| |
>Josefさん:
>と書いていて、ここでは「リアル」の意味がまた違っています。「史学的な事実」はリアリズム小説の「リアル」に近く、理解可能な因果関係を壊して人を不安に陥れる「リアル」とは違います。が、先に言ったように、それもまたいいだろう、と思って私もレスしています。
>
つまり、何が「リアル」になりえるのかは、その置かれた状況しだいだと。
Josefさんがそのように理解している、と受け取っていいのでしょうか。
>是非聞かせてください!
・まず、オリンピックは全競技全裸でやる、オリンピック以外の「プロ」スポーツも全て全裸でやる。そしてTV中継もそれに対して、モザイクなど下手な細工をしてはならない。あるがままに放映する。それが出来ないというのなら放映権を剥奪する。
・オリンピックの正式競技に「SEX」を採用する。これは絶対である。
・オリンピックはいうまでもなく、「プロ」完全解禁。ドーピングも勿論解禁。さらに身体改造もある。つまり、「SEX」であればバイアグラもOKであるし、ちんこに何か手術して入れるのもOKである。さらに日本代表であればAV軍団、米国であればポルノ軍団の参戦もある。
・しかし、道具は制限される。つまり、これが野球であれば、バットもボールも使用禁止である。代わりに自分のちんこと金玉を使用する。
・アマレスはプロレスのルールに則る。つまり、反則も凶器攻撃もマイクアピールも「あり」である。
・野球の勝敗は体操やフィギアと同じく、審査員の採点によって決まる。つまり、読売がどんなに広島相手に10対0で試合に勝とうが、審査員が「美しくない」と判断して読売が負けるということもある。
・相撲の、いわゆる、朝青龍問題は本場所中に朝青龍がいきなり乱入して、10人の力士をばったばったとなぎ倒してしまえば、朝青龍の全面勝利である。不意打ちでも何でもいい。それがなされたら、北の湖理事長は、朝青龍に土下座をして切腹しなければならない。ただし、朝青龍が一敗でもしたならば、角界追放は勿論、日本追放である。
・というか、そもそも横綱という地位を廃止。優勝力士=チャンピオンで、それ以外はただの「クズ」というきわめて真っ当な制度にする。
・オリンピックやプロスポーツの大会においては、勝者は限りなく全世界的に讃えられるが、それ以外の敗者は「クズ」である。場合によってはライオンの餌にもなりえる。
これによって、オリンピックなど、世界大会の報道の敗者のクセに自国だからと、大きく報道されるという偏向は淘汰される。
さらに重要なのは敗北は死にも繋がりかねる、と言う点である。
_________________________________
大体こんな感じでしょうか。
重要な点は「敗北は死」「エロス」という部分でしょうか。
そういう事で私的に「スポーツらしいスポーツ」とは何か?例えばF1などは死の距離という事では問題ありませんが、身体性との乖離があります。
ロック・クライミングもよいですが勝敗の行方がイコール死に繋がるともいえず、現状ではよく分かりません。
>ていうか、ドラマと視聴者との関係でしょうね。私が猫まんこさんのことを「ケチ」だと言うとする。しかしそれは私が猫まんこさんに過大な奉仕を要求する強欲な奴だからであって、猫まんこさんに「ケチ」という性格が内在しているわけではない(同様に私に「強欲」という性格が内在しているわけではない)・・・というのは岸田秀的相対論ですが、件のドラマとラクシュンさんの関係もそういうものではないかと思います。
私も実体論・反応論のいずれかどちらかが正しいと言うつもりではありませんでした。
しかしどうでしょう。ラクシュンさんも、これがTVというメディアではなければそんなに不快感を感じる事はないのではないでしょうか。
私自身の興味もありますが、TVという物の特性に焦点を絞った方が「広がり」があると思ったのです。
マリリン・マンソンの歌や鶴見済の発言などにも、「テレビは暴力だ」というようなTVに対する違和感の表明があったように思います。
こういった人たちの活動がまた、TVに相容れないものだというのもまた、面白いところで。
|
|