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>しゅうさん:
ご就職、おめでとうございます。
入社式は明日かな?^^
>なるほど、芥屋さんはダダッーなのか。スクランブルダーッシュ!
ダダッーですねw
>龍之介くんが「金貸しや 包み隠して 引き続き」ってな句を読んでますた。
>むー、なかなか腹黒い。
そうかもしれません。
「聖徳太子♪」
「浪漫!」
「分析…」
「道徳!」
「狂気しつつも…」
「審議!」
だそうです。
>>「権利」方面は私はよくわからないのですが、費用対効果のプラグマティックな話ならわかりやすいんです。
>
>多数派の恩恵にあずかれるような障碍なら確かに十分だし分かりやすいですね(^^
というか、権利概念で政治的に説得されたほうが納得しやすい人もいるだろうけど、かえってよくわからなくなる人もいるだろうと思うんですよ。権利権利と言われて困惑する人も少なからずいるだろうから、いろいろな観点から語られたほうがいいと思います。
>>バリアフリーのコスト負担の話も、もっとも説得力あるのは、誰だっていつ事故や病気や加齢で身体不自由になるかわからない…というのがありますよね。そうすると、こうなると思う。
>>1.バリアフリー対策費(改良費)のコストにしたって、今は特に必要のない無数の人にかかわってくる将来的な利用のための相互扶助という考え方が、ひとつ。
>
>一番予算が通りそうですよね。ジジババは増える一方だしー。
そうですねw
>>2.要支援者への公費負担の問題を、なるべく本人の自助努力で自立できることはやってもらったほうがいいと考えるなら、当人達の自立した生活の社会的障害については、社会的負担でもってなくすべきではないか。
>
>自立するのに要する費用>自立しないときの費用のときに話がこじれそうですね(笑)
んー、比較するのはそこじゃないんですよ。だってこの場合のコスト負担というの経済的コストも精神的コストも含めての話ですから、「できるだけ当人たちが自立的な行動を可能にするためのコスト」を「誰が誰に負担させるよう求めているのか」という論理の話なので。
したがってこの場合、もし「健常者が身障者に求めている」のであれば、「あんたたちはできるだけ自立した行動ができるように、あんたたちはもっとカネも苦労もかけるべきだ」ということになってしまって、論理的におかしいことになる。ところがこの話はそうではありませんよね。
「当人の自立した行動が少しでも増えて、介護・介助の人件費の公費負担が少しでも減ったほうが良いのではないか」との社会設計を是として政策にするならば、その政策による社会設計費は社会的に負担すべきだろう、ということです。
>>3.そのための初期投資(対策費・改良費)は、今後のためにも必要経費ではないか。ことに少子高齢化社会という現実を考えるならなおさら。
>>
>>…といったあたりはどうでしょう。
>
>もっとも多くの人の共感を得られるのはこういった方法ですよね、やっぱり。
私はそう思うんですけど、確かにこれだけいいかと言えばそうでもない。しゅうさんの言われるように、権利概念での考察も必要ではあると思います。立岩真也の『弱くある自由へ』とか、私が苦手な考察を精緻に述べていますのでお勧めです。
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