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[無題] ラクシュン 08/9/8(月) 19:30
  Re(1):[無題] しゅう 08/9/8(月) 20:10
  Re(1):[無題] ラクシュン 08/9/8(月) 20:32
  Re(2):[無題] しゅう 08/9/8(月) 21:31
  Re(3):[無題] ラクシュン 08/9/8(月) 22:44
   Re(4):[無題] ラクシュン 08/9/10(水) 20:43
   Re(5):[無題] 芥屋 08/9/10(水) 22:02
    Re(6):[無題] ラクシュン 08/9/14(日) 20:10
    Re(7):[無題] macska 08/10/9(木) 1:40
    Re(8):[無題] ラクシュン 08/10/10(金) 21:02
   Re(4):[無題] ラクシュン 08/9/14(日) 21:01
  Re(2):[無題] macska 08/10/9(木) 1:21
   Re(3):[無題] 芥屋 08/10/9(木) 23:45
   Re(4):[無題] macska 08/10/10(金) 6:29
  Re(1):[無題] ラクシュン 08/10/2(木) 20:14
   Re(2):[無題] ラクシュン 08/10/2(木) 20:41
   Re(3):[無題] ラクシュン 08/10/2(木) 21:47
   形而上学? 芥屋 08/10/2(木) 23:18
   Re(1):形而上学? ラクシュン 08/10/3(金) 20:30
   Re(2):形而上学? ラクシュン 08/10/3(金) 21:24
   Re(2):形而上学? Josef 08/10/3(金) 22:20
   Re(3):形而上学? ラクシュン 08/10/3(金) 23:27
   Re(4):形而上学? ラクシュン 08/10/4(土) 20:47
   弁証法的否定と形而上学的否定? ラクシュン 08/10/5(日) 20:17
   愚痴の追加 ラクシュン 08/10/7(火) 20:05
   Re(1):愚痴の追加 Josef 08/10/8(水) 21:03
   Re(2):愚痴の追加 ラクシュン 08/10/10(金) 20:52
   Re(3):愚痴の追加 ラクシュン 08/10/14(火) 21:47

[無題]
 ラクシュン  - 08/9/8(月) 19:30 -

引用なし
パスワード
   ttp://d.hatena.ne.jp/macska/

ここは表ブログ同様、紛れもない糞下種のブログでした。

Macskaという人は想像を超える糞下種でしかありませんでした。(爆笑)
どうも、何ーにも解ってない雰囲気ですねぇ…

以上。

Re(1):[無題]
 しゅう  - 08/9/8(月) 20:10 -

引用なし
パスワード
   >ラクシュンさん:
>ttp://d.hatena.ne.jp/macska/
>
>ここは表ブログ同様、紛れもない糞下種のブログでした。
>
せめて何がどう糞下種なのかいってもらわないと意味わかんないお(゜゜

Re(1):[無題]
 ラクシュン  - 08/9/8(月) 20:32 -

引用なし
パスワード
   ttp://d.hatena.ne.jp/macska/20080904/p1#c
    ↓
「下線部、なんだかものすごくラディカルなこと言ってない?」
だいたい、このコメントは何なのよ?
表ブログでは「承認待ち」とかいう訳の解らない理屈で書き込み厳禁状態ですよ。
で、裏では書けていると思って修辞的疑問文にこたえてコメントを書いていたらいきなりの削除?

何なのこのMacskaという生き物は???
ttp://macska.org/
ttp://d.hatena.ne.jp/macska/
この2つブログ主はキム・ジョンイルと同じです。
ほんとにどこまでも調子のいい糞下種だ。(笑)

私の書き込みに誤り(及び胡散臭さ)を発見すればそれを指摘すれば済む話。
私は可謬主義者だから常に誤りの可能性は頭の片隅に置いている…

…しかし何かヘンなんだよなあ。
今回の件で、以前(数日or一ヶ月前)の三井マリコ関連のエントリーでのMacskaの主張から解りやすい矛盾を引き出してみようと思って探してみたのですが、どーも見当たらないんだなあ。
これが批判対象に対する批判(=隠蔽工作批判)が自らの行為に矛盾するから内容を改変したということなら超傑作なんだけどなあ。(爆笑)

Re(2):[無題]
 しゅう  - 08/9/8(月) 21:31 -

引用なし
パスワード
   >ラクシュンさん:
>ttp://d.hatena.ne.jp/macska/20080904/p1#c
>    ↓
>「下線部、なんだかものすごくラディカルなこと言ってない?」
>だいたい、このコメントは何なのよ?
>表ブログでは「承認待ち」とかいう訳の解らない理屈で書き込み厳禁状態ですよ。
>で、裏では書けていると思って修辞的疑問文にこたえてコメントを書いていたらいきなりの削除?

ああ、削除されたのですね。
確かに以前ラクシュンさん書込み禁止食らってましたな。
対話を拒否する人に無理にコメントせんでもとはおもいますが,トラックバックなら受け付けそうな気がシマスねえ。Macskaタソ

>…しかし何かヘンなんだよなあ。
>今回の件で、以前(数日or一ヶ月前)の三井マリコ関連のエントリーでのMacskaの主張から解りやすい矛盾を引き出してみようと思って探してみたのですが、どーも見当たらないんだなあ。
>これが批判対象に対する批判(=隠蔽工作批判)が自らの行為に矛盾するから内容を改変したということなら超傑作なんだけどなあ。(爆笑)

さっきふと思ったのですが,ラクシュンさんの文がわかりにくいのは,前提条件を提示せずにロジックだけを出してるからではないのかなと。
芥屋さんバリのラクシュンファンでもなければ置いてけぼりを食らってしまいます(゜゜

Re(3):[無題]
 ラクシュン  - 08/9/8(月) 22:44 -

引用なし
パスワード
   >確かに以前ラクシュンさん書込み禁止食らってましたな。

裏でコソリとね。

>対話を拒否する人に無理にコメントせんでもとはおもいますが,

対話拒否の理由くらいはコメント欄で述べてもらいたいものですね。

>芥屋さんバリのラクシュンファン

こんなこと書くと芥屋さんに怒られますよ。


つーか、相変わらずというか、別に大したこと書いた積もりがないんだけどなあ?w
突っ込みどころもありそうだし…
:::::::::::
(レス其の一)
>ヒトは、一部の例外を除き、男か女以外の存在しかない。男女は人類のほぼ半分を占める。

えぇ〜っ、「以外の存在しかない」???は措くとして…
非<男/女>か<男/女>かという区別がまずあって、そこから少数派=全体から見た一部でしかない非<男/女>を排除すれば<男/女>の区別だけが残るのは必然でしょうね。

>男女はいたるところで混成している。女性はマイノリティではなく、あらゆるカテゴリーに横断的に存在する。

女=マイノリティという図式はフェミニズム的視点からの図式だと思うけど、ここに書かれているのは社会のあらゆる職業分野に、集合論的共通部分として女がいるという意味?
どうとでも取れそうだから。

>他の社会状態、人種などによる区別とは決定的に異なる。

多数派/少数派の対立を構成しない絶対的区別が<男/女>の性区別、と。

>よって、人類半分を占める女性は政治分野にも半分いてこそ自然なのだ

ここなのですが、よってって、「混成」や「横断的」が上の意味だとすると、女の国会議員のいない国では「パリテの論理」は成立しないということになるよね。
そしてここでは、「一部の例外」が男女カテゴリーに内属する(or分類される)集団に話を限定するための単なる前置きではなく、「一部の例外」の政治参画を特権的立場から排除しているようにも読めるんですよね。
何なのかなあ、こういう曖昧な文章って。

あと、こういう立場だと、国民を構成する「人種」に議席数を比例配分することが自明の帰結として出てきそうだけど、そういう積りなの?

むしろ、国民の半分は女だから国会議員の半分は女にするべきだ、という昔ながらの言い方の方がよっぽどスッキリすると思うんだけど。
こういう疑問を抱く私がヘンなのかなあ…。


(レス其の二)
>>よって、人類半分を占める女性は政治分野にも半分いてこそ自然なのだ

1つ断言できそうなことがあるとすれば、「ヒトは、一部の例外を除き、男か女以外の存在しかない。男女は人類のほぼ半分を占める。」という記述は、(多数派から見た)事実の記述的(=である)な見せかけをした単なる論理的真理(トートロジー)ですよね。
しかし、「よって、人類半分を占める女性は政治分野にも半分いてこそ自然なのだ」、は評価文(当為的判断=べしを含意)ですよね。
なので、論理的には事実の記述から評価文は導出できない(「自然主義の誤謬」的)、ということが、言えるとは思います。
:::::::::::

たまたま原文(だいたいこのまま)が残ってたので。

Re(4):[無題]
 ラクシュン  - 08/9/10(水) 20:43 -

引用なし
パスワード
   言うまでもないことですが、少数派から見た記述というものも同様の論理で成り立ちますよね。
<ヒトは、多数派を除けば、男か女以外の存在でしかありえない。これは多くの人種・民族を超えて言えることだ。したがって、そうした性的マイノリティにも応分の議席数が与えられることが自然なのだ>

なのに、「パリテの論理」を肯定するでもなく、私のレス(其の二)も削除というその態度がねえ…
アンタ何が言いたいの??? と。
以上。

#最近2ちゃんの哲学板にちょっとハマってましてね。
#男女板は6年以上行ってない。w

Re(5):[無題]
 芥屋  - 08/9/10(水) 22:02 -

引用なし
パスワード
   ご無沙汰しとります。しすぎですねすいません。
こりゃまた、いいネタを見つけて来ましたね。
楽さんがというか、macskaさんがというか。

>>>ヒトは、一部の例外を除き、男か女以外の存在しかない。男女は人類のほぼ半分を占める。

まー、まじめに考えると、これは発言者の言い間違いか翻訳者の書き間違えだと思うんですけど。

※ホントはこうだった(想像)
>>>ヒトは、一部の例外を除き、男か女の存在以外ない。男女は人類のほぼ半分を占める。

んまぁ、だからmacskaさんも面白がって「下線部、なんだかものすごくラディカルなこと言ってない?」と。ちょっとした単語の順序の間違いで、じぇんじぇん逆のこと言ってることになっちゃうという、嗚呼、言葉とはげに恐ろしき。

>>芥屋さんバリのラクシュンファン
>
>こんなこと書くと芥屋さんに怒られますよ。

いやあ、怒りませんよ^^
これだから楽さんは面白いw

Re(6):[無題]
 ラクシュン  - 08/9/14(日) 20:10 -

引用なし
パスワード
   >芥屋さん
>まー、まじめに考えると、これは発言者の言い間違いか翻訳者の書き間違えだと思うんですけど。

というか、私はそのように読解していましたし、まさかMacskaがこんな重箱の隅を突付きまくる人間とは思えまえんでした。

>ちょっとした単語の順序の間違いで、じぇんじぇん逆のこと言ってることになっちゃうという、嗚呼、言葉とはげに恐ろしき。

なので、この解釈については私としては、違う確率が高そうだということしか言えないですね。
そこで引っ掛かるのが、冒頭の「パリテで政治の脱ジェンダー化を 全国フェミニスト議員連盟夏合宿」、ここにも下線がかかっています。
この「脱ジェンダー化」をテーマとした夏合宿(…w)と、その「男か女の存在以外ない」の間の矛盾を指摘したものとも受け取れます。

まいずれにしても私のレスを無断で削除する理由としては説得力が乏しいですね。

しかし、「男女は人類のほぼ半分を占める。」(←下線ナシ)もオカシいですよね。
言うまでもなく「男女」がそれぞれという意味でしょうけど。
#とすると、芥屋解釈では、男女合わせて「人類のほぼ半分」がヘテロだから、残り半分は非ヘテロって意味なの?
#とMacskaが言っている、とも取れるけど、Macskaがそこまで考えていない確率は高そうです。
#そう思えばそう書けばいいし、それをラディカルとは言わないと思う。

Re(4):[無題]
 ラクシュン  - 08/9/14(日) 21:01 -

引用なし
パスワード
   <訂正>
>ここに書かれているのは社会のあらゆる職業分野に、集合論的共通部分として女がいるという意味?

あの、この「共通部分」というのはあまり正しくないと思います。
言いたかったのは、職業人の集合の分割(集合族の部分族)に対してある選択集合が成り立つかどうかということです。例えば、それぞれにカテゴリーの中から女の最高年収額の一人(額はいくらでもいい)を選び出した全体(集合)と、各職業カテゴリー(部分族)との間の共通部分が一元集合であるのかどうなのか…みたいなこ意味でした。
ま手っ取り早く言えば、全ての職業分野に女がいるのかあ?みたいな。
#始めからそう書けば良かった。

Re(1):[無題]
 ラクシュン  - 08/10/2(木) 20:14 -

引用なし
パスワード
   Macはどうでもいいとして…

ところで、「形而上学」という言葉って不思議だと思いませんか?
この言葉を使用する人はどういう意味で使っているのでしょうかね?
使う人にしてもホントに解って使っているんでしょうかね?
解ってない私が言うのもヘンなんですけどね。w
しかしずっと前から不思議でしょうがなかったんですよね。

ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/kcollection/quidestmetaphysica.html

なんかでも「ポストモダニスム」的解釈についても触れてはいるけど意味がイマイチ?なんですよね。

私にとってこの言葉はかなりクセ者です。
なんか気分的に使われているようなところが多分にあるような気がします。

現段階での予想としては
・根拠の無い(証明不可能な)理論。
・物事の変化や発展に対し原理的に制限を課す思想および理論。

みたいなとこ。w

Re(2):[無題]
 ラクシュン  - 08/10/2(木) 20:41 -

引用なし
パスワード
   これは「否定神学」という用語にも同様に言えることです。
私が読んだ本にもその言葉は使われていますが、それが正確に何を意味しているのかはハッキリとは書かれていません。
私がMacのところで書いた「否定神学」は純粋なというか普通の意味での私の疑問が元になっていいますけど。
#あーうまく書けないので
#あまり気にしないようにぃ。w

Re(3):[無題]
 ラクシュン  - 08/10/2(木) 21:47 -

引用なし
パスワード
   まこんなことも知らずに哲学板に出入りしているなんて笑っちゃいますけどね。w

形而上学?
 芥屋  - 08/10/2(木) 23:18 -

引用なし
パスワード
   >ラクシュンさん:
>Macはどうでもいいとして…

「マック」て・・・(元帥かと思ひましたw)

>ところで、「形而上学」という言葉って不思議だと思いませんか?
>この言葉を使用する人はどういう意味で使っているのでしょうかね?
>使う人にしてもホントに解って使っているんでしょうかね?
>解ってない私が言うのもヘンなんですけどね。w

んー、私も昔、この言葉の意味はわからず使ってた記憶があります。
それはともかく、つまり何だ、えぇっと・・・
「実世界の観察上の論ではなくて純粋な脳内の観念論だぞぴょ」
・・・みたいなことでOKですかねぇ。

>ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/kcollection/quidestmetaphysica.html

ごめんなさい。今夜は、よりによって、ウォッカでイイ気分です。
ウォッカって、冷凍庫に入れても凍りませんね。
凍らないウォッカについて語れば形而下学なのかな。
ウォッカで酔ってる私の、その脳内の現実離れした変な想念こそが、
「形而上学」的なのかな。

まぁ、そんな秋の宵です。

Re(1):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 20:30 -

引用なし
パスワード
   >芥屋さん
>「マック」て・・・(元帥かと思ひましたw)

「Mac」には「元帥」という意味があるということなんでしょうね。
しかし元帥という言葉も死語なんでしょうかね…。

>ごめんなさい。今夜は、よりによって、ウォッカでイイ気分です。

ずいぶん洒落たものを飲んでるんですねぇ。w

しかし気になるので心当たりを調べてみましたが、ある本には
::::::::::::::::
 ところで、このメタには、超越という意味もまたあることから、アリストテレスの哲学が権威とされてキリスト教神学の基礎付けに利用された中世ヨーロッパでは、メタフィシカということばが「超自然学」、つまり感覚ではとらえることができないものについての学問、という意味で使われるようになった。「形而上学」という言葉は、この意味をもつものとして、中国の古典『易経』に典拠を求めて造られた。「形而上学」という言葉は本来、形より上、つまり形をもたない超感覚的なものという意味である。
::::::::::::::::

で著者は、ヘーゲルを頂点とする「ドイツ古典哲学」(古典?)以前に(?)、ドイツで流行っていたのは、この意味での「形而上学」だ(←たぶん引用文の意味)、と言います。
が一方で、古代の弁証法家のヘラクレイトスは、万物のアルケー(原理)を火だとする弁用法的見解(←「火」「空気」「水」「土」間の弁証法的サイクル)を(プラトンにも見られるような)比喩的に表現したのが、
「河は同じだが、その中に入るものには、後から後から違った水が流れよってくる」。「同じ河に二度はいることはできない……またまた近寄ってきては、去っていく」。「ヘラクレイトスはどこかで、万物は動いていて、何ものも止まってはいない、と言い、また有るものどもを河の流れになぞらえて、君は2度と同じ河へは入れないだろう、と言っている」。「同じ河にわれわれは入っていくものであり、入っていかないものでもある。存在するものでもあり、存在しないものでもある」…と。

そして、このヘラクレイトスによって完成された「古代弁証法」の論理的脆弱性をつく立場が「形而上学的」と位置付けられています。
その代表格がエレア派のパルメニデスです。
彼の有名な主張は、「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」(←何処か親しみのある主張w)、というものです。
パルメニデスは言います
 「いざや、私は汝に語ろう、汝はその話を聞きて受け入れよ−−探求の道は如何なるものだけが考え得るかを。その一つは“それは有る、そしてそれにとりて有らぬことは不可能だ”と説くもの、これは説得の道だ(真理にしたがうものゆえ)、他の一つは“それは有らぬ、そして有らぬことが必然だ”と説くもの。これは汝に告げるが、全く探求し得られない道だ、何故なら汝は有らぬものを知ることもできなければ(それは偽し能わぬことゆえ)、また言い現すこともできないだろうから」。

パルメニデスは何も思弁を語っているわけではないと思うのですが、この立場が「形而上学的」ということになっているんですよね。不思議でしょ。
私の引っ掛かりの根源はこの辺にあるんだと思いますけど。
こういう記述が私のどこかに刷り込まれているんでしょうかね。

あとフロイトやラカンおよびマルクス、ドゥルーズの理説が「形而上学」だという話を聞かないということが私の疑問の補強材料としてあるかもしれません。
#フロイトは自説を思弁だと認めている模様。

Re(2):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 21:24 -

引用なし
パスワード
   あ、古代ギリシャ哲学の「形而上学」とは意味がぜんぜん違っているから、
ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/kcollection/quidestmetaphysica.html
で、「プラトン以来」という表現について違和感を表明していたということだな。
それについては納得。

Re(2):形而上学?
 Josef  - 08/10/3(金) 22:20 -

引用なし
パスワード
   >パルメニデスは何も思弁を語っているわけではないと思うのですが、この立場が「形而上学的」ということになっているんですよね。不思議でしょ。

ややこしいですね。
体験に基づく知という点からは形而上学の反対のようですが、体験できるのは「有るもの」であって、「無いもの」は体験できないというところから、「無い」ということを拒絶し、全一的というか永遠的というか、一切がそこから生じそこへと回帰していくような「存在」を主張するあたりが形而上学的なのでしょう(たぶん)。
このような存在論からすれば、「存在するものでもあり、存在しないものでもある」のような思弁は言葉遊びに過ぎないのですね(たぶん)。

>「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」

すごく当たり前のことを言っているように見えますが、この後半部は「有らぬ」ということの拒絶でしょうね。言い換えると、「存在しない」などということはありえない(=体験や知の対象になりえない)、と。

主語がないところがミソで、具体的な主語を立てれば、たとえばラクシュンさんという人物は、今は「有る」が100年後には「無い」。しかしパルメニデスの存在論はそういう形而下の存在の有無ではなく、「有る」そのもの、「無い」そのものに向かっていて、後者を否定するという形をとっているのだと思います。「無い」ものは知ることも思考することもできないと。

この、完全なる「存在」という表象が、プラトンの「イデア」なんかに繋がっていくのでしょう(たぶん)。

Re(3):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/3(金) 23:27 -

引用なし
パスワード
   あーというか、私としてはこれではまだダメなんだ。
現段階での結論は、本来のアリストテレス哲学の「第一哲学(≒メタフィシカorフィジックス)」(フィシカの後)ではなく、中世ヨーロッパのキリスト教神学での「超自然学(=形而上学)」とパルメニデスの思想に類似性があった(?)から、それを「形而上学的」と表現しているのが(むかし読んだ論理学系)本の著者の立場、というのが正解なのかな?
と思う。


>Josefさん
>この、完全なる「存在」という表象が、プラトンの「イデア」なんかに繋がっていくのでしょう(たぶん)。

おそらく著者はそこまで考えてないような気がします。
最近読んだ『権力と抵抗−フーコー・ドゥルーズ・デリダ・ラカン』と今回の話題に、ある共通性みたいなものを感じるんですよ。
この二冊の本の著者の感覚、ものの考え方の共通性みたいなものをね。
本当はなにも目新しいことではないのかも知れませんけど。

>「無い」ものは知ることも思考することもできないと。

ここは私もパルメニデスがそう主張していると思っているし、またそのとおりだと思っています。

Re(4):形而上学?
 ラクシュン  - 08/10/4(土) 20:47 -

引用なし
パスワード
   なんといっても一番オカシさが際立つのはこの辺でしょうか。
『はじめての哲学史』(竹田青嗣・西研)では、
::::::::::::::::::::::
 つまり、彼は存在それ自体を深く考察したのだが、結果的にそれまで使用されたさまざまな抽象概念の使い方を整理し、言葉の論理的な使い方を刷新したのである。ここにパルメニデスの大きな功績があった。(パルメニデスの存在に関するこの発見はプラトンやアリストテレスに引き継がれ、西洋哲学の演繹的推論の伝統となった)。
::::::::::::::::::::::

思考実験として、アリストテレスが「Pか非Pのどりらかだ」「Pかつ非Pということはない」と言ってもぜんぜん不思議はない(実際言っているはず)のですが、論理本の著者は、アリストテレスに対して「形而上学的」というレッテルを貼れるのかどうなのか、ということに尽きるかも。

弁証法的否定と形而上学的否定?
 ラクシュン  - 08/10/5(日) 20:17 -

引用なし
パスワード
   うーん、もう少し読み進めていくと[弁証法的否定と形而上学的否定]という項目があります。
麦粒を畑に蒔けば、一定期間おけば再び麦になりますが、これを「麦粒が否定されて麦になった」と言うそうです。
他方、麦を挽いて粉にしたり味噌や焼酎にすることもできますが、この場合も「麦粒が否定されて粉・味噌・焼酎になった」と言います。
そして、両者は「麦自身」にとっては大きな違いがあり、前者の否定を「弁証法的否定」、後者の否定を「形而上学的否定」と言うそうです。

しかし、だから何なのと言いたくなります。
弁証法家は麦を消費しないのだと言いたいわけでもないだろう。w
なんとなくw偽の二分法(弁証法家による弁証法的区別)の匂いがしますが、まこういう考え方もあるんでしょうね。
#形而上学的否定はやめておこう。

愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/7(火) 20:05 -

引用なし
パスワード
   そのすぐ裏のページには、子供の成長過程における弁証法の 適用事例 が紹介されています。
子供が生まれてからの成長過程自体は「弁証法的否定」なんですと。
そして、子供が(殺人は言うまでもなく)事故や病気で成長が中断されることが「形而上学的否定」なんですって。
そして、人々の生活上の社会的困難をみんなで協力し合って克服していく過程は「弁証法的否定」であり、核兵器などで生物の絶滅をはかる行為は「形而上学的否定」なんですって。
で、「以上のこと」 から、「現実におけるあらゆる発展は、否定をつうじておこなわれるということがわかる。」んですって。
なんとなく、ゲリマンダーの極地じゃないのかという気がするのですが、こういう考え方をする人がいることは否定しませんよ。

ちなみに、麦を例にとって言えば、「否定の否定」(第一否定:麦粒→麦 第二否定:麦→再び麦粒)として収穫された麦は種麦からの一定の前進があって、この前進(進化)を「螺旋状の発展」というそうです。
この発展は、社会や歴史にも、そのまま当てはまるそうで、どうやらこの手の発展的前進、「否定の否定」を弁証法的に整理したものを「否定の否定の法則」というそうです。

ほんとかぁ〜… (~・ω・~)
#マルクス主義への直行便のような気がするけど。
#なんとなくだけど、ダーウィニズムのトートロジー性とは質が違いそうだ。

Re(1):愚痴の追加
 Josef  - 08/10/8(水) 21:03 -

引用なし
パスワード
   ラクシュンさん

形而上学や弁証法はきっちりした定義のある学術用語ではなくかなり曖昧さを含んだ概念だから、自分なりのスタンスを持ってればいいんじゃないかと思います。
子供の成長を例にとった「弁証法的」と「形而上学的」との区別は、私からみればヘンな感じがしますが、「自分はそういう区別をする」という人がいるならそれはそれでいいのではないかと。

形而上学という言葉が出てきた時に私が気になるのは、それがネガティブな意味で使われているのか、そうではないのか、という点です。数的にはネガティブな意味で使う人が多い気がするんですが、私自身はそうでもないので。

ラクシュンさんの書き込みからは形而上学をネガティブに捉える視線が伝わってきますが、どうなんでしょう?

Re(2):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/9(木) 1:21 -

引用なし
パスワード
   ごめん、ネタエントリにマジレスでつっかかってるのがあまりに痛かったので、削除しちゃいました。
そんなに激怒するとは思わなかったです。

Re(7):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/9(木) 1:40 -

引用なし
パスワード
   > というか、私はそのように読解していましたし、まさかMacskaがこんな
> 重箱の隅を突付きまくる人間とは思えまえんでした。

重箱の隅を突きまくるとかじゃなくて、単純に「面白い書き間違え」だと思ってネタとして紹介したんですが。

> しかし、「男女は人類のほぼ半分を占める。」(←下線ナシ)もオカシ
> いですよね。

そこにも下線してますって。

「ヒトは、一部の例外を除き、男か女以外の存在しかない。」
「男女は人類のほぼ半分を占める。」

書き間違えだと分かっていても、ぶっとんでて面白い書き間違えじゃないですか?

あ、そう、面白くないと。それは感覚の違いであって押しつけるつもりはないですが、「ネタ」というブックマークがついているように、わたしの意図をちゃんと理解したうえで、ネタとして面白いと感じた人もいるようです。

> #そう思えばそう書けばいいし、それをラディカルとは言わないと思う。

それはアイロニーというもので、そもそもエントリのタイトルが「市民記者ニュースすげー」である時点で、アイロニカルな表現であるというのが分かってもよさそうなものです。

ところがそれが分からずに、わたしが本気で「この記事はすばらしい」「この主張はラディカルだ」と思っている、と解釈して、記事がどのようにおかしいかとマジレスしたのがラクシュンさんですが、あまりに痛々しくてくだらないので削除しました。

ラクシュンさんの投稿を基本的に歓迎しないのは、この件からも分かるように、ラクシュンさんが文脈に無頓着で、文章の中から一部だけ切り出して自分の読みたいように誤解して突っ走る傾向が強くあるからです。それでわたしに喧嘩をふっかけるだけならまだ良いのですが、他の参加者に対して迷惑なので、コメントは遠慮してください、とお願いしています。(という説明は以前もしたので、何の理由も説明されずに秘密裏に書き込み禁止された、という主張は成り立ちません。)

が、トラックバックなら受け付けているので(トラックバックなら承認します)、意見があればご自身のブログで書いてください。そういう形であれば、少なくとも他の読者の迷惑にはなりませんから。

Re(3):[無題]
 芥屋  - 08/10/9(木) 23:45 -

引用なし
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   >macskaさん:
>ごめん、ネタエントリにマジレスでつっかかってるのがあまりに痛かったので、削除しちゃいました。

その気持ち、わかります。天然のボケに軽いツッコミしただけのネタだから、あとは笑ってくれれば良し、笑えねぇと無視するも良し。…のつもりなのに、桟敷席に上がって来て喧々囂々されては、ねぇ。

ネタはネタですからね、軽妙に済ませたい。そこで完結する(はずの)エントリのコメント欄に、野暮な重たい勘違いが来るなら、そりゃぁ消したくなりますよ。つうか消すべきですよ、ネタ提供者の文責上(他の読者の軽いフフフの邪魔ですからねw)

>そんなに激怒するとは思わなかったです。

そこが楽さんのオモロイところですたい。わたしゃ、楽さんのこげなところがオモロイけん、何があっても消さんとですよ(嘘)。

♯ところで、上で「軽妙な」とか書いたけど、かな〜り毒のあるシニカルな笑いと感じたのだけど、それはわたしの深読み過ぎ?

Re(4):[無題]
 macska E-MAIL  - 08/10/10(金) 6:29 -

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   > そこが楽さんのオモロイところですたい。わたしゃ、楽さんのこげな
> ところがオモロイけん、何があっても消さんとですよ(嘘)。

なるほど、そういうキャラとして楽しむという対処もあるわけですね。でも当人は大真面目で、それが他人を巻き込んで紛糾してしまったりするので、ちょっと勘弁して欲しいというのが正直なところです。ここのような小さな掲示板なら、常連さんがみんなキャラを受け入れてなごやかにするということも可能かもしれませんが。

> ♯ところで、上で「軽妙な」とか書いたけど、かな〜り毒のあるシニ
> カルな笑いと感じたのだけど、それはわたしの深読み過ぎ?

ふふふ、だって JANJAN であの記事(「パリテで政治の脱ジェンダー化を 全国フェミニスト議員連盟夏合宿」)を書いた「市民記者」って、かの「ファイトバックの会新ブログ」(fightback2)を作った「さとうしゅういち」さんでしょ。あと、記事になってる全国フェミニスト議員連盟を創設したのって、三井マリ子さんだよね。

そういう背景を考えて、軽妙なネタにそういう裏があるのではと深読みをする人は、たしかにいるかもしれませんねー。

Re(2):愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/10(金) 20:52 -

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   >形而上学や弁証法はきっちりした定義のある学術用語ではなくかなり曖昧さを含んだ概念だから、

哲学って、案外いい加減なところがあるんですね。

>「自分はそういう区別をする」という人がいるならそれはそれでいいのではないかと。

なるほど、これからはなるべくそういうスタンスをとるようにしてみます。

>どうなんでしょう?

もちろんネガティブです。
著者は哲学史を弁証法と形而上学の闘争として描いているようです。
この視点に『権力と抵抗』の視点が(自分なりに)重なってきて、この点はなるほどなとは思いました。
しかし、『権力と抵抗』は全般にわたってラカン理論が中心におかれているので私にはいまいち?かな。
この本には「形而上学」という用語は使われてなかったと思います。

#日経平均が暴落だけど大損している人はいないよなあ。w

Re(8):[無題]
 ラクシュン  - 08/10/10(金) 21:02 -

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   >書き間違えだと分かっていても、ぶっとんでて面白い書き間違えじゃないですか?

べつに面白くなかったな。
全体から見ればなお面白くない。
その種の書き間違いはわりとあると思っているし。

>「ネタ」というブックマークがついているように、

悪いけど私はそんなことは知らないんですよ。
どこかにあるんだ。

>アイロニカルな表現であるというのが分かってもよさそうなものです。

これは書いている人の立場を考えればわからないのは当然だというのが私の立場かな。
紛らわしい。

Re(3):愚痴の追加
 ラクシュン  - 08/10/14(火) 21:47 -

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   ラカンの理屈はだいたい解りました。
「主体」を代理しているのが欲望を組織する「ファルス」(欠如のシニフィアン)、そのファルスを代理しているのが「シニフィアン連鎖」ということ。
たったこれだけのこと。
そして、このファルスの超越(論)性にアルチュセール、デリダそしてドゥルーズあたりが反発するんですね。

しかし単なる言葉や図式的なものから受ける抑圧・支配的印象から批判の動機が生まれているのか、あるいはそれ以外のものなのか、そのあたりはまだはっきり解りません。
なんか体力を消耗する本ですが、皆さんも一冊どうですか。
暇つぶしにはなりますよ。

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