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>Josefさん
>日本人は善良で賢く、アメリカ人は性悪で馬鹿(せいぜいずる賢い)なことが前提。
>その上で日本代表・力道山がアメリカ代表の悪者レスラーたちを空手チョップでやっつける。
>ラクシュンさんが忌み嫌うパターンとは、善玉日本(女)が悪玉アメリカ(男)の上に立つというパターンなのではないかという私の見方も大外れではないでしょ?
ここでいう、女という性=「善玉」「善良」、男という性=「悪玉」「性悪」という役割付けとは、私がドラマ一般を背後で支える“ジェンダーのコード”と言っているもので、それについても一言あるというのはその通りです。 そして、刑事or推理ドラマのなかで男=性悪・悪玉、女=善良、善玉という印象がどうやって形成されるかというと、同じ犯罪であっても男に厳しく(女に甘く)描かれる、同じ復讐殺人でも性悪女への復讐は排除される(性悪女の排除)、主に男の犯罪が描かれる(性悪女の排除)等の理由によってでしょう。しかし、これはこれで既に長い歴史があるわけでしょう。
「さくら署」から受けた今回の私の印象はそれとはちょっと別のところにあるということは言っておきます。
念のために、男女の地位の逆転自体が問題なのではありませんから。
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