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macskaさん
>女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で、男の子なら副委員長ではなく委員長になるのが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているわけです。
はい、そこは最初から皆が一致しているということを踏まえて前稿を書いたつもりですが伝わってませんかね。要するにリストが示しているのは、こんなふうな決めつけや押しつけはやめようね、ってことです。だからリスト全体はネガティブな事例として掲載されているわけ。
上の副委員長のケースと同じで、雛祭りについても、女の子だからお雛様が当たり前で男の子なら鯉のぼりが当たり前だ、というような価値観を子どもに押しつけているのではないか、それは子どもの可能性を不当に押さえつけることになるのではないか、とこのパンフは訴えているのです。この訴えに従うなら、「女の子だから委員長でなく副委員長になるのが当たり前で…」というような押しつけが良くないのと同様に、「女の子だから雛祭りが当たり前で…」というような押しつけは良くないのです。
>いったいどこで認識が違うのかよく分からないのだけれど、「パンフが伝統破壊の全体主義かどうか」という部分だけ何故か違うんですよねー。
もちろん違うのはリストの価値付けです。上のmacskaさんの文でも明らかなように、パンフが何を訴えているかという大筋においては最初から解釈の違いは存在していない。ところがmacskaさんはなぜかリストをパンフの訴えと関係づけるのを拒み、価値中立的なものとして読もうとしている。
そこで、「女の子だから雛祭り、という決めつけがネガティブに記載されている」「女の子だから副委員長という決めつけがネガティブに記載されている」といくら言っても、「雛祭り自体がダメだとは書いてない」「女の子が副委員長になること自体がダメだとは書いてない」の一点張りで(そこはみんな分かっているのに)、そこから一歩たりとも出ようとしないのがmacskaさん、という構図になってます。
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