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>ナナコ
阿部彩『子どもの貧困』岩波新書を立ち読みしました。前々から、高額所得者から貧困層への再分配をもっと増やすべきだと思っていたので、この本でデータ的裏づけが得られたような気がします。現実の方は、バブル崩壊後の不況からこっち、逆の方向に進んできてますよね。低い税率によって大きな税収を、という数学的最適解が現在の税率の基本になっていると思いますが、このままの状態で消費税を上げたらもっと状況は悪くなります。財源が不足しているなら、まずある所から取ろうと考えるのが常道だと思うのですが、高額所得者の税率アップがまるでタブーのようになっているのはやはり「国策」なのかなあと思ったりします。アメリカの政権党が代わって、日本の「国策」がどう変わっていくのか、今後に注目です。
上の本で違和感を感じたのは、統計に偏りすぎという点です。そういう本なのだと言ってしまえばそれまでですが、統計的に特異な点のみを「問題」として取り出すという弊がこの本にもあると思います。子供の貧困率が他国に比べて高いとか、母子家庭の貧困率が突出しているとか、そういう統計的特異性がなければこの本自体が成立しないでしょう。でも実際は、そういう統計的特異性があろうとなかろうと貧困者は貧困です。大災害には寄付金が集まるが小災害で一人が家を失っても何もない、というふうな不平等を、不平等解消を目指す作業それ自体が生み出すのでなければ良いが、と思います。
あと、子供にとっての必需品は何かという問いへの答えを国際比較して、日本人の基準が低いことが書いてありました。私もここで批判されている日本人と同じだなあと思いました。たとえば、私も多くの日本人と同じく、「誕生日プレゼント」が子供にとって必需であるとは思いません。そういった基準が高いらしいイギリス人と比較して、「イギリス人の子供は幸せ」と書く著者と私(及び多くの日本人)とでは、「幸せ」の基本感覚がだいぶ違っているのだろうと思います。
上の点について著者は、日本人が子供に冷たいのではなく、国民総中流神話などの神話がまだいろいろあるために、貧困が子供の成長に様々なデメリットをもたらしていることがよく分かっていないせいではないかという意味のことを書いていましたが、私の実感は違います。少なくとも私の場合、本書で挙げられているアイテムが全部揃っていても子供の必需が満たされているとは思わないし、逆にそれらの多くが欠けていても必需が満たされていないとは思わない、つまり、子供にとって必要不可欠なものが何かと問われた場合、そういう予め設定されたモノやコトで考えようとはしないのですね。もっと、ずっと相対的です。子供にとって「Aは必需品か?」と問われたら、「AはなくてもBがあれば」と思うので「ノー」と答えるし、「Bは必需品か?」と問われたら、「BはなくてもCがあれば」と思うので「ノー」と答える。基本的な衣食住を除けば、これが絶対必要、というふうに固定化・一般化して考えないのが私であり、多くの日本人なのではないかと思います。
一言でいえば「融通無碍」でしょうか。欧米人は原理主義的ですね。
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