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macskaさんにとってよほどマズかったのか? 理由もなくブログから削除されたコメントをこちらに移動しておきます。
ttp://macska.org/article/188#comments
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ラクシュン のコメント
2007/05/24 - 03:16:33 -
>果たして「子宮・乳腺摘出」と「両足切断」の違いはそれだけなのだろうか? すなわち、もし仮に痛みを伴わず、リスクを抑えたまま切断することが可能であれば、倫理委員会はそれを承認するのだろうか?
「成長停止」に「子宮・乳腺摘出」が不可欠な処置なのかどうかは専門知識がない私には解りませんが、もし不可欠なものであれば、「両足の切断」といった短絡的なものとは目的が異なるということで両者を同一視することはできないと思います。もしそうなら(両者の処置に本質的な違いがある以上)、「成長停止」の承認から“滑りやすい坂の論法”を地で行くような「両足の切断」が承認されることはあり得ないでしょう。
序に、細かいことまで言わせてもらえば、それが不可欠でない場合であっても、「子宮・乳腺摘出」と肢体の切除・切断との間には一定のひらきがあると思います。見える部分と見えない部分との違いです。macskaさんの論法では、臓器摘出より生まれつき機能しない手足の切除の方をためらっている人(本人)まで「生まれつきあるいは事故や病気の結果として手足のない人たちに対して」「偏見を持っている」人にされてしまいますが、実際はそうではないでしょう。
というか、全体を通して「法廷の許可を得ずに子宮摘出を行なったというプロセス」が批判されているのかそうではないのか私にはよく解りませんでした。そのせいもあってか、シンポジウムの参加者たちは「成長を抑止する」療法(そのようなものがあれば)そのものには肯定的なのかな?と思いましたけど。
>(…)また生まれつきあるいは事故や病気の結果として手足のない人たちに対していかに偏見を持っているかの反映ではないか。
こういうヒネくった書き方は、「両足」を切断しなかったことへの批判と間違われますよ。
「両足もいっしょに切除していれば一応納得してやろう」、と。しかしそれで批判が終わるわけがないし、それをしないための療法でしょう?
>しかし、アシュリーに比べてはるかに軽度な障害のある人たちも、頻繁に医療や人生における自己決定権を侵害されているのであり、アシュリー療法の先に待ち構えているかもしれないものは、かれら自身にとって極めて現実的な危機でもある。もちろん、軽度の障害を持つ人たちが重度障害者の代弁を一方的に買って出るのもどうかとは思うが、親だけによって代弁されるよりはさまざまな利害関係者が関わった方がよりマシであるようにわたしには思える。
「当人にとっての最善の選択」を「親の都合をアシュリーのQOLにすり替えるのは良くない」という指摘はアリだと思いますが、このエントリー全体としては「アシュリーにとっての最善の選択」の問題を自分たち(アシュリー療法の反対者たち)の都合の問題にすり替えているようにも思えます。その点で言えば、「「当人にとっての最善の選択」という基準を最優先した覚えはないと主張」しているDavid Woodrumは正直者だと思いました。
因みに、アシュリーが私自身だったとすれば安楽死もぜんぜんOKです。
そして実際には、これが多数派(障害者も含む)の本音だと思います。
>わたし自身にとっても、全てを「子どものため」と、まるで親自身のニーズとは全く無関係であるかのように成長停止や生殖器摘出を求める声を聞いて、
macskaさんや反対者の立場は、macskaさんや反対者「自身のニーズとは全く無関係」なのですか?
所詮は架空の代弁者ですよ。
>そうした親たちが、「子どもにとって最善」という偽善を掲げながらであっても、大勢の人の前で自分の苦しさを訴える場というのは非常に貴重だと思うのだけれど、
で今回の私の関心事は、真の「偽善」者はどこの誰?
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ttp://macska.org/article/189#comments
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ラクシュン のコメント
2007/05/25 - 03:11:40 -
>はっきり言って、これを読んだときは思い切り目を疑ったよ。倫理の博士号を持ち、障害者とその家族のための団体からボランティア活動を表彰されたこともあるほどの弁護士が、どうしてこうも障害者が法廷において自分の利害を代弁され、人権憲章と法に基づいた正当な判決を受ける権利に冷酷になれるのか。
いくらなんでも「目を疑ったよ」は大袈裟だと思います。
ところで、「体重が軽い方が介護が簡単であり、結果的により良い介護を受けられるようになる」というところですが、「子宮・乳腺摘出」はそのもの自体の重さによって切除されたのですか?
[後編]では、どう考えても常識的にありそうもない前提から、いかにもありそうにない結論を導いていたとしか思えないのですが、そのへんはどうなっているのですか?
いずれにしても、倫理的観点から排除されている「両足の切断」を「生まれつきあるいは事故や病気の結果として手足のない人たちに対」する「偏見」の「反映」というなら、macskaさんが身障者の立場に立てば喜んで「両足の切断」を受け入れる必要があるはずです。 しかしそれが「インターセックスの子どもの権利を守る法律家団体 Institute for Intersex Children and the Law(これも一応フルディスクロージャーしておくと、わたしはこの団体の理事をしている)の代表者」のmacskaさんですよ。
「目を疑」いたくなるのはこちらの方ですよ。
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ご迷惑ならこちらでも削除してくださいね。
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