあるまいし。

>ちょっとまった。もしかして、ムスリムは定時以外にはお祈りをしないとでも思ってますか? 昼休みなどの休憩時間にお祈りするくらい、信仰心の高い人なら普通にありますよ。それを会社が「職場の雰囲気と違うから」といってやめさせることができるのかどうか、という話をわたしはしているのですが。

だから、そういうムスリムが「わたしを雇った以上、社内のどこででもいつでもお祈りさせていただく!」「職場の空気なんか知るか!」なんて言うかっつうの。普通は言わないじゃん。聞いたことないでしょ?

>> ジェンダー教徒から見れば、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになりそうなんですけどね。
>
>確かに、もしジェンダー教という宗教があればその信者はそう考えるかもしれませんが、わたしはジェンダー教という宗教を信奉しているわけではないですからねぇ。

で、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになるの?ならないの?あなたから見て。

Re(3):洒落になっていない差別の話
 純子  - 06/10/9(月) 11:16 -

引用なし
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   >macskaさん:

>阪神ファンだという理由で雇わないのは理不尽な行為ですが、差別ではない。同様に、阪神ファンだという理由で誰かを殺害しても、それは差別とは呼ばないわけです。しかし、だからといって殺害を容認するわけではないのは当たり前の話。小学生でも分かります。

>>macskaさん曰く
>>阪神ファンは採用しない」も、「東大出身者は採用しない」もOKです

小学生でも「それはヘンだろう」と感じるであろう常識的な感覚をズラして詭弁をつかっている「自由主義者」は誰(^^)?

>循環するすべてのものが差別ではないというのはその通りです。それが差別と呼ばれるためには、権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの不均衡な分配というもう一つの要素が必要です。

つまり問題は「権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの不均衡な分配」のほうなわけですね。それが、適正であるかどうかを巡って論争が起きてるわけでしょう。「男性用スカートが市場にないのは不当だ」VS「需要がないから供給されないだけで市場原理に基づく自由は確保されている」

>>macskaさん曰く
>>わたしが反対するのは、カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為全般ではなくて、「制度化された差別に基づく行為」そして「差別の制度化」です

これは、まだわかりますよ。「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」が行われても、それが制度化されていなければ、個人で問題を解決することは可能だから、それは問題にしない。「制度化されているカテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」のみに限って問題にすべきだ。という論理です。一種の「夜警国家論」ですよ。「自由主義者」ならそういう論の立て方も解らないわけではない。

(ただ、その理屈だと、オウムの蒔いたサリンは、被害を受けた個人が始末すべきで、自衛隊の化学戦防護部隊が出動するのは、国家権力による信教の自由に対する不当な介入ということになってしまう(^^)。だからこの定義はマズいんじゃないですか? と私は反論しているわけだが^^)

 つまり「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」を、まったく許してよいということにもならなければ、「制度化されている」ということをもって、ある行為が「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」であるかどうかを判定することもできない。「カテゴリによって他者を正当に扱う行為」かもしれないからです。

そうすると、まずはその行為が、理不尽であるか正当であるかの判定がまず必要で、制度化されているから、それが理不尽な行為であるとは言えないでしょう?

>理解されていないだけのような気もするんですが。

私のようなバカでも、理解できるよう、もう一度、「差別の定義」を、説明してみたらどうですか?

>だいいち、わたしは中観派仏教徒なのに、何にも依存せず自立しているものの存在なんて想定しているはずがないじゃないですか。

昔、オウム真理教徒の上祐が「私たちは仏教徒なのでサリンなんかまくはずじゃないですか?」と発言して、チベット文化研究所のペマ・ギャルボさんに「仏教徒だったら、三宝(仏宝僧)に帰依しているはずだろう! 君たちは仏教徒じゃない。麻原教徒だ!」と譴責されていたのを思い出しまつ(--)。

仏教徒だったら、三学(戒定慧)を修めなくてはならないはず。まあ、私は在家戒の最低限の戒律である五戒も適当にしか守れず。集中力(定)もまったくなく、勉強(慧)もろくすっぽできないダメ教徒にすぎないが、それでも、大峰山の女人結界が、具足戒(僧侶戒)の「触女人戒」、斎戒(在家の修行者の戒律)の不淫戒に基づいているくらいのことはわかるぞ。基本的な戒律に基づいた結界を、ろくすっぽ何も考えずに「女性差別」だと言いきってしまう人間が「仏教徒」であるとは思えられない(^^)

中観派としてのmacskaさんを評価すれば、「老死もなく、老死が尽きることもない」の「尽きることもない」が解ってない「なま悟り」「野狐禅」というしかない。「不昧因果」を「不落因果」と言ってしまって、化け物狐になってしまった僧侶の話もある。

ジェンダーは社会的に構築されたものであり、実体としてのジェンダーというものは存在せず、人の心の中にある幻のようなものだ。しかし、社会的に構築されたもの(縁起によって生じたもの)であるからこそ、それは変転変移しながらも、尽きる(無くなる)こともない。以上。


>日本のジェンダー制度においてそれは特殊な例でしょ?

個々の「特殊な場」にある特殊な規範が、集まって、そのうちで、共通な理解となったのが普遍的な規範でしょう。二丁目だって、日本のジェンダー制度の一部なわけです。

それが証拠に、春には、ゲイの兄ちゃんや、女装趣味の人たちとかが、新宿一丁目の住宅街に住んでいる家族連れの人たちと、仲良く、新宿御苑(皇室の御料地!)で、花見を楽しんでいるが、警備員に追い出されたなんて事件は一度もない。
追い出されるのは「場」をわきまえず、喧嘩したり、酔って暴れて、他の花見客に迷惑かけたりする人たちだし、ゴミをかたずけなかったりすれば注意されるし、そんなもんだ。


>それとも、日本では男がスカートをはく文化と女がスカートをはく文化が対等だと?
>話にならない。

 だからスカートは服飾の意匠の一つでしょ。
ある意匠が女性服に用いられていて、男性服に用いられないのは差別だ、対等であるべきだと、いってしまうと、男性服と女性服の意匠をまったく同じ基準にしろといっているのと同じになる。
 そうすると「モテ服」とか「エロカワな服」とかは、すべて廃止すべきで、すべてユニバーサルデザインやユニセックスファッションにしろ、という主張になってしまうから、かえって個人の自由を抑圧することにしかならないって言ってるの。

話にならない。


>なんだかいい加減な論理ですが、だったら少なくともジェンダーが規範として形成されているという点には合意していただけるわけですね? …じゃあ、どこが不満でこんなにゴチャゴチャ言ってくるんだろう。

 だから、林道義も、私も「ジェンダーが規範として形成されている」という点には、すでに合意しているの。
 ただジェンダーの規範は、男女の生得的な性質に合わせて、長い人類や諸民族の歴史の中で形成されてきたものだから、尊重すべきだし、軽々と変えるべきではない。それを、詭弁的な理屈をつけて、強制的に変化させることが男女平等を実現することなんだとするジェンダーフリー思想やジェンダーフリー教育には問題があると主張しているだけなんです。

もし差別的だと思われるジェンダー規範があって、それを改革したいと思うのなら、詭弁的な理屈をこねずに、素直に、「こういうのは不都合だから、こういうふうにしてもられるとうれしいな」と表現すればいいんです。

「冬にスカートだと寒いから、女子の冬服の制服には、スラックスのオプションをつけてくれ」とか……。
それを「男子がスカートをはけないのは云々」と、へ理屈こねるから「女子にズボンもジェンダーフリーだ」と思われてしまって、「良妻賢母」全盛の時代にすら「腰を冷やすと大変だから」という理由で許されていた、冬服のスラックスが、逆に廃止されちゃったりしてしまうんです。

Re(3):洒落になっていない差別の話
 macska E-MAILWEB  - 06/10/12(木) 13:00 -

引用なし
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   > たとえば日本語の文法の規範をバラバラに細粒化すべきである
> ような主張をしておいて

例えになってないよ。

> 造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃん、それは。

意味不明。全然関係ないように思えますが。

> その時々の評価が正当か不当かは、個別に見なければわからんじゃないの。

個別に見るときに、どういう基準で見るかという話をしているわけですね。

> でも、そのカジノのオーナーが衣装や化粧の新機軸打ち出した
> んだから、従えばいいじゃん。

だから、男性も女性もみな化粧をしろというなら、それは差別にはならないですよ。裁量の範囲かどうかだけが問題になる。しかし、男性はこれまで通り化粧をしなくても何の不利な扱いも受けないのに、女性だけそういう扱いを受ける。それは単なる偶発的な雇用者の好みではなく、「男性は化粧をしてはいけない、女性は公的な場所では化粧をするべきである」というジェンダーの規範が元となっているわけですよ。

> で、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイ
> スラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになるの?
> ならないの?あなたから見て。

「日本や欧米は差別文化圏ではなく、イスラム諸国は差別文化圏である」というようには全然思いません。差別文化圏と言うなら、どの文化圏にも差別はあり、それぞれ違った形式であると思います。個別の問題においてある国がより差別的であったりなかったりすることはあるでしょうが、ある文化が総体として差別的であり他の文化は違うという話は何の意味もないと思います。って、そんな当たり前のこと聞いてどうするのか。

Re(4):洒落になっていない差別の話
 macska E-MAILWEB  - 06/10/12(木) 13:26 -

引用なし
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   > つまり問題は「権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの
> 不均衡な分配」のほうなわけですね。

その通りです。それらを不均衡に分配するベースとして性別や人種や宗教といったものがよく使われますが、ジェンダー規範への合致というのもその1つであるとわたしは考えているわけです。

> これは、まだわかりますよ。「カテゴリによって他者を理不尽に
> 扱う行為」が行われても、それが制度化されていなければ、個人
> で問題を解決することは可能だから、それは問題にしない。

個人で解決可能だから問題にしないというわけじゃないですよ。

まず、そもそも大きな不都合がない限り全ては自由であるというところからわたしは出発しているわけです。個人的な好き嫌いなどをもとに理不尽な扱いをすることがあっても、それは基本的に容認していこうと。だって世の中には偶発的なことで得したり損したりすることがあって当たり前ですからね。しかし制度化された差別については、放置しておくと特定の集団だけ常に不利になるし、制度自体が循環により自己保存されるので不均衡な分配が固定化してしまう。だから自由社会における例外として、差別は問題とするべきだという議論になるわけです。

> (ただ、その理屈だと、オウムの蒔いたサリンは、被害を受けた
> 個人が始末すべきで、自衛隊の化学戦防護部隊が出動するのは、
> 国家権力による信教の自由に対する不当な介入ということになって
> しまう(^^)。だからこの定義はマズいんじゃないですか? と私は
> 反論しているわけだが^^)

オウムがサリンをまくことは「差別」ではなくて、単なる犯罪でしょ。他者を身体的に傷つける犯罪行為を取り締まる権限が国家にあることは当たり前の話であり、それを「差別」の定義にふくめなければいけない理由がありません。というより、わたしは「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」のうちどれが差別にあたりどれはそうではないかという定義を主張しているのであって、「差別でなければ、何をやっても良い」と主張していません。当たり前ですね。

> チベット文化研究所のペマ・ギャルボさんに「仏教徒だったら、
> 三宝(仏宝僧)に帰依しているはずだろう! 君たちは仏教徒
> じゃない。麻原教徒だ!」と譴責されていたのを思い出しまつ
> (--)。

それを言い出せば、わたしから見ればチベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れているように見えます。オウムについては教義を詳しく知らないので何とも言えませんが。

> 基本的な戒律に基づいた結界を、ろくすっぽ何も考えずに「女
> 性差別」だと言いきってしまう人間が「仏教徒」であるとは思
> えられない(^^)

戒律に基づいていれば差別ではない、とはわたしは思いません。何度も書いた通り、「差別だが、だからといってその宗教的意義を無視して一方的に断罪するのはよくない」というのがわたしの立場です。

> ジェンダーは社会的に構築されたものであり、実体としての
> ジェンダーというものは存在せず、人の心の中にある幻のよう
> なものだ。しかし、社会的に構築されたもの(縁起によって生
> じたもの)であるからこそ、それは変転変移しながらも、尽き
> る(無くなる)こともない。以上。

そんなことで仏教を持ち出さなくても、考えられる限りの近未来においてジェンダーが尽きることなんてありえないし、なくすべきだとも思っていませんが。

> ある意匠が女性服に用いられていて、男性服に用いられないの
> は差別だ、対等であるべきだと、いってしまうと、男性服と女
> 性服の意匠をまったく同じ基準にしろといっているのと同じに
> なる。

「〜だと言ってしまうと」そうなる、というのはその通りだけど、わたしは一度もそう言っていない。

> それを、詭弁的な理屈をつけて、強制的に変化させることが男
> 女平等を実現することなんだとするジェンダーフリー思想や
> ジェンダーフリー教育には問題があると主張しているだけなん
> です。

そういう「ジェンダーフリー思想」の実例が存在しないから、でっちあげだとわたしは指摘しているわけですね。でっちあげというのが言い過ぎならば、かなり極端な解釈によってはじめて成り立つ主張だと思います。もしジェンダーフリーだけでなく全ての思想を同様の基準で解釈するならば、保守革新問わず全ての思想に全く同じ問題が見いだせるでしょう。

> もし差別的だと思われるジェンダー規範があって、それを改革
> したいと思うのなら、詭弁的な理屈をこねずに、素直に、「こ
> ういうのは不都合だから、こういうふうにしてもられるとうれ
> しいな」と表現すればいいんです。

それは戦略としてどうするという話ですが、差別の定義についての議論はわたしにとって学術的な見解ですから、政治戦略のために曲げたり隠したりはするべきでないと思うのです。学問的な見解を「政治的に都合が悪いから」と捩じ曲げるのはよくないでしょう? 実際に「この規範を改革したい」と思った時には、もちろんそれなりの戦略を取ります。というより、実際に変革を狙うときはこんな掲示板で主張したりしません。

Re(5):洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/12(木) 23:58 -

引用なし
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   >macskaさん:
>まず、そもそも大きな不都合がない限り全ては自由であるというところからわたしは出発しているわけです。

そりゃ出発点がおかしい。誰かが何を求めようが、それに大きな不都合があろうが、それは自由だというのが真です。ところが「大きな不都合がない限り」を自由であることの初期条件にするなら、自由などというものは成り立たない。大きな不都合がないことをもって初めて自由だというのは、与えられた自由さの中で、のびやかに好きなようにできることだけが自由だというのと同じ。そんな退嬰的な考え方でどうするか、子供じゃあるまいし。

およそ生きていて、自分が求める何かに大きな不都合がることくらい、いくらでもある。たとえば、あなたが求める自由が他人の自由と衝突することもあるだろう、その場合、双方の自由それ自体が相手にとって大きな不都合ではないか。すると、一体、どうやったら双方ともが自由だと言えるのかな?

>個人的な好き嫌いなどをもとに理不尽な扱いをすることがあっても、それは基本的に容認していこうと。だって世の中には偶発的なことで得したり損したりすることがあって当たり前ですからね。

それもおかしい。どういう具合に理不尽なのかにもよるけれど、容認すべきかすべきでないかはケースバイケースですよ。それに「個人的な好き嫌い」が世の中の嗜好一般と関係ないなんてことがあるかね?

事実、あなたの論理は、服装の「個人的な好き嫌い」だって「ジェンダーの規範」とやらで「再生産」されたものだと言うわけだろう。で、「自発的にジェンダーの規範に従った人」の「個人的な好き嫌い」でもって、「自発的にジェンダーの規範に従わなかった人」の「個人的な好き嫌い」が低評価を受けるのは「差別」だと言うんだろ?だったら「個人的な好き嫌いなどをもとに理不尽な扱いをすることがあっても、それは基本的に容認していこう」なんて、空文も極まったりではないか。

>だって世の中には偶発的なことで得したり損したりすることがあって当たり前ですからね。しかし制度化された差別については、放置しておくと特定の集団だけ常に不利になるし、制度自体が循環により自己保存されるので不均衡な分配が固定化してしまう。だから自由社会における例外として、差別は問題とするべきだという議論になるわけです。

そんなことは先に純子さんが書いてます。一般論としてそうだけども、服飾の男女別などは、そんな範疇のものではない、とレス済みですがそこは無視して、さも自分だけがわかっているかのようなアホなレスをしないように。

>それを言い出せば、わたしから見ればチベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れているように見えます。

はい、お決まりなカルトの物言いですね。どうせ不落因果と不昧因果の区別もわからなかったんだろ?そんな仏教があるかヴォケw

>> 基本的な戒律に基づいた結界を、ろくすっぽ何も考えずに「女性差別」だと言いきってしまう人間が「仏教徒」であるとは思えられない(^^)

>戒律に基づいていれば差別ではない、とはわたしは思いません。何度も書いた通り、「差別だが、だからといってその宗教的意義を無視して一方的に断罪するのはよくない」というのがわたしの立場です。

じゃぁ、大峰山の戒律のどこが「女性差別」なのか仏教徒として言ってみ?

>> ジェンダーは社会的に構築されたものであり、実体としてのジェンダーというものは存在せず、人の心の中にある幻のようなものだ。しかし、社会的に構築されたもの(縁起によって生じたもの)であるからこそ、それは変転変移しながらも、尽きる(無くなる)こともない。以上。

>そんなことで仏教を持ち出さなくても、考えられる限りの近未来においてジェンダーが尽きることなんてありえないし、なくすべきだとも思っていませんが。

「近未来において」って、誰もそんなことを聞いてないが。あなたのジェンダー仏教か何か知らんけれども、遠い将来はジェンダーが尽きることもありえるし、なくすべきだとも思ってるわけ?

>> ある意匠が女性服に用いられていて、男性服に用いられないのは差別だ、対等であるべきだと、いってしまうと、男性服と女性服の意匠をまったく同じ基準にしろといっているのと同じになる。

>「〜だと言ってしまうと」そうなる、というのはその通りだけど、わたしは一度もそう言っていない。

言ってることになるじゃないか。差別だし対等でないけど、このままでいい…と言ってるわけ?

Re(4):洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/13(金) 0:43 -

引用なし
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   >自発的にジェンダーの規範に合致した行動を取る人は勝手ですよ。

>>でもさ、「ジェンダー」という文法用語の借用概念で社会的な男女観というのは、いわば母語の文法に当たるものでしょう。個人の男女観は「個人的な発話」に当たる部分で。するとさ、日本で育った人が日本語の文法に、自発的に合致して発話するのが「その人の勝手」と言えますか? たとえば日本語の文法の規範をバラバラに細粒化すべきであるような主張をしておいて、「従来どおりの文法で発話したい人は自由だと言ってるじゃないの」みたいなもんでしょ、それは。

>例えになってないよ。

どう違うのかね。文法用語からの借用概念であるからには、そういう主張をしたときと一緒じゃないか。母語の文法の規範の場合と、その文化の男女観の規範の場合と、どこがどう違ってくるのか説明してみなよ。


>しかし、自発的にジェンダーの規範に従いたくない人も、従わなければ雇用や昇進などにおいて低い評価を受けてしまう。それが問題なんだとわたしが言っている、ということが分からないわけがないでしょ?

>>造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃん、それは。その時々の評価が正当か不当かは、個別に見なければわからんじゃないの。「自発的にジェンダーの規範に従いたくない人」の言動が、低評価であって当然な場合だってあるじゃん。

>意味不明。全然関係ないように思えますが。個別に見るときに、どういう基準で見るかという話をしているわけですね。

「個別に見るときに、どういう基準で見るか」というときに、「自発的にジェンダーの規範に従いたくないかどうか」が当否の基準になるわけないだろう、と私は言ってるの。「自発的にジェンダーの規範に従いたくない人」の言動が、低評価であって当然な場合はないとでも言うんなら、造反有理だ愛国無罪だという論理と一緒じゃないかということ。どこが無関係なの?これもちゃんと説明するように。

>だから、男性も女性もみな化粧をしろというなら、それは差別にはならないですよ。

(  ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ?

>しかし、男性はこれまで通り化粧をしなくても何の不利な扱いも受けないのに、女性だけそういう扱いを受ける。

いいじゃん。男に化粧させなくたって。

>それは単なる偶発的な雇用者の好みではなく、「男性は化粧をしてはいけない、女性は公的な場所では化粧をするべきである」というジェンダーの規範が元となっているわけですよ。

そんな規範はないんじゃないの?だってそのカジノはそれまで、「男性は化粧をしてはいけない、女性は公的な場所では化粧をするべきであるというジェンダーの規範」とやらに反逆していたのかね?

化粧っ気のない落ち着いたカジノだったんじゃねぇの?店の営業不振か何か知らないし、オーナーが変わったのかもしれないけど、イメチェンをはかりました、ってことだろうに。そりゃ店主の裁量じゃんか。しかし、そのイメチェンが古株の従業員の気に入らないことだった…というのならわかるんだけどさ。あなたのいうような「制度に従う」かどうかの話じゃないだろ。

>> で、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになるの?ならないの?あなたから見て。

>「日本や欧米は差別文化圏ではなく、イスラム諸国は差別文化圏である」というようには全然思いません。差別文化圏と言うなら、どの文化圏にも差別はあり、それぞれ違った形式であると思います。個別の問題においてある国がより差別的であったりなかったりすることはあるでしょうが、ある文化が総体として差別的であり他の文化は違うという話は何の意味もないと思います。って、そんな当たり前のこと聞いてどうするのか。

そんな当たり前のことは聞いとらん。クソ一般論で逃げんなやヴォケ。イスラムを文化圏と表現したからそんな姑息な逃げを打つんだろうけど、イスラムとは政治から生活の隅々までを規定してる宗教だろ?

じゃぁ、もっと直接に聞こう。服飾ひとつとっても男女別で規範が違えば差別…というあなたから見て、厳格な男女別の規範の多いイスラム教の教えは、ただそれだけで「差別宗教」ということになるの?ならないの?

あなたがたは、イスラムも仏教も「差別だ!」として将来目標として否定していくつもりかね。ただ単に男女別の規範がありさえすれば、それだけの理由で。経典などを通じた「再生産」とやらは、服飾の比じゃないと思うが?

Re(5):洒落になっていない差別の話
 純子  - 06/10/13(金) 12:34 -

引用なし
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   >macskaさん:

>その通りです。それらを不均衡に分配するベースとして性別や人種や宗教といったものがよく使われますが、ジェンダー規範への合致というのもその1つであるとわたしは考えているわけです。

性別とか、人種、宗教というのは、その中に人間が生まれ落ちるわけですから、本人の努力で選べないものですね。男が女になることもできなければ、白人が黒人になることもできない。宗教は改宗ということがあり得ますが、これもたいていは、宗教共同体の中に生まれ落ちるわけで、母国語が変更しづらいように、宗教というのは、なかなか変えられるものではない。ムスリムの方は、日本に来ても、「豚肉は気持ち悪くて口にできない」とおっしゃいますし、私も除夜の鐘を聞いてから、初詣に行かないと、なんだか正月が来たような気がしない(^^)

近代社会では、そういう、人が、変更しずらいようなカテゴリをもって他者を理不尽に扱う行為を「差別」と呼んでいるわけですよ。「生まれつきで、努力によって変えられないのに、扱いを変えるな!!」ということです。「障害者」差別も同様ですよね。

じゃ「ジェンダー規範」は??というと、これは時代によって、内容がめまぐるしく変化する。しかもジェンダーは文化的なものですから、ある程度、努力によって学習して修得もできる。何のためにファッション雑誌ってものがあるんだ(^^)

ある文化が慣習的に採用している男性用のジェンダー規範と、女性用のジェンダー規範の内容に「権力や機会や富や資本やケイパビリティ…などの不均衡な分配」があれば、もちろんそれば「差別」ですが、これは性別による差別であって、「ジェンダー規範への合致」差別ではない(^^)。

「ジェンダー規範への合致」差別とは、ちなみに「ジェンダー規範に合致したい人」と「ジェンダー規範に合致したくない人」の間におきる差別ではありません。「合致したくない人は、合致しないと不利なのがわかってやっているんだから勝手にしろ……」ですね。むしろ「生まれつきジェンダー規範に合致できる人」と「生まれつきジェンダー規範に合致できない人」の間に起きる差別のことです……。

考えられるのは「性同一性障害者」と「異性装的フェチシスト」と「同性愛者」と「半陰陽者」あと「容姿が不自由な女性」と「虚弱体質の男性」くらいかな……。
ところで、そういう方たちの中で、はて「一般的に男がスカートをはかないのが差別だ」と主張している人は……??????

>わたしは「カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為」のうちどれが差別にあたりどれはそうではないかという定義を主張しているのであって、「差別でなければ、何をやっても良い」と主張していません。当たり前ですね。

「制度化」してるのが「差別」というんでしょ。でも、議論になっているのは、「カテゴリによって他者を扱う行為」自体が、理不尽か、理があるかで揉めているんじゃないですか?

「男性用がスカートが市場にないのは差別だ」VS「いや、需要がないだけで、市場による自由は確保されている。作りたければ布地を買ってきて作れよ!!」
「女性だけが化粧を要求されるのは差別だ」VS「いや、女性が化粧を要求されるようなフォーマルな場では、男性もそれに相応する身だしなみが要求されるはずだから、差別ではない。男も眉を整える時代に何を言ってるか」

理不尽か、理があるかを問わないまま「カテゴリによって他者を扱う行為」が制度化したら差別だと定義してしまうと、「偏差値の低い人でも、東大に入れないのは差別だ」「労働意欲のない労働者が意欲のある労働者と同一賃金でないのは差別だ」「芋洗いをするサルを、サル山のボスが優遇して芋荒いするサルが増えるのは差別だ」となってしまって、人類の文明はサル以下になってしまいまつ(--)


>それを言い出せば、わたしから見ればチベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れているように見えます。

すまん、それは私の誤字です。三宝帰依(仏宝僧)→三宝帰依(仏法僧に帰依する)、これが仏教本来の教えです。私の誤字です。

ちなみに三宝帰依(仏法僧)の教義ない仏教というのは考えられません。イエスがメシアであることを認めないキリスト教とか、六信五行の教えのないイスラム教のようなものです。チベット仏教を誤解させるようなカキコをしてしまった、すまんかった。

あれっ、Macskaさんが言ってる
>チベット仏教は仏教本来の教えからかなり離れている
とは、私の誤字のことじゃないのか? ひょっとして

ちなみにチベット仏教の正統な教義は「中観帰謬論証派」です。ばりばりのナーガアルジュナの正統な後継者です。ダライラマ14世猊下が「仏教入門」でお書きになられているくらいだから、間違ありません。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334780059/ref=sr_11_1/503-6361717-0998349?ie=UTF8

ウィキペディアにもほら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99

>基本的には龍樹の中観を中心にして、存在・認識に対する論理的思考能力と論争による智恵の獲得を重要視し、

で、誰が「中観派仏教徒」でしたっけ……(^^)


>「〜だと言ってしまうと」そうなる、というのはその通りだけど、わたしは一度もそう言っていない。

>>「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。

で、どうしたいのmacskaさんは……

>でっちあげというのが言い過ぎならば、かなり極端な解釈によってはじめて成り立つ主張だと思います。もしジェンダーフリーだけでなく全ての思想を同様の基準で解釈するならば、保守革新問わず全ての思想に全く同じ問題が見いだせるでしょう。

やっと、そこに到達したか。
思想の暗黒面に堕ちたら、ジェダイも、保守も、革新も、バックラッシュも、フェミニズムも同じことなんです。
「ブレンダと呼ばれた少年」を政治的アジェンダにした八木秀次を批判するなら、同様な理由で、マネーの双子のケースを「特性論批判」のための政治的アジェンダとして利用した小倉知加子や上野千鶴子ら、フェミニストも同罪ということですよ。

いや、その時は、マネーの双子のケースは成功していたと思われていた。というのはいいわけにすぎません。成功をフェミニストがあまりに喧伝してしまったから、マネーが「失敗でした」と認めづらくなってしまったということもあり得ますからね。

上野千鶴子なんか、かって「双子のケース」を取り上げたところに、今度は「TS臨床」を挿入して理論を補填すらしている。性同一性障害の人の迷惑など、まったく考えてない。懲りない人だ。

ルソーの影響を受けた近代政治思想をすべて「異端の思想」と断罪する中川八洋がキチガイなら、国家がかかわることは、戸籍制度から婚姻制度まで、すべて「国家権力の抑圧」としか考えられない福島瑞穂だってキチガイということですよ(^^)
わかりますか?

だから、キチガイがキチガイを、阿呆が阿呆を呼んでいているんだと最初から言っているじゃん。

「極端な解釈」というより、昔は、わらわらいたんですよ、学校教育の現場に……。たいてい「ヒノキミ闘争」と重複してるジェンフリ教師の群が……。バックラッシュが始まってから、パッと消えたけど……(^^)。その横暴に、いらついていた保護者はかなり多数いたと思いますよ。そういう方たちが、今、安部さんを支持しているわけです。


>学問的な見解を「政治的に都合が悪いから」と捩じ曲げるのはよくないでしょう?

論理的にも破綻していて、政治的戦略にも使えない。使って戦略を立てたら、誤爆が増えて、問題を増やしてくれるだけの、「差別の定義」を「学問的な見解だから」という理由だけで擁護する気にはまったくなれない。

まあmacskaさんの個人的見解だから、macsukaさんが信じるのは勝手だけど、世間的には「電磁波にスカラー波がある」という学説を、二コラ・テスラの「学問的見解だから」と擁護するのと同じだと思う。

Re(6):洒落になっていない差別の話
 純子  - 06/10/13(金) 19:06 -

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   >「男性用がスカートが市場にないのは差別だ」VS「いや、需要がないだけで、市場による自由は確保されている。作りたければ布地を買ってきて作れよ!!」
>「女性だけが化粧を要求されるのは差別だ」VS「いや、女性が化粧を要求されるようなフォーマルな場では、男性もそれに相応する身だしなみが要求されるはずだから、差別ではない。男も眉を整える時代に何を言ってるか」

「大峰山に女人結界があるのは差別だ」VS「いや、尼寺も男子禁制だから差別ではない」

を付け加えるを忘れてた(^^)

歴史的にみれば、女性が買い物したり学校に行ったりしている生活圏を、不当に侵犯して、結界を張ったならともかく、通常、人が入ってこないような、深山幽谷に引きこもって、女人禁制の修行の場を作った行為を、差別と言っていいかというと……悩みませんか?

Re(6):洒落になっていない差別の話
 Josef  - 06/10/16(月) 23:53 -

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   >>学問的な見解を「政治的に都合が悪いから」と捩じ曲げるのはよくないでしょう?(macskaさん)
>
>論理的にも破綻していて、政治的戦略にも使えない。使って戦略を立てたら、誤爆が増えて、問題を増やしてくれるだけの、「差別の定義」を「学問的な見解だから」という理由だけで擁護する気にはまったくなれない。(純子さん)

「差別」のようなマイナス価値を内包した語を政治性抜きに定義するのは難しいような気がします。もちろん定義は自由なのですが、普通は、ゴタゴタした多様な社会現象の背後に形式的同一性を見出すことによって、統一的な視点から全体を見通すことのできる有用性・応用性の高い定義が探られるでしょう。その際、何が「差別」に含まれるべきであり、何が含まれる必要がないのかという定義者の価値判断が入ってくるでしょうし、その判断は定義者の政治的立場と無縁であるわけにはいかないのではないかと思うわけです。

自然科学であれば、たとえばかつて「燃える」とは火や煙が出ることだったのに対して、酸素との結合という形式的同一性が見出されて「燃焼」が学問的に定義され、より広い範囲の現象を一つの原理で説明できるようになったように、「政治」抜きでより有用かつ普遍妥当性の高い定義を行うことができます。しかし社会系の学問では、「有用」というところに「政治的有用性」が入り込み、作られた「定義」自体がある意味定義者の政治的立場の表明でもある、というふうになってしまうのではないかと思うのです。

定義が無用だと言いたいわけではありません。多くの人が納得できる有用な定義があるに越したことはありませんから。ただ、「学問的見解」が「政治的」と峻別された場所に可能であると本当にmacskaさんが考えているのかどうか、少々疑問に思います。

まあ、差別の定義は改めてご自分の所に書くということなので、それを楽しみに待って勉強させてもらいたいと思います。

ところで
 芥屋  - 06/10/19(木) 0:36 -

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   >純子さん:

>「少女革命ウテナ」の劇場板だ(^^)。

「ほう、懐かしいな」と思ったものの、そう言えば後追いでTVオンエア版しか見ていないのでした。劇場版もあったんですね(面白かった)。お勧めでつか?

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】
 純子  - 06/10/19(木) 19:09 -

引用なし
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   >芥屋さん:

>「ほう、懐かしいな」と思ったものの、そう言えば後追いでTVオンエア版しか見ていないのでした。劇場版もあったんですね(面白かった)。お勧めでつか?

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005F5V9

これですね。
TV版にはまった方なら、面白いと思いますよ。

あらすじ
「学園」という幻想空間の中に捕らわれている少年少女たち。彼らは、すべて何某かの過去のトラウマを抱え、その空間に呪縛されているようだった。彼らを呪縛しているのは「王子様」? ウテナとアンシーのレズカップルはその呪縛をふりきって、呪縛された空間の外に逃れることが出来るのか。

わりとまとまってる感想
http://www.eiga-kawaraban.com/99/99073001.html

エロいです。TV版ではできなかった、ウテナとアンシーのベッドでの絡みがあるわ。幹と梢の兄妹が一緒に入浴しているシーンはあるわ。少年時代の冬芽が、養父から性的虐待を受けるシーンはあるわ……。これだけでも見るべき価値あるかも。

ラストは、魔法で、F1マシンに変身させられてしまったウテナを、アンシーが操って(かなりイミ深^^)高速を爆走して逃亡をはかるのですが、そこに襲いかかる追っ手のマシンと激しくカーチェイスするアクションシーン。トリのボスキャラが、「夢のような王子様の城」型重戦車。巨大タイヤで道路一杯に広がって「ガガガガ」とあたりの物を挽きつぶしながら王子様の城がウテナ一行に襲いかかってくる(^^)。なんじゃこりゃ---(^^)


劇場板公開当時、TVでやっていたコマーシャルのコピーが「その神の名はアブラクサス」。「マニア以外にわかるか、そんなネタ……!」と、思わず突っ込みを入れてしまいました。アブラクサスというのは、つまりこれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B9

>アブラクサスはグノーシス主義の「世界の王」、すなわち物質界を創造し、悪魔的な性質を持つ旧約聖書の神(実際は創造された存在で、高位のアイオーンであるソフィアの息子)に同化していった。

つまり、アブラクサスが「資本」、ソフィアが「啓蒙知」、救世主を「前衛的革命家」と置き換えると、グノーシス主義はそのまま、マルクス主義になりまつ……(--)。

アブラクサスを「男社会」、ソフィアが「フェミニズム」、救世主を「戦闘的レズビアン活動家」と置き換えると、グノーシス主義はそのまま、レズビアンフェミニズムになりまつ……(--)。

TV版の「少女革命ウテナ」も、なんかレズフェミっぽいなあと思いながらも、でも「幹くんと石蕗くんが可愛いから許す」みたいなカンジでハマってました。

Re(1):すみません。横レスです
 バジル二世@パソ故障中  - 06/10/21(土) 13:09 -

引用なし
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   >つまり、アブラクサスが「資本」、ソフィアが「啓蒙知」、救世主を「前衛的革命家」と置き換えると、グノーシス主義はそのまま、マルクス主義になりまつ……(--)。
>
>アブラクサスを「男社会」、ソフィアが「フェミニズム」、救世主を「戦闘的レズビアン活動家」と置き換えると、グノーシス主義はそのまま、レズビアンフェミニズムになりまつ……(--)。

世界制覇を企む日米欧大資本連合に超能力狼少女が立ち向かうなんて漫画も80年代にはありました。「花とゆめ」で絵がうまかったから結構好きで見ていました。恋人のロックのバンドマンは、やっぱりモヒカンじゃないし、あのころの女の子の好みをちゃんと押さえているんでしょうね。とすると、少女マンガを研究すれば、モテるようになる? ってモトが問題ですか…(^^ゞ

まあ、とりあえず漫画喫茶にいるんですけどね。

漫画バナシ
 芥屋  - 06/10/22(日) 23:27 -

引用なし
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   >バジル二世さん:

>世界制覇を企む日米欧大資本連合に超能力狼少女が立ち向かうなんて漫画も80年代にはありました。「花とゆめ」で絵がうまかったから結構好きで見ていました。

「花とゆめ」というと、『パタリロ』しか思ひ出せない…!

タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

って、私は『マカロニほうれん荘』は少年サンデーかとばっかり思っていたのですが、あらためて調べてみると少年チャンピオンですね。おそらくその後の「サンデーファンVSジャンプファン」の伏線があったと思う。


>少女マンガを研究すれば、モテるようになる? ってモトが問題ですか…(^^ゞ

そこでフェミ本ですよ(けっこー使えますよ)w

Re(1):少女革命ウテナと、なぜか競馬ネタ
 芥屋  - 06/10/23(月) 0:36 -

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   メイショウサムソン三冠ならず…というか、来た来たドリームパスポート!皐月賞2着、ダービー3着、ここで遂に菊花賞を…父フジキセキが故障で出走すら出来ずに終わったクラシックレースの…と思ったら、さらに外からソングオブウィンド…一瞬、あれ?誰?と思ったけど、そっか、エルコンドルパサーの仔か…この仔も父が出走できなかったクラシックレースを…
オメデトー!ヨカッタネ。・゚・(ノ∀`)・゚・。グシグシ

>純子さん:

>TV版にはまった方なら、面白いと思いますよ。

劇場版ウテナ、ビデオ屋にありません…田舎だからかなぁ…でも純子さんの紹介で、ぜひとも見たくなった。あの世界がそうなるのか…。

TV版は、『ガロ』でやたら褒めてる人がいたので観てみたんですよ(面白かった)。「女の子でも誰かを守れる!」でしたっけ、キャッチフレーズは…でも私としては、レズモノとしてというより、オンナの勝負モノとして面白かった覚えがあります。当時、競馬で牝馬の熱い名勝負(エアグルーヴVSメジロドーベル)があったので、そういう重ね方をして観てました。

エアグルーヴとメジロドーベルは一歳違い。ともに「史上最強牝馬」と言われたのでしたが、その「強さ」が違ったんです。エアグルーヴはものすごく久しぶりに牝馬で天皇賞を勝ったのですが、洗練された今の競馬のGI(短距離線を除く)で牝馬が牡馬に勝つというのは、まず、今後も当分はないんじゃないかというくらいのことです。それくらい「強い」。一方、メジロドーベルはGI5勝という未曾有の記録を残しましたが、その全てが牝馬戦だった。

エアグルーヴはすごく「エレガント」という言葉が似合う馬だったんです。見た目もそうだけど、天皇賞を勝ったときも、ゆうゆうと…最後の直線でサッと抜け出すと、追いすがる対抗馬を、悠然と退けてゴール。「うぁ、つ、強い…」という勝ち方。強い強いと言われる一つ年下のメジロドーベルでも、有馬記念など雌雄混合のGIでは見せ場もなく終わっているのに…

メジロドーベルは、ものすごく気性の荒い、気の強いとこがあって、勝つときの姿があられもないというか、目を血走らせて口開けてものすごい形相で髪振り乱して爆走するんです。印象的だったのは、あるGIIで一流半クラスの牡馬を相手に出走したとき。いつもは後半から最後の直線で追い込む走法なのに、なんと、最初から最後まで先頭を走って逃げ切って勝ったのですが…まるで、「あんたたちの後ろを走るなんて、一瞬でもイヤっ!!」という感じの、鬼気迫る走り方でした。

某競馬雑誌で、ある女性記者さん(投稿者だったか?)が書いていたのが印象的なんですが、「エアグルーヴは自分が女であることを過剰に意識しない。どんな強い男に混じっても自分の力をサラッと出す女。メジロドーベルは過剰に自分が女であることにこだわる。同じ女や二流以下の男にはゼッタイに負けまいとする」ということを書いてたんです。まったく、その人の言うとおりで、「さすが、女はオンナのことがよくわかるものなのだな」と思い知らされたのが、二人の決戦だったのです。

二人が最初で最後の対決をしたのがエリザベス女王杯で、これに勝ったのがメジロドーベルなんですが、私は「ものすごいものを見た…」という思いでした。既に天皇賞を勝って、これが引退レースとなるエアグルーヴが、最後の直線で悠然と抜け出します。そこへ、後方からメジロドーベルが追いすがります。さぁ、二人の追いつ抜かれつの勝負!と思う間もなく、一瞬、でした。アッと言う間にメジロドーベルはエアグルーヴを置き去りにして傲然とゴールへ…

「お、おまえ、そこまで強かったのか…だったら何故…」

女どうしの戦いなら、ゼッタイに、誰にも負けないんだというメジロドーベル。GI5勝という未曾有の記録。しかしその全てが牝馬戦。超一流の牡馬も混じるGIだと、借りてきた猫みたいになる彼女は、まるで、そういう舞台では、

「えぇ〜っ、わたしオンナのコですからぁ(*^o^*)キャッ♪」

…なんですよ。あるいは、自分のモノスゴイところを見せたくなかったのか、とか。そうとしか思えない。先の女性記者さんは確か、こういうことを書いていた覚えがあります。「メジロドーベルは、ヤなオンナです。でも、気持ちはわかる。エアグルーヴには憧れるけど、ああはなれない」

Re(1):漫画バナシ
 gaji  - 06/10/23(月) 3:49 -

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   >芥屋さん:

>タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

うーん、タメでわないかもでしが、横レスすいまそん。

わたしのバヤイ、
ガキデカも好き^^パタリロも好き^^花の応援団もおもぴろかった♪派
見境ナシ派でつ。

Re(2):漫画よもやまバナシ
 バジル二世@漫画喫茶  - 06/10/23(月) 10:26 -

引用なし
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   芥屋さん

>「花とゆめ」というと、『パタリロ』しか思ひ出せない…!

あ、実は「パタリロ」あまり読んでないんですね。ごめんなさい。

>タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

その2派に分かれていたかは、私は家が中学まで漫画禁止だったもので、分かりません。高校時代なんの因果かアニメサークルに入って、というか無理やり入れさせられて、結構むさぼるように読んだ覚えがあります。

そういう中高時代、鮮烈な印象があったのは下宿屋もやっていた祖母の家に1冊置き捨てられていた『嗚呼!!花の応援団』ですかね。大笑いしました。それでも、こんなの読んでいるのが親にばれたらまずいというような感じで、コソーリ読んでいたような(^^; 女性の裸もあるし…。

>って、私は『マカロニほうれん荘』は少年サンデーかとばっかり思っていたのですが、あらためて調べてみると少年チャンピオンですね。おそらくその後の「サンデーファンVSジャンプファン」の伏線があったと思う。

「少年チャンピオン」も置き去りになっていて、「百億の昼と千億の夜」(萩尾望都)が載っていたなあ。広がりを感じる絵で、少女マンガタッチなんだけれど、あとあとまで覚えていて、全巻買いましたね。高校に入って「漫画の中には勉強になるデザインのヒントがいっぱいある」なんて訳分からんこと言って、親に漫画解禁にしてもらってからですね。「花とゆめ」は妹から借りて読んでいたんですね。あのころお目当ての作家は三原順でした(知らない人多いかも)。

で、ギャグ漫画では本屋で「るんるんカンパニー」を立ち読みして全巻読んだっけなあ。本屋さんすいません。

>>少女マンガを研究すれば、モテるようになる? ってモトが問題ですか…(^^ゞ
>
>そこでフェミ本ですよ(けっこー使えますよ)w

たとえばどういう本がいいでしょうか(相談モードです)。妹が実は社会学系のジェンダー学専攻でして、とても複雑な気持ちがあるんですが。

gajiさん

>うーん、タメでわないかもでしが、横レスすいまそん。
>
>わたしのバヤイ、
>ガキデカも好き^^パタリロも好き^^花の応援団もおもぴろかった♪派
>見境ナシ派でつ。

実は八丈島のきょんというのはgajiさんの投稿で初めて知りました。

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