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>ラクシュンさん:
>ttp://macska.org/article/188#comments より
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>(…)こうした極端な「利己心のなさ」は、自分の子どもに対する「アシュリー療法」を求めている親の発言に繰り返し見られるパターンであり、それは社会が親たちーー特に母親ーーに要求する、完全に利己心のない、献身的な(母)親という非現実的な理想像あるいは神話の反映であると Dreger は指摘する。
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>「こうした極端な「利己心のなさ」」の強調は、「アシュリー療法」的なものに対する倫理的な批判に対応するものと考えるのが普通でしょう。
なるほどなぁ。「利己心」を見せようとはしないでしょうね。相手が「利己心」を見つけて糾弾しようとしてたら。理解の参考になります。
ただ私が疑いを提示した部分、macskaさんは両親が「親の負担を軽減する目的は全く無かったとまで言い切る」と言うけれど、前にURLを示したサイトで両親は「体重が軽い方が介護が簡単」という趣旨のことを書いていますよ。で、↓とも矛盾がある(上と同じmacskaさんページ)。
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Dreger はさらに、アシュリーの症例において成長停止が「体重が軽い方が介護が簡単であり、結果的により良い介護を受けられるようになる」として、そして子宮摘出が「どちらにしても彼女が自分の意志で性的関係を持つことはありえないから」として正当化されたことに対して、次のように問う。アシュリーが自分の意志で子どもを持とうとすることがないように、彼女が自分の足で歩くことだってありえないのだから、両足を切断してしまえば良いのではないか? そうすれば身体はより軽くなり、介護も楽になるのではないか、と。
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で、ここでさらに非良心的なのは、子宮摘出について、生理痛・サイクルをなくす(苦痛・不快感をなくす)という両親が書く本当の目的を書かないと、両親は成長停止と同じく体重を軽くする目的だったと読めてしまう。この後に「両親や医者の論理を徹底させれば、両足の切断こそが「当人にとって最善の選択」となってしまうかもしれない」はひどいよなあ。体重を軽くするには成長停止で十分足り、足を切る必要はありません。こういうのを称して詐術というのですね。それをラクシュンさんは指摘しているのですね。
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