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>macskaさん:
>> 何か変化をめざすほうが良いということにもならない(^^)
>
>あのー、これはわたしの勘違いなのかもしれませんが、日本の政治文化において「慎重に判断せよ」というのは「反対」というのとほぼ同義なのではないですか? だとしたら、「これはポジティブ・アクションの否定だ」という指摘は、事実として間違いとは言えないような。
はい、勘違いです。日本の政治文化において「反対」の意味に使われるのは「判断せよ」ではなくて「判断しない」「判断できない」です。「時期尚早である」とか「善処します」とか「現在、検討中です」とか……(^^)
># サヨクの言説でも、「〜は慎重に議論せよ」と主張するときは
># はっきり「反対」の意味で言っているように思うんですが。
「憲法九条の改正に関しては慎重に判断せよ」だったら、サヨクじゃなくて論憲派になってしまいますよ(^^)。サヨク言説は「憲法九条改悪絶対反対!」から「九条改正は時期尚早である」まで。
>もしかしたら、これはかれらの勘違いなのかもしれません。もしそうであれば、「われわれはポジティブ・アクションはどんなものでも全くダメだとは思っていない」「こういう条件の中であればポジティブ・アクションは認められるが、こういう例は認められない」みたいに分かりやすく説明してもらえると嬉しいのですが、これまでわたしが見た文書を読む限り、そういう説明はなされていないようです。
以前、「フェミナチを監視する掲示板」で神名龍子さんが説明していなかったけ?
私の記憶なので正確でないかもしれないが、だいたいこんな内容だったような。
1.アクションの目的が明確で、その目的が妥当であると公論されていること
(公論形成のプロセスがしっかりしていること)
2.アクションの手法が不合理なものではなく、実現可能性があること
3.結果について、定期的に検証し、必要がなくなれば廃止したり、効果がなければ改正したりできること
神名さんだから、彼女の師匠すじの、竹田青嗣さんや、古浜逸郎さん、橋爪大三郎さんなどは、ほぼ同様な考え方をしているはず。まあ、私もその方たちの著作に学んでいるわけだし(^^)。
>あなたは、その文章の意図を勘違いしています。
勘違いするような書き方をしても、しゃーないでしょう。例示になっていない(^^)。
本来、同性婚が、異性愛者の結婚の拡大発展系として考えられているから、異性愛者の結婚がまったくなくて、同性婚だけが中空に浮き上がっているような社会って、想像しかねるんです(^^)
ほらはら、gajiさんまで、「さっぱり分からない」っていう反応をなさっているでしょう。
>わたしは、言葉の定義によってはそれは不平等とは呼べない、という芥屋さんの珍説に反論するため
だから、芥屋さんのおっしゃているのは、「珍説」じゃないんですよ。
「結婚」が男女によると定義されている間は、当事者の合意だけで誰しもが「結婚」する権利を平等に持っているわけだから、みんな、それで平等だと思っているんです。そこに、「それだと同性愛者のカップルが困るんじゃないか?」という声があって、初めて「そうかもしれない?」と考え始める人が出てくるわけです。
そうすると、現在の「婚姻制度」というのは「形式的平等」ではあるけど「実質的平等」ではないのではないか?という疑いが出てくるわけですね。
しかし、社会観、結婚観、同性愛者に関する知識や経験やというのは個人によって若干の違いがあるから、じゃあ現行の婚姻制度をどう改革すれば、「実質的平等」になるのかで、議論になると個々の意見が分かれてきちゃうんですよ。
最初に楽俊さんが指摘している疑義もそういうことなんじゃないですか?
macskaさん、またお得意の「観念論」だけど、そういうこと、本当に分かっているのかなあ? みたいな。
>> 歴史的には「同性結婚」というのは、本来、異性愛カップルの結婚制度と
>> いうのが前提としてまず確立されていき、その後、そのルールを同性愛
>> カップルにも拡張してほしい・してあげるべきだ。という形で主張されて
>> いくんですよ。
>
>そう主張するべきだとあなたが考えるのは勝手ですが、そのような形の主張以外をしてはいけない理由がなにもありません。
これは私の「主張」じゃなくて、歴史マニアの私が、歴史というものを勉強した結果、こうなっていましたよという「指摘」です。疑義があるなら、自分でも同性結婚の歴史を調べてみたらいい。反証があれば大歓迎。自分の歴史観をより良いものに修正でき、同性結婚の権利獲得運動をしている人の役にもたつ。
これは運動を全体主義化しているとは言わない(^^)
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