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>手足の切断はモノに対する発想で、生き物に対する態度ではないと思います。
だからそれが「人間ぽさ」ということだと思いますが。何が許容でき、何が許容できないかという線引きに、その人、その社会の「人間」に対する考え方が現れると思います。
>>その上で、私なら、子供の身体は大きくなろうとしている事実それ自体を当人の「意志」と見なしたいと思います。意図的に何かを「する」という意志ではなく、そう「なる」という、身体そのものが無言のうちに表現している「意志」です。
>これは親の選択ですよね。そういう選択は当然あるでしょう。
親の選択ではなく、私の、社会に対する倫理的要請です。
親が子の成長抑制医療を求めても社会はそれを認めるべきではないということです。
>私がアシュリーなら、成長停止療法・安楽死は受け入れ<可能>です。
アシュリーには自分の意志というものが無いのだから「私がアシュリーなら」という想定は無意味でしょう。
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