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>よーくん
随分間が空いてしまって、ごめんなさい。
『子どもの貧困』を読んで感じたのは、「貧困」とは、単なる経済的貧しさという一面的なものではなく、社会との繋がりが希薄であったり、教育を受ける機会が乏しかったり、親との物理的接触時間そのものが少なかったり、他者との関係性が希薄であったり、接する文化水準の低さだったりと、様々な貧しさが複合的に組み合った結果なのだ、ということです。
ですから、経済政策で出来ることはやはり一面にしか過ぎません。ニュースでよく取り上げられるような、「私はこんなに経済的に厳しいので、経済政策の恩恵が必要だ」というような個別例の提示は、それより更に貧しい人々がいるのは尤もなことで、全く意味がないどころか足を引っ張り合う害悪にしかならないことが、貧困者同士の福祉資源の奪い合い、ねたみ合い合戦を見ると感じます。
貧困問題で、立場の違う貧困者同士が団結しにくい理由がこのあたりにあるのかなぁ、と思いました。
>あと、子供にとっての必需品は何かという問いへの答えを国際比較して、日本人の基準が低いことが書いてありました。
クラスの誰ちゃんと誰々ちゃんが持っているのに、私は持ってない。こういう子供の不満に対して、貧しくてそれを与えられない時、代替案を示してあげたり、その不満自体を他のやり方で解消させてやったりすることが、智恵なのだと思いますが、それが出来ているうちは、例え経済的に貧しくとも、貧困には相当しないのかもしれません。または貧困かもしれませんが、不幸ではありませんね。
しかし、これだけモノが溢れている世の中ですから、我慢させることや、少ないもので足ることを知ることを教えることが、余計困難になっている気はします。そういったことを子供に教える余裕も教養も無いことが、ある種の貧困ですし、そうであるならば、モノを与えないよりかは与えた方がマシ、なのかもしれません。
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