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>楽さんが強く反発する台詞である「(理不尽に耐え切れずに殺人を犯してしまうようでは)アナタは人を支える仕事には就けない」、これが真犯人の写真家助手に向けられたものであるとのこと。
前スレで書いた、「そこだけを解釈すれば、理不尽な扱いであってもその程度のことで人を殺していたのでは主婦にはなれない」というのは、もとの女署長の科白があまりにも場違いだったので、そこに少しでも通訳可能な意味を与えうるならということで私が個人的に付け加えた解釈ですからね。
>だったら、劇中で対比されているのは、この夫と助手ではないですか。この二人が同一の役回り(狂言回し)であるなら、かたや妻を殺し、かたや師匠を殺した、二人の男の話として登場するはずですが。
というか、夫と写真家のアシスタントの間には「対比」関係は成立しないはずです。 この両者の間に敢えて対比関係を設定するとすれば、究極の滅私奉公というかただひたすらに妻の利益だけを考えるという奴隷ですら演じきれない役を夫に演じさせるくらいしか思いつきませんね。 しかし実際には「アナタはどうして私の足ばかり引っ張るの!」(←署内での妻の罵倒)という妻の言葉からも窺えるように、妻にとっての夫は協力的ですらなかったのです。
また、夫−弟子対比仮説の唯一の根拠となっている夫の利他的行為についてですが、そもそも身代わり出頭というのは、(そこに例外的な関係が設定されていない限り)夫婦間の愛情に裏付けられた行為だから、それと写真家の単なるアシスタントでしかない人間の行為を対比させることには根本的な無理があるはずです。
>下積み時代にはおどろくほどの理不尽もある芸術世界で、将来の名声を夢見ていた(しかし師匠殺しをしてしまった)芸術家の卵に向けた台詞なんですよね?リストラされたサラリーマンの夫の自己犠牲的な献身行為を描いた後で、この台詞なんでしょう?違うんでしょうか。
Aという事象(or表現)の後にBという事象(or表現)が起きたから事象Bの原因はAだといった判断は、どうしても“ポスト・ホック”的な誤謬推論の確率が高くなりがちですね。
全部ではないにしても、とりあえず現物を見ている私と、それを見ていない芥屋さんとの間にはどうしても情報の非対称性があるので、芥屋さんにとってはフェアな議論ではないということは理解しているつもりです。
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