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>Josefさん:
>さて、「お決まり、定番」を楽しむという点では日本も西洋もさほど違いはないんじゃないかなと思います。オペラなんて、同じストーリーを役者(歌手)を変え細部をちょっと変えて繰り返し繰り返し上演されてきたのだし、観衆はその「異曲」の部分を楽しんできた。楽しんでいる時はいっとき日常から解放されているわけで、解放されるためにそういう物語がある。とすれば「リアル」は楽しみの邪魔なのでしょう。
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>といっても日常とまったく無関係でも味気ない。日頃の不満や鬱積、あるいは叶えられない欲望を単に忘れさせてくれるのではなく晴らしてくれたり満たしてくれたりする虚構がいちばん求められるのだと思います。その「晴らす、満たす」の中に、単純に快哉を叫べる物語や(ハッピーエンド)、悲劇の形をとって共苦と涙でカタルシスを得られる物語、といったヴァリエーションがいろいろ用意されているのでしょう。
うーん、話が噛み合ってないというか、そもそもJosefさんの発言は
『たとえばカフカの小説は「不条理」とか「悪夢のよう」などとよく言われますが、どんな「リアリズム」小説よりリアルです』
なのですから、前者のリアルと後者のリアルが混同された話になってきてるのでは?
Josefさんのおっしゃる通り、シェークスピア劇などもあって「定番」に国境は無い、と思うのですが、ここで問題にすべきなのは、やはり、「TVの表現」ではないでしょうか。
なんたってマスに開かれた装置ですから。
ある種、好事家だけのものになった伝統芸能とは(影響は多大でしょうが)質が異なるように思うのですが。
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