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ジェンダーとジェンダーの「再生産」 純子 06/10/1(日) 16:17
  Re(1):ジェンダーとジェンダーの「再生産」 macska 06/10/1(日) 18:42
  「再生産」について(社会学習説と社会構築説) 芥屋 06/10/1(日) 19:42
   Re(1):「再生産」について(社会学習説と社会構築説) macska 06/10/2(月) 2:37
   Re(2):「再生産」について(社会学習説と社会構築説) 芥屋 06/10/3(火) 5:17

ジェンダーとジェンダーの「再生産」
 純子  - 06/10/1(日) 16:17 -

引用なし
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   一連の議論を眺めて思ったのですが
これは、ジェンダーに対する見解の相違があるんですね。
要は、ジェンダーというものを、

1.女性や性的少数派を差別して、社会の下位に位置づけるために作られた抑圧のシステムであると考えるのか?(ジェンダーは基本的に悪)

2.それとも、自然な男女の性差(セックス)による互いの違いが、なるべく抑圧的にならないように、おたがいの利益を調整するために必要なシステムと考えるのか?(ジェンダーは基本的に善)

それから
1.の立場には過激派と穏健派があって

i.(過激派)ジェンダーというのは、抑圧のシステムだから全廃すべし。
ii.(穏健派)全廃が理想だが、自発的に抑圧者の立場に身を置く、マゾな人間は許されるべき。

という考え方になる。

2.の立場にも過激派と穏健派があって

iii.(穏健派)システムには制度疲労があったり、システムの策定者のものの見方が偏っている場合もあるから、システムの中でワリを食う女性や性的少数者からの意義申し立ては許されるべき。
iv.(過激派)ジェンダーというシステムは自然な性差(セックス)を基礎にして成立している完全なもので、意義申し立てをする人間は頭がおかしい。

つまり、macskaさんはii,芥屋さんや私はiii.なのだが、根本的なところでジェンダー観がズレているから、互いに深いところで議論を始めるとおたがいにi.iv.に見えてしまうわけですね。ここまで譲歩してやっているのにわからずやめという話になる。

特に、「再生産」に関しては意見が割れる。
ii.の立場に立てば、個人的なマゾヒストが勝手にジェンダーという抑圧を引き受けるのはいいが、その抑圧を次の世代に「再生産」することは「差別」だから許されない。特に教育などは抑圧の「再生産」だから、ジェンダーを教える教育はすべて「差別教育」ということになる。

iii.の立場に立てば、システムの維持のためには「再生産」は必要で、「再生産」過程で差別につながる不都合を改訂すればいいだけという話になる。逆に「再生産」そのものを否定する意見は、システムの崩壊を招く恐れがあるため、それは「文化大革命」だという話になる。

Re(1):ジェンダーとジェンダーの「再生産」
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 18:42 -

引用なし
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   純子さん:
> つまり、macskaさんはii,芥屋さんや私はiii.なのだが、根本的なところで
> ジェンダー観がズレているから、互いに深いところで議論を始めるとおた
> がいにi.iv.に見えてしまうわけですね。ここまで譲歩してやっているのに
> わからずやめという話になる。

わたしの立場が ii だとするなら、そもそもわたしは 1 に同意しているという前提が必要だと思いますが、わたしは 1 には同意しません。なぜならわたしはジェンダーというのを善か悪かと考えたりはしませんし、何かの目的があって作られたものだとも思いません。ジェンダーを全廃するかどうかなんて、そんな現実離れした話をして何になるのか分からないし、そんな疑問を抱いたことすらありません。

なんでこれほどにもわたしの考えとかけ離れたものが、わたしの考えであると提示されてしまうのか。純子さんは何か偏見をもって相手の意見を決めつけてはいないでしょうか。わたしの考えが分かりにくい部分があれば、勝手な想像で補わずに質問してくださいね。

「再生産」について(社会学習説と社会構築説)
 芥屋  - 06/10/1(日) 19:42 -

引用なし
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   >純子さん:
>特に、「再生産」に関しては意見が割れる。

たぶん、この点ではmacskaさんの下記の意見が参考になると思います。社会学習説と社会構築説の区別がついていないということです。

【山口】
macskaさんも事前に同じテーマを出していたけれど、「性自認をめぐる議論の混乱」で、どういう点が問題だと思ってます?
【macska】
ええとですね、社会構築主義と社会学習論の区別がついていないこと。
【みあ】
うまい!
【macska】
「生まれか育ちか」というのは社会学習論の議論であって、社会構築主義の是非とは別のレイヤーにある議論ですよ。生物学的に何らかの傾向の違いがあるというのはほとんど否定できませんが、生まれ持った生物学的な傾向が現実の社会でどのように表現されるかというのは、その社会の状況によるでしょ。
単純な例として、かつてならブッチダイクとして一生を終えていたはずの人が、いま大挙して FTM の「男性」として生きています。突如レズビアン遺伝子の頻度が減ってトランスセクシュアル遺伝子の頻度が上昇したとは全く考えられない(笑) また、かれらが「ダイクであるように」「トランスであるように」と育てられたわけでないことも明らかです。社会状況が変化したために「ダイクであること」「男性であること」というカテゴリ自体の範囲が変わったからだとしか解釈のしようがないわけですよ。
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060729/p2

ですので、仮に「男女の違い」をネガティヴに捉えて、その再生産をやめさせようとする立場であっても、下記の二つの立場の違いは大きな見解の相違を生むはず。

1.社会学習説に基づく立場。
ほとんどの「男女の違い」は生後に学習したものであって刷り込み効果でしかないので、「男女の違い」については(体の違いのほかは)家庭や学校で教えないようにしよう。また、そういうものが刷り込みでしかないんだということを学ばせよう。
2.社会構築説に基づく立場。
男女の違いについて生理的なものを数え上げればキリがないかもしれないが、しかしその「違い」がどのように認識され意味づけされるかは社会的に構築されるものなので、どのようなものが構築されていくかに敏感であるべきだ。

差別に結びつくような認識や意味づけで構築された男女観があって、そういう認識や意味づけが家庭や学校で行われているとすると、そのように構築された男女観を子供は学習することになる…という考え方はできると思う(そういう考え方が有意ではないとは思いませんので、後は個々の見解への賛否だと思います)。

でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同したジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。ひとつには、日本の大学での教育学は、社会学習説に基本を置いていることが大きな理由だと思うんです。私が大学で習ったときも、それは定説のように教えられました。だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

http://nosumi.exblog.jp/d2006-08-07
*↑このコメント欄の「どことなく」さんの意見が典型的。

すると、「区別するから差別になるのよ!」式の旧来の反差別論にとどまっている先生(田嶋センセみたいな人)だと、上記1の立場でのジェンフリ教育になりやすいんじゃないか、と。「基本のき」に代表されるような、そういう不勉強なサヨク先生の教育論は文革じみてくることになる。でもこれは本来、2の立場から出てくるようなシロモノではないんですね。だからmacskaさんが「このパンフの著者はこう考えてるんだけど、私はこんな風には考えない」と言いたいのは理解できます。でも、それなら2の立場から1の人々に指摘してあげたり批判してやったりしつつ、1と2を混同したまま批判する人々には、これまた違いを説明したり批判したりすればいいのに…って思うんですが、これを言い出したら政治信条とか性格とかいろいろあるんでしょうね。

まぁmacskaさんにも良いとこ悪いとこありますんで、取るべきは取り、捨てるべきは捨てればいいかな、と思っとります(笑)

Re(1):「再生産」について(社会学習説と社会構築...
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:37 -

引用なし
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   芥屋さん:
> でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同した
> ジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。

いや日本に限らず、米国でも混同されていますね。最近、ある著名な学者さんがインターセックスについて書いた論文の下書きを査読してくれとお願いしてきたので読んだのですが、ジョン・マネーの理論が社会構築主義だと書かれていた。マネー理論は社会学習論を中心とした学習理論であって、一般的な意味での構築主義ではありませんよ。まぁあれも広義の構築主義の一種だと言われれば絶対違うとも言い切れないのですが、マネーの失敗により構築主義が否定されたと思われてはたまらないわけで(笑) その学者はさすがに頭がいい人なので指摘をきちんと理解してくれましたが、理解できない人も多いんですよね…

さらにフェミニズム教育論となると、フェミニズム理論の中心からかなり外れたところに位置していて、ほとんど相互交流はありません。日本では女性学をやっている人がジェンフリ教育を推進していたりして、ジェンフリの説明にバトラーやらスコットを持ち出して無駄に混乱を巻き起こしているわけですが、米国のフェミニズム教育論にはバトラーなんてほとんど登場しません。逆に、教育学者であるバーバラ・ヒューストンなんて女性学の中ではほとんど知られていません。

> だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって
> 「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

それは、ありそうな話です。

> でも、それなら2の立場から1の人々に指摘してあげたり批判し
> てやったりしつつ、1と2を混同したまま批判する人々には、
> これまた違いを説明したり批判したりすればいいのに…って思う
> んですが、

それをやっていると思いますが。引用してくださった部分はまさにそれですし。

Re(2):「再生産」について(社会学習説と社会構築...
 芥屋  - 06/10/3(火) 5:17 -

引用なし
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   >macskaさん:
>> でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同したジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。

>いや日本に限らず、米国でも混同されていますね。

本来レイヤーが違うんだということとは別に、現実には見分けがつかないものが多かったということは理由に考えられませんかね。社会学習説に対する距離の取り方とも関係してくるとは思うんですが、仮に両極端な二つの見解で言うと、

1.タブラ・ラサ説を信じている。
2.脳の性差は決定的だと思う。

社会構築説そのものは、どちらが正しいかというレイヤーではない。というか、どちらの見解が真であるにせよ、そのことをもとにどのような男女観が社会的に構築されていくかを見ている立場ですね。

本来的にはそうなんだけど、1の論者が社会構築説を併用することが多かったのでは。これも極端に書くと、

『人の脳は生まれながらに何も書いていない石版である。男女の違いというものも、性器・生殖器の違いしかなく、ものの見方や考え方や感じ方に生まれながらの違いはない。すべて生後の学習なんだ。その学習することは、社会的に作り上げられたものを刷り込まれ、覚えていくに過ぎないんだ。』

これだと、頭の良し悪しというより、素人にも玄人にも、社会学習説と社会構築説の見分けがつかない。マネーの説も、これに近いのでは? 2の論者でも社会構築説でこう言えますよ、というものを見せられて、「あ、この二つは違う次元の説なのか」と理解できる。

で、現状では『』内で書いたことをめぐって

A:そのとおりである。その社会的に作り上げられたものはほとんど女性差別につながる偏見なのである。だからして男女の違いについて、従来の男女観を教えてはいけない。
B:いや、そうではない。学び教わるものであるからこそ、偏見であれば正すのは当然だが、多くは人として大事なことなので、覚えて身に着けさせるべきものなのだ。
C:というか、先天的に違うんだってば。学ばせなくても違うんだけど、学ばせないと先天的なものと食い違ってきたりして、やばいってば。

という論争ですかね。アメリカの教育学でも、タブラ・ラサ説の信奉者が多かったのでは…?(それがかえって、子育てにおいて何を学ばせるかでその子の人格が決定的に異なってくるという強迫観念を親に与えてしまったという側面がある、という話を聞きましたが。)

思うに社会構築説は、まず史学の素養があって、そこに社会学的なアプローチを併用しながら見るものであることの意味がわかってないと、いきなりは使えないんじゃないかな…。

>> だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

>それは、ありそうな話です。

今の教育論争は、これが大きな問題かな。

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