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猫まんまさん
>私は番組上のバランスなどどうでもよく、一分先の展開すらまったく読めないもののほうが余程「リアル」だと思うんだけどなあ。
私も同じように考えています。
たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです。(ちなみに"Josef"というHNはたまたま思い浮かんだ『審判』の主人公の名前を何のひねりもなく安直に借用したものです)
例外もあるかもしれませんが、一体に、テレビ媒体は「リアル」を求めてはいないのでしょうね。なんたって「リアル」は疲れる。大体、「リアル」には終わりってものがない、カフカがいつも未完であるように。その点、予定調和の虚構の方が楽でいい。人々の集合的欲望(または相互主観的欲望)におもねるのがテレビの最大の役割でしょう。私はドラマはほとんど見ませんが、スポーツ番組でその欲望を満足させていただいてます。
ところで岸田秀はアメリカと日本の関係を男と女の関係になぞらえて語っていましたね。ラクシュンさんが忌み嫌うパターンとは、善玉日本(女)が悪玉アメリカ(男)の上に立つというパターンなのではないかという私の見方も大外れではないでしょ?
そしてそういう男女関係の表現パターンにラクシュンさんがことのほか強く反応するのは、実は別の面ではラクシュンさんが力道山的パターンが大好きであるからかもしれません。
>ラクシュンさん、勝手な推測をしてごめんなさい。
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