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macskaさん
>> それは、「女の子だから雛祭り、男の子だから黒いランドセルと
>> 決めつけていませんか、というのがその図の趣旨」という点につ
>> いてはおそらく皆が一致しているということです。
>
>そうでしたか、だったらそれで了解です。「ひな祭り=×」という記述は、それ以外の解釈を読者に強いるものではないかと思ったのですが、それは誤解であり図のそのままの意味を伝えようとして図にはなかったイコールのシンボルを書き入れてしまったということなんですね。それなら、わたしの批判は取り下げます。
ではそれに次のことも付け加えておきます。
上記の一致点から、「女の子だから雛祭り」という「決めつけ」が「×」であるならば、雛祭りを性別と関係づけないで行うか、雛祭りそのものをやめちゃうか、どちらにしてもジェンダーと密接に結びついた従来型の雛祭りは「×」であることになるでしょう。これが「雛祭り否定」の意味です。
それから、出所不明の図から「基本のき」に戻りますが、これもまた解釈は上記と同じです。親をはじめ大人たちは「女の子だから・・・」「男の子だから・・・」というふうに特定ジェンダーと特定の行為とを当然のごとく結びつけて子供を育て、子供に接しがちである。当然と思ってやってしまうので当人(親など)には「押しつけ」という意識すらない。しかしそれらは子供たちを「らしさ」の型にはめこみ、本来持っている多様な可能性を制約することに繋がる。だから「らしさ」ではなく一人一人の個性を伸ばすように子育てをしよう、というのがパンフの推奨する子育てです。
この文脈の中で、無意識に「らしさ」の型を押しつけてしまう例が列挙されています。リストアップされたものはすべて特定ジェンダーと特定の行為とを当然のごとくに結びつけてしまう事例(無意識的な押しつけの事例)です。こうした事例の集積が子供たちを「らしさ」の型にはめ込むことになるというのがパンフの言っていることであり、当然ネガティブなものとして記載されています。いわば全体に「×」が付いているわけです。
macskaさんはリストアップされた個々の項目にはポジティブもネガティブもないと言う。仮にそうなら、「女の子だから副委員長(委員長は男の子)」というふうな「決めつけ」もネガティプに記載されているわけではなく、結局、リストアップされた事例及びこれに類する様々な事例の一つ一つについて、決めつけようが押しつけようが、決めつけまいが押しつけまいが、皆さんどうぞご勝手に、とパンフは言っていることになる。いや、「ふり返ってみましょう」とあるから、どうしようと勝手だがとにかくふり返れ、とムチャクチャなことを言っていることになりますか。
そんな出鱈目な読み方をしなければ「雛祭り否定の証拠」を否定できないほど「雛祭り否定の証拠」は確かなものだと言えるでしょう。
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