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>そうなったらまたその問題に取り組んでいけば良いわけで、何も変化をめざさない方が良いということにはなりません。
何か変化をめざすほうが良いということにもならない(^^)
ちなみに林道義さんのHPから、引用
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/arakawa1.html
>エ 数値目標を立てて男女の比率を同じにする方式は、その方法が適切な場合か否かについて、また性急な目標を立てることによる弊害や混乱が起こらないように、慎重に判断しなければならない。
ほらほら、例の荒川区の男女共同参画社会懇談会の件ですが、保守派の林道義さんも高橋史朗さんも、「慎重に判断せよ」で、「ポジティブ・アクションするな」とまでは言っていないわけですよ(^^)。
これに対して、「これはポジティブ・アクションの否定だ」とデマを流して批判運動を展開したのはフェミの「女性政策情報ネットワーク」の方たちの側でしてね。何だか、日本のフェミニストさんたちによれば、ポジティブ・アクションはどんなものでも無条件に全て正しいということみたいですよ(^^)。
「形式的平等」概念と「実質的平等」概念の相違がわかってないのはいったいどっちだ?
>そのコンセンサスというときに、わたしは「そのルールによって不利になる側が受け入れられるものかどうか」という点を重視します。
私は、むしろ共感(シンパシー)の問題かなとも思う。そのルールによって、多少、不利になったとしても、「そういう事情なら、まあ仕方がないか」と大多数の良心に思ってもらえるかどうか?
あと、議論とはあまり関係ないけど、おまけ。
>例えば「なんで1対1のパートナーシップだけが特別な扱いを受けるのだ」とか
つまり、側室制度、妾制度、一夫多妻制を認めろと……(--)
>「なんで恋愛・性愛関係だけが特別な扱いを受けるのだ」
つまり、日本の伝統文化に鑑みれば、君臣関係、親子関係のほうが大切だと……(--)
こういう意見に対しては、ちっとは、「歴史というものを勉強しなよ」というよりないな。
macskaさんが芥屋さんに反論しているこれもそうで
>仮に、日本の法律において「結婚」「婚姻」が廃止され、その代わりに「同性婚」だけが法的に認められた制度となったとします。これは実質的に「結婚」と同じものだけれど、同性どうしのカップルにしか認められないとします。そうなった場合、異性愛者のうちのどれだけが「これもまた不平等とは言えない」と受け入れることができるでしょうか?
そういう事態が、現実に発生するかどうか、ちょっと考えてみたらいいのに……(--)。こういう意見は、単なるへ理屈です。言葉の遊びとしては面白くても、現実感がないから大多数の良心の共感を呼ぶことはできないと思いますよ。
歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度というのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されていくんですよ。一種の婚姻擬制です。
そこらへんはウィキの「同性結婚」の「同性結婚の前史」の項目を読んでください。歴史マニアの私が、かなり力を入れて書きこんでいるから(^^)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A#.E3.83.81.E3.82.A7.E3.82.B3.E5.85.B1.E5.92.8C.E5.9B.BD
ちなみに、今、私が、知りたいのは、世界で最初に、「婚姻擬制として同性愛カップルにも婚姻を認めるべきだと言い出した人は誰か?」なんですが、誰かご存じでしたらご教授くださいませ。たぶん19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、誰かが言い出しっぺがいると思うんだけど、ひょっとしたらもっと前からいるのかな?
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