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>macskaさん:
>芥屋さん
完璧、横レスですが、
杏野先生のブログより
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20061002
とうとう、日本もここまで来ちゃっいましたか……。
かくいう私も、戸籍は男のままで、スカートを掃いて仕事にいっているが…
とはいえ私はブルーカラーなんで、会社では制服の作業ズボンに着替えますが
まあ工場で、女子の制服をスカートにするバカな企業があるわけない……
機械に挟まったらどうする、てなもんです。
いや、それは「性同一性障害者」の場合で、普通の男性が、スカートをはいて会社にいけないのは差別だと……。だから、性同一性障害と異性装的フェティシズム以外でスカート掃きたがる遺伝子上の男性がどこにいるんだって話ですね、これは……(^^)。
こういうのを架空の代弁といいます。抑圧者を架空に設定して、その代弁を行えば、どんな事象でも「差別」と称して詭弁をまくしたて反抗することが可能になる。私が、もっとも憎む思想といっていい。
性科学者と呼ばれる人が、「同性しか愛せない、同性愛者ってかわいそう」とか「男か女かわからない半陰陽者ってかわいいそう」と、架空の代弁をして、「電気ショックで女が好きにしてあげよう」「子供のうちに手術してあげよう」といって、いままでご先祖様たちをどんな目に遭わせてくれたか、もう忘れたか?
私から見れば、macskaさんの言っていることは、完全に机上の空論でしかありません。macsukaさんの言いたいことは、規範というものは、すべての人に同一ルールであるべきで、それ以外は個人の勝手と、理由がある例外規定があり、個人の勝手でなく、理由もないのが差別だ……。
という整理の仕方ですね。
だったら、税金は、人によって同一税額の人頭税がもっとも差別がない税金であるという理屈になる。いやそんなことはない同一ルールであるべきなので、人頭税か、同一税率であるか、累進課税であるかは、場合による。どれが公平なルールであるかは状況によって違ってくると反論するでしょう。
というのであれば、おなじことは、macskaさんのいう「ジェンダーによる差別」にも当てはまる。
「「ジェンダーに規範による差別」なのか「理由のある例外規定」なのかは、状況や見解によって変わってしまうんじゃないですか?
スカートを例に取りましょう
男性がスカートをはけないのが差別だとmacskaさんはいう。でも、これは男性は掃きたくとも、はけないんじゃなくて、掃かないんじゃないですか。
理由はただ一つ「動きにくいから……」
むしろ、民の声としてあるのは、「女性がスカートを掃かされるのは差別だ。動きにくい、うっとうしい」のほうじゃないですが?
これは服飾史の基本が頭に入っていると簡単にわかります。
基本的には服飾というのは古代の懸衣から→寛衣→窄衣と発達してきます。
懸衣というのは、古代エジプトとかギリシャキトンみたいに、一枚布を体に懸けてぐるっと巻き付けたけの衣服。日本だと弥生時代の貫頭衣がそうです。やがてローマ時代のローブや、日本の本袴・行灯袴のように、布を筒状に縫った寛衣が登場する。スカートというのは、この寛衣の名残です。
やがて騎馬民族から窄衣がつたわる。ズボンというのはこの窄衣です。両足が別々になっているのは、馬に跨るときには、そのほうが乗りやすいからです。
窄衣のように体にピタとフイットする服は、立体裁断が必要なため。作るのが難しいのですが、動きやすいので、戦闘服や作業衣として使われて洋服として定着していきます。日本の馬乗袴(剣道で使うやつ)、野袴(モンペ)や股引などがそうです。こっちのほうが動き易いわけです。
男性と女性で寛衣から窄衣への切り替わりにタイムラグがあるのは、封建時代には、馬に乗って戦闘するのが、男性だったからとか、女性のほうが、格式があっておしゃれな伝統的な衣類を好んだからとか、いろいろ説がありますが、まあ、自由とか平等という観念があまり普及してなく。人間がまだ身分制度に縛られていた中世での話です。
和服は基本的に寛衣なんですが、武士は、馬に乗るから、馬乗袴ですし、百姓町民は、仕事をするときは裾をからげて股引をはいてました、そのほうが動きやすいからです。それでも、女性の作業着として日本では野袴は使われてきましたし、大奥の警備をしていた別式女は、戦闘要員ですから袴を掃いていました。
現在、電車の中で観察すると、スカートをはいている女性は、少なくなりました。若い子はみんなジーンズです。そのほうが動きやすいからです。男性のスカートは皆無です。まあ、自由な時代になれば、カジュアルな空間では動きやすいものを選択するのが普通ですから、女性のスラックスはどんどん増えても、男性のスカートというのは、絶対に、はやらない。男性がスカートを選べないのは抑圧だというのは、ジェンフリ派の妄想にすぎません。
ただ、フォーマルな衣服、たとえば、よそ行きとか、接待など改まった衣服を着なくてはならない場では、古い伝統的な形式が踏襲されるので、女性がズボンを掃いていると、だらしないと言われることがある。しかしそういう場では男性もやはりフォーマルなスーツを着てないと「失礼」だと、評されますから、ある意味、平等です。それから、むちゃくちゃフォーマルな儀式の場では、男性も、古い古い古式である寛衣を着用する場合もあります。
神主さんの本袴、巫女さんの行灯袴と同じくスカートですし、ローマ法王がミサの時には、ローマ時代さながらの寛衣、スカートです。仏教のお坊さんにいたっては、袈裟ですから、寛衣を通りこして、懸衣だ、これは。儀礼の場では、2000年も前の古代の衣服がまだ残っているわけです。
スコットランドの軍楽隊がキルトにバグパイプなのも、軍礼装だからです。
ある、ジェンフリのパンフレットに、世界には男子がスカートをはく民族がいることを教えましょうと、キルトをはいてサッカーボールを蹴っているスコットランドの少年のイラストが書いてあったけど、「本袴を掃いて、蹴鞠をするバカがどこにいるか!」てなもんですね。
将来、ワールドカップで、スコットランドチームと対戦するときに「おまえんところじゃスカート掃いてサッカーやってるんだろう」なんて言おうものなら「わが民族をバカにするな!」と頭突きを喰らうに違いない。
まとめるとこうなります。
カジュアル よそ行き 礼服 厳礼服
男性 窄衣 窄衣 窄衣 寛衣
女性 窄衣 窄衣/寛衣 寛衣 寛衣
歴史的な事情で、女性ほうが、よそ行きレベルで、寛衣の形式が残っているわけです。しかし最近では、女性向けのパンツスーツも登場してきてます。服飾の歴史はプライベートな衣服がよそ行き化していく法則がありますから、女性が活動的になるにつれ、どんどん窄衣が右方向によっていくことになる。逆に、神主さんやローマ法王が儀式の時に着ている服が、男性のカジュアルファッションになるとは考えにくい。
女性が彼氏とのデートにスカートを選択するのは、そのほうが女らしいから(貫衣がよそ行きレベルで残っているのは女性だけだから、女らしさの象徴になる)という理由だけでなく、ある意味、彼氏を接待しているからという要素もある。ホステスさんがスカートを着用するのは、太股が見えるからというスケベな意味だけでなく、やはりお客さんを接待しているからという理由もある。受付嬢が……以下同文。
もし受付イケメンが選ばれるなら、やはりそれに相当するフォーマルな格好が要求されるわけで、こういうふうに視点を変えてみれば、これで男女は対等という見方もできるわけですね。
つまりmacskaさんの、ジェンダー規範による差別論は、もっともらしく見えるけど要は机上の空論なわけですね。
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