| |
ラクシュンさん
>であるなら、パスカルのデカルトに対する批判は根本的に的外れということですよね。
当人にとって的を射ていればそれでいいでしょう。信仰の問題なんだから遍く妥当する「正解」などあるわけがないのです。
>ある宗派内のある信者の宗教観に対して、その宗派内の指導的立場(何の根拠および基礎的信念に裏づけされているのか知らないけど、とにかく特権的立場)にいる人がとやかく言う筋合い自体が成立しないということですよね。
とやかく言えばいいと思います。
なるほどーと思う人が多ければその宗教観は主流になっていくし、はぁ?と思う人が多ければ衰退していく。
>しかしこういう考え方は、何かを信じている人がいるという事実と、その信念対象(=神)が実在することを混同していませんかね。
そういう人もいるでしょうが、ここに書き込んでいる3名は混同していませんね。
それはともかく、神を別としても、世界とは畢竟「私の世界」であって、その外に出ることはできません。ラクシュンさんの言う実在は、たぶん、「私の」を抜きにした世界のことだと思います。そこには神どころか、愛も憎も、善も悪も、ありません。
たとえばある行為が善であることを科学的に証明することはできません。善は実在じゃありませんから。しかし人はそのような実在の中だけで生きているのではなく、善悪を含めたあれやこれやの複雑な価値の網の目を「私の世界」として生きている。神もまたそのような「私の世界」を構成するものであって科学的実在ではない、というのが私の言っていることです。
|
|