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ペットだったら大きくならないように「改造」し子供も産めなくする、というのは普通に行われていることで、その障害者版といったところでしょうか。吠える犬は吠えないように「改造」しちゃうので、「改造」度合いの低い、吠え、かつよく噛みつく日本犬は、飼う日本人もろとも非難の対象です。
昔、『「する」と「なる」の言語学』とかいう本がありました。「する」に傾いた社会では人間たちも操作対象と見る傾向が強い(=「する」の対象)のでしょう。どのように「する」かという、利害の異なる人々による操作間の対立だと思います。
>[・・・]「子宮・乳腺摘出」と肢体の切除・切断との間には一定のひらきがあると思います。見える部分と見えない部分との違いです。
いかに人間ぽさを保持するかということでしょうね。犬っぽさにあまり影響しない不妊手術ならするが、犬っぽさを無くす脚の切断はしないのと同じでしょう(ちょこまか歩く姿が可愛いので脚を短くする「改造」はするが)。
>所詮は架空の代弁者ですよ。
本人の意志が永遠に無い(ことになっている)以上は、それぞれが自分の立場からする「代弁」であることは免れませんね。その上で、私なら、子供の身体は大きくなろうとしている事実それ自体を当人の「意志」と見なしたいと思います。意図的に何かを「する」という意志ではなく、そう「なる」という、身体そのものが無言のうちに表現している「意志」です。
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