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macskaどん:
>「伝統的保守主義者には無効ではないか」と言われた時に、わたしは「このパンフは、思想的な理由なく、深い考えもなしにジェンダーステレオタイプを子どもに押し付けている(かもしれない)親に向けて書かれたもので、保守主義者を対象としたものではない」という意味のことを先に答えています。つまり、「考えを変える」ことはパンフの目的ではないと言っているのですね。
それはパンフの読み方としてはおかしいです。なぜならパンフは全体として「大人が変わらなければいけない」と主張していますから。
>そのうえで、「無効ではないか」という判断について、「保守主義者の考えを変えることを有効だと言うのだとしたら」、という仮定のうえで、「保守的な思想の持ち主でも、考えを変える可能性はないとはいえない」というわたしの判断を述べました。しかし、ここでわたしは「考えを変えることが目的」だと認めたわけではなく、あくまで「保守主義者に必ずしも全く何の影響も与えないということではないだろう」という意味で言っているわけですよ。
それもおかしいです。もしパンフが伝統的なジェンダー観を見直す目的のものであれば、その対象は伝統保持主義者を除外するものではなく、むしろそちらにこそ働きかける必要があるからです。《深い考えもなしにジェンダーステレオタイプを子どもに押し付けている(かもしれない)親に向けて書かれたもの》というのは、macskaさんの都合のよい結論を導くためにmacskaさんが勝手に付け加えた要素にすぎないでしょう。そのような対象はそれこそどこにも明記されていませんし、伝統的な価値観を持つ親を除外するとも書かれていません。
例と書いてないから例示ではない、イコールと書いてないのにイコールで説明したのは不当というような人が、自分に都合のいい場合だけは書かれてない要素を勝手に判断材料に加えるのはおかしいですね。
>ひな祭りを否定しているという解釈を真剣に考察してみましたが、文面からかけ離れたかなり特殊な解釈であるとしか思えませんでした。そういう解釈が「普通の親の親心」を通してみれば自然だという主張もあるのですが、「普通の親の親心」というブラックボックスが論証不可能なためどこをどう読めばそういう解釈が成り立つのかついに理解することはできませんでした。
「普通の親心」については芥屋さんが主張していることで、私は子供がいませんのでそれは主張していません。代わりに、パンフの呼びかけは反語であるという、純粋に文法的な側面からテクスト解釈を述べていますが、その点についての反論が未だどこにもありません。
パンフに書かれた問いかけは、否定疑問文を肯定疑問文に変更すれば成り立ちません。すなわちそれが、このパンフが反語によって問いかけられたことと反対のことを肯定していると読める理由です。
>> また、「具体的にひな祭りをどうすれば良いのか」については、それが
>> 書かれてないことが問題なのです。なぜなら、意味不明だから。
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>うーん、わたしはパンフの著者はひな祭りについてどうすれば良いのかという回答を持っているとか、啓蒙したいと思っているというようには思わなかったのですが。まぁ、「だったらどうすればいいんだよ」というところが不親切と言えばそうかもしれませんが、それが書いてあったらさらにウザかっただろうしなぁ。
「意味不明」というのは、反語でないとしたら意味不明ということです。もちろんこれは反語ですから、ひな祭りの伝統を否定しているのは明らかですよ。
>当たり前ですが、「パンフはこう主張している」とわたしが書くとき、それは「わたしが読んでみたところ、このパンフにはこのような主張が込められているように読めた」という意味です。「こう主張している」という時に文字通りパンフを引用するのでない限り、論理的に言ってそれ以外の意味でわたしが「パンフはこう主張している」と言うわけがありません。
であれば、あなたのパンフの解釈について反論している者に対して、「私はそのような主張をしていません」という的はずれな返答をするのはやめるべきでしょう。
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