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> そういった意味で、macskaさんの言われていることは、その職場で
> 差別を訴えるのではないが、広く着衣の自由の概念として押さえて
> おきたい、ということですね。
いや、そうではないんですよ。
というか、広く着衣の自由の概念として押さえることに反対するわけではないのですが、わたしはあくまでそれを「ジェンダーの規範」の一つの例として主張しているわけです。
たとえば、女性の服装で、あまりに派手あるは露出度が高くて、誰が着ていても職場の雰囲気に合わないということがあります。もし女性が職場で着ることも駄目なのであれば、それを男性が着て良いはずがありません。その場合、「着衣の自由」には反していますが、「ジェンダーの規範による差別」は起きていませんね。
女性がスカートをはいてもいいのに男性がスカートを履いては駄目だとか、女性がピアスを付けていてもいいのに男性がピアスを付けては駄目だとか、そういう場合において、わたしは「ジェンダーの規範による差別」であると言っているのです。
これは別に服装だけに注目したわけではなく、例えば口調とかその他のコミュニケーションスタイルでも「男性なら好評価に繋がるのに、女性だから低い評価に繋がる」「女性なら好評価に繋がるのに、男性だから低い評価に繋がる」パターンがありえます。
わたしが「ジェンダーの規範による差別」(ジェンダリズム)と呼んでいるのは、そのように男女で(必ずしも男女どちらに一方的に有利あるいは不利とは言えないまでも)異なる、ジェンダーステレオタイプに沿ったルールが適応されることにより、ジェンダーの規範に合致しない人たちが不利益を受けるようなシステムのことです。
上のジェンダリズムの説明において個々の規範が「必ずしも男女どちらに一方的に有利あるいは不利とは言えない」と言いましたが、もちろん現在の社会においてはそうしたジェンダーステレオタイプは総体としてセクシズムと共軛するようにできています。つまり、「男らしさ」のジェンダーステレオタイプは男性をより社会的成功・社会的権力の側に押しやる効果があるのに対し、「女らしさ」のジェンダーステレオタイプは女性を家庭もしくは社会的従属の側に押しやる傾向があります。
> 「男らしくない女らしくない」などという評価基準は、実際には職場
> で大きなウェイトなど無いのであって雇用差別に結びついたという事
> 例もない、したがってそのような差別ではない、というのが第一。
これが、まったく信じられません。現実逃避ではないでしょうか。
女性求職者が「女らしさに欠ける」として就職において不利になったことが、まったくないと本気で言っているのでしょうか?
> そして服飾や化粧について言えば、場に合わせることを求められるこ
> とがあっても当たり前であって
その「場に合わせる」中に、ジェンダーステレオタイプに合わせること、という不文律が含まれているわけですね。それが差別であるとわたしは言っています。
「場に合わせなければならない」ということが「差別ではない」根拠にならないことは、例えばこれまで男性しか雇ってこなかった企業があって、女性社員を採用したら社内の雰囲気が大きく変わるかもしれませんが、だからといって女性を採用しないことが「差別ではない」ことにはならない。あるいは、イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。
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