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>macskaさん:
>米国の議会でたまにあるフィリバスターというのはそれですね。
日本の政治文化の話をしていて、どうして米国の議会の例が出てくるんだ(^^)
ちなみにウィキで「フィリバスター」を検索してみますた。
なるほど、アメリカではそうやるのか。文化が違うなあ。ちなみにフィリバスターの日本語訳は「牛タン戦術」……なんじゃそりゃ?? 日本では、国会の議事進行のやり方と政治文化が違いすぎて、使われることはほとんどないそうです(^^)
日本で反対派が使うのは、野党なら「牛歩戦術」(賛成か反対か決めかねますといって、投票箱までノロノロ歩く^^)か「審議拒否」(与党とは、議論したくないので、自宅にひきこもります^^)。これに対抗して与党が使うのが「強行採決」(もう野党抜きで勝手に決めちゃうぞ)
ほらほら、日本では「判断しない」「判断できない」が否定の意味に使われるんです。なんで、そうなるのか説明しようとすると、「よくわかる日本政治」みたいな本が一冊できてしまうので、ウイキでも読んで、ご自分で勉強してください。
一ついっておくと、日本では「全員一致」が正しいと思っている人が多くて、「多数決」は、「数の論理」とか「少数意見の抹殺」とかいって非難される傾向があります。
もちろん「全員一致」なんてありえないので、実は裏にいろいろと仕掛けがあるのですが……。よくこれで民主国家やってられるなあと思うでしょうけど、まあ政策の大半は「霞ヶ関」がシナリオを決めて、あとは赤坂の料亭で、いろいろと駆け引きがあって、(与野党なれあいでした)、で、最後にセレモニーとして国会審議という手はずで、戦後、60年間なんとかやっていました。最近は、ちょっと変ってきましたけどね。
荒川区のばあい、「林さんたちとは議論もしたくない」と言って、自分から出ていった人のほうが、つまりこの場合の「反対派」です。最初から議論する気ないんですよ。で後になって、自分抜きで、決めた林はファシストだとマスコミに訴える。
>しかし、神名さんじゃなくて、林道義さんが「慎重に判断せよ」と言う時にきちんと説明して欲しいのですが。
そりゃ、林さんに聞いてくらはい。だいたい神名さんと同じこというんじゃないでしょうか。いや、まてよ「フェ理屈はダメ」とか言うかもしれないな。だから「ジェンダーフリー」なんてフェ理屈使わないで、まずは自分の要求をストレートにぶつけてみればいいんですよ、フェミの人は。
>もしポジティブアクションだけに限って厳しい基準を主張しているなら、それはそれで変だなあ。
全然、変じゃないです。同和利権みたいに、ポジティブアクションで始めたはずの救済策が、逆に利権構造をつくりだして、かえって差別を構造化したり、逆に助長したケースはたくさんあります。だからアメリカでもさんざん議論になるんじゃないですか?
>だから、本来同性婚が本筋で、異性愛者の結婚がその拡大発展系として考えられているような社会があったとして、
では、macskaさんの豊富な想像力とやらで、そういう社会を描写してみてください。「闇の左手」みたいに詳しく(^^)。
>「結婚」という言葉本来の意味が異性婚のことだから不平等ではないというのは、まるで差別用語をなくせば差別がなくなると考えるのと同じくらい「言葉」を過剰に評価しています。後者についてはよく分かっているはずの人が、前者の主張をしてしまうのは珍奇としか言いようがありません。
ぜんぜん、芥屋さんのおっしゃっていること分かってないじゃん。まず男女がつがいで共同生活を営み、子供を育てる関係が、まずは先にあって、それを昔から「夫婦」(男と女)とか「めおと」(女と男)と呼んでいたわけでしょう。
でも、かつては相手をまったく自由に選べたわけではない。奴隷はまず結婚できませんでしたし、身分違いの相手とは結婚できなかったり、宗教や宗派が違っていたら結婚できなかったり、村の掟で特定の村の男とは結婚できなかったり。
そういう時代には、同性愛者でも、しかたなく異性と結婚していたわけですよ。徳川家光みたいに。「お世継ぎを作っていただかないと困ります」とか春日局がうるさいから……。どうしても結婚したくない同性愛者はたぶん坊さんになったんだろうな。
結婚が自由になって、その権利は平等にすべてに人に保証されるべきだと、言われ始めたのは、18世紀後半から19世紀にかけてです。それが先進国では、まあ普通に実現できたのは、20世紀半ばになってからですよ。今でもそうじゃない地域はあるんだから……。で「結婚の自由と平等」という権利が先進国で軌道にのりはじめたころ、同性愛者からも「自分たちの関係も同じように認めてくれ」という要求が出始めたわけでしょうが……。
芥屋さんのいっているのは、まず結婚というのは、男女のつがいの関係を表す言葉として始まっている。そして、まずそっちの「自由と平等」というのが、先に実現される必要性があったということですね。
「「結婚」という言葉本来の意味が異性婚のことだから不平等ではない」
ではなくて……(^^)
「「結婚」というのは、まずは「異性婚」ことで、最初はその自由と平等がめざされた」ということです。
「差別用語をなくせば差別がなくなる」ではなくて……(^^)
「差別用語を別に禁じなくても、差別をなくす手だてはある」でしょう。
>実質的平等とか形式的平等とはどういう意味なのかということを話しています。
だから、みんな、もう分かってるじゃん(^^)。そうですよね?
芥屋さん、楽俊さん、バジル二世さん、Josefさん、Gajiさん
いいや、おまえたちは私の意見に反対してくるから「実質的平等」と「形式的平等」の違いがわかってないに違いないと決めつけているのはmacskaさんだけだよ。
>どれか一つだけが「正しい」議論の方法だというのは、全体主義に繋がるのではないですか?
議論の方法ではなくて、歴史的事実を指摘している(--)。もし反証できる根拠があれば出してくれとも言っている。そのどこが全体主義なんだ。
「アウシュビッツの虐殺があったのか、なかったのか、どれか一つだけが「正しい」議論の方法だというのは、全体主義に繋がるのではないですか?」(^^)
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