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明けましておめでとうございます。
>ラクシュンさん
話がお互いズレてるようですね。
>「なるほどーと思う人が多ければ」と言いますが、神の非存在を前提にした教義が実際にあるのですか?
ええと、「ある宗派内のある信者の宗教観に対して、その宗派内の指導的立場にいる人がとやかく言う筋合い自体が成立しないということですよね」というラクシュンさんの言葉を受けて(引用して)、「とやかく言えばいい」とコメントしたまでですよ。つまらないことを言えば信者は離れていくでしょう。
>ここにいる3名などはどうでもいいことで、ドーキンスの立場は、神の実在を信じている人たちが相当数いるという判断に基づいたものだと思います。
そうかー。私はドーキンスなんてどうでもいいのですが。
>多くの宗教は、神の実在を前提にしなければ成り立ち得ないものだと思います。
宗教にもいろいろあるでしょうが、たいていは神を科学的な意味での「実在」とは考えないのでは?たとえばキリスト教だったら、創造主ですね。創造されたものは実在ですが、創造するものは一切の実在の超えた「超越」でしょう。天皇が姓を与えても自身は姓を持たないようなもので(変な喩え)。
>「私の世界」だけという個人的な世界内では収まらないからドーキンスが科学的な立場から口出し(アドバイス)しなければならなくなるんだと思います。
私の言う「私の世界」(=世界の限界)は「個人的な世界」(=主観世界)とは違うんですよ。
「個人的な世界」は「世界」の一部にすぎませんが、「私の世界」は「世界」を包含するものです。竹田青嗣経由で現象学に触れたラクシュンさんなら分かるでしょ?ラクシュンさんは(たぶんドーキンスも)主客が分かれた後の「客観世界」について実在を云々しているのですね。そこには神は無いでしょう。
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