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†世間的イメージが崩れるとき
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特定の身分を与えられた人たちが、世間的なイメージを壊さないように振る舞うインセンティブを持ち続けている限り身分制度は有効である (4)。
たとえば、女性社員にかんして、いずれは結婚して会社を辞める人たちという世間一般のイメージがあるとしよう。こうしたイメージが有効であるためには、社会にとってこのイメージを前提にして女子の採用や昇進を決めることがコストの節約になることに加え、女性のとってもそのような扱いを受けることが満足につながるという二つの条件が成り立たなければならない。
ある女子社員が会社で早々に結婚相手を見つけ、寿退社を計画しているとしよう。このとき、キャリアを積むために人事から海外研修を命じられたり、重要なプロジェクトのメンバーに加えられたりすれば、この女子社員は当惑するだろう。研修やプロジェクトの途中で退社を願い出れば会社に迷惑がかかる。それならば、はじめから継続性のない単発的な仕事を任されていた方が気楽というものだろう。
しかし、なかにはこうしたイメージに基づく扱いを嫌がる女性もいるはずである。自分は結婚しても会社を辞めず、仕事と家庭を両立できると心に決めている人たちだ。それなら彼女たちはイメージを崩そうと行動を起すだろうか。おそらく最初は起しにくいだろう。なぜなら、そうした女性たちはマイノリティと考えられるからだ。会社はマジョリティでイメージを形成するため、マイノリティの女性の主張には耳を傾けないだろう。
状況が変わるのは、仕事と家庭を両立したいと考える女性が増え、マジョリティになってきたときである。こうなると、会社にとって女性=寿退社というイメージを前提とした人事は適切でなくなってくる。女性のキャリア形成を考慮した人事をする会社だけが優秀な女性を採用でき、業績を野原洋になるからである。
こうして世間的なイメージは有効でなくなる。結局、イメージを崩せるかどうかは「……らしからぬ」行動をとる人がどのくらい増えるかに依存している。
脚注
(4) アメリカの経済学者L・サロー氏は、以下に述べるようなマジョリティからの
◆情報に基づく差別のことを「統計的差別」と呼んでいる。詳しくは、L・サロー
『不平等を生み出すもの』(邦訳は同文館)を参照のこと。
---『これも経済学だ!』p.155−6---------------------------------------
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†弱者は差別されているか
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弱者について議論するとき必ず登場するのが差別の問題である。世間一般では、人間が対等に扱われないことを差別というが、それは曖昧な定義である。なぜなら、どんな人でも対等に扱われることなどあり得ないからだ。男女、年齢、学歴、など、世の中では任ガンがさまざまな属性でクループ分けされている。そしていったんあるグループに属してしまうと他のグループには入れてもらえないことはよくある話だ。
単なる区別が差別と認定されるには、区別する側がされる側に対して何らかの◆偏見を持っており、その偏見を満たすために利益を犠牲にしていなければならない。たとえば、従業員採用時における女性差別とは、◆本来ならば女性を雇った方が経営上望ましいにもかかわらず、雇用主があえて生産性の低い男性を雇うことで★快感を得ていることと定義される。この定義を提唱者でノーベル経済学賞受賞者のシカゴ大学G・ベッカー教授にちなんでベッカー型差別と呼んでおこう。
このベッカー型差別は弱者にも当てはまるだろうか。(…)
-----前掲書p.158---------------
(ここでの「弱者」とは「社会的弱者」ということで、障害者、老人、などを指しています。)
こちらは、mscska氏のブログでの「選好による差別」に該当しそうですよね。
しかし、個人的にはなーんかヘンなんだよなー・・・
↓
ttp://macska.org/article/184#comments
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