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>それより、数多ある刑事ドラマの製作意図として登場人物の「性別」というものを強く意識するとすれば、社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)に乗っかったり、あるいはそれによる主人公の奮闘や悲哀の面を強調したり…といったことで、そのドラマの性格を第一義に考えるはずで。
意見が合わないのははじめから解っていますが、これを読めばすごく単純に見えます。
単純な例でいえば、夫に小言ばかり言われ続けてきた妻がある日キレて夫を殺害する的なストーリーは、芥屋さんの観点からは自然にイメージできると思いますが、その逆はどうでしょう?
そんな刑事ドラマ、見たことがありますか?(描かれ方が問題だけど)
もしかすると、芥屋さんのいう「社会通念としての男女観(いわゆるジェンダー)」からは、こういう男ジェンダーの「悲哀」は排除されているのかも知れませんね。
>でも私に言わせりゃ、そういうもろにジェンダーに訴えかける作品に決まってるでしょ。フェミニズムに立脚した作品だと思って観るから、見当はずれなことになる。「これがフェミニズムだ。フェミニズムの宣伝作品だ。しかしジェンダーに異を唱えるはずの作品がジェンダーまみれであるという矛盾…」みたいなことになってしまう。
「フェミに立脚した」というより、フェミと同じに見えるということかな?
>フェミもメンリブも、その「ジェンダーを客体視する視点」というのは刺激的で興味深く考えさせられることも少なからずあるのですが、検閲的な見方しかできなくなることが多いがゆえに、私はやはりその視点を自分のものにはしません。つまんないでしょw
「検閲的」というか、私が感じる常識的な許容範囲を越えたときにそうなる、ということですよ。
芥屋さんたちと違って、私の男ジェンダーには限界があるということですよ。
保険金殺人や強盗殺人など、女の犯罪が実録ドラマとして放映されることがありますが、どちらかといえば肯定的な方向で描かれてしまうんですよね。
「復讐するは我にあり」とはぜんぜん違って。
ま↑こちらは殺害人数が多そうだけど。(笑)
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