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バジル二世さん
>それは、あらゆる「親のため」が最終的には「子のため」になるんだ、というならおかしいでしょうけど、「親のため」になるもののうち「子のため」にもなるのだと言えることはあるのではないですか。
アシュリー療法に関して、その「意図」ないしは「目的」が「親の利便のため」なのか「子の幸福のため」なのか。一般にはきれいに分けられないことではあるけれど、前者だという批判があるので、あえて二つに分けて、「前者ではなく後者だ」と言ってるのがあの英文ですね。そのことを踏まえて賛同するなり批判するなりすればいいでしょう。
私は、親がそうだと言っている以上、その言葉を信じた上で反対したいと思います(心から信じるということではなく、信じるという形式をとる、ということです)。
ちなみにmacskaさんは親の言葉に疑念を抱く立場で、それはそれでいいのですが、Dregerという人を間接引用しながら「女性や母親への社会的抑圧」というお定まりのフェミ的指弾になってる部分があって、かこつけられるものは何でもかこつけてフェミ・イデオロギーに持っていくのかと嫌な気分になります。法的手続きや倫理委員会の問題についてはなるほどと思いますが。
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