| |
芥屋さん、macskaさん、josefさん、バジル二世さん
みなさま、あけましておめでとうございます(^^)。
>macskaさん:
>「形式的か実質的かなんて主観の問題」はないよなぁ…
「形式的平等」と「実質的平等」の定義は、macskaさんの定義でも、いいのですが、その境界線をどこに置くのかは、主観によってズレますよ。
「たがいに非婚の男女は、お互いが近親者でなければ、当事者双方の同意で、任意に結婚してもよい」も「非婚の人間は、お互いが近親者でなければ、当事者双方の同意で、任意に結婚してもよい」も同じルールがすべての人に適用されているから、macskaさんの定義でいけば、どちらも「形式的な平等」です
つまり、こういうことですね。形式的平等を批判して、実質的な平等をめざしある制度を改革したとします。すると、改革してできあがった制度とは一つの「形式」だから、その制度によって実現した「平等」は、新たな「形式的平等」になってしまう。すると、その制度によって解決できない新たな「実質的な差別」が生まれ、それを解決するために、新たな「実質的平等」がめざされる。
執着点なし、どうどうめぐりで、どこまでいっても終わらない(^^)
この場合、「差別」と「形式的平等」と「実質的平等」の境界線を決めているのは、その社会に公認されているコンセンサスでしょう。
ただコンセンサスはその社会に属する人々のコンセンス(良心)の総和だから、個人の良心の自由を認める限り、個々の人間で、その境界線はズレるし、だからこそ保守派と革新派の間で、さかんに議論になったりもするわけです。
議論にならないのは、一部の権力者の良心が社会の全メンバーに強制されている専政的な社会だけでしょう。(^^)
|
|