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中立ではない制度の中の自由意志 芥屋 06/9/24(日) 19:35
  『個人の意識は問わない』の真偽 芥屋 06/9/24(日) 20:11
  Re:『個人の意識は問わない』の真偽 芥屋 06/9/24(日) 21:03
  Re:『個人の意識は問わない』の真偽 macska 06/9/25(月) 2:01
   Re:『個人の意識は問わない』の真偽 純子 06/9/25(月) 8:23
   Re:『個人の意識は問わない』の真偽 macska 06/9/25(月) 13:33
   美意識の問題化(美観と蔑視 芥屋 06/9/25(月) 20:36
   Re:美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/26(火) 9:54
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/26(火) 10:13
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 Josef 06/9/26(火) 15:40
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/26(火) 20:52
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 Josef 06/9/26(火) 22:08
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/26(火) 22:43
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/26(火) 22:56
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 芥屋 06/9/26(火) 22:56
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 一郎無@次郎 06/9/27(水) 0:03
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 芥屋 06/9/27(水) 0:06
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/27(水) 2:39
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/27(水) 3:36
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/27(水) 17:18
      Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/27(水) 18:48
      Re(1):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/30(土) 1:06
       Re(2):美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/30(土) 2:28
       Re(3):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/30(土) 3:44
       Re(4):美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/10/3(火) 3:28
       Re(5):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/10/3(火) 5:28
       Re(6):美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/10/3(火) 23:46
       Re(7):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/10/4(水) 5:39
       Re(8):美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/10/4(水) 20:02
       Re(9):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/10/5(木) 16:29
       Re(10):美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/10/8(日) 0:55
       Re(11):美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/10/8(日) 20:09
       ↑新スレにしました。 芥屋 06/10/8(日) 23:36
      Re:美意識の問題化(美観と蔑視 Josef 06/9/27(水) 19:36
     基本の、き 芥屋 06/9/27(水) 20:45
     Re(1):基本の、き macska 06/9/30(土) 1:12
     Re(2):基本の、き 芥屋 06/10/1(日) 11:10
     Re(3):基本の、き macska 06/10/1(日) 11:46
     Re(4):基本の、き 芥屋 06/10/1(日) 11:57
    「差別」のでっちあげ 芥屋 06/9/26(火) 16:28
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 macska 06/9/27(水) 2:15
     Re:美意識の問題化(美観と蔑視 tpkn 06/9/27(水) 3:09
    Re:美意識の問題化(美観と蔑視 芥屋 06/9/26(火) 16:02
    Re:美意識の問題化(名詞と形容詞) 芥屋 06/9/26(火) 21:12
    Re:美意識の問題化(名詞と形容詞) macska 06/9/27(水) 3:44
    Re(1):美意識の問題化(名詞と形容詞) 芥屋 06/9/29(金) 21:44
    Re(2):美意識の問題化(名詞と形容詞) macska 06/9/30(土) 2:16
    Re(3):美意識の問題化(名詞と形容詞) 芥屋 06/10/1(日) 11:23
    Re(4):美意識の問題化(名詞と形容詞) macska 06/10/1(日) 12:35
    Re(5):美意識の問題化(社会常識) 芥屋 06/10/1(日) 20:38
    Re(6):美意識の問題化(社会常識) macska 06/10/2(月) 2:58
    Re(7):美意識の問題化(社会常識) 芥屋 06/10/2(月) 12:27
    Re(8):美意識の問題化(社会常識) macska 06/10/2(月) 13:33
    Re(9):美意識の問題化(社会常識) 芥屋 06/10/2(月) 16:26
    Re(10):美意識の問題化(ホンネとタテマエ) 芥屋 06/10/2(月) 18:03
    Re(11):美意識の問題化(ホンネとタテマエ) macska 06/10/3(火) 5:16
     Re(12):美意識の問題化(ホンネとタテマエ) 芥屋 06/10/3(火) 6:12
     Re(13):美意識の問題化(ホンネとタテマエ) macska 06/10/3(火) 7:54
     美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 芥屋 06/10/3(火) 20:59
     Re(1):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 芥屋 06/10/3(火) 21:02
     Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/4(水) 5:06
     Re(1):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/4(水) 4:57
     Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 純子 06/10/4(水) 18:10
     Re(3):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/5(木) 16:13
      Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 純子 06/10/5(木) 18:46
      Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/6(金) 2:48
      Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/6(金) 0:41
      Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/6(金) 2:59
      Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 純子 06/10/6(金) 12:30
      Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/7(土) 2:42
      Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/6(金) 17:41
      Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) tpkn 06/10/6(金) 22:08
      Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/7(土) 1:14
       Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) tpkn 06/10/7(土) 14:26
      Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/7(土) 2:58
      Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/6(金) 18:08
      Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/7(土) 0:26
      Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/7(土) 3:25
       Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/7(土) 19:39
       Re(10):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 芥屋 06/10/7(土) 23:19
      Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/7(土) 3:04
      Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/7(土) 19:09
      Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/8(日) 19:14
     Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 純子 06/10/6(金) 13:24
     Re(3):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/7(土) 2:50
     Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) 純子 06/10/7(土) 17:07
     Re(5):美意識の問題化(jジェンダー教) 芥屋 06/10/7(土) 23:32
     Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) macska 06/10/8(日) 19:03
     Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく) gaji 06/10/8(日) 22:43
     ↑新スレに移しました。 芥屋 06/10/8(日) 22:55
    Re(10):美意識の問題化(社会常識) macska 06/10/3(火) 5:11
   画一的な多様主義(実存と虚妄) 芥屋 06/9/25(月) 22:04
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/26(火) 10:10
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) 純子 06/9/26(火) 17:46
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/27(水) 2:42
    Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) tpkn 06/9/27(水) 4:31
    Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/27(水) 17:36
    Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) tpkn 06/9/27(水) 17:58
    ダウンタウン 芥屋 06/9/27(水) 19:01
    Re(1):ダウンタウン macska 06/9/30(土) 1:07
    Re(2):ダウンタウン 芥屋 06/10/1(日) 11:08
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) 芥屋 06/9/26(火) 18:11
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/27(水) 2:57
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) 純子 06/9/26(火) 19:36
    Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/27(水) 3:11
    Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) 純子 06/9/27(水) 20:10
    Re(1):画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/30(土) 1:10
    Re(2):画一的な多様主義(実存と虚妄) 純子 06/9/30(土) 9:54
    Re(3):画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/9/30(土) 13:32
    Re(4):画一的な多様主義(実存と虚妄) 芥屋 06/10/1(日) 11:00
    Re(5):画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/10/1(日) 11:42
    Re(6):画一的な多様主義(実存と虚妄) 純子 06/10/1(日) 15:52
    Re(7):画一的な多様主義(実存と虚妄) macska 06/10/1(日) 17:56
    Re(7):画一的な多様主義(実存と虚妄) 芥屋 06/10/1(日) 18:24
   Re:画一的な多様主義(実存と虚妄) gaji 06/9/26(火) 17:55
   昭和時代の精神史 芥屋 06/9/27(水) 1:19
   Re:昭和時代の精神史 gaji 06/9/27(水) 5:00
    Re:昭和時代の精神史 gaji 06/9/27(水) 15:24
   ↑この部分は新スレへ。 芥屋 06/9/29(金) 22:09
  『尻に敷かれた雛祭り』 芥屋 06/9/24(日) 20:14
   Re:『尻に敷かれた雛祭り』 macska 06/9/25(月) 2:20
   Re:『尻に敷かれた雛祭り』 純子 06/9/25(月) 7:28
   Re:『尻に敷かれた雛祭り』 芥屋 06/9/25(月) 14:53
    Re:『尻に敷かれた雛祭り』 macska 06/9/26(火) 9:37
    Re:『尻に敷かれた雛祭り』 Josef 06/9/26(火) 15:28
    Re:『尻に敷かれた雛祭り』 芥屋 06/9/26(火) 17:16
    Re:『尻に敷かれた雛祭り』 tpkn 06/9/26(火) 21:30
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 芥屋 06/9/26(火) 22:04
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 tpkn 06/9/26(火) 22:38
     ミクシィ 芥屋 06/9/26(火) 23:33
    Re:『尻に敷かれた雛祭り』 tpkn 06/9/26(火) 20:34
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 macska 06/9/27(水) 3:27
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 tpkn 06/9/27(水) 4:03
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 macska 06/9/27(水) 17:31
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 tpkn 06/9/27(水) 18:13
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 macska 06/9/27(水) 18:47
     Re:『尻に敷かれた雛祭り』 楽俊 06/9/27(水) 19:23
     Re(1):『尻に敷かれた雛祭り』 ザッ感れす 06/9/30(土) 21:18
      思うに 楽俊 06/9/30(土) 22:17
      あっ 楽俊 06/9/30(土) 22:22
     「×」について tpkn 06/9/30(土) 3:06
     Re(1):「×」について Josef 06/10/1(日) 20:04
     Re(2):「×」について macska 06/10/2(月) 2:44
     おっそろしい バジル二世 06/10/2(月) 8:50
     Re(1):おっそろしい macska 06/10/2(月) 12:56
      Re(2):おっそろしい Josef 06/10/2(月) 14:12
      Re(3):おっそろしい macska 06/10/3(火) 4:51
       Re(4):おっそろしい Josef 06/10/3(火) 21:56
       Re(5):おっそろしい macska 06/10/4(水) 5:21
       Re(6):おっそろしい Josef 06/10/4(水) 16:56
       全体主義云々について Josef 06/10/5(木) 13:59
        「啓発」等の強制性について Josef 06/10/7(土) 20:27
       【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁について【枝葉】 tpkn 06/10/4(水) 19:13
       Re(1):【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁について【枝葉】 gaji 06/10/4(水) 20:05
       ザッ感れす…結論モード 楽俊 06/10/6(金) 21:35
       (訂正) 楽俊 06/10/6(金) 22:14
       Re(1):ザッ感れす…結論モード macska 06/10/7(土) 3:16
       Re(2):ザッ感れす…結論モード 楽俊 06/10/7(土) 19:20
       Re(3):ザッ感れす…結論モード Josef 06/10/7(土) 21:05
       Re(3):ザッ感れす…結論モード macska 06/10/8(日) 19:28
       Re(4):ザッ感れす…結論モード 楽俊 06/10/8(日) 20:18
       Re(5):ザッ感れす…結論モード 楽俊 06/10/8(日) 20:58
      Re(2):おっそろしい バジル二世 06/10/2(月) 15:58
      Re(3):おっそろしい macska 06/10/3(火) 4:55
      どうでもいいことですがmacskaさんへ Josef 06/10/3(火) 22:00
      Re(1):どうでもいいことですがmacskaさんへ 芥屋 06/10/3(火) 23:00
      Re(2):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/4(水) 5:25
       Re(3):どうでもいいことですがmacskaさんへ 芥屋 06/10/4(水) 7:45
       Re(4):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/5(木) 14:17
       Re(5):どうでもいいことですがmacskaさんへ tpkn 06/10/5(木) 15:02
       Re(6):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/5(木) 16:58
       Re(7):どうでもいいことですがmacskaさんへ tpkn 06/10/8(日) 1:50
       Re(8):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/8(日) 20:39
       Re(9):どうでもいいことですがmacskaさんへ 芥屋 06/10/9(月) 0:45
       Re(10):どうでもいいことですがmacskaさんへ tpkn 06/10/9(月) 1:30
       Re(11):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/12(木) 12:47
       Re(10):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/12(木) 11:47
       Re(11):どうでもいいことですがmacskaさんへ Josef 06/10/12(木) 20:54
       ↑この部分も新スレにしました。 芥屋 06/10/12(木) 22:31
      Re(1):どうでもいいことですがmacskaさんへ macska 06/10/4(水) 5:23
      Re(4):おっそろしい バジル二世 06/10/4(水) 14:34
     Re(3):「×」について tpkn 06/10/3(火) 4:03
    フェミシェヴィキ 芥屋 06/9/27(水) 20:59
    Re(1):フェミシェヴィキ macska 06/9/30(土) 1:15
    文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/9/30(土) 2:49
    Re(1):文字通りのバックラッシュ! macska 06/9/30(土) 3:53
     パラノイア 芥屋 06/9/30(土) 7:13
     Re(1):パラノイア macska 06/9/30(土) 8:59
      Re(2):パラノイア 芥屋 06/10/1(日) 11:18
      Re(3):パラノイア macska 06/10/1(日) 12:18
      Re(4):パラノイア 芥屋 06/10/1(日) 12:33
      Re(5):パラノイア macska 06/10/1(日) 12:53
      Re(6):パラノイア 芥屋 06/10/1(日) 17:13
      Re(7):パラノイア macska 06/10/1(日) 18:25
       Re(8):パラノイア 芥屋 06/10/1(日) 18:35
       Re(9):パラノイア Josef 06/10/1(日) 19:47
       Re(8):パラノイア tpkn 06/10/3(火) 4:17
       Re(9):パラノイア macska 06/10/3(火) 5:36
       Re(10):パラノイア tpkn 06/10/4(水) 0:13
      横レス 楽俊 06/10/1(日) 20:10
     Re(2):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/9/30(土) 8:06
     「雛祭りの実害」・・・ 芥屋 06/9/30(土) 8:14
     Re(1):「雛祭りの実害」・・・ macska 06/9/30(土) 12:09
      Re(2):「雛祭りの実害」・・・ 芥屋 06/10/1(日) 11:13
      Re(3):「雛祭りの実害」・・・ macska 06/10/1(日) 12:01
      Re(4):「雛祭りの実害」・・・ 芥屋 06/10/1(日) 12:14
      Re(5):「雛祭りの実害」・・・ macska 06/10/1(日) 12:46
      Re(6):「雛祭りの実害」・・・ 芥屋 06/10/1(日) 12:50
     Re(3):文字通りのバックラッシュ! macska 06/9/30(土) 12:03
      Re(4):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/10/1(日) 11:12
      Re(5):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/1(日) 11:57
      Re(6):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/10/1(日) 12:07
      Re(7):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/1(日) 12:42
       Re(8):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/10/1(日) 12:46
       Re(9):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/1(日) 12:56
       Re(10):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/10/1(日) 17:18
       Re(11):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/1(日) 18:13
       Re(12):文字通りのバックラッシュ! 芥屋 06/10/1(日) 18:31
      Re(6):文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/10/3(火) 4:36
      Re(7):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/3(火) 5:38
      文字通りのヒステリー tpkn 06/10/4(水) 0:47
      Re(1):文字通りのヒステリー macska 06/10/4(水) 6:00
      Re(2):文字通りのヒステリー tpkn 06/10/4(水) 20:58
      Re(3):文字通りのヒステリー macska 06/10/5(木) 16:48
     Re(2):文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/10/3(火) 4:53
     Re(3):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/3(火) 5:45
     Re(4):文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/10/4(水) 0:32
     Re(5):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/4(水) 5:55
     Re(6):文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/10/4(水) 20:39
     Re(7):文字通りのバックラッシュ! macska 06/10/5(木) 16:42
     Re(8):文字通りのバックラッシュ! tpkn 06/10/8(日) 1:09
    Re(2):フェミシェヴィキ 芥屋 06/10/1(日) 11:15
    Re(3):フェミシェヴィキ macska 06/10/1(日) 12:12
   Re:『尻に敷かれた雛祭り』 芥屋 06/9/25(月) 13:59

中立ではない制度の中の自由意志
 芥屋  - 06/9/24(日) 19:35 -

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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=715;id=keya1984
前スレの↑から新スレにしました。「制度と自由意志」の問題です。


【ma】
>さて、ジェンダーの制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>
>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
>
>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択をした人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。


【芥】
>>さて、男女共同参画社会政策で行われてきた教育や啓発に従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>>
>>まず第一に、逮捕されなくても実際に教育や啓発などにおける価値観の指導が存在することが指摘できます。「従来通りの雛祭りを家庭において祝ったために政策に合わないと役所や学校に言われた」例はおそらくないでしょうが、幼稚園などでは、政策に不適切だとの主張が登場し始めて以降、これを取りやめた園は現実に存在するわけですから、同列には並べられない。幼稚園の自主性という次元ではなく、「お上が決めたこと」「法律でこうなっている」に弱い日本の政治風土と合わせて考えてみるべきでしょう。
>>
>>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、基本法や条例にもとづくとされる教育や啓発などの公的な社会制度が存在する中で、「男らしさ女らしさを押し付けている(刷り込んでいる)」とされたものが非常に不利に扱われるということがあります。具体的には、雛祭りや鯉のぼりなどのお祝い事や昔話の絵本の内容へのクレーム、ランドセルや着衣の色、子供の名づけ方や子育てにおける「男らしく女らしく育ってほしい」への否定的な言説などがありますね。それら制度的な理由により「頭が固い」「化石的に古い」「差別的だ」などと揶揄する教育や啓発に従わない生き方を選択をした人は、そうしない人に比べてとても心を痛めることになります。この点も、あなたがそうしたことに配慮するべきだと考えるかどうかは別として、実生活上大きな困難を抱えるかどうかだけで判断していいようなことではないわけですから、少なくとも「自由意志なのだから問題ない」と言える制度にはなっていない(ジェンダーに中立な制度にはなっていない)ことは分かるでしょう。

『個人の意識は問わない』の真偽
 芥屋  - 06/9/24(日) 20:11 -

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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=715;id=keya1984
↑私のこの意見に対するmacskaさんのレスについて論点ごとに分けてレスします。1つめは、

論点1:『個人の意識ではなく社会の制度を問題にしている、という主張の真偽』について。

>> 上記の文中、『「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない』とあるところを『旧来の男女別の固定的な人生設計に基づいた人生を選択しない(できない)』と置き替えるならば、同意です。

>その方がよりふさわしい、という主張ならわからないでもないですが、そう置き換えなければ同意できないとでも言うのでしょうか?

私が置き換えた語句でなければいけない(同意できない)とは思いません。しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているのではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それを考えたらわかるはずです。

「男らしさ女らしさ」というのは美意識の範疇なのだから、あなたの先の文章だと、その美意識からくる問題を扱う文面であり、それでは平素の主張が空文化するのではないか、と指摘したわけです。すると、あのように書いても空文化には「なりません」として理由を書かれたが、

>「人生設計」に関わる部分だけでなく、「男らしくない男」「女らしくない女」はそれだけで職場などで不利な目にあっているとは思いませんか?

さぁ、恋愛では不利でしょうが職場では聞いたこともないです。しかし、仮に不利があったらどうなのです? 個々人の美意識の範疇からくる不利さが個別事例にあったとして、それが制度化されているんだと言えますか?そんな制度はありませんよ。したがって「社会の制度を問題にしているのであって個々人の意識など問題にはしていない」のであれば、ここでそういったことをジェンダーの制度問題として挙げることがおかしいではないですか。

>ここでわたしが言わんとしていることは「だからそれを全部なくせ」ということではなくて、

それはわかりますよ。仮に「男らしくない男」「女らしくない女」はそれだけで職場などで不利な目にあっているとしても、「だからそれを全部なくせ」ということではない、と。あんまりひどいこと(職場内イヂメや嫌がらせなどの際に「男らしくない/女らしくない」が重ねられるような場合)でもあれば、純子さんの言うように個別に理由を挙げて対処すべきなのに、ジェンダーの制度問題としてあげる必要を説く。これで、平素の主張が空文化するというより、確信犯として平素の主張は偽であったということですね。

>そうした不利さとは無縁な「ひな祭りの祝い方」と同列に並べることはできない、ということだけなんですけれど、それすら同意できないとでも?

だからそれを言ってきたのは私たちでしょう。あなたこそ、自分で場当たり的に言い放ったその論理に自分で同意できるの?主張していたことと矛盾しているじゃないかとのtpknさんの指摘が既に入ってますよ。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=738;id=keya1984
↑これを無視して話を進めているようですが、ほんと大嘘つきですね。しかも実は、私たちにとっては矛盾だけど、あなたにとっては矛盾じゃないんでしょ?それに気付いたので下の『尻に敷かれた雛祭り』に書きます。

>個々が自分の生き方としてどのような「らしさ」を追求しようと、あるいは同じような生き方を選ぶよう他者に呼びかけようと、それは自由です。しかし、社会のうちで特定の「らしさ」を生きる人たちが優遇されたり、あるいは差別されたりするのはおかしい。何ら矛盾しません。
>
>こんなことも分からないのですか?

表向きあなたはそのように主張してきましたよね。でも実態はというと・・・?

個々が自分の生き方としてどのような「らしさ」を追求しようとしまいと、あるいは同じような生き方を選ぶよう他者に呼びかけようと呼びかけまいと、それは自由です。しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚されたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男らしさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのはおかしい。まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。

こんなことも分からないのですか?

>> で、まさにこのような「個々人の意識」の問題化によってなされているのが男女共同参画社会政策の教育・啓発事業です。
>
>話をそらさないでください。

そらしているのはあなたです。「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だと規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度になっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題に直結するんだ。それが根拠ですよ。個々人の意識の持ちようの話なんかとっくに卒業しているんです。あなたこそ、この観点から話をそらすべきではありません。

>ひな祭りの話は無根拠でしたごめんなさいと全撤回するというのであれば、次の話題として行政の話をはじめても結構ですが、またきっちりと結論を出さないまま逃げられるのはごめんです。

次の話題じゃないだろ、はじめっから行政の話じゃないかペテン師が。で、あなたの言うその結論とは、「私の出した結論に従って主張を撤回せよ」ということじゃん。「この行政に関わる官民の文書は自分のように読まないといけない、そのように読めば無根拠な妄想だったとわかるはずなので全面撤回すべきだ、そうすれば行政の話として・・・」と。フェミナチも極まったりですな。

『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/24(日) 20:14 -

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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=715;id=keya1984
↑私のこの意見に対するmacskaさんのレスについて論点ごとに分けてレスします。2つめは、

論点2:『等価』について。

>この論法は芥屋さんが最近多用されていますが、文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

そうなんですか。ではここで、一例としてJosefさんが確認を求めた質問への、あなたの同意意見から挙げましょう。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=785;id=keya1984

自省をうながす立論「OOをしていませんか?ふり返って見ましょう」と、その後に列挙される項目との関係について、具体例を二つ。

1.「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「女の子だから雛祭りで祝う」

2.「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」

>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。なぜならあなたは、こう主張しているのです。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私たちは、「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だとする考え方には大反対ですので、あなたの論理を借用するなら「この二つは等価でないので、あなたの見解は詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません」と考えます。しかしあなたは等価だと考えているから、詭弁もしくは言葉遊びではないとの論拠になります。

そこで、あなたの主張をあなた自身の論理にしたがって、以下の文中の「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」を「女の子だから雛祭りで祝う」に入れ替えてみましょう。

>ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はセクハラにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係においてお尻を軽く触るという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対にセクハラだとは言い切れない。

→ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「女の子だから雛祭りで祝う」という行為は押し付けにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係において雛祭りを祝うという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対に押し付けだとは言い切れない。

>しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という項目が含まれていても自然です。

→しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「女の子だから雛祭りで祝う」という項目が含まれていても自然です。

ここで対立点は、

A.「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とは等価ではない。そう考える官民の教育・啓発は文化や伝統への破壊である。
B.「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とは等価である。それを教える官民の教育・啓発は文化や伝統への破壊にはならない。

なお、Bの立場からはその理由として、こう説かれる。
・「女の子だから雛祭りで祝う」も「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」も、私的に当事者間で合意があるなら問題ない。そのような私的な権利は自由に保障されているので何ら問題はないはずなのに、問題にするのは妄想である。
・妄想であったことを認め主張を全面撤回せよ。そうすれば行政の話として取り組んでも良い。しかし行政の話としては、これまでのパンフ等の内容のくだらなさとか、くだらないものを大量生産した税金の無駄遣いとか、役人の押し付けがましさがウザイ程度の話である。それ以外に特に問題はない。

>すばらしい例をあげてくださってありがとうございました。この例により、わたしの解釈のただしさが証明されたと思います。

こちらこそ、すばらしい例をあげてくださってありがとうございました。この例により、私たちの解釈の正しさが証明されたと思います。

Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 芥屋  - 06/9/24(日) 21:03 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=736;id=keya1984
↑ここから。

【ma】
>違うのよ、ひな祭りが悪いんじゃなくて、「女の子だからひな祭り」と決めつけていませんか、という問いかけなの。決めつけ・押し付けでなければ、女の子がひな祭りを祝ったって悪いわけがないじゃないの。
【tp】
>>おまえはアホですか? 《「女の子だからひな祭り」と決めつけていませんか、という問いかけなの》って、そんなこと全員わかってるってw 問題は「女の子だからひな祭り」がなんで「決めつけ」なんだということでしょうが。「女の子が(の)ひな祭りを祝」うという現象そのものをさして「決めつけ」と疑えと言ってるのに、「決めつけ・押し付けでなければ、女の子がひな祭りを祝ったって」って、意味がわからない。どういう場合に「決めつけ・押しつけでな」く、どういう場合に「決めつけ」となるのです? それは内心の問題以外にないではないか。
【ma】
>まず言っておくと、日本女性学会のサイトに書いてある Q&A と違い、「基本のき」はひな祭りのあり方そのものを変えるべきだとは一切言っていません。つまり、「女の子がひな祭りを祝う」という現象そのものをさして「決めつけ」としている、という批判は事実に反します。
【tp】
>>あなたの書いた《「女の子だからひな祭り」と決めつけ》るというテクストは、それ以外に解釈しようがありませんけど。ではいったい何を「決めつけ」としているんでしょう?
【ma】
>そこにきちんと明記されている通り、子育てを通して「女らしさ」「男らしさ」を押しつけていないかどうか、振り返ってみるためにこのリストは提示されているわけで、「ここに書かれていることはしないようにしましょう」というメッセージを読み取るのは明らかな曲解です。
【tp】
>>これが「明らかな曲解」なのなら、いったいジェンフリのテクストを読むのに、どれほど特殊な思想的背景が必要なのでしょう(笑)。
【ma】
>書いてあるのは、子育ての中で「女らしさ」「男らしさ」を押し付けていないか振り返ってみましょう、ということだけです。この中で1つでも実践していたら「決めつけ・押しつけである」などとは書かれていない。あくまで、親として自分がトータルな子育ての中で、「男らしさ」「女らしさ」の押し付けを行なっていないか、振り返って自省するための補助としてあのリストは提示されているわけ。
【tp】
>>意味わかんないです。では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか? あなた、肝心の部分に何も答えてないじゃない。

「個人の意識や内心を問題にしていない」という平素の主張が、まるで通用しないことをtpknさんに指摘されておりますが、全く何もその部分に何も答えてませんね。なぜ答えられないかと言えば、macskaさんが執筆したわけではないのであって、本来この種の代弁は不可能だからなんですよね。

山口さんが「意識改革主義だ」と批判したように、そして逆に山口さんが反論されているように、意識を問うてこそ何ぼだと確信的に思っているわけですよ、ジェンフリ派は。一方macskaさんは、全面擁護はしていないと言いつつ、持論をトレースしているんです。だけど、さすがに「意識改革主義ではないんだ」と断言はできない。だって執筆者じゃないからね。そこでテキストと持論の齟齬を指摘されると反論できないから無視する。

macskaさんが平素の主張と裏腹に意識改革主義丸出しのテキストを擁護するのは、実は「個人の意識や内心を問題にしていない」という平素の主張が嘘であるか、テキトーに使い分けるレトリックなのか、あるいは下のほうで扱っている論理を展開する上で必須だからか、そのいづれかでしょう。

Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 2:01 -

引用なし
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   > しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているの
> ではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制
> 度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男
> らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、
> 個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それ
> を考えたらわかるはずです。

問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

「男女別の固定的な人生設計」といった言葉にした場合、人生設計上の大きな選択(主婦や主夫になるかどうか、子どもを作るかどうか、育児をどうするか、など)しか対象とならない点が問題だと思います。それより小さな日常生活上のことでも「男らしさ・女らしさ」の規範に従わないといろいろと不利な扱いを受けることがあり得るわけで、「人生設計」だけに限って差別的な制度の是正を訴える理由がないと思います。

> しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の
> 男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚さ
> れたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男ら
> しさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのは
> おかしい

それには完全に同意します。
ていうか、わたしがそんな啓発を支持するとでも思いましたか? そんなバカな。

ただし、

> まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。

これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。

わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。

> 「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だ
> と規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々
> 人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度に
> なっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題
> に直結するんだ。それが根拠ですよ。

直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 2:20 -

引用なし
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   > あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子
> 社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。

うわー、ものすごい詭弁だ。

「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。呼びかけとその下に記載された一項目という関係が等価であるのであって、それぞれの項目同士が等価であるわけではない。「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」とは、おそるべき詭弁としか言いようがありません。

当然、等価でないものを入れ替えた論理がそのまま通用するわけがない。わたしが主張しておらず、わたしの論理から導かれたわけでもないものをもとに「ここが対立点だ」と示すのもやはり詭弁です。

てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 純子  - 06/9/25(月) 7:28 -

引用なし
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   >macskaさん:

>「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。

だから、芥屋さんは、「条項の関係」という「形式」だけを問題にして、きっちりと「形式的に等価」に入れ替えているが……?

>てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。

譬えを出したJosefさん本人も、macskaさんも、芥屋さんも、私も、この譬えは成立すると言っている。その結論が

そしてjosefさんも、芥屋さんも、私も、共通して
「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はやっぱり「セクハラ」だから、「女の子だからひな祭り」は「らしさを押しつけるような教育」だと読みとるのが常識だと言っている。

macskaさんだけだよ
「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為は「セクハラ」にならない場合があるから、「女の子だからひな祭り」は「らしさを押しつけるような教育」だとはいえない場合があると読みとるのが常識だと言っている。

その理由が「お尻を触る」行為はセクハラにならない場合があるからて……(^^)、
挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」と「お尻を触る」は等価ではないだろう?

ついでだから、追加

○○をしていませんか?

1.
2.
3.
……

と書いたら1. 2. 3.……が、ダイレクトに○○の内容と解釈されるよ。
わざわざ、macskaさんに塩を送ってあげようと思って「例」を入れておいてあげたのに……(^^)。「例」があると1.2.3.……以外にも○○の内容があるということだから○○の意味と1.2.3.……の意味内容に多少のズレはできるでしょうが(^^)。
あーあ。次から、塩、送るの止めよう。

詭弁を使って論理をすり替えているのはどっちだ……。

Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 純子  - 06/9/25(月) 8:23 -

引用なし
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   >macskaさん:

>問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

だから、その「らしさの規範」というのは、政府や行政が作っている制度なわけではなくて、国民が、伝統的な慣習や、慣例や、生活習慣といった、無意識の不文律の形で行っているわけでしょう。
 それを、行政の側から変えようとすると「断髪令」や「廃刀令」のように、強権の形で、伝統的な生活慣習を変えるよう強制しなくてはならないわけですね。
すると封建主義の昔ではない、民主主義の現代では、それが不当な押しつけにならないよう国民の承認をとらなくてはならない。正当性がある強制なんだという形のコンセンサスを形成するしかないわけですね。(例:人ごみでタバコを吸うな)
それで「ひな祭り」を例に揚げて、「ジェンダーフリー」を啓蒙しようとしたら、国民から「それはやりすぎ!」という抗議がいっぱい寄せられて、あわてて取り下げたわけですよ。

>これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。

 つまり「ひなまつり」で言うと、「女の子だけどひなまつりをしたくないと思っている女の子」に合わせて、親に対して「押しつけていませんか?」と啓蒙するのが正しいということですね。でも、そんな女の子が何処に居るんですか?

 性同一性障害者や、半陰陽者の例を挙げてもダメですよ。その場合は、「ジェンダーフリー」じゃなくて性同一性障害者の事例や半陰陽の事例を、そのまま啓蒙したほうが抵抗も少ないし、救済が早いからです。現に、当事者のサポートグループはそうしています。逆にジェンダーフリーに対しては距離を置いている。アピールの論点がボケるからです。大峰山の時に至っては、伊田グループに対して抗議までしている。

->わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。

 最近、神戸では、ついぞこの間、教育委員会がMTFの子供を、女子として小学校に入学を認めたばかりです。世界、初だそうです。日本って、自由でいいなあ(^^)。その子、ラブベリもひなまつりもやりほうだいですね。私の子供のころに比べたら、うらやましい限りだ(^^)。
容認は、それほど、難しくないです。ポイントはコンセンサス、国民の承認がいるんですよ。

>直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。

だから、「ひな祭り」をネタに、わけのわからない「啓蒙」をしてくれてることも「働きかけ」の一種です。その結果、国民に反発されたため、コンセンサスが硬直化してしまった。ジェンダーに冠する個別の問題の解決が、かえって難しくなりました。大迷惑です(^^)。

Re:『個人の意識は問わない』の真偽
 macska E-MAILWEB  - 06/9/25(月) 13:33 -

引用なし
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   > それを、行政の側から変えようとすると「断髪令」や「廃刀令」のように、
> 強権の形で、伝統的な生活慣習を変えるよう強制しなくてはならないわけ
> ですね。

行政の側がそこまで熱心に変えようとしているのでしょうか。「行政の側から変えようとしている」ならば「強権的に強制しなくてはならない」と言うのですから、その強権発動の実例がたくさん出て来なくちゃいけないわけですが、あるのはたった1つのパンフの内容に曲解に曲解を重ねた解釈だけ。それは逆に、行政は強権を使ってまで変えようとは「していない」ことの証拠ではないかと。

> つまり「ひなまつり」で言うと、

ひな祭りの話に当てはめて話をしていません。ひな祭りの話とは直接関係ないけれど、原理的な話としてこの部分には同意できませんと言っているだけ。論理が分からない人はこれだから困る。

> 性同一性障害者や、半陰陽者の例を挙げてもダメですよ。

わたしはそういう例を挙げていないし、挙げるつもりもないのに、執拗に「性同一性障害者や半陰陽者の例を挙げてもダメ」という発言を繰り返すのはなぜでしょうか。あなたが「挙げられたら困るな」と思っているからですか?

> その場合は、「ジェンダーフリー」じゃなくて性同一性障害者の事例や半
> 陰陽の事例を、そのまま啓蒙したほうが抵抗も少ないし、救済が早いから
> です。

なにそれ。わたしはそんな事例を挙げるつもりはないけれど、あなたの論理では「そういう事例は別の方法で処理した方が救済が早い」というだけのことであって、「挙げるべきではない」理由にはなっていません。

> その結果、国民に反発されたため、コンセンサスが硬直化してしまった。
> ジェンダーに冠する個別の問題の解決が、かえって難しくなりました。
> 大迷惑です(^^)。

そう、一般のフェミニズムにとっても行政がくだらない啓蒙をすることは大迷惑なんです。行政フェミでいい思いをしているフェミなんて、全体のうちごく一部しかいません。だからといって、事実を捩じ曲げてそうした行政の啓蒙事業を貶める必要がどこにありますか。正当な批判を粛々と重ねれば良いはずであり、迷惑だからとあることないことでっち上げて全否定するのは間違いです。あなたは自分にとって邪魔なものは問答無用で叩き潰せばそれでいいという行動原理で動いているようですが、わたしには学問的良心というのがあってそんなマネはできません。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/25(月) 13:59 -

引用なし
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   >macskaさん:
>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

>>なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。

>うわー、ものすごい詭弁だ。

反論不能に陥った者ほど悔し紛れに詭弁だ詭弁だとわめきますよね。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私はこの発言↑を、発言者自身の主張に適用したまで。ある論理関係を示す文中において、具体的な語句の入れ替えについてですよ。

>「セクハラをしていないか振り返りましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という条項の関係が、「らしさを押しつけるような教育を行なっていないか振り返ってみましょうという呼びかけ」とその中の一項目である「女の子だからひな祭り」という条項の関係が、形式的に等価である、という喩えを受け入れただけです。

macskaさん、日本語は正確に。ここは「喩え(比喩)」ではなく「例え(例示)」です。で、「形式的には等価である、という喩えを受け入れただけ」って、何が言いたいんですか?姑息な言い逃れで誤魔化さないように。あなたはこうも言ってるんだ。

【mango】
>>macskaさんの言っている内容の「弱者男性」をあるいは「女性」と言い換えて、「男性」を「女性」に言い換えると、そのままバックラッシュ派の言説として通用しちゃうんですよね。
【macska】
>これほど無意味な発言も珍しいです。「男性」と「女性」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのがフェミニズムの大前提なんだから、フェミニストが主張することの「男性」と「女性」を入れ替えたら意味がおかしくなるのは当たり前です。逆に言うと、「男性」と「女性」を入れ替えても意味が通じなければおかしい、という指摘は、「男性と女性は今の社会においてまったく対等な地位である」という前提を必要とします。
http://macska.org/article/152#comment-15054

自省を呼びかけられる「雛祭りのお祝いをする」と「職場でお尻を触る」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのが私たちの大前提なんだから、私たちが主張することの両者を入れ替えたら意味がおかしくなるのは当たり前です。逆に言うと、両者を入れ替えても意味が通じなければおかしい、という指摘は、「両者は今の社会においてまったく対等な地位である」という前提を必要とします。

>てゆーか、喩えが成り立たないと思うなら、喩えを持ち出した当人に文句付けてくださいな。

Josefさんの質問は比喩の話ではなく反語的な例示です。その例示に同意したのはあなた自身です。その同意の返答も論理形式の等価論であって、比喩の適不適など説いていません。

>呼びかけとその下に記載された一項目という関係が等価であるのであって、それぞれの項目同士が等価であるわけではない。

要するに「自省を促す呼びかけと、それつづく自省に有用である具体的な例示項目の論理関係」についてでしょう。その論理関係において入れ替え可能であることに「まったく同意」であるなら、あなたはその語句が等価であると認識しているはずです。

>「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」とは、おそるべき詭弁としか言いようがありません。

両者が同じ性質の行為だと受け止められたなら心外だと言いたいんでしょうか?だったらそういう反発をする人には、「わたしが等価だと言っているのはそういうことじゃなくて」と説明すれば良いのです。というか、もう説明済みなのですけどね。

働く場での自省に有用である行為であり、子育ての場での自省に有用な行為であるとしているわけです。それが相手に「望まれているかどうか」を自省すべき行為なんだ(必ずしも「望まれていない」とは言い切れないので全面的に「やめましょう」と呼びかけているのではないが)という論理関係として等価なんだ、と説いているじゃありませんか。

しかし、あくまで論理の外形上が似ているからと言って、語句そのものが等価でないなら入れ替えは詭弁である、とmacskaさんはしているのですよ。だから「ひな祭りがお尻を触るのと等価なんてヒドイ!」という反発があるなら、あなたは「確かに。言われてみればそうでした。Josefさんの反語に同意したのは認識不足でした。詭弁に陥っていました」と認めてこれまでの論拠を撤回するか、あくまで「情感は著しく異なるのは認めるが、行為をする人とされる人との関係性として自省すべき行為だ、その意味で等価なのだと」と持論を展開させてゆくか、どっちかしかないのですよ。

ちなみにtpknさんへの無回答の箇所、あなたが両者を等価だとみなしているからこそ成り立つ(そしてそれゆえに反論不能になる)のだと気付きましたよ。それ、あとで掲示してみましょうか。

>当然、等価でないものを入れ替えた論理がそのまま通用するわけがない。わたしが主張しておらず、わたしの論理から導かれたわけでもないものをもとに「ここが対立点だ」と示すのもやはり詭弁です。

いいえ、あなたが主張した論理によって導かれているのですよ。それが成り立たないと言うなら、どうして導かれないのか(下記の語句の入れ替え箇所が成り立たない理由)を、ひとつひとつ具体的に反論しなくては反論たりえません。再掲しますよ。

*************
自省をうながす立論「OOをしていませんか?ふり返って見ましょう」と、その後に列挙される項目との関係について、具体例を二つ。

1.「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「女の子だから雛祭りで祝う」

2.「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」
項目のひとつ:「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」

>その項目は自分の行動を振り返り「自分はセクハラをしていないか」と考えるためには有用だけれど、項目に書かれた事が必ずしも常にセクハラだとは限らないというわけ。これは、ひな祭りの項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用だけれど、ひな祭りを行なうこと自体が必ずしも「男らしさ・女らしさ」の押し付けだというわけではない、ということに相当します。

なるほど。あなたは「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だと考えているのですね。なぜならあなたは、こう主張しているのです。

>文中の入れ替えるものが等価である場合のみにおいて成り立ちます。等価でない場合、詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません。

私たちは、「女の子だから雛祭りで祝う」と「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」とを等価だとする考え方には大反対ですので、あなたの論理を借用するなら「この二つは等価でないので、あなたの見解は詭弁もしくは言葉遊び以外のものではありません」と考えます。しかしあなたは等価だと考えているから、詭弁もしくは言葉遊びではないとの論拠になります。

そこで、あなたの主張をあなた自身の論理にしたがって、以下の文中の「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」を「女の子だから雛祭りで祝う」に入れ替えてみましょう。

>ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という行為はセクハラにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係においてお尻を軽く触るという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対にセクハラだとは言い切れない。

→ある行為が望まれているかどうかは特定の相手との関係に依存します。一般論で言えば、「女の子だから雛祭りで祝う」という行為は押し付けにあたる場合が多いでしょうが、個別の関係において雛祭りを祝うという行為がかならず「望まれない」とは限らないので、絶対に押し付けだとは言い切れない。

>しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「あなたは悪気なくセクハラをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「挨拶代わりに女子社員のお尻を触る」という項目が含まれていても自然です。

→しかし、多くの場合それは「望まれない行為」であるから、やはり「子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか?ふり返ってみましょう」という表示があったとして、その下に「女の子だから雛祭りで祝う」という項目が含まれていても自然です。
*************

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/25(月) 14:53 -

引用なし
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   この箇所、前スレの↓続きとして。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=785;id=keya1984

>macskaさん:
>わたしは何も、「挨拶がわりに女子社員のお尻を触っても構わない」と言っているわけではない。「悪気なくセクハラをしていませんか?ふりかえってみましょう」という文の下にさまざまな行為が列記してあった場合、記載された項目の行為すべてが常にセクハラを構成するわけではない、という事実をわたしは指摘しているのです。

あのな、おまえのその考え方はわかってるってば。で、そういったパンフは、すべておまえが書いたのか?。違うだろうが。ロクに理解もできてない人間が訳知りで書くことくらいあるだろうが。そういう未熟な内容があれば誤まった理解を広めるに決まってるだろう。

おまえとしては、そのようなテキストがあってもそのように解釈したいというだけの話じゃないか。それはセクハラの成立要件について基準を認識しているからだ。そういう人間が杜撰な表記にも好意的に解釈しただけだろうが。「いや、執筆者も同じ認識で書いていないわけがない」と立証できるのか?

正しく認識してほしいという人間が書けば、当然に注意書きくらいするだろうよ。「ここで勘違いをしないでください。お尻を触れば即セクハラということではないのです。セクハラというのは、たとえ悪意がなくても相手の望まれない行為をすることだから、ここでお尻を触る行為そのものがセクハラだというわけではありません」くらいは書かないと素人が誤解するのは当然なんだよ。そこまで書いて初めて正しく認識できるのであって、その肝心のことが書かれてないなら、

1.読者が、ただ単に「お尻を触れば即セクハラなのか」と思っても仕方ない。
2.読者が、「執筆者は、お尻を触れば即セクハラだしているのか」と思っても仕方ない。

この仕方なさは当然だろう。その当然さは啓発のあり方として重要な疑問であるのに、そのような疑問は妄想だ曲解だなどと、なにを阿呆なことを言っているんだ。というか、おまえは「正しく理解してもらうためには」ということなんか考えていないんだろ?

>> ○○していませんか?
>>  例
>>  1
>>  2
>>  3
>>  ……
>>
>> と書いてあれば、1.2.3.は○○の例であると思うのが普通です。
>
>「例」と書いてあればそう解釈するのが普通ですが、「基本のき」にも、今回の例え話にも、「例」と書いてあるわけではありません。

「例」と書いてなくても例示に決まっとるだろうが。「例」と書いてあってもなくても、おまえが言ってるのは、例示された行為をすることが無条件で表示された○○を構成すると思われても違うんだということだろ? あん?「例」と書いてあるとないとで持論がどう変わってくると言うんだ?言ってみろやヴォケw

>結局、あなたの主張はパンフの内容を改竄しなければ成り立たないものなんですね。

「例」とは書いてないのに例示だと改竄した!それで初めて成り立つ批判だ!ってか。この糞論理、永久保存しとくね。

>> たとえ、万が一、女子社員が望んでいても、職場でそんなことをしてはダメです。部下に示しがつきません。
>
>はい、しかしそれはセクハラの問題ではありませんね。セクハラでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前。

はい、出ましたね、文革擁護論者の本音。本領発揮を期待します。

「職場でそんなことをしてはダメです。部下に示しがつきません。」
「セクハラでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前」

ここはそうでしょう。でも、雛祭りは?

「学校や幼稚園でやってはダメなのですか?保護者にどう言えば?」
「押し付けでなければ何をやっても良いというわけでないのは当たり前」
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=665;id=keya1984

美意識の問題化(美観と蔑視
 芥屋  - 06/9/25(月) 20:36 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> しかし、「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているのではなくて、個々人の人生設計を大規模に規定している社会制度を問題にしているのだ」という主張が真であるならば、「男らしさ女らしさ」を問題に挙げるはずがありません。なぜなら、個々人の意識を離れた「らしさ」がありえるのかどうか、それを考えたらわかるはずです。
>
>問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

なりません。「らしさ」を色気とか美意識とかではなく規範だとしてもですよ、あなた、そうしたものが個人の意識を離れたところに存在してると思ってるの?

「酒らしい酒」というときの「これは、お酒!って感じの酒だな」というその「酒らしい」は、酒と呼ばれる液体の中にあるとでも思ってんの?しかもそういう「らしさ」ってのは制度じゃないですよ。男らしさ女らしさだって、いつ、制度になったのかね。

>「男女別の固定的な人生設計」といった言葉にした場合、人生設計上の大きな選択(主婦や主夫になるかどうか、子どもを作るかどうか、育児をどうするか、など)しか対象とならない点が問題だと思います。

それでいいでしょう。近代以降の経済の流れが、いわゆる「高度成長期モデル」と呼ばれる家族形態に結実した。それが、もはや昔日のものになろうとしていくなかで、さぁどうするんだという話でしょう。

「お父さんお母さんがそうしてきたように自分もそういう家族を作りたい」と思う人もいれば、「お父さんのように毎日毎日、会社と家の往復だけの人生は嫌だ」「お母さんのように毎日ただ家のことだけに負われる生き方は嫌だ」と思う人もいる。だけど、どっちがいいとかなんていう内心に踏み込むようなことは触れなくていいんですよ。

だけど「専業主婦はアンペイドワークによって差別されきたんだ!」あたりの政治思想によって、人々の従来の家族観を差別じゃの何じゃの言えば、そりゃ個人の内心のありようを土足で踏みつけるようなもんだわいね。

>それより小さな日常生活上のことでも「男らしさ・女らしさ」の規範に従わないといろいろと不利な扱いを受けることがあり得るわけで、「人生設計」だけに限って差別的な制度の是正を訴える理由がないと思います。

だから「不利な扱いを受けること」を「差別だ!」と訴えるのは自由ですけど、それを訴えるということは「個々人の美意識とか内的な信条を問題にしているのではない」とは言えない、それが言いたいのであれば「個人の意識の中の差別意識があることを訴える」ということ。

というか、「男らしい・女らしい」というのは形容詞。その人の、ある場面での様子が形容されているんですよ。それは一種の美的評価なんだから、それ自体が規範ではないのです。「男らしくしろ・女らしくしろ」と命令形の動詞語尾をつけて初めて「従う・従わない」になるわけね。だから形容詞の段階から問題にあげるなら、そりゃ美意識を問題にすることでしかないわけですよ。

まぁ、でもこの辺は差別意識(蔑視などね)との関連で言えば、すごく難しいとは思っていますよ。人々の美意識ゆえに大規模な差別が起ったことは、あるんですもん。中世の「清目(きよめ)」が近世の「穢多(えた)」に転落していく経緯は、まさに人々の美意識の変化と深い関わりがある(でも美意識の変化が原因、ということではないですよ)。

だから私は、教条的に「個人の意識を問題にするな!」と言ってるんじゃないんだ、そこは誤解しないでね。でも「看板に偽りあり、ではいかんよ」ということです。

(続く)

画一的な多様主義(実存と虚妄)
 芥屋  - 06/9/25(月) 22:04 -

引用なし
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   >macskaさん:

続きです。

>> しかし、男女共同参画社会と銘打たれた教育や啓発で、特定の男女観「男らしさ女らしさではなく」を生きる人たちが称揚されたり、「男らしさ女らしさに縛られないように」とか「男らしさ女らしさを押し付けないように」と指導されたりするのはおかしい。
>
>それには完全に同意します。

そこには同意してても反ジェンフリには同意できない、あたりですか。

>ていうか、わたしがそんな啓発を支持するとでも思いましたか? そんなバカな。

macskaさんの反反ジェンフリは、丸山真男の反反共みたいなもんかな、とも思っていますけどね。丸山は積極的に共産主義を支持したつもりではなかったそうですが、彼にとって「共産主義は見えざるファッショを炙り出すものだ。だから、反共というのは炙り出されて出てきた純然たるファッショなので、僕は反共に反対する」とか何とか言ってたらしいです。あくまで容共と反反共とは自分の中では異なるものだったとか。

ただし丸山自身の中では、自分自身の思想信条と共産主義とに明確な線が引かれていたにしても、外に表われる言動としては限りなく容共になっていった、と『丸山真男』(水谷 三公)で読みました(このあたり、記憶で書いてるんで必ずしも正確な引用ではありませんが)。

私が思うに、ファッショか共産主義かと言ったって、どっちにしろ全体主義なんですよね。そりゃ共産主義運動の基点が反ファッショにあったのなら、丸山の分析は正しかったろうけれど、共産主義が炙り出すのはそもそも既存の社会そのものなんだから、順番が逆なんだよね。炙り出されてきた中にファッショが混じることはあっても、炙り出されて出てくるものがみなファッショであるはずがなかったんですよ。

>> まったく「ジェンダーに中立な制度」になっていません。
>
>これは文字通り同意できません。なぜなら、現に特定の「男らしさ・女らしさ」が優遇されているときに「中立」の立場に立つことは、結局現在優遇されている層がそのまま優遇され続けるということになるからです。「中立な制度」を実現するための施策が一時的に「中立」よりも「これまで不利だった側を優遇」する形になることはありえます。

まぁ理屈としてはわかりますよ。過渡的措置としてなんだということですよね。目指すは完成形の「ジェンダーに中立な制度」。でもそれを日本でやっても、ジェンダーの中身が様変わりするだけのことなんですよ。バイブルやコーランのある社会の、男女の規範意識とはわけが違うんです。もっとつかみどころのない融通無碍な、それでいてしっかりと目には浮かぶような、鵺のようなものです。

「男らしさ女らしさ」という(この言葉が公的に称揚された、おそらく近代以来の)旧来の男女の美意識がですね、ある部分ではそっくり名を変えて残ったり、ある部分では名を失って隠微な感じになったりしながら、多くの部分では新しい美意識が公私ともに支配的になって主流となるだけです。

もし教育行政などの公的な機関が、どのような男女観をも権威化することなく「ジェンダーに中立な制度」を目指すなら、過渡的にせよ「公的に支配的な男女観」の権威化を行ってはならなかったんです。ところがところがやっちまった。そのように行って見せるということで、日本人にとって「あぁ、それはお上が決めることなのか」という新たな認識が生まれる。一度その行いが定着すれば、今度はその「お上の立場」の奪い合いが始まるだけのこと。

で、それはもう、はじまっちゃいましたね。日本文化に無理解な西洋かぶれの馬鹿どもが、しかも生噛りのジェンダー論でもってしでかしたことなのです。むしろすべきは逆の方向である教育の自由化だったのです。画一的な教育行政の中に観念だけの多様主義を持ち込んでも、多様主義を標榜する言動それ自体が画一的になってしまうことに、何で気付かなかったのか。

それは結局「同じ穴の狢」ということなんですよ、純子さんの言うように。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=761;id=keya1984

>わたしは必ずしもジェンダーの規範の問題においてそうするべきだと主張するわけではありませんが、論理の問題として「中立」を実現するための施策が「中立」ではなくても容認されることもあるという点は指摘しておきます。具体的にどういう施策なら容認されるべきかというのは難しいところであり、個別に議論すべきでしょうが、必ず「中立」でなければならないという事には同意しません。

うん、ここはね、同意見ですよ。ひとまずこのお題をはなれて、差別是正の一般論として。

>> 「ジェンダーに中立な制度」を謳い、それを政府と国民の責務だと規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に「個々人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度になっている」という指摘が、まさに雛祭り騒動に象徴される問題に直結するんだ。それが根拠ですよ。
>
>直結しているというくらいだから、そういう「働きかけ」の実例を提示してくださいと何度も言っているのですが、ひな祭りに関しては一度も証拠が出て来ない。それはやっぱり、直結「していない」のではないかと考えざるを得ないです。

雛祭りそのものについてはこれまで三例出てましたね。いいですか?「証拠が出ていない」と「私はそれを証拠とは認めない」とは違うんです。あなたが認めようが認めまいが、あるものはあるんだ。あなたがそれを認めなかった(存在するものを存在しないと強弁した)という事績も残るんだ。その事績の評価も他人の中にあるのであって、あなたの中にその評価はないんですよ。いい大人なんだから、自他の区別はつけましょうね。

「大日本帝国が実存だと言うなら、僕は戦後民主主義の虚妄に賭ける」とは丸山真男の弁。先年、左翼学者だった父にこの言葉を伝えると、父は「えっ!?丸山先生が??」と絶句して、ややあって「そうか。丸山先生は、虚妄、と仰ったか・・・」と感慨深げにつぶやいていました。

「社会のジェンダーが実存だと言うなら、わたしはフェミニズムの虚妄に賭ける」とmacskaさんは言うかな?言わんだろうな(笑)

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/26(火) 9:37 -

引用なし
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   > ロクに理解もできてない人間が訳知りで書くことくらいあるだろうが。

ありますね。
あなたの批判もそうですが。

> そういう未熟な内容があれば誤まった理解を広めるに決まってるだろう。

あのパンフが未熟な内容であり、間違った理解を広めるおそれがあるというならその通り。だからわたしもくだらないパンフだと何度も言っています。しかし、パンフに問題があるからといって、どのような批判をしても正当だということにはならない。わたしはパンフを全体として擁護あるいは支持しているわけではなく、ある特定の批判が不当であると指摘しているのです。

> 「いや、執筆者も同じ認識で書いていないわけがない」と立証できるのか?

意図は分からないですが、あの文面だとそう解釈するのが普通だと思います。
だって、わたしの解釈は文面をそのまま受け入れるというものだもの。

もちろん、文面に直接書かれていない意図があるという解釈だって可能です。が、そうした解釈が一般的だと主張するのであれば、それなりの論証がなければならない。それをすっ飛ばして、自分がこう解釈したから文面とは無関係に意図はこうなのだと決めつけているのがあなたの論法です。

意図が文面通りであると解釈するには、特別な論証は必要ありません。論証が必要なのは、文面通りではない解釈を主張する側であるはずです。

> その当然さは啓発のあり方として重要な疑問であるのに、そのような
> 疑問は妄想だ曲解だなどと、なにを阿呆なことを言っているんだ。
> というか、おまえは「正しく理解してもらうためには」ということな
> んか考えていないんだろ?

だから、わたしはあのパンフが正しい理解を深める内容であるとは一度も言っていない。むしろ誤解を招く酷いパンフレットだと批判しているくらいです。しかし、誤解は誤解なのであって、いくら「素人に誤解されるおそれの高い」文章だったからといって、素人が誤解した通りの意味であったという事にはなりません。

そもそも、わたしは政府でもパンフの発行者でもありません。パンフにいくら問題があったとしても、どうしてわたしが「正しく理解してもらうためには」と考えていない、ということになるんでしょう。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/26(火) 9:54 -

引用なし
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   > 「らしさ」を色気とか美意識とかではなく規範だとしてもですよ、
> あなた、そうしたものが個人の意識を離れたところに存在してる
> と思ってるの?

それを言うなら、高度成長期モデルの家族形態だって個人の意識から離れたところに存在しているわけではないでしょう。家族や労働の形態というのは個人の意識とは繋がっているけれど、特定の意識のあり方に基づく形態を優遇したり差別したりしない、というのが大原則であるはずです。

それも認めないというならそれは一つの立場ですよ。しかし、そこまで認めておいて、「家族形態」以外の面においては「男らしさ・女らしさ」の規範による差別や優遇を容認するというのは筋が通らない。「そうしたものが個人の意識を離れたところに存在しないから」という理由をあげるのは、さらにもっと筋が通らない。

> というか、「男らしい・女らしい」というのは形容詞。その人の、
> ある場面での様子が形容されているんですよ。それは一種の美的
> 評価なんだから、それ自体が規範ではないのです。

だから、わたしは一貫して「男らしさ・女らしさ」ではなく「らしさの規範」を問題としているでしょーが。それ自体が規範であると一度でもわたしが言いましたか?

> 「男らしくしろ・女らしくしろ」と命令形の動詞語尾をつけて初め
> て「従う・従わない」になるわけね。

命令形にしなくても、例えば雇用差別を受ければ経済的な圧迫になりますね。

> だから形容詞の段階から問題にあげるなら、そりゃ美意識を問題に
> することでしかないわけですよ。

いつ誰が「形容詞の段階から問題にあげ」ましたか? バカじゃないの。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/26(火) 10:10 -

引用なし
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   >> それには完全に同意します。
>
> そこには同意してても反ジェンフリには同意できない、あたりですか。

ジェンフリといってもいろいろありますが、行政主導の啓発運動みたいなのには一貫して批判的ですよ。

またジェンフリ教育というものを行なうなら、ジェンフリの価値観を子どもに教えるという形ではなくて、教師自身が子どもたちを性別によって違った扱いをしないというジェンフリの実践でなければならないと思います。これも、保守系メディアによるジェンフリバッシングが始まる数年も前からずっと言っています。

> いいですか?「証拠が出ていない」と「私はそれを証拠とは認めない」
> とは違うんです。

1)基本のき
2)日本女性学会(細谷)
3)出所不明の画像

ですね。

1)については、はっきりと書かれている文面を無視して意図を曲解しなければ成り立たない。

2)は、一民間団体が「ひな祭りはこう祝うべきではないか」と呼びかけているものですが、かれらは自分たちの価値観を訴えているだけであって、その価値観を共有しない人が不利益を受けるような制度は提唱していませんし、そんな制度ができつつあるという事実もありません。

3)はまさに出所不明なので検証不可能。怪文書と言っていいでしょう。

これが「『ジェンダーに中立な制度』を謳い、それを政府と国民の責務だと規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に『個々人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度になっている』」実例だと、あなたはマジメに考えているのですか? もしそうだとすると、話になりません。てゆーか、せめて3くらいは撤回するだけの誠意はないのかなぁ…

> 「社会のジェンダーが実存だと言うなら、わたしはフェミニズムの虚
> 妄に賭ける」とmacskaさんは言うかな?言わんだろうな(笑)

ご存知の通り、わたしがフェミニストを名乗るのは、単に自分のルーツを示すためのものですから、実際のところフェミニズムはわたしの思想の中心でもなんでもないのです。どっちかというと、フェミニズムよりもポストロールジアンのリベラリズムの虚妄に賭けていたりします(笑)

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/26(火) 10:13 -

引用なし
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   macskaさん:

>> 「男らしくしろ・女らしくしろ」と命令形の動詞語尾をつけて初め
>> て「従う・従わない」になるわけね。
>
>命令形にしなくても、例えば雇用差別を受ければ

それが「命令形」ということでしょうが…。
というか、雛祭りと雇用差別を同列に語るのは、あなたの意見によれば「不適切」のはずでしょうが。

で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にもたまにはレスくださいね。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 Josef  - 06/9/26(火) 15:28 -

引用なし
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   >>> ○○していませんか?
>>>  例
>>>  1
>>>  2
>>>  3
>>>  ……
>>>
>>> と書いてあれば、1.2.3.は○○の例であると思うのが普通です。
>>
>>「例」と書いてあればそう解釈するのが普通ですが、「基本のき」にも、今回の例え話にも、「例」と書いてあるわけではありません。
>
>「例」と書いてなくても例示に決まっとるだろうが。(芥屋さん)

それにしても、「例」と書いてないから「例」ではないのだ、というのはすごいよなあ。ムキになった子供ならなだめようもあるんだけど、相手がいい大人の場合どう対処すればいいんだろう。

>わたしはあのパンフが正しい理解を深める内容であるとは一度も言っていない。むしろ誤解を招く酷いパンフレットだと批判しているくらいです。(macskaさん)

啓発を目的としているだけあって、とても分かりやすいパンフです。捻じ曲げて解釈しようとするからいけないんです。こうあってほしいという自分の解釈と実際の文面との間に必然的に齟齬が生じ、齟齬の原因を文面に帰して「誤解を招く(書き方が悪い)」と言うしかなくなってしまう。簡単な文章なんだから素直に読めばいいのですよ。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 Josef  - 06/9/26(火) 15:40 -

引用なし
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   >で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にもたまにはレスくださいね。(tpknさん)

個人的にはtpknさんの次の問いに興味があります。macskaさんのお考えをこのパンフに即してお聞きしたいと思います。

>では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか?

私が書いた以下の文も同趣旨です。

>「決めつけ・押しつけでないひな祭り」って、どういうものが想定されてるのでしょう?「女の子だからひな祭り」なんだし、「女の子だから"愛子"と命名」なんですよ。これらはジェンダーと密接に結びついた文化・慣習です。
>
>*女児の生まれた家庭。慣習に従い、幸福・成長を願って三月三日に
> ひな人形その他を用意し、飾る。もちろん「女の子だから」です。
> もし男の子だったら端午の節句にお祝いをします。
>*女の子が生まれて「愛子」と名づける。もちろん「女の子だから」です。
> 男の子だったら別の名前を考えていました。
>
>これらは「決めつけ・押しつけ」なんですか?

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 芥屋  - 06/9/26(火) 16:02 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> 「らしさ」を色気とか美意識とかではなく規範だとしてもですよ、あなた、そうしたものが個人の意識を離れたところに存在してると思ってるの?
>
>それを言うなら、高度成長期モデルの家族形態だって個人の意識から離れたところに存在しているわけではないでしょう。

そうですよ。個人のありよう、個人の意識の持ち方と深いかかわりは、どっちにしろあるじゃないですか。しかし論じ方によっては、それを回避もできるわけでしょう。

高度成長期モデルの家族形態のみを基盤にした行財政や産業構造が維持できるのかどうなのか?という政策論議においては、高度成長期モデルの家族形態に性差別があってどのこのいう話は無用なんだから、個人の意識を問題にしていない、と言えるんでしょ?

もちろんその話を「そういった家族観は女性差別になっていてどのこの」と論じたければ論じるのは自由でしょうけど、そういう論じ方をするなら、「個人の意識は問題にしていない」とは言えないじゃないですか。もしそこで個々人の「家族観」の可否ではなく、

>家族や労働の形態というのは個人の意識とは繋がっているけれど、特定の意識のあり方に基づく形態を優遇したり差別したりしない、というのが大原則であるはずです。

このような立場から、「近代以降の経済の流れが高度成長期モデルの家族形態に結実し、それを基盤とした社会制度になっていたが、この制度は、そのような家族形態を営めない人々を社会的に疎外してしまう制度になっていた。それは制度上の差別とは言えないか?」と問い、「この制度上の差別は、個人意識レベルの差別意識の集積ではないので、個人の意識を問うものではない」と説くなら、「個人の意識は問題にしていないんだ」というのは真であると私は思う。(この論じ方から発せられる見解そのものへは、賛否は細部にわたっていろいろあるけれども。)

ところが「らしさ」という、制度ではない美意識あるいは規範意識そのものを問題視するなら、そのような論じ方をしておいて「個人の意識は問題にしていないんだ」は大嘘ということです。大いに問題にしているんじゃないか(苦笑)

これより下の部分は、言語と思惟・行動の関わりを述べたもので、名詞中心の欧米語圏での観念論を、形容詞・動詞中心の日本文化の行動様式に当てはめることの齟齬を語ろうとしたけど、アメリカ人には無理なようなので割愛。

「差別」のでっちあげ
 芥屋  - 06/9/26(火) 16:28 -

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   >tpknさん:
>>> 「男らしくしろ・女らしくしろ」と命令形の動詞語尾をつけて初めて「従う・従わない」になるわけね。

>>命令形にしなくても、例えば雇用差別を受ければ

>それが「命令形」ということでしょうが…。というか、雛祭りと雇用差別を同列に語るのは、あなたの意見によれば「不適切」のはずでしょうが。

「おいおい、女なんだから女らしくしろよ」と言われても女らしくしなかったのでクビになったとか、「なんだ君は、男らしくないやっちゃな。男らしくしろよ」と言われて「はい」と答えなかったので雇ってもらえなかったとか、あるんですかねぇ・・・。

まぁ仮にそんな珍妙なことがあっても、そういうのは不当ではあるが差別ではない、はずなんだよな。「阪神ファンだからといって雇用されないようなことがあっても、それは差別ではない」としたmacskaさんの意見は見事だったのだが、おそらく「男らしさ女らしさ」については妄想の域に入っているものと思われ。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_tree?base=2351&range=1

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/26(火) 17:16 -

引用なし
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   >>> ○○していませんか?
>>>  例
>>>  1
>>>  2
>>>  3
>>>  ……
>>>
>>> と書いてあれば、1.2.3.は○○の例であると思うのが普通です。
>>
>>「例」と書いてあればそう解釈するのが普通ですが、「基本のき」にも、今回の例え話にも、「例」と書いてあるわけではありません。結局、あなたの主張はパンフの内容を改竄しなければ成り立たないものなんですね。
>
>それにしても、「例」と書いてないから「例」ではないのだ、というのはすごいよなあ。ムキになった子供ならなだめようもあるんだけど、相手がいい大人の場合どう対処すればいいんだろう。

このような場合、かえって年若い2ちゃんねらーのほうが大人の対応をするようですね。

1.
( ゚д゚)  れ・・・

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)  「例」と書いてないから?

(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) 例ではない???


2.
( ゚д゚)ポカーン 「例と書いてないのに」

(( ;゚д゚))アワワワワ 「例と書いてあるだなどとは」

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル 「改竄だ!」って???

(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブル  ヒイ〜フェミナチだーーっ


3.
  _, ._
  ( ゚ Д゚)
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   ガシャ
  ( つ O. __
  と_)_) (__()、;.o:。
          ゚*・:.。


4.
.       ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (;´Д`)< スンマセン、直ぐに片付けます
  -=≡  /    ヽ  \_______
.      /| |   |. |
 -=≡ /. \ヽ/\\_
    /    ヽ⌒)==ヽ_)= ∧_∧
-=   / /⌒\.\ ||  ||  (´・ω・`) <「例と書いてないから・・・」
  / /    > ) ||   || ( つ旦O
 / /     / /_||_ || と_)_) _.
 し'     (_つ ̄(_)) ̄ (.)) ̄ (_)) ̄(.))


5.

    _____________
   /|:: ┌──────┐ ::|
  /.  |:: |  例とは    | ::|
  |.... |:: | 書いて    | ::|
  |.... |:: | ない     | ::|
  |.... |:: └──────┘ ::|
  \_|    ┌────┐   .|     ∧∧
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     (  _)
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_,   )
            /             \  `
           | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
             ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄


     |           .( ( | |\
     | )           ) ) | | .|
     |________(__| .\|
    /―   ∧ ∧  ――-\≒
  /      (    )       \
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
  |______________|


   ∧∧
  (  ・ω・)
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 純子  - 06/9/26(火) 17:46 -

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   >macskaさん:

>1)基本のき
>2)日本女性学会(細谷)
>3)出所不明の画像

4)ジェンダーチェック(^^)

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 gaji  - 06/9/26(火) 17:55 -

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   >芥屋さん:

>macskaさんの反反ジェンフリは、丸山真男の反反共みたいなもんかな、とも思っていますけどね。丸山は積極的に共産主義を支持したつもりではなかったそうですが、彼にとって「共産主義は見えざるファッショを炙り出すものだ。だから、反共というのは炙り出されて出てきた純然たるファッショなので、僕は反共に反対する」とか何とか言ってたらしいです。あくまで容共と反反共とは自分の中では異なるものだったとか。

たまたま丸山真男を読んでいたところです(といっても、氏の著書ではなく、by水谷&苅部。ともに新書。ちくま&岩波)。

(”安保闘争”を導いたのは丸山でもあったのに、←…文化人集会で講演。その後、数万人のデモに)「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、」と「回想談話」で言っているらすいのでした。

<blockquote>本人の自覚では、書斎にこもり専門の思想史研究にうちこみたいのに、知人から請われてやむをえず運動に参加したのが実状だったのである。(苅部直、岩波新書『丸山眞男』p7)</blockquote>

「…みたいなもんかな」と芥屋さんが思われたあたり、どことなく分かるやうな。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 芥屋  - 06/9/26(火) 18:11 -

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   >macskaさん:

まず、

>1)基本のき
>2)日本女性学会(細谷)
>3)出所不明の画像

じゃなくて、
3)雛祭りを取りやめた幼稚園が出てきた。
です。

で、それも含めてあなたの見解はすべて論破されているのに、うわごとのように同じことしか言えないあなたのプロパガンダに付き合う必要はないわけね。見ている人が嫌になるだけなので、新しい展開があるほうにサクサク進みますよ。

>ジェンフリといってもいろいろありますが、行政主導の啓発運動みたいなのには一貫して批判的ですよ。

・・・。で、何で同じ内容でも教育行政ならいいのだ?ワケワカンネ
(「教委の指導ハンターイ!組合の先生ガンバロー!」ってことか???)

>またジェンフリ教育というものを行なうなら、ジェンフリの価値観を子どもに教えるという形ではなくて、教師自身が子どもたちを性別によって違った扱いをしないというジェンフリの実践でなければならないと思います。

あのー・・・黙って態度で示すのも教育なのだが。「教師自身が子どもたちを性別によって違った扱いをしない」と行動で示せば、たとえそれを無言で実践しても「ジェンフリの価値観を子どもに教えるという形」ではあるんだけど。ていうか、そゆこと説明も無しに実行すればかえってイクナイと思うが。

で、「子どもたちを性別によって違った扱いをしない」という行動についてだけど、それは「性別によってエコひいきをしない」ということなら従来から大事だとされてきたことだし、子供はそういうの敏感だから気をつけないとね。でもさ、その一方で「子どもたちを性別によって違った扱いをする」のも大事なことでね、子供には男女の違いを教えることも必要なんだから、ジェンフリ教育なんて反対されるに決まってるの。

>ご存知の通り、わたしがフェミニストを名乗るのは、単に自分のルーツを示すためのものですから、実際のところフェミニズムはわたしの思想の中心でもなんでもないのです。

たしか、「わたしがフェミニストを名乗っているのは、尊敬する先人がフェミニストだったから」みたいなことを言ってましたね。あれをロムしてて、「あぁ、それは俺も同じだなぁ」と思ったことがあります。たぶん、福岡ってそういう精神文化の土壌があるような気がします。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 純子  - 06/9/26(火) 19:36 -

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   >macskaさん:

>ジェンフリといってもいろいろありますが、行政主導の啓発運動みたいなのには一貫して批判的ですよ。

じゃあ、「基本のき」にも批判的なんですね。
だったら、石原都知事が「東京女性財団」をリストラしたのは、結果的にはよかったんですね(^^)。それを「女性差別である」と元「東京女性財団」の方たちは裁判を起こしてまで喧伝してますが、その喧伝は不当であると……。 敗訴になってもしかたがないと……。私が主張してるまんまじゃん。

>またジェンフリ教育というものを行なうなら、ジェンフリの価値観を子どもに教えるという形ではなくて、教師自身が子どもたちを性別によって違った扱いをしないというジェンフリの実践でなければならないと思います。

それを粛々と実践していたら、保守系メディアも叩きません。というか叩けません。現行の日本の制度だと……。その枠を超えてしまったから、叩かれているんです。で、保守派は、こういう行き過ぎ教師が出るから、制度をもっと厳しくしようと……。

>これも、保守系メディアによるジェンフリバッシングが始まる数年も前からずっと言っています。

後の祭り。届きませんでしたね。日本のフェミさんには……

>これが「『ジェンダーに中立な制度』を謳い、それを政府と国民の責務だと規定する国法や条例が、その掲げてある理念とは裏腹に『個々人の意識を問題化し、特定の男女観に有利に働きかける制度になっている』」実例だと、あなたはマジメに考えているのですか?

macskaさんこそ、勘違いしてませんか?
雛祭りをどう祝おうと、日本では個人の自由なんですよ。保育園だったら、保護者の良識から考えて、度はずれたことをしてなければ、保育園の独自の判断でいいんですよ。個人の自由にまかされているんです。

いちいち問題化して取り上げる必要すらないのに、ことさらに取り上げていることが問題なんです。だから、証拠は、ひなまつりを禁止した例ではなくて、取り上げて問題化した例があればいいんです。


「雛祭り亭主どっかに行きなさい」
(女だけでさわぐから、アンタはじゃま。どっか行ってってよ)
これは江戸時代の川柳(--)。どこが、女性差別なんだ……?

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 tpkn  - 06/9/26(火) 20:34 -

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   >それにしても、「例」と書いてないから「例」ではないのだ、というのはすごいよなあ。ムキになった子供ならなだめようもあるんだけど、相手がいい大人の場合どう対処すればいいんだろう。

こういうのもあったYO!

tp:「鯉のぼり=×」と書いてあります。
ma;ウソつき。イコールサインが描かれていません。
tp:じゃああなたのコンピュータから、鯉のぼりの上に×を重ねて投稿してみてくださいな。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=670;id=keya1984


「ウソつき」とか「妄想」とかの言葉の使い方がお気楽すぎるんですよ。

で、このときの図版の出所が危うくなっていて「怪文書」扱いされているんですが、このときのmacskaさんの反論は「つまり、女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨です」「文脈から解釈すると、性別を理由にこういった事柄を押し付けるのはやめましょう、という意味なんでしょう?」というように、「基本のき」への疑問に対する反論と全く同じです。

にも関わらず、この出所を「証拠」として求めるのはどういうことだろう? 「証拠がない」「証拠がない」とわめく南京事件否定論者と全く同じ消耗戦に持ち込みたいのでしょうか、と、これもすでに指摘されてますね。「例と書かれてないから例示ではない」「イコールと書かれてないから×と例示は関係ない」そういう論法でのらりくらりと不誠実な議論をやるつもりなら、探してくる気にはなれないんですが。

いったい、この図版の出所が明らかになったら、あなたはそれを「証拠」と認めるのか。それとも、最初からそんなつもりはないのに相手に「証拠」として提出せよと言ってるのか、どっち?(2回目) で、見つけてきたら今度は「たった一個しかない」とか言うつもりなわけ?

わざわざ探してくるモチベーションに大きく影響しますのでぜひお答えください。

というか誠実にやれよ。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/26(火) 20:52 -

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   >>で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にもたまにはレスくださいね。(tpknさん)
>
>個人的にはtpknさんの次の問いに興味があります。macskaさんのお考えをこのパンフに即してお聞きしたいと思います。
>
>>では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか?

わたすはイジワルなので先に答えを書いておきます(笑)。

「押しつけ」「決めつけ」になる場合は、その男の子なり女の子なりが雛祭りや端午の節句のほうがいいのに、とか思っている場合。そして押し付けにならないようにするには、子供のそういう気持ちを明示的に確認し、それを尊重して希望通りにしてやる場合。

でもそれってまだ自我もジェンダー意識も固まってない幼児の育て方としては、どっちかというと間違ってんじゃないの?

ママゴトが好きな男の子って普通にいますよね。私もそうでした。だからといって私のジェンダーが女性に近くなったかといえば別に全然そんなことはないわけで(いや、あるいはそういう部分も大きかったかもしれないけども)、それって周りの慣習やジェンダー規範との差異という形でしか認識できないんじゃないの? で、それこそが「自分らしさ」なんじゃないのかね。

雛祭りや鯉のぼりを押し付けてませんか?とか、男の子らしい名前や女の子らしい名前をつけてしまってませんか?とか、そういう色の服を選んでませんか?とか、そういうナンセンスきわまりない「例示」を、問いかけや自省のための材料だと言うけども、いったい何を問いかけるのか、中身が何もないじゃないですか。

その子供がどんなジェンダーを持っているか(あるいは将来にわたって維持するか)を、子供服着せるような年齢の頃から見極めろということかい。

んなの原理的に不可能、かつまったく不必要な啓発に決まってんじゃん。

で、そういう内心にかかわる無理難題を行政が「やりましょう」と言うのは、それ自体が押し付けに決まってるでしょうが。

macska、いったいどこがリベラルやねんwww

Re:美意識の問題化(名詞と形容詞)
 芥屋  - 06/9/26(火) 21:12 -

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   >これより下の部分は、言語と思惟・行動の関わりを述べたもので、名詞中心の欧米語圏での観念論を、形容詞・動詞中心の日本文化の行動様式に当てはめることの齟齬を語ろうとしたけど、アメリカ人には無理なようなので割愛。

と書いたばってん、日本語が苦手なアメリカ人から「バカじゃないの」とアメリカニズム丸出しの放言を放置しとっては、反差別にも取り組んだ玄洋社系博多っ子右翼の末席を名乗る者としては名折ればい。

えぇっとですね。こういうことです。
1.「男らしい女らしい」:形容詞=美意識からくる評価の形容
2.「男らしさ女らしさ」:形容詞の名詞形=美意識内容の観念化
3.「男らしくする女らしくする」:形容詞の動詞化=美意識の実践
4.「男らしくしろ女らしくしろ」:美的な行動を実践するよう求める

↑「1」の段階から問題にするのと「4」の段階から問題にしてくるのとではまるで違ってくるわけです。日本語の通常の受け止め方としては「男らしさ女らしさではなく自分らしくしましょう」と言った場合、これまであった男や女についての、観念化された美意識内容を放棄するよう要望していることになるわけだし、多くのこの言説は実際にそのような内容です。

macskaさんなりに注意をはらって「男らしさ女らしさの規範を問題にする」という表現をされたのは、この美意識が規範化する局面を言いたいのであろうけれども、上記のどの段階をどのように問題にしているのか、やはり日本語としては漫然としていて大変にわかりにくい、非論理的な印象論なんですよ。

【ma】
>さて、ジェンダーの制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>
>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
>
>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択した人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。

これ↑を、
*ジェンダー→個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度*
*「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない→「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さない*
として、以下のようにこなれた日本語に直してみます。

【和訳】
>>さて、個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>>
>>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
>>
>>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択した人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。

どうですか?異様な文章になってしまったでしょう。もう一つのキーワードをこなれた日本語に直してみます。
*    夫婦の性役割分担→「夫の役目・妻の役目」*
そのうえで、こうした論は「個人の価値観ではなく制度を問題にする」「制度と不可分の個人の意識も含まる局面がある場合には、できるだけその価値観の可否に対しては中立とすべき」であるために、以下のように改作します。これが、私の先のレスの意図です。

【改作】
>>さて、個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。そこで、もっともよくある「男ならこう」「女ならこう」という規範的な男女観を考えましょう。

>>まず第一に、「男らしくない」「女らしくない」についてですが、これは美的評価ではあっても制度ではありません。やや規範的に共有されている部分も主観的な好みの部分もあり、様々です。もちろん迫害されなくても実際に恋愛や交際などにおける不利益が存在することなら指摘できます。しかし「従来通りのひな祭りを家庭において祝わなかったために雇用差別を受けた」例は現実には存在しないでしょうし、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さなかったために雇用差別を受けた人もおそらくいないでしょうから、同列にはならべられない。もし万一こうしたことがあっても、それは個別に発生した不当な事例でこそあれ、それを「差別」とすることはできません。*そう考えるべき理由については、下記URLを参照してください。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_tree?base=2351&range=1
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=739;id=keya1984
>>
>>第二に、「夫の役目」「妻の役目」についてですが、これは雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした制度上さまざまな社会設計が行なわれていることにより、「夫の役目」「妻の役目」という固定観念に従わない(従えない)人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、夫婦分業制に従わない生き方を選択した(せざるを得なかった)人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 tpkn  - 06/9/26(火) 21:30 -

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   >このような場合、かえって年若い2ちゃんねらーのほうが大人の対応をするようですね。

2ちゃんねらーのメインは30代〜50代。

macskaさんはミクシィ世代。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 芥屋  - 06/9/26(火) 22:04 -

引用なし
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   >tpknさん:
>2ちゃんねらーのメインは30代〜50代。

そうなの?ゲーム板見てても、とてもそうとは思えんが・・・

>macskaさんはミクシィ世代。

私はこっちのほうがやや年長者向けかと思ってますた。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 Josef  - 06/9/26(火) 22:08 -

引用なし
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   >>では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いったい何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになるの? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という「自省」のどんな補助になるわけですか?
>
>わたすはイジワルなので先に答えを書いておきます(笑)。
>
>「押しつけ」「決めつけ」になる場合は、その男の子なり女の子なりが雛祭りや端午の節句のほうがいいのに、とか思っている場合。そして押し付けにならないようにするには、子供のそういう気持ちを明示的に確認し、それを尊重して希望通りにしてやる場合。

なるほど。では私も答えを(笑)。
「命名」のような子供の気持ちとは無関係な例まで挙げられている以上、重心は子供の意志よりも大人の意志・行動の方にあると思われる。鯉のぼりの場合、「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人はそう思っていたことを「自省」し、「子供の日だから鯉のぼりを上げよう」というふうに悔い改めたら「押しつけてない」ことになる。もちろん、こんなお祝いはやめてしまおう、でもOK。

ジェンダー化された文化・慣習に従っている人たちは反省シル!ってことでしょう。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 tpkn  - 06/9/26(火) 22:38 -

引用なし
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   >そうなの?ゲーム板見てても、とてもそうとは思えんが・・・

なんかこないだどっかが調査してましたよ。ミクシィやってる若い人達から見ると、ネットで「議論」なんかしてるオッサンほどうっとおしいもんはない、と。

>私はこっちのほうがやや年長者向けかと思ってますた。

だいたい20代が中心じゃないかなー。そりゃもう共感と共感と共感とワタシの気持ちとワタシの気持ちとワタシのキモチと傷ついたと傷ついたと傷ついたの嵐で物事が進行していく世界でございますよ。

これまでのウェブやネットのマナーを一気に無効化して初期のニフティサーブに戻したような感じw

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/26(火) 22:43 -

引用なし
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   >なるほど。では私も答えを(笑)。
>「命名」のような子供の気持ちとは無関係な例まで挙げられている以上、

甘いな。「命名」ほど子供の気持ちに対する押しつけとなりやすいものはないのです。
あなたはこのような名前をつけられて思春期を平気で過ごせますか?w

世歩玲ちゃん
亜菜瑠ちゃん
丹矢音ちゃん
珠ん雅ちゃん
射夢くん
麗音菜愛梨亜ちゃん
舞良ちゃん
苺苺苺ちゃん

読み方はこちらで検索のこと。
http://dqname.selfip.net/

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/26(火) 22:56 -

引用なし
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   >甘いな。「命名」ほど子供の気持ちに対する押しつけとなりやすいものはないのです。
>あなたはこのような名前をつけられて思春期を平気で過ごせますか?w

ミクシィにもこういうコミュニティ(板)があって、

「無茶な子供の名前にイライラ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=10232


みんなが最近の子供の名前を聞くたびにイライラしているのですが、これってよう見るとジェンフリはともかく「自分らしく!」という価値観の悪影響としか思えないのです(アカウント持ってる人はぜひチェックしてください)。

なんせ、「○○子」とかいう名前をつけると、周りのお母さんや美容師とかに、「普通ですねー」って言われたり、陰で「個性がなくてかわいそう」とか言われたりするらしい(新たな規範の創出)。だから音は普通でも漢字に凝ってみたり、漢字に凝るあまり絶対にそうは読めない漢字を無理矢理当ててみたりと、それこそ「規範」にまったくとらわれない自由な名付けが横行するわけです。これが、命名規範という「押しつけ」から「フリー」になった、恐るべきDQN社会の姿であり、その実態は実は親の気持ちの子供に対する投影と押しつけが強化されただけってことなのですね。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 芥屋  - 06/9/26(火) 22:56 -

引用なし
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   >射夢くん

これはもー、ゼッタイ言われますよ。
思春期のマセてくる頃はもちろん、大人になっても、
ずーーっと言われますよ。

ミクシィ
 芥屋  - 06/9/26(火) 23:33 -

引用なし
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   >tpknさん:
>なんかこないだどっかが調査してましたよ。ミクシィやってる若い人達から見ると、ネットで「議論」なんかしてるオッサンほどうっとおしいもんはない、と。

そうなんですか。まぁミクシィやっててたまたま自分が若いときには、そう言いたがる向きもあるのかなぁ。

全般的な傾向はわかりませんが、私に「ミクシィいいばい?かなりマイナーな趣味でも同じ志向の人と知り合えるしね。オマエもどうや?」と薦めたのは40代後半の知人で、落語に関する同好の士と充実したミクシィライフを送ってるそうです。その知人のシトは、私のマイナーな趣味(炭鉱モノとか廃屋モノとか)を言ってくれてて、そのシトが面白いと言ったものはたいていホントに面白かったりするので「へぇ〜、そうすか」とは思いました(でもまだやってない)。

加えて「小谷野さんもミクシィで頑張って勉強してるようだ」と純子さんが言ってたので、私には「落ち着いた中高年の男の趣味人向き」ってイメージがあったんですね。

>だいたい20代が中心じゃないかなー。そりゃもう共感と共感と共感とワタシの気持ちとワタシの気持ちとワタシのキモチと傷ついたと傷ついたと傷ついたの嵐で物事が進行していく世界でございますよ。

それはわかりやすいですね。どうしても女は「議論!」つうのが苦手なことがすごく多いので、年齢に関係なく従来の掲示板議論とかよりそっちに行くことは多いようですね(こないだNHKでやってた)。

あ!あれじゃないかな、そういう若い年齢層の女からすると、WEB2.0とか言われ出してることもあって「新しいことやってるアタシたち」みたないな感覚があるだろうし、「いまだにネットで議論やってるのはオッサンくさいのよ」みたいなね。で、それを売り込み路線では「ほ〜ら、若い女の子たちの意識はこっちだYO!」みたいな。でも、いや待て、だからかな?ミクシィ好きなのはオッサンも多いんだぞ〜♪と言ってやりたいですねw

>これまでのウェブやネットのマナーを一気に無効化して初期のニフティサーブに戻したような感じw

初期のニフティサーブの状況は知らないんですけど、何となく上記のようなイメージも湧きますよ。猥雑な面白さが苦手なシトにとって、いい媒体が出てきたんじゃないかなぁ、とは思ってるんですけど、こういったことには両面出てくるんでしょうね・・・

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 一郎無@次郎  - 06/9/27(水) 0:03 -

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   >>射夢くん
>
>これはもー、ゼッタイ言われますよ。
>思春期のマセてくる頃はもちろん、大人になっても、
>ずーーっと言われますよ。

俺的には「亜菜瑠ちゃん」が最強のような....
つーか、ネタじゃないとしたら子供可哀想すぎ。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 芥屋  - 06/9/27(水) 0:06 -

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   >>>射夢くん
>>
>>これはもー、ゼッタイ言われますよ。
>>思春期のマセてくる頃はもちろん、大人になっても、
>>ずーーっと言われますよ。
>
>俺的には「亜菜瑠ちゃん」が最強のような....
>つーか、ネタじゃないとしたら子供可哀想すぎ。

性的虐待でつねw

昭和時代の精神史
 芥屋  - 06/9/27(水) 1:19 -

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   >gajiさん:
>(”安保闘争”を導いたのは丸山でもあったのに、←…文化人集会で講演。その後、数万人のデモに)「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、」と「回想談話」で言っているらすいのでした。

それって、いつ頃の慨嘆なのかなぁ。東大紛争で学生に研究室を破壊され、吊るし上げを食らった前後なのかな?「戦前の右翼学生でもこんなことはしなかったぞ!それを君達は!!」とか何とか言った、その頃なのかなぁ。

>>>本人の自覚では、書斎にこもり専門の思想史研究にうちこみたいのに、知人から請われてやむをえず運動に参加したのが実状だったのである。(苅部直、岩波新書『丸山眞男』p7)

そして東大紛争の一件以来、丸山は次第に日本思想史の探求に沈潜していったらしいですね。そしてやがて「古層」「通奏低音」という考え方を丸山はしていくようになる・・・

・・・たぶん、丸山ってすんごく知性主義の人だと思うんですけど、戦前の国体明徴運動と戦後の全共闘(全学連?)運動というのは、ひとつ共通点があるんですよね、既存の「知の権威」に対する反知性主義的な情念がある。いや、反知性主義というと違うかな。

というか、政治運動といのは、良かれ悪しかれ知性主義にはわからない部分があると思うんで、丸山には見えてなかった「政治現実」というのはあったと思う。その「政治現実」というのは、底流に土俗的なことってあるじゃないですか、でも丸山はすごく土俗的なものを嫌った。

「戦前でも、左翼にあらずんばインテリにあらずという空気があった、というのは本当ですか?」と父に尋ねたら、父はこともなげに「あぁ、そうだよ」と。国体明徴運動の時の右翼学生は意識化された中で「洋学の知識だけで憲法を説く者に国体がわかるのか!?」と機関説排撃の糾弾をやったわけだけど、全共闘運動の学生は丸山に「ベートーベン聞いてヘーゲル読んでる奴に革命がわかるか!?」と叫んだそうですね。これは、意識レベルでのマルクス主義によって抑圧された無意識レベルでの土俗が噴出してる・・・と思えるんですよ。

で、私は右翼でしょ?その情念そのものはわかるんですよ。この土俗を唾棄するだけなら、やっぱり政治はわかんないと思う。ところでgajiさんはリアルタイムで『ガロ』見てたんですよね?やっぱり、あぁいう感じって、当時の学生に訴えかけるものがすごくあったような気がするんです。私は当時幼くてそういう空気はリアルタイムでは知らないんだけど、後に神田の古本屋で当時の『ガロ』の一冊を買って読んだとき、読者の投書欄に興味深い投稿があったんです。左翼の運動用語を散りばめてあるんですけど、『我々が今ここで取り戻すべきは、つげ義春や林静一の作品に見られる土俗性や叙情ではないのだろうか?』だったかな、そういう内容の訴えなんでした。

丸山の言う「古層」や「通奏低音」というのは、実は眼前にあったのではないかな。それは近代市民原理という意識によって無意識レベルに抑圧された土俗的叙情のことではなかったか。それはもちろん、丸山自身の中でのことであったはずなんですよ。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 2:15 -

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   tpkn さん:
> それが「命令形」ということでしょうが…。

そうした間接の強要も「命令形」に含めるということなら、「らしさ」が個人の美意識である時点ではその人の自由だが、命令形になった時点で問題である(可能性がでてくる)という趣旨に賛成です。

> というか、雛祭りと雇用差別を同列に語るのは、あなたの意
> 見によれば「不適切」のはずでしょうが。

だから、いまはひな祭りの話をしていませんね。「男らしさ・女らしさ」の規範が、施策の対象となる場合について話しているんです。すなわち、個人が内心でどういう「男らしさ・女らしさ」が良いと思っていても構わないけれども、それを理由に雇用差別をするのはいけない(場合があるーーすなわち、介入が正当な場合がある)というコト。

> で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にも
> たまにはレスくださいね。

ごめんなさい、tpkn さんの「質問」は、回答を求める種の質問なのか、それともレトリカルな質問(質問の形態を取りながら、実は相手を揶揄するだけの発言)なのか区別がつきにくいです。前者だと思った質問には丁寧に答えているつもりなんですが…

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 2:39 -

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   Josefさん経由tpknさん:
> では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いった
> い何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになる
> の? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という
> 「自省」のどんな補助になるわけですか?

何を自省するかはそれぞれの人の勝手ですし、どう行動するかだってその人が自分で決めることでしょう。そんなことまで指図されるいわれはないし、パンフはそんな指図はしていません。

というより、鯉のぼりだけ取り上げて「どう自省するのだ」というのはおかしいですよ。トータルな子育ての中であのリスト全体を見た人が、「そういえば…」と考えるきっかけになればそれで良いのでは。鯉のぼり自体を問題としている内容ではないのだと何度言えば分かりますか?

Josef さん:
>*女児の生まれた家庭。慣習に従い、幸福・成長を願って三月三日に
> ひな人形その他を用意し、飾る。もちろん「女の子だから」です。
> もし男の子だったら端午の節句にお祝いをします。
>*女の子が生まれて「愛子」と名づける。もちろん「女の子だから」です。
> 男の子だったら別の名前を考えていました。
>
>これらは「決めつけ・押しつけ」なんですか?

まぁ、男の子だから「愛子」と名付けてはいけない、というのは「決めつけ」であることは確かでしょう。だからといって別に悪いことだとは思いませんが。

いいですか、パンフはそういう個々の問題を良い悪いと書いているわけではなくて、子育てにおいて気づかないうちに「男の子だから」「女の子だから」という押し付けをしていないか考えてみましょう、ということですよ。自覚せずに特定の価値観を押しつけていないか考えてみましょうというだけで、それが悪いことだとも断定していません。いったい何が問題なのか。

ちなみに、わたしは「パンフが分かりにくい」と言いましたが、それはジェンダーフリーとかジェンダーの説明のあたりが分かりにくいと思うだけで、ひな祭りの部分は文字通り解釈すれば非常に分かりやすいと思います。考えてみましょう、という文章から、「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違いです。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 2:42 -

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   >純子さん:
>>1)基本のき
>>2)日本女性学会(細谷)
>>3)出所不明の画像
>
>4)ジェンダーチェック(^^)

ひな祭りが取り上げられているジェンダーチェックがあったんですか。
これは新しい実例なので、具体的に引用してくれませんか?
できたらページごとスキャンしてどこかにアップしてくださると助かります。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 2:57 -

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   芥屋さん:
> じゃなくて、
> 3)雛祭りを取りやめた幼稚園が出てきた。
> です。

ああ、そっちでしたか。

しかし、幼稚園がひな祭りを実施するかどうかはそれぞれの幼稚園の判断で自由に決めれば良いのではないですか? その意思決定に、なんらかの無視できないほどの外部からの圧力があったというなら実例となるでしょうが(そのような例は文科省調査では報告されていません)、「ひな祭りを取りやめた幼稚園が出てきた」だけでは実例にはなりません。

> で、それも含めてあなたの見解はすべて論破されているの
> に、うわごとのように同じことしか言えないあなたのプロ
> パガンダに付き合う必要はないわけね。

わたしから見ると、あなたが論破されたように見えるのですが、それはわたしたちのどちらかが判断できることではないですね。第三者が勝手に判断すれば良いことです。

> ・・・。で、何で同じ内容でも教育行政ならいいのだ?ワケワカンネ

わたしは教育行政でも批判的です。

ただ、批判的だけれど全面否定はしません。だって、行政ってそもそもそんなモノだもの。ジェンフリ以外でもさんざん押し付けがましい啓発運動をいろいろやっているわけで、ウザイと思いつつそんなに真剣に受け止めたりしないモノです。それは教育も同じで、そもそも教育が生徒の側から見ればウザイ押しつけなんですから、その中において特筆するほどの問題でもないと思います。

> あのー・・・黙って態度で示すのも教育なのだが。「教師自
> 身が子どもたちを性別によって違った扱いをしない」と行動
> で示せば、たとえそれを無言で実践しても「ジェンフリの価
> 値観を子どもに教えるという形」ではあるんだけど。

たしかに、教師の行動を見て生徒がそういう価値観を学ぶ可能性はあるでしょうが、それは別に構わないんじゃないでしょうか。というか、生徒にとって教師だけが唯一の参照元なのではなく、世の中にいろいろな人がいる中で特に教師の行動に影響を受けるとしたら、それは生徒自身が自主的に選び取ったと考えて良いのでは。

> でもさ、その一方で「子どもたちを性別によって違った扱い
> をする」のも大事なことでね、子供には男女の違いを教える
> ことも必要なんだから、ジェンフリ教育なんて反対されるに
> 決まってるの。

ま、そういうワケで、わたしもジェンフリにコミットしているわけではないんですよ。わたしが先に書いたのはあくまで「ジェンフリ教育というものを行なうならば、こういう実践でなければならない」という事であり、ジェンフリ教育が素晴らしいんだとは書いていません。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/27(水) 3:09 -

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   macskaさん:
>tpkn さん:
>> それが「命令形」ということでしょうが…。
>
>そうした間接の強要も「命令形」に含めるということなら、

「女性らしくない」という理由で「雇用差別を受け」るなら間接の強要じゃないでしょ?
で、単に「男らしさ」や「女らしさ」それ自体ではなく、「例えば雇用差別を受け」る場合に初めて問題にされるべきだという話でしょうが。あなた、芥屋さんの何に反論してんの?


> 「らしさ」が個人の美意識である時点ではその人の自由だが、命令形になった時点で問題である(可能性がでてくる)という趣旨に賛成です。

だったらパンフにおける例示(子育てというプライベートな局面における、まさに個人の美意識の段階でのジェンダー意識)は「命令形になった時点」ではないのだから、それを問題化するのはおかしいでしょう、という話の流れでしょう?

>すなわち、個人が内心でどういう「男らしさ・女らしさ」が良いと思っていても構わないけれども、それを理由に雇用差別をするのはいけない(場合があるーーすなわち、介入が正当な場合がある)というコト。

では「雇用差別をする」のとは同列に語れない子育てにおいて《内心でどういう「男らしさ・女らしさ」が良いと思っていても構わない》のに、そこであれこれステレオタイプな「男らしさ」「女らしさ」の例を挙げて、いったいどんな押しつけに注意して何を自省せよと言うのです?

>> で、いくつか確認のための質問してあるんで、私の投稿にも
>> たまにはレスくださいね。
>
>ごめんなさい、tpkn さんの「質問」は、回答を求める種の質問なのか、それともレトリカルな質問(質問の形態を取りながら、実は相手を揶揄するだけの発言)なのか区別がつきにくいです。

こっちから見れば、この件に関するあんたの質問や問いかけ、要求は全部レトリカルです。そんなもの論者の立場によって違うんだから、いちいちこちらで問題にすることはしないです。ただし、あるものの出所を明らかにせよと言いながら、あなたがそれを否定する根拠が出所の明不明とは何も関係ないのなら出すだけ無駄なわけだから、「出所が不明だから証拠ではない」と言う以上、出所を明らかにしたら証拠と認めるのかと聞いてるわけ? どこがレトリカルなの。単なる手続き上の問題じゃないの、これ。

この掲示板のスレッドはたどりにくいし、質問を見落としてたとしても別に責めませんが、こちらから見ればそういう「言い訳」そのものがレトリカルに見えてるんですよ。だからそんなこと言い合ってもしょうがないでしょう。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 3:11 -

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   純子さん:
> じゃあ、「基本のき」にも批判的なんですね。

もちろん。「基本のき」に対する批判には不当なものが多いですが、だからといって「基本のき」に問題がないとは思わない。しかし同時に、批判的だからといって全面否定するわけでもないのでその点は誤解のないように。

> だったら、石原都知事が「東京女性財団」をリストラした
> のは、結果的にはよかったんですね(^^)。

どうして「基本のき」に問題があるとしたら、東京女性財団の責任になるんでしょうか? 理解不可能です。

また、仮に東京女性財団の出版物に問題があったとしても、廃止するのではなく内容を改めるという方法もあったはず。いきなり廃止して、代替するものを作らなかったのは、男女共同参画行政を後退させるものだと批判されても仕方がないのではないでしょうか。

まぁ、いずれにせよわたしにとっては東京女性財団なんてあってもなくても構わないです。

> 雛祭りをどう祝おうと、日本では個人の自由なんですよ。保
> 育園だったら、保護者の良識から考えて、度はずれたことを
> してなければ、保育園の独自の判断でいいんですよ。個人の
> 自由にまかされているんです。

ですね。それなのに、ごく一部の幼稚園が独自の判断でひな祭りを中止したことをもって騒いでいるバカがいるのですが。

> いちいち問題化して取り上げる必要すらないのに、ことさら
> に取り上げていることが問題なんです。だから、証拠は、ひ
> なまつりを禁止した例ではなくて、取り上げて問題化した例
> があればいいんです。

いや、独自の判断でひな祭りを行なうのが自由であるように、現行のひな祭りが問題だと主張するのも自由でしょう。日本女性学会(細谷氏)の見解がそれですね。というより、賛否どちらでも発言する自由があってこそ、それらの意見を聞いて独自に判断する自由が実質的に満たされるわけですから、「取り上げて問題化」することは、強制力や圧力を伴わない限りにおいて自由に寄与しています。

「基本のき」のようなパンフが問題とされるのは、それが税金により発行されているからですね。すなわち、民間の人がそれぞれの意見を自由に述べるのは良いとして、政府の予算で特定の意見を宣伝するのはおかしいのではないかと。

しかし、実際にパンフを読んでみると、「男らしさ・女らしさを押しつけていないかふりかえってみましょう」と書かれているだけで、ひな祭りが問題だとは書かれていない。行政が「ふりかえってみましょう」と呼びかけるのはウザイと言えばウザイですが、ほかのさまざまな行政パンフに比べて特に突出しているわけでもなく、許容範囲でしょう。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 3:27 -

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   tpkn さん:
> いったい、この図版の出所が明らかになったら、あなたは
> それを「証拠」と認めるのか。それとも、最初からそんな
> つもりはないのに相手に「証拠」として提出せよと言って
> るのか、どっち?

以前わたしがこの図版について書いたことは、「基本のき」の一部であったことを前提として書いたので、前提が怪しくなった以上とりあえず撤回します。

図版の出所が明らかになったら認めるのかどうかと言いますが、それは出所がどういうものであり、どういう文脈で描かれたものなのかによります。当たり前でしょう。

例えば、以下の画像を見てください。

http://macska.org/temp/pic1.png

この画像を見れば、「実例」だ!と言いたくなるでしょう。
しかし文脈は以下の通りです。

http://macska.org/temp/pic2.png

ソースは日本時事評論社という山口県の保守系出版社のビラで、宗教団体新生佛教と関係が深いとされているところです。「デビューボ」でおなじみのエドワーズ博美さんがよく執筆しています。

これは極端な例ですが、このことからも分かる通り出所が分かったとしても「実例」として認められるか認められないかは文脈次第。文脈も分からないのに認めるかどうか問われても困るわけです。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/27(水) 3:36 -

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   macskaさん:

>Josefさん経由tpknさん:
>> では「男の子だから鯉のぼりを上げよう」と思っていた人は、いった
>> い何を「自省」して、どう行動すれば「押しつけてない」ことになる
>> の? 鯉のぼりや雛祭りの例が、その「決めつけではないか」という
>> 「自省」のどんな補助になるわけですか?
>
>何を自省するかはそれぞれの人の勝手ですし、どう行動するかだってその人が自分で決めることでしょう。そんなことまで指図されるいわれはないし、パンフはそんな指図はしていません。

じゃあこのパンフは何も言ってないわけですね? わざわざ雛祭りや鯉のぼりの例示をして、「押しつけ」「決めつけ」をやっていませんか?と尋ね、なおかつ「どう行動するかだってその人が自分で決める」ことだと。では、その人が「自分で決め」たことが押しつけになっているかなっていないか、その人はどうやって判断するのです? 

子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります、という人は、自分で決めてそうしてたわけです。そこに「押しつけてませんか?」と問いかけて、反語ではないのだなんていうのは、日本語の理解としては全然落第ですよ。

>というより、鯉のぼりだけ取り上げて「どう自省するのだ」というのはおかしいですよ。トータルな子育ての中であのリスト全体を見た人が、「そういえば…」と考えるきっかけになればそれで良いのでは。鯉のぼり自体を問題としている内容ではないのだと何度言えば分かりますか?

誰が「鯉のぼり自体を問題としている内容だ」と書いてますか? 「そういえば…」の「…」は何だ?と聞いているのです? 「そういえば…」どういう場合に、ああ押しつけだったなと思うと想定されているわけですか? そんな想定が皆無なら、あるいは「それぞれ人の勝手」なのなら、いったいなんのために問いかけるのです?

>いいですか、パンフはそういう個々の問題を良い悪いと書いているわけではなくて、子育てにおいて気づかないうちに「男の子だから」「女の子だから」という押し付けをしていないか考えてみましょう、ということですよ。自覚せずに特定の価値観を押しつけていないか考えてみましょうというだけで、それが悪いことだとも断定していません。いったい何が問題なのか。

どんどん苦しくなりますねえ。「押しつけ」「決めつけ」をやってないか?と問うているが、「それが悪いことだとも断定してい」ないとな(爆笑) 

だったらその無意味な問いかけは誤解を招く効果しかなく、かつ誤解した側が「誤解したのは妄想だ」などとあらぬ誹謗を浴びせられる結果となったわけだから、それ自体十分「問題」でしょう。問題が大きすぎる。

要するにジェンフリのパンフは、あたかも何か言っているかのように書いてあるが実は何も言っていない。おまけに、日本語の啓発文書としてはごく当たり前に、すなおに疑問文を反語として読み取ると、「妄想」と非難されるわけだ。こんなふざけた運動があるか馬鹿者。ただのはた迷惑だろうが、それじゃ。

だいたい、あなた、この内容はくだらないということで我々と合意しているのに、その合意をひっくり返す擁護を必死でやろうとするからこんなムチャクチャになってしまうんですよ。なぜ必死で擁護するか。「ブルックナーのようなバックラッシュの言ってることにも一理ある」ということを認めたくない、全部「妄想」と言って攻撃したい。ただその一点だけでしょう。党派性でしょ、それ。

そもそも「押しつけ」「決めつけ」なら悪いに決まってるでしょう。誰だって人から押しつけられたり決めつけられたりするのはいやですし、それは個人の権利を侵害するものですから。「押しつけ」ても「決めつけ」ても「悪いことだと断定」しないのなら、別に「押しつけていませんか?」なんて聞く必要ないじゃん。「男らしさ女らしさをちゃんと押しつけてますか?」であっても、別に「それが悪いことだとも断定していない」んだから、まったく等価になるじゃん。

そんな常識ではありえないほど無意味な話を理解できなかったからといって、「妄想」なんて誹謗中傷される筋合いは誰にもないんだ。いったい何様なんだよ、おまえは。


>ちなみに、わたしは「パンフが分かりにくい」と言いましたが、それはジェンダーフリーとかジェンダーの説明のあたりが分かりにくいと思うだけで、ひな祭りの部分は文字通り解釈すれば非常に分かりやすいと思います。考えてみましょう、という文章から、「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違いです。

《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違い》って、いったい私と芥屋さんとJosefさんと純子さんのうち、誰がそういうことを「読み取」っているのか、該当箇所を引用してみろと言っただろう。それこそ、どこにも「証拠」ないじゃないか。

Re:美意識の問題化(名詞と形容詞)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 3:44 -

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   芥屋さん:
> 日本語の通常の受け止め方としては「男らしさ女らしさでは
> なく自分らしくしましょう」と言った場合、これまであった
> 男や女についての、観念化された美意識内容を放棄するよう
> 要望していることになるわけだし、多くのこの言説は実際に
> そのような内容です。

要望というか、呼びかけでしょ。呼びかけは自由ですよ。
わたしはそんな呼びかけを行なったりはしませんが。

> macskaさんなりに注意をはらって「男らしさ女らしさの規範
> を問題にする」という表現をされたのは、この美意識が規範
> 化する局面を言いたいのであろうけれども、上記のどの段階
> をどのように問題にしているのか、やはり日本語としては漫
> 然としていて大変にわかりにくい、非論理的な印象論なんで
> すよ。

わたしは一貫して4の段階が何らかの圧迫を伴う場合のみを批判していますが何か。

圧迫というのは、もちろん文字通りの命令だけではない。というか、何の権力も暴力も持たない人が口先で命令するよりも、権力を持つ人の無言の圧力の方がよっぽど圧迫になるということがあり得ますから、文字通りの命令にこだわる必要はない。権力による命令のほかにも、経済的な圧迫、規範としての圧迫、アーキテクチャによる制約などがあり、それらが一律に禁止されるべきだとは思いませんが、その中のある部分については政策による介入の対象としてもおかしくない。どのような介入なら認めるのかは別の議論になりますが、「人々の内面には立ち入らない」が原則です。

ところでわたしは思うんですが、そんなにわたしのことをアメリカニズムだと言うのであれば、行政が人権啓発事業を行なうのは非常に日本的だとは思いませんか? アメリカ的なやり方は、雇用・住居差別禁止とかの法律をズバッと作ってしまい、あとは法廷に任せるというもので、わたしはそれを支持しているのですが、日本の人権行政はそういうズバッというやり方はしていません。男女共同参画やその他の人権行政が、共同体主義的な啓発的アプローチを続けたために、脱共同体化・アメリカ化した現代の日本人が「ウザイ」と反発するようになってきたという側面はないでしょうか。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 tpkn  - 06/9/27(水) 4:03 -

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   macskaさん:

>これは極端な例ですが、このことからも分かる通り出所が分かったとしても「実例」として認められるか認められないかは文脈次第。文脈も分からないのに認めるかどうか問われても困るわけです。

何を問われているか全然わかってないですね。私が言っているのは、出所が明らかになってそれが「基本のき」に類するパンフと同じものだった場合、ですよ。

なぜそういうことが問題になるかというと、ここで私は「×」の印がはっきり書いてあることを問題にしているからです。それが右翼の出版物に載っていたものだとしたら、右翼がジェンフリパンフを読んで「×」と解釈し、図示したものだということになりますよね。この場合、証拠としては認められないというのはわかります。

ただし、それは「×」を見て、「ああなるほど、こういう例があったのなら証拠と言えますね」とあなたが認めていた場合のみです。ここで初めて「撤回」の意味が出てくるわけですよ。あのときは証拠と認めたが、出所が全然違うじゃないか、そんなものは無効ということね。

でもあなたは、この図を私が提示した通り「基本のき」のものと想定して、「×」の有無は無関係という論法で擁護したんですよ。たとえ×が描いてあっても、本文の文脈を見ればそういう意味でないことがわかると言ったわけです。

だとしたら、あなたの論にとっては図における「×」の有無はその出所とも証拠能力とも関係なく、したがって現物を探してきて、それが「×」という視覚効果を伴う図を掲載していたとしても、あなたは本文の文脈によって好意的に解釈するのが当然と言ってくる可能性があるわけ。

図というのは、本文に書いてあることを別の方法でシンボライズしてわかりやすく示すためのものだから、仮にジェンフリパンフに載っていたものだとしても、本文に「雛祭り=×」とはっきり書いてない可能性のほうが高いわけです。「×」も「イコール」もです。「イコール」が書いてないから「ウソつき」だと言い、「例」と書いてないから「例示じゃない」と言う揚げ足取りをするあなたは、ではいったいどんなものを持ってくれば「証拠」と見なすのかと問うているのです。

直接的に「雛祭りは押しつけだから中止せよ」「雛祭り=×」と*本文に書いた*ものを持ってこなければ「証拠」とは認められないというのなら、そんなのあるわけないでしょうと言うしかないです。そして、それをもって「証拠は一切なかった」などという、そんなクソウヨ論法で押し切ろうとするあなたの不誠実さに失望するのみです。

「兵士は慰安所で慰安婦を強姦せよ」と書いた軍の命令書が必要ですか? それとも、「南京市民を何人処刑した」という軍の記録が必要ですか?

そういうことを聞いてるわけ。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 tpkn  - 06/9/27(水) 4:31 -

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   macskaさん:

>ひな祭りが取り上げられているジェンダーチェックがあったんですか。
>これは新しい実例なので、具体的に引用してくれませんか?
>できたらページごとスキャンしてどこかにアップしてくださると助かります。

はいどうぞ。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/34/0000061634/32/img237947aaj86f17.jpeg

全然新しい実例でもなんでもないですがw

愛知県長久手町のウェブサイトによれば、ジェンダーチェックとは、《ジェンダーにとらわれない社会を実現するためにも、家庭や職場、学校などあらゆる場に存在するジェンダーに気づき、見直す》ためのものだそうです。
http://www.town.nagakute.aichi.jp/sosiki/shakai/jyenndartyekkurisuto.asp


鳥取県男女共同参画センターよりん彩によれば、ジェンダーチェックとは《毎日の生活に何気なく組み込まれている、性別による固定的な考え方に気づき、見直してみる》ためのものだそうです。
http://www.pref.tottori.jp/yorinsai/picture/panel7.jpg


さて、ひな祭りや命名規範、オモチャの種類その他の《項目が「自分は男らしさ・女らしさを押しつける子育てをしていないだろうか」と振り返るためには有用》なものとして列挙してある文書が子育ての局面においての「ジェンダーチェック」でなくて何なのですか?

「ジェンダーチェック」とはどこにも書いてないからジェンダーチェックではないという、いつものアレですか?

Re:昭和時代の精神史
 gaji  - 06/9/27(水) 5:00 -

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   >芥屋さん:

>>(”安保闘争”を導いたのは丸山でもあったのに、←…文化人集会で講演。その後、数万人のデモに)「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、」と「回想談話」で言っているらすいのでした。
>
>それって、いつ頃の慨嘆なのかなぁ。東大紛争で学生に研究室を破壊され、吊るし上げを食らった前後なのかな?「戦前の右翼学生でもこんなことはしなかったぞ!それを君達は!!」とか何とか言った、その頃なのかなぁ。

スマソ。はしょっちゃいましたが、
《回想談話によれば六〇年安保の頃にはすでに「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、(略)」という[集15−339]》とあって、いつ頃の慨嘆かは不明。。

回想ではなくて、その前(国会デモの2年前の座談会)でも、似たやうなことを言っています(「丸山学派」と名指されることへの違和感、いまで言えばレッテル貼りされてヤンなっちゃう、といった感じでしょうか)。1950〜60年代のことです。

>>>>本人の自覚では、書斎にこもり専門の思想史研究にうちこみたいのに、知人から請われてやむをえず運動に参加したのが実状だったのである。(苅部直、岩波新書『丸山眞男』p7)
×p7→○p9

>そして東大紛争の一件以来、丸山は次第に日本思想史の探求に沈潜していったらしいですね。そしてやがて「古層」「通奏低音」という考え方を丸山はしていくようになる・・・

「古層」「通奏低音」等は、東大紛争とは無縁でつyo(敗戦…日本って何故ペケ?の根源に、、みたいな。。)。


>・・・たぶん、丸山ってすんごく知性主義の人だと思うんですけど、戦前の国体明徴運動と戦後の全共闘(全学連?)運動というのは、ひとつ共通点があるんですよね、既存の「知の権威」に対する反知性主義的な情念がある。いや、反知性主義というと違うかな。
>
>というか、政治運動といのは、良かれ悪しかれ知性主義にはわからない部分があると思うんで、丸山には見えてなかった「政治現実」というのはあったと思う。その「政治現実」というのは、底流に土俗的なことってあるじゃないですか、でも丸山はすごく土俗的なものを嫌った。

インテリゲンチャンたろうとしてたようですね。
(丸山には見えてなかった、というより、見えていた――子どもの頃の体験etc――から、嫌った、のかもしれません、。デモそれって多かれ少なかれイマドキのだれにでも当て嵌まるカモ。舶来至上としての”日本市場”)


>「戦前でも、左翼にあらずんばインテリにあらずという空気があった、というのは本当ですか?」と父に尋ねたら、父はこともなげに「あぁ、そうだよ」と。国体明徴運動の時の右翼学生は意識化された中で「洋学の知識だけで憲法を説く者に国体がわかるのか!?」と機関説排撃の糾弾をやったわけだけど、全共闘運動の学生は丸山に「ベートーベン聞いてヘーゲル読んでる奴に革命がわかるか!?」と叫んだそうですね。これは、意識レベルでのマルクス主義によって抑圧された無意識レベルでの土俗が噴出してる・・・と思えるんですよ。

”ねじり菓子”みたいでつね。。

>で、私は右翼でしょ?

え゚そうなんですか〜(w

>その情念そのものはわかるんですよ。この土俗を唾棄するだけなら、やっぱり政治はわかんないと思う。ところでgajiさんはリアルタイムで『ガロ』見てたんですよね?やっぱり、あぁいう感じって、当時の学生に訴えかけるものがすごくあったような気がするんです。私は当時幼くてそういう空気はリアルタイムでは知らないんだけど、後に神田の古本屋で当時の『ガロ』の一冊を買って読んだとき、読者の投書欄に興味深い投稿があったんです。左翼の運動用語を散りばめてあるんですけど、『我々が今ここで取り戻すべきは、つげ義春や林静一の作品に見られる土俗性や叙情ではないのだろうか?』だったかな、そういう内容の訴えなんでした。

『ガロ』は半ばリアルタイムで見てましたけど、
つげ義春は土俗っていうよりシュールだったし、
(スイマソン。以下明日

Re:昭和時代の精神史
 gaji  - 06/9/27(水) 15:24 -

引用なし
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   スイマソン。とりいそぎ、訂正しまつ。。

>>芥屋さん:
>>それって、いつ頃の慨嘆なのかなぁ。東大紛争で学生に研究室を破壊され、吊るし上げを食らった前後なのかな?「戦前の右翼学生でもこんなことはしなかったぞ!それを君達は!!」とか何とか言った、その頃なのかなぁ。
>
>スマソ。はしょっちゃいましたが、
>《回想談話によれば六〇年安保の頃にはすでに「現実政治の問題に引っ張られるのはもうかなわない、(略)」という[集15−339]》とあって、いつ頃の慨嘆かは不明。。

「回想談話」ではないけれど、↓。

《一九六七(昭和42)年、鶴見俊輔との対談「普遍的原理の立場」では、自分はもともと「隠遁型」で、六〇年安保の際の行動はやむをえぬ「例外」だったと述べ、「天下国家論よりは音楽なんか聞いているほうが楽しいね」と語っている。》(前掲書、p185)


>>そして東大紛争の一件以来、丸山は次第に日本思想史の探求に沈潜していったらしいですね。そしてやがて「古層」「通奏低音」という考え方を丸山はしていくようになる・・・
>
>「古層」「通奏低音」等は、東大紛争とは無縁でつyo(敗戦…日本って何故ペケ?の根源に、、みたいな。。)。

東大紛争(68〜69年)、そして肝炎で入院、その後71年辞職。
で、論文”歴史意識の「古層」”が著されたのは72年でした。

ただ、
1959年の「東洋政治思想史」講義で、「日本人の原初的思考様式」を論じ、
63年、以降の講義ではそれらを思考様式と世界像の「原型」と名づけ、
のちに「原型」→「古層」や「執拗低音」と呼びなおし(67年度の講義「日本政治思想史」〜)、といった経緯があったようです。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 17:18 -

引用なし
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   tpkn さん:
> では、その人が「自分で決め」たことが押しつけになっているか
> なっていないか、その人はどうやって判断するのです?

他人に相談したり、他人の意見を参考にしたりもできますが、究極的には自分で考えるしかないでしょうが。

> 子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをき
> ちんとやります、という人は、自分で決めてそうしてたわけです。
> そこに「押しつけてませんか?」と問いかけて、反語ではないの
> だなんていうのは、日本語の理解としては全然落第ですよ。

あらかじめ考えを尽くして決定した人にはそんな呼びかけは必要ないでしょう。

しかし、たいした考えもなく惰性で「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」と考えてきた人には、本当にそれが良いのかどうか一度振り返ってみてはいかがでしょうか、と呼びかけることは有効だと思います。

> そんな想定が皆無なら、あるいは「それぞれ人の勝手」なのなら、
> いったいなんのために問いかけるのです?

『バックラッシュ!』インタビューの一番最初のところで、宮台真司さんがこう言っています。

>> 社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、
>> ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の
>> 消去」だけど、ジェンダーフリーは「社会的性別に関わる再帰性」
>> であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、ここしろ」とい
>> う直接的メッセージは本来、出てきません。まあ、再帰性という概
>> 念を知らない無教養者が──とりわけ後述するような不安な層が──
>> 騒いでいるだけの話ですね。

この説明を借りると、「基本のき」における「押し付けをしていませんか?」という問いかけにひな祭りや鯉のぼりが含まれていることは、ひな祭りや鯉のぼりをああしろ、こうしろという直接的メッセージではなく、ひな祭りを祝ったり鯉のぼりをあげたりすることの再帰性に自覚的になるよう呼びかけているということになります。

ところが tpkn さんの解釈は、ああしろこうしろという直接的メッセージでなかったのであれば問いかけ自体が無意味であるというもので、浅はかすぎて嘲笑すら起きません。

まぁ、そういう浅はかな読み方をする人が世の中に大勢いて誤解されてしまったという点では、戦略的に失敗であったのは確かですし、そもそも行政の啓発パンフ自体わたしは好きではありません。が、だからといって浅はかな読みが正しかったのだということにはなりませんね。

> そもそも「押しつけ」「決めつけ」なら悪いに決まってるでしょう。
> 誰だって人から押しつけられたり決めつけられたりするのはいやです
> し、それは個人の権利を侵害するものですから。

そう物事は簡単ではありません。教育や育児においては、ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことは容認されています。

そこにはいくつか理由があって、第一に社会の一員として必要な常識を身につけさせるために社会を代表してやっているのだという論理、第二に親は子どものためを思ってやっているのだという論理、第三に親が子どもをどう育てるかは親の権限だという論理。これらは無制限に認められるものではなく、いまあげた順番でより大きな制約を受けるようになっていますが、教育や育児において「押し付け」「決めつけ」一般が単純に悪いと言い切れるものではない。

だからこそ、「悪いと断定するわけではないけれど、一度振り返って考えてみてはいかがでしょうか」という「再帰性への気付き」を促す行為が意味を持つわけです。

> 《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違
> い》って、いったい私と芥屋さんとJosefさんと純子さんのうち、誰
> がそういうことを「読み取」っているのか、該当箇所を引用してみろ
> と言っただろう。それこそ、どこにも「証拠」ないじゃないか。

まとめが厳密であったことは認めますが、なにをムキになってるの。
実社会で関わりがないからいいけど、こういう人は恐ろしいなー。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 17:31 -

引用なし
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   > 何を問われているか全然わかってないですね。私が言ってい
> るのは、出所が明らかになってそれが「基本のき」に類する
> パンフと同じものだった場合、ですよ。

だから、提示してくれないと文脈が分からないので判断できないです。

提示したものについてわたしの判断がおかしいと言われるならともかく、ソースが分からない怪文書に過ぎないものについて仮定の質問に答えろだなんて無茶すぎます。

> でもあなたは、この図を私が提示した通り「基本のき」のもの
> と想定して、「×」の有無は無関係という論法で擁護したんですよ。

だって、「基本のき」の内容を見てみたら、ひな祭りがダメだという意味に解釈できるものは一切なかったわけですから、その中でイラストだけが違う意味を持っていると判断する方がおかしいでしょう。

でも、他のパンフであれば、もしかしたらひな祭りはダメだという内容が書かれているのかもしれません。だから、仮に「基本のき」と類似した(ようにあなたには見える)パンフであっても、具体的な文脈を検証しない限り判断できませんと言っているのです。

> 図というのは、本文に書いてあることを別の方法でシンボライ
> ズしてわかりやすく示すためのものだから、仮にジェンフリパ
> ンフに載っていたものだとしても、本文に「雛祭り=×」と
> はっきり書いてない可能性のほうが高いわけです。

だから、直接そう書いてなくても、そういう解釈が可能であれば証拠として認めますよ。

> 「×」も「イコール」もです。「イコール」が書いてないから
> 「ウソつき」だと言い、「例」と書いてないから「例示じゃな
> い」と言う揚げ足取りをするあなたは、ではいったいどんなも
> のを持ってくれば「証拠」と見なすのかと問うているのです。

イコールがついていない図の説明に勝手に「=」を付け足し、「例」と書いていない文面に勝手に「例」と付け足したのは、いくつかの異なる解釈が可能である元の描写の意味を一義的に狭める改竄です。そんないい加減な資料の扱い方で何かを論じないで欲しい。

> 「兵士は慰安所で慰安婦を強姦せよ」と書いた軍の命令書が必
> 要ですか?

もしそう書かれていない命令書に、引用者が勝手に書き足したら問題でしょう。いかにその「加筆」が歴史的事実と合致していたとしても、資料をそんな風に扱っていいはずがありません。そういうレベルの問題ですよ。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 17:36 -

引用なし
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   tpkn さん:
> はいどうぞ。
>
> http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/34/0000061634/32/img237947aaj86f17.jpeg
>
> 全然新しい実例でもなんでもないですがw

あのねー。

そもそもわたしは、「証拠」として挙げられているものとして「基本のき」「日本女性学会(細谷)」「怪文書」の3つをリストアップしていたわけですよ。それに加えて、4つ目の証拠として「ジェンダーチェック」がある、と言われたから期待してみてみたら、それは「基本のき」じゃないですか。同じ資料を複数の名前で呼べばどんどん「証拠」の数が増えるというものすごいマジックですね。

> 「ジェンダーチェック」とはどこにも書いてないからジェンダー
> チェックではないという、いつものアレですか?

いや、こればかりは tpkn さんの方がおかしいと誰が見ても思うでしょう。「基本のき」以外の資料として「ジェンダーチェック」があるというから見せてくださいと言ったら、実は「基本のき」を別の名前で呼んでいただけだったというオチですから。

ジェンダーチェックというからには、東京女性財団が発行していたパンフレット「ジェンダーチェック」シリーズや、それに類するものを期待していました。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 tpkn  - 06/9/27(水) 17:58 -

引用なし
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   macskaさん:

>> 「ジェンダーチェック」とはどこにも書いてないからジェンダー
>> チェックではないという、いつものアレですか?
>
>いや、こればかりは tpkn さんの方がおかしいと誰が見ても思うでしょう。

だからそんなことはわかってるってw

「ひな祭りが取り上げられているジェンダーチェックがあったんですか」なんてしょうもない返しに対する「揶揄のためのレトリック」ですよ、この質問こそね。失礼失礼w

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 tpkn  - 06/9/27(水) 18:13 -

引用なし
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   macskaさん:

>提示したものについてわたしの判断がおかしいと言われるならともかく、ソースが分からない怪文書に過ぎないものについて仮定の質問に答えろだなんて無茶すぎます。

だって内容に関する質問ではなくて、あなたの求めているもの(証拠としての条件)に関する質問なんだから、むちゃでもなんでもないでしょう。

>> でもあなたは、この図を私が提示した通り「基本のき」のもの
>> と想定して、「×」の有無は無関係という論法で擁護したんですよ。
>
>だって、「基本のき」の内容を見てみたら、ひな祭りがダメだという意味に解釈できるものは一切なかったわけですから、その中でイラストだけが違う意味を持っていると判断する方がおかしいでしょう。

であるなら、「×」があろうとなかろうと関係ないということじゃないですか、やっぱり。


>でも、他のパンフであれば、もしかしたらひな祭りはダメだという内容が書かれているのかもしれません。だから、仮に「基本のき」と類似した(ようにあなたには見える)パンフであっても、具体的な文脈を検証しない限り判断できませんと言っているのです。

そんなことに反論してませんて。お互いが「具体的な文脈」と誤解した上で、いちど議論を交わしているわけです。だとしたら、これから私がもってくるものがそういうたぐいのものだった場合、再度同じ議論をしても無意味なわけ。にもかかわらず「怪文書」だのなんだのと、出所を提示するようしつこく求めるのはいったい何のためだ?と言ってるわけです。


>> 図というのは、本文に書いてあることを別の方法でシンボライ
>> ズしてわかりやすく示すためのものだから、仮にジェンフリパ
>> ンフに載っていたものだとしても、本文に「雛祭り=×」と
>> はっきり書いてない可能性のほうが高いわけです。
>
>だから、直接そう書いてなくても、そういう解釈が可能であれば証拠として認めますよ。

だったら、「×」と書いたのもってこいと言う必要はどこにもないでしょう? 「そういう解釈が可能」かどうかを、あなたは図ではなく本文でやると言っている。「基本のき」に関する議論だけで十分じゃないですか。

>> 「×」も「イコール」もです。「イコール」が書いてないから
>> 「ウソつき」だと言い、「例」と書いてないから「例示じゃな
>> い」と言う揚げ足取りをするあなたは、ではいったいどんなも
>> のを持ってくれば「証拠」と見なすのかと問うているのです。
>
>イコールがついていない図の説明に勝手に「=」を付け足し、「例」と書いていない文面に勝手に「例」と付け足したのは、いくつかの異なる解釈が可能である元の描写の意味を一義的に狭める改竄です。そんないい加減な資料の扱い方で何かを論じないで欲しい。

これこそ揚げ足取りでしょう。だから私は「そういうなら文字の上から×を重ねて投稿してみろ」と言ったでしょう。問題の図を先に示して誰でも確認できるようにした上で、それを文字であらわすのに「=」であろうが「→」であろうが「重ねてある」という文章による叙述であろうが、それが「ウソ」や「改竄」などになるわけないでしょう。それともなにかね、この文字の何ミリ上に×の左上が来ていて、みたいな詳細な説明が必要ですか? くだらない揚げ足取りばっかしてんじゃねーっ角。

>> 「兵士は慰安所で慰安婦を強姦せよ」と書いた軍の命令書が必
>> 要ですか?
>
>もしそう書かれていない命令書に、引用者が勝手に書き足したら問題でしょう。いかにその「加筆」が歴史的事実と合致していたとしても、資料をそんな風に扱っていいはずがありません。そういうレベルの問題ですよ。

誰も図そのものに書き足したりしてませんけど? 図を示して「=」と説明したわけ。例示が全然間違ってるじゃん。というか、ここはすでに「加筆」の話じゃないんで、よく読み直してくださいね。

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 macska E-MAILWEB  - 06/9/27(水) 18:47 -

引用なし
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   > だって内容に関する質問ではなくて、あなたの求めているもの
> (証拠としての条件)に関する質問なんだから、むちゃでもな
> んでもないでしょう。

無茶ですよ。しかし、あらかじめ「証拠として認めない」と決めているということは断じてありません。どういう条件なら認めるかと言われても、1)あのイラストがあったというだけでは認められない、2)どういう文脈であれば認めるのかは事前に言い尽くせない、としか言いようがないです。

> にもかかわらず「怪文書」だのなんだのと、出所を提示するよう
> しつこく求めるのはいったい何のためだ?と言ってるわけです

違います、出所を求めているのではなく、怪文書は資料として採用できないので撤回しろと求めているのです。「基本のき」や「日本女性学会のサイト」であれば資料として採用したうえで内容を議論できますが、怪文書はそれ以前の段階であなた自身が撤回すべきです。

> だったら、「×」と書いたのもってこいと言う必要はどこにもな
> いでしょう?

だから、持って来いとは言っていないのです。
検証不可能な怪文書を持ち出すなと言っているのであって。

> 「そういう解釈が可能」かどうかを、あなたは図ではなく本文で
> やると言っている。「基本のき」に関する議論だけで十分じゃな
> いですか。

ひとつ、本文だけでなく図も議論の対象です。図だけを取り出して判断することは、「基本のき」からひな祭りの一言だけを取り出して判断するようなものであり間違いだとは思いますが、そういう図があるならそれも判断の一部になるに決まっているじゃないですか。

それから、別のパンフにその図が載っていたとして、内容が「基本のき」と同じとは限らない。もしかしたら、そのパンフこそが「ひな祭り否定」の証拠かもしれないじゃないですか。それは、個別に検証しないと分からない。

> だから私は「そういうなら文字の上から×を重ねて投稿してみろ」
> と言ったでしょう。問題の図を先に示して誰でも確認できるように
> した上で、それを文字であらわすのに「=」であろうが「→」であ
> ろうが「重ねてある」という文章による叙述であろうが、それが
> 「ウソ」や「改竄」などになるわけないでしょう。

「重ねてある」という文章による叙述が最も誠実だと思います。イコールや矢印は、ただ単に「重ねてある」より強い意味を持ちます。複数の解釈が可能な図を、ことさら強い意味だけに限定するように引用するのは誠実な引用だとは思いません。まぁ、意識してやったわけではない可能性を考えると、嘘つきというのは言い過ぎたかもしれません。とはいえ、無意識でそんなに自分の主張に都合のいいような改竄をやってしまうというのは論者としての能力の欠如を明らかにしていますが。

> それともなにかね、この文字の何ミリ上に×の左上が来ていて、み
> たいな詳細な説明が必要ですか? くだらない揚げ足取りばっかし
> てんじゃねーっ角。

く、くだらん…

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/27(水) 18:48 -

引用なし
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   macskaさん:

もう何もかもまったくダメですね。がっかり。

>> では、その人が「自分で決め」たことが押しつけになっているか
>> なっていないか、その人はどうやって判断するのです?
>
>他人に相談したり、他人の意見を参考にしたりもできますが、究極的には自分で考えるしかないでしょうが。

は? 「誰が判断するのか」ではなく「どうやって判断するのか」「何に照らして判断するのか?と聞いてるんですよ。「他人に相談したり」「他人の意見を参考に」って、それ、このパンフのことでしょう? このパンフを参考にしたら、どういう基準がそこに浮かび上がってきて、どういう場合に「押しつけ」だったと反省したりすることがありうるわけですか?


>> 子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをき
>> ちんとやります、という人は、自分で決めてそうしてたわけです。
>> そこに「押しつけてませんか?」と問いかけて、反語ではないの
>> だなんていうのは、日本語の理解としては全然落第ですよ。
>
>あらかじめ考えを尽くして決定した人にはそんな呼びかけは必要ないでしょう。

じゃあ「あらかじめ考えを尽くして決定」するようなことのない一般大衆にとっては、十分必要だとおっしゃるわけですね? 「なんのために」か依然としてはっきりしませんが。


>しかし、たいした考えもなく惰性で「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」と考えてきた人には、本当にそれが良いのかどうか一度振り返ってみてはいかがでしょうか、と呼びかけることは有効だと思います。

ちょっと待って。「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」が「あらかじめ考えを尽くして決定」ではなくて「たいした考えもなく惰性」かもしれないって判断はどこから出てくるわけ? 

この投稿でmacskaさんが言ってきたことって、要するに、親がたとえば政治的にナショナリスティックな伝統保持主義者(あらかじめ考えを尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要ない」ということになるんじゃないですか? それ、あなたの持論のフェミニズムともこのパンフの主旨とも、どんどんかけ離れていく一方ですけど? むしろまったく逆なんじゃないのかね?


>『バックラッシュ!』インタビューの一番最初のところで、宮台真司さんがこう言っています。
>
>>> 社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、
>>> ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の
>>> 消去」だけど、ジェンダーフリーは「社会的性別に関わる再帰性」
>>> であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、ここしろ」とい
>>> う直接的メッセージは本来、出てきません。まあ、再帰性という概
>>> 念を知らない無教養者が──とりわけ後述するような不安な層が──
>>> 騒いでいるだけの話ですね。
>
>この説明を借りると、「基本のき」における「押し付けをしていませんか?」という問いかけにひな祭りや鯉のぼりが含まれていることは、ひな祭りや鯉のぼりをああしろ、こうしろという直接的メッセージではなく、ひな祭りを祝ったり鯉のぼりをあげたりすることの再帰性に自覚的になるよう呼びかけているということになります。

自分では説明しきれなくなって宮台を持ち出してきたんだろうと思いますけど、「再帰性に自覚的になるよう呼びかけ」るって、それ、スターリニズムにも通じる危険な発想なんじゃないの? 要するに、「どこが悪いかは自分で考えろ」という無言の圧力だということでしょう? そしてそれができない者、考えてもわからない者、考えた結果悪くないと判断した者は「無教養」「不安な層」などとレッテル貼りされるわけだ。そんな宗教みたいな自省をうながす思想って、キモいじゃないの、リベラルの立場からすれば。

>ところが tpkn さんの解釈は、ああしろこうしろという直接的メッセージでなかったのであれば問いかけ自体が無意味であるというもので、浅はかすぎて嘲笑すら起きません。

おまけに「浅はか」と来た。そこに込められたメッセージを自分で説明もできないでいて、再帰性だのなんだのという言葉でごまかすしか能のない人々に、我々は「無教養」「不安」「浅はか」などと評価されるわけね。で、あなた方だけは、何が正しいか知っていると言うわけだ。なんだそりゃ、どこがリベラルなの?

ここでいう「再帰性」なんてのは、「個人の勝手」とほとんど同義でしょう。だいいち、いわゆるバックラッシュを含めた反論の数々が「再帰性に自覚的」になった結果ではないと、あなたは何を根拠に言えるわけ?

ごまかしてるだけじゃん。


>まぁ、そういう浅はかな読み方をする人が世の中に大勢いて誤解されてしまったという点では、戦略的に失敗であったのは確かですし、そもそも行政の啓発パンフ自体わたしは好きではありません。が、だからといって浅はかな読みが正しかったのだということにはなりませんね。

へいへい。そのパンフにどんなメッセージが込められているかはついぞ説明もできず、「再帰性に自覚的になれ」「自分で考えればいい」と言い、「自分で考えた」結果このパンフは間違っていると声を上げた多数よりも、自分たちのほうに「正しさ」があると主張する。しかしその根拠は示せない。

「再帰性に自覚的になれ」とは、あなたや宮台にまず向けられるべき言葉じゃないのかね、こういう場合。そういうわけのわからない難しい言葉じゃなくても、昔からもっとわかりやすい言い方があるわけ、日本語には。

「天に唾する」

ですよ。日本語忘れかけてるみたいだから、覚えておきなさい。


>そう物事は簡単ではありません。教育や育児においては、ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことは容認されています。

へ? それを振り返って「押しつけでないか考えろ」と言うのがこのパンフでしょうが。で、このパンフにもとりあげられている松戸市のふりーせる保育が、「ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことを拒否して、むちゃくちゃやって失敗してますよ。これはどこかの保育園が勝手にやったことじゃなくて、行政の政策として実験として行われたものです。


>そこにはいくつか理由があって、第一に社会の一員として必要な常識を身につけさせるために社会を代表してやっているのだという論理、第二に親は子どものためを思ってやっているのだという論理、第三に親が子どもをどう育てるかは親の権限だという論理。これらは無制限に認められるものではなく、いまあげた順番でより大きな制約を受けるようになっていますが、教育や育児において「押し付け」「決めつけ」一般が単純に悪いと言い切れるものではない。
>
>だからこそ、「悪いと断定するわけではないけれど、一度振り返って考えてみてはいかがでしょうか」という「再帰性への気付き」を促す行為が意味を持つわけです。

だとすれば、そこに雛祭りや鯉のぼり、洋服の色なんかを持ち出す意味全然ないですね。


>> 《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違
>> い》って、いったい私と芥屋さんとJosefさんと純子さんのうち、誰
>> がそういうことを「読み取」っているのか、該当箇所を引用してみろ
>> と言っただろう。それこそ、どこにも「証拠」ないじゃないか。
>
>まとめが厳密であったことは認めますが、なにをムキになってるの。
>実社会で関わりがないからいいけど、こういう人は恐ろしいなー。

はいはい、例によって相手を悪魔化してごまかしですか。そのくせ、この回答からは《「以下の行為は一つ残らず全てやめるべきだ」を読み取るのは間違い》というあなたの言葉は妥当だったのかどうなのか、いっこうにわかんないんですけど。

あなたの言論の妥当性について「気づき」をうながすために引用してみろと言ってるんであって、それに対して「怖い」とか「(相手が)ムキになってる」とか言うのは、あなた自身が「再帰性という概念を知らない無教養者」だということにすぎないんじゃないの?

一般の良き母親・父親たちが大事な子供を育てるにあたって「再帰性を自覚できないゆえに無教養」なんて言われることの恐ろしさにくらべれば、あなたが感じる恐ろしさなんて屁でもないでしょうよ。

ダウンタウン
 芥屋  - 06/9/27(水) 19:01 -

引用なし
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   >ひな祭りが取り上げられているジェンダーチェックがあったんですか。
>これは新しい実例なので、具体的に引用してくれませんか?

>>はいどうぞ。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/34/0000061634/32/img237947aaj86f17.jpeg
>>全然新しい実例でもなんでもないですがw

>あのねー。
>そもそもわたしは・・・ウンタラカンタラ・・・いや、こればかりは tpkn さんの方がおかしいと誰が見ても思うでしょう。ウンタラカンタラ・・・

とほうもないボケにナイスなツッコミだと笑えたんですがw
大阪生まれ福岡育ちなのに、アメリカの田舎に長くいるとアメリカンジョークでしか笑えなくなるものなのかな・・・。

こういうこと↓ですばい?

maっちゃん「えええーっ!雛祭り取り上げてるジェンダーチェックとかあったんかぁ?!そりゃまた新しい話や、見せぇ見せぇ!!」
とぷ浜ちゃん「・・・プププ、ほら、見てみぃ、これジェンダーチェックやないんか?新しいもんちゃうねんで?」
maっちゃん「な、何やねんこれーっ!これさっきまで見てたやつやんかぁ!ひとつも新しないやんか!」
とぷ浜ちゃん「おまえは今まで何の話しよるつもりやったんかぃ!!

Re:『尻に敷かれた雛祭り』
 楽俊  - 06/9/27(水) 19:23 -

引用なし
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   macskaさんは無意識のうちに、ブログやBBSの閲覧者たちに自分の「虚言」や「妄言」を押し付けるような態度をとっていませんか? ふり返ってみましょう。

Re:美意識の問題化(美観と蔑視
 Josef  - 06/9/27(水) 19:36 -

引用なし
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   macskaさん

宮台氏とmacskaさんとは「再帰性」の使い方が違っていますね。
宮台氏が「私が私の為すことを意識し、自覚的・主体的に選択している状態」というほどの意味で使っているのに対して、macskaさんは「ある行為が以前の同一の行為に影響されて行われ、次なる同一の行為を呼び起こす」といった反復性を指しているように思われます。

それはともかく、ここでの議論とは無関係な話でしょう。「ジェンフリとは」という一般論ではなく、具体的に存在する例のパンフがどういうメッセージを受け手に伝えるか(=受け手はどう理解するのが普通か)、という話ですから。

「再帰性に自覚的であれ」(macska用法による)なんてこと、パンフにはそれこそどこにも書いてない。以前にも「ジェンフリ推進論者の主張に内在的な部分」と書いてたのもそうですが、自分の願望するジェンフリを前提にしてパンフを読むから無いものが見えてしまうのでしょう。

Re:画一的な多様主義(実存と虚妄)
 純子  - 06/9/27(水) 20:10 -

引用なし
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   >macskaさん:
>純子さん:

>どうして「基本のき」に問題があるとしたら、東京女性財団の責任になるんでしょうか? 理解不可能です。

そうか、「東京都女性財団」が、ほぼ、同内容のパンフレットを配布していた記憶があったので、そちらと混同していました。失礼。案外、×がついているのは、東京女性財団のものかも……

>また、仮に東京女性財団の出版物に問題があったとしても、廃止するのではなく内容を改めるという方法もあったはず。

廃止されて、東京女性財団以外の都民は(女性も含めて)誰も困ってない。必要な仕事は都の職員が引き継いでやっているし……。つまり無駄な財団法人だったわけです。唯一変わったのは、ウィメンズプラザで、フェミの女性団体だけでなく、八木さんたちも集会が開けるようになったくらいか……(^^)

>ですね。それなのに、ごく一部の幼稚園が独自の判断でひな祭りを中止したことをもって騒いでいるバカがいるのですが。

たぶん保護者の方が、「度はずれてる」と思ったのでしょう。廃止の理由が、「ひなまつりは、子供の将来の可能性を奪うから……」だったら、私でも正気を疑いますよ。

>いや、独自の判断でひな祭りを行なうのが自由であるように、現行のひな祭りが問題だと主張するのも自由でしょう。日本女性学会(細谷氏)の見解がそれですね。

表現するのは自由ですが、それを批判するのも自由です。「日本女性学会っていかがわしい」と思うのも自由ですし、こういう考え方は嫌だし、問題あるなーと思うのも自由。なぜ、そう感じるのか、その正体を見極めてやろうと、いろいろと議論するのも自由ですね。

>「基本のき」のようなパンフが問題とされるのは、それが税金により発行されているからですね。すなわち、民間の人がそれぞれの意見を自由に述べるのは良いとして、政府の予算で特定の意見を宣伝するのはおかしいのではないかと。

特定の意見であり、同時にその意見が常軌を逸していて、行政のパンフレットにふさわしくないと……。「ひなまつりは、子供の将来の可能性を奪う……」

>しかし、実際にパンフを読んでみると、「男らしさ・女らしさを押しつけていないかふりかえってみましょう」と書かれているだけで、ひな祭りが問題だとは書かれていない。

>「書いてしまっているじゃん」という話。いや、そういう意図はなかったと、言っても、そう読みとれるじゃん。
それは保守派のデマだと主張したところで、まったくの無根拠ならデマはこれほど広がらない。つまりフェミニスト側は、状況証拠はふんだんに提供してきたんですよ。今まで……。

> 許容範囲でしょう。

現に、国民の許容範囲を越えてしまったんですね。だから大騒ぎになったし、パンフの配布も中止されたし、行政側のジェンダーという用語の自主規制も始まってしまった。
芥屋さんはじめ、みなさん、もうその「許容範囲」を越えてしまった理由はなにか? いったい日本社会における許容範囲の基準はどこにあるのか? などを議論しはじめているのに、macskaさんだけが許容範囲だからたいしたことないじゃないかと言っている。

基本の、き
 芥屋  - 06/9/27(水) 20:45 -

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   >macskaさん:
>何を自省するかはそれぞれの人の勝手ですし、どう行動するかだってその人が自分で決めることでしょう。そんなことまで指図されるいわれはないし、パンフはそんな指図はしていません。

いえ、しています。というか、自省すべきことをなさない者に、他人が自省を促すことが必要な場合も多いです。あなた、セクハラをしていないか自省する話はどうなったの?うん?そういう自省に有用なパンフと等価の関係にあるのが、このパンフで自省を促している子育てに関する項目なんだろ?

>というより、鯉のぼりだけ取り上げて「どう自省するのだ」というのはおかしいですよ。トータルな子育ての中であのリスト全体を見た人が、「そういえば…」と考えるきっかけになればそれで良いのでは。鯉のぼり自体を問題としている内容ではないのだと何度言えば分かりますか?

そういうのをトータリタニアズム(全体主義)と言うんです。ここでまた、全体主義体制になってないじゃないかとか馬鹿論理をかまさないようにね。自由主義社会であれば全体主義的な思想も「言論の自由」を利用して出てくるんだから、「それが出てきている」という批判をしているのに、「その体制が反対者を弾圧している」という批判であるかのようにすりかえて、「どこにそんな弾圧が発生しているか!妄想だ!」というプロパガンダでごまかすのはいかんよ。そりゃ最悪だ。

民主主義というのは根源的には、どうしたって全体主義と隣合わせだろう?全体主義というのは、いわば「影」じゃないか、民主主義の。それを防ぐかに見える自由主義というのも、実は全体主義の畑にしかならないんだ、全体主義を摘むためには自由主義だけでは立ち行かないんだよ。今あなたが相手にしているのは、ポチホシュでもブサヨクでもクソウヨでもないんだ、こんな情けないこと言わせるなってば。それこそ近代思想の「基本のき」じゃないか。

フェミシェヴィキ
 芥屋  - 06/9/27(水) 20:59 -

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   こっちにレスつけ忘れてますた。論理的な矛盾点は既にtpknさんとJosefさんが書いてるので、同じこと書いても仕方ないし、カジュアルに趣向を変えます。

>macskaさん:
>> ロクに理解もできてない人間が訳知りで書くことくらいあるだろうが。
>
>ありますね。

そのとおり。で、どのように「ロクに理解もできていない」かというと、前スレであなたも言うように、

>子育てのやり方を変えることが目的なんだと思ってましたが… まぁ、パンフの著者がジェンダーに否定的な印象を持っていて、それを前提として疑いもしなかったということは事実でしょう。

といったようなことですよ。ジェンダーに否定的な印象を持っていて、それを前提として疑いもしなかった啓発者が、子育てのやり方を変えることを目的に書いてる。そんな馬鹿げた子育て論が未熟極まりないし、そういう行政手法が危険きわまりないわけです。

>> そういう未熟な内容があれば誤まった理解を広めるに決まってるだろう。
>
>あのパンフが未熟な内容であり、間違った理解を広めるおそれがあるというならその通り。だからわたしもくだらないパンフだと何度も言っています。

いや、あなたが言うのは「ジェンダーフリーに対する間違った理解を広めるおそれがある」でしかないので、「くだらなさ」であっても認識が違うわけよ。私が言うのは「子育てに関する誤った理解を広める」なの。ここでいう「誤った理解」の主語と述語を正確に書けば、あなたは「読者が誤った理解をする」なんだろうけど違うんだよ。「啓発側が誤った理解をしている」のであって、そんなのが「子育てのやり方を変えることを目的」に、おかしな思想を「押し付けて」くるな、ということね。

>しかし、パンフに問題があるからといって、どのような批判をしても正当だということにはならない。わたしはパンフを全体として擁護あるいは支持しているわけではなく、ある特定の批判が不当であると指摘しているのです。

そこであなたが言う、ある特定の批判とは、あのような思想が誤っているという批判のことね。それが不当だと言うために妄想だ曲解だと言ってるわけ。じゃぁ聞くが、親が子に男らしさ女らしさを求めたり教えたりするのは妄想なのか?当たり前なんだよ。目の前にいるのは男の子であり女の子じゃないか。人並みにしっかりした子になってほしい、その子らしくもあってほしいという中に、女の子なら女らしさも含まるじゃないか、その子は女の子じゃないのか。女の子だから雛祭りのお祝いをしよう、女の子らしい可愛いお洋服を買ってあげたいな、そういうのは、押し付けとは言わない。決め付けでもない。そりゃあ、やりすぎはいかんよ?まして「あなたのためを思って」と言いつつ親の見栄とか意地とかだけだったりしたら何にもならん。だから昔から言うじゃないか、過ぎたるは及ばざるが如し、と。そんなことはあんたたちから説教されるような言われはないんですよ。

>もちろん、文面に直接書かれていない意図があるという解釈だって可能です。が、そうした解釈が一般的だと主張するのであれば、それなりの論証がなければならない。それをすっ飛ばして、自分がこう解釈したから文面とは無関係に意図はこうなのだと決めつけているのがあなたの論法です。

あなたはずっとそこでとどまっているね。「例と書いてないから例ではない」だとか、くだらない詐術を駆使したのは、あなたなんだよ。でもそういう詐術を除けば、あなたもまた素直に読んでの論であることを、私は認めるよ?他の人もそうだろう。

まだわかんないの?いや、あなたのような頭のいい人に、わからないわけがない。少なくとも今ここで投稿している誰もが、素直に書いてあることだけ読んで、正確に読み取ってるんだ。その結果、評価として意見が対立してるんだよ。ところがあなたは必死になって、評価以前の読解の問題を続けよう、何とかして誤解や曲解だということにしようとしてるわけ。その挙句が「そのように読むのは妄想だ!」。こんな連中によって子育てに介入されたくないし、介入させてはならない、そう思うのが正当であって、不当なのはあなたの(政治的行為の遂行としての)言論なんです。

>意図が文面通りであると解釈するには、特別な論証は必要ありません。論証が必要なのは、文面通りではない解釈を主張する側であるはずです。

「文面通りではない解釈を主張する側」は、あなたが正面から答えだしたことによって、もはやこの板には一人としていないよ。こちらの解釈が文面通りである根拠は、どこにでもいる普通の親の親心だよ。それが文面通りでないんだという、あなたの思想的な根拠は?

>いくら「素人に誤解されるおそれの高い」文章だったからといって、素人が誤解した通りの意味であったという事にはなりません。

苦笑するほかないのだが、圧倒的に素人なのは、あなた。子育てを何だと思ってるの?あん?ジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとかか?ど素人のくせに青臭い書生論ぶっこいてんじゃねぇよ(プ

インテリゲンツィアがボリシェヴィキになってしまった先例にでも思いを馳せればどうだい?

Re(1):美意識の問題化(名詞と形容詞)
 芥屋  - 06/9/29(金) 21:44 -

引用なし
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   >macskaさん:
「男らしくしろ女らしくしろ」:美的な行動を実践するよう求める

この段階が何らかの圧迫を伴う場合のみを批判しているとのことですが、それならば、どのような圧迫の存在を想定しているのか、それを明らかにしなければなりません。また、そのような圧迫の事実にもとづいてなされる批判でなくてはなりません。つまり、私が改めたような主張でないとおかしい。再掲します。

>>さて、個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。そこで、もっともよくある「男ならこう」「女ならこう」という規範的な男女観を考えましょう。
>>
>>まず第一に、「男らしくない」「女らしくない」についてですが、これは美的評価ではあっても制度ではありません。やや規範的に共有されている部分も主観的な好みの部分もあり、様々です。もちろん迫害されなくても実際に恋愛や交際などにおける不利益が存在することなら指摘できます。しかし「従来通りのひな祭りを家庭において祝わなかったために雇用差別を受けた」例は現実には存在しないでしょうし、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さなかったために雇用差別を受けた人もおそらくいないでしょうから、同列にはならべられない。もし万一こうしたことがあっても、それは個別に発生した不当な事例でこそあれ、それを「差別」とすることはできません。*そう考えるべき理由については、下記URLを参照してください。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_tree?base=2351&range=1
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=739;id=keya1984
>>
>>第二に、「夫の役目」「妻の役目」についてですが、これは雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした制度上さまざまな社会設計が行なわれていることにより、「夫の役目」「妻の役目」という固定観念に従わない(従えない)人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、夫婦分業制に従わない生き方を選択した(せざるを得なかった)人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。

これに反論はありますか?ありもしない差別をでっちあげて反差別だと僭称するような言説はむしろ反差別の障害になりますので、公の場ではしかるべく叩かれるべきです。ましてそのような誤った差別論によって、政治的に介入させてはなりません。なぜなら、いみじくもあなたが言われるように、

>圧迫というのは、もちろん文字通りの命令だけではない。というか、何の権力も暴力も持たない人が口先で命令するよりも、権力を持つ人の無言の圧力の方がよっぽど圧迫になるということがあり得ますから、文字通りの命令にこだわる必要はない。権力による命令のほかにも、経済的な圧迫、規範としての圧迫、アーキテクチャによる制約などがあり、それらが一律に禁止されるべきだとは思いませんが、その中のある部分については政策による介入の対象としてもおかしくない。どのような介入なら認めるのかは別の議論になりますが、「人々の内面には立ち入らない」が原則です。

そのとおりだからです。

なお、

>ところでわたしは思うんですが、そんなにわたしのことをアメリカニズムだと言うのであれば、行政が人権啓発事業を行なうのは非常に日本的だとは思いませんか? アメリカ的なやり方は、雇用・住居差別禁止とかの法律をズバッと作ってしまい、あとは法廷に任せるというもので、わたしはそれを支持しているのですが、日本の人権行政はそういうズバッというやり方はしていません。男女共同参画やその他の人権行政が、共同体主義的な啓発的アプローチを続けたために、脱共同体化・アメリカ化した現代の日本人が「ウザイ」と反発するようになってきたという側面はないでしょうか。

これについてmacskaさん自身から
http://d.hatena.ne.jp/macska/20060927
それに対して私からブログのほうへ、
http://d.hatena.ne.jp/keya1984/20060927

↑この部分は新スレへ。
 芥屋  - 06/9/29(金) 22:09 -

引用なし
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   移しますた。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=871;id=keya1984

Re(1):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 1:06 -

引用なし
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   tpknさん:
> は? 「誰が判断するのか」ではなく「どうやって判断するのか」
> 「何に照らして判断するのか?と聞いてるんですよ。

だから、このパンフはそんなことを一律にこうだと決めつける内容ではないと言っているのです。

まぁ、あえて言えば、ジェンダーに関わらず子どもに何かを押しつけた場合、子どもが嫌な思いをしたり、別の方向に伸びる可能性を押さえつけたりしてしまう可能性があるでしょう。「子育てはジェンダーフリーで」という部分を読むと、そういう事態が「ふさわしくない」という考えをパンフの著者が持っていることは分かります。つまり、弊害があるかもしれない(と著者が考えている)からこそ、「考えてみましょう」という呼びかけがあるわけですね。

しかし、「ひな祭りのどこに弊害があるのだ」と短絡的に問い詰めても意味がありません。問題はひな祭りではなく、ひな祭りなどの祝い事を含めた育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し付けをやっていませんか、考えてみましょう、ということですからね。

そして、それを読んで実際に自省するかどうか、考えるかどうかというのは、明らかに読者の自由です。また、考えた結果、子育てをどう変化させるかあるいはしないかというのも、もちろん読者の自由。行政が特定の育児方針(「男らしさ・女らしさを押しつけない」)を「望ましいもの」として提示するのはウザイといえばウザイけど、この程度のウザさは行政パンフにありがちなものです。また、「男らしさ・女らしさの押し付け」に弊害があるのかどうかという点で異論もあるでしょうが、それは別の問題なので別の機会に論じてください(わたし自身は、弊害があると強く主張するつもりはないです)。

> じゃあ「あらかじめ考えを尽くして決定」するようなことのない一般
> 大衆にとっては、十分必要だとおっしゃるわけですね? 「なんのた
> めに」か依然としてはっきりしませんが。

「そんな呼びかけは必要ない」という批判はアリだと思います。わたしが論じているのはそんな部分ではなく、あのパンフがひな祭り否定の文化大革命かどうか、全体主義かどうかです。論点を逸らさないように。

> ちょっと待って。「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子な
> ので雛祭りをきちんとやります」が「あらかじめ考えを尽くして決定」
> ではなくて「たいした考えもなく惰性」かもしれないって判断はどこ
> から出てくるわけ?

えー、そんなのごく当たり前では。

むしろ、もしあなたが「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」が常に「あらかじめ考えを尽くして決定」であるかもしれないという判断をしているなら、どうしてそんな想定ができるのか知りたいです。わたしの感覚では、全ての親が常に育児におけるあらゆる行為を「あらかじめ考えを尽くして決定」しているかもしれない、などとはとても想定すらできないのですが。

> この投稿でmacskaさんが言ってきたことって、要するに、親がたとえ
> ば政治的にナショナリスティックな伝統保持主義者(あらかじめ考え
> を尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要な
> い」ということになるんじゃないですか?

まぁ、どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無効ではないでしょう。しかし、それなりの考えがあって決めた育児方針に対して行政があれこれ口出しするというのは、よほどの事情(子どもを虐待している、など)がない限りふさわしくないと思います。

> 「再帰性に自覚的になるよう呼びかけ」るって、それ、スターリニズ
> ムにも通じる危険な発想なんじゃないの?

思想というのは危険なものです。反ファシズムを掲げていてもファシズムに陥ったり、反スターリニズムを掲げていてもスターリニズムに陥ったりする例があるのはご存知でしょう。思想を持つ人は、自分がそうならないように十分注意すべきですし、他者からの批判に謙虚になるべきです。

> ここでいう「再帰性」なんてのは、「個人の勝手」とほとんど同義で
> しょう。

あー、全然違うよ。呆れた。

宮台の説明をちょっと引用したら、早速宮台とわたしの立場を同一視しだすし、どうしようもないね。

Re(1):ダウンタウン
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 1:07 -

引用なし
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   どうでもいいですが、
> 大阪生まれ福岡育ちなのに
東京生まれ大阪育ちです。住んだ期間ではオレゴンが一番長いですが。

Re(1):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 1:10 -

引用なし
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   純子さん:
> 廃止されて、東京女性財団以外の都民は(女性も含めて)誰も困って
> ない。必要な仕事は都の職員が引き継いでやっているし……。つまり
> 無駄な財団法人だったわけです。

それが純子さんの評価であるというのは分かりましたが、廃止に反対した人たちはそれなりに何か必要なことをやっていたと思っているわけでしょう? わたし個人にとっては別に東京女性財団なんてどうでもいいんですが、都民でも利用者でもないのでどっちとも言えません。(ただ、もし女性センター的なものが必要なら、民間で設立するのがスジだと思います。日本は税制や非営利団体の制度が違うので難しいですが…)

> たぶん保護者の方が、「度はずれてる」と思ったのでしょう。

はい、だからそれは都民が東京女性財団の是非を自由に論じればよいように、保護者を含めたその幼稚園の関係者が自由に論じて決めれば良い話だと思うのですよ。外部からひな祭りをやめさせようとする不当な圧力がなかったという事実だけ確認できれば十分です。ありがとうございました。

> それは保守派のデマだと主張したところで、まったくの無根拠ならデ
> マはこれほど広がらない。つまりフェミニスト側は、状況証拠はふん
> だんに提供してきたんですよ。今まで……。

はい、だからジェンフリ派はもっと気をつけるべきだったという戦略的アドバイスならその通り。でも、いかにデマが広がるような状況証拠を提供してしまったとしても、それはデマが事実ということにはならないわけですよ。また、少しばかりの事実を含んでいたとしても、それを拡大誇張して宣伝されたデマが正しいということにもならない。たくさんの人が信じたら事実ということにもならない。デマはどうしてもデマなんです。

しかも、そうしたデマの拡散に、政権与党や主要な政治家までもが関わっているわけですよ。行政パンフの押し付けがましさを批判するなら、どうして与党や有力政治家がデマを宣伝していることを批判しないのか。

Re(1):基本の、き
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 1:12 -

引用なし
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   > そういうのをトータリタニアズム(全体主義)と言うんです。

あのですね、「トータルな子育ての中で」と言ったからといってそこから「全体主義」に結びつけてしまうほどあなたは頭悪くないでしょう?

> ここでまた、全体主義体制になってないじゃないかとか馬鹿論理をかま
> さないようにね。

そんな事言っていません。全体主義的な主張があるというならその実例を挙げろと言っているのですよ。「基本のき」が素晴らしいパンフだとは思わないけれど、全体主義の例だなんて言われてもバカらしくて話にもなりません。しかも、「トータル」とか「全体」という言葉を使った途端「それが全体主義だ!」なんて、言葉遊びじゃないんだからさ。

「全体主義に繋がる危険がある」という程度であれば、どんな思想だって多少の危険はあるんです。それを繋げないための自覚や監視が必要だというなら分かるのですが、だからその思想は駄目だと言い出せば「思想なんて持ってはいけない」ということになってしまいますよ。

Re(1):フェミシェヴィキ
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 1:15 -

引用なし
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   芥屋さん:
> そんな馬鹿げた子育て論が未熟極まりないし、そういう行政手法が危険き
> わまりないわけです。

全然危険じゃないでしょ。呼びかけているだけなんだから。それを言い出したら、行政が出している他のパンフも片っ端から「危険きわまりない」と言っていかなくちゃいけないですよ。ジェンフリがどうとかこのパンフがどうという問題ではない。サヨクの「軍靴の音が聞こえる」じゃないんですから、ヒステリックに「全体主義」を叫ぶのはやめるべきでは。

> そこであなたが言う、ある特定の批判とは、あのような思想が誤っている
> という批判のことね。

違います。「基本のき」の思想が全体主義的であるという批判がおかしいと言っているのです。内容が誤っていると批判するのはいいから、全体主義だとか文化大革命だとかいうくだらない描写はやめてくれと。

> そんなことはあんたたちから説教されるような言われはないんですよ。

わたしはパンフの著者と何の関係もないので、わたしがそういう説教をしているように言うのはやめてください。

> 「例と書いてないから例ではない」だとか、くだらない詐術を駆使したのは、
> あなたなんだよ。

またそれだ。「例ではない」とわたしが言いましたか? 言っていませんね。わたしが言ったのは、つまり例だともそうでもないとも解釈可能な文面なのに、元の文面になかった文字を加筆することで、例だという自分の解釈だけしか許さない形に改竄したことを批判しているのです。なぜなら、それは不誠実な論法だからです。

というわけで、

> でもそういう詐術を除けば、あなたもまた素直に読んでの論であること
> を、私は認めるよ?

詐術を行なったのは、改竄した人の方です。もとの文面は、例だとする解釈の他の解釈も可能な文面だったのに、わざわざ改竄することによりそれ以外の解釈可能性が排除されたわけですから。

> こちらの解釈が文面通りである根拠は、どこにでもいる普通の親の親心だ
> よ。それが文面通りでないんだという、あなたの思想的な根拠は?

文面をそのまま読むと、「ふり返ってみましょう」とは書かれているけれども、これらは間違っているからやめましょう、とは書かれていません。あなたの解釈が「普通の親の親心」に基づくものだとしたら、そういう解釈が可能かもしれないということは否定しませんが(「普通の親の親心」なんて曖昧な表現されても検証不可能だもんなー)、やはりそれは文面通りの解釈とは言えません。文面通りというなら、「ふり返ってみましょう」としか書かれていないのですからね。

> 苦笑するほかないのだが、圧倒的に素人なのは、あなた。子育てを何だと
> 思ってるの?あん?ジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとかか?
> ど素人のくせに青臭い書生論ぶっこいてんじゃねぇよ(プ

何を根拠にわたしが「圧倒的に素人」だと決めつけているのかわかりませんが、そもそもわたしはジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとか言っていません。わたしはパンフを評価しないと何度も言っているのですから、パンフの著者とわたしを同一視するのはやめてください。

Re(2):美意識の問題化(名詞と形容詞)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 2:16 -

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   芥屋さん:
> この段階が何らかの圧迫を伴う場合のみを批判しているとのこと
> ですが、それならば、どのような圧迫の存在を想定しているのか、
> それを明らかにしなければなりません。

えーと、よく分からないのですが、芥屋さんは「一般的に言われる『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)ために、雇用差別を受ける」という例が「おそらくない」という主張なのでしょうか? それとも、そういう例はあるけれども、わたしが常々主張している「差別」の定義には含まれない、という主張でしょうか。どっちなのかはっきりしません。

前者の主張だった場合ですが、端的に事実として間違いです。たとえば、男性ならば「元気が良い、積極的」と肯定的に評価されるようなコミュニケーションスタイルが、女性であるというだけで「うるさい、自己顕示欲が過剰」と否定的に評価されるということがあります。こうした評価を受けるということは、ただそう思われるというだけで済む話ではなく、面接で失格になったり昇進を絶たれたりする理由の一端と成り得るわけですから、非常に大きな実害があります。もちろん、男性が「男らしい」コミュニケーションスタイルを取らないために低評価を受けることもありますし、問題は狭義のコミュニケーションスタイルに限った話でもありません。

後者の主張だった場合ですが、これはこうした「ジェンダーの規範」がシステムかどうかという議論になります。システムであるということは、リンク先にも書いていますが、社会的条件と個々の行動のあいだに相互を強化する循環が成り立っているかどうかということです。おさらいをすると、たまたまどこかの会社のワンマン社長が「うちの会社はどんなに優秀でも阪神ファンの入社は認めない」と決めたとしても、それはわたしの定義では差別とは呼ばない。なぜならそれは単なる偶発的な個人の趣味であり、制度によって引き起こされたものではないし、制度にフィードバックするわけでもないからです。

ジェンダーの規範によって異なった扱いをするということは、「男らしさ」「女らしさ」という、内容に多少のブレはあってもだいたいの部分で社会的に広く共有された認識によって引き起こされたものであり、また「男らしくない男や、女らしくない女は雇用しない(昇進させない)」といった行為が「男らしさ」「女らしさ」という特定の認識を強化することが明らかです。つまり、広く共有された「男らしさ」「女らしさ」という認識と、「男らしくない男や、女らしくない女を低く評価し扱う」とう行為のあいだに循環が成立している。よって、これをわたしはシステム的な意味でいう「差別」であると考えるわけです。

逆に、これとよく似ていて「差別」ではない例を考えてみましょう。例えばある会社で、「牡羊座の男性と蟹座の女性は採用しない」というポリシーがあったとします。言うまでもなく、そうしたポリシーは理不尽ですし、男性であれば採用されたはずの蟹座の女性が、女性であるばかりに不採用となったりすることもあります。しかし、牡羊座の男性と蟹座の女性を特に不当に扱うような社会的な制度や認識は存在しません。だから、男女で違った扱いになろうと、この例はわたしの定義するところの「ジェンダーの規範による差別」とは呼ばないのです。(ただし、牡羊座と蟹座の出現頻度が極端に違う場合、どちらかの性の採用を増やすための方法と見なされるおそれもあります。)

「ジェンダーの規範による差別」を、わたしは「性別による差別=セクシズム」と区別して「ジェンダリズム」と呼んでいます。女性にとっては「女性であるということで不利益を受ける」という点でセクシズムもジェンダリズムも区別がつきにくいですし、現実問題としてジェンダリズムがセクシズムを支えている(男性と女性によって違った規範があるだけでなく、違った規範が性差別的に作用する)面もあるので区別しなかった傾向もあるのですが、男性や同性愛者・トランスジェンダーの人たちの置かれた状況を分析するうえでは両者を分けて考えるのが有用だと思います。

というわけで、これでも疑問があれば、前者の主張なのか後者の主張なのか明らかにしたうえでよろしくお願いします。

差別の定義云々は、ブログでエントリにすべきですね。
なんだかいろいろなところで引用されているのですが、掲示板のログでは引用しにくいでしょうし、まとまった形で読めた方が良いと思うので。

Re(2):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/9/30(土) 2:28 -

引用なし
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   macskaさん:

>> は? 「誰が判断するのか」ではなく「どうやって判断するのか」
>> 「何に照らして判断するのか?と聞いてるんですよ。
>
>だから、このパンフはそんなことを一律にこうだと決めつける内容ではないと言っているのです。

ですから。あなたがこのパンフを読んで、雛祭りの項目と絡めて「自省」する場合があるとしたらどういう場合か?ということですよ。何に照らして何を自省するのかってこと。

>まぁ、あえて言えば、ジェンダーに関わらず子どもに何かを押しつけた場合、子どもが嫌な思いをしたり、別の方向に伸びる可能性を押さえつけたりしてしまう可能性があるでしょう。「子育てはジェンダーフリーで」という部分を読むと、そういう事態が「ふさわしくない」という考えをパンフの著者が持っていることは分かります。つまり、弊害があるかもしれない(と著者が考えている)からこそ、「考えてみましょう」という呼びかけがあるわけですね。

その呼びかけに雛祭りや鯉のぼりの例示がどう関わってくるのかと聞いてるんですよ。なんで「ジェンダーに関わらず」なんて話を始めるわけ? 私が「押しつけ」は悪いに決まってると書いたら、《ある程度親や教員が子どもに対して「押しつけ」「決めつけ」を行なうことは容認されてい》るとあなたは答えたでしょう? 


>> じゃあ「あらかじめ考えを尽くして決定」するようなことのない一般
>> 大衆にとっては、十分必要だとおっしゃるわけですね? 「なんのた
>> めに」か依然としてはっきりしませんが。
>
>「そんな呼びかけは必要ない」という批判はアリだと思います。わたしが論じているのはそんな部分ではなく、あのパンフがひな祭り否定の文化大革命かどうか、全体主義かどうかです。論点を逸らさないように。

全然それてませんけど。「そんな呼びかけは必要ない」という立場に立てば、ありもしない、あるいは問題にすべきでない程度の「押しつけ」「決めつけ」をさも大層なことであるかのようにでっち上げて、自分達の思想を押しつけているようにしか読めません。《ごく当たり前》のことを、「疑え」「振り返れ」「自省せよ」と言い募るのなら、「文化大革命みたい」と言われてもしかたないですね。そしてそれは、行政権力を使った思想の押しつけという意味でも、あるいはたとえ行政とは無関係であっても、全体主義的としか言いようがないです。


>むしろ、もしあなたが「子供が男の子だから鯉のぼり上げます、女の子なので雛祭りをきちんとやります」が常に「あらかじめ考えを尽くして決定」であるかもしれないという判断をしているなら、どうしてそんな想定ができるのか知りたいです。わたしの感覚では、全ての親が常に育児におけるあらゆる行為を「あらかじめ考えを尽くして決定」しているかもしれない、などとはとても想定すらできないのですが。

当たり前ですよ。あなたが「あらかじめ考えを尽くして決定」なんてヘンテコな想定を出してきたことがおかしいと言ってるわけ。そしてそうしないことが《ごく当たり前》なのなら、別に振り返る必要なんかないじゃん。むしろ、自分のジェンダーとそういう社会慣習とのギャップという形でしか各々のジェンダー観というのは認識できないわけだから、親はできるだけ《ごく当たり前》に近いことをやってたほうがいいんじゃないの? もちろん、あえて特異なジェンダー観を持つ子に育てたいというなら話は別ですよ。でも大多数の親はそんなことは望んでないだろうし、そもそも親が望んでコントロールすべき問題じゃないでしょ、それ。


>まぁ、どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無効ではないでしょう。しかし、それなりの考えがあって決めた育児方針に対して行政があれこれ口出しするというのは、よほどの事情(子どもを虐待している、など)がない限りふさわしくないと思います。

要するに伝統的保持主義者がその呼びかけに従って「考えを改め」たら、その呼びかけは「有効」だったということでしょう? あなた自身のこのパンフの解釈も、ジェンダー観の「変化」を有効とみなしてるんでしょうが。これ、揚げ足取りだと思いますか? 

>> 「再帰性に自覚的になるよう呼びかけ」るって、それ、スターリニズ
>> ムにも通じる危険な発想なんじゃないの?
>
>思想というのは危険なものです。反ファシズムを掲げていてもファシズムに陥ったり、反スターリニズムを掲げていてもスターリニズムに陥ったりする例があるのはご存知でしょう。思想を持つ人は、自分がそうならないように十分注意すべきですし、他者からの批判に謙虚になるべきです。

それ、天唾ですから。

私が言っているのは、もっと具体的に言えば「何が罪かは自分で考えさせる。しかし権力は問いかけるのみで問いには答えない。そして、有形無形の圧力をかけて罪を自覚させる」というやり方のことですよ。「罪」とは既存のジェンダー観、「有形無形の圧力」とは、この啓発パンフそのもののこと。

>> ここでいう「再帰性」なんてのは、「個人の勝手」とほとんど同義で
>> しょう。
>
>あー、全然違うよ。呆れた。

罵倒してりゃ反論したことになると思ってるんなら、甘いですね。「立場を同一視」て、んなもんこっちには興味もないですよ。

あなたはこのパンフが呼びかけていることに関して「何を自省するかはそれぞれの人の勝手」「一律にこうだと決めつける内容ではない」「自分で考えるしかない」と言っていて、それは宮台の言葉を借りれば「再帰性に自覚的になるよう呼びかけているということ」だと書いている。

あなたの書いている論理に従う限り、「再帰性に自覚的になる」ことと「それぞれの人が勝手に自省する」ことは同じことを指していることにしかならないんですけど。だから「ここでいう」とわざわざ書いてるわけ。

>宮台の説明をちょっと引用したら、早速宮台とわたしの立場を同一視しだすし、どうしようもないね。

あなたが持ち出した「再帰性」が宮台の言うそれと同じ意味なのなら、その点に関する両者への批判は同じ批判になるというごく当たり前の話でしょう。違う意味なんだったら、「立場」の違う宮台の言葉などいちいち持ち出してこずに自分で説明しなさい。というか、宮台こそ「ヲイヲイ…」と思うんじゃないの、これ読んだら。

文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/9/30(土) 2:49 -

引用なし
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   >サヨクの「軍靴の音が聞こえる」じゃないんですから、ヒステリックに「全体主義」を叫ぶのはやめるべきでは。

いや、それはヒステリックに「ジェンダーフリー」を叫んだことに対する反動なんですって、文字通り。「日本のフェミニズムはヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ」という歴史的事実をまず認めてから言わないと、お話にならないです。

あなたがほんとうに「思想を持つ人は他者からの批判に謙虚になるべき」と思うのなら、「バックラッシュは妄想」という下らないプロパガンダをやめて、文字通りの反動としてちゃんと受け止めるべきでしょう。それをやらない限り、全体主義だとかファシズムだとかいう批判はずっと有効なままですよ。

「×」について
 tpkn  - 06/9/30(土) 3:06 -

引用なし
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   macskaさん:

>違います、出所を求めているのではなく、怪文書は資料として採用できないので撤回しろと求めているのです。「基本のき」や「日本女性学会のサイト」であれば資料として採用したうえで内容を議論できますが、怪文書はそれ以前の段階であなた自身が撤回すべきです。

自分自身で保留にしてますけど。別にあなたや他の誰かに指摘されたわけじゃなくて、最初に自分で気づいたときにちゃんと指摘してるでしょ。「×」がないからこれは違うかもしれないと。でも出してしまった以上は、間違いだとはっきりわかるまで撤回もできないです。それも無責任なので。

だけどまあ自分でも出所がなんなのか知りたいので、これは継続して探しておきます。今のところ、感触としては「啓発パンフ」の可能性と保守派の本の図版の可能性が五分五分ぐらいかもしれないと思っています。

>「重ねてある」という文章による叙述が最も誠実だと思います。イコールや矢印は、ただ単に「重ねてある」より強い意味を持ちます。

んなことないでしょう。普通は重ねてあるほうが意味強いと思いますよ。交通標識の禁止標識見りゃ一目瞭然でしょう。

> 複数の解釈が可能な図を、ことさら強い意味だけに限定するように引用するのは誠実な引用だとは思いません。まぁ、意識してやったわけではない可能性を考えると、嘘つきというのは言い過ぎたかもしれません。とはいえ、無意識でそんなに自分の主張に都合のいいような改竄をやってしまうというのは論者としての能力の欠如を明らかにしていますが。

だから、そもそも同列に比べられない図版と文章を強引に比較して、しかも「重ねてあるよりイコールのほうが意味が強い」という、一般的には全然そんなことは言えないのになぜかmacskaさんだけに都合のよい基準を勝手につくって「改竄」と言うなら、「嘘つきは言い過ぎ」と言ったって無意味でしょうが。どっちにしろ図そのものは示してあるわけだから。

あなた、どうしても相手が「ウソ」ついたとか「改竄した」とか言い張りたいだけでしょう。少なくとも、図そのものに手を加えているわけではなく、それを提示した上で文章で説明しているにすぎないんだから「改竄」というのは用法として明らかな間違いです。ほんと、日本語忘れてんじゃないの?


>> それともなにかね、この文字の何ミリ上に×の左上が来ていて、み
>> たいな詳細な説明が必要ですか? くだらない揚げ足取りばっかし
>> てんじゃねーっ角。
>
>く、くだらん…

というわけで、この図に関しては保留。調査中ということで。

Re(3):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 3:44 -

引用なし
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   tpknさん:
> ですから。あなたがこのパンフを読んで、雛祭りの項目と絡めて
> 「自省」する場合があるとしたらどういう場合か?ということで
> すよ。何に照らして何を自省するのかってこと。

わたし個人がどう自省するかですか? わたしはジェンダーフリーとは関係なくそもそもひな祭りを祝う慣習がないので、その項目によって何かを自省することはないでしょう。現実にひな祭りを祝う家庭では、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが。

tpkn さんに質問ですが、「基本のき」からひな祭り・鯉のぼりの項目を取り除いたら、あとはOK(あるいは、批判があるにしても別の批判になる)ですか? わたしはひな祭り・鯉のぼりの項目にそれほど大きな意味を見いだしてはいないのですが、なんだか極端にそればかりにこだわっておられるようなので…

> 「そんな呼びかけは必要ない」という立場に立てば、ありもしな
> い、あるいは問題にすべきでない程度の「押しつけ」「決めつけ」
> をさも大層なことであるかのようにでっち上げて、自分達の思想
> を押しつけているようにしか読めません。

わたしから見ると、「基本のき」の記述は「ウザイ」レベルの話なので、それを文化大革命だとか全体主義のようにさも大層なことであるかのようにでっち上げている側の方が、自分たちの思想を押しつけているように見えます。

そもそも、そんなに気軽に「でっち上げ」という言葉をあなたが使うのであれば、わたしがバックラッシュ勢力の主張が「デマや誇張である」と言ったことをどうしてそんなに問題視するのか分かりません。ジェンフリのパンフなんて読まなければそれで済む話だし、せいぜいウザイ行政パンフができて税金と資源の無駄遣い程度の問題でしかないでしょ。

> そしてそうしないことが《ごく当たり前》なのなら、別に振り返
> る必要なんかないじゃん。

それで弊害がないという立場に立てば、そうでしょうね。しかしパンフの著者は、育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、「振り返ってみましょう」と呼びかけるくらいは不自然ではありません。

ですから、「弊害がない」という立場の人が、パンフは前提が間違っているから問題であるとか、合理的根拠を欠いていると批判するならご自由にどうぞ。しかし、ある人から見て「合理的でない」からといって全体主義的であるという評価まではかなり距離があります。

>> まぁ、どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考
>> えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無
>> 効ではないでしょう。しかし、それなりの考えがあって決めた
>> 育児方針に対して行政があれこれ口出しするというのは、よほ
>> どの事情(子どもを虐待している、など)がない限りふさわし
>> くないと思います。
>
> 要するに伝統的保持主義者がその呼びかけに従って「考えを改め」
> たら、その呼びかけは「有効」だったということでしょう? あ
> なた自身のこのパンフの解釈も、ジェンダー観の「変化」を有効
> とみなしてるんでしょうが。これ、揚げ足取りだと思いますか? 

はい、揚げ足取りというか、揚がってもいない足を無理矢理持ち上げるような詭弁です。

どこが揚げ足取りかというと、わたしは「パンフの呼びかけは、伝統主義者ではなく無意識にジェンダーの規範を再生産している親に向かって、一度意識的に考えてみましょうと呼びかけるものだ」と主張しています。そのうえで、意識的に伝統主義を選択した人たちに向かって「考えを改める」ような呼びかけも、「どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はある」から無効ではない、と書きました。

この書き方から明らかなように、わたしが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」と、後半に出てくる「呼びかけ」は、内容が全然違うのです。後者の呼びかけは「ジェンダー観の変化」を目的としていますが、前者はそうではありません。そして、後者についてはよほどの事情がない限り行政がすることではないと書いている。このように目的が違う2つの「呼びかけ」を、あなたは混同しています。

この部分は単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤回してください。

> それ、天唾ですから。

思想を持つ人、というのはもちろん自分も含めて言っているので、天唾ではないでしょう。

> 私が言っているのは、もっと具体的に言えば「何が罪かは自分で
> 考えさせる。しかし権力は問いかけるのみで問いには答えない。
> そして、有形無形の圧力をかけて罪を自覚させる」というやり方
> のことですよ。「罪」とは既存のジェンダー観、「有形無形の圧
> 力」とは、この啓発パンフそのもののこと。

パンフは「既存のジェンダー観」そのものが駄目だとは書いていないですし、あんなパンフが圧力だというのもバカらしいです。「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。一昔前のサヨクじゃあるまいし、どうしてそう極端な表現をしなくちゃ気が済まないのかなぁ。

Re(1):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 3:53 -

引用なし
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   tpknさん:
>> サヨクの「軍靴の音が聞こえる」じゃないんですから、ヒステ
>> リックに「全体主義」を叫ぶのはやめるべきでは。
>
> いや、それはヒステリックに「ジェンダーフリー」を叫んだこ
> とに対する反動なんですって、文字通り。

第三者が「tpknさんがヒステリックに『全体主義』を叫ぶのは、フェミニストが『ジェンダーフリー』をヒステリックに叫んだことに対する反動なんだから、理解してあげようよ」と言うなら「そうだね」と思わないでもないですが、本人自ら「自分がヒステリックに騒いでいるのは、他者のヒステリーに対する反動である」と言われてもなぁ(笑) 結局、自分の言論はヒステリックなサヨク・ジェンフリ派と同じレベルだと言っているようなものじゃないですか。

> 「日本のフェミニズムはヒステリックにジェンダーフリーを叫
> んだ」という歴史的事実をまず認めてから言わないと、お話に
> ならないです。

フェミニズム全体じゃないですが、フェミニストの中にヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ人がいたのは事実でしょう。そんなの認めるも何も、当たり前の認識でしょうが。

> あなたがほんとうに「思想を持つ人は他者からの批判に謙虚に
> なるべき」と思うのなら、「バックラッシュは妄想」という下
> らないプロパガンダをやめて、文字通りの反動としてちゃんと
> 受け止めるべきでしょう。それをやらない限り、全体主義だと
> かファシズムだとかいう批判はずっと有効なままですよ。

いかに「フェミニズムのヒステリックに対する、ヒステリックな反動」であったとしても、妄想は妄想ですよ。妄想だからとバカにするのではなく、どうしてそういう妄想及びヒステリアが生じるのかを考えるべきだというなら、それには同意します。

最後の文ですが、ジェンフリ派に対する全体主義だとかファシズムだという批判が有効かどうかはジェンフリ派の主張内容で判断すべきであり、わたしがその批判をどのように評価するかということとは無関係なはずです。要するにあなたの言うことは、「確かに自分はヒステリックに騒いでいるけれど、どうして自分がそんなにヒステリックになっているのか理解してくれない限り、ずっとヒステリックなまま叫び続けるぞ」と恫喝しているのと同じ。恥ずかしくないのかな。

パラノイア
 芥屋  - 06/9/30(土) 7:13 -

引用なし
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   >macskaさん:

>サヨクの「軍靴の音が聞こえる」じゃないんですから、ヒステリックに「全体主義」を叫ぶのはやめるべきでは。

>> いや、それはヒステリックに「ジェンダーフリー」を叫んだことに対する反動なんですって、文字通り。「日本のフェミニズムはヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ」という歴史的事実をまず認めてから言わないと、お話にならないです。

>フェミニズム全体じゃないですが、フェミニストの中にヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ人がいたのは事実でしょう。そんなの認めるも何も、当たり前の認識でしょうが。

その一例が、このパンフに代表されるような視点からの、子育てのトータルな見直しを呼びかけることがヒステリーと呼ばれているんですよ。そういうヒステリックな思想に対する批判について「デマだ!」「曲解だ!」「妄想だ!」「教養のないやつが騒いでいるだけ!」などなどヒステリックにプロパガンダを張っているのが、あなた。ヒステリーを通り越してパラノイア。

>> あなたがほんとうに「思想を持つ人は他者からの批判に謙虚になるべき」と思うのなら、「バックラッシュは妄想」という下らないプロパガンダをやめて、文字通りの反動としてちゃんと受け止めるべきでしょう。それをやらない限り、全体主義だとかファシズムだとかいう批判はずっと有効なままですよ。

>「確かに自分はヒステリックに騒いでいるけれど、どうして自分がそんなにヒステリックになっているのか理解してくれない限り、ずっとヒステリックなまま叫び続けるぞ」と恫喝しているのと同じ。恥ずかしくないのかな。

それもあなた。つうか、ここんとこ自己投影レス多すぎなので、「鏡に映った己の姿に叫ぶ」語録でも作ろうかな。

Re(2):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/9/30(土) 8:06 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> ですから。あなたがこのパンフを読んで、雛祭りの項目と絡めて「自省」する場合があるとしたらどういう場合か?ということですよ。何に照らして何を自省するのかってこと。

>わたし個人がどう自省するかですか? わたしはジェンダーフリーとは関係なくそもそもひな祭りを祝う慣習がないので、その項目によって何かを自省することはないでしょう。現実にひな祭りを祝う家庭では、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが。

ほれ見て御覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしてない人が「やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?」と。したがってtpknさんの質問は、「そんな政治思想を自省したら?」ということ。

私たちはフェミニズムとは関係なくそもそも伝来の慶弔事をあげつらう非常識さがないので、その項目によって何かを自省することはないでしょう。現実に全体主義的な思想の押し付けだと批判されるフェミニストは、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが。

>わたしから見ると、「基本のき」の記述は「ウザイ」レベルの話なので、それを文化大革命だとか全体主義のようにさも大層なことであるかのようにでっち上げている側の方が、自分たちの思想を押しつけているように見えます。

そりゃ文革ばりの全体主義者からすれば、自分達は正しいことを言ってるのに誤った慣習を押し付けられているんだと見えるからでしょう。

>そもそも、そんなに気軽に「でっち上げ」という言葉をあなたが使うのであれば、わたしがバックラッシュ勢力の主張が「デマや誇張である」と言ったことをどうしてそんなに問題視するのか分かりません。

そんなことを主張するから問題にされるんですよ、当たり前。

>しかしパンフの著者は、育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、「振り返ってみましょう」と呼びかけるくらいは不自然ではありません。

そういう思想の人々が日常の文化・慣習・・・ましてや親には子育てまでもトータルに自省させよう、子供には学校でそのような思想を学ばせようとするんですから、まごうことなき全体主義的思想なんですよ。

>パンフは前提が間違っているから問題であるとか、合理的根拠を欠いていると批判するならご自由にどうぞ。しかし、ある人から見て「合理的でない」からといって全体主義的であるという評価まではかなり距離があります。

いや、「合理主義を浅はかに身に着けた馬鹿」が、合理主義について原理主義化して生活習慣の総チェックを企図してるんだから、距離は非常に近いですよ。

>どこが揚げ足取りかというと、わたしは「パンフの呼びかけは、伝統主義者ではなく無意識にジェンダーの規範を再生産している親に向かって、一度意識的に考えてみましょうと呼びかけるものだ」と主張しています。そのうえで、意識的に伝統主義を選択した人たちに向かって「考えを改める」ような呼びかけも、「どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はある」から無効ではない、と書きました。

そういうことでしょうね。雛祭りなどに、伝統主義者並みの強い思い入れがあるわけでもなくごく普通に行っている人は「お上がこう言ってる」「そういう法律が出来てる」に弱いわけですよ。そういう一般的な人たちをこそ、行政を通じたターゲットにしているわけなんだから。だからそれをわかってるから、こうして気付いた人たちから批判されてるんです。

>パンフは「既存のジェンダー観」そのものが駄目だとは書いていないですし、

当たり前でしょう。「ジェンダー」という言葉を中立的には用いていないんだから。あなたも認めるように、

>子育てのやり方を変えることが目的なんだと思ってましたが… まぁ、パンフの著者がジェンダーに否定的な印象を持っていて、それを前提として疑いもしなかったということは事実でしょう。

そんな人たちが、「無意識にジェンダーの規範を再生産している親」とみなした普通の人々に、

>トータルな子育ての中であのリスト全体を見た人が、「そういえば…」と考えるきっかけになればそれで良いのでは。

などと考えて国法とそれに準じた行政を通じて啓蒙しようとする。

>あんなパンフが圧力だというのもバカらしいです。「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。一昔前のサヨクじゃあるまいし、どうしてそう極端な表現をしなくちゃ気が済まないのかなぁ。

だってあなたが言うとおり、

>圧迫というのは、もちろん文字通りの命令だけではない。というか、何の権力も暴力も持たない人が口先で命令するよりも、権力を持つ人の無言の圧力の方がよっぽど圧迫になるということがあり得ますから、文字通りの命令にこだわる必要はない。権力による命令のほかにも、経済的な圧迫、規範としての圧迫、アーキテクチャによる制約などがあり、それらが一律に禁止されるべきだとは思いませんが、その中のある部分については政策による介入の対象としてもおかしくない。どのような介入なら認めるのかは別の議論になりますが、「人々の内面には立ち入らない」が原則です。

ね、これをtpknさんは「天に唾する」と言ってるわけ。

おっと、出勤時間だ!残りのレスはまた後で。

「雛祭りの実害」・・・
 芥屋  - 06/9/30(土) 8:14 -

引用なし
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   しっかし・・・

>「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。

↑こりゃ見れば見るほどスゲーヤスゴイデス。完全に文革だわ。

Re(1):パラノイア
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 8:59 -

引用なし
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   芥屋さん:
> その一例が、このパンフに代表されるような視点からの、子育ての
> トータルな見直しを呼びかけることがヒステリーと呼ばれているん
> ですよ。

ヒステリーというのはもちろん比喩的な表現ですが、表現内容ではなく表現スタイルを揶揄する言葉ではないのでしょうか。例えば、感情的に非論理的なことをわめき散らし、議論をしようにもまったく聞く耳を持たない、というような状態に陥っているとき、その人はヒステリックに騒いでいる、と表現すると思うのです。

ジェンダーフリーの視点から子育てのあり方を見直そうという呼びかけは、それ自体ヒステリックだとは思いません。もちろん、そうした呼びかけを行なう個々の主体がヒステリックにそれを訴えているという実例はあるでしょうが、まったく同じ呼びかけを理性的に行っている人だっていても不思議ではありません。現に、このパンフの著者がヒステリックであるようには見えない。

芥屋さんはここで、「ヒステリー」という言葉の意味をわたしとはかなり違った意味で使っているのでしょうか? 見直しを呼びかけることが即ヒステリーというのは、非常に不思議な表現だと思います。

> そういうヒステリックな思想に対する批判について「デマだ!」「曲
> 解だ!」「妄想だ!」「教養のないやつが騒いでいるだけ!」などな
> どヒステリックにプロパガンダを張っているのが、あなた。ヒステリー
> を通り越してパラノイア。

ヒステリックな思想という表現が上記の通りよく分かりませんが、ヒステリックに主張する人に対する批判であれば、例えば tn さんがジェンダーフリーに批判的な論者を片っ端から統一教会の信者だとかなんとか決めつけて理不尽な叩き方をしていることを再三批判しているように、わたしもそうした批判を行なっています。

わたしが「デマだ!」と指摘しているのは、ですから「ヒステリックな主張に対する批判」一般に対して行なっているのではなく、保守でも左翼でもフェミでも関わり無く、デマであるとわたしが判断した主張についてそう指摘しているわけです。したがって、この記述はまったく不当だと思います。

> それもあなた。

パンフの内容が「全体主義だとかファシズムだとかいう批判」が有効かどうかは、わたしが「くだらないプロパガンダをやめる」かどうかに依存しないはずです。それなのに、わたしが「くだらないプロパガンダ」をやめない限りそうした批判は「ずっと有効なまま」というのは明らかにおかしいです。

だから、それはおかしいじゃないかと指摘しているのに、論理的になんの反論もせずに「恥ずかしくないのかな」という部分だけに反応して「オマエモナー」と答えるとは、お前は3年前の2ちゃんねらーかよと言いたくなります。

Re(2):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 純子  - 06/9/30(土) 9:54 -

引用なし
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   >macskaさん:

>しかも、そうしたデマの拡散に、政権与党や主要な政治家までもが関わっているわけですよ。行政パンフの押し付けがましさを批判するなら、どうして与党や有力政治家がデマを宣伝していることを批判しないのか。

逆に、関わっているらしいという状況証拠以外に、直接に、政権与党や主要な政治家がデマを宣伝していた例を挙げてみてください。「世界日報」とか「つくる会」とかは、一部の支持者ではあっても与党でも政治家でもないからね。

かなり過激な山谷えり子さんでも、さすがに国会の発言とかを見る限り、言葉にすごく注意をはらっているのがわかります。政権与党はさすがに狡猾だよ。

Re(3):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 12:03 -

引用なし
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   芥屋さん:
> ほれ見て御覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお
> 祝いをしてない人が「やってる人は自省してみたら?思い当たるこ
> とあるんじゃない?」と。

わたしの発言を不当に捩じ曲げています。

わたしは、自分はひな祭りなんてどうでも良いし、そんな呼びかけもしていないと何度も言っているじゃないですか。そして、お前ならどう自省するのかと聞かれたから、自分はひな祭りをそもそも祝わないので自省することはないと答えたうえで、「現実にひな祭りを祝う家庭では、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが」と書いたのです。

ところがあなたは、その文面を読んで、わたしが「やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?」と呼びかけているように捩じ曲げています。しかし元の文面をどう読んでも、「ひな祭りを祝っている人がそう呼びかけられたとしたら、もしかしたら何か思い当たることがあるかもしれないと想像している」だけであって、何らそういう呼びかけを行なってはいません。

もしかしたら単純な読み間違えなのかもしれません。そうでしたら、すみやかに訂正をお願いします。そうでないなら、わたしがいつどこで呼びかけたのか明示してください。

残りの部分も、わたしの意見とパンフの意見(であるとわたしが解釈して説明しているもの)を混同して批判するばかり。もしわざとやっているのでなければ、もうちょっと落ち着いてわたしの文章を読んでくださいね。これマジでお願いします。

Re(1):「雛祭りの実害」・・・
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 12:09 -

引用なし
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   芥屋さん:
>> 「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな
>> 祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。
>
> ↑こりゃ見れば見るほどスゲーヤスゴイデス。完全に文革だわ。

あのさ、文面の一時だけ見て反応するのいい加減にやめてくれませんか? 撤回してね。

もし自分の発言に自信があるというなら、一体どこがどう文革なのか説明してみなさいよ。

Re(3):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/9/30(土) 13:32 -

引用なし
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   純子さん:
> 逆に、関わっているらしいという状況証拠以外に、直接に、政権与党
> や主要な政治家がデマを宣伝していた例を挙げてみてください。

もっとも大規模なものに、自民党による「過激な性教育・ジェンダーフリー教育に関する実態調査」が挙げられます。

http://www.jimin.jp/jimin/daily/05_10/19/171019e.shtml

これによると、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(事務局長・山谷えり子氏)が独自に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育」について全国調査したところ、問題となるような「過激な性教育・ジェンダーフリー教育」の実例が約3500例みつかったとしています。

そのうち主な「実例」のリストとして自民党が挙げているのが以下のページです。

http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html

これによると、アンケートフォームへの回答数が1220件、その他の意見が2300件ということですから、「実例約3500例」と数字が合っています。

しかし自民党各議員に配られたという「県別事例集」という冊子を見ると、回答とされている中にはとても「実例」とは言えない単なる漠然とした意見や、自民党に対する激励や批判、あるいは性教育やジェンダーフリー教育を支持する意見までもがかなり多く含まれているのです。 chiki さんが以下のページで検証していますが、実体験だけでなく伝聞情報を含めたとしても実際の「実例」ははるかに少ないです。

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060305/p1
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051112/p1

これによると、伝聞情報も含めた「ジェンダーフリー」の実例はかなり甘く見ても50件程度で、しかも回答は同室着替えや男女混合騎馬戦などの事例が「あるかないか」だけを調査したものであり、それらがジェンダーフリーの方針によって導入されたものだと関連づける情報は一切ありません(現に、のちの文科省調査で、同室着替えの理由は設備不足と大人の無神経によるもので、ジェンダーフリーの方針から同室着替えにした例はゼロと確認されました)。

にもかかわらず、自民党は今も「約3500件の実例」を唱え続け、だからジェンダーフリー教育は脅威であると主張しているわけです。これがデマ宣伝ではないと言うつもりでしょうか?

さらに言うと、この調査は質問票自体、問題の深刻さを印象づけるような設問になっていたり、調査への協力依頼とともに各議員に『新・国民の油断』が配布されるなど、事実を調査するために行なったというよりは、ジェンダーフリーを叩くための口実を求めて行なったと見なさざるを得ないメソドロジーを採用しています。そこまでしても望むような結果が得られなかったわけですが、これもデマ工作の一部だと言えるでしょう。

まあ、マスコミが自民党の発表そのままに「3500件の実例」と報道しているところを見ると、「政権与党はさすがに狡猾」という点についてはさすがに同意せざるをえません。もし純子さんが「言質を与えない」という意味で狡猾だと言ったならば、それは違いますが。

県別事例集は、chiki さんのサイトのどこかにあったと思いますが、見つかりません。
わたしも持っているので、実際に読んでみたいという方がいたらメールください。

Re(1):『尻に敷かれた雛祭り』
 ザッ感れす  - 06/9/30(土) 21:18 -

引用なし
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   ・出産祝い: ピンクの産着 
 これへの反発は、マネー理論に依拠しているとも取れるが、同時にそれは生物学的特長でもあると思う(女児は青より赤が好き)。

・ぐずっていると「女の子は育てやすいはずなのに」
 これは先入観への反省材料、育てやすさと性別との因果関係が確率的なものにすぎないことへの気づきのきっかけでもあるはず。

・プレゼントのおもちゃ: ままごとセット、お人形、お化粧セット
 これは生物学的特長である可能性が大。定型的だというなら解らなくはないけど、ゴミにされたくないから確率が尊重されるだけでしょう。

・赤いランドセル
 これも生物学的特長でもある。

・休み時間は教室でおしゃべり
 これは生徒自身の選択としか考えられないし。

・習い事: ピアノ、習字、バレエ
 これも自然な傾向が反映された可能性が高いと思う。

・協調性があっておもいやりのある子に
 これは男女共通事項。

・金銭や物を大切にする心を
 これも男女共通事項。男は物を壊すことや無駄遣いを奨励されたりはしない。

・少女マンガは恋愛もの
 これは明らかに子ども自身の選択。

そして、まるで↑の環境(?)からの必然的帰結であるかのように、マンガの吹き出しに↓が描かれているんだけど、この推論(?)は、ホントーなのかあ〜?

:::::::::::::::::::
好きな人には尽くしたい      ::   
おしゃれがしたい         ::
もっとやせたい          ::
困ったときには誰かに助けてもらう ::
すぐに泣いたほうがかわいい    ::
:::::::::::::::::::

(´・ω・`)。oO(これでは「押しつけるような子育てをしていませんか? ふり返ってみましょう」ってったってふり返りようがないじゃん?)

思うに
 楽俊  - 06/9/30(土) 22:17 -

引用なし
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   パンフへの反発や違和感は、無理な例示の羅列から滲み出る、生物学的性差(特徴)があってはならないという「規範」に対する反発かも知れませんね。
実際、"無地の石板(ブランクスレート)"が隠れた前提になっているように読めますよ。

趣旨的には理解できる部分もあるんだけど、やっぱあれはちょっとマズいですよ。

あっ
 楽俊  - 06/9/30(土) 22:22 -

引用なし
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   HN「ザッ感れす」は楽俊です。(^^ゞ

Re(4):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:00 -

引用なし
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   いやさ、こういう↓プロパガンダはもう飽きたのよ。

>もっとも大規模なものに、自民党による「過激な性教育・ジェンダーフリー教育に関する実態調査」が挙げられます。
>
>http://www.jimin.jp/jimin/daily/05_10/19/171019e.shtml
>
>これによると、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(事務局長・山谷えり子氏)が独自に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育」について全国調査したところ、問題となるような「過激な性教育・ジェンダーフリー教育」の実例が約3500例みつかったとしています。
>
>そのうち主な「実例」のリストとして自民党が挙げているのが以下のページです。
>
>http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html
>
>これによると、アンケートフォームへの回答数が1220件、その他の意見が2300件ということですから、「実例約3500例」と数字が合っています。
>
>しかし自民党各議員に配られたという「県別事例集」という冊子を見ると、回答とされている中にはとても「実例」とは言えない単なる漠然とした意見や、自民党に対する激励や批判、あるいは性教育やジェンダーフリー教育を支持する意見までもがかなり多く含まれているのです。 chiki さんが以下のページで検証していますが、実体験だけでなく伝聞情報を含めたとしても実際の「実例」ははるかに少ないです。
>
>http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060305/p1
>http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051112/p1
>
>これによると、伝聞情報も含めた「ジェンダーフリー」の実例はかなり甘く見ても50件程度で、しかも回答は同室着替えや男女混合騎馬戦などの事例が「あるかないか」だけを調査したものであり、それらがジェンダーフリーの方針によって導入されたものだと関連づける情報は一切ありません(現に、のちの文科省調査で、同室着替えの理由は設備不足と大人の無神経によるもので、ジェンダーフリーの方針から同室着替えにした例はゼロと確認されました)。
>
>にもかかわらず、自民党は今も「約3500件の実例」を唱え続け、だからジェンダーフリー教育は脅威であると主張しているわけです。これがデマ宣伝ではないと言うつもりでしょうか?
>
>さらに言うと、この調査は質問票自体、問題の深刻さを印象づけるような設問になっていたり、調査への協力依頼とともに各議員に『新・国民の油断』が配布されるなど、事実を調査するために行なったというよりは、ジェンダーフリーを叩くための口実を求めて行なったと見なさざるを得ないメソドロジーを採用しています。そこまでしても望むような結果が得られなかったわけですが、これもデマ工作の一部だと言えるでしょう。
>
>まあ、マスコミが自民党の発表そのままに「3500件の実例」と報道しているところを見ると、「政権与党はさすがに狡猾」という点についてはさすがに同意せざるをえません。もし純子さんが「言質を与えない」という意味で狡猾だと言ったならば、それは違いますが。
>
>県別事例集は、chiki さんのサイトのどこかにあったと思いますが、見つかりません。
>わたしも持っているので、実際に読んでみたいという方がいたらメールください。

3500どころじゃないだろ、「過激な実例」という標本の集め方が稚拙だからこれくらいしか集まってない、ということに過ぎないわけね。そりゃ「男女共同参画社会推進」という政権与党の立場からすれば、仕方のないことであって。

ましてや何が50件だよ、アフォか。以下、過激ではない実例が穏便に処理された実例。我が家の話ね。

子「・・・ねぇ。男と女の違いなんて無いん?」
妻「は?違わんわけないやん。何でそんなこと言うん?」
子「いや、学校で」
私「おまえ、違わんと思うか?」
子「ぜんっぜんっ違うと思う!」
妻「そう、まったく違うんやけね。それがわからん男にならんでね?」
(この後、妻より男と女の違いについて、女の立場から縷々説明が有り)

Re(2):ダウンタウン
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:08 -

引用なし
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   >macskaさん:
>どうでもいいですが、
>> 大阪生まれ福岡育ちなのに
>東京生まれ大阪育ちです。住んだ期間ではオレゴンが一番長いですが。

「故郷」というと、過ごしたことのある福岡だと書いていたような気がしましたが、記憶違いだったかも。

Re(2):基本の、き
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:10 -

引用なし
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   >macskaさん:

>あのですね、「トータルな子育ての中で」と言ったからといってそこから「全体主義」に結びつけてしまうほどあなたは頭悪くないでしょう?

もちろん。本件に関するあなたのトータルな主張の中で、散りばめられた言葉の全体を総合して「あなたがたのジェンダー思想は全体主義に陥ってしまっている」と考えます。

>しかも、「トータル」とか「全体」という言葉を使った途端「それが全体主義だ!」なんて、言葉遊びじゃないんだからさ。

そのとおり(全笑)

>「全体主義に繋がる危険がある」という程度であれば、どんな思想だって多少の危険はあるんです。それを繋げないための自覚や監視が必要だというなら分かるのですが、だからその思想は駄目だと言い出せば「思想なんて持ってはいけない」ということになってしまいますよ。

それは「全体主義に利用される危険がある」という意味で「繋がる」と言っているんですか?

それならば確かに、どんな思想だって多少の危険はあるんです。それを繋げさせないための自覚や監視が必要だというなら分かるのですが、利用される危険があるからその思想は駄目だと言い出せば「思想なんて持ってはいけない」ということになってしまいますね。

しかし、ある思想それ自体が「全体主義に陥りつつあり危険」であるときには、当然にその批判を受けることになる。だからと言って私はその時点で全否定したりはしません。そういう相互批判抜きには立ち行かないでしょう、民主主義と全体主義の表裏の関係を考えれば。ところがその相互的自浄作用を拒絶したり批判そのものを誹謗するようならば「その思想は駄目だ」と言わねばなりません。そう言ったからといって「思想なんて持ってはいけない」ということにはなりません。

*何だか、カルト性を批判された新興宗教の信者が「だったらどんな宗教にだってカルト化する危険はあるじゃないか。そんなこと言い出せば信心なんて持つなということになる。宗教弾圧だ!」と言いたがるのと酷似していて、大変にキモイです。

Re(4):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:12 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> ほれ見て御覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしてない人が「やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?」と。

>わたしの発言を不当に捩じ曲げています。

いいえ、捻じ曲げてません。

>もしかしたら単純な読み間違えなのかもしれません。そうでしたら、すみやかに訂正をお願いします。そうでないなら、わたしがいつどこで呼びかけたのか明示してください。

私がいつどこで「あなたも呼びかけている」と書いてますか?すみやかに明示してください(明笑)

>残りの部分も、わたしの意見とパンフの意見(であるとわたしが解釈して説明しているもの)を混同して批判するばかり。

あなたが解釈して説明している主張はあなたの意見ですが何か?これほど自他の区別がついていないものは、普通、「妄想」と言われるんですけど。

Re(2):「雛祭りの実害」・・・
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:13 -

引用なし
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   >macskaさん:
> 「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。

>> ↑こりゃ見れば見るほどスゲーヤスゴイデス。完全に文革だわ。

>撤回してね。

しません。

>もし自分の発言に自信があるというなら、一体どこがどう文革なのか説明してみなさいよ。

あなたが主張してきたことを端的に表す一文だから。

Re(2):フェミシェヴィキ
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:15 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> ジェンダーに否定的な印象を持っていて、それを前提として疑いもしなかった啓発者が、子育てのやり方を変えることを目的に書いてる。そんな馬鹿げた子育て論が未熟極まりないし、そういう行政手法が危険きわまりないわけです。

>全然危険じゃないでしょ。呼びかけているだけなんだから。それを言い出したら、行政が出している他のパンフも片っ端から「危険きわまりない」と言っていかなくちゃいけないですよ。

そんなことはありません。行政における人権啓発や人権教育には必要なもの、大切なこともいろいろありますから。そのひとつひとつの中身の当否を個別に判断すべきです。

あなたの論法から言えば、「無意識のうちに人権思想を押し付けている子育てをしていませんか?振り返ってみましょう」という言説が啓発や教育を通じて流されても「全然危険じゃないでしょ。呼びかけているだけなんだから」となってしまいますよ。

>> そこであなたが言う、ある特定の批判とは、あのような思想が誤っているという批判のことね。

>違います。「基本のき」の思想が全体主義的であるという批判がおかしいと言っているのです。

じゃぁ、違わないじゃん。

>内容が誤っていると批判するのはいいから、全体主義だとか文化大革命だとかいうくだらない描写はやめてくれと。

やめませんよ。

>> そんなことはあんたたちから説教されるような言われはないんですよ。

>わたしはパンフの著者と何の関係もないので、わたしがそういう説教をしているように言うのはやめてください。

>パンフの著者とわたしを同一視するのはやめてください。

それは無理。やめてほしければ、あのパンフの意味はこうなんだと言わなければいい。しかしこちらは、あなたが書いたことを指して「そんなことはあんたたちから説教されるような言われはない」と言ってるんです。だって私も、あのパンフに書いてある内容はあなたが説くような思想のものだと認めていますから。

>> こちらの解釈が文面通りである根拠は、どこにでもいる普通の親の親心だよ。それが文面通りでないんだという、あなたの思想的な根拠は?

>文面をそのまま読むと、「ふり返ってみましょう」とは書かれているけれども、これらは間違っているからやめましょう、とは書かれていません。

「ジェンダーとは子供の可能性を制約するものですが、ここでいう『子育てはジェンダーフリーで』の中に、下記のようなものは含まれません。これらは対象外だから振り返らなくていいんですよ」とは書いてませんね。で?

>> 苦笑するほかないのだが、圧倒的に素人なのは、あなた。子育てを何だと思ってるの?あん?ジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとかか?ど素人のくせに青臭い書生論ぶっこいてんじゃねぇよ(プ

>何を根拠にわたしが「圧倒的に素人」だと決めつけているのかわかりませんが、

本を読みかじって覚えたジェンダー論で子育てを語る青臭さ。

>そもそもわたしはジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとか言っていません。

言ってます↓

>しかしパンフの著者は、育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、

>「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。

Re(2):パラノイア
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:18 -

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   >macskaさん:
>ヒステリーというのはもちろん比喩的な表現ですが、表現内容ではなく表現スタイルを揶揄する言葉ではないのでしょうか。例えば、感情的に非論理的なことをわめき散らし、議論をしようにもまったく聞く耳を持たない、というような状態に陥っているとき、その人はヒステリックに騒いでいる、と表現すると思うのです。

まぁ、確かにそうですね。

>ジェンダーフリーの視点から子育てのあり方を見直そうという呼びかけは、それ自体ヒステリックだとは思いません。もちろん、そうした呼びかけを行なう個々の主体がヒステリックにそれを訴えているという実例はあるでしょうが、まったく同じ呼びかけを理性的に行っている人だっていても不思議ではありません。現に、このパンフの著者がヒステリックであるようには見えない。

確かにこのパンフから金切り声は聞こえませんから、やはりヒステリーというよりパラノイアでしょうね。錯乱した金切り声というより、偏執的な猫なで声。でもまぁ、こうした呼びかけを行なう個々の主体がヒステリックにそれを訴えているという実例も多いので、ヒステリーを連想する人も自然な受け止め方だと思います。

>ヒステリックな思想という表現が上記の通りよく分かりませんが、ヒステリックに主張する人に対する批判であれば、例えば tn さんがジェンダーフリーに批判的な論者を片っ端から統一教会の信者だとかなんとか決めつけて理不尽な叩き方をしていることを再三批判しているように、わたしもそうした批判を行なっています。

馬鹿っぽいヒステリーと、頭良さげなパラノイアの違いかな。

>パンフの内容が「全体主義だとかファシズムだとかいう批判」が有効かどうかは、わたしが「くだらないプロパガンダをやめる」かどうかに依存しないはずです。それなのに、わたしが「くだらないプロパガンダ」をやめない限りそうした批判は「ずっと有効なまま」というのは明らかにおかしいです。

何言ってるの?実際の文面に加え、執筆者ではないあなたが説くところの「このパンフの真意の読み方」について全体主義的であると私は言ってるんだから。ほんと、自他の区別をつけなさい、ってば。

>「オマエモナー」と答えるとは、お前は3年前の2ちゃんねらーかよと言いたくなります。

「昔からそれを、天に唾すると言うんだ」と言われたら、「お前は3年前の2ちゃんねらーかよ」としか言い返せないんですね。いくら自分が「天に唾する」という日本の格言をオレゴンの田舎で忘れてしまったからと言って・・・あぁ、よだれが出てきた、なんかどうでもいいやw

Re(3):美意識の問題化(名詞と形容詞)
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:23 -

引用なし
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   >macskaさん:

私は先にも書いたように、macskaさんの用いる「『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)ために、雇用差別を受ける」という表現自体が、日本語として不適切(どうとでもとれる曖昧で非論理的な表現)だと指摘しました。そして、一般的には「男らしい女らしい」というのは、その人のある場面を指しての美的評価の形容にすぎないこと、もしその美意識が個人的な好みの表現ではなく他者への命令・要請として求められる場合は、「男らしくしろ女らしくしろ」となること、それを明示しました。

すると、「『男らしさ・女らしさ』の規範に従わなかった(あるいは従えなかった)」というのは「男らしくしろ女らしくしろと言われたが意に介さなかった(気にしたけどできなかった)」ということになろうかと思います。さて、それを理由に解雇されたりすることがあるのでしょうか?私は見たことも聞いたこともありません。もし、そんな理由で「はい、君はクビだ」と言われたら、納得する人などいないでしょう。不当解雇じゃないですか。あるいは、面と向かって「君は男らしくないからクビだ」とは言わず、何じゃのかんじゃのもっともらしい理由をつけられたとします。それでも「それは表向きの口実で事実性はない。男らしくないという主観によって解雇したのが実情」とその人が思えたら、裁判沙汰でしょう。しかし、そんな不当な解雇をされたという裁判も見聞きしなければ、ましてや敗訴になったという判決も見聞きしません。私が知らないだけかもしれないから、そういう実例があるのかとお尋ねしたわけです。そんな実例がなければ、「そのような制度上の差別はない」としか言えないはずです。

>前者の主張だった場合ですが、端的に事実として間違いです。たとえば、男性ならば「元気が良い、積極的」と肯定的に評価されるようなコミュニケーションスタイルが、女性であるというだけで「うるさい、自己顕示欲が過剰」と否定的に評価されるということがあります。

そういう男女観の持ち主もいると思いますよ。全く逆に「男なら寡黙で受け身でシャイなくらいがいい。女はハツラツとして能動的で快活なほうがいい」という男女観の持ち主も多いですよ。こんなのは言い出したらキリがありません。だから何ですか。その人それぞれの好みなんだから、それでいいでしょう。日本での「男らしさ女らしさ」なんて、アメリカのようにマッチョなマスキュリニズム&フェミニンといった単純な文化じゃないんですよ。一緒にしないでいただきたい。

>こうした評価を受けるということは、ただそう思われるというだけで済む話ではなく、面接で失格になったり昇進を絶たれたりする理由の一端と成り得るわけですから、非常に大きな実害があります。もちろん、男性が「男らしい」コミュニケーションスタイルを取らないために低評価を受けることもありますし、問題は狭義のコミュニケーションスタイルに限った話でもありません。

そんな貧相な男女観を優先させて、そんな基準で不採用にしたり昇進させないような会社には就職したって仕方がないでしょう。それでも何かを求めて、そうした社風を覚悟で入ったんなら社風に合うよう努力するなり、不利を実力で跳ね返して評価を勝ち取るなり、あるいは不利に甘んじながら自分にとっての「実益」を追求すればいい話です。世に訴えてどうこうというような「実害」でも何でもない。自分の選択でしょうが、それは。

したがって、これはフェミの言う漫然とした「ジェンダーの規範」なるものが、いかに平板でシステマティックな「その手の本に載っている常套句」でしかないか、ということを表しています。当然、制度としてシステムかどうかという議論をするのであれば、少なくとも日本ではそのような「らしさ」の制度はありません。システムではないということは、リンク先にも書かれているように、たまたまどこかの会社のワンマン社長が「うーん、優秀な君にはもっと男らしく元気ハツラツであってほしかったけど、そうする気はないようなので、もう出社しなくていいよ」というケースがあったにしても、それは「うちの会社はどんなに優秀でも阪神ファンの入社は認めない」と決めるようなものと同様、それは差別とは呼べない。なぜならそれは単なる偶発的な個人の趣味であり、不当ではあっても制度によって引き起こされたものではないし、制度にフィードバックするわけでもないからです。

Re(5):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 11:42 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 3500どころじゃないだろ、「過激な実例」という標本の集め方が稚拙
> だからこれくらいしか集まってない、ということに過ぎないわけね。

これは驚いた。

自民党の調査に3500件の実例が報告された、というのはウソでしょ。ウソであるにも関わらず、今もウェブサイトに掲載されているし、マスコミにもそのまま報道されていて、それに反論しているのはブログと『バックラッシュ!』程度です。

もし調査が不十分だからこの程度しか集まっていないがたくさんの実例があると思われる、というのであれば、それは分析でふれるべきであって、3500件の実例が報告されたと宣伝するべきではありません。そうでしょ。わたしもこれが実例の実数だと言っているわけではなくて、自民党があの調査結果をもって3500件の実例を把握したというのが明白なウソだと指摘しているわけ。

これをプロパガンダだと片付けるようでは、話になりませんね。

Re(3):基本の、き
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 11:46 -

引用なし
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   芥屋さん:
> もちろん。本件に関するあなたのトータルな主張の中で、散りば
> められた言葉の全体を総合して「あなたがたのジェンダー思想は
> 全体主義に陥ってしまっている」と考えます。

これはこれは。
わたしは他者の思想を「全体主義」と名指しするときはかなり気をつけてやっているのですが、どうやらあなたは漠然と相手を中傷するための言葉として軽く口にする傾向があるようです。そんな人が言う「全体主義」という批判を真に受けて反論しても意味がないと思うのですが、これまで「パンフの内容が全体主義だ」という批判だったはずが「macskaの思想が全体主義だ」に変わったにも関わらずその根拠が一切示されていないことが気になります。理由は何でしょうか?

Re(4):基本の、き
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:57 -

引用なし
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   >これまで「パンフの内容が全体主義だ」という批判だったはずが「macskaの思想が全体主義だ」に変わったにも関わらずその根拠が一切示されていないことが気になります。理由は何でしょうか?

あなたの解釈による説明が根拠ですよ?

・・・なんかマジで、気が違ってる人を相手にしていたのではないかと思えてきた。

Re(5):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 11:57 -

引用なし
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   芥屋さん:
> いいえ、捻じ曲げてません。

じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意味なんですか?

「もしかしたら思い当たることがあるのではないか」と言ったのはわたしです。しかしわたしは「やってる人は自省してみたら?」とは言っていません。それはパンフの著者が書いていることです。わたしの意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということは、どのように解釈すればいいのか。わたしの意見がパンフ著者のそれと同一であるというように捩じ曲げているのでなければ、どのような説明ができるのか見てみたいものです。

> あなたが解釈して説明している主張はあなたの意見ですが何か?
> これほど自他の区別がついていないものは、普通、「妄想」と言
> われるんですけど。

だから、わたしが解釈して説明している主張は、パンフの主張が何であるかということに関するわたしの意見です。しかしパンフの主張だとわたしが解釈していることに、わたしが同意するとは言っていません。にもかかわらず、あなたはわたしの立場がパンフ著者の立場(だとわたしが解釈しているもの)と同一であるかのように決めつけてばかりいます。わたしとパンフ著者の立場の違いの区別がついていないのはあなたです。

芥屋さん、また以前の癖と同じように、詭弁による批判の自己目的化がはじまっているように見えます。特に最後の数回のやり取りは、わたしの意見を理解してそれに反論しようという様子がまったくなく、とにかくわたしの書いたものの意味をひたすらずらしつつイチャモンをつけてばかりいます。わたしはそんな芥屋さんと議論なんてしたくないので、いつもの芥屋さんに戻ってください。

Re(3):「雛祭りの実害」・・・
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:01 -

引用なし
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   芥屋さん:
> あなたが主張してきたことを端的に表す一文だから。

だから、どこがそうなんですか?

「ひな祭りの実害」という言葉がでてきたからというだけで、文脈も意味も考えずに「文革だ!」と反射的に反応しているように見えます。実際のところ、わたしは「ひな祭りによる直接の実害なんてありえない」ことを前提として、「とてもありそうもないことの喩え」としてそういう言葉を使っているわけですから、ひな祭り自体に対するなんら否定的な意味も含まれていませんよ。

それが分からないほどバカじゃないでしょう?
ホント、真面目にやってくださいよ。

Re(6):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/10/1(日) 12:07 -

引用なし
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   >macskaさん:
>じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意味なんですか?

読んでそのままの意味ですよ?でも、私はどこにも「あなたがそのように呼びかけている」なんて書いてません。あなたの論法からすれば、書いてもいないのに「わたしが呼びかけているなんて捻じ曲げた」と言うのは妄想でしょ?

>わたしはそんな芥屋さんと議論なんてしたくないので、いつもの芥屋さんに戻ってください。

私はいつもの芥屋さんです(笑)。そんな私と議論したくないならしなきゃいいじゃん?

Re(3):フェミシェヴィキ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:12 -

引用なし
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   芥屋さん:
> あなたの論法から言えば、「無意識のうちに人権思想を押し付け
> ている子育てをしていませんか?振り返ってみましょう」という
> 言説が啓発や教育を通じて流されても「全然危険じゃないでしょ。
> 呼びかけているだけなんだから」となってしまいますよ。

いや、それは内容的に啓発には不適切でしょうが、危険だとか文革だとかいうレベルではないでしょう。

>>> そこであなたが言う、ある特定の批判とは、あのような思想が
>>> 誤っているという批判のことね。
>>
>> 違います。「基本のき」の思想が全体主義的であるという批判が
>> おかしいと言っているのです。
>
> じゃぁ、違わないじゃん。

あのさ、平然とそういうコトを言うの、やめてよ。

「あの思想は誤っているという批判」と、「あの思想は全体主義的であるという批判」は等価ではありません。全体主義は間違いだとすると、後者は前者の一部だと言えるでしょう。

そのうえで、わたしは全体のうち一部がおかしいと言っているわけですね。それは、全体がおかしいという主張とは明らかに意味が「違う」わけですよ。

それでも分からない?

>> パンフの著者とわたしを同一視するのはやめてください。
>
> それは無理。やめてほしければ、あのパンフの意味はこうなんだと
> 言わなければいい。

「Aという人物は全体主義者だ!」という批判について、「それはおかしい」とわたしが言ったら、わたしとAは同一視されても仕方がないと言うのですね。あなたの論理能力のなさをそんな風に押しつけられても困るわけですが。

> 本を読みかじって覚えたジェンダー論で子育てを語る青臭さ。

わたしは子育てを一切語っていません。
それを語っているのは、パンフの著者です。
だから、同一視はやめてくださいと言っているのですね。

>> そもそもわたしはジェンダーの刷り込みがどうだとかこうだとか
>> 言っていません。
>
> 言ってます↓

それはパンフの内容がこうであると言っている例でしょ。バカですか?
わたしに対するあなたの批判は、どれ一つ取っても「パンフの著者=わたし」でなければ成り立たないようですが、それはあまりに不当な論法です。「パンフの内容はこうだ」という部分は、わたし自身の意見ではなくパンフの内容はこうではないかというわたしの解釈なのですから、それをわたしの意見そのものであるかのように扱わないでください。

Re(4):「雛祭りの実害」・・・
 芥屋  - 06/10/1(日) 12:14 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> あなたが主張してきたことを端的に表す一文だから。
>
>だから、どこがそうなんですか?

ここが↓

>「ひな祭りの実害」という言葉がでてきたからというだけで、文脈も意味も考えずに「文革だ!」と反射的に反応しているように見えます。実際のところ、わたしは「ひな祭りによる直接の実害なんてありえない」ことを前提として、「とてもありそうもないことの喩え」としてそういう言葉を使っているわけですから、ひな祭り自体に対するなんら否定的な意味も含まれていませんよ。
>
>それが分からないほどバカじゃないでしょう?

わかってますよ。「ひな祭りによる直接の実害なんてありえない」ことを前提として、こうも言ってるわけだから↓

【楽】
>>パンフレットは読めないけど(何処にあるの?)、上のような種類の人たちが作ったパンフレットだから普通の人には異様なものになってしまうんじゃないんですか。同類項には解らないだけで。
【ma】
>読んでいない人には分かるはずがないわけですが、読まずにそういう決めつけをしてしまうあなたは、党派的発言に終始するしかないのでしょう。
【楽】
>>しかしフシギなのは、子供が嫌がっているのに「えーい黙れ、言うことを聞けこのくそガキ!」ってひな祭りを娘に「押しつけ」たりする親なんて聞いたこともないし、想像すらできないんですけどねぇ、、何処にいるの? そしてその子の「可能性を押さえ込んでしまっ」た実例は?
【ma】
>だから、子育て全体を振り返ってみましょうという内容なのに、それを曲解してリストされている物事1つ1つが問題であると解釈するから、そういう疑問が湧いてくるのです。書かれている通りに、「男らしさ」「女らしさ」を押しつけていないか子育てを振り返ってみましょう、という意味で読めば、そんな疑問はでてきません。ひな祭り1つが問題なのではなく、親が子どもの可能性を性別を理由に閉ざしてしまってはいませんか、という問いかけがされているわけです。いずれにせよ、あなたは議論を逸らしています。
【楽】
>>アナタには言われたくないのであります。これも、全体のなかに含まれる「ひな祭り」という行事が、実際に「可能性を押さえ込ん」だ「実例」を挙げてくれと言っているだけなのです。
【ma】
>そういう「実例」があるという主張をわたしもパンフの著者も行なっていないので、それを挙げる必要はありません。さらに言うと、子育てというプロセス全体における個々の行為、特に年に一度しかないようなお祝いがどのような影響を与えたかなんて、個別に取り出して証明なんてできるわけがありません。だからこそ、パンフは個別の行為を問題とするのではなく、子育てというプロセス全体の中で「男らしさ・女らしさ」を押しつけていませんか、という形で問いかけているわけです。
【楽】
>>ひな祭りにおいて、「そういう「実例」」すらも無いにも拘わらず、「無意識のうちに、子どもたちに「女らしさ」や「男らしさ」を押しつけるような子育てをしていませんか?」と、それを「ふり返ってみ」る必要がどこにあるというのでしょう?(パンフレット 4Pから)。前にも書いたように、ひな祭りというものに「押しつけ」が介在する余地はないと思うし、ひな祭りによるジャンターの刷り込みというのも考え難いということがあるからですね。だから、何をどう振り返れと言うかという疑問が残るのです。
【ma】
>ひな祭りだけ取り出して振り返れと書かれているわけではなく、子育て全体を通して「男らしさ・女らしさ」を押しつけていないか振り返りましょう、と書かれているわけですから、「ひな祭りをどうすれば押し付けになるのだ」と批判するのは筋違いです。

で、↓

>子育てのやり方を変えることが目的なんだと思ってましたが… まぁ、パンフの著者がジェンダーに否定的な印象を持っていて、それを前提として疑いもしなかったということは事実でしょう。

>育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、

>トータルな子育ての中であのリスト全体を見た人が、「そういえば…」と考えるきっかけになればそれで良いのでは。鯉のぼり自体を問題としている内容ではないのだと何度言えば分かりますか?

>「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。

Re(3):パラノイア
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:18 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 何言ってるの?実際の文面に加え、執筆者ではないあなたが
> 説くところの「このパンフの真意の読み方」について全体主
> 義的であると私は言ってるんだから。

あのさー(笑)

思い出して欲しいんだけど、わたしは「基本のき」が全体主義だという批判が先にあったから、それはおかしいと反論しているわけね。つまり、「基本のき」が全体主義であるという批判は、わたしのいかなる発言より先にあるはずなんですよ。だったら、わたしが発言をやめたとしても、そういう批判が消滅するわけがないでしょ。

> 「昔からそれを、天に唾すると言うんだ」と言われたら、
> 「お前は3年前の2ちゃんねらーかよ」としか言い返せないん
> ですね。

だから、例えば「思想を持つ人はこういうことに注意すべきだ」というとき、わたしは自分自身やフェミニストの問題としてそう言っているわけですから、「昔からそれを、天に唾すると言うんだ」という指摘は間違いでしょ。

Re(4):パラノイア
 芥屋  - 06/10/1(日) 12:33 -

引用なし
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   >macskaさん:
>思い出して欲しいんだけど、わたしは「基本のき」が全体主義だという批判が先にあったから、それはおかしいと反論しているわけね。つまり、「基本のき」が全体主義であるという批判は、わたしのいかなる発言より先にあるはずなんですよ。だったら、わたしが発言をやめたとしても、そういう批判が消滅するわけがないでしょ。

いやぁ、あなたがこの種の発言をやめることは、この先もないでしょう。

>だから、例えば「思想を持つ人はこういうことに注意すべきだ」というとき、わたしは自分自身やフェミニストの問題としてそう言っているわけですから、「昔からそれを、天に唾すると言うんだ」という指摘は間違いでしょ。

いやぁ、そんな口先だけの自省を言っても無駄。

こういうことを↓言ってはみたものの、

>あんなパンフが圧力だというのもバカらしいです。「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。一昔前のサヨクじゃあるまいし、どうしてそう極端な表現をしなくちゃ気が済まないのかなぁ。

だってあなたが言うとおり、

>圧迫というのは、もちろん文字通りの命令だけではない。というか、何の権力も暴力も持たない人が口先で命令するよりも、権力を持つ人の無言の圧力の方がよっぽど圧迫になるということがあり得ますから、文字通りの命令にこだわる必要はない。権力による命令のほかにも、経済的な圧迫、規範としての圧迫、アーキテクチャによる制約などがあり、それらが一律に禁止されるべきだとは思いませんが、その中のある部分については政策による介入の対象としてもおかしくない。どのような介入なら認めるのかは別の議論になりますが、「人々の内面には立ち入らない」が原則です。

こういうのを「天に唾する」と言うんですが、これもわからんようですからね。

Re(4):美意識の問題化(名詞と形容詞)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:35 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 日本での「男らしさ女らしさ」なんて、アメリカのようにマッチョ
> なマスキュリニズム&フェミニンといった単純な文化じゃないんで
> すよ。一緒にしないでいただきたい。

わたしが日本文化について理解していない以上にあなたのアメリカ文化の理解は乏しいので、下手なことは言わない方がいいですよ。

> そんな貧相な男女観を優先させて、そんな基準で不採用にしたり昇
> 進させないような会社には就職したって仕方がないでしょう。

それを言うなら、女性差別をするような会社には就職したって仕方がないから雇用における性差別撤廃なんて求めても意味がないということになってしまいます。それはおかしいでしょ。

いいですか、貧相な男女観だけを基準に採用や昇進を決めることは少ないでしょう。しかしそれが基準の一部になるということは十分にあり得る。

ところで、前回は例に「コミュニケーションスタイル」を挙げたから「そんなことで差別しない」と思ったのかもしれませんが、じゃあ服装や髪型や化粧を例に挙げてもいいですよ。制服や服装規定がない会社であっても、男性がスカートをはいて出社すれば間違いなくなんらかの不利な扱いを受けるでしょう。それは男性がスカートをはくことがほとんどない社会だから仕方がないとした場合、では女性がスカートを拒否して不利な扱いを受けることは一切ないのか。化粧をしなくても大丈夫なのか。男性の長髪やピアスはどうか。それらも、やはりジェンダーの規範による差別なわけですよ。

その程度は社会常識だから仕方がない、と思うかもしれませんが、「男性がスカート」は極端な例だとしても、明らかに外見上の「男らしさ・女らしさ」によって差別を受けることがあり、その中には「女性が常にズボン」のように社会常識に特に反しないにも関わらず不当な扱いを受ける可能性がある領域が存在するわけですよ。個別の例が違法な差別となるかどうかはある程度社会的な一般常識の制約を受けることになるでしょうが、「ジェンダー規範による差別」というのは現実に起こりうる・起きている問題です。

Re(7):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:42 -

引用なし
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   芥屋さん:
>> じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、
>> そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?
>> 思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意
>> 味なんですか?
>
> 読んでそのままの意味ですよ?

読んでそのままだとすると、「見てご覧なさい」と指し示す対象は何なんでしょうか?
「そういうお祝いをしていない人」はどこの誰ですか?

わたしが「自分はひな祭りを祝わない」「祝っている人は、もしかしたら思い当たることがあるんじゃないかと想像しますが」と書いた直後に「見てご覧なさい」として「そういうお祝いをしていない人」を揶揄するようなことを書けば、「そういうお祝いをしていない人=macska」だと思うのが普通だと思いますよ。しかしわたしは「自省してみたら?」とは言っていないのでそれは当てはまらない。

だったら「そういうお祝いをしていない人」はパンフの著者なのかと考えてみると、パンフの著者が「お祝いをしていない」かどうかは分からないし、「思い当たることあるんじゃない?」とは言っていない。

よって、ここで言う「そういうお祝いをしていない人」はわたしの事でもなければ、パンフの著者でもない。だったら誰なんだよ!と聞いているわけです。「見てご覧なさい」と言うくらいだから、いままでの議論に出てきた人物なんでしょ?

Re(5):「雛祭りの実害」・・・
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:46 -

引用なし
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   芥屋さん:
>> だから、どこがそうなんですか?
>
> ここが↓

全然説明になってませんね。論理的に説明する気がないのでしたら、ただ「文革!」って言ってみたかっただけなのね、と思っておくことにします。3度根拠を聞いて答えないということは、よほど何もないんでしょうから。

Re(8):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/10/1(日) 12:46 -

引用なし
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   >macskaさん:
>>> じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、
>>> そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?
>>> 思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意
>>> 味なんですか?
>>
>> 読んでそのままの意味ですよ?
>
>読んでそのままだとすると、「見てご覧なさい」と指し示す対象は何なんでしょうか?
>「そういうお祝いをしていない人」はどこの誰ですか?
>
>わたしが「自分はひな祭りを祝わない」「祝っている人は、もしかしたら思い当たることがあるんじゃないかと想像しますが」と書いた直後に「見てご覧なさい」として「そういうお祝いをしていない人」を揶揄するようなことを書けば、「そういうお祝いをしていない人=macska」だと思うのが普通だと思いますよ。しかしわたしは「自省してみたら?」とは言っていないのでそれは当てはまらない。
>
>だったら「そういうお祝いをしていない人」はパンフの著者なのかと考えてみると、パンフの著者が「お祝いをしていない」かどうかは分からないし、「思い当たることあるんじゃない?」とは言っていない。
>
>よって、ここで言う「そういうお祝いをしていない人」はわたしの事でもなければ、パンフの著者でもない。だったら誰なんだよ!と聞いているわけです。「見てご覧なさい」と言うくらいだから、いままでの議論に出てきた人物なんでしょ?

で、私がどこに、「あなたが呼びかけている」なんて書いてますか?あん?書いてないことを解釈して表現すると「妄想」なんでしょ?(プ

Re(6):「雛祭りの実害」・・・
 芥屋  - 06/10/1(日) 12:50 -

引用なし
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   >macskaさん:
>全然説明になってませんね。論理的に説明する気がないのでしたら、

じゃぁ、引用したあなたの主張が論理的に説明されたものではなかったということじゃん(爆笑)

>3度根拠を聞いて答えないということは、よほど何もないんでしょうから。

何を根拠に?と問うから、あなたの主張をもって答えてるわけ(あなたの主張を根拠にしているんだから当たり前)。

キチガイの相手してるのもウザイんで、しばらく離席します。

Re(5):パラノイア
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:53 -

引用なし
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   芥屋さん:
> いやぁ、あなたがこの種の発言をやめることは、この先もないでしょう。

そんな事じゃなくて、論理的に説明しなさいよ。

あなたはわたしが主張を引っ込めない限り、「基本のき」に対する「全体主義」という批判は妥当であり続けると言ったわけです。しかし、わたしはそもそも「基本のきは全体主義だ」という批判があったからこそ発言をはじめたわけで、わたしの発言以前から「基本のきは全体主義だ」という批判はあったわけです。だったら、わたしが主張をひっこめるかどうかは、「基本のき」が全体主義と評価されるかどうかとは関係ないに決まっているわけです。

それとも、あなたはわたしが主張をする前の「基本のきは全体主義だ」という批判は間違いであり、わたしが主張した途端にそれが妥当な批判となり、わたしが黙ればまた批判は的外れになるというんでしょうか? そんなわけがありませんよね(笑)

論理的に言って、考えられるのはただ一つ、わたしの主張と「基本のきは全体主義だ」という批判の妥当性のあいだになんらかの関係があるという前提自体が間違っているわけです。

違うというなら、論理的に反駁してみてください。「あなたがこの種の発言をやめることは、この先もないでしょう」って、やめてもやめないでも「基本のき」に対する評価は関係ないだろうが、という話をしているんですよ。

> いやぁ、そんな口先だけの自省を言っても無駄。

口先だけでなく、日々実践しているわけですが、それがあなたに分からないのは仕方がありません。わたしが内面でどのような自省を行なっているかなんてあなたに分かるわけがないですからね。そういうわけで、「お前の自省を自分は信頼できない」というなら甘んじて受けますが、「口先だけ」だと決めつけるだけの根拠もあなたは持っていないはずです。

Re(9):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 12:56 -

引用なし
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   >芥屋さん:
>>macskaさん:
>>>> じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、
>>>> そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?
>>>> 思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意
>>>> 味なんですか?
>>>
>>> 読んでそのままの意味ですよ?
>>
>>読んでそのままだとすると、「見てご覧なさい」と指し示す対象は何なんでしょうか?
>>「そういうお祝いをしていない人」はどこの誰ですか?
>>
>>わたしが「自分はひな祭りを祝わない」「祝っている人は、もしかしたら思い当たることがあるんじゃないかと想像しますが」と書いた直後に「見てご覧なさい」として「そういうお祝いをしていない人」を揶揄するようなことを書けば、「そういうお祝いをしていない人=macska」だと思うのが普通だと思いますよ。しかしわたしは「自省してみたら?」とは言っていないのでそれは当てはまらない。
>>
>>だったら「そういうお祝いをしていない人」はパンフの著者なのかと考えてみると、パンフの著者が「お祝いをしていない」かどうかは分からないし、「思い当たることあるんじゃない?」とは言っていない。
>>
>>よって、ここで言う「そういうお祝いをしていない人」はわたしの事でもなければ、パンフの著者でもない。だったら誰なんだよ!と聞いているわけです。「見てご覧なさい」と言うくらいだから、いままでの議論に出てきた人物なんでしょ?
>
>で、私がどこに、「あなたが呼びかけている」なんて書いてますか?あん?書いてないことを解釈して表現すると「妄想」なんでしょ?(プ

ですから、「わたしが呼びかけているというのは間違いだ」という部分はとりあえず撤回するので、呼びかけているという「そういうお祝いをしていない人」が誰なのか説明してください。

Re(6):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 純子  - 06/10/1(日) 15:52 -

引用なし
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   >macskaさん:

この例が出てくると思ってました。逆に言えば、これしかないわけね。

>自民党の調査に3500件の実例が報告された、というのはウソでしょ。

ウソじゃないじゃん(^^)。
   ↓
>これによると、アンケートフォームへの回答数が1220件、その他の意見が2300件ということですから、「実例約3500例」と数字が合っています。


>今もウェブサイトに掲載されているし、マスコミにもそのまま報道されていて、それに反論しているのはブログと『バックラッシュ!』程度です。

chikiさん、よく調べたなと、私も思った。しかし、逆に言えばchikiさんが調査できるほど、この調査に関するデータは公開されているわけです……。
与党のプロパガンダというより、いかに、日本のマスコミがさぼっているかってことですね。これは……。与党にしてみれば、マスコミが勝手に誤解して、自分たちに有利なように書いてくれたわけです(^^)。


>芥屋さん:
>> 3500どころじゃないだろ、「過激な実例」という標本の集め方が稚拙
>> だからこれくらいしか集まってない、ということに過ぎないわけね。

芥屋さんは、「ハインリッヒの法則」のような実例を指摘しているように思う。

1つの大災害には、29件の小事故があり、その背後には300件の二アミスがある。

たとえばジェンフリによる過激事例が50件あるとすると、1450件の小激事件があり、その背後には15000件の保護者とジェンフリ教師とのジェンダー観の食い違いからくる、いさかいや不満があるということですね。

私が思うに、与党のこの調査の目的は、実質的な調査にはないような気がする(そっちは文部化学省がやってくれる)

結果をごまかす必要も、ぜんぜん与党にはなくて、(だから県別事例集はChikiさんにすら、簡単に手にはいる)むしろ、調査と行うことで、それ以前から現在の教育に対して不満を持っていた保護者層を、自民党の支持者として引きつけ、自民党による教育基本法改正や教育改革をスムースに進めることにあったように思えますね。

現に渡しも与党が一連のプロパガンダする前、1990年ごろから、保護者の不平不満はかなり聞かされたことがあるし……。

与党PTのHPが出来たとき、最初は、私もこんなトリッキーな技が成功するのかしら? と疑問に思ったけど、今回の安部内閣の陣容をみると、作戦は既に成功したといえるだろう。つまり、ジェンダーフリー教育や過激性教育に「ちょっとなあ……」と感じていた保護者は、私の予想よりも、かなり多かったということだな。

狡猾というのはそういうこと(^^)。勝てる目算がなければ、危ない橋はわたらない。

Re(6):パラノイア
 芥屋  - 06/10/1(日) 17:13 -

引用なし
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   >macskaさん:
>あなたはわたしが主張を引っ込めない限り、「基本のき」に対する「全体主義」という批判は妥当であり続けると言ったわけです。

何ですか「限り」って。んなこたぁ、言ってませんて。「基本のき」に代表されるような思想は全体主義的であると思っていますが、それはあなたが言い出してからそう思うようになったわけではないです。あなたの説明を聞くと、それは見事に「基本のき」のような思想をよく表していると思います。だから、全体主義的だという批判は、なお妥当だ、という文脈ね。

>わたしはそもそも「基本のきは全体主義だ」という批判があったからこそ発言をはじめたわけで、わたしの発言以前から「基本のきは全体主義だ」という批判はあったわけです。だったら、わたしが主張をひっこめるかどうかは、「基本のき」が全体主義と評価されるかどうかとは関係ないに決まっているわけです。

そうですよ?

>それとも、あなたはわたしが主張をする前の「基本のきは全体主義だ」という批判は間違いであり、わたしが主張した途端にそれが妥当な批判となり、わたしが黙ればまた批判は的外れになるというんでしょうか? そんなわけがありませんよね(笑)

そのとおり。

>論理的に言って、考えられるのはただ一つ、わたしの主張と「基本のきは全体主義だ」という批判の妥当性のあいだになんらかの関係があるという前提自体が間違っているわけです。

あなたが言ってるのは因果関係が逆転してる、ってことでしょ。でもそんな、因果の逆転を言ってる人なんていないんですが。あなたは自分の主張によって「全体主義的である」という批判に論駁したつもりかもしれないが、あなたの説明のとおりだとすると、なおorますます「全体主義的だという批判は妥当性であり続ける」という意味でtpknさんもJosefさんも私も言ってるのね。

>口先だけでなく、日々実践しているわけですが、それがあなたに分からないのは仕方がありません。わたしが内面でどのような自省を行なっているかなんてあなたに分かるわけがないですからね。そういうわけで、「お前の自省を自分は信頼できない」というなら甘んじて受けますが、「口先だけ」だと決めつけるだけの根拠もあなたは持っていないはずです。

態度がすべて。

Re(10):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/10/1(日) 17:18 -

引用なし
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   >ですから、「わたしが呼びかけているというのは間違いだ」という部分はとりあえず撤回するので、呼びかけているという「そういうお祝いをしていない人」が誰なのか説明してください。

ここでは、あなたなんでしょ?で、その種の「自省」の有用性について、あなた自身は他人にそう呼びかけたりはしない、と。だから?

Re(7):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 17:56 -

引用なし
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   純子さん:
> この例が出てくると思ってました。逆に言えば、これしかないわけね。

くだらないダメージコントロール。あなたは自民党のオペラティヴじゃないんだから、そんなスピンを加えるのはやめてください。

代表的な例を一つ挙げれば十分かと。だって、どこかで失言したとかいうレベルじゃなくて、ウェブサイトに大々的に掲げていて記者発表も行なっているし、現実に数えきれないほどのマスコミに報道されている例ですよ。個々の政治家の発言などを詳しく調べればいくらでも出てくるでしょうが、そういう一過性の発言を集めてくるよりも、党の公式見解として提示されているものの中に大きなウソがあればそれが一番の例になるのではないでしょうか。

> ウソじゃないじゃん(^^)。

回答数は約3500件ですが、そのうち(伝聞を含む)実例は桁が1つか2つ違うわけですよ。実例約3500件と発表したのはウソですね。(とこの程度の事実くらいははっきりと認めてもらえないと、話にならないのです。)

> 与党のプロパガンダというより、いかに、日本のマスコミがさぼって
> いるかってことですね。これは……。

日本のマスコミがさぼりまくりであることを見越した、与党のプロパガンダでしょう。

> 与党にしてみれば、マスコミが勝手に誤解して、自分たちに有利なよ
> うに書いてくれたわけです(^^)。

違います。自民党自身が「約3500件の実例が報告された」と発表しています。どこかの一ブロガーができるような検証すらせずにそのまま報道したマスコミの責任は別途追求されるべきでしょうが、マスコミが勝手に誤解しただけではありません。

> たとえばジェンフリによる過激事例が50件あるとすると、

違います。ジェンフリを理由とした事例ではなく、理由のいかんをとわず男女同室で着替えが行なわれているとか、男女一緒の騎馬戦が行なわれているとかいう事例の報告が50件なのです。「ジェンフリによる事例」は「理由のいかんをとわず全ての事例」より少ないと考えるのが当然であり、事実、文科省の調査によれば男女同室着替えが行なわれる理由は設備の不足であり、また別室にしなくても男女で時間差をつけるとか家から制服の下に体操服を着て来るなどの方法で問題が回避されているというものであり、ジェンフリや男女平等の概念を理由として挙げる回答はありませんでした。

よって、

> 1450件の小激事件があり、その背後には15000件の保護者とジェンフリ
> 教師とのジェンダー観の食い違いからくる、いさかいや不満があると
> いうことですね。

ということは成り立ちません。というか、そういう事態が起きている可能性を否定するわけではないですが、少なくとも自民党調査を理由にそれを主張することはできません。

> 結果をごまかす必要も、ぜんぜん与党にはなくて、

自民党が何を考えていたかではなく、事実の問題として「約3500件の実例が見つかった」という発表がウソかどうかを問題としています。ウソをつく理由がなくてもウソをつくことはあるんです(笑)

Re(11):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 18:13 -

引用なし
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   芥屋さん:
> ここでは、あなたなんでしょ?で、その種の「自省」の有用性につ
> いて、あなた自身は他人にそう呼びかけたりはしない、と。だから?

「ここでは、あなたなんでしょ?」ということは、芥屋さんが「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」と書いた時の「お祝いをしていない人」とはわたしのことなんですね?

だったら、わたしは「自省してみたら?」と言っていないのですから、「そういうお祝いをしていない人(=macska)が『やってる人は自省してみたら?』と」言っているかのように書くのは間違いだ、と言ったのですよ。

そしたら、「あなたがそう言ったとは言っていない」と言い出すから、じゃあその発言はどういう意味なんだ、「ほれ見てご覧なさい」として指し示された「お祝いをしていない人」とは誰のことなんだ、と聞いているわけ。

「だから?」というのに直接答えると、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」という記述を撤回してくださいということです。あなたが「その発言は間違いだった、撤回する」とさえ言えばそれで済ませられることなんですから。

Re(7):画一的な多様主義(実存と虚妄)
 芥屋  - 06/10/1(日) 18:24 -

引用なし
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   >純子さん:

「ハインリッヒの法則」って、初めて知りました。そういうのがあるんですね。

>私が思うに、与党のこの調査の目的は、実質的な調査にはないような気がする(そっちは文部化学省がやってくれる)

私が思うに、今の自民党のメインストリームは、産経的な人々をなだめすかしつつ、読売・日経的に男女共同参画社会を推進したいんだと思う。こっちは本気だと思います。で、狡兎死して走狗煮らる。

>それ以前から現在の教育に対して不満を持っていた保護者層を、自民党の支持者として引きつけ、自民党による教育基本法改正や教育改革をスムースに進めることにあったように思えますね。

なるほど…。そっちもあったか。どうなるんでしょうね。

>今回の安部内閣の陣容をみると、作戦は既に成功したといえるだろう。

教育担当政務官に山谷えり子、男女共同参画担当大臣に高市早苗。

>つまり、ジェンダーフリー教育や過激性教育に「ちょっとなあ……」と感じていた保護者は、私の予想よりも、かなり多かったということだな。

ことに女のほうが、あぁいったものに直感で違和感や反感を感じることが多いように思えて…。どう見ても、ジェンフリジェンフリ言ってるのは男のほうが多いような…。

Re(7):パラノイア
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 18:25 -

引用なし
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   > あなたが言ってるのは因果関係が逆転してる、ってことでしょ。
> でもそんな、因果の逆転を言ってる人なんていないんですが。

いたから反論しているわけですね。
あれは言い間違えだったというなら、そう言えば済む話。

「基本のき」の内容についてあなたの解釈がおかしいという点については、これ以上論じてもあなたを説得できないことは分かりました。論理ではなく「普通の親の親心」なんて論法を出されては、論証のしようがないですもんね。

まぁ、それにしてもパンフが1つあったというだけの話です。ついでに日本女性学会の例を含めても、パンフが1つと民間団体のウェブサイトが1つだけ。前者についてはかなり特殊な解釈を加えなければ「実例」にはなりませんし、後者は単なる民間団体の呼びかけです。再び問い直すことで、それ以外に何か実例を示してもらえるのかと思ったのですが、結局それら使い古された例以外に何もなかったようです。これでは、ジェンダーフリーが猛威をふるっている的な論調が妄言であることには変わりありません。

ちなみに日本女性学会のあのくだらないウェブサイトに年間維持費が10万円以上かかっているらしくて、それ自体なんとかしろと言いたいです。著名な女性学者の某教授は「リンクをクリック」という概念が理解できないそうですし、その程度のネットリテラシーだからあんな迷惑なページを恥ずかしげもなく掲載していられるのでしょう。

Re(12):文字通りのバックラッシュ!
 芥屋  - 06/10/1(日) 18:31 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> ここでは、あなたなんでしょ?で、その種の「自省」の有用性について、あなた自身は他人にそう呼びかけたりはしない、と。だから?

>「だから?」というのに直接答えると、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」という記述を撤回してくださいということです。

あっそう。

>あなたが「その発言は間違いだった、撤回する」とさえ言えばそれで済ませられることなんですから。

好きにすれば?パラノイアさんw

Re(8):パラノイア
 芥屋  - 06/10/1(日) 18:35 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> あなたが言ってるのは因果関係が逆転してる、ってことでしょ。でもそんな、因果の逆転を言ってる人なんていないんですが。

>いたから反論しているわけですね。

誰がどこで?ちゃんと引用するように。

>あれは言い間違えだったというなら、そう言えば済む話。

あんたが、因果の話だと取り違えたんでしょうが。

Re(9):パラノイア
 Josef  - 06/10/1(日) 19:47 -

引用なし
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   >あなたは自分の主張によって「全体主義的である」という批判に論駁したつもりかもしれないが、あなたの説明のとおりだとすると、なおorますます「全体主義的だという批判は妥当性であり続ける」という意味でtpknさんもJosefさんも私も言ってるのね。(アニキ)

私の名前が出ているので一応私の考えを。
あのパンフはジェンダー総体をネガティブなものとみなし、ジェンダーからの全き自由を奨励する公的出版物で、全体主義的だと言っていいと思います。ジェンフリという特定イデオロギーへの総動員化ですね。一方、macskaさんのパンフの読み方は、それに従うとパンフが何ら主張を持たないゴミ同然のものになるような読み方なわけで、そういう読み方自体は全体主義的では全然ないでしょう。ただ、それは「例と書いてないから例ではない」というふうな無茶な読み方に支えられたパンフのゴミ化だから、主張に目を瞑ることによって間接的にその有害性を補完しているとは言えると思います。

まあ「ひな祭り否定だ」といった正しい批判のおかげでとりあえずあのパンフは消えたわけなのでその点はメデタシです。ただ、ジェンダーに関わる文化・伝統の全面的破壊という全体主義的性格は変わっていないと思われるので、財団への批判的眼差しは今後も必要でしょう。

Re(1):「×」について
 Josef  - 06/10/1(日) 20:04 -

引用なし
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   >普通は重ねてあるほうが意味強いと思いますよ。交通標識の禁止標識見りゃ一目瞭然でしょう。(tpknさん)

単に「重ねてある」より=や→の方が強い意味を持つという感覚はmacskaさん独自のものですね。対象に×を重ね描きする方が遥かに強い否定の視覚効果を持ちます。

そういえばテストの答案用紙に直接バツ印を付けるべきではないという教育学者もいますね。「子どもに与えるショックが大きく教育効果上マイナス」なのだそうです。教育としての是非は私には何とも言えませんが、「否定」の視覚効果が強いという点は明らかでしょう。

macskaさん独自の感覚は尊重しますが、それが一般的だと思い込むのは幼児的だし、その間違った一般化をもって「改竄」呼ばわりするのは単なる日本語の誤用を超えて悪質という他ありません。

横レス
 楽俊  - 06/10/1(日) 20:10 -

引用なし
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   >論理的に言って、考えられるのはただ一つ、わたしの主張と「基本のきは全体主義だ」という批判の妥当性のあいだになんらかの関係があるという前提自体が間違っているわけです。

ここは、macskaさんの言動が、ある仮説の確証(補強)材料になったという「関係」性が抜け落ちていますね。
「仮説は予測を含意する」と言いますからね、うん。

Re(5):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/1(日) 20:38 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> そんな貧相な男女観を優先させて、そんな基準で不採用にしたり昇進させないような会社には就職したって仕方がないでしょう。

>それを言うなら、女性差別をするような会社には就職したって仕方がないから雇用における性差別撤廃なんて求めても意味がないということになってしまいます。

なってしまいません。自分好みの「男らしさ女らしさ」で不採用にしたり昇進させないことは、理不尽な話ですが差別ではありません。そのような制度上の差別はありませんし、それが制度にフィードバックしているという事実もありませんから。

>いいですか、貧相な男女観だけを基準に採用や昇進を決めることは少ないでしょう。しかしそれが基準の一部になるということは十分にあり得る。

あり得るでしょうが、それは差別の話じゃないでしょ。もちろん差別でないなら問題提起しちゃいかん、ということではありません。ちゃんと分別はつけましょう、ということです。

>ところで、前回は例に「コミュニケーションスタイル」を挙げたから「そんなことで差別しない」と思ったのかもしれませんが、じゃあ服装や髪型や化粧を例に挙げてもいいですよ。制服や服装規定がない会社であっても、男性がスカートをはいて出社すれば間違いなくなんらかの不利な扱いを受けるでしょう。それは男性がスカートをはくことがほとんどない社会だから仕方がないとした場合、では女性がスカートを拒否して不利な扱いを受けることは一切ないのか。化粧をしなくても大丈夫なのか。男性の長髪やピアスはどうか。それらも、やはりジェンダーの規範による差別なわけですよ。

そういうのは、差別じゃないでしょう。場に合った服装や化粧を求められるのは当たり前であって、そういうことを「差別だ!」などと言うから呆れられる。職場と言うのはファッションの自己主張をするところじゃないんです。もちろん職場でも、お洒落に気を使って自分をアピールすること自体、あるいは逆に洒落っ気がないこと自体、それは悪くも何ともないですけど、その職場に合わないからやめろと言われたらやめなくっちゃ。

>その程度は社会常識だから仕方がない、と思うかもしれませんが、

社会人なんだから当たり前ですよ。

Re(2):「×」について
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:44 -

引用なし
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   Josefさん:
> 単に「重ねてある」より=や→の方が強い意味を持つという感覚
> はmacskaさん独自のものですね。対象に×を重ね描きする方が遥
> かに強い否定の視覚効果を持ちます。

しかし、対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかないわけです。わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。他に方法が全くないならともかく、「絵の背景に×が描かれている」のように文章で説明するという方法があったわけですから。その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができるでしょう?

「例」の点も、「例と書かれていないから例ではない」と言っているのではなく、元の文面は「例なのかどうか、複数の解釈が可能である」のに、わざわざ「例」という文字を追加することによって「例である」以外の解釈を排除している点が改竄にあたると言っているのです。

何度説明したら伝わるのだろう。

Re(6):美意識の問題化(社会常識)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:58 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 自分好みの「男らしさ女らしさ」で不採用にしたり昇進させ
> ないことは、理不尽な話ですが差別ではありません。そのよ
> うな制度上の差別はありませんし、それが制度にフィード
> バックしているという事実もありませんから。

「男らしさ・女らしさ」という基準が社会的にまったく共有されておらず、「好きな野球のチーム」程度にバラバラであるとあなたは主張しているわけですか? そんなことはないでしょう? なにを「男らしい」と感じるかについては多少は個人差があるでしょうが、かなりの部分社会的に共有されているのではないですか?

> 場に合った服装や化粧を求められるのは当たり前であって、
> そういうことを「差別だ!」などと言うから呆れられる。

はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。

これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。もちろん、それは現行法の定義とは違いますし、必ずしもわたしの定義を元に法律が作られるべきだとは思いませんが、わたしの定義をもってこれが差別でないと強弁することはできません。

そのうえで、この問題については社会的にそれほど問題とはされていないので、社会常識とある程度の折り合いを付けるべきだとか、そういう現実的なオプションはアリだと思います。しかし、そういう結論を導き出すために分析基準を緩めたり捩じ曲げたりするべきではないでしょう。

おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/2(月) 8:50 -

引用なし
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   >わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。

擁護するつもりは全くないのですが、それだったら、「基本の、き」も解釈が「割れている」ので、おかしいということになります。

読み手は異なるバックグラウンドを持っていて、読み手によって意味が変わるのは出版物の常なので、たいていの出版物はダメ。そうやって残った、許される記述はmacskaさんや考えがごく近いフェミがOKしたものぐらいになってしまうでしょう。macskaさんが権力を持ったら恐ろしいが、そうでなくても周囲はmacskaさんのご都合主義に辟易とするでしょう。自分に都合の悪いものには、パラノイアのようにいちゃもんを付け続けるのだから。

>何度説明したら伝わるのだろう。
      ↑
これは相手が言うことです。

Re(7):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/2(月) 12:27 -

引用なし
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   >macskaさん:
>「男らしさ・女らしさ」という基準が社会的にまったく共有されておらず、「好きな野球のチーム」程度にバラバラであるとあなたは主張しているわけですか? そんなことはないでしょう? なにを「男らしい」と感じるかについては多少は個人差があるでしょうが、かなりの部分社会的に共有されているのではないですか?

「好きな野球のチーム」程度に偏りがある、と思いますよ。全国的には巨人ファンが、フランチャイズ球団を持つ地方都市には地元球団のファンが…それぞれ大きな偏りがあります。また野球観そのものが年齢層によって異なるという要素も無視できないですね。「男らしさ女らしさ」も、それと似た偏差の構造があると見てます。

>はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。

どちらかと言えば、お堅い業種の職場でそういうことが多いかな、と想像します。まぁ、そのような場もあるでしょう。その場合、そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のことです。それがそんなに嫌なら辞めたまえ、服装や化粧についてそんなに周囲に対して非妥協的に自己主張したければ、よそでやれ、というのが正しいですね。

厳しいようだけど、自己表現というのは、そういう壁にブチ当たりながら形成していくべきものです。所かまわず好きなように自由に表現したいのにさせてもらえない…そういう壁が「差別」なんだ、場もわきまえず自由に表現するのも「権利」なんだ、邪魔するな!なんてのは、ガキのツッパリですよ。そんなものは少しもお洒落ではない。野暮です。服装や化粧を何だと思っているのか(苦笑)

>これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。

いえ、こんなものを「差別だ!」なんて言い出すから「差別」という言葉のインフレが起るんです。肌の色や出自などを口実に蔑視され疎外され迫害されることと、同列に語るべきではありません。

>そのうえで、この問題については社会的にそれほど問題とはされていないので、社会常識とある程度の折り合いを付けるべきだとか、そういう現実的なオプションはアリだと思います。しかし、そういう結論を導き出すために分析基準を緩めたり捩じ曲げたりするべきではないでしょう。

何でもかんでも差別差別と言い立てることが逆に反差別をスポイルしているという現状、この問題を考えるときに、何をもって差別かという基準に今一度、弛緩した被差別意識を厳しく立て直すのは必要なことだと思います。

Re(1):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 12:56 -

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   バジル二世さん:
> 擁護するつもりは全くないのですが、それだったら、「基本の、き」も
> 解釈が「割れている」ので、おかしいということになります。

バジル二世さん、わたしが何を批判しているのか誤読しています。わたしも表現も分かりにくかったですから、丁寧に説明してみます。

わたしが批判しているのは、「解釈が割れる記述は駄目だ」というわけではないですよ。
むしろ、わたしの主張はその逆です。

問題となっているイラスト(怪文書)は、ひな祭りの絵に×印が付けられたものです。

そのイラストは、文脈によって複数の解釈が可能なわけですよ。というか、単体で見ればそれこそ「ひな祭りはダメだと主張している絵」だとしか見えませんが、もし「基本のき」の一部であったとすれば別の解釈も可能です。というより、最初あれが「基本のき」の一部であると(間違って)教えられて、わたしは別の解釈をしたわけです。「ええー、そんな解釈おかしいよ」と思うかもしれませんが、それはあなたの感性とわたしの感性が違うということなので、取りあえずそういうものなのだと思っていてください(今の誤読状態が解消したうえで議論するのは構いませんが、取りあえず誤解を解消することを優先してください)。

しかし、そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、文字で描写した瞬間にその一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった。これを、わたしは改竄であると批判しているのです。改竄というのが言い過ぎなら、イラストから文字に変えた時点で、議論している対象がすり替えられてしまっています。

ところがそれを批判すると、「あのイラストの解釈としてmacskaは自分の感性による解釈が絶対だと押しつけている」と反論されました。しかしわたしはそう決めつけているわけではないのです。むしろ逆に、イラストに描かれていないイコールのシンボルを文字として書き込むことが、ある特定の解釈が絶対であるかのように押しつけているのではないかと批判しているのですね。イラストにイコールの関係が描かれていると決めつけずに、「ひな祭りの絵に×の印が重ねてある」と文字で描写することができたはずであり、その方がフェアな描写のやり方でした。

以上がわたしの主張です。したがって、「おっそろしい」とバジル二世さんが感じたことは、すべてわたしの主張の誤読に基づくものなので、おそろしがる必要はありませんよ。

てゆーか、わたしが「読み手によって意味が変わる出版物は存在してはいけない」だなんて言うわけがないでしょーが。わたしに限らず、そんなことを平然と主張する論者がいるとは思えません。あまりに無茶苦茶な主張だと思えたときは、もしかしたら自分の誤読かもしれないと少しくらいは疑ってくださいな。

Re(8):美意識の問題化(社会常識)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 13:33 -

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   芥屋さん:
> 「好きな野球のチーム」程度に偏りがある、と思いますよ。

いや、だからさ、「男らしさ・女らしさ」の基準が雇用や出世に影響する可能性と、「好きな野球のチーム」がそれに影響する可能性とでは、話にならないくらい違うでしょうが。わたしが問題としているのは、個人の内心にある「男らしさとはこういうものだ」という考え方や態度ではなく、規範としての「男らしさ・女らしさ」なんだから。

そもそも、野球のチームと言えば巨人ファンとアンチ巨人ファンというように世の中には両極端がありますが、ジェンダーの規範に関して「スカートを履かない男よりもスカートを履いた男の方が歓迎される」ような職場が(職務上スカート着用が必要な例をのぞいて)どれだけありますか? どう考えても、圧倒的に「スカートを履かない男性」を歓迎する職場の方がはるかに多いでしょう。個々の好みだから理不尽でも(システム循環を伴う)「差別問題」ではないと言うなら、「ある職場ではスカートをはいた男性が歓迎されるけれど、別の職場ではズボンをはいた男性が歓迎される」程度の状態であるということになるはずですよ。

> その場合、そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のことです。

話を逸らしましたね。

わたしが主張し、芥屋さんにも今のところ採用していただいている「差別」定義モデルによれば、それはジェンダーの規範による差別と呼ぶほかないわけです。

そのうえで、例えば大峰山問題でもそうですが、わたしは「差別であれば文化も社会常識も無視して問答無用で禁止あるいは打倒すべきだ」という考え方を取りません(と同時に、伝統や社会常識であればまったく疑ってはいけない、とも思いません)。わたしが定義する意味におおいて差別かどうかという論理上の議論から、必ずしも「差別だったらどう対処するか」という結論は導き出せないとわたしは考えているわけです。

したがって、あなたが「そういう場に合わせることを求められるのは当たり前のこと」と言われても、それは「どう対処するか」の部分についてあなたの意見を述べていることにしかならなず、「差別である」という事実認識と何ら矛盾しません。

> 所かまわず好きなように自由に表現したいのにさせてもらえない…そういう壁
> が「差別」なんだ、場もわきまえず自由に表現するのも「権利」なんだ、邪魔
> するな!なんてのは、ガキのツッパリですよ。

まず、上記の通りわたしは「場をわきまえず自由に表現することを邪魔するな!」という立場に必ずしも立ちません。例えば、大峰山の問題についてわたしは女性の入山を認めないのは差別であると思っていますが、かといって大峰山側の意志を無視したりその非合理性を嘲ったりして良いとは思いません(と同時に、かれらの主張を無条件で受け入れる必要もありません)。しかし、もし大峰山に女性が入ってはいけないというルールが全く差別的ではないとあなたが言うのであれば、反論するでしょう。

> いえ、こんなものを「差別だ!」なんて言い出すから「差別」という言葉のイ
> ンフレが起るんです。

そうしたリスクは取らざるをえないと思います。

それに、例えば同性愛者の権利というのが今は重要な人権問題として取り上げられていますが、50年前は National Organization for Women という巨大女性団体のトップが「レズビアンの権利なんてそんなくだらないものを真面目に取り上げたら、フェミニズム自体がバカにされて見向きもされなくなる」と言っていました。その他にも、黒人を奴隷として扱うのは間違いだとか、女性に参政権や土地所有権を持たせるなんてあり得ないとか、差別に反対する運動が起きるときには常に「そんな問題はくだらない、もっと重要な問題に取り組むべきだ」という反論がありました。

もちろん逆に、誰かが「これは重大な人権問題だ」と訴えたけれども、ずっと笑われるだけで終わったという例もたくさんあるでしょう。しかし、いまあなたの目から見て「くだらない、取り上げるまでもない」問題に見えることが、次の世代においては大きな社会的不公正の問題として注目を浴びる可能性は常にあるわけです。

「ジェンダーの規範に関する権利」という問題意識は、現時点では女性や性的少数者のための取り組みだと思われていますが、わたしはこれは男性も含めた大きな流れとなる可能性があるんじゃないかと思っています。そうした意識が広く共有されるまでは、あなたの言う通り「反差別運動」の足を引っ張る事にもなるかもしれませんが、今時点の考えだけで排除せずに、寛容に「ジェンダーの規範による差別」の取り組みを見守って欲しいと思っています。

> 何でもかんでも差別差別と言い立てることが逆に反差別をスポイルしていると
> いう現状、この問題を考えるときに、何をもって差別かという基準に今一度、
> 弛緩した被差別意識を厳しく立て直すのは必要なことだと思います。

なるほど、しかしそれはわたしの戦略とはかなり違います。
わたしの定義に代わる新たな定義も必要になると思いますが、何か原案はあるでしょうか?

Re(2):おっそろしい
 Josef  - 06/10/2(月) 14:12 -

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   macskaさん

>しかし、そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。

そんなバカな。「×」が重ね書きしてあったらmacskaさんの主張が成立し、「ひな祭り=ダメ」と記述したら成立しなくなるなんてことがあるわけないじゃないですか。ほとんど同じ意味なんだから(視覚効果の強弱があるだけ)。ログを見ると、macskaさんは次のように書いています。

>> 私が確認したものでは、「雛祭り ×」「黒いランドセル ×」と大きく図示してありましたよ。 「×」です。これは普通「ダメ」という意味でしょう。(tpknさん)
>
>普通はそうかも知れませんが、一体何が「ダメ」とされているのか、文脈でみましょうよ。その図に添えられた文章は、「男らしさ、女らしさを押し付けるような子育てを行っていませんか?」というものです。つまり、女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨です。とゆーかですね、そのパンフレットの著者が「絶対に男の子に黒いランドセルを与えるべきではない」と考えているとは到底考えられないのです。だって、もしそう解釈するなら、男と女の性役割を反対にするだけで、全然ジェンダーフリーにならないじゃないの。(macskaさん)
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=669;id=keya1984

macskaさんもまた「ダメ」という意味でとっているんですね。その上で、「何がダメなのかを文脈で見よう」と言っているわけ。つまりmacskaさんの言う「文脈」によれば、「×」の重ね書きであろうが「雛祭り=×」であろうが、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という解釈が成立するはずです。どうして「雛祭り=×」と記述したとたんにmacska流解釈を排除する「改竄」ということになってしまうのか。

そしてもっと重要なこと。
それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点についてはおそらく皆が一致しているということです。何が「ダメ」とされているのか。文脈をみると「女の子だから雛祭り」「男の子だから黒いランドセル」というふうな「決めつけ」です。

>すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、

macskaさんの言う「2通りの解釈」とは具体的にはどういうものですか?一つは上の引用にあるmacskaさん自身の解釈として、もう一つは?

Re(2):おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/2(月) 15:58 -

引用なし
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   >macskaさん:
>バジル二世さん、わたしが何を批判しているのか誤読しています。

>以上がわたしの主張です。したがって、「おっそろしい」とバジル二世さんが感じたことは、すべてわたしの主張の誤読に基づくものなので、おそろしがる必要はありませんよ。

細かい点では違うところはあるかもしれませんが、おおすじ合っているでしょうw

とくに、自分の都合の悪いものにはいちゃもんを付け続けるパラノイア的な性向とか。私を含めいろんな人の投稿を削除するまるで思想警察のような姿勢とか。

というか、macskaさんに詐術を使うなと言うのは、台風に向かって「雨降るな」と叫ぶようなもんですね。ぬぇ?

Re(9):美意識の問題化(社会常識)
 芥屋  - 06/10/2(月) 16:26 -

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   >macskaさん:
>いや、だからさ、「男らしさ・女らしさ」の基準が雇用や出世に影響する可能性と、「好きな野球のチーム」がそれに影響する可能性とでは、話にならないくらい違うでしょうが。

んなこたぁないですよ。男らしくも何ともなくたって業績が良かったり人脈作るがうまかったりすれば、普通は出世します。男らしさの片鱗もない上役なんていくらでもいるでしょう。ある上司が、ある「気に食わない部下」に対して「あいつは野球の話題もできない」とか「何だあいつは。地元の球団をみんなで応援して盛り上がってるときに別のチームの応援しやがって」という眼差しで見ることがあるとします。そういう見られ方によって出世に響いちゃったりするケースが「全くない、とは言えないんじゃないの?」という程度には、「何だ、男らしくないな」という評価が影響する可能性を排除できないでしょうけど、社会の指導的立場にある人々がそんなに男らしく女らしいかどうか、見てみりゃわかるでしょう。

それと、男とスカートについて。男向けの仕様のスカートというものが、現在の(いわゆる欧米化したライフスタイルの)社会には現存していないでしょう? 古代ギリシャ人の男の身に着けてるものなんて、ありゃミニスカでしょう、形状から言えば。服飾の歴史を広く見れば、「下半身に身に着ける、末広がりのヒラヒラした服」が男の服装であった時代も地域も多いです。そこから考えるべきでしょうね。現在の「スカート」と呼ばれているアレは、とにかく女向けにデザインされているものです。それを普通のルックスの男がいきなり身に付けたら異様な感じになっても仕方ないんですよ。だから、場をわきまえろ、と言われるのは当然です。話を逸らしてなんかいません。

逆にズボンを女が身に着けたら?これは服飾史の話題によく出る例ですけど、最初は社会的に反発と好感と両方あったようですね。でも異様な感じ…ではないんです。女がいくらでも着こなせるものなんですよ。男が着こなすのが極めて困難な服を、職場で着たら「やめんか」と言われても仕方ないのであって、その反応を「差別だ!」というのは誤り。これは服飾革命でもやるしかなく(笑)、人々が「あ!カッコいい!」「素敵♪」という男向け(あるいはユニセクシュアル)な服飾の登場を待つべきですね。

さもなくて、いきなり自分のセクシュアリティの自己表現だ!職場のみんな!わかって!というのは、そりゃ言って悪いとは思いませんが、その職場のみんな…まして取引先とか窓口に来るお客さんとか、いろ〜んな人に性急に求めすぎだ。それは、かな〜り身勝手だ。身勝手だけども、周りの人の好意によって受け止めてもらえてなんぼの話だということくらい、十二分に自覚しておくべきです。言って当然だ、認められて当然だ、認められなかったら差別だ、などというのでは叱られて当然です。職場は、何をするところですか。

しかし、場によらず女装そのものが白眼視されることは差別的じゃないの?と言われたら、私自身はそれに半ば肯定的です。職場以外のプライベートな場において、女装したって何が悪いか、と思うのですが、これまた現実の服飾のあり方と深い関連があるので、異様に感じて「変態!けしからん!」と感じる人を一概には責める気もないです。江戸の頃の衣服の取替えなんか、ありゃぁ艶やかなもんですよ、でもあれは、あの服だから。男物と女物が分かれていないわけじゃないんです、だから男が女装し女が男装しているというのがわかる。でも異様ではないんですね。そうすっと、現代の「スカート、とは何ぞや?」となる。

こういった方面になると、おそらく日本では伝統主義者(?)のほうが、理解も共感も早いと思う。何たって、男装して勇み立ち雄叫びをあげる天照大神に、女装して舞い敵将と寝所をともにするヤマトタケルの国ですもん。トランスの艶やかさに断固拒絶的な文化ではないですから。もちろん、だからといってセクマイに対して差別がないのではない。この辺は、落ち着いてじっくりやるべきだと思います。

で、大峰山の女人結界については、私は神道者として「女人不浄」という俗信を否定しておりますので、批判的です。しかしそれは信教の問題になるので、大峰山当局には何とかして考えてほしいけれども、純子さんの言うように、「月山の女人結界を、女性信者とお寺さんとお宮さんが話し合って解決した先例」に見習うべきだと思います。これ、江戸時代から本居宣長が言ってきたことで、根の深い問題なんですが、イダたちはヴァカすぎて、かえって頑なにさせちゃったじゃないの。macskaさんも同感だと思いますが。

Re(10):美意識の問題化(ホンネとタテマエ)
 芥屋  - 06/10/2(月) 18:03 -

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   >なるほど、しかしそれはわたしの戦略とはかなり違います。わたしの定義に代わる新たな定義も必要になると思いますが、何か原案はあるでしょうか?

私は(狭義の)運動戦略といったことはわかりかねるし距離を置いているので、もしも既述のとおりのリスクを覚悟で、なおかつ現在の問題提起を維持するのであれば、こう考えます。まず、あの定義は維持すべきです。これは制度改革論としての差別論として。もう一つは、制度未満の差別意識に関する表現方法を模索されることではなかろうか、と。

そこで、職場の話が出ました。ここで、日本人の「仕事」に関する強烈な意識の持ちように目を向けてはいかがでしょうか。そして、ホンネとタテマエの社会であるということ。それを具体的に言いましょう。

日本人は「仕事の場」について、「仕事の出来不出来をこそ見るべきだ」「仕事の出来ないやつが色をつけられて引き立てられるのは納得いかん」という意識が強烈に強い。しかしこの意識はタテマエとしての意識化された強烈さです。ホンネでは、必ずしもそうはならないが、これは意識レベルでは抑圧されています。

そういう場であるからこそ、片方では「男らしさ女らしさ」を評価の基準にしないという気風を生む。「男らしさ」と「仕事が出来る」とは、たまたま一致することもあるけど本来は別の評価です。仕事が出来れば男らしくなくてもいいんですよ、職場ではね。すると、ここで「いや、ちょっと待って。男の人はそうだったかもしれないけど、女の扱われ方はそうだった?」と思われるでしょう。そのとおりです。ここがホンネの出ていたところですね。「若くて可愛い女の子だったらいんだよ。職場の花だからネ」というヒヒオヤヂ的な感覚ですね。

ところが、まがいなりにも女性運動の実ったケースの最大の理由が、「職場って、そういうところじゃないでしょう?」という訴え方だったわけです。「仕事の出来不出来じゃなかったの?仕事は花を競い色気で判断するものなの?」「女は仕事ができないの?仕事が出来ないから花なの?」「で、花を競い出世するコースがあったの?飾り物でしかないでしょ?」というようなもの。これはね、タテマエを重視する社会で、強烈かつ抗弁できない訴えだったわけです。

すると、「職場はお洒落を競い、お洒落で自己主張するところじゃないだろ」という規範意識は強化されているわけですよ。そこにセクマイの訴えの利害とは、必ずしも既存の女性運動の利害とが一致しない大きな溝が出てくるんじゃないでしょうか。macskaさん一人にどうこうできる話ではないんですが、少なくとも日本では「らしさの規範」という問題提起は、完全に誤爆です。

男らしさであれ女らしさであれ、日本人の心情に最も共通して訴えかける美意識があるとすれば、それは「筋が通らないことを、醜いと思う」ことです。でも世の中、筋の通らぬことは多いわけで、男らしく女らしくあろうとする人は、しばしば筋を通して世に逆らうことになる。アウトロー化しやすい美意識なんだ。それを爆撃したフェミさんたちは…

Re(4):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/3(火) 3:28 -

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   macskaどん

> わたし個人がどう自省するかですか?

違います。《「自省」する場合があるとしたらどういう場合か?》とお尋ねしております。

> わたしはジェンダーフリーとは関係なくそもそもひな祭りを祝う慣習がないので、その項目によって何かを自省することはないでしょう。現実にひな祭りを祝う家庭では、もしかすると思いあたることがあるんじゃないかと想像しますが。

その想像の内容をお尋ねしているのですけど。

「あるとしたらどういう場合か」と、仮定形になっているのは、そういう意味です。現実のあなたが実際に何を自省するかなんてことには、ここでは話題になっていません。雛祭りを祝う習慣があるかないかなんて、全然関係のない話。

結局のところ、「自省」の内容については、あなたには想像もつかないって話じゃないの。


> tpkn さんに質問ですが、「基本のき」からひな祭り・鯉のぼりの項目を取り除いたら、あとはOK(あるいは、批判があるにしても別の批判になる)ですか? わたしはひな祭り・鯉のぼりの項目にそれほど大きな意味を見いだしてはいないのですが、なんだか極端にそればかりにこだわっておられるようなので

あのですね。それについては、私は前回も今回も議論の中でちゃんと明言してます。あのリストはほとんど全部おかしい。あなたは2回ほど無視したけど、いろんな自治体がやってたジェンダーチェックと、それが404になって証拠が消えてる例を示しているでしょ。それらに対する批判の骨子は、雛祭りの例示に対するものと同じです。

ところがそのおかしさについて全体的に論じようとすると、あなたは「今は雛祭りの否定があったかどうかという話だ」といい、ならばと雛祭りを焦点に論じようとすると「雛祭りだけをとりあげてどうこう言うな」と言う(カギカッコ内は発言の引用じゃないですよ、大意ね)。したがって、「極端にそればかりにこだわっておられる」というのはmacska風に言えば《単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤回してください》。

> わたしから見ると、「基本のき」の記述は「ウザイ」レベルの話なので、それを文化大革命だとか全体主義のようにさも大層なことであるかのようにでっち上げている側の方が、自分たちの思想を押しつけているように見えます。

私たちが押しつけている「自分達の思想」とは何思想ですか?「文化大革命なんかイヤだ」思想? あるいはアンチ全体主義? 「行政や政治思想は個人の内心に立ち入るな」という個人主義にもとづいた主張をすれば、それは何かに対する「押しつけ」になるのですか? どちらもそれ自体は押しつけとは言えないし、他者の自由や権利を侵害しないという意味では、さほど問題があるとは思えませんけど。

> そもそも、そんなに気軽に「でっち上げ」という言葉をあなたが使うのであれば、わたしがバックラッシュ勢力の主張が「デマや誇張である」と言ったことをどうしてそんなに問題視するのか分かりません。ジェンフリのパンフなんて読まなければそれで済む話だし、せいぜいウザイ行政パンフができて税金と資源の無駄遣い程度の問題でしかないでしょ。

だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たとえばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明することができないわけです。曰く「本人が勝手に反省すればよい」「私は雛祭りしないのでわからん」。もちろん、私もそんなことは各自が勝手にやればよいと思うし、雛祭りの何を問題にしているのか全然「わからん」。ということは、雛祭りや鯉のぼりには、ジェンダーと子育てというトピックでやりだまに挙げて自省しなければならない要素など実は何もないということです。何もないのに、さも何か問題があるように「問い直しましょう」「自省しましょう」と呼びかけるのが、デッチアゲまたはマッチポンプでなくてなんでしょうか。火のないところに無理やり煙を立てる、そういうことでしょうに。

あなたが「デマや誇張である」とした部分には、デマではなく誇張ではないものがたくさん混じっています。そりゃ林道義あたりが「ジェンダーフリーは悪魔の共産主義思想だ」なんて言えば、大げさなと言いますよ、私も。ブルマーがなくなったのはフェミの陰謀だ、とかもデマでしょう(笑)。しかし、ジェンダーフリーは雛祭りや鯉のぼりを実際に問題にしたし、それと同じ論法でランドセルの色だの名簿の男女順だのといった表層ばかりを「チェック」し、それを既存のジェンダーにとらわれているものだとして否定しようとしてきたわけです。だから雛祭りを否定しようとしたというのはデマでも誇張でも何でもない。これがその証拠だとあなたにつきつけても、「そのパンフは何も言ってない」「自省するには有用」という、支離滅裂な答えが返ってくるだけではないですか。

「読まなければそれですむ話」なんかではないのは、こういうパンフによってヘンテコなジェンダーフリー思想を植え付けられた、たとえばxanthippeみたいなタイプのオバハンがいろんなところに発生していて、他人の権利を侵害する活動にやっきになっていることでも明らかです。読まないで、知らないでいたら、それこそいつの間にか「あなたが子供に黒いランドセルを買うのは差別の再生産です」なんてことにすらなりかねない。

> それで弊害がないという立場に立てば、そうでしょうね。しかしパンフの著者は、育児において「男らしさ・女らしさ」が無意識的に強要される結果、子どもたちの可能性の一部を閉ざすことになる、という弊害があると考えているのですから、「振り返ってみましょう」と呼びかけるくらいは不自然ではありません。

またここで雛祭りを離れて一般論に逃げる…。雛祭りや鯉のぼりや女の子らしい名前は、はたしてその「無意識の強要」となりうるのですか? その程度の「強要」は許容されてると言ってませんでしたっけ? 違うのだとしたら、どういう「押しつけ」なら許容で、どういうものならダメなのです? ジェンダーにまつわるものだけは、どんな小さな「強要」も許さないということでしょうか。

そんなこと言ってるから、異常な思想と言われるんですよ。


> ですから、「弊害がない」という立場の人が、パンフは前提が間違っているから問題であるとか、合理的根拠を欠いていると批判するならご自由にどうぞ。しかし、ある人から見て「合理的でない」からといって全体主義的であるという評価まではかなり距離があります。

全体主義的であるという評価は「合理的でない」ことに対してなされているのではありません。その合理的でない考えによって、個人の内心に立ち入ろうとすることをもって、全体主義的(思想統制的)と言ってるわけです。だいたい、「合理的でないから全体主義だ」なんて支離滅裂な主張、私は一回もしてないでしょ。いや、むしろ「合理的すぎて全体主義だ」というのが「文化大革命」という批判の底に流れる意識じゃないですかね。

> どこが揚げ足取りかというと、わたしは「パンフの呼びかけは、伝統主義者ではなく無意識にジェンダーの規範を再生産している親に向かって、一度意識的に考えてみましょうと呼びかけるものだ」と主張しています。そのうえで、意識的に伝統主義を選択した人たちに向かって「考えを改める」ような呼びかけも、「どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はある」から無効ではない、と書きました。
>
> この書き方から明らかなように、わたしが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」と、後半に出てくる「呼びかけ」は、内容が全然違うのです。後者の呼びかけは「ジェンダー観の変化」を目的としていますが、前者はそうではありません。そして、後者についてはよほどの事情がない限り行政がすることではないと書いている。このように目的が違う2つの「呼びかけ」を、あなたは混同しています。

むちゃくちゃですね。これこそ絵に描いたような詭弁でしょう。「パンフの真意」として説明している呼びかけと、後半の「呼びかけ」の内容が違うのだとしたら、それは単にあなたが意図的に論点をズラそうとしたというだけの話です。だって、後半で「そういう呼びかけ」として言及されているのは、あなたが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」のことですよ。でなければ、「そういう」という限定が意味をなさないでしょうが。

だいいち、あなたはこのパンフは「考えを改めろ」とは言ってないとずっと主張してきたのだから、後半の「呼びかけ」が、《「考えを改める」ような呼びかけ》なのであれば、それはすでにパンフとは何の関係もない話でしょうが。少なくとも、私は「パンフの呼びかけ」は伝統保持主義者には何の効力もないではないか、とあなたに問いかけたのです。その答えとして言及されるべき「呼びかけ」が、なぜ突然《「ジェンダー観の変化」を目的と》したものに変わっちゃうのですか? 

それは、あなたが「呼びかけ」を、何の断りもなく勝手に「主張」と言いかえていることによって生じた誤謬でしょうが。それまでさんざん「このパンフは何も主張していない」と言っていたけども、こういうところでポロッと本音が出たというわけです。

> この部分は単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤回してください。

馬鹿なことを言ってはいけません。上のようなすり替えと詭弁が、意識的になされたものなのだとしたら、本当にあなたはどうしようもない不誠実な論者だと言うしかありません。

この詭弁に至った流れを芥屋スタイルでまとめておきますよ。

--------------------------------------------------------
ma:あらかじめ考えを尽くして決定した人にはそんな呼びかけは必要ない

tp:であれば、親が伝統保持主義者(あらかじめ考えを尽くして決定した人)である場合にのみ、この呼びかけは「必要ない」ということになる

ma:どんな考えの持ち主でも、新たな主張に出会うことで考えを改める可能性はありますから、そういう呼びかけは全く無効ではない

tp:要するに伝統的保持主義者がその呼びかけに従って「考えを改め」たら、その呼びかけは「有効」だったということでしょう?

ma:わたしが「パンフの真意」として説明している「呼びかけ」と、後半に出てくる「呼びかけ」は、内容が全然違う
--------------------------------------------------------

「全然違う」わけないでしょうが。

それはあなたの都合によって「違う」ことにしないと困るというだけの話であって、上の流れで言及されている「(この)(そういう)(その)呼びかけ」は、全部同じものです。それが「違う」ことになったのは、あなたが「何も指図していない」と言ってきたこのパンフの「呼びかけ」を、「主張」と言いかえたところからです。

まとめると、あなたはこのパンフの呼びかけを、「とくに何も考えてない人には必要、あらかじめ考えをつくしている人には必要ない、でもそういう人が考えを変えたら無効ではない」と言ってるわけ。足揚げまくりですけど。


> 思想を持つ人、というのはもちろん自分も含めて言っているので、天唾ではないでしょう。

「自分も含めて」なんてのは口だけだと判断するしかないでしょう、こういう状況では。


> パンフは「既存のジェンダー観」そのものが駄目だとは書いていないですし、あんなパンフが圧力だというのもバカらしいです。「このパンフによる(思想の自由に対する)実害」なんて、「ひな祭りによる(育児上の)実害」よりさらにありそうもない。一昔前のサヨクじゃあるまいし、どうしてそう極端な表現をしなくちゃ気が済まないのかなぁ。

だから「実害」なんてどこにも書いてないでしょ? いや、もちろん実害はいろんなところで生まれてますけど、いったい何をもって実害とするのかという話をするのがめんどくさいからその論点は避けてるだけです。「実害がなければいい」なんて、それこそ批判という行為の意味をすべて無化する暴論でしょう。

Re(3):「×」について
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:03 -

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   macskaさん

>しかし、対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかないわけです。わたしは何も自分の感覚が絶対だと言っているわけではなくて、読み手の感覚によって意味が変わってしまうような記述はおかしいと言っているわけ。他に方法が全くないならともかく、「絵の背景に×が描かれている」のように文章で説明するという方法があったわけですから。その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができるでしょう?

これもすでに二回ほど指摘してありますけど、同じ投稿で元の図を示してあるのですから、「その文章であれば、わたしも Josef さんも元の絵がどういうものであったか想像でき、元の絵とだいたい同じ意味を読み取ることができる」なんて反論は意味をなさないの。想像して文章から読み取る前に、リンク先の絵を見ればいいわけですから。

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=667;id=keya1984

あなたはこの投稿を読んで「ウソつき。イコールサインが描かれてません」と言ったのです。私が図を提示したからこそ、その実際の図と私の説明を読み比べたからこそ「ウソつき」なんてことを言うことができたわけ。なのに、いつから「元の絵がどういうものであったか想像」できないなんて話になってるのですか? これこそ事実と文脈の改竄でしょう。

つまり、これは完全な揚げ足取りです。こんな無駄なやりとりは一刻も早くやめにしてもらえませんか。

というか、×の重ね描きのほうが意味が強いということを主張するにあたって、私は世界のどこにでもありふれた交通標識の例を挙げてあるわけだから、「対象に×を重ね描きする方が強い、というのもまた、Josef さん個人の感覚でしかない」なんてことを、なんでいとも簡単に言えるわけ? 

たとえば《「赤は禁止・警告を表す」というのも、また個人の感覚でしかない》みたいなことをあなたが言えば、この人はどこか別の世界から来た人だという解釈は成り立ちます。その場合、赤を見てもそう思わないのは、こちらの世界では「あなた個人の感覚でしかない」。しかし、赤を見て警告や禁止をイメージするのは、我々個人の感覚ではありません。社会的コードのひとつです。

そもそもそれが「個人の感覚でしかない」のなら、雛祭り、名付けの傾向、ランドセルや服の色、全部「個人の感覚でしかない」ことになり、既存ジェンダーの再生産というあなたの説(しかもそれ自体にはこちらも反対などしていない)が、根底から崩れ去るではないか。

とにかくあなたはこの問題に関して、もうスミからスミまで徹底的にダブスタですよ。

Re(8):パラノイア
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:17 -

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   macskaさん:

>まぁ、それにしてもパンフが1つあったというだけの話です。ついでに日本女性学会の例を含めても、パンフが1つと民間団体のウェブサイトが1つだけ。

だからこういう場合に「なんだか極端にそれ(雛祭り)ばかりにこだわっておられるようなので」と言いたくなるわけですよ。合計二つあったのなら、あなたは「ただの一つも実例はない」なんて言葉を撤回しなければいけないわけです。

それに、雛祭り問題で使った批判は、そのまま他の項目にも当てはまるわけです。あなたが、「雛祭りの例はあるのか!」と問うから雛祭りの話をしているだけであって、こちらにとっては実はそんな話など枝葉でしかない。ランドセルにしろ命名にしろ服の色にしろ、全部雛祭りや鯉のぼりを問題とするのと同じ意味で問題なわけですよ。

>ちなみに日本女性学会のあのくだらないウェブサイトに年間維持費が10万円以上かかっているらしくて、それ自体なんとかしろと言いたいです。著名な女性学者の某教授は「リンクをクリック」という概念が理解できないそうですし、その程度のネットリテラシーだからあんな迷惑なページを恥ずかしげもなく掲載していられるのでしょう。

というようなのも、もはやアリバイづくりの言い訳にしか聞こえない。フェミ同士の悪口など興味はないし、いくら迷惑がっても、もはやあなたの議論は、それがポーズでしかないことを物語っているというしかない。しょせんは同じ穴のムジナじゃないですかw

いや、でもたぶん本当は、違うんじゃないかとまだ思っていますよ。だけど、「意固地になってんなー」で放置することは、私の中の男性ジェンダーが許さないわけですw

Re(6):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:36 -

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   macskaどん

>芥屋さん:
>> いいえ、捻じ曲げてません。
>
>じゃあ、「ほれ見てご覧なさい。雛祭りのお祝いをしている人に、そういうお祝いをしていない人が『やってる人は自省してみたら?思い当たることあるんじゃない?』と。」というのはどういう意味なんですか?
>
>「もしかしたら思い当たることがあるのではないか」と言ったのはわたしです。しかしわたしは「やってる人は自省してみたら?」とは言っていません。それはパンフの著者が書いていることです。わたしの意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということは、どのように解釈すればいいのか。わたしの意見がパンフ著者のそれと同一であるというように捩じ曲げているのでなければ、どのような説明ができるのか見てみたいものです。

では教えてあげます。

自省せずに「思い当たることがある」状態とはどのような状態でしょうか。そういう状況は論理的に想定できないです。思い当たるためには、自省が必ず必要です。というか、思い当たるって、自省の結果ですよ。

そして、あなたは「思い当たること」もあるかもしれないから、パンフの言う「自省してみたら?」は有用だと言っています。したがって、あなたの《意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて「ほれ見てご覧なさい」と書くということ》が、この場合もっとも自然な論理展開です。

Re(3):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 4:51 -

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   Josef さん:
> それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと
> 決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点につ
> いてはおそらく皆が一致しているということです。

そうでしたか、だったらそれで了解です。「ひな祭り=×」という記述は、それ以外の解釈を読者に強いるものではないかと思ったのですが、それは誤解であり図のそのままの意味を伝えようとして図にはなかったイコールのシンボルを書き入れてしまったということなんですね。それなら、わたしの批判は取り下げます。

Re(2):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/3(火) 4:53 -

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   macskaどん:

>第三者が「tpknさんがヒステリックに『全体主義』を叫ぶのは、フェミニストが『ジェンダーフリー』をヒステリックに叫んだことに対する反動なんだから、理解してあげようよ」と言うなら「そうだね」と思わないでもないですが、本人自ら「自分がヒステリックに騒いでいるのは、他者のヒステリーに対する反動である」と言われてもなぁ(笑) 結局、自分の言論はヒステリックなサヨク・ジェンフリ派と同じレベルだと言っているようなものじゃないですか。

ええ。「基本のき」が「ヒステリックなサヨク・ジェンフリ派」だと認めるなら、同じレベルだと認めるにやぶさかではありませんよ。これだけしつこく論駁してたら、「ヒステリック」と形容されることもあるかもしれないとは思いますから。

ただしそれは文字通り「反動」なのですから、おおもとの動きがあるわけです。それがなければ、こんなことにいろんな人が労力を使う必要など最初から生じてない。そういう観点を抜きに、批判勢力だけを「ヒステリック」と言おうとしても、そううまく行くわけないじゃないですかw

>> 「日本のフェミニズムはヒステリックにジェンダーフリーを叫
>> んだ」という歴史的事実をまず認めてから言わないと、お話に
>> ならないです。
>
>フェミニズム全体じゃないですが、フェミニストの中にヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ人がいたのは事実でしょう。そんなの認めるも何も、当たり前の認識でしょうが。

これまでのmacskaさんの論調だと、もちろんそれは「当たり前の認識」なのだと思っていたのですが、「基本のき」が有用とか言い出すにいたって、その考えは改めねばならぬのではないかと思い始めている、ということですね。「ヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ」というのは、行政を通じてこういう下らないパンフをつくって雛祭りさえ否定しようとした、ことを指します。

ところが、あなたはそれを妄想だと言う。そして、約100回目の議論が行われている。

この現状をもって、何が「当たり前の認識」ですか。あなたと私の間ではメチャメチャ食い違っているではないか。そういう小手先のごまかしみたいなのはやめてくださいな。

>いかに「フェミニズムのヒステリックに対する、ヒステリックな反動」であったとしても、妄想は妄想ですよ。妄想だからとバカにするのではなく、どうしてそういう妄想及びヒステリアが生じるのかを考えるべきだというなら、それには同意します。

「反動」なんだから、おおもとの動きがよほどひどかったと考えるのが妥当でしょう。むしろ雛祭りや鯉のぼりなんてのは事実に即しているほうで、それすら「妄想」ということにしたい、拭いがたい党派性が、あなたの中にもあるわけですね。

Re(3):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 4:55 -

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   Josef さん:
> 細かい点では違うところはあるかもしれませんが、おおすじ合っているでしょうw

そんな大ざっぱな中傷はしないでください。
反論のしようがないし。

> とくに、自分の都合の悪いものにはいちゃもんを付け続けるパラノイア的な性向とか。

都合が悪いものでも、納得すれば相手に同意していますね。

つまり、わたしが批判しつづけるのは、味方であろうと論敵であろうと、また都合がよかろうと悪かろうと、自分の良心に照らして納得できないものなのです。それをパラノイアと呼ぶならそれで結構。

> 私を含めいろんな人の投稿を削除するまるで思想警察のような姿勢とか。

あなたの投稿を削除した理由は既に述べたのですが納得いきませんでしたか?
合理的な理由であるようにわたしには覚えたけれどなぁ。

それともあなたは、どんな理由があっても、自分のブログに付けられたコメントを削除してはいけないという意見の持ち主でしょうか?

Re(10):美意識の問題化(社会常識)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:11 -

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   芥屋さん:
> 言って当然だ、認められて当然だ、認められなかったら差別だ、など
> というのでは叱られて当然です。職場は、何をするところですか。

「職場の常識」がそうであるというのはその通りです。しかし、わたしの定義する「差別」にそれは間違いなく含まれるんですよ。それが不満であれば、わたしの定義を捨てて別の定義を提案すべきです。

定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

正面から「差別だ!」と指摘することが、差別を取り除くための戦略として有効だとは限らないという点は、あなたの言う通り。しかしわたしは、現場において「差別だ!」と指摘すべきかどうかという議論をしていない。ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを受けることを、わたしの定義するところの「差別」の一緒として考えることができると言っているだけです。

てゆーか、そもそも職場にスカートをはいて出て来なくたって、休日はいつもスカートで外出していると社内で知られるだけでも会社で不利益を受けるんじゃないですか?

> こういった方面になると、おそらく日本では伝統主義者(?)のほうが、
> 理解も共感も早いと思う。何たって、男装して勇み立ち雄叫びをあげる
> 天照大神に、女装して舞い敵将と寝所をともにするヤマトタケルの国で
> すもん。

そうあって欲しいのですけれど、伝統主義者というのは伝統から自分が気に入った部分を恣意的に選んで来る人のことですから、そういった部分を選んでくれるかどうかは分からないのです。

Re(11):美意識の問題化(ホンネとタテマエ)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:16 -

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   芥屋さん:
> すると、「職場はお洒落を競い、お洒落で自己主張するところじゃない
> だろ」という規範意識は強化されているわけですよ。

えーと、なんだか誤解があると思うんですが、わたしは「職場でお洒落したり、お洒落で自己主張する権利」を主張しているわけではないですよ。そうではなく、特定のジェンダーの規範に沿ったお洒落を強要されない権利を主張しているわけです。それは、これまでの女性運動の訴えとなんら矛盾しませんよ。

Re(5):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:28 -

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   tpknさん:
> 結局のところ、「自省」の内容については、あなたには想像もつかないって
> 話じゃないの。

そうですねぇ。自分が実際にやったことで自省することはいろいろあるのですが、やってもいないことを「もしやっていたら」どのように自省するかなんて想像するのは難しいです。

> あなたは2回ほど無視したけど、いろんな自治体がやってたジェンダー
> チェックと、それが404になって証拠が消えてる例を示しているでしょ。

証拠が消えたと言われても、見えないものは見えないのでコメントのしようがないです。無視しようというつもりではなかったし、そこにジェンダーチェックがあったということを疑うつもりもないのですが。

> ところがそのおかしさについて全体的に論じようとすると、あなたは
> 「今は雛祭りの否定があったかどうかという話だ」といい、ならばと
> 雛祭りを焦点に論じようとすると「雛祭りだけをとりあげてどうこう
> 言うな」と言う(カギカッコ内は発言の引用じゃないですよ、大意ね)。

今は、ひな祭りの否定があったかどうかという話ですよ。でも、ひな祭りについてのある記述を解釈するのに、その部分だけ取り出しても仕方がないのです。全体のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検証しましょうとわたしは言っているのです。何ら矛盾はありません。

> したがって、「極端にそればかりにこだわっておられる」というのは
> macska風に言えば《単純な誤読ではないかと思うので、すみやかに撤
> 回してください》。

撤回します。が、今後は「ひな祭りの項目以外何も考慮しない」か「全体を論じる」の両極端ではなく、「全体の中においてひな祭りの項目がどういう意味を持っているか」を議論してください。

> 私たちが押しつけている「自分達の思想」とは何思想ですか?

ジェンフリは全体主義だ思想。
普通ならありえないような極端な資料解釈を通して、無理矢理その結論に結びつけているように見えます。

> だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たと
> えばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明
> することができないわけです。

だって、わたしはパンフの著者でもないし、そういう呼びかけに賛成しているわけでもないもの。

パンフを読めば、パンフはそういう呼びかけをしていると分かる。でも具体的にどう自省すれば良いのかなんてわたしに聞かれても困る。だって具体的にそれは書かれていないもの。

> 雛祭りの何を問題にしているのか全然「わからん」。

ひな祭り自体を一切問題にしていないと思います。

> ということは、雛祭りや鯉のぼりには、ジェンダーと子育てというトピック
> でやりだまに挙げて自省しなければならない要素など実は何もないというこ
> とです。

ひな祭りや鯉のぼりには、やりだまに挙げられなければならない要素はないでしょう。

> 何もないのに、さも何か問題があるように

ひな祭りに問題があるとは書かれていません。

Re(9):パラノイア
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:36 -

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   tpknさん:
> 合計二つあったのなら、あなたは「ただの一つも実例はない」なんて
> 言葉を撤回しなければいけないわけです。

そうですね、それが実例であったとしたら、わたしの発言は撤回せねばらないでしょう。もちろん、わたしはそれらが言われているような実例であると納得はしていません。それは別にわたしが自分の発言を撤回したくないから認めていないのではなく、純粋に学問的良心に照らして事実に反するとわたしは思っているのです。(自己愛的な無意識感情が、わたしの理性的な判断に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定しません。というか、無意識なんだからわたし自身に否定できるわけがない。)

しかし、仮にそれらが実例だったとします。それで何が変わるかと言えば、「ただの一つも実例はない」と書いた部分を訂正して「たった2つのショボい例があるだけだ」になるだけです。それにより、ジェンダーフリーが日本中に蔓延して全国各地で悲鳴があがっているとか、このままでは日本は崩壊するとかいう妄言が正当化されるわけではない。そうでしょう? どれだけの人が実際に読んだか分からない文科省委託のパンフが1つあり、酷いデザインの誰も見なさそうな民間団体のサイトが1つあったというだけなんですから。

Re(7):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:38 -

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   > したがって、あなたの《意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて
> 「ほれ見てご覧なさい」と書くということ》が、この場合もっとも自
> 然な論理展開です。

わたしとパンフ著者では立場が違うので、このように勝手に繋げないでください。
そもそも、パンフ著者はわたしの存在すら知らないわけですし。

Re(3):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 5:45 -

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   tpknさん:
> 「基本のき」が「ヒステリックなサヨク・ジェンフリ派」だと認めるなら、
> 同じレベルだと認めるにやぶさかではありませんよ。

サヨクやジェンフリ派にヒステリックな連中はいますが、「基本のき」は違うでしょう。行政にありがちな偉そうな物言いが癪ではありますが、ヒステリーとは違った問題です。

> そういう観点を抜きに、批判勢力だけを「ヒステリック」と言おうとして
> も、そううまく行くわけないじゃないですかw

だから、サヨクやジェンフリがヒステリックである場合が多いことは最初から認めていますって。

> 「基本のき」が有用とか言い出すにいたって

「基本のき」には有用な情報や呼びかけが一切ないとでも? その方がおかしな読み方では。
一部には有用な内容もあるけれど、おかしな内容が多い、というなら分からないでもないですが。

> 「ヒステリックにジェンダーフリーを叫んだ」というのは、行政を通じて
> こういう下らないパンフをつくって雛祭りさえ否定しようとした、ことを
> 指します。

パンフがくだらない点については反対しないけど、ひな祭りを否定していないじゃん。

> 「反動」なんだから、おおもとの動きがよほどひどかったと考えるのが妥
> 当でしょう。

いや、おおもとの動きが酷い場合でも、酷くない場合でも、反動が起きることはあります。奴隷解放後に黒人をリンチして回ったKKKは反動と言えますが、奴隷解放が酷かったわけではありませんね。

Re(12):美意識の問題化(ホンネとタテマエ)
 芥屋  - 06/10/3(火) 6:12 -

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   >macskaさん:
>「職場の常識」がそうであるというのはその通りです。しかし、わたしの定義する「差別」にそれは間違いなく含まれるんですよ。それが不満であれば、わたしの定義を捨てて別の定義を提案すべきです。

不満も何もないですよ。ジェンダー教の信者さんが思っているような「男らしさ女らしさの規範」なんて、実存じゃないでしょ?あなたが挙げたものについて、私が逐一「でも実際はこうでしょ?」と指摘したことに、答えられていないじゃん。

>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、

あなたが挙げたものは定義に合致しない旨、実情がどうかということを説明しましたが。

>例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

なってしまいません。スカートを履きたい男や化粧をしない女が、どこで奴隷化されていますか?ジェンダー教徒の反差別論のもっとも良くないのは、およそ比べようもない不幸・不正義と、個人の志向が貫徹できない不利とを同列に語ることです。

>正面から「差別だ!」と指摘することが、差別を取り除くための戦略として有効だとは限らないという点は、あなたの言う通り。しかしわたしは、現場において「差別だ!」と指摘すべきかどうかという議論をしていない。

そこはわかりました。

>わたしは「職場でお洒落したり、お洒落で自己主張する権利」を主張しているわけではないですよ。

そうなんですか。それもわかりました。

>そうではなく、特定のジェンダーの規範に沿ったお洒落を強要されない権利を主張しているわけです。

いいじゃん、身だしなみについてアレコレ言う人がいても。お洒落なんて、口さがない人もいて何ぼのもんでしょ。何言ってるんですか。そんな権利、認められるわけないでしょう。

>それは、これまでの女性運動の訴えとなんら矛盾しませんよ。

いやぁ、それはちょっと女性運動の側の視点で見すぎだと思うけどな。

>ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを受けることを、わたしの定義するところの「差別」の一緒として考えることができると言っているだけです。

macskaさん、それは全然ダメだ。人は誰に対してでも異なる扱いをしてはいかんということになれば、およそ非人間的なことを求めることになる。確かに、ある規範によって異なる扱いをするということは、これは広義の差別にほからないけど、そのように異なる扱いをしようがしまいが自由だ(それによって制度上の差別を受けない)ということが、政治における限度でしょう。

あなたの定義による「差別」は、政治権力による強制力を伴う制度改革論の対象としうるものを限定させることに意義があります。そこに「ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを受けること」を持ち込むなら、あなたがたと同じ男女観(ありもしない制度化された男女観)を持つ人々しか自由と権利を享受できません。これは、認められるものではない。

>てゆーか、そもそも職場にスカートをはいて出て来なくたって、休日はいつもスカートで外出していると社内で知られるだけでも会社で不利益を受けるんじゃないですか?

うん。バレたら不利だと思います(いろんな陰口とか噂とかされて面白がられたり)。で、もしそれを理由に解雇などされたら、これは権利の侵害ですね。でも、それを訴訟にすること自体、その人にとっては非常に躊躇されることかもしれない。そういうことのないよう訴えかけるのは、私は正しいと思いますよ。

でもこれはtpknさんが既に言ってるとおり、雇用差別に発展したら、でしょう?そこんとこ、ひとくちに「不利」と言っても、覚悟しとかなくちゃいけない「不利」と、生存に関わる不当な権利侵害とは一緒にするべきではないでしょう。誰にだって、いろんな「不利」はあるんだから、不利=差別ではないです。

自衛隊でゲイであることが発覚してそれを理由に解雇された人の事件があって、某板で話題になってましたが、もちろん不当な解雇です。でもね、私が言ってるのは、もし仮にこの人がゲイはゲイでもネコで女装趣味があったとして、それを理由に男子隊員の制服ではなく女子隊員の制服を所望して拒否されたとしても不当ではない、ということです。わかりますか?男子には男子の制服を、というのは自衛隊の規律なんだから。勤務時間外も隊員の制服を四六時中着衣すべし、でもないんだから。もしそれがどうしても嫌で女子隊員の制服でなきゃ嫌だというなら、隊を辞めたまえ(どこぞの自衛隊グッズショップで女子制服でも買いたまえ)、で正しいです。でも、この人がそんな無茶なことを要求していたとは聞かないし、ただ性志向が同性愛であったというだけで解雇されるのは不当でしょう。私の言ってるのは、そういうことです。

>> こういった方面になると、おそらく日本では伝統主義者(?)のほうが、理解も共感も早いと思う。何たって、男装して勇み立ち雄叫びをあげる天照大神に、女装して舞い敵将と寝所をともにするヤマトタケルの国ですもん。

>そうあって欲しいのですけれど、伝統主義者というのは伝統から自分が気に入った部分を恣意的に選んで来る人のことですから、そういった部分を選んでくれるかどうかは分からないのです。

まぁ、それは何の主義者でもありがちですね。ただ、とりあえず伝統じゃ伝統じゃという人で、もし「トランスなど日本の伝統にもとる。ジェンフリの害毒だ」という御仁がいたなら、「あんた古事記でも日本書紀でも読みなはれ。こりゃジェンフリの害毒ですか?」と聞いてみたらいいです(笑)

Re(13):美意識の問題化(ホンネとタテマエ)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/3(火) 7:54 -

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   芥屋さん:
> 不満も何もないですよ。ジェンダー教の信者さんが思っているような
> 「男らしさ女らしさの規範」なんて、実存じゃないでしょ?

現実問題として社会的に広く共有されていると何度も指摘しています。
「男がスカートはくなんておかしい」という認識と、「男がスカートをはかないなんておかしい」という認識が、本当にほぼ互角だと思いますか?

> なってしまいません。スカートを履きたい男や化粧をしない女が、
> どこで奴隷化されていますか?

差別であるかという判断において、「それを差別と呼ぶことは社会常識に反するから差別とは呼べない」という主張は成り立たないと指摘するために、わざと極端な例をあげたのです。どこの誰が「スカートを履きたい男が奴隷化されている」と言いましたか。

> ジェンダー教徒の反差別論のもっとも良くないのは、およそ比べよう
> もない不幸・不正義と、個人の志向が貫徹できない不利とを同列に語
> ることです。

奴隷制がおよそ比べようも無い不正義であることは確かです。が、それを同列に語った覚えはない。というより、あることを「差別だ」と認定したとしても、その後どういう対策を取るかは個々の事例によって違うと言っているわけですから、「すべての差別的現象を同列には扱えない」とわたしは主張しているのです。

しかし、ここでわたしが問題としていることを「個人の志向が貫徹できない不利」とまとめているのは不当です。というより、そのように描写したうえで「個人の志向が貫徹できない不利」は差別ではないとするならば、例えばキリスト教徒だけを優遇してその他の宗教を迫害したとしても「差別」ではないということになります。だって、「個人の信仰を貫徹できない不利」ですからね。また、同性愛差別を正当化する論者たちも、性的指向を単なる「個人の志向」であると決めつけたうえで、それを貫徹できない不利は異性愛を正常とする社会常識に鑑みて「差別」と呼べないと主張しました。あなたの言うように「ジェンダーの規範による『差別』」は差別ではないとするためには、差別の定義に無数の例外規定を設けなければいけなくなるのです。

> いいじゃん、身だしなみについてアレコレ言う人がいても。

もちろんいいですよ。しかし職場やその他の公的な場面において不利な扱いをされるのはおかしい。

わたしは「規範に沿わないからといってアレコレ言われない権利」なんて主張していません。あくまで、職場による不当な扱いなどを通して「強要されない権利」だけです。

> 人は誰に対してでも異なる扱いをしてはいかんということになれば、およ
> そ非人間的なことを求めることになる。

はい、その通り。だから、人は基本的にさまざまな個人的な趣味に応じて違った扱いをしても良いというのが原則で、職場など限られた場面において、限られた属性については違った扱いをしてはいけないという「反差別」規定の方が例外規定です。わたしはそこに、「ジェンダーの規範による差別」が含まれると言っているのです。

もちろん、例えば「スカートを履く男性」とあなたが個人的に友達付き合いをしない、というのはあなたの自由です。しかし、もしあなたが採用担当者だったとしても、それを理由に「スカートを履く男性」を雇用しないというのは「差別」にあたります。「社会常識に照らして妥当である」と言うかもしれませんが、仮にそうであってもそれを「差別」と呼ばない理由にはなりません。

> あなたの定義による「差別」は、政治権力による強制力を伴う制度改革論
> の対象としうるものを限定させることに意義があります。

はい、だから「異なる扱いをすること」一般ではなくて、雇用や昇進における差別など特定の分野に限って議論しています。

> そこに「ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを
> 受けること」を持ち込むなら、あなたがたと同じ男女観(ありもしない制度化
> された男女観)を持つ人々しか自由と権利を享受できません。

そんなことはないでしょう。どのような男女観を持つのも個人の自由ですし、それに同調するよう他者に呼びかけるのも、私生活においてそれを実践したり、実践しない人との付き合いをしないのも自由です。しかし、あなた個人の男女観を理由に他者の権利を侵害するなというだけ。

> うん。バレたら不利だと思います(いろんな陰口とか噂とかされて面白がられ
> たり)。で、もしそれを理由に解雇などされたら、これは権利の侵害ですね。
> でも、それを訴訟にすること自体、その人にとっては非常に躊躇されることか
> もしれない。そういうことのないよう訴えかけるのは、私は正しいと思いますよ。

なるほど、だったら、「ジェンダーの規範による差別」というわたしの考え方に同意していることになります。

> でもこれはtpknさんが既に言ってるとおり、雇用差別に発展したら、でしょう?
> そこんとこ、ひとくちに「不利」と言っても、覚悟しとかなくちゃいけない「不
> 利」と、生存に関わる不当な権利侵害とは一緒にするべきではないでしょう。誰
> にだって、いろんな「不利」はあるんだから、不利=差別ではないです。

不利=差別ではない、その点には同意です。しかし、生存に関わらなければ差別ではないということにもならない。生存に関わるものの方がより深刻であり、緊急の対処を必要とするのは確かですが、生存に関わるかどうかは定義の一部ではありません。

では「不利だけれど、差別ではない」とはどういう場合か。それは、いわゆる「阪神ファン差別」のように制度化されていない単なる個人の趣味志向のレベルで低い評価を受けることです。ある人が「あいつ阪神ファンだってよ」と低い評価を受けたとしても、そんな評価は社会的に共有されておらず、逆に阪神ファンであることで好意的な評価を受けることもあります。そういう場合なら、阪神ファンであることを理由に不当な扱いをしても、それは単なる確率論的な理不尽な扱いであって差別ではない。

しかし、「男性なのに休日にスカートを履いて出歩いていた」という噂が広がった場合、好意的な評価はほとんどなく否定的な評価が圧倒的でしょう。そういうときに、そうした評価に基づいて不当な扱いをすることを、わたしの定義によれば「差別」と言うのです。

もちろん差別といっても深刻度にはいろいろあります。陰口を言う、噂をして面白がられるということは、気分を害するけれどもそれ以上の被害があるわけではない。しかし例えば「スカートをはいていたのを目撃された」というだけで重要な任務を外されたり、昇進の機会を絶たれたりすると、実害が生じ出すわけですね。さらに解雇されたりしたら生活に支障が出ますし、あるいはヘイトクライムの標的になって暴力をふるわれるということもある。そういうさまざまな段階の問題については、個別に必要な対策を取れば良いはずです。「差別」だからと、何でも同じ対策ということにはなりませんね。

> 自衛隊でゲイであることが発覚してそれを理由に解雇された人の事件があって、
> 某板で話題になってましたが、もちろん不当な解雇です。でもね、私が言って
> るのは、もし仮にこの人がゲイはゲイでもネコで女装趣味があったとして、
> それを理由に男子隊員の制服ではなく女子隊員の制服を所望して拒否されたと
> しても不当ではない、ということです。

男女で違う制服がある場合はちょっと話が複雑になるので、はじめから「制服や服装規定がない会社において」という前提で話していました。ちょっと議論をはしょって結論だけ言ってしまうと、男女別の制服や服装規定があった場合については、その規定そのものの是非が論じられるべきであり、「規定を認めたうえで、別の性の服装をする権利」を要求するのは中途半端であり、少なくとも論理的には成り立ちません。(ただし、性同一性障害を理由として、「自分が自認する性別の服装をする権利」であれば、論理破綻を招かずに要求できます。)

美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 芥屋  - 06/10/3(火) 20:59 -

引用なし
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   >macskaさん:

話が食い違っているところがわかりました。

>男女で違う制服がある場合はちょっと話が複雑になるので、はじめから「制服や服装規定がない会社において」という前提で話していました。

そうなんですか。そりゃ食い違うわけです。性別の服飾を指定されるという文脈でしたから、私は男女別の制服がある職場を想定しました。でも私は、「制服や服装規定がない会社において」という前提のほうが複雑だと思います。着衣は自由、と言っても、全くどんな格好でもいいわけないので、やはり最終的には雇用者(職場の責任者)の裁量であることには変わりません。しかしそれ以前の問題として、何せ偏見でもって奇抜な格好をするかのような先入観を持つ雇用者(職場の責任者)もいるでしょう。多くの当事者はおそらく異性装をするにしても職場の雰囲気などを損なわないように(業種などにも合った)服装をするでしょうし、職場の指導にも従うものと思いますが、そこんとこで偏見の先立っていることがあると厄介だな、と思います。また、職場には理解があっても、顧客その他にわたって対外的な事務の多い職種だと、さらに厄介ですね。

そういった意味で、macskaさんの言われていることは、その職場で差別を訴えるのではないが、広く着衣の自由の概念として押さえておきたい、ということですね。しかし服装については、固定観念の強さがその障害になっている、と。そういう理解が進むことは私も賛成です。ですから、そういうことに教育や啓発など、行政でもって正確な情報提供として、理解の普及の一助として働きかけるのはいいことだと思います。

ただし、あとは例の定義との兼ね合いですが、やはりあの定義には合わないと思います。なぜなら、これは制度上の差別がどうこうではないからです。したがって、これは差別問題としてではなく、表現の自由の問題として扱うべきではないか、と思います。それを以下に述べます。

>では「不利だけれど、差別ではない」とはどういう場合か。それは、いわゆる「阪神ファン差別」のように制度化されていない単なる個人の趣味志向のレベルで低い評価を受けることです。ある人が「あいつ阪神ファンだってよ」と低い評価を受けたとしても、そんな評価は社会的に共有されておらず、逆に阪神ファンであることで好意的な評価を受けることもあります。そういう場合なら、阪神ファンであることを理由に不当な扱いをしても、それは単なる確率論的な理不尽な扱いであって差別ではない。

だからそれ、セクマイの話にいたって初めて言えることでしょう。それを漫然と「男らしさ女らしさ」の問題として挙げて来るからおかしいんですよ。ゲイだってレズビアンだってトランスだって「男らしい女らしい」にこだわりがあったり、意中の同性や異性からそう言われたら嬉しかったりする人もいるわけじゃん。でも、そういう「男or女らしいかどうか」みたいな評価基準は職場にはほとんどなくて、セクマイへの差別があるなら「らしくない」ではない蔑視ですよ。考えてみたらわかるでしょう、どんなに男らしいゲイor FtMでも、どんなに女らしいレズビアンor MtFでも、やっぱりその人たちが疎外されちゃうことがあるんだから、そしたら問題はどこ?「らしくないなぁ!」じゃなくて「うわ、気色悪い!」「怖っ!!」じゃないのん?その種の偏見でしょ?問題の立て方がおかしいってば。

>> 不満も何もないですよ。ジェンダー教の信者さんが思っているような「男らしさ女らしさの規範」なんて、実存じゃないでしょ?

>現実問題として社会的に広く共有されていると何度も指摘しています。

そのほとんどが、実体にそぐわない思い込みだったじゃないですか。今んとこ「うん、その共有意識ならある」としたのは、服飾についてのみです。

>「男がスカートはくなんておかしい」という認識と、「男がスカートをはかないなんておかしい」という認識が、本当にほぼ互角だと思いますか?

いいえ?でもそれは当たり前でしょう。女向けだけに作られて売り買いされてきたのが現代の洋服のスカートというものなんですから。女は(少なくとも私服では)スカートを履くも履かないも好きに選べるけど、男向けの衣装は(私服についても)女と違ってそういうバリエーションに乏しい。でも、それは「差別」ではないでしょう。

>差別であるかという判断において、「それを差別と呼ぶことは社会常識に反するから差別とは呼べない」という主張は成り立たないと指摘するために、わざと極端な例をあげたのです。

差別と呼べるかどうかの基準を、何でもそのときの社会常識に照らすのが第一だという主張があったなら、そういう極端な事例で注意を促すのも理解できないではありません。しかし、話の流れが違うでしょう。

「男らしくない女らしくない」などという評価基準は、実際には職場で大きなウェイトなど無いのであって雇用差別に結びついたという事例もない、したがってそのような差別ではない、というのが第一。そして服飾や化粧について言えば、場に合わせることを求められることがあっても当たり前であって、ことに職場はそうした場であることも多いから、「自己主張としての権利を振りかざすようなものではない、それは社会常識だ」と言ったんです。すると、「そんな権利なんか主張していない」とのことなので同意なのかと思いきや、そこで社会常識を持ち出すなら奴隷制はどうなるという反論が出てきた。だから、話の順序からしても比較対象としても、非常に不適切だと言ってるんですよ。

>なるほど、だったら、「ジェンダーの規範による差別」というわたしの考え方に同意していることになります。

プライベートな服飾の趣味が雇用差別につながるなら、のところでしょ?私もそう言ってるんですが、なぜかしら「じゃぁ奴隷はどうなんだ」とか「あなた個人の男女観を理由に他者の権利を侵害するな」とか、何やのん?

>はい、だから「異なる扱いをすること」一般ではなくて、雇用や昇進における差別など特定の分野に限って議論しています。

私もそうですが?何に反論してるの?

(続く)

Re(1):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 芥屋  - 06/10/3(火) 21:02 -

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   (続きです)

>しかし、ここでわたしが問題としていることを「個人の志向が貫徹できない不利」とまとめているのは不当です。

いいえ、あなたが問題に挙げた内、就業差別については同感であって、それ以外のところをそのようにまとめているんですよ。

>というより、そのように描写したうえで「個人の志向が貫徹できない不利」は差別ではないとするならば、例えばキリスト教徒だけを優遇してその他の宗教を迫害したとしても「差別」ではないということになります。だって、「個人の信仰を貫徹できない不利」ですからね。

こりゃまた雑な史論を…キリスト教徒による異教徒への弾圧や征服や虐殺など、あまりにも凄惨なものは比較にならないとおわかりでしょうから省きます。そこで、英国の例を。かつて英国ではカトリックは公職に就けないなどの差別があった。アイルランドが領有されていた頃は、これは事実上、アイリッシュへの就業差別と同義でした。これが差別ではない、という人はいないでしょう。

しかし、では就業も平等になりました、アイリッシュ系カトリックの英国民も公職に就けるようになりました、そうは言っても、国王の式典その他、アングリカンチャーチの儀式次第で行われる行事の際に、「いや、私はカトリックなので云々」と自己主張して場を乱せば?そりゃ叱られるに決まっております。

日本でも、もし私が知人の結婚式で「え?教会で?賛美歌なんか歌えませんよ」とか「禅宗のお葬式?うちは浄土宗だから宗派が違って唱えるものも違うんだけど、困ったな」とか言ったら顰蹙ものです。賛美歌を唱和したからといって、お念仏ではないお経を唱えたからといって、私が改宗したわけでも改宗を強要されているわけではないのに、ね。

アメリカの大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓しても、アメリカ国民が全てキリスト教を信仰するよう強制されているのではない。そういったことと同じでしょう。ある男が職場でスカートを履かないよう求められても、だからと言ってその人に「その趣味はやめろ」とか「もしゲイなら女を愛せるように心を入れ替えるべきだ」とか強要されているわけじゃないんだ。ともかく、ここはそういう自己主張をする場じゃないんだから、場に合わせなさい、そういう指導はあっても当然です。それと同時に、そういう服装ひとつとっても表現の自由のはずだから、もっと広くあってしかるべきではないかという訴えは両立するでしょう。

>また、同性愛差別を正当化する論者たちも、性的指向を単なる「個人の志向」であると決めつけたうえで、それを貫徹できない不利は異性愛を正常とする社会常識に鑑みて「差別」と呼べないと主張しました。

だからあんまり、雑な話をしてもしかたがないですよ。その正当化論者とやらは、よって就業差別があっても当然だと言ってるの?そう言ってるんだったら、私はもちろんそのような正当化は認めないし、そのような形で「個人の志向」を持ち出してくるんだったら、いくらでも反論するでしょう。

>あなたの言うように「ジェンダーの規範による『差別』」は差別ではないとするためには、差別の定義に無数の例外規定を設けなければいけなくなるのです。

逆でしょう。世の中が成り立っていくうえで、ものの見方や考え方が異なる人が集まっていてなんぼなんだという約束事を守る上で、「あなたの内心には立ち入らないが、この場は、この場に合わせなさい」という態度を守ることも必要です。それを拒否するなら、同じものの見方や考え方のひとたちだけが集まって、勝手にやってろということになる。そっちのほうが問題でしょう。マイノリティは見る間に疎外されますよ。

>もちろん、例えば「スカートを履く男性」とあなたが個人的に友達付き合いをしない、というのはあなたの自由です。しかし、もしあなたが採用担当者だったとしても、それを理由に「スカートを履く男性」を雇用しないというのは「差別」にあたります。「社会常識に照らして妥当である」と言うかもしれませんが、仮にそうであってもそれを「差別」と呼ばない理由にはなりません。

ほら、勝手に決め付けて。私の男女観で言えば、スカートを履く男だろうがゲイだろうが、そんなこと自体は交友の基準でも何でもありませんよ。まして私が採用担当者だったとして、プライベートの服装の趣味を採用基準にするわけもありません。また、同僚や後輩の誰某が女装趣味があると知られて、そのことで中傷されているようなら発言者に注意もしますよ。でも、私にできることと言ったらその程度のことでしかないわけです。

で、一体、何で私は議論中にこんなことを申告せにゃいかんのだ?相手の内心を問題にしているわけじゃない…と言いつつ勝手に私の内心の男女観を決め付けられて、すごく心外だから「違う」と言わなくちゃいけないはめになったが、何の尋問なんだこれは。ほんと、フェミナチだな、あんたは。こんな嘘つきに権利だの差別だの言われたくないや。

>しかし、あなた個人の男女観を理由に他者の権利を侵害するなというだけ。

私の見解が、いつ、どこで、誰の何の権利を侵害しているんですか。きちんと引用して「ここが権利侵害」と指摘するように。私が具体的に「そんな権利ありません」としたところは、あなたも「わたしはそんな権利を主張していません」としているんですよ?あなたがたジェンダー教徒は、そうやって合意箇所も反故にして「あなた個人の男女観を理由に他者の権利を侵害するな」と言い出すんだ。いい加減にしろと言いたいですね。

Re(4):おっそろしい
 Josef  - 06/10/3(火) 21:56 -

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   macskaさん

>> それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと
>> 決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点につ
>> いてはおそらく皆が一致しているということです。
>
>そうでしたか、だったらそれで了解です。「ひな祭り=×」という記述は、それ以外の解釈を読者に強いるものではないかと思ったのですが、それは誤解であり図のそのままの意味を伝えようとして図にはなかったイコールのシンボルを書き入れてしまったということなんですね。それなら、わたしの批判は取り下げます。

ではそれに次のことも付け加えておきます。
上記の一致点から、「女の子だから雛祭り」という「決めつけ」が「×」であるならば、雛祭りを性別と関係づけないで行うか、雛祭りそのものをやめちゃうか、どちらにしてもジェンダーと密接に結びついた従来型の雛祭りは「×」であることになるでしょう。これが「雛祭り否定」の意味です。

それから、出所不明の図から「基本のき」に戻りますが、これもまた解釈は上記と同じです。親をはじめ大人たちは「女の子だから・・・」「男の子だから・・・」というふうに特定ジェンダーと特定の行為とを当然のごとく結びつけて子供を育て、子供に接しがちである。当然と思ってやってしまうので当人(親など)には「押しつけ」という意識すらない。しかしそれらは子供たちを「らしさ」の型にはめこみ、本来持っている多様な可能性を制約することに繋がる。だから「らしさ」ではなく一人一人の個性を伸ばすように子育てをしよう、というのがパンフの推奨する子育てです。
この文脈の中で、無意識に「らしさ」の型を押しつけてしまう例が列挙されています。リストアップされたものはすべて特定ジェンダーと特定の行為とを当然のごとくに結びつけてしまう事例(無意識的な押しつけの事例)です。こうした事例の集積が子供たちを「らしさ」の型にはめ込むことになるというのがパンフの言っていることであり、当然ネガティブなものとして記載されています。いわば全体に「×」が付いているわけです。

macskaさんはリストアップされた個々の項目にはポジティブもネガティブもないと言う。仮にそうなら、「女の子だから副委員長(委員長は男の子)」というふうな「決めつけ」もネガティプに記載されているわけではなく、結局、リストアップされた事例及びこれに類する様々な事例の一つ一つについて、決めつけようが押しつけようが、決めつけまいが押しつけまいが、皆さんどうぞご勝手に、とパンフは言っていることになる。いや、「ふり返ってみましょう」とあるから、どうしようと勝手だがとにかくふり返れ、とムチャクチャなことを言っていることになりますか。

そんな出鱈目な読み方をしなければ「雛祭り否定の証拠」を否定できないほど「雛祭り否定の証拠」は確かなものだと言えるでしょう。

どうでもいいことですがmacskaさんへ
 Josef  - 06/10/3(火) 22:00 -

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   以下の投稿、名宛人が違っていますよ。

>Josef さん:
>> 細かい点では違うところはあるかもしれませんが、おおすじ合っているでしょうw
>
>そんな大ざっぱな中傷はしないでください。
>反論のしようがないし。
>
>> とくに、自分の都合の悪いものにはいちゃもんを付け続けるパラノイア的な性向とか。
>
>都合が悪いものでも、納得すれば相手に同意していますね。
>
>つまり、わたしが批判しつづけるのは、味方であろうと論敵であろうと、また都合がよかろうと悪かろうと、自分の良心に照らして納得できないものなのです。それをパラノイアと呼ぶならそれで結構。
>
>> 私を含めいろんな人の投稿を削除するまるで思想警察のような姿勢とか。
>
>あなたの投稿を削除した理由は既に述べたのですが納得いきませんでしたか?
>合理的な理由であるようにわたしには覚えたけれどなぁ。
>
>それともあなたは、どんな理由があっても、自分のブログに付けられたコメントを削除してはいけないという意見の持ち主でしょうか?

Re(1):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 芥屋  - 06/10/3(火) 23:00 -

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   というか・・・

>都合が悪いものでも、納得すれば相手に同意していますね。
>
>つまり、わたしが批判しつづけるのは、味方であろうと論敵であろうと、また都合がよかろうと悪かろうと、自分の良心に照らして納得できないものなのです。

批判意見に対して、自分の良心に照らしてちゃダメじゃないか。自分の良心がおかしくなってるとか、考えないのかね。それを独善、と言うんですよ。

自分の良心に照らして納得すれば同意だ?それまで批判をやめない?このファシストが。

照らし合わせるべきは、事実、だろうに。

Re(6):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/3(火) 23:46 -

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   macskaどん:

そろそろまとめますよ。

>> 結局のところ、「自省」の内容については、あなたには想像もつかないって
>> 話じゃないの。
>
>そうですねぇ。自分が実際にやったことで自省することはいろいろあるのですが、やってもいないことを「もしやっていたら」どのように自省するかなんて想像するのは難しいです。

ところがこれは赤ちゃん以上の子供に関して述べられた子育て用のパンフですから、そこに挙げられている多くの事例は、これから子供ができる人、またはこれから子供を育てようとしている人にとっては、「やってもいないこと」なんですよ。親の立場からの節句祝い、命名、ランドセル購入、子供服購入、みなそうですね。

だからこのパンフがあなたの言うように「何をどう自省せよとは言ってない」「既存のジェンダー観を否定するものではない」のだとしたら、多くの対象読者にとっては、「やってもいないことをどのように自省するかなんて想像するのは難しい」でしょうね。したがって、「考えを変えることがあれば無効ではない」とも言えない。何がどうなったら自省であり、有効なのか、その読み方ではまったく判然としないからです。

しかし、これを我々が主張するように「既存のジェンダー観を否定する」反語だと読めば、これからここに例示されていることをやろうとしている人、あるいはすでにそのようにしてしまっている人にとっては、十分「自省」のきっかけになるでしょう。「あ、こういう風に育ててはいけないんだ」という形でね。

実際、そういう読解をした人はたくさんいると思いますよ。それは「誤解したほうが悪い」のでもなければ「妄想」でもありません。そのように読まねば、文書としての意味をなさない、そういう文書を意味の通る解釈をしただけで、無教養だの妄想だのと口汚く罵るようなイデオロギーは、右翼であろうがリベラルであろうが、どんな立場からだって認められないですよ。

「雛祭り」なんてのは、その中の一例にすぎない。むしろ雛祭りさえこういう論法で否定する、そういうムチャクチャな思想だという意味で、まったくもってまっとうな批判ですよ。

>証拠が消えたと言われても、見えないものは見えないのでコメントのしようがないです。無視しようというつもりではなかったし、そこにジェンダーチェックがあったということを疑うつもりもないのですが。

実はそのときwebarchive.orgが落ちていて、復元できなかったのです。その後確認してみたら、404になっているものもほとんど記録されていますよ。おぞましいジェンダーチェックや支離滅裂な「啓発」の類です。論点が拡散するのでここでは出しませんが、まあヒマだったら見てみてくださいね。いや、「最近のものだから証拠は残ってるだろう。だから片っぱしから証拠を出せ」と迫ったあなたなのですから、本当は見る義務があるでしょう。論敵に対して誠意を持つのであればね。

>今は、ひな祭りの否定があったかどうかという話ですよ。でも、ひな祭りについてのある記述を解釈するのに、その部分だけ取り出しても仕方がないのです。全体のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検証しましょうとわたしは言っているのです。何ら矛盾はありません。

こちらは最初からそういう趣旨で論を組み立てています。上に改めて書いたけども、別に雛祭りじゃなくても、ランドセルにしろ子供服の色にしろ、それからトイレの表示色にしろ混合名簿にしろ、全部同じ論理で批判できるわけです。

つまり、むしろあなたが「雛祭りの否定なんかどこにもなかった」と声高に言っても、それは実はなんの反論にもなってないんですよ。「全体のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検証」しなければいけないんだから。

>撤回します。が、今後は「ひな祭りの項目以外何も考慮しない」か「全体を論じる」の両極端ではなく、「全体の中においてひな祭りの項目がどういう意味を持っているか」を議論してください。

あなた意外のみなさんは、最初からそのようにしていますけど…。またしても天唾ですなw


>> 私たちが押しつけている「自分達の思想」とは何思想ですか?
>
>ジェンフリは全体主義だ思想。
>普通ならありえないような極端な資料解釈を通して、無理矢理その結論に結びつけているように見えます。

普通ならありえないような極端な資料解釈とは、「このパンフは自省のきっかけになる。何をどのように自省するかは各人の勝手。ちなみにそれは私には想像もつきません」というようなもののこと。これもあなたは意図的なのかそうでないのかずっと無視し続けてるけど、このパンフで使われている否定疑問文は、全部反語ですよ。もし違うというなら、「あなたは節句の伝統を大事にしてますか」「女の子らしい服を買ってあげてますか」のように、全部肯定疑問文の形に直しても同じく「自省のきっかけになる」「パンフは何も指図していない」「何をどのように自省するのかは個人の勝手」ということになるはずでしょう。

それこそが「普通ならありえないような極端な資料解釈」ですよ。もはやこれは語学・文法レベルの妥当性の議論になってしまっているわけです。あなたが揚げ足取りと曲解と歪曲を重ねてきた結果が、これです。macskaさんにしては、たいへんみっともない議論だと思います。

>> だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たと
>> えばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明
>> することができないわけです。
>
>だって、わたしはパンフの著者でもないし、そういう呼びかけに賛成しているわけでもないもの。

あなたがパンフの著者である必要などないでしょう。テクストをあなたがどう解釈するのが妥当かという話なのですから。あなたは書かれた文章の真意や意図は著者の専権事項だと思ってるのですか? いったい何言ってんの?w

>パンフを読めば、パンフはそういう呼びかけをしていると分かる。でも具体的にどう自省すれば良いのかなんてわたしに聞かれても困る。だって具体的にそれは書かれていないもの。

あなたに「聞かれて困る」ことは、他の人が聞かれても困るんじゃないですかね?常識的に考えて。なんでそんなものが、有用になったり有効になったりすると思えるわけ? いかなる意味でもいっさいそういう例など考えられないでしょうが。

>> 雛祭りの何を問題にしているのか全然「わからん」。
>
>ひな祭り自体を一切問題にしていないと思います。

詭弁にすらなってません。「女の子だから雛祭りを祝う」のが「雛祭り自体」ですよ。男の子だからこそ祝う雛祭りなんてものはないし、男女ともに祝う雛祭りなんてものもないです。そういう祝い方をしたければ各人勝手にやればいいけども、それは「雛祭り自体」ではないですね。そしてパンフの中に例として挙げたのが「問題にする」ということです。文字通り、to put in questionですよ。

つまり、このパンフを見て「ひな祭り自体を一切問題にしていない」と言うのは、それこそありえない解釈ですね。重なっていた×をイコールで表現したどころの騒ぎではない、明々白々たる歪曲でしょうに。

>> ということは、雛祭りや鯉のぼりには、ジェンダーと子育てというトピック
>> でやりだまに挙げて自省しなければならない要素など実は何もないというこ
>> とです。
>
>ひな祭りや鯉のぼりには、やりだまに挙げられなければならない要素はないでしょう。

にもかかわらず、やりだまに挙げて反語で問いかけたわけです。こんなことやってませんか?とね。これは、否定です。

>> 何もないのに、さも何か問題があるように
>
>ひな祭りに問題があるとは書かれていません。

ええ、もちろん。反語を使って「さも何か問題があるかのように」書かれているのです。
私の書いたことを「歪曲」しないでくださいね。

おっと、《ウソつき! あなたの文には「か」が書かれていません》なんてくだらない返しはもうナシにしてくらはいねw


#いまいちまとめにならなかったな…。でもだいたい道筋ははっきりしてきたかと思います。

Re(10):パラノイア
 tpkn  - 06/10/4(水) 0:13 -

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   macskaどん:

>tpknさん:

>それは別にわたしが自分の発言を撤回したくないから認めていないのではなく、純粋に学問的良心に照らして事実に反するとわたしは思っているのです。(自己愛的な無意識感情が、わたしの理性的な判断に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定しません。というか、無意識なんだからわたし自身に否定できるわけがない。)

というかですね。あなたがふだん言っていることと、この議論でのあなたの立場は、論理的にすごく矛盾していると思うのですよ。それは自己愛というより、むしろ「他己愛」とでも言うべきものでしょう。ぶっちゃけ、運動の論理(クソウヨ叩き)が前面に出すぎだと感じます。

>しかし、仮にそれらが実例だったとします。それで何が変わるかと言えば、「ただの一つも実例はない」と書いた部分を訂正して「たった2つのショボい例があるだけだ」になるだけです。

いいえ。《「全体の中においてひな祭りの項目がどういう意味を持っているか」を議論》しなければならないのですから、数がひとつだからといってすなわち「ショボい」ということは言えないでしょう。これは、批判する側も「ひな祭りや鯉のぼりまで…」というニュアンスで持ち出してきているわけです。つまり、ここでは数の多寡ではなくて、実際にあったかなかったかだけが問題なんですよ。なぜなら、「ひとつもない」に対する反論だからです。

> それにより、ジェンダーフリーが日本中に蔓延して全国各地で悲鳴があがっているとか、このままでは日本は崩壊するとかいう妄言が正当化されるわけではない。そうでしょう? 

そうだと思いますよ。だから、こういう反論を私や芥屋さんにぶつけるところが、「運動の論理が前面に出すぎ」に見える原因でしょう。

> どれだけの人が実際に読んだか分からない文科省委託のパンフが1つあり、酷いデザインの誰も見なさそうな民間団体のサイトが1つあったというだけなんですから。

ひな祭りまでやり玉に挙げたのは「基本のき」ですが、《「全体の中においてひな祭りの項目がどういう意味を持っているか」を議論》するならば、《文科省委託のパンフが1つあり、酷いデザインの誰も見なさそうな民間団体のサイトが1つあったというだけ》とは言えなくなるでしょうね。それに類するものは、各自治体のパンフ、ウェブサイトに無数にあります。いや、正確に言えば「ありました」。

Re(4):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/4(水) 0:32 -

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   macskaどん:

>> 「基本のき」が「ヒステリックなサヨク・ジェンフリ派」だと認めるなら、
>> 同じレベルだと認めるにやぶさかではありませんよ。
>
>サヨクやジェンフリ派にヒステリックな連中はいますが、「基本のき」は違うでしょう。行政にありがちな偉そうな物言いが癪ではありますが、ヒステリーとは違った問題です。

いえ、これは没論理で感情的という意味で、やっぱり「ヒステリック」と言っていいかと思いますね。私のほうの「ヒステリック」は「しつこくて声がでかい」ぐらいの意味ですがw

>「基本のき」には有用な情報や呼びかけが一切ないとでも? その方がおかしな読み方では。
>一部には有用な内容もあるけれど、おかしな内容が多い、というなら分からないでもないですが。

だってあなたも私も、それがどのように有用なのか、これだけ話し合ってもひとつも思いつかないんですよ?
そりゃ本筋と違う部分で「有用な内容」もあるかもしれませんが、今はそんなこと話し合ってないでしょう。

>パンフがくだらない点については反対しないけど、ひな祭りを否定していないじゃん。

もう何回もヒステリックに言うけどw、これはひな祭りの否定ですよ。おおまかに言って。
なぜそうなるかは、二つ前の投稿(06/10/3(火) 23:46)の最後部参照。

>いや、おおもとの動きが酷い場合でも、酷くない場合でも、反動が起きることはあります。奴隷解放後に黒人をリンチして回ったKKKは反動と言えますが、奴隷解放が酷かったわけではありませんね。

KKKにとっては「酷」かったのでしょう。

だいたい、反動って言葉は「正しい革新」に対する「間違った揺り戻し」というニュアンスで使われる言葉ですから、私がここで自説を「反動」と位置づけているのは諧謔でもあるし、フェミニズムそれ自体に一定の敬意を払うという意味での、私なりの譲歩なんですよ。そのぐらいわかってくださいな…。

文字通りのヒステリー
 tpkn  - 06/10/4(水) 0:47 -

引用なし
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   macskaどん:

>> したがって、あなたの《意見とパンフ著者の意見をこのように繋げて
>> 「ほれ見てご覧なさい」と書くということ》が、この場合もっとも自
>> 然な論理展開です。
>
>わたしとパンフ著者では立場が違うので、このように勝手に繋げないでください。

これが「ヒステリック」の例ですね。

私はあなたの書いた言葉がパンフの著者の主張を内包していることを説明した上で、こうつなげるのが自然な論理展開であるとしました。

それに対して「勝手に繋げないでください」が反論になるわけないでしょw

「勝手に」かどうかと言えば、あなたの書いた文章の論理はあなたの手をすでに離れた独立した事象として存在するものですから、誰でも勝手に扱っていいはずです。論理的に間違いでなければね。ですから「勝手に繋げ」ますよ。当たり前でしょう、そんなことは。

>そもそも、パンフ著者はわたしの存在すら知らないわけですし。

全然なんの関係もなし。

Re(1):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 4:57 -

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   > そういった意味で、macskaさんの言われていることは、その職場で
> 差別を訴えるのではないが、広く着衣の自由の概念として押さえて
> おきたい、ということですね。

いや、そうではないんですよ。
というか、広く着衣の自由の概念として押さえることに反対するわけではないのですが、わたしはあくまでそれを「ジェンダーの規範」の一つの例として主張しているわけです。

たとえば、女性の服装で、あまりに派手あるは露出度が高くて、誰が着ていても職場の雰囲気に合わないということがあります。もし女性が職場で着ることも駄目なのであれば、それを男性が着て良いはずがありません。その場合、「着衣の自由」には反していますが、「ジェンダーの規範による差別」は起きていませんね。

女性がスカートをはいてもいいのに男性がスカートを履いては駄目だとか、女性がピアスを付けていてもいいのに男性がピアスを付けては駄目だとか、そういう場合において、わたしは「ジェンダーの規範による差別」であると言っているのです。

これは別に服装だけに注目したわけではなく、例えば口調とかその他のコミュニケーションスタイルでも「男性なら好評価に繋がるのに、女性だから低い評価に繋がる」「女性なら好評価に繋がるのに、男性だから低い評価に繋がる」パターンがありえます。

わたしが「ジェンダーの規範による差別」(ジェンダリズム)と呼んでいるのは、そのように男女で(必ずしも男女どちらに一方的に有利あるいは不利とは言えないまでも)異なる、ジェンダーステレオタイプに沿ったルールが適応されることにより、ジェンダーの規範に合致しない人たちが不利益を受けるようなシステムのことです。

上のジェンダリズムの説明において個々の規範が「必ずしも男女どちらに一方的に有利あるいは不利とは言えない」と言いましたが、もちろん現在の社会においてはそうしたジェンダーステレオタイプは総体としてセクシズムと共軛するようにできています。つまり、「男らしさ」のジェンダーステレオタイプは男性をより社会的成功・社会的権力の側に押しやる効果があるのに対し、「女らしさ」のジェンダーステレオタイプは女性を家庭もしくは社会的従属の側に押しやる傾向があります。

> 「男らしくない女らしくない」などという評価基準は、実際には職場
> で大きなウェイトなど無いのであって雇用差別に結びついたという事
> 例もない、したがってそのような差別ではない、というのが第一。

これが、まったく信じられません。現実逃避ではないでしょうか。
女性求職者が「女らしさに欠ける」として就職において不利になったことが、まったくないと本気で言っているのでしょうか?

> そして服飾や化粧について言えば、場に合わせることを求められるこ
> とがあっても当たり前であって

その「場に合わせる」中に、ジェンダーステレオタイプに合わせること、という不文律が含まれているわけですね。それが差別であるとわたしは言っています。

「場に合わせなければならない」ということが「差別ではない」根拠にならないことは、例えばこれまで男性しか雇ってこなかった企業があって、女性社員を採用したら社内の雰囲気が大きく変わるかもしれませんが、だからといって女性を採用しないことが「差別ではない」ことにはならない。あるいは、イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。

Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:06 -

引用なし
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   > 日本でも、もし私が知人の結婚式で「え?教会で?賛美歌なんか
> 歌えませんよ」とか「禅宗のお葬式?うちは浄土宗だから宗派が
> 違って唱えるものも違うんだけど、困ったな」とか言ったら顰蹙
> ものです。

そうですが、会社で毎朝キリスト教のお祈りをするように強要されたら、その会社がキリスト教関連会社でもない限り問題でしょう。ところが現実に、化粧品のモデルとして採用されたわけでもないのに、毎日化粧をするよう強要されている労働者がいるわけです。

> アメリカの大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓しても、アメリ
> カ国民が全てキリスト教を信仰するよう強制されているのではな
> い。そういったことと同じでしょう。

はい、だから社長が「俺は男だからスカートは絶対履かないぞ」という信念の持ち主でも、まったく構わないわけですよ。社員に同じ信念を持つよう強要しなければね。

> で、一体、何で私は議論中にこんなことを申告せにゃいかんのだ?
> 相手の内心を問題にしているわけじゃない…と言いつつ勝手に私の
> 内心の男女観を決め付けられて、すごく心外だから「違う」と言わ
> なくちゃいけないはめになったが、何の尋問なんだこれは。

例えばの話なんだから、別にあなたの考えを決めつけたわけじゃないですよ。
「例えばあなたが」じゃなくて「例えばAさんという人が」でも全く意味は同じです。

> 私の見解が、いつ、どこで、誰の何の権利を侵害しているんですか。

だから、「例えばあなたがこうしたとしたら、問題ですよ」と例え話をしているんだってば。

「そんな例えを言われるのは不快だ」というなら謝りますが、わたしはあなたがそういう男女観の持ち主であるとか、そういう権利侵害をする人だと思っているわけではなく、本当にただの例えで「仮にあなたがこういう男女観の持ち主であったとして、こういう行為ならばあなたの自由だけれど、こういう行為は権利侵害に当たる」と説明しているだけなのです。

Re(5):おっそろしい
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:21 -

引用なし
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   > macskaさんはリストアップされた個々の項目にはポジティブもネガ
> ティブもないと言う。仮にそうなら、「女の子だから副委員長(委
> 員長は男の子)」というふうな「決めつけ」もネガティプに記載さ
> れているわけではなく、結局、リストアップされた事例及びこれに
> 類する様々な事例の一つ一つについて、決めつけようが押しつけよ
> うが、決めつけまいが押しつけまいが、皆さんどうぞご勝手に、と
> パンフは言っていることになる。

ちょっと待った。
「ひな祭り」が出てくるリストにおいて、「女の子だから副委員長」とは書かれていません。書かれているのは、「係り・役割」という欄に、「副委員長、会計、図書、保健、美化、給食当番は配膳」と書かれているのみです。男の子の側には「委員長、運営、体育、給食当番は運搬」と書かれています。

さて、この記述は女の子が副委員長になること自体を否定しているのでしょうか? 男の子が委員長になってはいけないという意味でしょうか? もちろんそうじゃありませんね。

女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

このパンフは、明らかにそうした固定的なジェンダーステレオタイプの押し付けや決めつけに反対(押し付けや決めつけは望ましくない)の立場に立っています。しかし、女の子がひな祭りを祝うことや、副委員長になること自体が悪いという解釈は明らかにおかしい。ですから、わたしはこれらの項目の1つ1つがポジティヴとかネガティヴなのではなく、それらの押し付けや決めつけが問題とされているのだ、と指摘しているのです。

いったいどこで認識が違うのかよく分からないのだけれど、「パンフが伝統破壊の全体主義かどうか」という部分だけ何故か違うんですよねー。

Re(1):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:23 -

引用なし
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   >Josefさん:
>以下の投稿、名宛人が違っていますよ。

ごめんなさい。別のところで下書きしてカット&ペーストしているのですが、その前に書いた記事の宛て先が残っていたようです。

Re(2):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:25 -

引用なし
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   > 自分の良心に照らして納得すれば同意だ?それまで批判をやめない?このファシストが。
>
> 照らし合わせるべきは、事実、だろうに。

だから、自分の良心に照らして事実かどうか判断しているというわけで。
自分の良心を持ち出すことで何が言いたいかというと、要するに政治的に都合が悪いからといって事実から目を逸らしたりしていませんよ、と言っているわけですよ。それなのに、どうしてこんな酷い解釈で罵倒されなければいけないのか。

Re(7):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:39 -

引用なし
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   > したがって、「考えを変えることがあれば無効ではない」とも言えない。

あの、有効無効というのは、パンフレットの目的について語った部分ではありませんよね。
それをパンフレットの意義についての発言であるかのように引用するのはやめてください。

> つまり、むしろあなたが「雛祭りの否定なんかどこにもなかった」と声
> 高に言っても、それは実はなんの反論にもなってないんですよ。「全体
> のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検
> 証」しなければいけないんだから。

そうした結果、ひな祭りを否定しているという解釈に何の根拠もないことが分かりましたが何か。

>>> だって、「自省してみましょう」という呼びかけだ、としながら、たと
>>> えばどういう自省をしたら子育てに有効なのか、あなたはまったく説明
>>> することができないわけです。
>>
>> だって、わたしはパンフの著者でもないし、そういう呼びかけに賛成しているわけでもないもの。
>
> あなたがパンフの著者である必要などないでしょう。テクストをあなたが
> どう解釈するのが妥当かという話なのですから。

だから、自省を呼びかけるだけで具体的な指針は示していない文書である、というのがわたしの解釈なわけですよ。あえていうなら「子育てはジェンダーフリーで」を推奨しているわけですが、具体的にひな祭りをどうすれば良いのかといった話は一切書かれていません。

それじゃ呼びかけの意味がないではないかみたいに反論されていますが、呼びかけの意味があるかないかなんて、わたしにとっては全然関係ない問題ですから、そんなにそれが気になるならパンフの著者を問い詰めてくれと言いたいです。

> あなたに「聞かれて困る」ことは、他の人が聞かれても困るんじゃないで
> すかね?常識的に考えて。なんでそんなものが、有用になったり有効に
> なったりすると思えるわけ?

いいですか、人は誰でも日々あまり考えることなく様々な決断を下しているわけですね。そうした無意識の決断や行為について、振り返ってその意義を確認したり、他の可能性を考えることは、全く無駄ではありません。わたしは、このパンフにはその程度の効用はあると思っています。現実に「子育てはジェンダーフリーで」という呼びかけが功を奏するかどうかについては、あんまりそういう効果はないんじゃないかと思いますが。

Re(5):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 5:55 -

引用なし
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   tpknさん:
> もう何回もヒステリックに言うけどw、これはひな祭りの否定ですよ。
> おおまかに言って。

それがおおまかすぎるからこうして議論になってるんですよ。

パンフの表現に、誤解を受けるような要素があったかといえば、もちろんありました。
現に誤解している人がこれだけいるんですから。
しかし、それ以上に、あのパンフの内容を「ひな祭りの否定」と描写することは、誤解を招く表現です。

「パンフがひな祭りを否定している」という文を読めば、普通の読者には「ひな祭りはけしからんとか、廃止すべきだと書かれている」と解釈するでしょう。しかし現実にそういうことは書かれていませんし、tpknさんの言う「ひな祭りの否定」というのもそういう意味ではないわけです。

あのリストには、例えば男の子の「黒いランドセル」や女の子の「副委員長」という項目があります。しかし、「男の子に黒いランドセルを買い与える事」「女の子が副委員長になること」を否定しているのかというと、そんなわけではない。ページ全体を読めば、男の子だから黒いランドセルだと決めつけていませんか、女の子だから副委員長だと押しつけてはいませんか、という呼びかけが行なわれていると解釈できます。もしこれを「黒ランドセル否定」「女の子の副委員長否定」と描写したとしたら、明らかに文意を歪曲していますね。だって、黒ランドセルが否定されたわけでも、女の子が副委員長になることを否定しているわけでもないんですから。

ところが、「ひな祭り」に限ってのみ、それらとは違った特殊な解釈によって「ひな祭り否定」と描写しても良いとあなたは主張しているわけです。しかし、どうしてひな祭りに限ってそんな特殊な言葉遣いをするのか全く分からない。ランドセルや副委員長の例と並列に並べてあるのだから、黒ランドセルの項目が決して「黒ランドセル否定」ではなく、副委員長の項目が「女の子が副委員長になることの否定」ではあり得ないように、ひな祭りの項目を「ひな祭りの否定」と描写することは完全に間違いなのです。

このように、本来ならば「ひな祭りの否定」とは決して表記すべきではない内容なのに、そのような表記にすることの利点は何かあるでしょうか? それは、問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人にとって、ジェンダーフリー派がひな祭りそのものを否定しているかのように宣伝することでジェンダーフリーの評判を落とすための政治的な道具として役に立つという事くらいでしょう。もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。

Re(1):文字通りのヒステリー
 macska E-MAILWEB  - 06/10/4(水) 6:00 -

引用なし
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   > 私はあなたの書いた言葉がパンフの著者の主張を内包していることを説明
> した上で、こうつなげるのが自然な論理展開であるとしました。

内包していません。どうして「もしかすると思いつくことがあるかもしれない」という認識が、「ふりかえってみましょう」という呼びかけを内包すると言えるのでしょうか。前者は単なる認識であり、それ自体後者のような政治的呼びかけを必然としませんよ。現に、わたしはそうした呼びかけを行なわない、とはっきり書いているわけですし。

> 「勝手に」かどうかと言えば、あなたの書いた文章の論理はあなたの手を
> すでに離れた独立した事象として存在するものですから、誰でも勝手に
> 扱っていいはずです。

それはその通りですが、勝手に他者の主張と繋げて加工したものを「わたしの主張」であるかのように提示してはいけません。「ほれ見てご覧なさい」という記述は、見られる対象であるわたしがその主張をしている、と提示されたものでしょう?

Re(3):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 芥屋  - 06/10/4(水) 7:45 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> 自分の良心に照らして納得すれば同意だ?それまで批判をやめない?このファシストが。
>>
>> 照らし合わせるべきは、事実、だろうに。
>
>だから、自分の良心に照らして事実かどうか判断しているというわけで。

事実であるかどうかを、自分の良心に照らしちゃダメじゃないか。そんなことをするから、事実を事実として見る事ができなくなるんですよ。

>自分の良心を持ち出すことで何が言いたいかというと、要するに政治的に都合が悪いからといって事実から目を逸らしたりしていませんよ、と言っているわけですよ。

「自分にとって政治的に都合が良いか悪いかで判断しないのが、わたしの良心」というのは、自己の政論についての自負でしかない。「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」というのが独善でしかないことに気付かなくなるわけです。

それだけではない。自分はそのように良心に照らして公平に見て事実を判断した。すると、その事実に反する意見を述べているものは、自分と違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる…あなたの論調は、こうなってしまっているだろ?

>それなのに、どうしてこんな酷い解釈で罵倒されなければいけないのか。

ファシストの検閲官も同様の良心に従って「事実かどうか」を決定しただろうからね。

*他のレスはまた後で。

Re(4):おっそろしい
 バジル二世  - 06/10/4(水) 14:34 -

引用なし
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   >macskaさん:
>そんな大ざっぱな中傷はしないでください。
>反論のしようがないし。

>そのイラストを「ひな祭り=ダメ」と描写した場合、「ひな祭り」と「ダメ」とがイコールの関係で結ばれている、という意味にしか読み取れなくなります。すると元のイラストは少なくとも2通りの解釈が可能であり、どちらがより妥当な解釈なのか議論しているはずなのに、文字で描写した瞬間にその一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった。

あのさぁ、これまでの前々レスで私は確かに「2通りの解釈ができるのに一方の解釈しか成り立たないようなものに意味が変わってしまった」という部分を読み取っていないよ。2通りの解釈って何なんですか?

そこのところがすごく分かりにくいわけですよ。まあそれでレスしてしまった私も軽率だったかもしれないが、私は私で、「=×」とすることが元の図版より強い意味をもつか、そうでないかの2通りの解釈間で議論が事実あったため、あなたが「読み手の感覚によって意味が変わってしまう記述はおかしい」と言っているのだと理解したんですが、そういう議論があった以上、そのように理解してしまうのを「誤読だ」と何回も責められねばならないほどのことなのですかね。

>あなたの投稿を削除した理由は既に述べたのですが納得いきませんでしたか?
>合理的理由であるようにわたしには覚えたけれどなぁ。
>
>それともあなたは、どんな理由があっても、自分のブログに付けられたコメントを削除してはいけないという意見の持ち主でしょうか?

こちらにお答えしてます。

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1024;id=keya1984

Re(6):おっそろしい
 Josef  - 06/10/4(水) 16:56 -

引用なし
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   macskaさん

>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

はい、そこは最初から皆が一致しているということを踏まえて前稿を書いたつもりですが伝わってませんかね。要するにリストが示しているのは、こんなふうな決めつけや押しつけはやめようね、ってことです。だからリスト全体はネガティブな事例として掲載されているわけ。

上の副委員長のケースと同じで、雛祭りについても、女の子だからお雛様が当たり前で男の子なら鯉のぼりが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているのです。この訴えに従うなら、「女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で…」というような押しつけが良くないのと同様に、「女の子だから雛祭りが当たり前で…」というような押しつけは良くないのです。

>いったいどこで認識が違うのかよく分からないのだけれど、「パンフが伝統破壊の全体主義かどうか」という部分だけ何故か違うんですよねー。

もちろん違うのはリストの価値付けです。上のmacskaさんの文でも明らかなように、パンフが何を訴えているかという大筋においては最初から解釈の違いは存在していない。ところがmacskaさんはなぜかリストをパンフの訴えと関係づけるのを拒み、価値中立的なものとして読もうとしている。

そこで、「女の子だから雛祭り、という決めつけがネガティブに記載されている」「女の子だから副委員長という決めつけがネガティブに記載されている」といくら言っても、「雛祭り自体がダメだとは書いてない」「女の子が副委員長になること自体がダメだとは書いてない」の一点張りで(そこはみんな分かっているのに)、そこから一歩たりとも出ようとしないのがmacskaさん、という構図になってます。

Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/4(水) 18:10 -

引用なし
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   >macskaさん:
>芥屋さん

完璧、横レスですが、

杏野先生のブログより
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20061002

とうとう、日本もここまで来ちゃっいましたか……。

かくいう私も、戸籍は男のままで、スカートを掃いて仕事にいっているが…
とはいえ私はブルーカラーなんで、会社では制服の作業ズボンに着替えますが
まあ工場で、女子の制服をスカートにするバカな企業があるわけない……
機械に挟まったらどうする、てなもんです。
いや、それは「性同一性障害者」の場合で、普通の男性が、スカートをはいて会社にいけないのは差別だと……。だから、性同一性障害と異性装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこにいるんだって話ですね、これは……(^^)。

こういうのを架空の代弁といいます。抑圧者を架空に設定して、その代弁を行えば、どんな事象でも「差別」と称して詭弁をまくしたて反抗することが可能になる。私が、もっとも憎む思想といっていい。

性科学者と呼ばれる人が、「同性しか愛せない、同性愛者ってかわいそう」とか「男か女かわからない半陰陽者ってかわいいそう」と、架空の代弁をして、「電気ショックで女が好きにしてあげよう」「子供のうちに手術してあげよう」といって、いままでご先祖様たちをどんな目に遭わせてくれたか、もう忘れたか?


私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でしかありません。macsukaさんの言いたいことは、規範というものは、すべての人に同一ルールであるべきで、それ以外は個人の勝手と、理由がある例外規定があり、個人の勝手でなく、理由もないのが差別だ……。

という整理の仕方ですね。
だったら、税金は、人によって同一税額の人頭税がもっとも差別がない税金であるという理屈になる。いやそんなことはない同一ルールであるべきなので、人頭税か、同一税率であるか、累進課税であるかは、場合による。どれが公平なルールであるかは状況によって違ってくると反論するでしょう。

というのであれば、おなじことは、macskaさんのいう「ジェンダーによる差別」にも当てはまる。
「「ジェンダーに規範による差別」なのか「理由のある例外規定」なのかは、状況や見解によって変わってしまうんじゃないですか?

スカートを例に取りましょう

男性がスカートをはけないのが差別だとmacskaさんはいう。でも、これは男性は掃きたくとも、はけないんじゃなくて、掃かないんじゃないですか。
理由はただ一つ「動きにくいから……」

むしろ、民の声としてあるのは、「女性がスカートを掃かされるのは差別だ。動きにくい、うっとうしい」のほうじゃないですが?

これは服飾史の基本が頭に入っていると簡単にわかります。
基本的には服飾というのは古代の懸衣から→寛衣→窄衣と発達してきます。
懸衣というのは、古代エジプトとかギリシャキトンみたいに、一枚布を体に懸けてぐるっと巻き付けたけの衣服。日本だと弥生時代の貫頭衣がそうです。やがてローマ時代のローブや、日本の本袴・行灯袴のように、布を筒状に縫った寛衣が登場する。スカートというのは、この寛衣の名残です。

やがて騎馬民族から窄衣がつたわる。ズボンというのはこの窄衣です。両足が別々になっているのは、馬に跨るときには、そのほうが乗りやすいからです。

窄衣のように体にピタとフイットする服は、立体裁断が必要なため。作るのが難しいのですが、動きやすいので、戦闘服や作業衣として使われて洋服として定着していきます。日本の馬乗袴(剣道で使うやつ)、野袴(モンペ)や股引などがそうです。こっちのほうが動き易いわけです。

男性と女性で寛衣から窄衣への切り替わりにタイムラグがあるのは、封建時代には、馬に乗って戦闘するのが、男性だったからとか、女性のほうが、格式があっておしゃれな伝統的な衣類を好んだからとか、いろいろ説がありますが、まあ、自由とか平等という観念があまり普及してなく。人間がまだ身分制度に縛られていた中世での話です。

和服は基本的に寛衣なんですが、武士は、馬に乗るから、馬乗袴ですし、百姓町民は、仕事をするときは裾をからげて股引をはいてました、そのほうが動きやすいからです。それでも、女性の作業着として日本では野袴は使われてきましたし、大奥の警備をしていた別式女は、戦闘要員ですから袴を掃いていました。

現在、電車の中で観察すると、スカートをはいている女性は、少なくなりました。若い子はみんなジーンズです。そのほうが動きやすいからです。男性のスカートは皆無です。まあ、自由な時代になれば、カジュアルな空間では動きやすいものを選択するのが普通ですから、女性のスラックスはどんどん増えても、男性のスカートというのは、絶対に、はやらない。男性がスカートを選べないのは抑圧だというのは、ジェンフリ派の妄想にすぎません。

ただ、フォーマルな衣服、たとえば、よそ行きとか、接待など改まった衣服を着なくてはならない場では、古い伝統的な形式が踏襲されるので、女性がズボンを掃いていると、だらしないと言われることがある。しかしそういう場では男性もやはりフォーマルなスーツを着てないと「失礼」だと、評されますから、ある意味、平等です。それから、むちゃくちゃフォーマルな儀式の場では、男性も、古い古い古式である寛衣を着用する場合もあります。
神主さんの本袴、巫女さんの行灯袴と同じくスカートですし、ローマ法王がミサの時には、ローマ時代さながらの寛衣、スカートです。仏教のお坊さんにいたっては、袈裟ですから、寛衣を通りこして、懸衣だ、これは。儀礼の場では、2000年も前の古代の衣服がまだ残っているわけです。
スコットランドの軍楽隊がキルトにバグパイプなのも、軍礼装だからです。

ある、ジェンフリのパンフレットに、世界には男子がスカートをはく民族がいることを教えましょうと、キルトをはいてサッカーボールを蹴っているスコットランドの少年のイラストが書いてあったけど、「本袴を掃いて、蹴鞠をするバカがどこにいるか!」てなもんですね。

将来、ワールドカップで、スコットランドチームと対戦するときに「おまえんところじゃスカート掃いてサッカーやってるんだろう」なんて言おうものなら「わが民族をバカにするな!」と頭突きを喰らうに違いない。

まとめるとこうなります。

   カジュアル  よそ行き  礼服 厳礼服
男性 窄衣   窄衣    窄衣 寛衣
女性 窄衣   窄衣/寛衣 寛衣 寛衣

歴史的な事情で、女性ほうが、よそ行きレベルで、寛衣の形式が残っているわけです。しかし最近では、女性向けのパンツスーツも登場してきてます。服飾の歴史はプライベートな衣服がよそ行き化していく法則がありますから、女性が活動的になるにつれ、どんどん窄衣が右方向によっていくことになる。逆に、神主さんやローマ法王が儀式の時に着ている服が、男性のカジュアルファッションになるとは考えにくい。

女性が彼氏とのデートにスカートを選択するのは、そのほうが女らしいから(貫衣がよそ行きレベルで残っているのは女性だけだから、女らしさの象徴になる)という理由だけでなく、ある意味、彼氏を接待しているからという要素もある。ホステスさんがスカートを着用するのは、太股が見えるからというスケベな意味だけでなく、やはりお客さんを接待しているからという理由もある。受付嬢が……以下同文。
もし受付イケメンが選ばれるなら、やはりそれに相当するフォーマルな格好が要求されるわけで、こういうふうに視点を変えてみれば、これで男女は対等という見方もできるわけですね。

つまりmacskaさんの、ジェンダー規範による差別論は、もっともらしく見えるけど要は机上の空論なわけですね。

【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁について...
 tpkn  - 06/10/4(水) 19:13 -

引用なし
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   ちょっと本筋から脱線してみます。

macskaさん曰く:

>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。

そんな「価値観」、いったいどこにあるのでしょうか。私は、経験上、そういうものは存在しないと思います。個人的な経験で言えば、自分が中学高校の時の委員長は女の子である場合のほうが多かったし、個人的な経験を離れれば、たとえば1976年に連載が開始され約20年にわたって続いた石井いさみの『750ライダー』でも、ヒロインは女性である「委員長」です。そのことをおかしいと思ってる人など、ほとんど見たことありありません。


男女比がほぼ半々となる学校に於いては、委員長には女子でも男子でも普通になっています。むしろ、女子のほうが若干多いという印象すらあります。これが、世の中一般の「〜長」になると、確かに男性のほうが増えるのでしょうが、それは今の大人の社会自体がさまざまな事情から男性中心に構成されているということであって、それは男女差別にもかかわるでしょうから、それを問題にするのはわかります。でもそれは、「子供のときから植え付けられてきた価値観」などによるものではないでしょう。

つまり、

>このパンフは、明らかにそうした固定的なジェンダーステレオタイプの押し付けや決めつけに反対(押し付けや決めつけは望ましくない)の立場に立っています。

のではなくて、このパンフ自体が、大人の社会の固定的なジェンダーステレオタイプに縛られており、その呪縛に基づいた架空の「価値観」を捏造し、それを問題にするというヘンテコなことをやってるわけ。


「委員長問題」については、わけのわからないこと言うな、で終わりですね。

Re(8):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:02 -

引用なし
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   macskaどん:

>> したがって、「考えを変えることがあれば無効ではない」とも言えない。
>
>あの、有効無効というのは、パンフレットの目的について語った部分ではありませんよね。
>それをパンフレットの意義についての発言であるかのように引用するのはやめてください。

いえ、パンフレットにおける呼びかけの目的や意義について語った部分ですよ。

tp;このパンフは伝統的保守主義者には無効ではないか。
ma:でも伝統保持主義者でも何かの主張を読んで考えを変えるきっかけになる場合もあるので、呼びかけは無効とはいえない。
tp:つまり考えを変えたら「有効」ってことじゃん、やっぱり。
ma:パンフの「呼びかけ」と私が言った「呼びかけ」は別。
tp:(゚Д゚)ハァ? こういう流れなんだから別のわけないでしょうが。[06/10/3(火) 3:28]
ma;(沈黙)[06/10/3(火) 5:28]    

以上、やりとりの骨子を再現してみますた。

>> つまり、むしろあなたが「雛祭りの否定なんかどこにもなかった」と声
>> 高に言っても、それは実はなんの反論にもなってないんですよ。「全体
>> のなかで、ひな祭りについての言及がどういう意味を持っているのか検
>> 証」しなければいけないんだから。
>
>そうした結果、ひな祭りを否定しているという解釈に何の根拠もないことが分かりましたが何か。

また…。「何の根拠もない」は明らかに言い過ぎ。少なくとも、あるテクストをめぐって解釈が対立しているのだから、「何の根拠もない」というような、テクスト自体が存在しないかのような言い方は不当でしょう。それこそ「×が重ねてある」を「=×」と書いたことの500倍ぐらい不当。あなた自身の論理によって、あなたは単なる「ウソつき」ということになります。

>> あなたがパンフの著者である必要などないでしょう。テクストをあなたが
>> どう解釈するのが妥当かという話なのですから。
>
>だから、自省を呼びかけるだけで具体的な指針は示していない文書である、というのがわたしの解釈なわけですよ。あえていうなら「子育てはジェンダーフリーで」を推奨しているわけですが、具体的にひな祭りをどうすれば良いのかといった話は一切書かれていません。

でもパンフ全体はgajiきんの指摘したように、「大人が変わらなければいけない」という趣旨です。そしてあなたは、このパンフがそういう啓蒙であるということを「否定したことはない」と言っている。

また、「具体的にひな祭りをどうすれば良いのか」については、それが書かれてないことが問題なのです。なぜなら、意味不明だから。私は、これは反語であるという論を提示していますが、あなたは例によってそこは無視しています。

>それじゃ呼びかけの意味がないではないかみたいに反論されていますが、呼びかけの意味があるかないかなんて、わたしにとっては全然関係ない問題ですから、そんなにそれが気になるならパンフの著者を問い詰めてくれと言いたいです。

であれば、あなたも勝手に「それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えている」などと著者を代弁するのをやめるべきでしょう。「○○とこのパンフは訴えている」の「○○」の部分が妥当か不当かを論じているわけですから、それがあなたにとって「全然関係ない問題」なのなら、バックラッシュの解釈を批判する資格なんてないと思いますけど。

Re(1):【やや】問題の捏造、あるいは架空の代弁に...
 gaji  - 06/10/4(水) 20:05 -

引用なし
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   >tpknさん:
>ちょっと本筋から脱線してみます。
>
>macskaさん曰く:
>
>>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。
>
>そんな「価値観」、いったいどこにあるのでしょうか。私は、経験上、そういうものは存在しないと思います。個人的な経験で言えば、自分が中学高校の時の委員長は女の子である場合のほうが多かったし、個人的な経験を離れれば、たとえば1976年に連載が開始され約20年にわたって続いた石井いさみの『750ライダー』でも、ヒロインは女性である「委員長」です。そのことをおかしいと思ってる人など、ほとんど見たことありありません。


ていうか、パンフの例って古過ぎでしょう。。

--------------------------
1 立候補をつのる。・・・が誰も立候補しない。人気のある子はどうせ推薦されるから立候補しない。
2 そこで、「推薦」となる。待ってましたとばかりにお決まりの子が推薦される。やる気が合っても、推薦されない子にチャンスが来ない。
3 何人かが推薦され。(お互いに推薦のし合いをする児童もでる。また、いじめのターゲットになっている子をわざと推薦するようなクラスもでてくる)選挙や挙手で決める。結果、お決まりの子が当選する。
------------http://www.toss-qa.gr.jp/miniland/yuji/CLASSFAQ.HTM#a8より

アフォボン経由の話題では、学級委員にされることは、ある意味イジメの一環であったりした時期もあったそうです。


以下オチャラケ◆おまけ◆(このパンフの製作者はおそらく50代以降の方かもしれませんね。なぜって、時代がズレているというか例がどうにも古いというか、どこか自己投影気味。。)


>> 出産祝い:ピンク色の産着

孫が女の子だったのかも…。

>> 優しい、愛らしい名前:美咲、葵、優花、さくら

少し昔、”名づけの本”等に挙げられていた名前デツ(w
(いまどきのネーミング本はカナーリ凄まじいでしyo。。

>> ほめ言葉:おとなしい良い子、色白でやさしそう、愛嬌のある子

いまいち不自然。いまどきこううこと誰が言うのかな。。
これって、とってつけたようなお世辞言葉(このようなことを言う世代って、、

>> 節句祝い:ひな祭りのお雛様

孫が女の子だったからって、どうぢて節句祝いに「ひな祭りのお雛様」を購入せんとイケンの?

>> ぐずっていると「女の子は育てやすいはずなのに」

これって、
「女の子は育てやすいはずなのに」とお姑さんに言われたことだったりして、、。

>> プレゼントのおもちゃ:ままごとセット、お人形、お化粧セット

孫も幼児になり、誕生日には、、「ままごとセット」を要求され(w
「ままごとセット」って、万円台ナンデチ(泣


Re(6):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:39 -

引用なし
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   macskaどん:

>「パンフがひな祭りを否定している」という文を読めば、普通の読者には「ひな祭りはけしからんとか、廃止すべきだと書かれている」と解釈するでしょう。しかし現実にそういうことは書かれていませんし、tpknさんの言う「ひな祭りの否定」というのもそういう意味ではないわけです。

いえ、おおまかにいって「ひな祭りはけしからん」で間違ってないと思いますよ。「廃止」に関しては、従来通りの祝い方をやめて「ジェンダーフリーに祝いましょう」ということであれば、もはやそれはひな祭りとは言えないのですから、ほとんど「廃止」ですね。

>もしこれを「黒ランドセル否定」「女の子の副委員長否定」と描写したとしたら、明らかに文意を歪曲していますね。だって、黒ランドセルが否定されたわけでも、女の子が副委員長になることを否定しているわけでもないんですから。

もちろんです。ですからバックラッシュの人々も「ひな祭り否定」とは言いますが「黒ランドセル否定」とは言いません。

なぜか。

黒ランドセルと副委員長の例示とひな祭りの違いは、事象そのものがジェンダーを内包しているかどうかにあります。ランドセル自体は色も含めて中立です。委員長もそうです。しかし、ひな祭りは、存在そのものがジェンダー的に中立ではありません。中立にしたらひな祭りではなくなってしまうからです。多くの人がひな祭りや鯉のぼりに反応したのは、そういう違いを直観的に読み取ったからでしょう。それは極めてまっとうな感覚だと思います。

したがって、これは「完全に間違い」でも「特殊な言葉遣い」でもありません。

ちなみに、ここはなぜか今まで見落としていた論点です。なぜひな祭りが反対派からとくにやり玉に挙げられたのか、合理的な説明をする機会を与えていただいたことに感謝します。


> もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。

うーむ。macskaさんは良心によって事実が見えなくなっているのではないかと推察いたします。

だいたい、こういう話をサヨクやフェミニストとこういう話をすると、おまえは政治のセンスがないなんて言われることが多いのですけども、それはまったくその通りであって、だからこそ事実が見えるという場合もあるわけですね。

Re(2):文字通りのヒステリー
 tpkn  - 06/10/4(水) 20:58 -

引用なし
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   macskaどん:

>> 私はあなたの書いた言葉がパンフの著者の主張を内包していることを説明
>> した上で、こうつなげるのが自然な論理展開であるとしました。
>
>内包していません。どうして「もしかすると思いつくことがあるかもしれない」という認識が、「ふりかえってみましょう」という呼びかけを内包すると言えるのでしょうか。

後者の呼びかけの妥当性を、あなたの認識の妥当性で説明しているからです。

>それはその通りですが、勝手に他者の主張と繋げて加工したものを「わたしの主張」であるかのように提示してはいけません。「ほれ見てご覧なさい」という記述は、見られる対象であるわたしがその主張をしている、と提示されたものでしょう?

あなたは「そういう主張は妥当だ」と主張しているのですから、あなたを相手とした議論の論理展開としてはさして不自然ではないでしょう。

全体主義云々について
 Josef  - 06/10/5(木) 13:59 -

引用なし
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   雛祭りとか、命名や言葉遣いの男女差とか、副委員長云々等もすべて、パンフの挙げるリストは要するに「ジェンダー」ですね(もちろんパンフが言うところの「ジェンダー」です)。パンフがジェンダー総体に否定的であることは明らかで、それは芥屋さんも指摘しているし、macskaさんも同意しています。内容への賛否は別として、パンフの伝えるメッセージはとても明解で、誤解の余地はほとんどないと言っていいでしょう。

パンフによればジェンダーとは「社会的・文化的に形成された性別のこと」であり、ジェンダーにとらわれた見方がジェンダー・バイアスです。ジェンダーは「人々の多様性・可能性を制約する」ものです。そこで「ふり返ってみましょう」と「点検」が求められる。たとえば雛祭りを性別と無関係に行っていたら点検結果は「問題なし」、「女の子だから」という理由で行っていたら、それは「ジェンダー」だから「問題あり」。リストはそういう点検・チェックの役割を果たしています。

参考までに同じ日本女性学習財団作成の「クリアホルダー」なるものを見てみると、「今、なぜジェンダーフリーなの?」という問いにこう答えています。

>ジェンダーフリーとは、固定的な性役割分担意識にとらわれないこと、さらには社会的・文化的に形成された性別そのものの解消を意味します。これまでジェンダーは、男女の間にさまざまな不均衡や問題を生じさせてきました。人々が個人として尊重され、多様な個性を発揮した生き方を進めていくためには、ジェンダー・フリーな社会の形成や、意識の変革が重要です。ジェンダー・フリーとは、ジェンダーを気にしない、ということではありません。むしろ、生活の中に溶け込んでいて気づかずにいるジェンダーを発見し、これを解消していくことを目指すものです。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jawe2/publish/img/folder/gender2.jpg

これまた非常に明解で、件のパンフと方向性は同じです(同じ財団の発行物だから当たり前か)。ちなみにmacskaさんが引用していた宮台氏の「再帰性」をキーワードとするジェンダーフリー理解とは大きく異なっていることも分かります。ジェンダーを国家に喩えると、財団の言うジェンダーフリーは「国家は悪いものだから無くすべき」という大昔の左翼のレベルに止まっている。

国家を自然的所与のごとく無反省にそれに同一化するのではなく、かといって国家を悪として嫌悪したり否定したりするのでもなく、国家というものが現実世界の中で持っている、あるいは持ちうる機能・功罪を見極めながら意志的にそこに参与しより望ましい方向へと操縦しようとすることが「再帰」であるならば、そのような「再帰性」を軸にしたジェンダーフリーにはそれなりに考えてみる価値があるでしょう(エリート色ぷんぷんの憾みはありますが)。
しかし財団のパンフや上記クリアホルダーが言うような、言葉だけは新しいが発想においては何十年も前の古色蒼然たる体制解体論にすぎない「ジェンダーフリー」がかつての宗教否定・弾圧や紅衛兵を想起させてしまうのは仕方がありません。むろんジェンダーフリーはそんな「力」を持ってはいない。ゆえに、「全体主義」云々の言葉は対象を恐怖するのではなく対象の浅ましさを嗤う言葉として投げつけられるのです。

Re(4):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 14:17 -

引用なし
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   芥屋さん:
> 事実であるかどうかを、自分の良心に照らしちゃダメじゃないか。そん
> なことをするから、事実を事実として見る事ができなくなるんですよ。

> 「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではな
> いという判断に狂いはない」というのが独善でしかないことに気付かな
> くなるわけです。

あのー、おかしな絡み方はやめてください。

いいですか、わたしは「政治的な都合で事実を捩じ曲げたりはしていませんよ」と言っているだけなんです。しかも、無意識の範囲で政治的なものがわたしの判断に影響を与えている可能性はあると認めている。それだけのことなんですよ。

それだけのことなのに、「事実であるかどうかを、自分の良心に照らちゃダメじゃないか」と言われても、可能な限り「事実を事実として見る」ように努力するという意味でわたしは「自分の良心に照らした判断」だと呼んでいるんだから、イチャモンでしかないわけですよ。

次の「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」なんてわたしは言っていないし、そうした考え方が独善であることなんてあなたに言われるまでもなく当たり前の話。そんな当たり前の話をわたしが「気付いていない」と決めつけられて、しかもその根拠がわたしが一言も言っていないこと(「判断に狂いはない」)なんだから、もはや何と言い返せば良いのやら。「自分としては良心的にありのまま判断しているつもりだけど、判断に狂いはあるかもしれないよ」と堂々と言ってるというのに。

> それだけではない。自分はそのように良心に照らして公平に見て事実を
> 判断した。すると、その事実に反する意見を述べているものは、自分と
> 違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる…あなたの論調
> は、こうなってしまっているだろ?

なってないよ!

もっともここまでおかしな言いがかりをかけられると、もしかすると悪意があるんじゃないかとふと思わないでもないですが(笑)

> ファシストの検閲官も同様の良心に従って「事実かどうか」を決定した
> だろうからね。

こうして、相手の主張が何であれファシストにこじつけて中傷するわけですね。

Re(5):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 tpkn  - 06/10/5(木) 15:02 -

引用なし
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   macskaどん:


>次の「そういう良心に照らして事実かどうか判断したんだから、事実ではないという判断に狂いはない」なんてわたしは言っていないし、

ひな祭り否定というテーマに関して、あなたは一貫して「証拠なし」「事実を捩じ曲げるような表記(記述)」という論調で対抗しています。その前提として、少なくともあなたはこの件に関して自分の認識が「事実」に近く、その判断に狂いはないと認識しているわけです。

対して、あなたに反論している側は、主に提示されたテクストの解釈について述べていて、それが「事実を捻じ曲げ」たものかどうかという論点はさして問題になっていません。もちろん、あなたがそう主張した場合は「そっちこそ事実をねじ曲げている」と反論することになりますが、それは二義的なものです。相手は、自分達の事実認識を前提とするのではなく、その事実認識の妥当性そのものを論じています。

ここに、メタレベルでのすれ違いがありますね。

また「自分と違って悪意にもとづいて公平には見ていないことになる」に関して言えば、下記のような記述がそれに当たるでしょう。

> そのような表記にすることの利点は何かあるでしょうか? それは、問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人にとって、ジェンダーフリー派がひな祭りそのものを否定しているかのように宣伝することでジェンダーフリーの評判を落とすための政治的な道具として役に立ついう事くらいでしょう。

相手の事実認識が自分とは違うことを、現実には存在しない動機を想定することで正当化しているわけですね。あなたの「徹底的にやりましょう」という呼びかけに応じてこれだけきちんと議論につきあっている人々が、なぜ「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」と同一視されなければならないのでしょう?

そこが良心のバイアスなんじゃないですか?

あなたは

> もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません。

とも書いてますけども、それってあなたの認識する「事実」が正しいという前提の上でのみ成り立つ話であって、今はその前提の是非を議論しているわけですから、「わけが分かりません」じゃあただの思考停止でしょう。その矛盾を解消する解は、以下のいずれかです。

(1)tpknその他対論者は、実は「醜い政治」に賛同している。
(2)「醜い政治」の中にも、事実にもとづいた正当な批判がある。
(3)macskaの論こそが、実は「醜い政治」である。

我々が主張しているのは(2)ですが、あなたは(1)以外の可能性を考えることができないようです。

Re(3):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:13 -

引用なし
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   純子さん:
> いや、それは「性同一性障害者」の場合で、普通の男性が、スカートを
> はいて会社にいけないのは差別だと……。だから、性同一性障害と異性
> 装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこに
> いるんだって話ですね、これは……(^^)。

いますよ、知り合いに。

> 私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でし
> かありません。

ですから、わたしの考えた「差別の定義」は、ある意味では机上の空論なんです。

たしかに、スカートをはきたいという男性はごく少数でしょう。かれらが「堂々とスカートをはく権利を!」という主張を掲げて行動をしているという話も聞きません。だから、今の段階でことさらに「男性がスカートをはく権利」なんてものを考えなくても良いのではないか、程度にはわたしも思います。架空の「被害者」を代弁するという行為に何の興味もありません。それが、わたしは別に「男性がスカートをはく権利」を求めているわけではない、と既に言った理由です。もし少なくない男性たちが「堂々とスカートをはく権利が欲しい」と訴えるようになればわたしは多分それを支持するでしょうが、いまの時点でわたしが率先してそれを主張するつもりはない。

しかし今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。スカートをはいた男性というのはその極端な例でしかないわけで。

> むしろ、民の声としてあるのは、「女性がスカートを掃かされるのは差
> 別だ。動きにくい、うっとうしい」のほうじゃないですが?

そうですね。あるいは、化粧をしなければいけないとか。男性でも、スカートをはきたいという人はあまりいないでしょうが、どうして女性だけ髪型自由で男性の長髪は駄目なのか、程度の不満ならあるでしょう。そして、それらの規範に違反した人は、ただ単に白い目で見られるだけでは済まずに、さまざまな不利益を被るわけです。それらを指して「ジェンダーの規範による差別」と呼んでいるわけですが、どこかおかしいですか?

> 女性のスラックスはどんどん増えても、男性のスカートというのは、絶
> 対に、はやらない。男性がスカートを選べないのは抑圧だというのは、
> ジェンフリ派の妄想にすぎません。

別に流行らせたいわけじゃないですし、さらに言えば「男性がスカートをはけるような世の中にしよう」とよびかけてすらいません(もしスカートをはきたい男性がそう訴えるようになれば、応援しようと思いますが)。セクシズムに還元できない「ジェンダーの規範による差別」が世の中にはあると指摘しているだけです。

Re(9):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:29 -

引用なし
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   > 以上、やりとりの骨子を再現してみますた。

不当です。

「伝統的保守主義者には無効ではないか」と言われた時に、わたしは「このパンフは、思想的な理由なく、深い考えもなしにジェンダーステレオタイプを子どもに押し付けている(かもしれない)親に向けて書かれたもので、保守主義者を対象としたものではない」という意味のことを先に答えています。つまり、「考えを変える」ことはパンフの目的ではないと言っているのですね。

そのうえで、「無効ではないか」という判断について、「保守主義者の考えを変えることを有効だと言うのだとしたら」、という仮定のうえで、「保守的な思想の持ち主でも、考えを変える可能性はないとはいえない」というわたしの判断を述べました。しかし、ここでわたしは「考えを変えることが目的」だと認めたわけではなく、あくまで「保守主義者に必ずしも全く何の影響も与えないということではないだろう」という意味で言っているわけですよ。

このうち「仮定」の部分が仮定であると分かりにくかったかもしれませんが、パンフ自体の目的については既に先に書いていますし、保守主義者の考えを変えるためのものではないとはっきり明言しているわけですよ。ですから、それを「パンフレットにおける呼びかけの目的や意義について語った部分ですよ」と言うのは、完全に不当です。

> 「何の根拠もない」は明らかに言い過ぎ。少なくとも、あるテクストを
> めぐって解釈が対立しているのだから、「何の根拠もない」というよう
> な、テクスト自体が存在しないかのような言い方は不当でしょう。

分かりました。自分の視点から言い直します。

ひな祭りを否定しているという解釈を真剣に考察してみましたが、文面からかけ離れたかなり特殊な解釈であるとしか思えませんでした。そういう解釈が「普通の親の親心」を通してみれば自然だという主張もあるのですが、「普通の親の親心」というブラックボックスが論証不可能なためどこをどう読めばそういう解釈が成り立つのかついに理解することはできませんでした。

> また、「具体的にひな祭りをどうすれば良いのか」については、それが
> 書かれてないことが問題なのです。なぜなら、意味不明だから。

うーん、わたしはパンフの著者はひな祭りについてどうすれば良いのかという回答を持っているとか、啓蒙したいと思っているというようには思わなかったのですが。まぁ、「だったらどうすればいいんだよ」というところが不親切と言えばそうかもしれませんが、それが書いてあったらさらにウザかっただろうしなぁ。

> であれば、あなたも勝手に「それは子どもの可能性を不当に押さえつけ
> ることになるのではないか、とこのパンフは訴えている」などと著者を
> 代弁するのをやめるべきでしょう。

当たり前ですが、「パンフはこう主張している」とわたしが書くとき、それは「わたしが読んでみたところ、このパンフにはこのような主張が込められているように読めた」という意味です。「こう主張している」という時に文字通りパンフを引用するのでない限り、論理的に言ってそれ以外の意味でわたしが「パンフはこう主張している」と言うわけがありません。

Re(7):文字通りのバックラッシュ!
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:42 -

引用なし
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   > 黒ランドセルと副委員長の例示とひな祭りの違いは、事象そのものが
> ジェンダーを内包しているかどうかにあります。ランドセル自体は色
> も含めて中立です。委員長もそうです。しかし、ひな祭りは、存在そ
> のものがジェンダー的に中立ではありません。中立にしたらひな祭り
> ではなくなってしまうからです。多くの人がひな祭りや鯉のぼりに反
> 応したのは、そういう違いを直観的に読み取ったからでしょう。それ
> は極めてまっとうな感覚だと思います。

パンフにはひな祭りを「ジェンダー的に中立にするべきだ」と書かれてはいませんし(押し付け・決めつけは子どもの可能性を疎外するから良くない、とは書かれています)、そもそも挙げられた項目が「ジェンダー的に中立かどうか」は問題にすらされていないのですが、論理的にここがおかしいと考えたというのではなく「直感的に」という言い方をするならばそういう可能性もあるでしょう。

その場合、黒ランドセルとひな祭りのあいだにそういう「直感的な受け止め方の違い」があることについては、パンフ著者は多分考えてもいなかったのではないでしょうか。だって、パンフ著者は、「これらの項目を全てジェンダー中立にすべきだ」と主張していたわけではなくて、「押し付け・決めつけをやっていないかふりかえってみましょう」と呼びかけていただけですから、そんな理由でひな祭りの項目が反発を浴びるとは思ってもいなかったはず。

ところで、自分の考えをいつの間にか「多くの人」の考えにしちゃうのはやめましょうね。多くの人というけれど、実際にパンフを手に取って「これはおかしい」と気付いた人がどれだけいるのか。国会で取り上げられたり雑誌で批判されているのを読んで「それは酷い」と思った人でも、実際に入手して読んでみた人なんてごく少数でしょう。

> だいたい、こういう話をサヨクやフェミニストとこういう話をすると、
> おまえは政治のセンスがないなんて言われることが多いのですけども、
> それはまったくその通りであって、だからこそ事実が見えるという場合
> もあるわけですね。

センスと言えば、伊田さんがよく山口さんらに向かって「政治のセンスがない」と批判してますね。
よく言えるなーと思ってますが。

Re(3):文字通りのヒステリー
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:48 -

引用なし
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   > 後者の呼びかけの妥当性を、あなたの認識の妥当性で説明しているからです。

呼びかけが妥当であると認めることと、わたし自身がそうした呼びかけを行なうことは、全く別のことですが。

> あなたは「そういう主張は妥当だ」と主張しているのですから、あなた
> を相手とした議論の論理展開としてはさして不自然ではないでしょう。

主張として妥当だというのは、わたしが同意するという意味ではありません。論理が妥当だというのは、ある立場からの立論として筋が通っているという意味であって、わたし自身が同じ立場に立っているとはかぎりません。

Re(6):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/5(木) 16:58 -

引用なし
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   > 相手の事実認識が自分とは違うことを、現実には存在しない動機を
> 想定することで正当化しているわけですね。

存在しない想定を想定しているのはあなたでは。

> あなたの「徹底的にやりましょう」という呼びかけに応じてこれだ
> けきちんと議論につきあっている人々が、なぜ「問答無用でとにか
> くジェンダーフリーを叩きたい人」と同一視されなければならない
> のでしょう?

同一視していませんよ。

わたしは確かに「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」と同じ用語によってかれらの政治に加担しないで欲しい、と呼びかけていますが、そう呼びかけるということはあなた方が「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」とは別であると認識しているからこそです。もし同一視しているなら、そんな呼びかけは行ないません。

> (1)tpknその他対論者は、実は「醜い政治」に賛同している。
> (2)「醜い政治」の中にも、事実にもとづいた正当な批判がある。
> (3)macskaの論こそが、実は「醜い政治」である。
>
> 我々が主張しているのは(2)ですが、あなたは(1)以外の可能
> 性を考えることができないようです。

(1)だなんてほとんど思ったことはないのですが、このように書かれて驚きです。

# たまに、特に酷い曲解があったときなんかは、一瞬(1)かと思ったりする事もあります。
# でも、「(1)以外の可能性を考えていない」なんてことは絶対ないですよ。

Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/5(木) 18:46 -

引用なし
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   >macskaさん:

>しかし今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。スカートをはいた男性というのはその極端な例でしかないわけで。

それは、「差別」ではなく「区別」だ(^^)。
macskaさんの「差別」の定義が、社会的に通用しないんです。
せめて「ジェンダー規範による差異」くらいにしておきなさい。

仏教哲学の用語なら「差別」は「差異」のことですが、社会学における「差別」は、「人種、民族、出身、門地、男女などの差異に対する、偏見に基づいて、不当に相手の扱いを変えること、その結果、相手に不利益を与えるとこ」をさしていますから、偏見でも不当でもない差異がある場合は「差別」とは言わない、「区別」という。

>どうして女性だけ髪型自由で男性の長髪は駄目なのか、程度の不満ならあるでしょう。

女性の長髪が自由で、男性の短髪が抑圧なんて、ファッションに対する無知、丸出しやん。ウソだと思ったら、OLさんに聞いてみな。髪型に対する社会的規範は女性にもあるから……。なんのためにファッション雑誌にオフィスに似合う髪型特集なんてものがあると思っているんだ。

>そして、それらの規範に違反した人は、ただ単に白い目で見られるだけでは済まずに、さまざまな不利益を被るわけです。

「キモ!」と、女子高生に言われまつ。それが何か……。

>別に流行らせたいわけじゃないですし、さらに言えば「男性がスカートをはけるような世の中にしよう」とよびかけてすらいません(もしスカートをはきたい男性がそう訴えるようになれば、応援しようと思いますが)。セクシズムに還元できない「ジェンダーの規範による差別」が世の中にはあると指摘しているだけです。

だから、別に困っている人がいるわけでも、訴えている人がいるわけでもない。そういう事象を「差別」と表現してしまうから、議論が、おかしくなるんですよ。「区別」か、せめて「差異」くらいにしておきなさい(^^)

Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/6(金) 0:41 -

引用なし
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   >macskaさん:
>純子さん:

>> 私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でし
>> かありません。
>ですから、わたしの考えた「差別の定義」は、ある意味では机上の空論なんです。

うーーーん、、そうなのですか、、、orz。。


数年前にmacskaさんの「差別の定義」を知り、啓蒙されて以来のファンなのです。

↓メモもバチーシ(保存してました)。

*************************************
Macskaさん(差別の定義)----------------------
わたしは、感情も不当な扱いも原則OKの立場です。 そこまで含めて自由主義者を自称しています。
「阪神ファンは採用しない」も、「東大出身者は採用しない」もOKです。
なぜなら、阪神ファンや東大出身者を差別するような社会システムは存在せず、
不当な扱いをしてもそれは個別の行為以上のものではないから。

これが、同性愛者差別だとか、部落差別とかになると、
個別の行為が差別的な社会制度を強化し、社会制度が差別的な個別の行為を産み出すという具合に、制度と行為の循環が起きています。 それが、「制度化された差別」ということです。
わたしが反対するのは、カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為全般ではなくて、「制度化された差別に基づく行為」そして「差別の制度化」です
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2351&range=1より

わたしが「差別」と呼んでいるものは、社会システムです。
社会システムとしての差別というのをもう一度説明すると、
社会的な制度が個々の差別行為を助長し、個々の行為が差別制度を強化するという循環のことです。
----------------http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_plain?base=2353&range=1より

★[差別]
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_index?base=2360&range=20
*************************************

↑の「定義」に↓が、あてはまるわけですか?


>たしかに、スカートをはきたいという男性はごく少数でしょう。かれらが「堂々とスカートをはく権利を!」という主張を掲げて行動をしているという話も聞きません。(略)もし少なくない男性たちが「堂々とスカートをはく権利が欲しい」と訴えるようになればわたしは多分それを支持するでしょうが、いまの時点でわたしが率先してそれを主張するつもりはない。

>しかし今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。

Macskaさんの「差別の定義」ーーーーーーーーーーーー
わたしが反対するのは、カテゴリによって他者を理不尽に扱う行為全般ではなくて、「制度化された差別に基づく行為」そして「差別の制度化」です
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

成り立たない、のではありませんか?

子育てスタイルは制度化されたものではなく流動的なものですyo。
(固定的なものといえば→母乳はおもに母親が(←これイケマテンか?

Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/6(金) 2:48 -

引用なし
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   > macskaさんの「差別」の定義が、社会的に通用しないんです。

社会的にというのが一般的にという意味でしたら、その通りかもしれません。わたしはあくまでさまざまな反差別の運動の歴史をベースとした学術的な定義を提案しているわけですから、現時点において一般に受け入れられた定義とは違うのは承知のうえです。

具体的にわたしの定義がどういうものか、どうしてその定義が優れているとわたしが思うのかについては、芥屋さんが紹介していた URL を参照。近いうちブログでもきちんと書き直します。

> 社会学における「差別」は、「人種、民族、出身、門地、男
> 女などの差異に対する、偏見に基づいて、不当に相手の扱い
> を変えること、その結果、相手に不利益を与えるとこ」をさ
> していますから、偏見でも不当でもない差異がある場合は
> 「差別」とは言わない、「区別」という。

その定義は一般社会に受け入れられたものであるとは言えるでしょうが、社会学的な定義ではないでしょう。もしそれが定義だとすると、差別とは個人や企業などの個別行為のことであるということになりますが、わたしは行為は「差別的」であっても「差別」そのものではないと考えています。「差別そのもの」とは、行為が制度を補強し、制度が行為を招き寄せるという循環全体のことです。

> 女性の長髪が自由で、男性の短髪が抑圧なんて、ファッション
> に対する無知、丸出しやん。ウソだと思ったら、OLさんに聞い
> てみな。髪型に対する社会的規範は女性にもあるから……。

だからぁ、それが「ジェンダーの規範による差別」だと言っているの!(笑)
男女で違った規範があるわけでしょ?

> だから、別に困っている人がいるわけでも、訴えている人がい
> るわけでもない。そういう事象を「差別」と表現してしまうか
> ら、議論が、おかしくなるんですよ。

「男がスカート」に関しては特に訴えている人を知りませんが、ジェンダーの規範による差別というレベルでは訴えている人はたくさんいますよ。例えば、化粧するよう上司に言われたが拒否したため解雇されて裁判で争っている人がいますが、彼女は「どうして男性は化粧をしなくても解雇されないのに、女性だけ化粧することが義務とされるのか」と主張しています。

Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/6(金) 2:59 -

引用なし
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   > 成り立たない、のではありませんか?

「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。そして、現実にスカートで出社して処分を受けている男性はいないかもしれないけれど、そんなことをすれば物凄く不利な扱いを受けるとみんな分かっているから、休日の自由時間にスカートをはく趣味のある人だってそれをひたすら隠している、隠さざるをえない現実がある。偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。

これが「阪神ファン」であれば、そもそも阪神ファンであることをひたすら隠さなくてはいけないという職場は特殊ですし、阪神ファンだという理由で不利な扱いを受けることはあっても、逆に全く同じ理由で得する場合だってありえるわけですね。しかし、休日にスカートをはいているということは、よっぽど理解のある周囲でなければ大抵どの会社でも「隠さざるを得ない」ことですし、逆にスカートの趣味が有利に働く会社なんて、まずあり得ないわけですよ(あったとしても、男性スカートファッションを推奨しているデザイナーのオフィスとか、ものすごく特殊な環境だけでしょう)。これは「同性愛者が置かれた環境」と「阪神ファンが置かれた環境」のどちらに近いかというと、明らかに前者だと思う。

> 子育てスタイルは制度化されたものではなく流動的なものですyo。

いきなり子育てスタイルの話に飛びましたが、そちらの話はいまはしていないので。(してもいいけど、いまの議論をちゃんと終わらせないうちにどんどん違う話に広げたくないです。)

Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/6(金) 12:30 -

引用なし
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   >macskaさん:

>「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。

需要がないからでしょう(^^)。なにせ、神主さんとか、ローマ法王とか…


>休日の自由時間にスカートをはく趣味のある人だってそれをひたすら隠している、隠さざるをえない現実がある。

趣味ではく場合は、神主さんのや、ローマ法王が着用している男性用のスカートではなく、女性用のものだというのがポイント。これだとエッチな意味合いに取られる場合があるから、恥ずかしいので隠すわけです。電車の中でエロ本をどうどうと広げている人があまりいないのと同じです。


>偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。

最近では、趣味のレベルでやってる人で、カムする人も増えてきてますが。女装でコスプレなんて、似合ってれば、人気者だよ。


>これは「同性愛者が置かれた環境」と「阪神ファンが置かれた環境」のどちらに近いかというと、明らかに前者だと思う。

だから、そういう人は、LGBTのTで、セクシャルマイノリティという自覚を持ってる人が大多数なのではないですか(^^)?

Re(2):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/6(金) 13:24 -

引用なし
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   >macskaさん:

>あるいは、イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。

ああ、そうか、macskaさんは、ここでひっかかちゃったんだな。

それにしても、イスラム教徒の社員を採用したので、社内の休憩時間を、イスラム教の礼拝の時間にあわせてあげるなんて、すごく理解のある企業じゃないですか?
GJです。そんな企業ばかりだったらいいなあ(^^)

当然、休憩時間に礼拝していても、「どうぞ、どうぞ」ってなもんでしょう。
「イスラム教徒の方って、信仰、熱心だよね」
「いいことじゃん。いや、こりゃ罰あたりの日本人も見習わないとな」
「そうだね、そういや明治神宮って、どっちの方角だっけ…」
「あっち」
「おお、そうか、それじゃちょっとだけイスラムの方を見習って……」
パン、パン。二礼二拍手一拝。

てな感じで「場にあわせて」しまうんじゃないですか(^^)日本人だと……。

場を作るのは、実はその場に参加している構成メンバーだから、イスラム教徒が、場に参加してしまうと、イスラム教徒の社員も含んだ「場」が形成されてしまって、日本人はみんなそれに合わせてしまうんです(^^)

macskaさんの議論がおかしくなってしまうのは、場を構成しているメンバーとまったく無関係な「場の規範」みたいなものが宙空に存在していて、それがメンバーを縛っていると考えているからでしょう。

きっとmacskaさんの頭の中では、「場に合わせ」神が、いきなり燃える炎の柱になって出現して、日本人が守るべき掟として、石の板に「場の規範」を刻みつけているに違いない。でも、そんな信仰は、日本にはないから……(^^)

日本の場合、規範は「場」とそれに参加している構成メンバーによって変わるんです。だから、逆にイスラム教徒の社員がまったくいない職場で、「職場の休憩時間がイスラム教の礼拝時間に合わせるべきだ」と主張したら、「何を言っているんだ! そんな必要ないだろう」と言われてしまう。「伝統文化を破壊している」とか、「場の空気を乱している」とか、受け取られて抗議されます。
あまりうるさく言ってるとシカトされたり、村八分にされたりする。「場の空気」に参加させないというが、もっとも厳しい懲罰だったりします

ここでいう伝統文化とは、「場の空気に合わせるべし」という、きわめて日本的な規範で、ところがその空気がどんな空気かは、その日のお天気によって変わってしまうんですね(^^)。

だから、イスラム教徒が場を形成する構成要素になったとたんに、昨日まで。「伝統文化を破壊している」と抗議していた人が、「どうぞ、どうぞ」というふうにコロっと180度、態度がかわってしまうし、それが日本流のやり方なんです。

Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/6(金) 17:41 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> 成り立たない、のではありませんか?
>
>「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、

どこに……(w
「規範」といっても、それはTPOがらみのことではありませんか?
女性だって、例えば職場等に「腰巻or紋付or裸エプロンetcで出社するのはいかがなものか、、」といった自己規制?的な「規範」?はあるでせう。

>その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。そして、現実にスカートで出社して処分を受けている男性はいないかもしれないけれど、そんなことをすれば物凄く不利な扱いを受けるとみんな分かっているから、

当たり前でセウ(←と思ってしまう、そのような既成通念を疑ってみることは面白いことだと思いますものの…。

>休日の自由時間にスカートをはく趣味のある人だってそれをひたすら隠している、隠さざるをえない現実がある。偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。

ウーーン、なんだか、むりやり”「規範」→「循環」”(”macskaさんの定義”にもっていっているような気がしますが…。

というか、公私混同しているのではありませんか?

何を身につけるかは個人の恣意(嗜好)。けれどTPOがありますよね。
女性の場合、いくらフリフリ・チャラチャラが好きでも、仕事にはそれで行かない、とか。
男装趣味があっても、それでわ出社しない、とか。(←出社しちゃったら、個人の快楽^^が減ってしまう)

プライベートな趣味嗜好のことであれば、男女に関係ないと思います。


>これが「阪神ファン」であれば、そもそも阪神ファンであることをひたすら隠さなくてはいけないという職場は特殊ですし、阪神ファンだという理由で不利な扱いを受けることはあっても、逆に全く同じ理由で得する場合だってありえるわけですね。
>しかし、休日にスカートをはいているということは、よっぽど理解のある周囲でなければ大抵どの会社でも「隠さざるを得ない」ことですし、

うーーん、そうなのですか?よく分かりませんが、、。。
休日の社員の私生活のことまで「会社」サイドが目配りしているのですか?
もぢかして米国では、そこまで「監視社会」が進んでいるのですか?

>逆にスカートの趣味が有利に働く会社なんて、まずあり得ないわけですよ(あったとしても、男性スカートファッションを推奨しているデザイナーのオフィスとか、ものすごく特殊な環境だけでしょう)。これは「同性愛者が置かれた環境」と「阪神ファンが置かれた環境」のどちらに近いかというと、明らかに前者だと思う。

そっかな?
同性愛だろうと異性愛だろうと、それってプライベートな問題ですよ?
男性が男性を好きになったとして、スカートを着用しなくちゃいけないんですか?

なんだかバカみたい。。
暴言深謝。ΨΨ

Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/6(金) 18:08 -

引用なし
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   >> 子育てスタイルは制度化されたものではなく流動的なものですyo。
>
>いきなり子育てスタイルの話に飛びましたが、そちらの話はいまはしていないので。(してもいいけど、いまの議論をちゃんと終わらせないうちにどんどん違う話に広げたくないです。)

あの、、「違う話」に飛んではいません。
(「子育て支援パンフ」にあった、「〜らしさ」を育むとされるスタイルのことです)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Re:『個人の意識は問わない』の真偽 macska 06/9/25(月) 2:01
問題としているのは「らしさ」ではなく、「らしさの規範」ですよ。それはすなわち、個人のあり方ではなく制度を問題としているという意味にはなりませんか?

(略)小さな日常生活上のことでも「男らしさ・女らしさ」の規範に従わないといろいろと不利な扱いを受けることがあり得るわけで、「人生設計」だけに限って差別的な制度の是正を訴える理由がないと思います。


Re(1):美意識の問題化(美観と蔑視 macska  - 06/9/30(土) 1:06 - 
問題はひな祭りではなく、ひな祭りなどの祝い事を含めた育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し付けをやっていませんか、考えてみましょう、ということですからね。


Re(2):美意識の問題化(名詞と形容詞) macska  - 06/9/30(土) 2:16 - 
ジェンダーの規範によって異なった扱いをするということは、「男らしさ」「女らしさ」という、内容に多少のブレはあってもだいたいの部分で社会的に広く共有された認識によって引き起こされたものであり、また「男らしくない男や、女らしくない女は雇用しない(昇進させない)」といった行為が「男らしさ」「女らしさ」という特定の認識を強化することが明らかです。つまり、広く共有された「男らしさ」「女らしさ」という認識と、「男らしくない男や、女らしくない女を低く評価し扱う」とう行為のあいだに循環が成立している。よって、これをわたしはシステム的な意味でいう「差別」であると考えるわけです。
(略)
「ジェンダーの規範による差別」を、わたしは「性別による差別=セクシズム」と区別して「ジェンダリズム」と呼んでいます。女性にとっては「女性であるということで不利益を受ける」という点でセクシズムもジェンダリズムも区別がつきにくいですし、現実問題としてジェンダリズムがセクシズムを支えている(男性と女性によって違った規範があるだけでなく、違った規範が性差別的に作用する)面もあるので区別しなかった傾向もあるのですが、男性や同性愛者・トランスジェンダーの人たちの置かれた状況を分析するうえでは両者を分けて考えるのが有用だと思います。


Re(4):美意識の問題化(名詞と形容詞)macska  - 06/10/1(日) 12:35 - 
制服や服装規定がない会社であっても、男性がスカートをはいて出社すれば間違いなくなんらかの不利な扱いを受けるでしょう。それは男性がスカートをはくことがほとんどない社会だから仕方がないとした場合、では女性がスカートを拒否して不利な扱いを受けることは一切ないのか。化粧をしなくても大丈夫なのか。男性の長髪やピアスはどうか。それらも、やはりジェンダーの規範による差別なわけですよ。

その程度は社会常識だから仕方がない、と思うかもしれませんが、「男性がスカート」は極端な例だとしても、明らかに外見上の「男らしさ・女らしさ」によって差別を受けることがあり、その中には「女性が常にズボン」のように社会常識に特に反しないにも関わらず不当な扱いを受ける可能性がある領域が存在するわけですよ。個別の例が違法な差別となるかどうかはある程度社会的な一般常識の制約を受けることになるでしょうが、「ジェンダー規範による差別」というのは現実に起こりうる・起きている問題です。

 
Re(6):美意識の問題化(社会常識)macska  - 06/10/2(月) 2:58 -
はい、場に合った服装や化粧を求められるのは当然ですよ、もし男女関係なくみんな化粧しろというのであれば。しかし、女性だけが「化粧を求められ」、男性は逆に目立つような化粧をすることを「禁止される」としたら、それがジェンダーの規範でなくて何だというんでしょうか。

これが「ジェンダーの規範を理由とした差別」であることは、わたしの採用している差別の定義からは否定できません。もちろん、それは現行法の定義とは違いますし、必ずしもわたしの定義を元に法律が作られるべきだとは思いませんが、わたしの定義をもってこれが差別でないと強弁することはできません。


Re(8):美意識の問題化(社会常識)macska  - 06/10/2(月) 13:33 - 
「ジェンダーの規範に関する権利」という問題意識は、現時点では女性や性的少数者のための取り組みだと思われていますが、わたしはこれは男性も含めた大きな流れとなる可能性があるんじゃないかと思っています。そうした意識が広く共有されるまでは、あなたの言う通り「反差別運動」の足を引っ張る事にもなるかもしれませんが、今時点の考えだけで排除せずに、寛容に「ジェンダーの規範による差別」の取り組みを見守って欲しいと思っています。

Re(10):美意識の問題化(社会常識)macska  - 06/10/3(火) 5:11 - 
ジェンダーの規範に合致しているかどうかでさまざまな異なる扱いを受けることを、わたしの定義するところの「差別」の一緒として考えることができると言っているだけです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(macskaさんが)問題としているのは→「らしさ(ジェンダー)の規範」→要するに「”制度”を問題」としている、ということ

「ジェンダーの規範による差別」(ジェンダリズム)がある、ということ
(”らしくない”ことによる”不利な扱い”が、、)

で、その「ジェンダーの規範」は、どのようにしてつくられているか(インプットされていくか)というと、赤ちゃんの頃から《育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し付け》が、、、以下(ry
子育て支援パンフは《「男らしさ・女らしさ」の押し付けをやっていませんか、考えてみましょう》と呼びかけている
のでしたね。

けれどそのパンフは行政主導のパンフだからか?macskaさんにとっては「くだらない」ものでもあり、
「わたしはパンフの著者でもないし、そういう呼びかけに賛成しているわけでもないもの」とも言い、


なんだか支離滅裂、、でわアリマテンカ。。。

ザッ感れす…結論モード
 楽俊  - 06/10/6(金) 21:35 -

引用なし
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   相変わらず気になることは、“知らない”ことは主張できないということを考えれば、パンフの執筆者はひな祭り行事のどういう押し付けが「男らしさ・女らしさ」の「押しつけ」であり、それがどういう経路で「可能性を狭め」るのかということを“知っている”必要がありますよね(もっと言えば、それを“信じている”必要もある。“信じる”ことは“知る”ことの必要条件だから)。 で、今回の論争の発端は、ひな祭りを代表例とする「押しつけ」行為の「ふり返り」ようのなさの問題だと思うから、パンフの擁護者であるmacskaさんには、該当行為の具体例を提示する義務があるはずです。当然あるはずの「ひな祭りの押しつけ」例と、それがジェンダーの刷り込みを経由して「可能性を狭める」具体的事例についてのですよね。
というか、それが一つもないから様々な憶測を呼んでいるだけのことですよ。

したがってmacskaさんには残念ですが、このままでは↓のように結論づけるしかありません。
∴macskaさんの反論は不成立。
∴ジェンダーの刷り込みや可能性を「不当」に狭めている根拠も実例もないまま、節句行事が「不当」行為の点検項目に入れられていることに対する非難、「伝統破壊を企んでいる」は依然として妥当。
∴macskaさんのこれまでの主張には、思惟の経済性の観点から“オッカムの剃刀”が適用されます。(笑)

…ちなみに、“知り”もせず“信じて”もいない事柄を「ふり返ってみましょう」モードで記述すれば何も問題ないという常識があるというなら、「マチュカさんは殺人の経験がありませんか? ふり返ってみましょう。」「マチュカさんは○△銀行から1億円を強奪した経験がありませんか? ふり返ってみましょう。」「マチュカさんは児童への性的虐待の…」etc、などといった出版物の記述に対しても何も対抗できなくなるでしょう。
可能世界論的な説明では、macskaさん的常識が通用する可能世界は、現実世界との類似度が極めて低いということになるんだったかな。要するにそれだけ非論理的or非常識だということ。

Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 tpkn  - 06/10/6(金) 22:08 -

引用なし
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   >gajiさん:
>>macskaさん:
>>> 成り立たない、のではありませんか?
>>
>>「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、
>
>どこに……(w
>「規範」といっても、それはTPOがらみのことではありませんか?
>女性だって、例えば職場等に「腰巻or紋付or裸エプロンetcで出社するのはいかがなものか、、」といった自己規制?的な「規範」?はあるでせう。
>
>>その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートはどの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどないわけですね。そして、現実にスカートで出社して処分を受けている男性はいないかもしれないけれど、そんなことをすれば物凄く不利な扱いを受けるとみんな分かっているから、
>
>当たり前でセウ(←と思ってしまう、そのような既成通念を疑ってみることは面白いことだと思いますものの…。
>
>>休日の自由時間にスカートをはく趣味のある人だってそれをひたすら隠している、隠さざるをえない現実がある。偶然それがバレたりしたら嫌がらせを受けたり評価を下げられたりすることで、規範がまた強化される。循環しているじゃないですか。
>
>ウーーン、なんだか、むりやり”「規範」→「循環」”(”macskaさんの定義”にもっていっているような気がしますが…。
>
>というか、公私混同しているのではありませんか?
>
>何を身につけるかは個人の恣意(嗜好)。けれどTPOがありますよね。
>女性の場合、いくらフリフリ・チャラチャラが好きでも、仕事にはそれで行かない、とか。
>男装趣味があっても、それでわ出社しない、とか。(←出社しちゃったら、個人の快楽^^が減ってしまう)
>
>プライベートな趣味嗜好のことであれば、男女に関係ないと思います。
>
>
>>これが「阪神ファン」であれば、そもそも阪神ファンであることをひたすら隠さなくてはいけないという職場は特殊ですし、阪神ファンだという理由で不利な扱いを受けることはあっても、逆に全く同じ理由で得する場合だってありえるわけですね。
>>しかし、休日にスカートをはいているということは、よっぽど理解のある周囲でなければ大抵どの会社でも「隠さざるを得ない」ことですし、
>
>うーーん、そうなのですか?よく分かりませんが、、。。
>休日の社員の私生活のことまで「会社」サイドが目配りしているのですか?
>もぢかして米国では、そこまで「監視社会」が進んでいるのですか?
>
>>逆にスカートの趣味が有利に働く会社なんて、まずあり得ないわけですよ(あったとしても、男性スカートファッションを推奨しているデザイナーのオフィスとか、ものすごく特殊な環境だけでしょう)。これは「同性愛者が置かれた環境」と「阪神ファンが置かれた環境」のどちらに近いかというと、明らかに前者だと思う。
>
>そっかな?
>同性愛だろうと異性愛だろうと、それってプライベートな問題ですよ?
>男性が男性を好きになったとして、スカートを着用しなくちゃいけないんですか?
>
>なんだかバカみたい。。
>暴言深謝。ΨΨ

議論のジャマすんなよ。深謝と書けば免罪符になるとでも思ってんのかよ、クズ女。

(訂正)
 楽俊  - 06/10/6(金) 22:14 -

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   “知り”もせず“信じて”もいない事柄を  ×
“知り”もせず“信じ”たいだけの事柄でも ○

Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/7(土) 0:26 -

引用なし
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   つづき(余談)

「ジェンダーの規範による差別」(ジェンダリズム)がある?とのことですが(就職や昇級において)、

面接の心得で検索してみましたが、どこにも男女の違いは見当たりません。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CC%CC%C0%DC%A1%A1%BF%B4%C6%C0%A1%A1%A1%A1%A1%A1%A1%A1&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1

↑のなかに、面接応募者ではなく、採用者サイドの↓面接心得がありました。

ーーーーーーーーーーーーー
してはいけない質問や言動
当たり前のことですが、面接では応募者の基本的人権を尊重しなければなりません。差別につながるような質問は禁止されています。何の気なしに質問したことでも、相手にとっては差別的な質問と感じることがあります。以下の様な質問には注意が必要です。

本籍地を書かせたり、質問したりしてはならない
〜 「あなたのご両親の出身地はどこですか」
〜 「あなたの産まれたときに住んでいたところはどこですか」
家族の収入や資産状況などを書かせたり、質問してはならない
〜 「あなたのご両親の収入を教えてください」
〜 「あなたのご実家には資産がどのくらいあると思いますか」
思想・信条について書かせたり、質問してはならない。
〜 「あなたは○○宗教を信仰していませんか」
〜 「あなたは○○党のことをどう思いますか」
性差別につながるような質問をしてはならない
〜 「今彼氏がいますか」
〜 「彼氏とは何年付き合っていますか」
ーーーーーーーーーーーーーー
http://www.kfujii.net/saiyokokoroe.html#kokoroe5より


>性差別につながるような質問をしてはならない
>〜 「今彼氏がいますか」
>〜 「彼氏とは何年付き合っていますか」

〜 「今彼女がいますか」
〜 「彼女とは何年付き合っていますか」
などという質問をするバカはいないでしょうけれど。
but女性の場合、昔は結婚退社が多かった(それが当たり前だった)こともあっての質問の名残なのかもシレマテン。

かつて、
「腰かけ就職」という言葉(&実態)がありました(就職は一時期のこと。結婚したら専業主婦というコースが当たり前だった時代)。
「家事手伝い」という言葉(&実態)もありました(学校を出たら結婚するまで家にいる。…今と違い、未婚の女性が外で働くこと自体ポピュラーではなかった時代がありました)。
「ジェンダリズム」?があるとすれば、その頃に対してのこと?

Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/7(土) 1:14 -

引用なし
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   >tpknさん:

                   (`・ω・´)  tpkn様は不滅であられます!!
                     U θU
                 / ̄ ̄I ̄ ̄\
                |二二二二二二二|
                | ワ   光  |
パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
   パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ  パシャ
 ∧_∧      ∧_∧     ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧     ∧_∧
 (   )】      (   )】    (   )】 【(   )    【(   )    【(   )
 /  /┘ .   /  /┘.    /  /┘ └\ \   └\ \   └\ \
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ      ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ    ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ

Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 2:42 -

引用なし
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   純子さん:
>> 「男性はスカートをはいてはいけない」という規範があり、
>> その規範が制度化されている証拠として、女物のスカートは
>> どの店でも売っているのに、男物のスカートはほとんどない
>> わけですね。
>
> 需要がないからでしょう(^^

だから、需要というものを単なる個々の自由意志の総体と取るのは一面的です。そういう取り方ももちろんできますが、わたしが議論しているレイヤーはそれとは違うわけですよ。

> 最近では、趣味のレベルでやってる人で、カムする人も増えてきて
> ますが。女装でコスプレなんて、似合ってれば、人気者だよ。

女装とかコスプレの話をしているつもりはないんですが、女性ならことさらスカートが似合っていようがいまいが、少なくとも「スカートをはいている」ことが「女らしくない」としてジェンダーの規範により非難されることはないわけですね。それとは別に似合っていないとかブスだとか言われることはあっても。

純子さんの言うことは、どこが間違いということじゃないんですが、わたしの言うこととレイヤーが違うのがほとんどで、全然対立しませんね。それがやや、話を逸らされているという感じを受けます。

Re(3):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 2:50 -

引用なし
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   純子さん:
> macskaさんの議論がおかしくなってしまうのは、場を構成して
> いるメンバーとまったく無関係な「場の規範」みたいなものが
> 宙空に存在していて、それがメンバーを縛っていると考えてい
> るからでしょう。

ジェンダーの規範と無関係な人なんて、今の社会にいるんでしょうか。
ほとんどどの会社でも学校でも、「ジェンダーの規範」がその場と無関係であるということは想定しにくいのですが… もちろんその具体的な内容にはある程度ブレがあるでしょうが、例えばある地方では「男性はスカートをはいてはいけない、女性はスカートをはいているのが『女らしい』」とされていて、別の地方ではまったくその逆ほどの差はないはずで、ある程度幅があるといってもある程度共有された規範があると思うのですが。

わたしが日本のことを全然知らないと思って好き勝手言うのはやめてね(笑)

Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 2:58 -

引用なし
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   > 何を身につけるかは個人の恣意(嗜好)。けれどTPOがありますよね。

だから、その TPO がジェンダーの規範を前提として作られているわけですね。
そしてそれが、特定のジェンダーのあり方を奨励し、ほかのあり方を圧迫するように機能しているわけです。

ここでわたしが問題としているのは、「何がその場にふさわしいか」という判断にジェンダーが含まれている点です。すなわち、ある服装を男性が着れば「ふさわしい」のに、女性が着れば「ふさわしくない」とされてしまう。というか、服装は例に過ぎないんであって、わたしは全ての「ジェンダーの規範」を問題としているのに、何故かこう「服装」に固有の話題(プライベートの嗜好、性的趣味、衣服文化など)になってしまうんだよなー。

> 休日の社員の私生活のことまで「会社」サイドが目配りしているのですか?

誰が目配りしていると言いましたか。
休日にスカートをはいて外出中、偶然上司に出会ったら、まぁ大概の場合は評価が下がりませんか?

> 男性が男性を好きになったとして、スカートを着用しなく
> ちゃいけないんですか?

誰がそんなこと言ったか。
なんだかバカみたい。。

Re(7):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 3:04 -

引用なし
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   > あの、、「違う話」に飛んではいません。
> (「子育て支援パンフ」にあった、「〜らしさ」を育むとさ
> れるスタイルのことです)

ですから、それはパンフの話でしょ?
ジェンダリズム云々については、パンフの話ではなくわたしの意見なんですから、関係ないんですよ。

> で、その「ジェンダーの規範」は、どのようにしてつくられ
> ているか(インプットされていくか)というと、赤ちゃんの
> 頃から《育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し
> 付け》が、、、以下(ry
> 子育て支援パンフは《「男らしさ・女らしさ」の押し付けを
> やっていませんか、考えてみましょう》と呼びかけているの
> でしたね。

パンフの著者ならそう言うでしょうが、わたしの意見ではありません。

というより、わたしは「ジェンダーの規範」がどのようにインプットされていくかについては、別のメカニズムを主張しています。それは、「制度が個別の行為を助長し、個別の行為が制度を強化する」というシステムの循環がそれ自身を自動的に再生産している、というものです。わたしの議論はあくまでシステム主体であり、親や学校の責任だとか子育てがどうだという話は全然していません。

Re(1):ザッ感れす…結論モード
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 3:16 -

引用なし
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   > “知らない”ことは主張できないということを考えれば、

いえ、できます。信じていればそれだけで主張できる。というか、実際のところ信じてすらいなくても、主張だけならできるわけです(例:弁護士)。

前提がいきなり間違いなので、以下の論理は成立しません。

> で、今回の論争の発端は、ひな祭りを代表例とする「押し
> つけ」行為の「ふり返り」ようのなさの問題だと思うから、
> パンフの擁護者であるmacskaさんには、該当行為の具体例
> を提示する義務があるはずです。

ありませんね。わたしはパンフを総体として擁護しておらず、ただある特定の批判がサヨクそっくりの妄想的あるいは狼少年的なデマであると反論しているだけですから。

はっきり言って、「押し付けは子どもの可能性を狭める」と書いた著者が、何か具体的な被害を想定していたとは考えられません。ただ漠然と「押し付けは良くない」と思って男女で違った扱いをするかもしれない場面をいろいろリストアップしたところ、たまたま「ひな祭り」という項目が入り込んでしまったのではないでしょうか。他の方も指摘していましたが、時代背景に合っているかどうかということを考えると、あのリストがそれほど丁寧に作られている様子もないですし。

> …ちなみに、“知り”もせず“信じて”もいない事柄を
> 「ふり返ってみましょう」モードで記述すれば何も問題な
> いという常識があるというなら

何も問題ないとは言っていません。が、常に問題があるとも思いません。

例えば、あなたが例としているような「あなたは殺人の経験がないですか?」などという問いが唐突にあれば、それは不当な言いがかりだと思うでしょうが、「あなたは自分が気付かないうちに人を傷つけたことがないですか?」みたいなことを言われたら、それはあるかもしれない、あるだろうな、と自分をふりかえるきっかけになるでしょう。それは、その質問が誰にでもありがちなことを振り返るよう呼びかけるものだからですね。

さて、「子育てにおいて『男らしさ・女らしさ』を押し付け、それにより子どもの可能性を狭めていませんか?」というのはどちらに近いかと考えたところ、わたしが思うに後者に近いのではないかと思います。もしこれが前者と似ているとお考えでしたら、そりゃこのパンフを誤読するでしょうよ。

Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/7(土) 3:25 -

引用なし
パスワード
   > 面接の心得で検索してみましたが、どこにも男女の違いは見当たりません。

それは、「どんなに立派なビジネススーツでも、男性はスカートをはいて面接に行かない」とわざわざ書かなくても当たり前の社会常識とされるからじゃないでしょうか(笑)

社会学者の桜井芳生さんが、学生の就職指導をしてきた経験からこんな事を言っています。

(引用はじめ)
【男性への、第二の助言。身体をビルド・アップせよ】

男性への第二の助言は、【見た目がたくましい男になれ】、というものです。
実社会は「からだが資本」です。面接の当日での見た目のたくましさこそ、あなたの商品価値を高めるものはないでしょう。
ぜひ何らかの、身体のビルド・アップのエクササイズを今から初めてください。
見た目が変わるだけではなくて、生きていく姿勢自体が「前向き」になって行くでしょう。

【船木誠勝の「ハイブリッド肉体改造法」をおすすめ】

具体的には、ベースボールマガジン社刊の船木誠勝の「ハイブリッド肉体改造法」をおすすめします。
格闘技集団パンクラスを率いる船木誠勝が自分の肉体改造法を公開した本です。

【女性への、第二の助言。「あか抜けた女」になれ。今から、毎日「濃いめ」の化粧をし、「ミニスカート」をはき、「髪」をいたわれ!】

女性への第二の助言は、あか抜けた、艶(つや)っぽい女になれ、ということです。
現在においても就職の面接官の多くは(中年)男性でしょう。
その中年男性面接官が、「ついつい採ってしまいたくなるような」女性になってください。

【口紅はもっと赤く、ファンデーションはもっと白く】

まずは、【化粧】です。私にいわせれば、世の中に美人・不美人といったものは存在しません。【化粧映えのする女と、しない女】がいるだけです。
ぜひみなさんは、「化粧映えのする女」になってください。
化粧についての細かいノウハウは私はわかりませんが、まずは「慣れる」ことでしょう。そのためにも、三年生の今から、毎日化粧をすることをおすすめします。
いうまでもありませんが、就職するためには、「男受けする化粧」をしなければ意味がありません。
どうも全般的にいって、女の人は化粧が「薄すぎる」ように思います。女の感覚よりも「もうふたまわり」ほど、【ヨリ赤い口紅】と【ヨリ白いファンデーション】をつけましょう。
「男は薄化粧好き」という考えもあるでしょうが、私にいわせれば、これは「神話」です。キャバレーのホステスさんの化粧をみてください。あれこそが男に受ける化粧です。

【いまからミニスカートをはく。キュロット・パンツルックは不可】

顔はいまいちでも、足はきれいな女性は多いと思います。ところが、鹿児島はあつくて日差しが強いせいか、「足の立ち居振る舞いのきれいな学生さんが少ない」ように思います。(蒸し暑いので、つい、膝をそろえずに座ってしまう。日に焼けやすいので、短いスカートを避けて、ジーンズなどをはいてしまう)。
ぜひ今から短めのスカートをはいて、「足の立ち居振る舞い」のきれいな女になってください。注意点は、キュロットは避けた方がいい、ということです。どうもキュロットは「足に緊張感がなくなる」ような気がします。
なお、面接当日も、心持ち短めのスカートをおすすめします。

http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/akuma.htm
(引用終わり)

これは、もしかすると鹿児島という土地柄なのかもしれませんが、桜井氏はこの作戦にかなり自信を持っているようです。

なお、書かれていませんが、男性の化粧やミニスカートはもちろんダメということでしょう。当たり前すぎて書いていないだけで、そういう「心得」が存在しないということにはなりません。

Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 tpkn  - 06/10/7(土) 14:26 -

引用なし
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   >
>                   (`・ω・´)  tpkn様は不滅であられます!!

ワンパターン。

バカはすっこんでろと言ってるの。

Re(4):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 純子  - 06/10/7(土) 17:07 -

引用なし
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   >macskaさん:

だいじょうぶでつか Macskaさん。睡眠時間が足りないんじゃないですか?


日本社会の場合、規範は「場」によって変わる。
だから日本社会における「規範」は、その場に参加している「場」の構成メンバーによって変化する。
ただし、「場の空気になるべく合わせろ!」という規範は強固にあって、それが、価値相対主義的な日本社会の秩序を維持している。
だから、場の空気を読めない人や、ことさらに場の空気にさからう人間は、シカトされる。

という私の意見への反論が、何で?

>ジェンダーの規範と無関係な人なんて、今の社会にいるんでしょうか?

になるんでしょうか?

>ほとんどどの会社でも学校でも、「ジェンダーの規範」がその場と無関係であるということは想定しにくいのですが… 

場を形成している個々のメンバーの誰もが、なにがしかのジェンダー観を持っている。それが場にも反映して共通了解になったものが、ジェンダー規範として形成される。そうして、ほとんどの会社でも学校でも、その場に即した、ジェンダーの規範を持つことになるわけですが……。それが何か(^^)


>例えばある地方では「男性はスカートをはいてはいけない、

はて、新宿二丁目「地方」や、新宿三丁目「地方」あたりで、スカートをはいている方をみかけたような気がするが……(^^)? あとコミケとかワンフェスでも目撃されるというウワサも……(^^)


>女性はスカートをはいているのが『女らしい』」とされていて、

最近のファッション雑誌でも見ればいいんですよ。ヘソ出しの股上の浅いジーンズに、ひらひら付きのキャミとか……(^^)


>ある程度幅があるといってもある程度共有された規範があると思うのですが。

同じ人間のすることですから、それほど極端な開きはなくてあたりまえ。
案外、林先生のいうように、男女で生得的な差異があって、それに対応した「ジェンダー規範が形成されているのかもよ。

Re(8):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/7(土) 19:09 -

引用なし
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   >macskaさん:

>> あの、、「違う話」に飛んではいません。
>> (「子育て支援パンフ」にあった、「〜らしさ」を育むとさ
>> れるスタイルのことです)
>
>ですから、それはパンフの話でしょ?
>ジェンダリズム云々については、パンフの話ではなくわたしの意見なんですから、関係ないんですよ。
>
>> で、その「ジェンダーの規範」は、どのようにしてつくられ
>> ているか(インプットされていくか)というと、赤ちゃんの
>> 頃から《育児の全体において「男らしさ・女らしさ」の押し
>> 付け》が、、、以下(ry
>> 子育て支援パンフは《「男らしさ・女らしさ」の押し付けを
>> やっていませんか、考えてみましょう》と呼びかけているの
>> でしたね。

>パンフの著者ならそう言うでしょうが、わたしの意見ではありません。

了解でつ。

>というより、わたしは「ジェンダーの規範」がどのようにインプットされていくかについては、別のメカニズムを主張しています。それは、「制度が個別の行為を助長し、個別の行為が制度を強化する」というシステムの循環がそれ自身を自動的に再生産している、というものです。わたしの議論はあくまでシステム主体であり、親や学校の責任だとか子育てがどうだという話は全然していません。

で、その「別のメカニズム」「システムの循環」というのは、具体的にどのようなメカニズムでありシステムのことなのですか?

>「制度が個別の行為を助長し、個別の行為が制度を強化する」というシステムの循環がそれ自身を自動的に再生産している、というもの

に関して、分かりやすく(具体例等を例示して)ご説明いただけたら、と思います。

「机上のこと」(脳内でのこと)ということなのであれば、納得できますし、けっこうデチ。

Re(2):ザッ感れす…結論モード
 楽俊  - 06/10/7(土) 19:20 -

引用なし
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   >macskaさん
>いえ、できます。信じていればそれだけで主張できる。というか、実際のところ信じてすらいなくても、主張だけならできるわけです(例:弁護士)。

はい、しかし考えてみればこのケースでは、単なる嘘か業務上の義務として被告の主張を形式的に“信じ”ているだけですよね。だからその意味では、この反例はあまり実質的な意味を持たないと思います。

>ありませんね。わたしはパンフを総体として擁護しておらず、ただある特定の批判がサヨクそっくりの妄想的あるいは狼少年的なデマであると反論しているだけですから。

私の論点においては、macskaさんがこれまで言ってきた意味での「パンフを総体として擁護」していようがいまいが、そのことは殆ど何の意味も持ちえないということです。

>はっきり言って、「押し付けは子どもの可能性を狭める」と書いた著者が、何か具体的な被害を想定していたとは考えられません。ただ漠然と「押し付けは良くない」と思って男女で違った扱いをするかもしれない場面をいろいろリストアップしたところ、たまたま「ひな祭り」という項目が入り込んでしまったのではないでしょうか。他の方も指摘していましたが、時代背景に合っているかどうかということを考えると、あのリストがそれほど丁寧に作られている様子もないですし。

パンフを読んで、その内容の詐術論理的な強制力に胡散臭さを感じた人の何処に、パンフの執筆者の意識内容や時代感覚までをも勘案するべきだという義務が見出せるというのですか? 明らかに甘えすぎです。
(論理的強制力については、例の式とは別にいろいろ考えられそうですね。人によってはパンフの文面に「山のパラドクス(*」を導いてしまう“滑りやすい坂の論法”を読み込んでいるかも知れません。「破壊」の積りはなくても「破壊」を意味する、みたいな。)
*) 前提1:高さ6000mの峰起は山である。
   前提2:山が1mm低くなっても山でなくなりはしない。
   結論 :6000mマイナス1mmの峰起は山である。(←『論理学がわかる事典』より)
   …で結局、5mmの山も山である。(笑)

>何も問題ないとは言っていません。が、常に問題があるとも思いません。
>例えば、(…)

私も全てのケースにおいて、「常に問題がある」とは言っていませんが、macskaさんの例では、既に経験済みの記憶の呼び出しの話に摩り替っている上に、問いの妥当性については受け手の意識に依存しています。しかし今回の問題はその受け手の意識がそれに拒否反応を示しているということですよ。だとすれば、その反応にmacskaさんすら特定不能な執筆者の意図(?)が優先されなきゃならない理由なんてないでしょう? レスを読んでるだけで私も疲れ果てた国民さん状態(笑)です。

>さて、「子育てにおいて『男らしさ・女らしさ』を押し付け、それにより子どもの可能性を狭めていませんか?」というのはどちらに近いかと考えたところ、わたしが思うに後者に近いのではないかと思います。もしこれが前者と似ているとお考えでしたら、そりゃこのパンフを誤読するでしょうよ。

だからそれは、macskaさんが単にそう「思っている」(or信じたい)だけじゃないですかぁ?
つまりそう“信じている”だけということであって、“信じる”だけで全てが正当化されるならオカルト教団の殺人事件だって“信じ”ていたという理由で正当化されてしまうんですよ。

Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/7(土) 19:39 -

引用なし
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   >macskaさん:

>> 面接の心得で検索してみましたが、どこにも男女の違いは見当たりません。
>それは、「どんなに立派なビジネススーツでも、男性はスカートをはいて面接に行かない」とわざわざ書かなくても当たり前の社会常識とされるからじゃないでしょうか(笑)

ですね。
でも、それってジェンダリズムなんですか?

>社会学者の桜井芳生さんが、学生の就職指導をしてきた経験からこんな事を言っています。
>(引用始め)
(略)
>http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/akuma.htm
>(引用終わり)

>これは、もしかすると鹿児島という土地柄なのかもしれませんが、桜井氏はこの作戦にかなり自信を持っているようです。

中高年♂に対する”うけ狙い”作戦ですね(w

これって別に”差別”ということではないのでわ?ありませんか?

>なお、書かれていませんが、男性の化粧やミニスカートはもちろんダメということでしょう。

うーーん、、「ダメということ」とかいうよりも何も、男性のバヤイ「お化粧してミニスカで〜」といった、はっそうが実際にあるものなのでしょうか。。。

>当たり前すぎて書いていないだけで、そういう「心得」が存在しないということにはなりません。

それはそうですね、。でも、
そういう「心得」って一部にあるのですか?(あるのであれば取材してみたいデチ。ドキドキ^^)

「啓発」等の強制性について
 Josef  - 06/10/7(土) 20:27 -

引用なし
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   文科省委嘱で作られたパンフというものがどの程度の重みを持つか。測定はできないので曖昧な言い方になりますが、一般にはかなりの重みを持つと言えるでしょう。芥屋さんが書いているように日本は啓発等の法律以外の形をとった事実上の「指導」をずっと行ってきました。もちろんベースには法律があるのですが、そこで細かい規定はせず、いわば「空気」によって人々を動かすべく柔らかい強制を行ってきたと言えると思います。これは「お上」に弱く、「世間」で動く日本人の特徴に合致したやり方であると同時に、問題が起こったときに責任が曖昧になりがちな原因の一つでもあるでしょう。

件のパンフのベースになっている法律はもちろん男女共同参画法です。これは国家方針だから、それに基づく予算の申請は極めて通りやすい。この法律を旗印にして様々な事業が各省庁で計画され、予算が消費されることになります。パンフもまたその一環として財団に委嘱されたものと思われます。

このパンフの性格上、個人や私企業に対して直接的影響を与えるものではありません。言い換えれば、無視すれば済むパンフです。では何に対して影響を与えるのか。公的予算に頼るところの大きい教育関連機関・施設です。それらにとってこういうパンフは「天の声」であり、その内容に合わせて業務を「改善」していけば人的配置や予算措置で「おいしい思い」ができる可能性が高くなること経験的に知っています。具体的には「雛祭りをやめる」(幼稚園)とか「さん付けで統一する」とかですね。

が、このパンフは特殊な経過を辿りました。通常この手のパンフは学校等への目に見えない強制として働くだけで一般にはあまり知られることがないのですが、今回はすぐに批判にさらされ、国会でも問題にされることになりました。こうなるとパンフの柔らかい強制力は一挙に弱まります。何しろ文科省という「お上」よりもっと上の「お上=国会」で政権与党によって批判されたのだから。

自民党の一部の圧力によると思われる文科省の「教育ご意見箱」や「男女の扱い等に関する調査」は、パンフと同様に、柔らかな強制です。但し、強制の方向は変わりました。「ジェンフリ万歳」から「ジェンフリはまずいぞ」へ。「ジェンフリを理由に雛祭りをやめた」はパンフの「強制」には合致しますが文科省「調査」が暗に示している「強制」には合致せず、マイナスに評価される可能性が高いことを現場は知っています。文科省の「調査」にはどう回答するのが得策か。調査の集計結果には各々の現場管理・監督者の考えた対応がよく反映されていると言えるでしょう。

Re(3):ザッ感れす…結論モード
 Josef  - 06/10/7(土) 21:05 -

引用なし
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   >>さて、「子育てにおいて『男らしさ・女らしさ』を押し付け、それにより子どもの可能性を狭めていませんか?」というのはどちらに近いかと考えたところ、わたしが思うに後者に近いのではないかと思います。もしこれが前者と似ているとお考えでしたら、そりゃこのパンフを誤読するでしょうよ。(macskaさん)
>
>だからそれは、macskaさんが単にそう「思っている」(or信じたい)だけじゃないですかぁ?(楽俊さん)

macskaさんの言う通りでいいんじゃないですか?パンフの問いかけは「あなたは殺人の経験がないですか?」みたいな馬鹿げた問いかけではなくて、「あなたは自分が気付かないうちに人を傷つけたことがないですか?」といった、振り返ってみればたいていの人が思い当たることがあるであろう問いかけに近い。

そういう、それ自体は問題のない問いかけであるだけに、自省を促すために挙げられる「雛祭り」等の「例」の異様さが際立つのですね。そこをmacskaさんは、

>ただ漠然と「押し付けは良くない」と思って男女で違った扱いをするかもしれない場面をいろいろリストアップしたところ、たまたま「ひな祭り」という項目が入り込んでしまったのではないでしょうか。

というふうに、パンフの全体をいい加減に作られたものとdegradeすることによって相対的に「部分」の奇妙さを非難から救い出そうとしています。きっとテキトーに作られたはず、だから細部にこだわっても仕方ないよ、と。逆にいえば、そういう読み方をしなければ「雛祭り否定だ」という批判をかわし切れないのだと思います。「macskaさんがそう信じたいだけじゃないか」という楽俊さんの批判はこの部分に向けられるべきでしょう。

Re(10):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく...
 芥屋  - 06/10/7(土) 23:19 -

引用なし
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   >gajiさん:

Macskaさんご紹介の桜井芳生のコレ↓ですが、
http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/akuma.htm
トップページへのリンクが切れてるので調べたのですが、今はコッチ↓のようです。
http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/

>>これは、もしかすると鹿児島という土地柄なのかもしれませんが、桜井氏はこの作戦にかなり自信を持っているようです。
>
>中高年♂に対する”うけ狙い”作戦ですね(w

きょうびの女子学生の化粧は「仲間受け」がメインであって「おじさん受け」はしないので、面接のときには「おじさん受けを狙ったほうがいいよ!(笑)」ということのようです。

*著書のアマゾンの商品紹介や書評なども合わせて見ると、筆者としてはアレは一種の諧謔も含んでるようですね。題して「悪魔の助言」。

Re(5):美意識の問題化(jジェンダー教)
 芥屋  - 06/10/7(土) 23:32 -

引用なし
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   >純子さん:

>だいじょうぶでつか Macskaさん。睡眠時間が足りないんじゃないですか?

季節の変わり目だし…。つうか、やっぱホンモノのカルト信者さんと話している気分になってきました。

いただいていたレスがすごい面白かったので新スレにします。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1082;id=keya1984

Re(10):美意識の問題化(美観と蔑視
 tpkn  - 06/10/8(日) 0:55 -

引用なし
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   macskaどん:

>「伝統的保守主義者には無効ではないか」と言われた時に、わたしは「このパンフは、思想的な理由なく、深い考えもなしにジェンダーステレオタイプを子どもに押し付けている(かもしれない)親に向けて書かれたもので、保守主義者を対象としたものではない」という意味のことを先に答えています。つまり、「考えを変える」ことはパンフの目的ではないと言っているのですね。

それはパンフの読み方としてはおかしいです。なぜならパンフは全体として「大人が変わらなければいけない」と主張していますから。


>そのうえで、「無効ではないか」という判断について、「保守主義者の考えを変えることを有効だと言うのだとしたら」、という仮定のうえで、「保守的な思想の持ち主でも、考えを変える可能性はないとはいえない」というわたしの判断を述べました。しかし、ここでわたしは「考えを変えることが目的」だと認めたわけではなく、あくまで「保守主義者に必ずしも全く何の影響も与えないということではないだろう」という意味で言っているわけですよ。

それもおかしいです。もしパンフが伝統的なジェンダー観を見直す目的のものであれば、その対象は伝統保持主義者を除外するものではなく、むしろそちらにこそ働きかける必要があるからです。《深い考えもなしにジェンダーステレオタイプを子どもに押し付けている(かもしれない)親に向けて書かれたもの》というのは、macskaさんの都合のよい結論を導くためにmacskaさんが勝手に付け加えた要素にすぎないでしょう。そのような対象はそれこそどこにも明記されていませんし、伝統的な価値観を持つ親を除外するとも書かれていません。

例と書いてないから例示ではない、イコールと書いてないのにイコールで説明したのは不当というような人が、自分に都合のいい場合だけは書かれてない要素を勝手に判断材料に加えるのはおかしいですね。


>ひな祭りを否定しているという解釈を真剣に考察してみましたが、文面からかけ離れたかなり特殊な解釈であるとしか思えませんでした。そういう解釈が「普通の親の親心」を通してみれば自然だという主張もあるのですが、「普通の親の親心」というブラックボックスが論証不可能なためどこをどう読めばそういう解釈が成り立つのかついに理解することはできませんでした。

「普通の親心」については芥屋さんが主張していることで、私は子供がいませんのでそれは主張していません。代わりに、パンフの呼びかけは反語であるという、純粋に文法的な側面からテクスト解釈を述べていますが、その点についての反論が未だどこにもありません。

パンフに書かれた問いかけは、否定疑問文を肯定疑問文に変更すれば成り立ちません。すなわちそれが、このパンフが反語によって問いかけられたことと反対のことを肯定していると読める理由です。


>> また、「具体的にひな祭りをどうすれば良いのか」については、それが
>> 書かれてないことが問題なのです。なぜなら、意味不明だから。
>
>うーん、わたしはパンフの著者はひな祭りについてどうすれば良いのかという回答を持っているとか、啓蒙したいと思っているというようには思わなかったのですが。まぁ、「だったらどうすればいいんだよ」というところが不親切と言えばそうかもしれませんが、それが書いてあったらさらにウザかっただろうしなぁ。

「意味不明」というのは、反語でないとしたら意味不明ということです。もちろんこれは反語ですから、ひな祭りの伝統を否定しているのは明らかですよ。


>当たり前ですが、「パンフはこう主張している」とわたしが書くとき、それは「わたしが読んでみたところ、このパンフにはこのような主張が込められているように読めた」という意味です。「こう主張している」という時に文字通りパンフを引用するのでない限り、論理的に言ってそれ以外の意味でわたしが「パンフはこう主張している」と言うわけがありません。

であれば、あなたのパンフの解釈について反論している者に対して、「私はそのような主張をしていません」という的はずれな返答をするのはやめるべきでしょう。

Re(8):文字通りのバックラッシュ!
 tpkn  - 06/10/8(日) 1:09 -

引用なし
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   macskaどん:
>> 黒ランドセルと副委員長の例示とひな祭りの違いは、事象そのものが
>> ジェンダーを内包しているかどうかにあります。ランドセル自体は色
>> も含めて中立です。委員長もそうです。しかし、ひな祭りは、存在そ
>> のものがジェンダー的に中立ではありません。中立にしたらひな祭り
>> ではなくなってしまうからです。多くの人がひな祭りや鯉のぼりに反
>> 応したのは、そういう違いを直観的に読み取ったからでしょう。それ
>> は極めてまっとうな感覚だと思います。
>
>パンフにはひな祭りを「ジェンダー的に中立にするべきだ」と書かれてはいませんし(押し付け・決めつけは子どもの可能性を疎外するから良くない、とは書かれています)、

では「女の子だからひな祭り」の何が問題なのかわからなくなります。ジェンダー的に中立にすべきと言っていないのなら、「女の子だからひな祭り」であっても押しつけや決めつけにはなりませんから。

> そもそも挙げられた項目が「ジェンダー的に中立かどうか」は問題にすらされていないのですが、論理的にここがおかしいと考えたというのではなく「直感的に」という言い方をするならばそういう可能性もあるでしょう。

私が書いた「直観的」を誤読されているようです。ひな祭りとランドセルにおける論理の違いを、「直観的に」読みとったと言うことですね。すなわち、その直観にはちゃんと合理的な理由があったわけです。つまり「ランドセル否定といったらおかしいからひな祭り否定もおかしい」というのは、論理的にきちんと説明できる間違いなわけです。


>その場合、黒ランドセルとひな祭りのあいだにそういう「直感的な受け止め方の違い」があることについては、パンフ著者は多分考えてもいなかったのではないでしょうか。だって、パンフ著者は、「これらの項目を全てジェンダー中立にすべきだ」と主張していたわけではなくて、「押し付け・決めつけをやっていないかふりかえってみましょう」と呼びかけていただけですから、そんな理由でひな祭りの項目が反発を浴びるとは思ってもいなかったはず。

もちろん、パンフの著者がそんなこと考えてもいないのは明白です。だからアフォなパンフと言われてるわけです。つまり、ジェンダーというものに対する考察が非常に甘いというか、レベルとしてはxanthippeさん程度の表層的な部分でしかジェンダー規範というものを理解してないのでしょう。

さらに、「これらの項目を全てジェンダー中立にすべきだ」と主張しているかどうかについては、そもそも論点ではないのであんまり言っても意味ないです。「すべて」かどうかは、誰も問題にしてませんから。

>ところで、自分の考えをいつの間にか「多くの人」の考えにしちゃうのはやめましょうね。多くの人というけれど、実際にパンフを手に取って「これはおかしい」と気付いた人がどれだけいるのか。国会で取り上げられたり雑誌で批判されているのを読んで「それは酷い」と思った人でも、実際に入手して読んでみた人なんてごく少数でしょう。

この主張をするのが「多くの人」でないのなら、別にあわてて反論本を出版する必要もないでしょう。それから、多くの人」は、別にパンフを読んでおかしいと感じた人の数ではありません。どちらかというと、批判によって初めて気づいた人、あるいはなんとなくおかしいんじゃないかと思っていたけど批判を見てやはりその思いが正しかったのだと判断した人などがほとんどじゃないかと思います。

また、「多くの人」かどうかについては、googleでジェンダーフリーを検索することによってヒットする項目の内容で、ある程度客観的に推し量ることもできます。少なくとも、ここでは政治的立場を異にするJosefさん、芥屋さん、純子さん、楽俊、私などがこの点については一致しているわけで、そういう意味でも「多くの人」と言っていいかもしれない。「多く」とは誰だ?なんていうクソサヨ的揚げ足取りは、時間を無駄にするだけなので控えていただければありがたいです。


>センスと言えば、伊田さんがよく山口さんらに向かって「政治のセンスがない」と批判してますね。
>よく言えるなーと思ってますが。

どっちにしろ政治のセンスなんて一般人には関係ない運動屋の論理でしかないので、まあどうでもいいです。

Re(7):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 tpkn  - 06/10/8(日) 1:50 -

引用なし
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   macskaドン:

>> 相手の事実認識が自分とは違うことを、現実には存在しない動機を
>> 想定することで正当化しているわけですね。
>
>存在しない想定を想定しているのはあなたでは。

言いがかりですね。

「現実には存在しない動機を想定」は、あなたの書いた下記の部分です。

「もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません」

これは、言いかえれば「醜い政治に賛同しているのだとすると、わけが分かる」ということでしょう。《醜い政治に賛同しているのだとすると》の部分が、「現実には存在しない動機」、「正当化」の部分が「わけが分かる」の部分です。これ、いわゆるfallacia accidentisですよ。

>> あなたの「徹底的にやりましょう」という呼びかけに応じてこれだ
>> けきちんと議論につきあっている人々が、なぜ「問答無用でとにか
>> くジェンダーフリーを叩きたい人」と同一視されなければならない
>> のでしょう?
>
>同一視していませんよ。

であれば、芥屋さんや私との議論に於いて「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」を引き合いに出す必要ないと思うのですが? 

>わたしは確かに「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」と同じ用語によってかれらの政治に加担しないで欲しい、と呼びかけていますが、そう呼びかけるということはあなた方が「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」とは別であると認識しているからこそです。もし同一視しているなら、そんな呼びかけは行ないません。

これもただの詭弁です。macskaさんの意見に賛同しない場合は、「別であるという認識」をやめて「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の範疇に含めますよと言ってるだけですから。それに、私たちの意見の一部と「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の意見の一部が一致したところで、それはmacskaさんの立場からすれば「加担」でしょうけども、私たちの立場からすれば「加担」でもなんでもありません。だから「加担しないでほしい」と言われても、「知るか」と言うしかない。ここが、あなたが運動の論理に拘泥していると言われるゆえんですね。

>> (1)tpknその他対論者は、実は「醜い政治」に賛同している。
>> (2)「醜い政治」の中にも、事実にもとづいた正当な批判がある。
>> (3)macskaの論こそが、実は「醜い政治」である。
>>
>> 我々が主張しているのは(2)ですが、あなたは(1)以外の可能
>> 性を考えることができないようです。
>
>(1)だなんてほとんど思ったことはないのですが、このように書かれて驚きです。
>
># たまに、特に酷い曲解があったときなんかは、一瞬(1)かと思ったりする事もあります。
># でも、「(1)以外の可能性を考えていない」なんてことは絶対ないですよ。

「考えていない」ではなく「考えることができない」です。

それは推測でもなんでもなく、あなたが書いた《もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません》という文章をそのまま理解すればそのようになるということです。

Re(5):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 19:03 -

引用なし
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   純子さん:
> はて、新宿二丁目「地方」や、新宿三丁目「地方」あたりで、スカート
> をはいている方をみかけたような気がするが……(^^)? あとコミケと
> かワンフェスでも目撃されるというウワサも……(^^)

日本のジェンダー制度においてそれは特殊な例でしょ?
それとも、日本では男がスカートをはく文化と女がスカートをはく文化が対等だと?
話にならない。

> 案外、林先生のいうように、男女で生得的な差異があって、それに対応
> した「ジェンダー規範が形成されているのかもよ。

なんだかいい加減な論理ですが、だったら少なくともジェンダーが規範として形成されているという点には合意していただけるわけですね? …じゃあ、どこが不満でこんなにゴチャゴチャ言ってくるんだろう。

Re(9):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 19:14 -

引用なし
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   gajiさん:
>> 「制度が個別の行為を助長し、個別の行為が制度を強化する」という
>> システムの循環がそれ自身を自動的に再生産している、というもの
>
> に関して、分かりやすく(具体例等を例示して)ご説明いただけたら、
> と思います。

そのうちブログでやります。

> 「机上のこと」(脳内でのこと)ということなのであれば、納得でき
> ますし、けっこうデチ。

「机上のこと」と「脳内でのこと」というのは違いますが。

Re(3):ザッ感れす…結論モード
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 19:28 -

引用なし
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   > パンフを読んで、その内容の詐術論理的な強制力に胡散臭さを感じた
> 人の何処に、パンフの執筆者の意識内容や時代感覚までをも勘案する
> べきだという義務が見出せるというのですか?

「胡散臭い」と感じるだけであれば、そのような義務はありません。しかし、公の場でそれを批判するのであれば、批判に同様な胡散臭い論理を紛れ込ませないようにして欲しいです。はっきり言って、このパンフをもって全体主義だ文化大革命だと騒ぐのは、ひな祭りを押し付けだと騒ぐのと同じくらい胡散臭い。

> だからそれは、macskaさんが単にそう「思っている」(or信じたい)
> だけじゃないですかぁ?

ええーーーーーーーーーー!!!?

以下の3つの質問があったとします。

A「子育てにおいて『男らしさ・女らしさ』を押し付け、それに子どもの可能性を狭めていませんか?」

B「あなたは殺人の経験がないですか?」

C「あなたは自分が気付かないうちに人を傷つけたことがないですか?」

このとき、AはニュアンスとしてBとCのどちらに近いでしょうか、というのが問題です。

わたしは、AはBよりもCに近いと思います。というか、ほとんど誰に聞いてもそう思うんじゃないかと確信していたので、「それはあなたが単にそう『思っている』だけではないか?」と聞かれて、かなりショックだったのですが、「いや違う、AはCではなくBに近いのだ!」という人はこの場にいるんでしょうか? わたしの感覚ですと、100人中99人は「Cに近い」と判断すると思うのですが。

そりゃ、わたしの主張は根拠を極限まで突き詰めれば最後のところでは「わたしはそう信じているのだ」となるしかないですよ。わたしに限らず、誰だって最終的にはそれ以外ありえません。しかし、今問題となっていること(AはBとCのどちらに近いか)は、ほとんど誰が見てもわたしの言う通り「Cに近い」が共通認識なんじゃないかと思うんですが… それが怪しいとなると、コミュニケーションをどう成り立たせて行けばいいのかかなり不安になります。

Re(11):美意識の問題化(美観と蔑視
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 20:09 -

引用なし
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   tpknさん:
> それはパンフの読み方としてはおかしいです。なぜならパンフは
> 全体として「大人が変わらなければいけない」と主張していますから。

文脈を読みましょう。

わたしが言っているのは、「男は男らしく育てるべきだ」みたいな価値観を確固として持っている親の思想を変えることまでは目的としていない、ということです。特にそういったことを意識せずに、気付かないまま「男らしさ・女らしさ」を押し付けている(かもしれない)人に対しては、それをやめるように呼びかけています。

> それもおかしいです。もしパンフが伝統的なジェンダー観を見直す
> 目的のものであれば、その対象は伝統保持主義者を除外するもので
> はなく、むしろそちらにこそ働きかける必要があるからです。

必要があっても、そこからパンフの内容を決めつけることはできません。

> 伝統的な価値観を持つ親を除外するとも書かれていません。

書いてなくても、そういう価値観を持つ親に読ませる工夫がどこにありますか? ないでしょ。
せいぜい、「男らしさ・女らしさ」は生物学的なものだと思い込んで受け入れている親に対して「そうではない」と訴えている程度ですが、そんなに簡単に否定しまったら余計に「そんなバカな、生物学的に影響しているに決まっているじゃないか」と思われて捨てられてしまいそうです。

> 代わりに、パンフの呼びかけは反語であるという、純粋に文法的な側
> 面からテクスト解釈を述べていますが、その点についての反論が未だ
> どこにもありません。

ええと、よく分からないので解釈間違っていたら指摘して欲しいのですが、反語であるということは、つまり「押し付けていませんか?」という質問を装いながら、真意は「あなたは押しつけている」という糾弾である、という意味でしょうか?

だとしたら、そんな糾弾を不特定多数の読者に対して言っても意味ないしなぁ。それに、どう転んでもひな祭りの件はせいぜい「不自然だ」というだけであって、ひな祭り否定とか伝統破壊というのは関係ないし… 反語だったら議論にどういう影響があるのか、よく分からないです。

> パンフに書かれた問いかけは、否定疑問文を肯定疑問文に変更すれば
> 成り立ちません。すなわちそれが、このパンフが反語によって問いか
> けられたことと反対のことを肯定していると読める理由です。

パンフがジェンダーステレオタイプの「押し付け」に批判的なのは、そんなややこしい事を言わなくても明らかだと思うのですが、ここでtpknさんはそれ以外に何か言ってますか?

> であれば、あなたのパンフの解釈について反論している者に対して、
> 「私はそのような主張をしていません」という的はずれな返答をするの
> はやめるべきでしょう。

それは「わたしはそのような解釈をしていません」という意味に決まってるでしょーが。
そんなアクロバティックな誤解をするって信じられないんですけど、もしかしてわざとやってます? 迷惑だからやめてね。

Re(4):ザッ感れす…結論モード
 楽俊  - 06/10/8(日) 20:18 -

引用なし
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   >macskaさん
>「胡散臭い」と感じるだけであれば、そのような義務はありません。しかし、公の場でそれを批判するのであれば、批判に同様な胡散臭い論理を紛れ込ませないようにして欲しいです。はっきり言って、このパンフをもって全体主義だ文化大革命だと騒ぐのは、ひな祭りを押し付けだと騒ぐのと同じくらい胡散臭い。

↑なことを、未だに言っているmacskaさんが一番「胡散臭い」のです。
「らしさ」的なものに胡散臭さを感じるだけであれば、個人的に好きにやるというのが基本線です。その個人的ポリシーをパンフを使って「公」に「押しつけ」る必要はありません。

であとは時間がないので知りません。

Re(8):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/8(日) 20:39 -

引用なし
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   > これは、言いかえれば「醜い政治に賛同しているのだとすると、
> わけが分かる」ということでしょう。《醜い政治に賛同している
> のだとすると》の部分が、「現実には存在しない動機」、「正当
> 化」の部分が「わけが分かる」の部分です。

うん、そういう政治に加担しているとすると、あなたの言動がものすごくシンプルに理解できるようになります。でも、それは仮定であって、現実にそんなことをする人ではないと分かっているから、あなたのこの問題に関する発言は理解不可能なんですね。揶揄でもなんでもなく、本当に訳が分からない。

というわけで、「醜い政治に賛同している」という想定をわたしはしていないので、していると想定するのはやめてください。「想定しているのでなければわけが分からない」くらいのイヤミは書いてもいいからさ(笑)

> であれば、芥屋さんや私との議論に於いて「問答無用でとにかく
> ジェンダーフリーを叩きたい人」を引き合いに出す必要ないと思
> うのですが?

いや、だってわたしが「デマだ」と批判したのは、芥屋さんやあなたではなく「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」に対する批判として言ったわけですよ。それに対して、その批判はおかしいと芥屋さんやあなたが言ってきたわけですから、関係あるでしょう。

> macskaさんの意見に賛同しない場合は、「別であるという認識」
> をやめて「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の範疇に
> 含めますよと言ってるだけですから。

一言もそんなこと言ってないじゃん。

> それに、私たちの意見の一部と「問答無用でジェンダーフリーを叩
> きたい人」の意見の一部が一致したところで、それはmacskaさんの
> 立場からすれば「加担」でしょうけども、私たちの立場からすれば
> 「加担」でもなんでもありません。

例えば、「ひな祭り否定」とか「全体主義」とか「文化大革命」とか、表現がおおざっぱ過ぎるんですよ。「ひな祭り否定」の「全体主義」で「文化大革命」だ、と読めば、普通なら「ひな祭りを禁止すべきだ」とか「ひな祭りを祝うべきではない」くらいのものすごく強烈な主張があると思うわけですが、現実にはそこまでハードなことは一切ないわけです。だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しいとわたしは思っているのです。

ここで、「いや、それだけハードなことがパンフに書かれてある」とあなたがもし考えるのでしたら、当然「知るか」としか答えられないでしょう。しかし、かれら「問答無用で叩きたい人」と違い、あなたはそこまで無茶苦茶な現状認識ではないとわたしは思っているからこそ、だったらかれらと同じ極端な表現はやめてくれと言っているのですね。

Re(5):ザッ感れす…結論モード
 楽俊  - 06/10/8(日) 20:58 -

引用なし
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   >わたしは、AはBよりもCに近いと思います。

はい、その比較ではそうなると思います。

>(…)しかし、今問題となっていること(AはBとCのどちらに近いか)は、ほとんど誰が見てもわたしの言う通り「Cに近い」が共通認識なんじゃないかと思うんですが…

(Josefさんからも指摘があるようですが、それはともかくとして)、というか、私があそこで言っているのは、実際にやっているかどうかではなく「ふり返ってみましょう」だから別に問題ない(とか何とか)とするmacskaさんの意見に従っただけですけど? まぁ極端化はありますけど。

Re(6):美意識の問題化(「らしさ」が問題ではなく)
 gaji  - 06/10/8(日) 22:43 -

引用なし
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   >macskaさん:
>純子さん:
>> はて、新宿二丁目「地方」や、新宿三丁目「地方」あたりで、スカート
>> をはいている方をみかけたような気がするが……(^^)? あとコミケと
>> かワンフェスでも目撃されるというウワサも……(^^)
>
>日本のジェンダー制度においてそれは特殊な例でしょ?
>それとも、日本では男がスカートをはく文化と女がスカートをはく文化が対等だと?
>話にならない。

つまるところ、洋装がイクナイ!ということになりますか?
いまでも花火見物や盆踊りでの浴衣は男も女も対等といえますネ。
旅館でのくつろぎ着(浴衣に羽織等)は、男女兼用ですし。

というか、男と女がいるかぎり(よかれ悪しかれ)どんな文化にもジェンダーは未来永劫存在するわけですから、男と女がいなくなれば、問題は解消するということになりますね…。
男の子や女の子を妊娠したら生まなければOK〜♪なだけでわないですか。
これからは選択的にアンドロギュノスを出産すればいい、と。
もしくは生まなければイイ。人類が死滅・絶滅すれば、ジェンダーなんて、なくなります。

↑新スレに移しました。
 芥屋  - 06/10/8(日) 22:55 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1082;id=keya1984
に、レス移しました。続きはそちらでどうぞ。

↑新スレにしました。
 芥屋  - 06/10/8(日) 23:36 -

引用なし
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   >わたしが言っているのは、「男は男らしく育てるべきだ」みたいな価値観を確固として持っている親の思想を変えることまでは目的としていない、ということです。特にそういったことを意識せずに、気付かないまま「男らしさ・女らしさ」を押し付けている(かもしれない)人に対しては、それをやめるように呼びかけています。

そういう主張のようですね。ということで、この部分は新スレにします。レスはそちらへどうぞ。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1107;id=keya1984

Re(9):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 芥屋  - 06/10/9(月) 0:45 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> これは、言いかえれば「醜い政治に賛同しているのだとすると、わけが分かる」ということでしょう。《醜い政治に賛同しているのだとすると》の部分が、「現実には存在しない動機」、「正当化」の部分が「わけが分かる」の部分です。
>
>うん、そういう政治に加担しているとすると、あなたの言動がものすごくシンプルに理解できるようになります。でも、それは仮定であって、現実にそんなことをする人ではないと分かっているから、あなたのこの問題に関する発言は理解不可能なんですね。揶揄でもなんでもなく、本当に訳が分からない。
>
>というわけで、「醜い政治に賛同している」という想定をわたしはしていないので、していると想定するのはやめてください。

あのさ、それを「投影」と言うんだけど?「まったく理解できない。この人たちもこんな風に考えてる人たちだと仮定するとすごく理解できる。でもそんな人だとは思えないから、やっぱり理解できない」という一連の思考をしたのはあなたの脳味噌であって、その一連の思考を「想定」と言うんですよ。

>> であれば、芥屋さんや私との議論に於いて「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」を引き合いに出す必要ないと思うのですが?
>
>いや、だってわたしが「デマだ」と批判したのは、芥屋さんやあなたではなく「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」に対する批判として言ったわけですよ。それに対して、その批判はおかしいと芥屋さんやあなたが言ってきたわけですから、関係あるでしょう。

だから結論としては、あなたが「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人たちによるデマだ」と思ってきた見解は、「問答無用でとにかくジェンダーフリーを叩きたい人」以外からも政治信条や男女観の相違を超えて出されている、という客観的事実でしょう。

>> それに、私たちの意見の一部と「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の意見の一部が一致したところで、それはmacskaさんの立場からすれば「加担」でしょうけども、私たちの立場からすれば「加担」でもなんでもありません。
>
>例えば、「ひな祭り否定」とか「全体主義」とか「文化大革命」とか、表現がおおざっぱ過ぎるんですよ。「ひな祭り否定」の「全体主義」で「文化大革命」だ、と読めば、普通なら「ひな祭りを禁止すべきだ」とか「ひな祭りを祝うべきではない」くらいのものすごく強烈な主張があると思うわけですが、現実にはそこまでハードなことは一切ないわけです。だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しいとわたしは思っているのです。

お断りします。というか、だからそれはあなたの立場からの個人的な希望であって、tpknさんの反論に答えていませんよ。

Re(10):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 tpkn  - 06/10/9(月) 1:30 -

引用なし
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   (これは旧スレで継続でいいのかな?)

macskaさん:

(芥屋さんが答えてくれた部分は略)

>> macskaさんの意見に賛同しない場合は、「別であるという認識」
>> をやめて「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の範疇に
>> 含めますよと言ってるだけですから。
>
>一言もそんなこと言ってないじゃん。

「もし tpkn さんがそうした醜い政治に賛同しているのでないのだとすると、どうしてそんな事実を捩じ曲げるような表記に固執するのか、わけが分かりません」「そういう政治に加担しているとすると、あなたの言動がものすごくシンプルに理解できるようになります」


一言どころかこれだけ詳細に言ってらっしゃいますがなにか?w

私たちの言動をあなたがわかるか否かは、我々が「醜い政治に賛同しているか否か」によって変動するわけでしょう? で、あなたが自分の信念が正しいと再確認し、納得するためには、我々を「醜い政治に賛同している」側に含めるという作業が必要なわけでしょうが。これこそが醜い政治だと思いますけどね。


>ここで、「いや、それだけハードなことがパンフに書かれてある」とあなたがもし考えるのでしたら、当然「知るか」としか答えられないでしょう。しかし、かれら「問答無用で叩きたい人」と違い、あなたはそこまで無茶苦茶な現状認識ではないとわたしは思っているからこそ、だったらかれらと同じ極端な表現はやめてくれと言っているのですね。

ひな祭りを糾弾してジェンダーフリーだなんて、文革級にめちゃめちゃハードなことですよ。何をもってハードとするかは認識が分かれることなので、この期におよんでそういう曖昧な基準を持ち出すなよと言いたいですが、まあそれによってあなたの「醜い政治意識」を逆説的に指摘することはできるかもしれません。

ま、ほんとは「醜い政治意識」とまで言わなければいけないほどハードなことをあなたが言ってるとは思ってないんですけどね。私の本心では単に「引っ込みがつかなくなってるだけ」なんじゃないかと思ってますけども、そういう解釈は逆にこの場では失礼にあたると思うので、「醜い政治意識」の方向で行こうかとw

Re(10):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/12(木) 11:47 -

引用なし
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   >> だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しい
>> とわたしは思っているのです。
>
> お断りします。

なるほど、他にいくらでも誤解を呼ばない表現方法があるというのに、あえて極端な方向に誤解を受けやすい言葉を使うというのですね。呆れた。

Re(11):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 macska E-MAILWEB  - 06/10/12(木) 12:47 -

引用なし
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   > 私たちの言動をあなたがわかるか否かは、我々が「醜い政治に
> 賛同しているか否か」によって変動するわけでしょう? で、
> あなたが自分の信念が正しいと再確認し、納得するためには、
> 我々を「醜い政治に賛同している」側に含めるという作業が必
> 要なわけでしょうが。

はっきり言うと、あなたに悪意があるのか、それともただ単に馬鹿なだけなのか、わたしはどちらとも思っていません。もし前者ならすっきり分かるけれど、もし後者ならそれほどまでに馬鹿であるというのがなかなか納得し難いと思うわけですが、前者だと決めつけた覚えはありません。

いまの議論だけでなく、普段からわたしは「愚かさで説明ができることに悪意を見いだすな」という原則(ハンロンの剃刀)を採用しているので、意図を決めつけたとされることは心外です。

> ひな祭りを糾弾してジェンダーフリーだなんて、文革級にめちゃ
> めちゃハードなことですよ。

ひな祭りを一切糾弾していませんね。糾弾しているという、ほとんどありえないような無茶苦茶な解釈をあなたが採用しているのは自由ですが、それが客観的な事実であるかのように書かないでくださいね。

Re(11):どうでもいいことですがmacskaさんへ
 Josef  - 06/10/12(木) 20:54 -

引用なし
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   >>> だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しい
>>> とわたしは思っているのです。
>>
>> お断りします。
>
>なるほど、他にいくらでも誤解を呼ばない表現方法があるというのに、
>あえて極端な方向に誤解を受けやすい言葉を使うというのですね。呆れた。

どういう「誤解」を受けるというのでしょう?
あのパンフを見て雛祭り否定、命名文化の否定でないと読むのは不可能なんだから「文化大革命」は的を得た評語ですね。

↑この部分も新スレにしました。
 芥屋  - 06/10/12(木) 22:31 -

引用なし
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   >tpknさん:
>(これは旧スレで継続でいいのかな?)

まさかこの部分が続くとは思わなかったので(汗

>macskaさん:

【tp】
>>それに、私たちの意見の一部と「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の意見の一部が一致したところで、それはmacskaさんの立場からすれば「加担」でしょうけども、私たちの立場からすれば「加担」でもなんでもありません。
【ma】
>例えば、「ひな祭り否定」とか「全体主義」とか「文化大革命」とか、表現がおおざっぱ過ぎるんですよ。「ひな祭り否定」の「全体主義」で「文化大革命」だ、と読めば、普通なら「ひな祭りを禁止すべきだ」とか「ひな祭りを祝うべきではない」くらいのものすごく強烈な主張があると思うわけですが、現実にはそこまでハードなことは一切ないわけです。だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しいとわたしは思っているのです。
【芥】
>>お断りします。というか、だからそれはあなたの立場からの個人的な希望であって、tpknさんの反論に答えていませんよ。
【ma】
>なるほど、他にいくらでも誤解を呼ばない表現方法があるというのに、あえて極端な方向に誤解を受けやすい言葉を使うというのですね。呆れた。

呆れても何でもいいからさ、話をズラさないで、ちゃんとtpknさんの問いに答えなよ。私も聞いてみたいね。意見の一部が一致したところで、何で「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の「醜い政治」に「加担」することになるわけ?これにきちんと答えるように。これに答えないまま、いたずらに振り出しに戻す無駄なレスばかりするようなら削除しますよ。

レスは、以下の新スレにしてくださいね。
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1136;id=keya1984

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