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>芥屋@keya1984さん:
>…これが論点だと思います。
えーと、おっしゃるとおりだと思います。利己心第一に人体改造されたんじゃたまりませんからね。論点整理ありがとうございます。
…というわけで「利己心」について素朴な疑問点。
↓両親の言葉を引用した個所(ラクシュンさんが批判する発言者のブログより)。
ttp://macska.org/article/188
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アシュリーの両親は、他にもこう書いている:「アシュリー療法についてよくある根本的な誤解は、これが親の利便のために実施されたというものだ。そうではなく、本当の目的はアシュリーのQOLを向上させることである。」 もちろんかれらはアシュリーのQOLを向上させることに重大な関心を抱いているのは確かだろうが、介護者である親の負担を軽減する目的は全く無かったとまで言い切るのはあまりに非現実的だ。こうした極端な「利己心のなさ」は、自分の子どもに対する「アシュリー療法」を求めている親の発言に繰り返し見られるパターンであり、それは社会が親たちーー特に母親ーーに要求する、完全に利己心のない、献身的な(母)親という非現実的な理想像あるいは神話の反映であると Dreger は指摘する。特に重度障害児を生んだ母親は、「お前は妊娠中にアルコールや煙草や麻薬を使用したのではないか、胎児の健康を損なったのではないか、全てはお前の責任だ」という世間の厳しい視線に晒されることで、なおさら「利己心のなさ」をアピールしなければいけないという強迫状態に囚われているのではないか。 Dreger は、介護者/親にも妥当なニーズがあることをきちんと直視して、「子どものため」という口実の裏にあるかれら自身の利己的な利害をきちんと表に出した方が良いのではないかと提案する。
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ここで両親の書いた原文は
ttp://ashleytreatment.spaces.live.com/
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A fundamental and universal misconception about the treatment is that it is intended to convenience the caregiver; rather, the central purpose is to improve Ashley’s quality of life.
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この「rather」は「そうではなく」と訳していますが、この場合、「それよりはむしろ」と訳したほうがよいように思うのですが。なぜなら、あることの「purpose(目的)」というものは複数であることがあり、だからこそ「central purpose」というそれ以外の目的があるのを前提とした表現を用いているのではないかと思うのです。本当にこの両親が、「介護者である親の負担を軽減する目的は全くなかったとまで言い切」っていると断言してよいのかと思うのです。なぜそのように訳すのでしょうかね。
Josefさんが詳しそう…。
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