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>>引用文から判断して、ここで言う「独在性」って例の「私はあのパンダや
>>中曽根ヤスヒロじゃなくって、なぜこの私なのだ」的なあれでしょ?
この書き方はちょっと不正確だったと思うので、一応三浦俊彦さんの『論理学入門』の中から引用しておきます。
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中曽根康弘や福沢諭吉やデカルトやランランやこれから生まれてくるまだ名のない赤ん坊ではなく、永井均だけが・この・私と呼べる特殊なありかたをしているのは、どうしてなのか。その特殊性はどこから来ており、その実態は何であるのか。
…この私の存在する現実の世界とそうでない世界とは、厳密にいってどこが異なっているのだろうか。すなわち、永井均というこの人間は、現在の私と・まったく・同じあり方で存在しているにもかかわらず、彼はこの私ではなく、単なる・ある・「私」のひとりにすぎないことも可能であるはずなのに、現実には、・たまたま・彼がそれ以上のありかたをしているのは、どうしてなのか。
彼がそれ以上のありかたをしているのは、彼が永井均であるからでも、無数に存在する「私」たちのひとつであるからでもなく、<私>であるからなのである。(『<私>のメタフィジックス』pp.76-77から)
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まさしく・この・私の存在の驚きから出発し、それが類例のないものであることを力説したとしても、類例のなさというその規定が一般化され、類例のなさの類例を見出すことになるだろう。(『<私>の存在の比類なさ』p.78)
だが、この独在者の複数化の思考は、成就した瞬間に消滅を余儀なくされる。独在するはずの<私>が、複数の≪私≫のうちの一つに転落するからである。……この等質化、平準化からもう一度離反するためには、再び独在化の運動が開始されなくてはならない。(p.81)
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(「・・」間は傍点のつもり)
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