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>芥屋さん&みなさま、あけましておめでとうございます。
>>> なぜなら「結婚」とは、男女が正式に夫婦になることだから。
>>はい、だからそのように、定義の段階で不平等な扱いを「当たり前」とするような制度が法的にある場合、それは実質的に不平等であると言うわけです。
>>
>>もし「結婚」の定義が「男女が正式に夫婦になること」であってそれ以外に変化しようがないのであれば、そんなものは法的な制度として認めるべきではありません(私的あるいは文化的な儀式として祝うのは、もちろん自由です)。
――婚姻に「法的な制度」が加わったのは、相続がらみ(財産とか誰が誰の子かetc)の混乱?を未然に防ぐためでもあったのでは?(いわば「家」がらみ)
>んー、言いたいことは(理屈としては)わかるんですけど、私の言ってるのはそゆことでなくて…。もう少し具体的に説明します。漢語で「夫婦」といい和語で「めをと」というように、その言葉が男女のことを指してるわけですよ。だからこの言葉を動かしようがないのは、仕方がないんですって。
そうなんですよね。
>だから法制度での婚姻制度をいう場合に、いきなり観念でもって「婚姻とは何か」に切り込んで、理屈だけで「ほら、非対称だから不平等でしょう?差別でしょう?」みたいに言っても、神学論争になったり、無用の反発を買ったりするだけじゃないか思うんですよね。
言えてますね。
私のバヤイ、大きな声では言えませんが、個人的には非婚主義者^^なのでした。
しかぴ、、(かれこれ数年前)
ga「もしかして、、**ちゃんと結婚を考えてるの?」
娘「考えてる♪」
ガーーーン!(ショックのあまり家出(--;した覚えが。。(笑
娘は結婚。今では子供が2人(上の子に「gajiちゃんって結婚してないの?(プ」と言われたり。。5歳児ってほとんどババァに近い。。)
>それよりもっと実利的に考えたいんですよ。現行の婚姻制度というとき、実は「婚姻とは何ぞや」みたいな観念論が先にあるわけじゃないでしょう。そうじゃなくって親権とか相続権とか扶養とか保険とか年金とか、いろいろの権利義務関係の集積が、法制度としての実態ですよね。そこで保障されていることがらによる受益というものが婚姻当事者だれにとっても平等であるべきだ…というのが「法の平等」であると思う。
そういうことですね。
私のバヤイそういう諸々の制度からフリーでありたかったのでした。
現在、法制度外の個人を貫徹進行中です(受益も保障もウザイ^^)。
>そこでふと考えるに、「所帯を持って生計を営んでいる当事者が男女でなければダメ? 男どうしとか女どうしとかで所帯もって暮らしを営んでいる人たちは、男女の連れ合い用として保障されている法の受益者にはなれないの?」みたいなほうが、説得力を感じるんですけどね。
そうですね。けれど、私が不思議なのは、
(男女の結婚に関して)「そんなものは法的な制度として認めるべきではありません」とMさんはおっしゃっておられる(マジョリティだから?)。
しかるに、男女の結婚以外の結婚に関しては「法的な制度として認め」るべきだということなのでしょうか。。(マイノリティの権利として?)
要するに、法制度に保証され、その恩恵のもとに「愛」^^をはぐくみたいのカナ。。
仮にそうだとしたら、なんだかなぁ。。です。
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