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>macskaさん:
>あるいは、イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。
ああ、そうか、macskaさんは、ここでひっかかちゃったんだな。
それにしても、イスラム教徒の社員を採用したので、社内の休憩時間を、イスラム教の礼拝の時間にあわせてあげるなんて、すごく理解のある企業じゃないですか?
GJです。そんな企業ばかりだったらいいなあ(^^)
当然、休憩時間に礼拝していても、「どうぞ、どうぞ」ってなもんでしょう。
「イスラム教徒の方って、信仰、熱心だよね」
「いいことじゃん。いや、こりゃ罰あたりの日本人も見習わないとな」
「そうだね、そういや明治神宮って、どっちの方角だっけ…」
「あっち」
「おお、そうか、それじゃちょっとだけイスラムの方を見習って……」
パン、パン。二礼二拍手一拝。
てな感じで「場にあわせて」しまうんじゃないですか(^^)日本人だと……。
場を作るのは、実はその場に参加している構成メンバーだから、イスラム教徒が、場に参加してしまうと、イスラム教徒の社員も含んだ「場」が形成されてしまって、日本人はみんなそれに合わせてしまうんです(^^)
macskaさんの議論がおかしくなってしまうのは、場を構成しているメンバーとまったく無関係な「場の規範」みたいなものが宙空に存在していて、それがメンバーを縛っていると考えているからでしょう。
きっとmacskaさんの頭の中では、「場に合わせ」神が、いきなり燃える炎の柱になって出現して、日本人が守るべき掟として、石の板に「場の規範」を刻みつけているに違いない。でも、そんな信仰は、日本にはないから……(^^)
日本の場合、規範は「場」とそれに参加している構成メンバーによって変わるんです。だから、逆にイスラム教徒の社員がまったくいない職場で、「職場の休憩時間がイスラム教の礼拝時間に合わせるべきだ」と主張したら、「何を言っているんだ! そんな必要ないだろう」と言われてしまう。「伝統文化を破壊している」とか、「場の空気を乱している」とか、受け取られて抗議されます。
あまりうるさく言ってるとシカトされたり、村八分にされたりする。「場の空気」に参加させないというが、もっとも厳しい懲罰だったりします
ここでいう伝統文化とは、「場の空気に合わせるべし」という、きわめて日本的な規範で、ところがその空気がどんな空気かは、その日のお天気によって変わってしまうんですね(^^)。
だから、イスラム教徒が場を形成する構成要素になったとたんに、昨日まで。「伝統文化を破壊している」と抗議していた人が、「どうぞ、どうぞ」というふうにコロっと180度、態度がかわってしまうし、それが日本流のやり方なんです。
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