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>しゅうさん:
>龍之介が川柳?読んでるところをやっと発見。
>「偏見を蔑んでない掲示板」
>だそうでー。
お、そりゃそのとおり。
あらゆる偏見を、当板では蔑んでおりませぬぞよ。
>「ケヤが・・・」
>「ダダッーーー!」
>という謎発言に受けましたw
や、そんとおりですたい。
謎でも何でもないような…。
>もし社会的な障害がゼロになれば、その人自身の障碍はもはやただの差異であり個性になるんでしょうね(゜゜
う、うーん…。私見なのですが、視覚障碍のたとえでいくと…
1.生まれつきの全盲とか弱視とかであれば、本人もそう思えるかも。
2.事故とか病気の後遺症とかで目が不自由になった人は、なかなかそうは思えないのではないか。
って、これ、いろんなケースで起りそうな気がします。
>例えば駅の券売機に点字をつける程度ならコストもたいしてかからないし、公共交通機関の性格に鑑みれば、それは視覚障害者が享受すべき当然の「権利」だと思うんですよね。
「権利」方面は私はよくわからないのですが、費用対効果のプラグマティックな話ならわかりやすいんです。
>ただ資源は有限だからどこかで線を・・・と思い書いてみたのですが、そもそもこの世の中割り切れないことが殆どですよね(^^;
バリアフリーのコスト負担の話も、もっとも説得力あるのは、誰だっていつ事故や病気や加齢で身体不自由になるかわからない…というのがありますよね。そうすると、こうなると思う。
1.バリアフリー対策費(改良費)のコストにしたって、今は特に必要のない無数の人にかかわってくる将来的な利用のための相互扶助という考え方が、ひとつ。
2.要支援者への公費負担の問題を、なるべく本人の自助努力で自立できることはやってもらったほうがいいと考えるなら、当人達の自立した生活の社会的障害については、社会的負担でもってなくすべきではないか。
3.そのための初期投資(対策費・改良費)は、今後のためにも必要経費ではないか。ことに少子高齢化社会という現実を考えるならなおさら。
…といったあたりはどうでしょう。
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